ΨwebshopシャンバラΨ☆カミシバラー☆お洋服と紙芝居のぐるぐるワールド

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インターネットのお店シャンバラ☆オリジナル紙芝居パフォーマー、カミシバラーミキナカムラのブログです☆

1980年タイに初上陸。
1986年伊勢・大阪などフリーマーケットに出店。
1991年伊勢神宮外宮参道 菊花ビルにて「シャンバラ」開店。
2000年インターネットのお店「webshop-shanbara]開店。
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2018.8.31  金曜日 午後8時

 

6時少し前に目が覚める。
ゆうべ、ゴーストタウンと死体農場のテレビをみながら寝落ちした。 
そしたらなんだか昭和レトロの街に迷い込んだ夢をみた。

ユキちゃんと東京でゲストハウスを探していた。
つげ義晴のまんがや天井桟敷の舞台みたいな街があった
山羊の頭を並べている肉屋があったり
ゲストハウスは遊郭を改造したところだった。
千と千尋の神隠しの湯屋みたいな。
そこに泊まろう!

というところで目を覚ました朝。




しずこさんは廊下をはさんだ向こうの部屋で

自動体位変換機能つきのベッドで眠っている。
時々様子を見に行って足の位置を変えたりもしてみる。
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去年、床ずれを専門用語で
蓐瘡(じょくそう)と言うのを初めてしりました。
身体の一部がずっと同じところにあると
血流が滞ってその部分の細胞が壊死する。のだそうです。
それは意外に簡単にできるのです。
そこからどんどん腐って行き
骨まで見える蓐瘡の写真を見てえずきそうになりました。(^_^;)
寝たきりになった人の体位変換は介護の大事な仕事です。

最近はエアベッドができて

自動に体位変換してくれるので

介護者の負担は大幅にへりました。
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おしっこの量をチェックして

2階に上がってヨガをする。
階段をあがっていくとき
そういえば17歳のときは
毎日この階段を上がっていたことを思い出した。
ぼくが17歳の時にしずこさんはこの家を建てた。
1977年ごろか。

それまではこの土地には

しずこさんの両親。
つまりぼくのじいちゃんばあちゃんが住んでいた。

戦後にこの土地を買ったそうだ。
たかだか30坪ほどの小さな土地。

幼い頃
よくじいちゃんばあちゃんの家に預けられた。
しずこさんは東京に商売に行っていた。
母方のじいちゃん、名前を中村楠之助という
歌舞伎役者みたいな名前である。

晩年は丸眼鏡をかけて
インディラガンジーみたいだった。
見かけがね。 
ぼくが20くらいの時に死んだ。
表具屋をやっていた。
伊勢のみやげものの掛け軸をつくっていて

ぼくが幼い頃

じいちゃんの家にゆくと
「天照皇大神宮」という掛け軸が
巨大なジャバラになって天井から
大量に吊るされていた。

裏打ちしてつながった掛け軸が
そうめんを干してるみたいに
部屋いっぱいに干されていた。

幼かったがじいちゃんの仕事の工程を
その時は意味も分からずに見ていたけど

今思うと、結構覚えているものだ。
自分ではできないだろうけど。
それにしても紙つながりの家系なのだ。

ばあちゃんは とみさんといって
福島県会津の生まれ 
またその話は長くなるから後で書こう。

 



今日のヨガはよく伸びた。

ヨガやって、カメラもってウオーキングにでかけた。
30分のつもりが45分も歩いた。

あせだく。

シャワーあびて

ちょっと寝てパン焼いて食べて。

こっちのトースターの方が美味しく焼ける。

ちょっと仕事して。

ユキちゃんがきた。



11時になって、おしっこを取る。

おしっこは尿道から管をとおして

ベッドの脇に吊るしてある
おしっこ袋に貯まる仕組みになっている。


径鼻管栄養は取っていないので
便はほとんどでないから

オムツの交換は訪問看護師さんにお任せした。


おしっこの臭いはやっぱり苦手
鼻呼吸を止めて
袋に貯まったおしっこをバケツに流し込んで捨てる。

だけなのだけれど
やっぱり勇気がいる。 
この臭い、タンゴ鉢の臭い(笑


訪問看護師さんが来てくれた。

ざっくばらんで明るい人たち。

訪問看護の契約書とかいろんな書類に

しずこさんの住所と名前
ぼくの住所と名前

いっぱい書いた。
最近は個人情報とか細かい契約がいっぱいいるのだ。

まあ、そりゃそうだよね。

そこでいちいちハンコを押すのが日本的だな。
ハンコなんてそこら辺で売ってるやつなのに
なんでこのハンコが卑弥呼のハンコみたいに
大事なのかよくわからないジャパン


点滴さしてくれた。

きょうは血管探すのに結構苦労していた。

針ずっと刺していたから
だんだんと針を刺す場所がなくなってきているのだ。
500㏄の点滴を3時間入れる。

針を抜くのはぼく。
昨日、針の抜き方を教えてもらった。
抜いたら

点滴のチューブを血がのたーって。流れた。
血ながれているんやなあ。当たり前やけど。



しずこさんはずっと起きていて
右手を動かしていた。
右手と眼球と鼻と口だけが彼女の動かせる唯一の部位
手で何かを指さすのだけれど

わからない。

何かを言っているのだけれど
空気の抜けたオルガンみたいに
何をいっているのかわからない。

でも、うんうん、うなずいて

じっと目を見つめる。

右手で手を握って

左手におでこに手を添える。
目の純度が増したようなきがする。
病院にいた時は魚の腐った目をしていたけれど
ここにきて目に少し光がさしてきた。

 

手は細くなった。
病院にいたころは 栄養と点滴でむくんでいたが
ずいぶんと全体に細くなった。

ゆっくりとゆっくりと
身体も終わろうとしている。

 



訪問看護さん2名が帰られてから
訪問入浴サービスの方が4名来てくれた。
そのうち一名は看護師さん。


お部屋まで風呂桶運んでくれて
ケアマネさん 訪問看護 訪問入浴 ヘルパーさん 

來るとみんなちゃんとしずこさんのベッドのそばによって
目をみつめながら
しずこさん 、○○です。 
とあいさつしてくれる。
みんなほがらかでやさしい人たち。


夕べはベッドの脇で
ビール飲みながら手をにぎって
頭をなでた。
それが
別に特別な事ではなくて

言葉の代わりに
身体で会話するような感じなのでよかった。



昔は母親へのボディタッチなんて

気持ち悪くて
とてもできなかった。
1m以内に近づくと反射的に体を引いていた。

 

