母、旅立ちの記録-6 生前写真と遺影 | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

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この記事は以下の記事の連載になっています。

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の死去の翌日は、こうして

息つく暇のない忙しさでした。

葬儀社と正式な契約のサインをして

翌々日に通夜を迎える事となりました。

 

なか一日あけて通夜にしたのは

明日、私が病院で白血球をあげる為の

ジーラスタの注射日だった事もありますが

準備にもう一日必要だと思ったからです。

 

葬儀は家族葬なので、

参列する親族は3組と僅かですが、

そのほとんどが他県であるために、

来る側もそれなりに都合があって、

調整の時間が必要だと思いました。

 

(ただ葬儀を伸ばし過ぎると、

安置室代金とドライアイス代金が加算されていく。

特に安置室での代金は1日当たり38000円と結構高額。

母の場合は2日と6時間で計76000円の安置代でした。

葬儀を後伸ばしにすればするほど跳ね上がるので要注意です。)

 

この日、遺影に使う写真と、

ホールの大きなモニターに映し出される

スライドショーに使う写真を

渡さなければなりません。

 

通常であれば、

選んだ写真をお渡しし、

葬儀社がそれをスキャナして

スライドショーに流す画像用に

作業をされると思いますが、

私の場合は、数年前からそれを自分で行い、

いつ母が亡くなっても、

渡せるように1枚のDVDに収めていました。

それをお渡ししてきました。

 

この作業を始めたのは、

今から5年前くらい前です。

母の膨大な写真の中から選別した写真を

スキャナで取り込み、

PC内に入れたフォトショップのソフトで

画像処理や修正の施し、

1枚のDVDにまとめました。

毎日何時間もかけた作業でした。

それ以降に増えた画像については、

その都度、DVDに加え、

トータル80枚を超える量になりました。

 

 

この葬儀社では、どのホールにも

大きなモニターが設置されています。

そこに故人の写真がスライドショーで

映し出す演出が組み込まれています。

それはお寺の読経の以外の時間、

ずっと繰り返し映し出されるのです。

 

亡くなった叔父の時も、叔母の時も、

この葬儀社で家族葬を行いましたが、

叔父の時は、私の家にあった叔父を写した

写真も加え、トータル12枚位ありました。

それでも長時間、

永遠とループで流れ続けると、

12枚だと、正直、見飽きてしまいます。

その倍はあったほうがいいなと思いました。

 

その1年半後に亡くなった叔母の葬儀では

もっと顕著でした。

息子が葬儀社に渡した写真は僅かに7枚。

若かりし頃の結婚式の写真も省略し、

ほとんどが60代を超えてからのものでした。

それがモニターに1枚10秒くらいで

映し出されては、次の画像になり、

全部流れたら最初の画像に戻る。

それが永遠とループされるのです。

そのなかで、

叔母の笑顔の写真はたった1枚だけ。

そして目をそむけたくなるような、

写真が入っていました。

 

その写真は、

夫(叔父)を亡くしたあとの、

2回目に迎えた、

元旦明けの1月2日と思われる画像。

スマホで撮影されてたもの。

息子が施設から一時帰宅泊させて、

嫁とともに食べた食卓での1枚。

テーブルにはおせち料理もない。

お雑煮のお椀を持ちながら、

ガイコツのように頬のこけた叔母。

泣きはらしたのが判る目の周りの赤み。

哀れな叔母の姿でした。

 

よくこんな写真を渡したな…

と半ばあきれつつも、

特にこの息子夫妻はする事がぞんざい。

だから人が気づく事に気づけないのだろう。

しかし大抵の場合、

予期せぬ突然の死を受けた遺族は、

葬儀の準備に多大な時間を割きながら

家から故人の写真を探しだし、

吟味して選んでる時間なんてない。

(特に同居してない家族なら、

写真がどこにしまってあるのかもわからない。)

遺族には、葬儀前の慌ただしいなか、

そんな余裕がないのも事実だと思うのです。

 

私は叔父と叔母の葬儀に参列した事で、

母がいつ亡くなっても、

すぐに葬儀社に手渡し出来るように

準備しておこうと思ったのです。

 

母は物を大事にする人でしたから、

写真は指定の場所に

きちんと保管していました。

画像は小学生時代の集合写真から始まり、

近年までのもの。

遺影の写真は、亡くなる前の年の春に、

桜の下で撮影したものです。

スライドショー用に選んだ写真は

80枚近くになりました。

これを古い月日から画像にナンバーを振り、

葬儀社の方がDVDを再生機器に入れたら、

自動的に古い順から

再生されるようにしておきました。

 

 

葬儀社が、いくらサービスとはいえ、

80枚以上の写真を1枚1枚スキャナして

まとめるには労力的に酷すぎますし、

「古い年月からの順番にしてください。」

とお願いしても、

正確にはわかりませんよね。

そんな理由あって、自分で作業したのです。

 

おかげで、

通夜前に到着した親戚は、長い待ち時間も

母の画像が映し出されたモニターの前で

母の話は尽きないようでした。

 

そしてこの80枚の画像には、

母の姉妹、夫、娘だけでなく、

関わった友人、知人の方を含め、

母が懇意にしていた方と映った写真を

出来るだけ登場するようにしました。

 

母の笑顔のショットの写真しか

選びませんでしたから、

参列された方には

母の笑顔の数々を見てもらう事で、

哀しみを少しは和らげてもらえたのではないかと思っています。

 

 

この作業を始めた時、

気づいた事がありました。

母は58歳の時に夫を亡くした後、

習い事や友人と行った旅先などで

友人や知人から撮ってもらった、

スナップ写真が大量にありました。

 

けれど、それらの写真を見ると、

どこか緊張感があるのか、

若い時に撮られたような満面の笑顔の写真が

殆どなかったのです。

そのせいか、

写真の選別に時間はかからなかった。

そして気づいたのです。

私がカメラを向けて撮影した画像には、

幸せそうな笑顔がある事に。

 

生前の父や、娘の私が向けたレンズには

母は他人様が向けたレンズには見せない、

優しい笑顔が自然とこぼれてた。

母にとって家族とは、

そういう存在だったのだと。

 

この1枚のDVDには、

母の人生の中で、

切り取られた時間が集められている。

母の人生の旅路の記録。

 

葬儀を終えた後日、このDVDを複製し、

母にとって、もう一人のかけがえのない

娘である私の姉に、そっと手渡しました。

 

(赤ん坊の長女を抱く母の姿/父撮影)

 

 

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追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

何かのご参考になれれば幸いです。

記事、まだ続きます。