母、旅立ちの記録-5 旅立ちの衣装 | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

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この記事は下記の記事の続きになっています。

何かのご参考になれれば幸いですが、

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

 

 

 

 

この日、午後に再び会館に訪れたのは、

午前の担当者から

「今日中に持ってきて頂きたいものがある」

とお願いされていたからです。

 

ひとつは明後日の納棺前に着せる母の着物と

もうひとつは、母の使っていたお数珠。

そしてもうひとつは『一膳飯』。

一膳飯とは、故人の使っていたお茶碗に、

炊きたてのご飯をよそって箸を立てもの。

 

担当者からは、

「お家に戻られたら、

炊きたてのご飯を炊いて、

お母さまがお使いになっていたお茶碗に、

こんもりと大きく山もり盛ったものを

出来れば熱々のうちに、

お箸と一緒に持って来て欲しいのです。

ご飯が冷めないように、しっかり

ラップとアルミをかけて

持ってきて頂けますか?」

と言われていたのです。

 

家に戻り、お米を洗って炊いている間、

母の着物一式を箪笥から取り出しました。

この着物と帯が家に届いた時、

母が私に見せた笑顔が浮かんでくる。

 

『お母さん、

約束通り、この着物をもってくよ。』

と心の中でつぶやいて。

 

 

 

ホールに着くと、

午前中の方と入れ替わった担当者が

待ってくれていました。

あらためてご挨拶して名刺を頂戴した後、

 

「今、お母さまのお身体をご安置室で

綺麗にしてもらってますので、

まずはそちらへお案内いたします。」

 

そう言って、

会館に併設されている建物に案内されました。

中に入ると、

お線香の品のよい香りが漂っていました。

 

「本日は仮通夜という形になりますので、

ご遺族の方は、

ここでお線香を絶やさないために

一夜をお過ごし頂いても構いませんので。」

 

と言われましたが、

遺体を冷やすために冷温にされていて、

とても過ごせそうにありません。

それよりも、私達は、

時間との戦いの真っ最中で、

母の傍にいてあげれる事が出来ません。

 

建物のなかの和室にあがると、

こじんまりした8畳位でしょうか…。

一番奥に布団に寝ている母がいる。

母の顔には綺麗にお化粧されていた。

その横で、施術をしてくださった方が、

母の髪をときながら、

 

「お身体は拭き終わってます。

綺麗にさせて頂きました。

お化粧もさせて頂きました。

お着物は、娘さんから渡された寝間着を

今、着て頂いています。

最後に髪をお櫛でとかせて頂きますね。

と。

 

私と夫が

「ありがとうございます。」と一礼すると、

 

「お母さまの後頭部の出血なんですが、

今もじわじわと続いているようで…。

まだしばらく止まらないかもしれませんが、

ごくわずかな量ですので、

お通夜までには止まっていると思います。」

と言われました。

 

この出血は、検死の時に

突き刺された注射針での出血です。

 

母の口は少し開いていましたので、

それを閉じるためにか、

顎の下に脱脂綿でくるんだ固い物を

胸元に置いて顎をあげて下さってました。

 

実は、昨夜、

母が搬送された救命センターで、

私は母の顔を少しでも

生きているに近しい表情にしたくて、

救命センターの医師(女性)に

 

「口が半開きのままになっているので、

今、入れ歯を入れて口を閉じるように

しておきたいんですが…。

硬直したら入れ歯が入れられなくなって

しまうかもしれませんし。」

 

とお願いしてみたのですが、

 

「それは出来ないんです。

お聞きになってると思いますが、

お母さまはこのあと、

検死のために警察署に運ばれます。

娘さんが入れ歯を入れた事で

口のなかが出血したら、

死因の原因に、

別の要因が

加わってしまう事になりかねません。

病院では基本、こうした時は、

亡くなったご遺体の状態を出来る限り

そのままの状態を維持して、

警察にお渡ししなければならないんです。

お気持ちはわかるんだけど、

ごめんなさいね。」

と。

 

もしも私が母を施設に行かさず

母が自宅で息をひきとっていたのなら、

私は母を口が空いた状態には

絶対にさせてないだろうと思った。

微笑んでいるような”死に顔”になるように

きっと、すぐさま入れ歯を入れて、

母の身体が硬直するまで、

口角が上がるように両手で顔を包んで

訪問医が来るのを待っていた事でしょう。

31年前、末期がんで入院中の父に、

私がそうしたように…。

 

でも、これでよかったんだと

言い聞かせました。

母は検死を受けたものの、

後頭部の出血はわずかにあるだけで、

それ以外の身体は

綺麗なままで返してもらえた。

死因が心臓ではなく、脳だったから。

身体をメスで大きく裂いて

解剖されずに済んだのだからと…。

 