母子家庭という言葉が大嫌いだった。

ボヘミアンラプソディとか
母に捧げるバラードとか
円山花街母の街
とか嫌悪したけど全部歌える。みたいな。


もう、わたしたちはね。
お父さんにぼろ雑巾のように捨てられたの。 
ハハヒトリコヒトリなのよ。
とか、毎日言われて、嫌だったな~(笑)



今はそんな記憶もさらっと流せるくらいになった。
いろいろな業があるが、
一番深いのが親兄弟だよね。
輪廻転生の考えからみると

なんで、この世で

ぼくの魂としずこさんの魂は
母子の関係を選んで生まれてきたのだろうか?

とか

よく考えます。

なんで私とあなたがこの世で出会ったのか?
初めて会ったのに
昔からずっと知っていた、という感覚になる人もいるし

前世からの因縁を感じる友だちもいます。
ゆきちゃんとも子どもらとも
前世で絶対になんらかの関係があったのだろうね。

 

また、この世で出会ったのは
そのたましいと


なにかしらの問題を解決 または発展させるのが
宿題のような気がします。


今のこの時間はしずこさんもぼくも
魂の関係性の卒業試験のようなものだと思いました。



父親の時もそれは感じました。
父親 清(きよしさん)とぼくの関係もとても

ぼくにとってはとても痛い関係でした。

ぼくはきよしさんがとても好きでした。
加山雄三の次にきよしさんが好きでした。
きよしさんになりたいと思いました。

あの10歳の頃の忌わしい記憶
どしゃぶりの雨の土曜日の夜の8時

ドリフが放映開始よりも前、

白黒テレビでは人気絶頂のお笑い番組 、

「コント55号の世界は笑う」が流れていました。

口論からはじまった夫婦喧嘩

次第にエキサイトしてゆく両親

罵り合い 罵倒

そのうちに父の手が母をぶった
叫び、号泣、どしゃ降りの雨、テレビでは爆笑のコント

子どもには決して見せてはいけない
夫婦喧嘩が目の前で展開されたのち、

サントリーレッドの空き瓶を手に

どしゃ降りの雨の中、 
きよしさんは家を出て行った。

どしゃ降りの雨、
爆音で流れるお笑い番組
人々の笑い声

夫の罵声
妻の悲鳴
物の壊れる音
叫び声 嗚咽

ぼくは、どうしようか。
どういう行動をとればいいのだろうか?
と頭を巡らせました。

号泣する母を慰めるのもできない。
何が目の前で起きているのだろう?
この気持ちの当座の処理の方法は 

泣くしかないよな。
と、考えて

 

泣きました。 

そこまで言語化して考えたわけではないですが、

それでもどこかで、

これってものすごくシュール☆
テレビではみんな爆笑してるのに
ここではめっちゃ悲劇がくりひろげられてる。

喜劇と悲劇は紙一重 

コインの裏表
なんかその時

世界の構造の片鱗が分かったようにもおもえました。

それまではとても平和で愛に満ちた家庭でした。
それが一瞬にして打ち砕かれた瞬間でした。
もちろんいろんな前触れがあったのは感じていましが
それが何かを理解するのに
10歳では若すぎました。

 

その後は逃避願望を自殺願望を
抱きながらの10代を過ごすことになりました。

こんなことをフラットな気持ちで
ブログに書けるようになったのも
やっと去年からです。

10歳のその日から47年くらい、
その時のことを思い出すと
とても悲しい気持ちになってしまい、
誰にも言えないでいました。

今でははこれを話すことは
全く平気になりました。
脱トラウマです^^)ヨカッタ☆

 

 

 

 

父が好きなゆえに去っていた喪失感は
長年癒えませんでした。

私はノーチョイスで
母と暮らさなければなりませんでした。

 

 


テーマ:


みとり日記というのをつけていて
それをシャンバラのホームページにUPしていました。
URLはごくごく関係者の方だけに
教えていました。
リアルタイムだったので
どんなことを書くか自分でもわからなかったので
あまり変な事を書いても
影響が無い様にしていました。

母親を自宅に連れ戻して2-3日後の
ミトリ―日記です。

このあと9月22日に亡くなるまで
3週間。
本当に不思議な時間がながれていました。
きょうは無修正版で。
どうぞ↓

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2018.8.30  木曜日 午前11時30分 

意外に楽勝と思ったものの

夕べは結局2時間ごとに目をさまし、

うまく体位変換できているか?

おしっこはたまっていないか?

などと気になり

2時間ごとに目が覚めた。

 

結局 落ち着かないまま

朝6時に起きて ヨガをするが

なかなか集中できなかった。

そのままバイクを走らせ

家に必要なものを取りに行って

ユキちゃんに大きなものは後で届けてもらうようにお願いして また戻る。 

すこし仕事をして、

すこし眠る。


9時過ぎ

ユキちゃんが 物資を運んでくれた。

ちょうどしずこさんも目を覚ました。

目を開いて

辛うじて動く右手が弧を描く。

それを握って、やさしく声をかける。

こんなにやさしくしずこさんに声をかけられるのは

初めてだ。

少なくともここ数十年の間に。

闘争心の激しいひとだったので

いつも対決モードに入ってしまっていた。

今は絶対弱者になってしまったので

もうかつてのしずこさんではない。

だから目を合わせて

おでこをなでて 

大丈夫やでな。

すっとおるでな。

と、

なんのてらいもなく

やさしい言葉が自然とでてくる。



最後にこういう時間を持ててとても嬉しい。



近所の人がお見舞いに来てくれた。

その方もお一人で暮らしている。

まだ70代になったばかりと思っていたら

もう80歳だそうだ。

全然そうは見えないくらいお元気だ。

しずこさんも

80歳のときはバリバリ元気だった。



占いの人に言われたの。

80を過ぎたらかわいい、おばあちゃんになるの。


しかし占いの予言は外れ、

かわいいどころか獰猛なばあちゃんだったけれど 

ぎり89歳で かわいいおばあちゃんになった。

9月12日がくれば90歳になる。

90歳の誕生日を迎えられるのか?


