母の特養で知り会ったCさんの続きです。
連載になっていますので、
最初にさかのぼってからお読み頂ければ
内容が理解しやすいと思います。
過去記事
Cさんに緊急時の呼び出しに使ってほしくて
差し上げた真鍮のベル。
あれからどうなっただろう。
母の施設に行ってもお姿を見れず、
ほぼ1か月が経過した頃です。
おやつの3時過ぎに行った時、
リビングにいらしてた。
「Cさん、こんにちは!
長い間、お会いできなくて
どうされてたかなと思ってました。」
とお声をおかけすると、
Cさん、私の顔を見るなり、
「いい事があったのよ。」
と少し興奮気味に言われた。
その顔はとてもイキイキされてた。
「まぁ、どんな事があったんですか?」
と聞くと、
「私の個室ね、ここになったの。
今月ここに帰ってきたら、
部屋がここに変わってたの!」
Cさんが指を指した部屋は、
リビングから手前2つ目。
遠かった一番奥の部屋よりも
うんと近くなった。
「ほんとに?
それはよかった!
最初からこうだったらよかったですのにね。」
と言った。
そして、
「息子さんから施設にお願いしてもらえたんですか?」
とお聞きした。
というのも、以前Cさんのお話を聞いた際、
私はCさんに、
個室ユニットの部屋を
リビング近くに変えてもらえるよう、
息子さんに施設に頼んでもらってはどうかと
何度も提案したのでした。
「そうなの。ほんとによかったわ。」と。
「あぁ、よかった、よかった!」
そしてこの日は
私までパート給仕の方に、
インスタントコーヒーだけでなく、
おやつまで頂きながら、
他の利用者の方2人と母とCさんと5人で
ダイニングのテーブルでお話をしたのでした。
その時、私はいつも壁に貼られている
入浴カレンダーとお風呂のお話をしたのです。
「この施設のお風呂って
広いんですよね?
小さいプールくらいありますか?
中を見学させてもらった事がないので。
入るとやっぱり気持ちいいですか?
いつも壁に貼ってる予定表見ると、
曜日によって入浴剤変えてるんですよね。
柚子湯なんて日もありますし、
それ見て、すごいなぁって。」と。
お二人の利用者と母は、
認知症がある為、なかなか反応が返ってこない。
それでCさんが
「広いわよ。
そうそう、お風呂といえばね、
この間、胃ろうの人と時間が重なったの。
その人が出てくる時に、
私が入って入れ替えになったんだけど、
胃ろうの人のおなか、私、初めて見た。
びっくりしたわ。
ほら、よくゼリーの飲料に
プラスチックの蓋がついてるじゃない?
それとそっくりだったの。
あんなに単純なしくみだったのね。
あんな風になってるなんてね。」
Cさんの会話ははずんでいた。
「胃ろうの方、そうなってるんですね。
2階か3階の永久入所の方ですよね。
ショートではいらっしゃらないですもんね。」
と私。そして続けた。
「ここのお風呂は、週2回ですよね?
人によって曜日が違うでしょうね。
母の場合は退所する日に合わせて
入浴日をずらしてくださる事もあるけれど、
母は月曜日と木曜日と聞いてます。
Cさんは同じロングショートでいらっしゃるから
母と同じ月曜と木曜なんですか?」
と聞いた。
するとCさんが
さっきまでにこやかだったお顔が
一瞬にしてこわばって、
強い口調で、毅然と否定した。
「私は週1回よ!
