あなたに,も一度恋をする

あなたに,も一度恋をする

わんこと,お花と,お料理と…そして介護

母の特養で出会ったCさんの連載を

お読み頂き、ありがとうございます。

この記事が、

Cさんの最終回になります。

 

初めてお読みになる方は、

最初にさかのぼってからお読み頂ければ

内容が理解しやすいと思います。

 

過去記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母が特養に

ロングショートでお世話になってから、

1年半が経とうとした頃、

世界はコロナが蔓延し、

日本もいよいよ深刻になっていました。

施設はマスク着用と

入室前の消毒が義務付けられていたものの

まだ面会ができていました。

 

1年半の期間、母の施設に

頻繁に面会に行きながら、

この施設の介護士・看護師の怠慢さは

目に余るものがありましたが、

それでも他に選択肢はなかった。

その時はまだ、

在宅介護の訪問ヘルパーさんの力を

知らなかったのです。

 

施設での不十分な見守りと

手抜き介護、偽りの報告、隠蔽、

数をあげればここには書ききれない。

あきれた事例はまだまだあるのです。

施設の豪華さとは真逆の貧祖な組織。

それでもその時の私には、

ここにすがるしかなかった。

そして自分が施設に出入りできる限り、

不十分なところは補おうと思っていたのです。

 

*******

 

前回の記事から、

1か月経過した頃だと思います。

Cさんもロングショートで

義務付けられている限度日数を守り、

一時帰宅されていました。

私の母も連続25日を経過したあと、

自宅に帰宅させました。

 

そして施設に母を再入所させた日、

Cさんも戻られているかなと、

廊下を歩いて部屋の前に掲げられてる

お名前を探しました。

 

すると、つい先月、

リビングから2番目に近いお部屋に

なっていたはずのCさんの部屋が

別の方のお名前になっている。

『施設に戻られてないのだろうか』

と突き当りの部屋まで歩いてみると、

なんと一番奥の部屋に、

Cさんのお名前のプレートが掲げられてた。

なんと!

部屋が元に戻されてるっ!

 

前回の再入所の時に、

「リビングに近い部屋にしてくれたの。」

と興奮気味に喜んでいたCさん。

息子さんが施設に要望を伝えてくれて

願いが叶ったと言ってらしたCさん。

あの時の笑顔を思い出すと、

何とも言えない気持ちになる。

やはりここの施設はこんな施設。

あらゆる点で、こんな施設。

 

Cさんが施設に戻られ、

再び奥の部屋に

案内された時の気持ちを思うと、

いたたまれない。

 

この日はCさんにお目にかかれず

母の個室で談笑し、帰宅した。

 

 

******

 

それから数日後だった。

この日は明るいうちの昼すぎに面会に行き、

個室で休んでいた母の部屋に入った。

「お母さん、元気?」と聞くと

「元気よ~。」と。

母はとても機嫌がよかった。

そして、

 

「今日は利用者さんが少ないらしいの。

お部屋もガラガラなんだそうよ。

それでみんな暇なんだって。

で、お風呂も入る人も少ないから、

●●さん、よかったら

入れてあげるわよっーて言ってくれて、

さっき、入らせてくれたの。

昨日も入れてもらってるらしいのね。

2日連続なんですって。

気持ちよかったわぁ~。」

と。

 

「へぇ~~、そうなの?

よかったじゃない!

週に3日も入った事になるねぇ。

ラッキーだったねぇ」と私。

 

これが、この施設を2年半利用した中で

後にも先にも、一番嬉しい出来事だった。

こんな優しい介護士さんがいるなんてと。

ただこの方、1階担当の介護士さんじゃなく、

入浴介助専門の介護士さんだと思います。

そんな奇特な方がいるだと驚きつつ、

母を幸せな気持ちにさせてくださって

ありがとうございますという気持ちだった。

 

その時、以前Cさんが言った

「私、入浴は

週1回しか入らせてもらってないの。」

と告発にも似たあの発言が頭をかすめた。

 

その時だった。

個室のドアをノックする音がして、

若い男性介護士がドアを開けた。

 

「minntaさん,

これ、Cさんからのお預かりものです。」

 

そう言って手渡されたのは、

色紙を使って作られた”ちぎり絵”だった。

 

「Cさんが、

なかなかminntaんさんと会えないので、

今度来られた時に、渡してほしいと

頼まれまして…。

minntaさんには本当にお世話になって

お礼がしたいという事で、

わざわざ息子さんに連絡して

自宅から持ってきてもらったんだそうです。

Cさんの趣味がちぎり絵だったそうで、

昔お作りになった中から選んだそうですよ。」

 

私はとても驚いて

 

「まぁ。。。ありがとうございます。

Cさんに、確かにお受け取りした事、

とても嬉しかったと、

必ずお伝えください。」

とお願いした。

 

この日もCさんとは

ダイニングでもお会いできず、

そのまま帰宅しました。

 

Cさんから頂いたちぎり絵は

森林をイメージした深緑色の

神秘的な絵画でした。

Cさんの気持ちがじ~~んと伝わる

素敵な贈り物でした。

 

*******

 

その翌週、

夕食が終わる頃合いを見計らって

施設に面会に行った。

その日の夕食は開始時刻を

かなり早めていたせいか、

18時30分に到着した時は、

すでに利用者は個室に戻られていて、

母の姿もなかった。

 