訪問看護師さんから電話。

今日の訪問は夕方になるそう。


おしっこがたまってきたので

処理する。


おしっこは尿道から管を通して

ベッドの横におしっこバッグをぶら下げて

そこに尿が溜まる仕組みになっている 。

昨日見たら500㏄しか溜まっていなかったので

朝までそのままにしておいた。

11時に見たら1000㏄溜まっていた。

訪問看護師さんに言ったら

毎日定時に尿を処理してください。

というので

朝11時に尿を取ることにした。


1リットルのおしっこ。

1リットルの涙。という映画があったけど

実際の現場は

1リットルのおしっこだ。


と思った。


先日教えられたとおりに

おしっこバッグの底の部分の

ストッパーを外し

バケツに1リットルのおしっこを

流し込んだ。

うーーーーーーーん

スメーーーーーーール

息を止めて トイレに流し

風呂場でバケツを洗った。

心拍数があがった。


さて、次は吸痰。

しずこさんは目を覚ましていて

手は虚空をさ迷っていたが

ちょっとまってねー。

はーい、痰をとりますので

口を開けてねー。

おくちあーん。

はいとりますよー。 

歯医者さんでやるバキュームの要領だ。

これはわりと抵抗なく出来る。

看護師さんは鼻の穴から管いれていたけど

あれは無理。(笑)


おむつは・・・夕方の訪問看護師さんにまかせます。 



介護や看護の人は

こういうのを毎日やっているんだ。

 

ほっとするもつかの間

T病院の看護師と院長がやってきて

脈と血流をチェックして

あわただしく帰って行った。


院長は病院で診察もして

往診もして

ものすごく忙しそうだ。

ありがとうございます。


そうしてやっと今、

なんだか時間の感覚も

曜日の感覚もない。

カレンダーもないので

なんだかわからない。

ユキちゃんに100均で来年のカレンダーを

買ってきてもらい

曜日の並びの同じ月を

ちぎって壁に張った。

さて、お昼にしよう。

 

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午後11時

なんとなくなんとなく時間がすぎる。

落ち付ているようで落ち着かない。

ケアマネさんが様子を見に来てくれる。

ケアマネさんは仕事じゃなくて
愛で会いに来てくれている。

ほんとうにいいケアマネさんに巡り合えてよかった。


夕方、訪問看護の看護師さん3人が来てくれた。

点滴をつないでくれる。

点滴は水分補給のため一日に500㏄を入れてくれる。

やってもやらなくても同じようなもののように 思えるけど 

干からびるのを防止するのかな?(笑)

オムツも交換してくれた。

蓐瘡とか大丈夫ですか?

と、聞いたら

大丈夫ですよ。

何かあったらどんなことでも、いつでも電話してくださいね。

明るくおっしゃってくれる。 


看護師さんたちもケアマネさんも

ぼくにとっては天使のように思える。

ありがとうございます。 



ユキちゃんと次女もやってきた。

人が来てくれるとほっとする。


みんな帰ってしまった午後6時。

しずこさんの手が泳いているのをみて

ベッドの横にすわり手を握る。

目を開いて僕を見る。

元気な時はその視線の圧が強すぎて

1秒も目を合わせられなかった。

今は手を握り、じっと目を合わせる。

ずっと目を合わせる。

何か喋っているが何を言っているのかわからない。

それでもうん、うん。うなずく。

ちょっと待っていて。ビール持ってくる。

冷蔵庫に行ってビール持ってきて

ベッドの横に座り

ビール飲みながら

しずこさんとの時を過ごす。


しずこさんはずっと何か喋っていた。

何かわからないけれど

ぼくは、うん、うんとうなずいて

しずこさんの話を聞いていた。

すごくしずこな時間(笑)

やがて彼女はまた眠りの深い淵に沈んで行った。


ほんとうにすごくいい時間。

静かで落ち着いたいい時間。

キラキラの輝きもなく、静謐(せいひつ)で

純度の高い時間。

この人とこういう時間をもったのは

おそらく55年ぶりだろう。

ぼくの自我が目覚める前と

彼女の自我が滅びる前。

時間は循環する。 

 

さきほど、ぜいぜいとあえぐので

痰吸引をした。

痰吸引はかなり慣れた。

 

看取り日記


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2018.8.29 

●退院して自宅に戻った
 

 意外と楽勝(笑)だった。
夕べは夜中までかかって
これからロミオで生活するために
自分の着替えや
身の回りのモノを
まとめて荷造り。
なんだか旅に出るみたいだ。



今日朝のヨガは身体がよく伸びた。

朝のヨガ具合で今日の体調や気分がわかる。

いいカンジだ。


それでも 
朝からバタバタ。
バイクでロミオに向かった。
後から車でユキちゃんが到着。



朝10時。
介護用品のレンタルサービスの人が
介護ベッドを搬入してくれた。

ケアマネさんと訪問看護師さんもやってきて
介護ベッドの説明をうける。
このベッド買えば50万円以上するのだそうだ。
それが月々1000円くらいで借りられる。
一割負担だからだ。

最新のベッドは
エアマットで
空気圧を調整して自動的に体位変換をしてくれる。
それで蓐瘡(じょくそう 床ずれ)を防止してくれるのだそうだ。

夜中に2-3時間ごとに起きて
体位変換しなくてもいいそうなのでほっとした。

それでも意外な場所に蓐瘡はできるそうなので
油断はならないし、
意外と半日くらいベッドに寝ているだけで褥瘡になるらしい。
同じところの血管ばかり圧迫すると
うっ血してそこの細胞が壊死して、

そこから傷(瘡)になるらしい。
進行すると骨まで見えるらしい。
そういう写真を看護学生の本でみたけど

「閲覧禁止」レベルのやばさだった。

うげえ、って。(笑)
それにしても
褥瘡ってすごい名前だなあ。


ケアマネさんがおっしゃっていたけど
介護や看護の業界では
蓐瘡をつくるのは「恥」とまで言われているそうなのだ。
なんか職人のプライドを感じた。

20年前までは褥瘡の方はたくさんいたけれど

今ではエアベッドもできて
ずいぶん減ったらしい。


ケアマネさんはしずこさんのことを本当に気にかけていてくれて
きょうもずっと付き合ってくれた。
他に仕事もたくさんあるだろうに。
毎日来てくれるそうなのでほんと心強い。
ありがとう。



