常日頃からいい加減さのたりない人には距離をおくこと。
びしっと決めたがる人には距離を置くこと。
成功率90%といっても成功することではない。
10%失敗するんだと。
10回に1回は失敗することが、成功率90%なんだと。
そんなこともある。
覚悟はいつも必要。
数字で分けてしまうと違うことは多い。
確率は確立、私は私。
そうゆう腹をくくってないと。
パーセンテージで伝えられておりますけれども、ただ単に数字の確立にすぎない。
そのことを絶対に忘れてはならない。
感情的にならない一番有効な方法は。
一番有効なことは動くこと。
様々なシュミレーションをしないこと。
先のことには細かなことやシュミレーションをしないこと。
想定内といった人で想定内に収まっている人は一人もいない。
想定内といっている自分が想定外の人生を歩んでいる人がいる。
みんな人は想定外の人生を生きていく。
考えても始まらないことは考えない。
根本的な解決策など目指さななくてもいい。
やらないよりやったほうがまし。
結論は一つのステップでしかない。
あるトラブルがある。
感情的になって怒る人がいる。
私に非があるかないか。
そういうことあるでしょう。
こういうときはどうするか。
とりあえず謝ろう。
とりあえず一回謝ろう。
待ってくれ、棚上げしないで非があるかないかではなく、謝ろう。
まず謝る。
それが次からの交渉のワンステップになればいい。
何か思いつめて、決心しなければ動いてはいけない。
そういう人がいます。
簡単な覚悟じゃできないよという人がいます。
物事はとりあえずやってみよう。
大体うまくいく。
モチベーション維持のために目標を定める。
決めつける目標は、腹が立つから駄目だと。
数値化して目指すのは逆効果になることがある。
目標の曖昧さがモチベーションになるのではないだろうか。
いつの間にかそんなふうになっているのが、人にとっていいんじゃないかなと思ったりする。
強さを求めるのは弱さの発見。
目標は、目標を忘れてしまわない限り達成できない。
そういうパラドックスの中にあるのではないだろうか。
小さい頃の自転車乗り、必死なって練習をしませんでしたか。
必死なって乗りたいと思ったのに、どうにでもよくなったときに乗れるようになっていた。
乗れるようになっている。
感情的にならない人とは仮面ような人ではない。
喜怒哀楽を上手に伝える人のことであり、豊かな感情の人である。
他者の感情を動かしたり支配することはできない。
いつでも笑顔を浮かべることができる。
そういう気持ちで生きている人が、感情というものを上手に回転させるのではないだろうか。
笑顔というのはすごいもんで、自分のためではなく、その笑顔が誰かをほっとさせたりする。
会社経営で業績が悪化したときに、新しいアイディアを出せというのは無能の証拠。
だからダメなんだ。
業績の良いときにこそ、新しいアイディアを考える。
次の手を考える。
ここに上っていく会社と下っていく会社がる。
具体的にというのは、この業績の良いときに次の手を考える。
具体的にどうすればよいのかというのは役に立たない。
抽象的だからこそアイディアは出る。
無責任だというかもしれませんが、大事故のせいで原発反対の声は大きい。
いかに原発が危険かを思い知ったのだ。
あれほど安全でと言われて、ここまで危険だった。
分かったんだ。
もうここからは、何も信じないほうがよい。
原発と同じで太陽光発電、地熱発電、風力発電もみんな危ない面があるんじゃないか。
現実問題として太陽光発電、山の斜面を切り崩して並んでいる。
それにおおいかぶさるように樹木は生えてくると役に立たないから周りの樹木を切ってしまう。
付近全部切っちゃう。
枝が伸びて影ができてきたら出力は落ちる。
山をはげ山にすることなんです。
土砂崩れ、土石流の可能性が出てくる。
安全というわけではない。
風力発電の風車。
人家の近くには作れない。
重低音が発生して身体に悪い。
台風襲来のたびに根本から折れるという事故が多発している。
原発を疑う同じ力で太陽光発電、風力発電、地熱発電も疑わなければいけない。
原発と活断層の問題が注目されています。
原発と活断層の問題にするならば、新幹線の下に活断層がないかどうかというのも調べておかないと。
全部きりがない。
心配するんだったら、きりがないところまで心配しないと、安心安全というのは出てこない。
これは良い、これは悪い、これも結論を口にするのはやめよう。
良い悪いで分けていくと、分かりやすく分けてしまうと、ますます問題の本質から離れていく。
こっちが良い、こっちが悪い。
このイエス、ノウの分かりやすさは、ますます問題を複雑にする。
問題についてどう考えていけばよいのか。
多数の論理で賛成の意見が多いということで、その意見が通るならば、原発は直ちに廃止にしたほうがよい。
全部やめてしまえ。
肝に銘ずべきことは、大きい声、沢山の声がいつも正しい意見とは限らない。
そのことを覚えていなければならない。
問題に対する考え方を。
忘れてならないのは、様々な意見の中に正しい意見は隠れている。
世の中に様々な意見があるということを。
