乃木希典 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

イメージ 1
乃木希典の墓
 
乃木希典
 
日露戦争の英雄で軍神と呼ばれた乃木希典の墓は青山霊園にあります。
 若いころは幕末の動乱の中で生活が荒れ、料亭通いなどの放蕩生活を繰り返しています。しかし、明治20年からのドイツ留学を機に、帰国後軍紀確立を上申。自らがその手本となるよう質素な生活を送るようになりました。
 明治27年の日清戦争では歩兵第1旅団長として大山巌率いる第ニ軍の下で出征し旅順等を攻略します。
 また、明治37年に日露戦争が開戦されると旅順攻略のために新設された第三軍司令官として参戦、激戦の末陥落します。当初多くの犠牲を払いながら作戦が失敗したため国民から乃木に対する非難が巻き起こりますが、乃木の二人の息子も戦死したことが伝わると一気に沈静化したそうです。しかし、軍人としての評価は作家司馬遼太郎が批判的だったのに対し、それに反論する意見もあり定まっていません。ただ降状した敵将ステッセルとの水師営の会見では、武士道精神にのっとり丁重に扱ったことから世界中から賞賛され尊敬されているのは事実です。 
 明治天皇は乃木を大変信頼されていたため日露戦争後、孫(後の昭和天皇)の教育を乃木に任せるために学習院院長とします。
 明治天皇が崩御されると、大正元年9月13日の大喪の日に、妻静子とともに自宅にて殉死。多くの国民が悲しみますが、学習院での教育方針に批判的だった「白樺派」の志賀直哉らは「前近代的行為」と批判する等、賛否両論を巻き起こしています。
 墓は生前、質素な生活に心掛けた乃木大将らしい墓です。一族の墓がある一画は塀で囲まれ、中に入れませんが柵の外から中を見る事が出来ます。日露戦争で戦死した長男・勝典と次男の保典の墓石も確認できました。
 乃木大将が殉死した自宅は青山霊園のすぐ近くに現存しています。乃木坂の乃木大将を祀った「乃木神社」隣りです。毎年、命日には内部が公開されているそうです。
 

墓所:東京都港区南青山 青山霊園 1-ロ10-26  地図
撮影:2012.5.2