介護レンタルの契約書や同意書など
いろいろな書類にサインしてハンコを押す。
なんだか偉い人になった気分ですねえ。と言ったら笑っていた。

レンタル会社の営業さんは26歳 。
とてもさわやかくん(笑)
うちの娘とどうですか。 なんつって。^^;)

「ベッドのことでわからなかったら24時間うけつけていますので」

いつでもぼくの携帯に電話ください。
と、これまた心強い。


看護師さんも ケアマネさんも レンタル屋さんも
一旦引き揚げ
午後2時にしずこさんを受け取りに

T病院へ。

そうして3ヶ月ぶりに
しずこさんは帰って来た。

 

 

 

 



●吸痰

訪問看護師さんとケアマネさんも再びやってきて
吸痰、おむつ交換 の講習を受けた。

鼻からのやり方もおしえてもらったが

鼻の穴から管を突っ込んで

喉の奥の痰をとるのだ。 

これはどうにもできそうにない。のでパスした。
その時はまだ、吸痰ってそれほど深く考えていなかった。
その後、吸痰名人になるのですが(笑)

もう点滴も一日一回3時間になったので
それほど痰もおしっこも便も出ない、というカンジなので
口から吸痰でOKということ。でホッとする。




●素敵な人

みんな帰って一人になった。

いや、隣の部屋にはしずこさんがいる。


もう、しずこさんは
母親でもなく、ロミオでもなく

静かに眠る、なんていえばいいのだろう。

素敵な人。

昨日あれだけビビっていたのは

しずこさんの亡霊におびえていたのだけれど

実際にこうやって隣の部屋でしずかにねむる
しずこさんは
憑きものがおちたように

しずかでかわいらしい。

しずこさんをかわいらしいなんて思える日がくるとは
思わなかった。


9時半に吸痰をする。
あまり痰がなかったか
うまく取れなかったかわからない。
オムツも汚れていなかったので
そのままにした。


しずこさんは
辛うじて動く右手で
ぼくの手を捜す。
ぼくはその手を捕まえてにぎる。
もう手を握るのも慣れて
それに対してなんのエモーショナルな感情もわかないけれど

いいカンジだ。

ちゃんと彼女は知覚している。

耳も聴こえていて

意識もちゃんとある。

記憶はないかもしれないけど。

でも家に帰って来たのは
絶対にわかっている。
家にもどってきてよかった。 

最後の戦い。と思っていたら

全然戦いじゃなかった。
すごく素敵な時間がはじまった。^^☆ 


明日から
ロミオさんの縁の方々にも
お声掛けしてみよう。

 


テーマ:

今日、10月16日の朝の出来事です。


ロミオハウスを片付けていたら
引き出しの奥から封筒が出てきた。

なんの手紙?

ロミオはいっぱいの手紙やら書いたものや日記やら
膨大にある。それを自分でコピーまで取って残している。
どうしようか?と思うけど一か所にまとめてとりあえず箱詰め。
このままいつか箱詰めのままごみになってしまいそうでもあるが。


でも、これはなにやら厳重そうだ。

なに?

私が倒れた時、開けて下さい。

どきどき。

 

裏をめくると印鑑まで押して厳重っぽい。
ハサミで端っこを切って開けてみた。

そしたら・・・


また、封筒が!


やばいやつやんこれ・・・。
なんて書いてあるの?
またこれにも印鑑と署名
開けてみた。


私の息子、及び私の近親者、病院の先生、看護婦さんへ

若し私が倒れて運ばれた場合、どんな状態なのかは
現状では予想も予測も出来ませんが、次の事を

お守り下さいます様に 切にお願いします

 

一、この体が元の様に元気な声で話し、笑い、歌い、そして
手足が不自由なく動き、歩く事が出来ないと診断された場合、
一、植物人間となって只、チューブと点滴で命をつなぎ
人間としての機能を失ってしまった場合
どうぞ只命をつなぐため丈にのそれらの器具を直ちに外してください。

返りみての私の人生は様々ありましたが、いい人生でした。
何も思い残す事はありません。
どうぞ最後の私の切なる願いを必ず必ず聞いて下さい。
その時私は水の最後を看取ってくださった人々に
大いなる感謝の念で逝くことができますでしょう。
            

              実印 

                   中村志津子

 

なんで、今日、出て来るねん^^;)
もっと早く出てきたら、こんなに悩まんですんだのに^^;)
こんな大事なのはもっとわかりやすいところに置いとけよ。

と、思ったが、
このタイミングでよかったんやなあ。。と。
ちょっと感慨深い。
ありがとうロミちゃん^^)


テーマ:

天の庭は
昔から憧れの場所でした。

あそこでやってみたいけど
ハードル高そうなかんじでした。
今回、やらせていただける、というお話をいただき
チョー嬉しかったです。!
やっと夢が叶いました^^☆
しかもみなさんに大好評みたいでした。
ありがとうございます。



7時からのオープンの4時間前について
海岸を散歩してのんびり。と思っていましたが
結局、セッティングに3時間くらいかかり、
そのままリハして
海のま横なのに海を見れずに終わりました。(^_^;)

最初、けいこうliveから始まりました。
これでけいこうさんが会場をあっためてくれていました。


あたしは廊下をはさんだ隣の楽屋で
そわそわ(笑) うろうろ(笑)
インスタ写真とったりしていました。

ふと見ると
オラクルカードが何個か見えました。
エンジェルカード
日本の神さまカードが2つ
あとなんだっけな。
まだ出番まで時間があるのでやってみるべ。
って
神様カードやったら
滝が出ました。
なーるほど。なんかようわからんけど。(笑)
常に変化するんだって激しく!(笑)ウエルカム☆

そして安達ケ原。

今回はダブルスクリーン(笑)
二つのイーゼルを立ててみました。

今回は演出も台本も自分なりにかなり練り込みました。
よりグロく(^_^;)
もっとグロい紙芝居も一回つくってみたいな。
死霊のはらわたとイレイザーヘッドを足したようなやつ。^^)
ベースはアダムスファミリーですが。