良い悪いの二つの意見で分けてしまうと、正しい意見というのは消えてしまう。
様々な意見のために抽象的な意見を考えなければいけない。
楽しく生きたい、だから自由と豊に憧れる。
よく考えてみましょう。
自由であれば、少しも楽しくない。
楽しいとは、間違いなく、辛くて苦しい後にやってくる感情のほうが楽しい。
私たちは、実は楽しいうれしい、豊の前にまずつらく苦しいことを探したほうがいい。
その真後ろにあるんだから。
捉われてしまう経験値から具体的に考えすぎるからだ。
次は何をするのか、明日は何をするのか。
ないから空いたものを埋めようとしまう。
ぼんやり考える。
ぼんやりということがいかに大事かということ。
結果が具体的でないから、予想外のものに出会う機会が多いのである。
具体的な目標がないから自爆的なストレスがない。
楽しさを求めてないので楽しくても苦痛ではない。
苦痛でないから嫌にならない。
目標がないことは成果に縛られない。
ぼんやりとは素晴らしい能力なのである。
近頃の子供たちにはこの能力がないから苦しんでいる。
子供の相談で友達を作ることができないと受ける。
具体的な人は頑張ってと言います。
なんと窮屈な答えだろう。
どうして友達がいないと寂しいのだろう。
寂しことは悪いことなのだろうか。
友達がいても寂しかったらどうしよう。
寂しから友達になってと言われたら、やっぱりその人は迷惑なんじゃないかな。
友達を抽象的に考えていったら、友達ができないということはそんなに重大な悩みではないことがわかる。
友達という枠を作ることが、友達という悩みを作っていることに気づくだろう。
友達という枠を作らなければ、いくらでも友達が作れる。
植物や動物を友達にできる。
本を友達にできる。
悩んでいるうちに抽象的な思考は世界を広めてくれる。
ハウツー本で、想像力、思考力、好奇心を育てようと呼びかける本があるが。
教育とは具体的な知識を詰め込むだけで、才能を育てるとは、もともとあった才能が活かされただけのことだ。
考えるということは体験のことで、すべて個人に託されたことである。
その考えはひらめきがあるからで、ひらめきは発想。
発想には手段がない。
なんとなくコツのようなものはある。
普通のことを疑う。
それが新しい発想を生む唯一のコツなのではないだろうか。
普通を少し変えて考えてみる。
その普通によく似たものを探してみる。
その普通を何かに例えてみる。
そういうところから発想が生まれる。
これを飲み込むためには、怖いのはいったい何だろう。
という抽象的思考を持たなければならない。
そうしないと怖いものが見えてこない。
感じたことを言葉にするのは、一面の具体化で全体のイメージではない。
言葉で表したものを言葉で理解すことは実は不可能なのだ。
分かりやすいとか。
具体的だな。
実はわかってない。
分からないよりも分かるほうがまし。
そんなふうに考える人には抽象的思考は育たない。
分かるよりも分からないほうがましなんだ。
そのほうが抽象的思考は育つ。
なぜかと言うとわかったら人は考えない。
意見が対立して喧嘩している二人がいる。
どちらも言い張って自分を譲らないとき。
違うから対立しているのではない。
同じことを考えているから喧嘩になっているのだ。
人間の頭は具体的に理論的に考えたがる。
またそのように考える人を、頭が良いと言いたがる。
計算も理想も推論もがっちり考えたがるが、実は人工物ではない。
脳は自然物なのだ。
臓器なのだ。
脳の中には自然がある。
手入れはできるんだけども、構造は人工物のように保つことはできない。
毎日コツコツ手入れするしかない。
脳も自然だと考えましょう。
自然として咲く花、実、そういうものを地道に育てるしかない。
目指してあてにしてはいけない。
脳にいったいどんな花が咲くか、どんな実がなるのか。
待つのだ。
待とうという考え方が抽象的思考というのだ。
考えることは息を止めることと同じで。
苦しいことだけども息を止めているからこそ、発揮できる力がある。
苦しいことの大事さはある。
考えていない人が多すぎる。
みんな自分がどうすればよいのか選んでいるだけ。
選択肢が見つからないと人に聞く。
知識を問われて答えが見つからないと分かりませんという。
あまり知りませんとは言わない。
知らないくせに分かりませんと言って、知りませんとは言わない。
危険は知ることで防げる。
知ったから危険になるのではない。
知ることで、ある程度危険は防げる。
信じられないことを学んだだけ。
その一個分だけ安全に近づいたんだと。
決められないというのは正しいことの証ではないでしょうか。
問題を固定化しない。
別の側面も見えてくるのではないか。
今は決めないこと、そのうち変化がやってくる。
他者にいつもひとつの意見しか言わない人はすでに間違っている。
なぜならこの人には正しくないという反対意見の正しい人がいるから。
1から100まで足すといくらになる。
1から100までの整数をすべて足しなさい。
すぐ答えを出せますか。
1から100までの数を書きます。