週1回しか入らせてもらってないの。」と。
思わず私は「え?」と声が出た。
次の言葉が見つからない…。
『まさか…。』とも思ったりもする。
Cさんが勘違いをされているのか、
たまたま、そんな週があったのか、
どちらにしても衛生面で
施設に義務付けられているのは
最低でも週2回の入浴で、
これは規定されている事項なのです。
それが信じがたくて、
「週1回なんですか?」
と小さな声で聞き返すのが精いっぱいだった。
そしてその会話を
私達を囲んでいる介護士達や職員は
聞こえてないフリして、
しっかり聞いてたと思う。
自分はこんな扱いをされていると
訴えにも似た感情を
今ここで暴露してやったんだという
強い姿勢にも見えた。
近くに介護士や職員がいたけれど、
いつものCさんとは違ってた。
職員達に向けた聞えよがしの、
精一杯の抗議だったと思う。
下半身が動かせない利用者の方は、
歩ける利用者の方とちがって、
横になって身体を洗ってもらう特殊な入浴法で、
入浴介助は恐らく他の方に比べて
倍近くの労力がかかると思う。
私の母だと入浴介助を一人で行えても、
車椅子の方であれば、
安全面から2人の介助が必要だと思う。
人員不足から入浴を別の曜日に変更したものの
それを忘れてしまったのだろうか・・・。
93歳といえども、
認知機能や記憶能力がしっかりしてるCさんが
職員に嫌われるリスクをとってまで
話した内容がただの勘違いだとは
到底思えないとも思った。
認知症が進んできたとも思えない。
でも真実はわからない。
ただ、私はいつも思っていた。
施設を25日連続使用して帰宅する際、
施設からもたされるファイル。
食事の量を何%食べたというような
事細かな記載があるのにです。
その他の事項はアバウトすぎて記載がなかった。
実際、入浴日の記載や
テレビカード購入日などの記載はなかった。
いつもは不憫なくらいに職員達に頭を下げて
お礼を敬語で伝えていたCさんの豹変と、
そのショッキングな内容に驚きすぎて、
私はその後、どんな会話をしたかを
今も覚えてない。
ただ、あの時Cさんの中で、
ずっと抱いていた不満と怒りが、
ついに爆発した瞬間だったように思う。
その翌週だったでしょうか。
施設に行って、
Cさんとお話できる機会に恵まれ、
利用者の人はおやつ後だったためか、
皆さんお部屋に戻って休まれていました。
そしてこの時間は、
介護士達が一斉に姿を消す時間。
(介護士も休憩時間になるのだと思います。
1人もいないのは問題だと思いますが。)
そのため、母とCさんと私の3人で
テーブルを囲んでゆったりとお話しできた。
母は認知症で補聴器は
真横からの音を拾えないため、
私とCさんの会話には
ついてこれなかったけど
母が会話に入ってこない分、
Cさんは遠慮なく私と話が出来た。
そしてCさんは唐突に私に言った。
「私、あなたのお母さんみたいな
認知症の人がうらやましい。
私もそうなれたら、
どんなにいいだろうって。
昨日の事、その前の事、
次の日になったらみんな忘れてる。
そうなったら、どんなに楽だろうって。
私にはそれが出来ない。
だから時々、気が変になりそうな時があるの。」
その言葉に
「認知症もつらいものですよ。」
「母も苦しむ事があるんですよ。」
と語りたい気持ちを抑えて黙って耳を傾けた。
Cさんは続けた。
「私ね、
もし夢をひとつ叶えてもらえるとしたら、
海に行きたいわ。
誰もいない広い海に連れて行ってもらって、
波打ち際で海を見てね、
そこで思いきり叫びたいの。
ワァーーーってね。
何もかも忘れられるように。
心のなかの全部を吐き出すように。
全部、全部、叫んで捨ててきたいの。」と。
今、この時の事を回想しながら
涙が出てしまう。
あの時、
私は身体が動けてたけど、
施設で過ごしていないけど、
高齢にもなっていないけど、
夫も亡くしていないけど、
Cさんの気持ちが手に取るように伝わってきて、胸が詰まった。
「そうですね…。
その夢、叶うといいですね。」
それが精いっぱいの私の返事だった。
(続編、また続きます。)
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今日も長い記事をお読み頂きまして、
ありがとうございました。
寒くなってきました。
コロナも蔓延しています。
私も先々週、罹患してしまいました。
どうぞ、充分予防の対策をなさってくださいませ。