いつも練習の70%くらい出来たら
いいな。と思ってたんですが
今回は練習の110%くらいは出せたように思います。

よかった^-^
やっぱり鬼婆パワーでしょうか。

自分で紙芝居作っていて、ちょっと驚くのは
結構日本的な話が多いのです。
音楽とか洋楽とかクラシックとか洋画も好きなのに(笑)

だいたいが日本の民話をネタにしたのが
意識していないのに。沸いて出てきます☆
きっと根っこのルーツにそういった
民話が刷り込まれているのでしょうね。
子どものころ、「教室の民話」っていう全3巻からなる
民話集が家にあって。それを何度も読み返していました。
なかでも「たのきゅう」が好きでした。
まだ子供のころは夜がもっと暗くて
江戸時代の名残もかすかにあった気がします。
江戸時代わずか150年くらい前には
電気なんてなかったですからね。


イベントや大道でやる紙芝居も楽しいけど
こういう箱モノっていうか
会場でワンマンが最高ですね。
みなさんちゃんと集中して聞いてくれるし。

イベント会場でわちゃわちゃしながらやるのも楽しいですけどね。
いろいろ文句言われながら(笑)

アンコールまでやって、
さらに
声がいいから歌ってよ。
なんて、
お客さんから!
「声がいいから」
声いいの?
自分で声がいいなんて、思ったことない(笑)
声いいの?(めちゃ嬉しいじゃない)
じゃあ歌う!
なんて「どうでも音頭」を歌ったけど
歌詞忘れてしまってたわん♪

 

ってことでやりたい放題やって

美味しいごはんまでいただいて!

喜んでいただいて!
なーんて幸せ者なんだ!って思いました。

本当に感謝です。
ありがとうございます!

けいこうさん

ゆりこちゃん
天の庭のひろみちさん ようこさん
来ていただいたお客さま
このブログを読んでくださった
全てのみなさまに
感謝でございます。
マヂでよ^¥^

オレのような人間は
まあ、太鼓持ちみたいなもので
みなさまを
よいしょ!して、喜んでいただいて!
幸せになっていただければ。
あたしも幸せになれます。

それが
あたしの最大に願うところでございます。


だからもっともっと
おもしろい紙芝居をこれからも
どんどん押しだしますので
みなさん。よろしくおねがいします。^^

 


テーマ:

下にありますが、その日の日記を読み返して、
そんなに緊張していたんだー。
って自分で思います。


「看取りの日記」っていうのを
リアルタイムで毎日書いていました。

でもそれは
ほんの限られた人にしかシェアしていませんでした。
自分でどういう風になってゆくのか、まったくわからなかったので
どんな文章になるか予測がつきませんでした。
みなさんにお見せするわけにはいかなかったのです。
人の命のかかった話ですのでね。

看取り、って

なんとなく言葉では知っていましたが、
リアルに体験すると
なんとも言えない毎日でした。

それは素晴らしい体験でありました。
多くの人に、
自宅で死ぬのが一番いいです。
しずこさんは、本当にしあわせやねえ。
と言われました。
それも、もちろん同意しますが
でも果たして・・・どうなんだろう?。
というのが残ります。

あまり誰にでもお勧めできる体験でもありませんでした。
でも、体験した方がいい。とも思います。
後悔はありませんが、
それでよかったのかどうか。
まるで正解のない世界ですので。
よかった~!とか。
さいあく~!なんて。
一言では言い表せない。
円周率のようにどこまでも割り切れないのが
わたしにとって「看取り」でした。


これから始まる(もう始まっている?)
大介護時代に備えて
看取りの問題。
安楽死の問題。
そして死、そのものの問題。

私たちはできるだけ
真正面から 死というものに
向き合って
いろいろな角度から
考えてみるべきなのでは。と思います。
私は昔からメメントモリです。

いよいよ退院の前夜。
全く未知の世界に飛び込んで
そこを切り開いてゆく、、みたいな。

未開のジャングル探検か、はたまた

南極点一番乗りスコットとアムンゼンのような気分だったのです。
緊張していました。


しずこさんは、今まで自分が住んでいた
ブティックロミオに
もどってきます。

ぼくは自宅から「単身赴任」で
しずこさんのところに泊まり込み

しずこさんが安らかに旅立つ
サポーターとしてナビゲーターとして介護者としての日々がはじまりました。

看取り日記より↓

 

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2018.8.28 火曜日 21時  ハードデイ

ありがとうございます。
すべてのものにありがとうございます。

明日からの日々の緊張で
笑顔が消えそうになる日だった

無理やり 口角上げてみるが
すぐに下がる。


ロングブレス。
誰かに助けて、と言いたいが

そんな助けてというほど

大げさなことでもない

おおきな救いは目の前にあるのだ。
目の前にありすぎて
大きすぎて 
救いなんだかわからない。


淡々と行こうと思うけれど
なかなか淡々といけないけれど
日常は淡々と過ぎた。

仕事もしてスーパーに行って
すごい雷がなって


こないだFBでシェアした
自分のご機嫌をとるのは自分。
というのがすごく腑に落ちて
ずっと自分様のご機嫌を取っていた。


親戚様も申し訳ないことをしたと思う。
でも今日はほんと、許してください。

ごめんなさい。

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そんな自分をじっとみつめる。


ありがとうございます。
喜怒哀楽でいえば
なんだろう 苦 だな。
自転車で坂道を登っているような。
でもそれはすべて明日からの未知の世界の不安によるものだ。


明日からロミオに泊まり込むのだ。

お昼に2-3時間は抜けられたりするのかな?とも

想像していたけれど
それほどは無理みたいだ。

食事はどうするのだろう。

電磁調理器と湯沸かしケトルがあるが。

ユキちゃんが弁当を運んでくれる。といってくれてはいるが
毎日も無理やで おかずはこっちで作って。


ヨガマットも持って。
自転車も持って。

一日も早く 介護ライフに慣れることを目標にしよう。

仕事のペースは減るが できるだけページを作ってUPする。

ほんと シャンバラものんびりできる状況では全くない。
紙芝居も描きたい話がたくさんある。


早く生活に慣れたら
しずこさんのお知り合いの方々にも
最後に会っていただきたい。
しずこさんにはできるだけ快適に過ごしていただくために
がんばらないでがんばろう。


