母、旅立ちの記録3 葬儀社と打ち合わせ | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

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この記事は連続た記事の続きになっています。

何かのご参考になれれば幸いですが、

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

 

 

母の遺体とともに到着したホール。

葬儀社の担当者と夫同席のもと、

打ち合わせが始まりました。

時間は午前10時過ぎ。

担当の女性職員の方は、

穏やかな丁寧な口調ながらも

テンポよく葬儀内容を説明しながら

私の意向を確認しつつ、

プランを立てていってくれました。

(素敵な方でした。)

 

 

この打ち合わせで、

必ず持ってくるように言われていた

母の『死体検案書』をお渡ししました。

加えて、この方が差し出された、

役所所定用紙の『死亡届』を

その場で書いていきました。

大抵、葬儀社に入って頂くと、

この2つの書類を役所に持っていき、

家族に代わって手続きをしてくれるのです。

同時に、

骨焼却代金の20000円をお預けして

火葬場の申し込みをしてくれます。

そしてこの方は、

私の希望日する日に

火葬場が空いている事を

すでに確認して下さっていました。

 

あとはお寺さんの日程が空いていれば、

通夜と告別式の日時を決めれます。

その場でお寺さんに電話をすると

その日時は伺えるとのご快諾を頂き、

葬儀の日時がこれで確定しました。

 

この時、

お寺の相場は私には判りませんので、

お経代金を直接お聞きしました。

通夜・告別式・火葬場・当日行う初七日

これら全ての『お経代金』として32万円

そこに

『お膳代』と『お車代』はお気持ちで…

との事でしたので

お膳代1万、お車代1万を足して

合計34万円を用意する事になりました。

(但し、頂く戒名を4文字にしているので、

別途、戒名のお代金はかからなかった。)

 

このお布施を

いつお渡しすればよいのかもお聞きしました。

するとお通夜の日ではなく、

告別式前にという事でしたので、

お寺様の控室に伺い、

お渡しする事にしました。

このお代金を包む封筒については

葬儀社が用意してくれるとの事でした。

(私はいつも準備していますが、

葬儀前は慌ただしく、

こうした小物を買いに行く時間さえないのが遺族。)

 

こうして日時が決定したので、

ここから細かい点を決めていきました。

全てが決まれば、おおまかな見積額が出ます。

そこにサインして、初めて契約が成立します。

 

ただ、

「ご参列される方と

弔問に来られる人数は何人くらいでしょうか?」

という質問に関しては、

これから連絡していくので

およその予測人数のみお伝えし、

回答は明日まで待ってほしいと伝えました。

 

すると、

「娘さん、LINEはお使いですか?」

と聞かれたので、

使っていますと答えると、

「では、そのLINEに、

お母さまのご訃報をお伝えし、

お亡くなりになった日と葬儀日時を記した

ものを、後ほど娘さまにお送りします。

LINEを開いて頂けますか?

登録しますね。

会社からのLINEが着信しましたら

LINEを使っている方限定にはなりますが、

ご親戚、ご友人の方へ

一斉転送なさってください。

そのLINEには、

こちらのホールの住所や行き方、

お供えのお花や供物の申し込みも

直接出来るようになっています。」

と言われました。

 

時代は今、

こんなに進化してるのかっ!

と驚きました。

 

このLINEのおかげで、

転送ボタンひとつで

親戚や関係者の方に一斉に

お知らせする事が出来、

大幅に労力を削減出来たのです。

 

これを電話で1本1本、

あるいはメールで文章をコピペしても、

なかなかホールへの行き方や地図までは

お伝えしづらい。

また供養花や供物の

お申し出を頂いても、

そのお代金を立て替え、

来られた時に回収するという労力は、

かなり負担です。

お申し出のある方が

直接、葬儀社とやり取りして

カード払いして下さるシステムは

ありがたい事でした。

 

打ち合わせは続き、

受けた質問は山ほどありました。

(ご参考までに受けた質問です。)

 

1.装飾花のグレード決め

2.お花の希望の花、色の好み

3.参列される人数   

4.通夜ふるまいの食事人数

5.精進揚げの食事人数とグレード選び

6.葬列マイクロバスを依頼するか否か

7.お棺の種類選び

8.お棺のなかに畳を入れるか入れないか

9.ご遺体に着せる着物は明朝衣でよいか、

 それとも持ち込みか

10.お棺の上に置く花束(2万円)の有無

11.遺影の額の色決め(黒かグレーか薄紫か)

12.弔問客からお香典は受付るか否か

13.お寺の宗派は?