この日、

この部屋で身体を拭いてくれたのは

「仮洗浄」と呼ばれるものでした。

葬儀社の基本プランに入っている項目です。

湯灌のオプションをつけず、

これだけで納棺されるご遺族も

いらっしゃいます。

 

私達の場合は、

「湯灌」を追加していましたので、

この「仮洗浄」のあと、さらにもう一回、

日を変えた翌々日の通夜の午前中に

湯灌をしてもらうようになっています。

そしてその日、夫とともに参加すると、

それはまるで

映画≪おくりびと≫のワンシーンのようでした。

 

特に湯灌で驚いたのは、

仮洗浄とは違い、

大きな浴槽がこの和室の中に、

デ~ンと持ち込まれていた事です。

本当にお湯の中につけるんだと!!

 

それは介護入浴に使われている浴槽と同じサイズ。

そして、その浴槽に注ぐお湯のために

お湯入りタンクを乗せたトラックまで

館内の駐車場に運び込まれ、

そこから大きなホースで

部屋内の浴槽に、

お湯を流し入れていたのです。

その大掛かりな事にびっくり。

 

その時、二人の湯灌士の方が、

母をまるで生きている人間のように

丁寧に扱ってくれていました。

温かい湯のはった浴槽の中に

身体をつけられた母の肌は、

ほんのりだけれど、

血色がよくなっているように見えました。

 

そして身体を優しく撫でるように

洗ってもらってもらい、

髪も洗髪され、

ドライヤーで乾かしてもらった。

そして施されいく最終仕上げのお化粧。

紅の色はどのお色にしましょうかと

私に聞いてくださった。

 

そして私がお渡ししていた、

母の着物に着替えさせてくれた。

 

「いいお着物ですね。

私、着物が大好きなので判るんです。

着物と帯、とてもよく合ってらっしゃる

色々なお着物、拝見しますけどね、

私好みの着物と帯で、とっても素敵です。」

 

そんな嬉しい言葉もかけてくださった。

 

母を大事に扱ってくれた二人の湯灌士さん。

この儀式を頼んで

本当によかったと思いました。

母の葬儀のなかで、一番忘れられない場面です。

 

そしてこの方に、赤い輪ゴムをお渡しし、

母の髪を少量根元でしばり、

長さを長めで切ったものを2つ、

この部屋において欲しいとお願いしました。

姉と私の大切な形見にするために。

 

湯灌士さんが枕元に置いてくださった母の髪を

持ち帰ってラッピングしたもの。

お通夜、姉にこれを渡した時、

姉は号泣していた。

 

 

通夜儀式前の湯灌が終わった時の母。

温かい湯につかり硬直が和らいだ手を組ませ、

母が使っていた数珠を手の上に置いてくださった。

この数珠も、私が選んで母が使っていたものでした。

 

 

湯灌が終わって旅支度を終えると、

母の身体は布をかけられ、守り刀を胸元に置かれ、

納棺までを待ちます。

枕元にある枕飾りの台には、

家で炊いてきた一膳めしに

母のお箸をたててくれていました。

これは仏になった人は、ご飯を食べれなくとも

炊きたてのごはんの香りは嗅げるという事から

仏への弔いの意味があるのだそうです。

 

湯灌を終えて納棺までを待つ母

 

こうして葬儀に組み込まれた

さまざまな行事を通し、

多くの方が関わってくださり、

ご商売とはいえ、

労いの言葉をかけて下さる。

 

湯灌もイベントのひとつ、

葬儀の演出のひとつと思いつつ、

それを通じて、遺族の私達には

大きな癒しとなっていたのです。

 

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追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

この仮洗浄のお部屋を後にし、

本館にて担当者の方から

見積書をご提示頂きました。

おおよその人数で見積もられたもので、

後日、飲食の増減によって、

若干変動はあるとの説明を受け、

契約書にサインをしました。

 

この時、

ホールで葬儀中に流す

母のスライドショーに使う

母の画像を収めたDVDをお渡しました。

母の遺影に使う写真も、

『遺影に』という名称にして

わかるようにしています。

そしてその遺影に使う画像には、

通常施される背景のベタ加工はせずに

そのまま使って頂く事をお願いしました。

このDVDは、5年位前に、

母の写真の中から100枚近くを選別し

ひとつひとつスキャナして画像修正を施し、

約1か月かけて収めたものです。

そこから年数が経って増えた画像を

時折、追加しつつ、

いつ母が亡くなっても、

すぐに渡せる準備をして、

この日に備えていました。

 

そしてこの日の2回目のホール訪問を後にし

母の最期を迎えた施設に立ち寄り、

荷物一式を引きあげました。

家に帰ったのは夜だったと記憶しています。

葬儀を遂げるために、

まだまだ先は遠かったのです。

記事、続きます。