決して 親孝行ではない。

わたしは親孝行を否定する考えです。
自分の子供には絶対に親孝行なんてやめてほしい。

基本、子どもは親の事なんて顧みないものだ。
どこかにいってしまう。

それでいいのだ。

子どもがどこかに行ってしまった時点で
親の役目は終わる。
野生動物はみなそうだ。

親孝行というのは
子どもをいつまでも手元に置いておきたい
親たちが仕組んだ陰謀だと思う。


豪華客船が沈没して
親、自分、子供が海に投げ出された
そこに救命ボートがきて、あと一人しか乗れなければ
迷わず子どもを乗せるだろう。

わたしはしずこさんを母親としては勘弁してほしいけど
人間として先輩としても大好きで尊敬もしている。
たくさんの助けもしてもらった。
元気ももらった。 

だから最後の時間だけ精いっぱいお手伝いして

幸せに旅立っていただくことを
最大の目標にする。 

とても大切な機会を
ありがとうございます。

 


テーマ:

しずこさんはずっと一人で住んでいました。
10年前、

ぼくらは伊勢市の郊外の農村に家を建てました。
家を建てる時、しずこさんは、ぼくらと一緒に住める、という
淡い期待を抱いていたみたいですが
ぼくらには一緒に住みたい、とは言いませんでした。
ぼくらには最初からその選択肢はありませんでした。
一緒に住んだら絶対に破たんが來ることがわかりきっていました。

2年前、しずこさんは足を痛めて
整形外科病院に一ヵ月ほど入院したことがありました。
その時もまあ、だいたい毎日、

病院に見舞いに行っていたのですが
行くと、

「あなた、隣の方(患者さん)にもあいさつしてきて頂戴。」
「は?」

 

隣りのベッドに寝ている患者さんにもあいさつしろと。言うのです。
戸惑っていると、
「これがうちの息子なの」と隣りの人に紹介するのです。(笑)
海外ドラマなんかにはありそうですが、
しずこさんは誰にでも物おじしなく話しかけて行き
すぐ友だちになっていました。

その辺のコミュニケーション能力はハンパなかったです。
しかし、ここは日本で、病院なんです。みなさん入院中なんですよ。
隣りのベッドは関係ないとおもうんですが。


隣りのベッドのおばあさんも若干困り顔で
微妙な空気が流れました。
全ての事、自分がその場を仕切らないと
気が済まない、そんなしずこさんでした。

 

整形外科に一ヵ月も病院にいると
それでもなんだかボケた感じになってきました。
シャキシャキと元気にしていると
なんともジコチューな手に負えないおばあさんでしたが
ちょっとボケておっとりして かわいらしくなってきたので
これならもしかして一緒に住めるかな?と思い、

足も悪かったので
退院後
自宅に招きました。


自宅のリビングの一角を衝立で仕切り
簡易ベッドをニトリで買って
そこに寝てもらいました。
ぼくらは二階で寝ていました。

病院での単調な生活で頭が多少ボケていましたが
うちに来て刺激の多い生活に代わると
だんだんと元気になって来て
頭も行動も、
前のように活発でうるさいおばあさんになってきました。

うちは猫を二匹飼っています。
室内飼いで外には出していません。
ある夜、二階で寝ていると
階下でなにか物音がするのです。
ぼくは寝ていたので気づきませんでしたが

ユキちゃんが下に降りてゆくと
窓が開け放たれ
しずこさんが毛布をばさばさと振り回し
「出てきなさい、出てきなさい」と
猫を窓の外に追い立てようとしていたのです。
「お母さん何をしてるの?」
「この猫がね、あたしの安眠を邪魔するのよ
身体に乗ってこようとしたりね。」
「猫は追い出さないでください」と窓を閉め猫を二階にあげました。
そんなトラブルが何度も続き

最後は大喧嘩になり
もうそんなんやったら
出て行って下さい!

しずこさんが元いたロミオに強制送還しました。
その時もギャン泣き。
「助けて!助けて!、神さま助けて」と
狂ったように泣き叫び、走行中の車のドアを開けようとするし、

しずこさんを降ろし出ようとしたら

まだ車にすがりついていて
あやうく事故になりかけるところでした。
それでもそのままギャン泣きしている
しずこさんを置き去りにして
ぼくらは去りました。
ぼくらもこの二週間、しずこさんに振り回されて
疲れ果てていたのです。

これで自殺でもされたらどうしよう、
と、微かに思いましたが
しずこさんは絶対に自殺なんて出来ない人だと思っていました。

実際その通りだったのですが
一抹の不安はありました。
かなし、ブルーな気分で数日を過ごしたら
しずこさんから電話かかってきて
「今度の金曜日にまたサラダ持ってゆくわね」と
全く何事も無かったかのように
ケロっとして電話かかってくるのです。

あんなに大騒ぎしたあれは
なんだったのだ?

こちらのダメージはまだ回復していないのに
あなたの回復力、早すぎるやろ。

そんな事は何十回もありました。



 

 

でも、今回はもう
会話も出来ないし、

本当に最後になるのです。

退院の数日前に書いた日記です。

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さていよいよ来週から
しずこさんをロミオに連れ戻し
自宅みとり介護をするわけですが、
果たしてどういうことになるのか
全く想像ができない。

わたしは
ロミオに泊まり込みになる。 
一日のほどんどをロミオで過ごすことになると思う。
向こうにパソコンとベッドを持ち込む。 

緊張というのはないが
どういうんだろう?
最大のネックは
しずこさんの裸をみなければならない。
と言うところに尽きる。多分(笑)

赤ん坊の裸を見るのは
かわいいだけだけど 

90歳の老女の裸というのはどういうものだろうか?
おむつ交換とかすると思うが
出来ればやりたくないが
多分、一回すれば機械的にできる気はする。

そういうことは慣れなんだろうと思うが、

しずこさんと最後の日々を過ごすことになる。
などと書いても特にエモーショナルになるわけもないし。
やはり淡々と過ごすことになると思うが、

何がどう変わってゆくんだろう。

でも私は、しずこさんは幸せだと思う。
「愛する息子」に最後の最後で面倒みてもらって
自宅で死ねるなんて彼女にとって最高の死に方だと思うが
彼女は自覚してるかな?
まあ、どっちでもいいだけど。 