14.出棺の時に希望する音楽の希望は?

15.拾骨の骨壺の種類と大きさ選び

16.参列者へ配る挨拶状の全枚数

17.参列者へ配る粗供養選び

18.ご自宅用の枕飾りを持ち帰るか否か

19.会館に宿泊される方の人数

20.湯灌をするか否か

21.お棺に入れる六文銭を紙にするか

  線香の原料で作られたものにするか

22.故人にたむける偲び膳で、

  故人が一番好きだった食べ物は何か

 

生前の母とは、

将来来るであろうこの日のために

自分の葬儀をどうして欲しいかを

聞いた事が度々ありました。

最初に話をしたのは、

今から13年前も前の事です。

 

生きてる時に縁起でもないわと、

感じる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、早くにお亡くなる方に決まって、

お葬式の事なんて考えもしなかった。

こんなに早く旅立つなんてと

仰る方が私の周囲には多く、

だったら逆転の発想で、

”厄を払う”という願いもかねて、

お葬式を綿密に計画してたほうがいいねと、

言っていたのです。

 

お陰様で母は91歳まで長生き出来た。

今思えば、認知症になる前に

母の希望を聞いておいてよかったと思います。

 

好きな色は白と紫。

好きな花は百合の花。

お棺は白で、

好きな曲はイルカの「なごり雪」

参列した方からはお香典は頂かない。

お寺は曹洞宗の菩提寺でお願いね。

戒名は長野の善光寺で頂いた2文字を

お寺さんに加えて頂くようお願いして。

四国八十八か所まわった朱印の布を

お棺の中に入れてね。

私が亡くなった後は、自治会に

満中陰志として寄付してね。

 

そして、

亡くなった身体をまとう旅立ちの着物も

あつらえていました。

そしてお棺には、

もう一着のあつらえた着物を入れて、

あの世で亡くなった父と

もう一度式をあげてねと話していた。

 

母は私の選んだ着物を見て、

とても嬉しそうだった。

「いいの?こんなに綺麗な着物を着ても?」

と目を細めていた。

着物のしつけ糸をはずしたのは、

母の死期をいよいよ予感しはじめた時。

今から2年前だったでしょうか…。

 

私は母の希望の限りを叶えようと、

葬儀社の質問にひとつひとつに

答えていきました。

 

出来なかった事は、

お香典を頂かないという事でした。

他人様にはそのようにしましたが、

親戚は戸惑います。

ゆえに親戚から頂いたお香典には、

半額以上の返礼をさせて頂く事で、

母の気持ちを伝える事に努めました。

 

そうして1時間近い打ち合わせで

殆どのプランが出来上がりました。

この時、抗がん剤を打って3日目。

初回の抗がん剤の時にように、

胸を締め付けられて息が苦しい症状は出ず、

関節痛もまだ出ていない。

夫は、普通に動けているのが奇跡だと

言ったけれど、

病院からもらっていた下痢止めを

1日4回飲んで、下痢防止をしていました。

食べ物はほとんど食べれないけれど、

何としてもやり遂げなくてはという

気力だけで動いていたと思います。

 

翌日は抗がん剤で落ちた白血球を上げる

ジーラスタの注射日。

翌々日の通夜に向けて、私はまだまだ、

しなければならない事がたくさんあったのです。

 

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追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございます。

もしご存知でなければと思い、追記します。

骨壺ですが、大きさによって

価格は変わってきますが、

この時、小さな骨壺を選んでしまうと、

火葬場のお骨拾いは、

全てを収納できなくなってしまいます。

骨壺に入り切れなかったお骨は

火葬場が他のご遺体のお骨と合わせて

しかるべき形で供養されるとの事ですが、

お墓や永代供養塔などに全て入らない事で

いわば分骨状態になってしまいます。

叔父の時も叔母の時も、

火葬場でそれを見ていたので、

私は一番大きな骨壺を選び、

母のお骨の殆どを拾い、

骨壺に収納し、永代供養塔に祀る事が出来ました。