『来るのが遅かったか・・・。』

と思いながら、

急いで母の部屋に直行すると、

母はトイレに入っていた。

介護士からからは

まだ就寝準備はされていなかった。

よかった、よかった、

準備するために来たんだからと。

 

「お母さん、遅くなっちゃった。

ごめんねー。」と言って、

いつものようにパジャマに着替えさせ、

洗顔をし、化粧水と乳液を顔につけ、

ベッドに横になってもらった後、

翌日の着替えを枕元に置いた。

 

「今日はテレビでも観る?」

と聞くと、

「私、テレビは観ないわ~。

何を観ても面白くないもの。」

と言うので、

久しぶりに色々話をした。

そこで1時間くらい過ごして、

気づくと時計は19時30分を回ってた。

 

「そろそろ帰らないとね。

そんじゃあ、又来るね。

お母さん、おやすみだよ。」

 

そう言って、

私は自分の右手を母に差し出す。

母も右手を私に差し出す。

そして手を交差させて、私は言う。

「ガッチャマ~~ン!!!」

母は笑う。

母はこうした遊びにノッてくれる人だった。

 

そして私は部屋を出た。

母の部屋はリビングの真向かい。

一番近い部屋。

部屋を出ると、

シーンとした静けさに包まれる。

皆さん、もう寝始めてるのね…。

そして私はふと気配を感じた。

そして気配を感じた右側に目を向けると、

そこに見えたのは、黒いシルエット。

オレンジ色の薄暗いその中に人影らしきものがある。

 

「え?」

私は思わず絶句した。

 

 

二度見した。

まさかと思った。

そこにいたのは、紛れもないCさんだった。

 

 

長い通路の一番奥の部屋の前に

誰かを待ってるように

ひっそり佇んでいたCさん。

暗すぎて、

どんな表情をしてるのさえも見えない。

 

「Cさん?」

それしか声が出ない。

頭がぐるぐる回る。

 

「あ、あの、

介護士の方、よびましょうか?」

やっと出てきた言葉。

 

「お願いできます?」とCさん。

その声は生気のない、

小さくかぼそい声だった。

 

リビング横の事務所を見ると、

男性介護士が一人いる。

この介護士は私のなかで、

唯一、好印象の方だったのに、

その方でさえ、Cさんの事をすっかり忘れ、

今日の就寝介助は終えたような雰囲気だった。

 

あのっ!

Cさんがお部屋の前で

待っていらっしゃいます!!」

 

そう言うとブースから出てきて

Cさんの姿を確認する。

 

「あっ~!

ありがとうございます。」

そう言って、

急いでCさんの元へと走って行かれた。

 

時刻は19時半を過ぎていた。

時刻から考えて、

Cさんは、そこで、もう1時間以上も

介護士が来るのを待っていた事になる。

恐らく私が母の部屋に直行した時も、

Cさんはそこに居た。

私が気づかなかっただけだ。

 

今回もまた、

抱き上げないと介助できないCさんを

女性介護士は部屋の前まで連れていき、

そこで待たしたまま、

男性介護士にゆだねたつもりで

さっさと帰宅したのだろうか…。

その悲惨な現状を、私は目の当たりにした。

 

ショッキングな光景に言葉が出ず、

頂いたちぎり絵のお礼の発想も浮かばず、

ただ、あ・・あ・・・としか言えなかった。

 

Cさんの話は本当だった。

私が見つけなければ、

この後、Cさんは、

いったい何時間待たされていたのだろう。

こんな事が平然と繰り返されている。

Cさんは94歳にもなるご高齢者なのに。

 

これが私が最後に見たCさんの姿でした。

それからすぐ、

施設はコロナ蔓延防止のために、

家族の面会を遮断した。

そして施設の中に

私が自由に行き来する事は出来なくなり、

Cさんと会えないまま、

1年の月日が流れ、

繰り返す母の施設での転倒と隠蔽に

ついに見切りをつけ、

自宅で介護できるかどうかわからぬまま

イチかバチかの賭けに出て、

母を退所させたのです。

 

ブログを書きながら、

Cさんは今、どうされているのだろうと思う。

ご存命であれば、今年で98歳。

Cさんとの想い出がよぎります。

 

 

 

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Cさんへ

 

お元気ですか?

今はどこでどうお過ごしでしょうか。

私達は途中、ここの施設に見切りをつけて

母を退所させました。

そこから自宅介護に切り替え、

丸2年を経て、

母は昨年11月に91歳で旅立ちました。

母の生前、Cさんにはお世話になりました。

 

施設ではたくさんのお話をしましたね。

Cさんのエスプリの効いたお話が楽しかった。

Cさんの事が大好きでした。

 

Cさんが行きたかった海、

今は自由に飛んで行けるようになりましたか?

私もいつかその場所に行きたいです。

そして、その時が来たら、

そこでお会いしましょう。

太陽がさんさんと輝く海で。

いつか、必ず。。。

 

   感謝を込めて

       

   minnta 2024.12.08

 

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長いシリーズをお読み頂きまして、

ありがとうございました。

記事にはたくさんの施設批判を含んでいます。

すべての施設がこうでない事を理解しつつ、

一つの施設を通じて、

私が見た、聞いた体験した綴る事で、

今後、ご家族の方の介護を担う方や、

現在、施設に預けていらっしゃる方、

そして現場で働く介護関係者の方々へ

何かしらの”気づき”になればと思い、

綴りました。

これはCさんが生きた人生のヒトコマの

記録でもあります。

皆様の明日が、よりよいものとなりますように。