でも私は最後までそれをミトル
そのミッションをこなす 
自信はいまのところない。(笑)
自信はないが不安もあまりない。(笑)
むしろちょっとワクワクしている。

人の死にざまに付き合えるなんて
人生でそうざらにあることではない。
それがしずこさんであろうが、
誰であろうが
ご縁ある方を無事あの世に送り届ける
大事なお役目を仰せつかったような気がする。

それはとてもありがたいお役目だと思う。
幸せで旅立ってもらうように
万全を尽くそうとはとても決意している。

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こんな風に書いていたのですが、
ワクワクしている。なんて。
よく書けたものだ、と今になって思います。
まあ、未知の世界に向かう旅には
ワクワク感は必要なんですがね。
すっごく甘く見ていました。

そうしていよいよ自宅へと。
舞台は回ります。


テーマ:

5月の末に

倒れた時、日赤で
看護師さんに
声をかけてあげてください。

と言われて


ユキちゃんは
「お母さん、お母さん」

と呼びかけていました。


で、ぼくは 
はた。と困りました。


なんて呼びかければいいんだろう? 

お母さん、なんて呼んだことないです。

幼稚園の頃は
パパ ママと呼ばされていました。
昭和30年代後半でパパママと呼んでいるうちは
近所の市営住宅家賃1000円ではどこもありませんでした。
とおちゃん、かあちゃん、とか 呼びたかったけど

パパママを刷り込まれたのでパパママでした。

ところが小学校高学年になると
清はいなくなり
思春期の入り口で ママと呼ぶのはどうよ。
と、思い始めて
なあ。とか、あのー。とか、すみません、とか
そういう呼びかけしかしていませんでした。

ロミオさん、でもないし

なあ。とか、あのー。とか、すみません。
とかストレッチャーの横たわっている人に

呼びかける言葉ではないだろう。

と、ずっと考えあぐねて

結局黙っていましたた。

そのままストレッチャーがどこかにいってくれて
ほっとしました。

この人って誰だ?

それから

今は、本名の 
しずこさん
と呼びかけることに決めて
しずこさん。と呼びかけていました。

病院に行くと

タオルをかけられて

だいたい寝ています。

おでことほっぺとあごにタッチして

手を握ると
ものすごい力で握り返してきました。
その強さに驚きました。

鼻は絆創膏もチューブもなくて
すっきりしました。
しずこさんも
動く右手でチューブをはずそうはずそうとするのでした。

やっぱりこっちのほうが
ずっといいです。

長い間、手を握りました。
看取りの数週間で
しずこさんの手を握った時間は
いままでの50数年の時間より
比べ物にならないくらい多くなりました。
10歳から50代まで
手を握った記憶はほぼありません。


人差し指を差し出すと

ぎゅーっと握るのは
赤ん坊の反応みたいです。


この人は赤ん坊にもどったのだと思いました。
赤ん坊のようにずっと眠っています。
だんだんと眠っている時間が長くなっていいます。
人生の時間がリバースしているように思いました。


ぼくはベッドの横につったって
しずこさんを見下ろしながら ずっと手を握りながら
デジカメで写真を撮っていました。

 


テーマ:


母親はロミオという 
ブティックを経営しておりました。
みんなは彼女のことを
ロミオさんと屋号で呼んでいました。

この写真は1980年ごろです。
バイクはぼくのミニトレ50㏄ これで東京や九州に行きました。

わたしは、シャンバラさん、
と呼ばれるのはあまり好きではありませんが
ロミオは自分でもロミオです。と名乗っていました。
孫には「ロミオばあちゃんよ。」と教えていました。


ロミオが死んで
ロミオハウスを後片付けしながら
メンテナンスやこの家をどう使うか
ずっとずっと考えています。

ロミオロスも
やっぱり少しはあって
火葬場に行って
焼いて骨になった夜は
心にぽっかり穴が開きました。
心に穴が開くってホントにあるんや。と思いました。
焼肉食って穴をふさぎましたが^^
肉喰いながら
オヤジの時とおなじくらい号泣しました。

ロミオが臨終の朝
二階の部屋にある仏壇をきれいに掃除したら
ロミオが死にました。
ロミオも信仰心は全く、
と言っていいほど無くて
仏壇もうっすらとホコリをかぶっていました。

二階へ上がると気になっていたのですが
放置しておりました。
やっと掃除する気になりきれいに
埃をふき取りました。
そしたらその日の夜に亡くなりました。
お迎えに来てくれたんかなあ。

いまはロミオが寝ていた部屋をきれいに片づけて
広くなりました。

ここにベッドがあって点滴があって
吸痰機があって
いろんな人が見舞いにきてくれて

すっかり吸痰もじょうずになったのに
使えない特技になってしまいました。
吸痰は医師看護師以外は法律で禁じられています。
但し家族間は例外だそうで、
「家族の特権ですよ」ってケアマネさんがおっしゃっていました。
最後はずっと
おしっこが赤かったでした。
口臭がすごかったけど慣れた
なくなたら口臭から死臭に代わったのもすごかった。
魂の抜け殻だと思った。

とついこの間までここにいたのに。。。

どうも墓が気になって気になって
墓参りに行きました。
墓参りとかがどうのこうのとか
信じてない方なんですけどね。
行ったらすっきりしました。

すごくロミオハウスのことで
それを含めていろいろ悩んでいて
経済的にも余裕もなくて
でもこれをこのまま放置しておくのも
もったいないけれど
なんかうまく活用できないか。
しかも、私たちも
生活してゆけるくらいの
利益もださなければいけない。

ただ、お店をやって商品並べているだけじゃ
このご時世絶対に食べて行けません。
もう、モノを売って
商売してゆく時代ではなくなってきています。

でも家族もいるので
売り上げをつくっていかなければなりません。
どうしよう。とずっと考えていました。

せっかくこの家をロミオさんから引き継いだのだから
このまま倉庫としてつかうとか
勿体なすぎる。

かといって
ここで何をするの?
普通にシャンバラのお店を出しました。
で、売れると思う?

