今回は、AKB48の生みの親の一人でもある戸賀崎さん、藤井鉄也さんとご一緒させて頂きました。
左が戸賀崎さん、中央が畠山さん(マブリットキバ)、右が藤井鉄也さん
「AKB48の生みの親」といえば、一般的には秋元康さんと思われていますが、実際に現場で0から創り出したのは、元総支配の戸賀崎さんや藤井さんでした。
今でこそ知らない人はいないといってもいいほど有名になったAKB48も、最初は、秋葉原でたった7人の観客から始まったそうです。
そこから現在に至るまでのムーブメントを起こした戸賀崎さんが、以前からずっとやりたかったことが「町づくり」なのです。
震災からAKB48は、被災地山田町に定期的に応援に入り、家族や家・財産を失って絶望的なまでに気落ちした山田町の人達を勇気づけてきました。
私は今回、現地に乗り込んでみて、関係者の方から、
普段聞けない生の声、エピソードを聞く事ができました。
とても感動的なエピソードばかりで、一度には書ききれませんので、これからしばらくの間 連載させて頂きます。
* * *
山田町には、これまでも沢山のボランティアの方が支援に来て下さったそうです。
どなたも、「被災地の人達を何とか応援したい」という善意から発した行為ではあるのでしょうが
「可哀相に…」という同情からの支援は、
かえって子ども達を卑屈にさせ、勇気をくじくことになっていました。
そして、その支援の見返りに、
「“子ども達の笑顔の写真” “子ども達からのお礼の手紙”を送って欲しい」との依頼にも、子ども達も疲れ切っていたそうです。
そんな中、「AKB48にお礼をしたい」
という声が子ども達の方から自発的に上がったそうです。
先生は、「これはチャンス!」
とばかりに、敢えて
「そんなにやりたいなら、自分で調べてやりなさい!」
ということで、手を貸さなかったそうです。
そんな流れの中から、ジオラマが生まれたのです。
当初、ある「子ども支援のボランティア団体」が、
子ども達にジオラマを創らせたそうです。
しかし、それは「元の山田町を再現させる」
という目的のものでした。
子ども達はこれに反発を覚えました。
一度壊れてしまったものを元に戻そうとすると
どうしても過去に引き戻されてしまいます。
そして、「ここには私の家があったのに、なんでないの!」
「僕の家の土地はもっと広かったはず!」
など、「正しい/間違っている」の世界に引き戻され
争いが生まれてしまうのです。
ここで、子ども達を救うヒーローが登場しました。
それが、
岩手県のご当地ヒーロー 「マブリットキバ」でした。
マブリットキバは、震災直後からボランティアとして山田町に住み込んで支援をされている畠山吹雪さんが扮しているものです。
この衣装はなんと畠山さんの手作りだそうです。
ご当地ライダーとして岩手県では人気があり、東映からも仮面ライダーと共演依頼が来たほどだそうです。
さて、「子ども支援ボランティア」から言われた「過去の山田町の再現」に反発した子ども達は、マブリットキバの元を訪れました。
そして、「どうせ創るなら、未来に自分達で本当に創り出したい町にしたい! そして、私たちに勇気をくれたAKB48グループメンバーとの絆を形に残せるようにとジオラマの中にAKB48のお店やステージを作成したのです。
▼こんな子ども達が自ら企画して創り出したのです!
▼ステージまで創られています!
さあ、ここから感動の物語が始まります!
《つづく》