ってずっと悩んでいました。

で、自分に何ができる?
と思って
いろいろなことをこれまで模索してきました。

インターネットで情報発信して
ビジネスをする、みたいな先生にも
学んで勉強したりしてみました。
それはそれで実に学びの多いところだったのですが
自分の方向とはちょっとだけ違う。ような気がしました。

カミシバラーだけで食ってゆけるのは
まだ時間とコストもかかりそうなので
今はムリ。

やっぱり何かの商売?。
でも今まで通りインターネットで服を売る。
っていうのも
昔みたいになにかインパクトがあるものでは
なくなってきました。
昔は服を買うってすごく興奮して選んでって
ワクワク感あったけど
今なんか 選び放題でありがたみがなくなったよね。

もちろん服は大好きなので
これからも売って行くけど
それだけじゃなく。
なんだろう?といろいろ考えて

コミュニティスペース
のような場をつくろう。と思いました。

いろいろなワークショップや
小さな音であればライブもできるし
ヒーリング的なこともできる。
講師を招いて小さな講習会もできる。
カミシバラーのディナーショウもできそう。(笑)

ぼくのいちばん好きな仕事は
人と人をつなげる仕事です。
その割には人見知りですが。(笑)

モノを売る商売も楽しいけれど
そればかりじゃなくて
人と人をつなげる橋なのだ自分は。と
いつも思っています。
そういうことを仕事にしてゆきたいと
いろいろ考えていて
いまロミオが死に、
このロミオハウスの運営のバトンが
廻ってきて
今日もずっとメンテして片付け乍ら
考えています。

そう言う訳で
じいちゃんとばあちゃんが眠る墓に
ロミオハウスを使わせてください。と
お願いに行ったのです。

その夜 片づけをしていたら
小さな桐の箱がどこからか
ぽとんと、足元に落ちてきました。
何かな?と思って
拾い上げてみてみると
ぼくの生まれた時の「へその緒」でした。
なにそれ?とちょっとドキとしました。

墓参りとへその緒が落ちてきたのは
因果関係があるのかないのかわからないけど
なんか血がつながっているんだなあ。
って思いました。

がんばれ。
って言われてるようで
嬉しかった。
ありがと^^がんばるね!

 

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 Romio house
ロミオハウス

いい人生になるための家 コミュニティハウス
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

●shop/お買物
 シャンバラ
 いろいろなお店がpop up shopを出してくれる
 企画展を開催
 

●learning/お勉強
 シャンバラ学校
https://www.shanbara.com/gakko/gakko.html

 いろいろな講師を招いてワークショップを開催
 アート/音楽/環境/旅/ビジネス/ライフスタイル

 

●healing/癒し
 いろいろなヒーラー/施術師を招いてヒーリングや
 トリートメントを受けて
 日頃のストレスを解消し、
 明日への元気をチャージする。

 占い/リーディング/マッサージ
 黙って悩みや話を聞いてくれる人がいる
 

●live/楽しみ
 小さい音でライブする。
 

●gallery/ギャラリー
レンタルスペース
ミニ展覧会や個展などを開催。

 

今、考えているのは
こんなことです。

みなさんのアイディア大募集中です。^^

 


テーマ:

介護は会議からはじまる。

経鼻胃管を8月14日にやめて
退院の日にちが決まった。

ケアマネさんから電話があって

在宅医療で往診に来てくれるE先生が忙しすぎて
9月20日以降でないと
態勢がとれないのです。


そのころにはもう・いないよね。
でも退院の日はもう決まっている。
あと一週間。8月27日だ。どうするの?

退院の日は変えられないんですよね。
在宅担当医が決まらなくても退院させられるんですか?


って聞いたら

それはないです。 

そうなんや、じゃあどおするんですか?

この時は在宅担当医の意味があまりよくわかっていませんでした。
看取りというのも
勝手にぼくらが介護するのではなくて
介護者の意志を尊重し確認しながら
ちゃんとお医者さんの判断と指示の元に
看護師さんが動いてくれる。

E先生のかわりに今、入院している
T病院の先生が担当してくれることになりました。

T病院の相談員さんからも
フォローの電話をいただいて
とても安心しました。

ケアマネさんと
T病院の相談員さんは
私たちに寄りそって
私たちの意思をちゃんと受け取ってくれて
一緒に悩んでくれるので 
わかるのでうれしい。です。

 

また引き続きT病院にお世話になるほうが
ちょっといいかも。と思えました。
主治医は、ちょっと変った(・笑)^^感じの先生ですが
最初こそちょっと言い争ってしまったけど

スタッフはみなさん感じのいい人ばかりだ。
ということで、ホッとしました。

8月23日に介護支援の区分変更となりました。
倒れる前までは要介護1だったけれど

今は要介護5にランクアップ☆

要介護1とか2とかどうやって決めるのかと言うと
市役所から判定員と呼ばれる人が来て
そのひとが当事者や家族や看護師などに
聞き取り調査をして
その資料を基に市役所で会議して判定を下すのです。
だから2週間から一ヵ月かかります。

退院2日前に
 相談員 ケアマネ 看護師、ヘルパ-私 最後に主治医を交えて
退院後の在宅介護の相談会をしました。

退院したら
しずこさんはロミオにもどる。
そうして僕が泊まり込み介護をする。
それをどうやってフォローしてゆくかの会議でした。
措置としては
一日一回3時間の点滴だけとなりました。


最大の不安はおむつ交換だった。

夜中はさすがにヘルパーさん来てくれるわけないから
おむつ交換とかもする覚悟はしていたが
本当はめちゃめちゃ不安でした。
不安でもやるつもりでした。

やればまた確実に経験値が上がるから
やったほうがいいよ!と自分を励ましました。
何が不安かって、母親のナニを目視せねばならぬところです。
自分が通って出てきたところなんだけどねえ。・・・(^_^;)

やらずにすむのであればやらないすみますように。
一回やってみればなれると思う。
などと考えながら
一度 なれるために
看護師さんのうしろから おっかなびっくり
覗かせてもらって終わりました。
あざらし。。。とかちょっと思い出しました。(笑)


でも結果的に

おむつ交換は
すべて訪問看護師さんがやってくれました。
 

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