その下に100、99、98、97と書いていきます。
それを足すと101にすべてなっていきます。
その方法は。
1+2+3+ ~ +98+99+100=を計算するには、
まず、 1と100を足します。
すると、1+100=101です。
続いて、2と99を足します。
2+99=101です。
さらに、3と98を足すと、
3+98=101ですね。
その後も同じように、計算を続けていきます。
101を100回足すから10,100、それを上下に2段に積んであるから、2で割ると5,050の答えが出る。
ガウスは小学生のとき、1から100までのすべての数を足すという課題を一瞬で解き、先生を驚かせた話がある。
ドイツの数学者、天文学者、物理学者であるカール・フリードリヒ・ガウスは、数学者の王子と歴史上最高の数学者と呼ばれています。
心は現代医学、脳に宿っているといいますけども脳を考えていきましょう。
秒針の動いている時計がそばにあります。
時計を見つめてください。
あなたの目の前で秒針はスムーズに動いていることでしょう。
一瞬目をそらし戻してください。
瞬間秒針は止まって見えませんか。
この見え方の違うは何でしょう。
ジーと見つめているときはスムーズに回転しています。
目を一瞬そらしたりするとピタッと止まってカチと動く。
これが実は脳なんであります。
脳の仕業なんです。
脳は予測能力で止まった瞬間を埋めて、流れるように動いているように見せる臓器なんです。
さらに海馬という脳の部位は200分ほどの出来事を1分に圧縮して思い出させるように時間をたたみます。
脳は絶えず編集あるいは改ざんしながら出来事を記録していきます。
見たまま起こったままではない。
脳はそれほど完全な臓器ではない。
空に何か飛んでいる。
何かを見るためには視神経から視床と次々と情報を送って、それで見たという感じがする。
あるかないかの判断までは0.03秒かかる。
またあるまでは0.3秒かかる。
さらにそれが赤い色の風船を見たと判断するまではさらに時間がかかる。
脳はそのかかった時間を全部忘れさせて、今見たかのように錯覚させる。
そういう臓器なんです。
これはニューロンという神経繊維を繋ぎ合せて、そこに電気を走らせ神経回路のネットワークが発火して働くものであるからです。
振り子のように動くものでも、ストロボをたくと一瞬一瞬止まって見えます。
それが心だと言う。
だから脳と心は違うという。
心が関係してくると脳は複雑になります。
ここに数学的にはカオス問題というのが発生します。
振り子、左右の繰り返しだが、その振り子の先にもうひとつ振り子をつけると、その動きは複雑で非周期的になるのでこれを三体問題という。
紅茶の中に角砂糖を入れて、ゆっくり溶けて広がっていくのは数学的に計算して表すことができる。
ところがスプーンで2,3回掻き回すとできなくなる。
これがいわゆるカオス問題。
2者だったらすぐ解決するんですけども、3者になるとわからなくなる。
ニューロンという集合体が脳です。
0か1かで脳の複雑な動きをしている。
基本は0、1である。あるかないか。
ところがその脳に心が宿っているということは、脳も実は心があるゆえにカオスなんだと。
数学的には脳が心を表現していると同時に、心が脳を表現している定理が発見された。
驚くべきことである。
バイオフィードバックがある。
バイオフィードバックの理論からしますと血圧が下がる。
どうやって心で下げるか。
それが科学的に証明された。
血圧を心で下げる。
心で血圧に向かって命じたり願ったりしてください。
下がってくださいと命令すると血圧は下がる。
血圧は意識によってコントロールできる。
これはやってみてください。
血圧だけではなくて血流というのが目に見えるんだったら意識下でコントロールできる。
心拍数とか血圧とか血流とか、これはなぜかというと心を動かす非可算無限個で変えることができる。
心で脳を変えることができる。
このことが発見されたゆえに心は数学である。
1というニューロンでその集合体でできた脳というものは、これは可算無限個でありますから非可算無限個の心で動かすことができるんだと。
それは科学で可能であるということは定理が発見されたということ。
脳は自分で自己組織化します。
私たちの成長する1年ごとに記憶を組み上げていきます。
自己組織化には秩序が必要です。
外部とのエネルギーのやり取りがなければなりません。
心を開いて情報を交換してないと、人間というのは自分で自分を支えることができなくなります。
孤立主義はあり得ない。
一国だけの正義はそれだけで悪である。
正義とか善悪とか価値は、絶えず他人と交換しながら値打ちが決まっていくものである。
絶えず外部とのエネルギーのやり取りがなければ自分であるという自己組織化ができない。
脳の単位はニューロンです。
それを繋げば脳のネットワークができると思われがちです。
しかしそこには定理がなく、ニューロンは外からの情報が入ってこなければ組織化されないのです。
他者によって自己ができる。
そんなふうに脳はできている。
私は私から生まれるのではなく、外にいるものから生まれてくる。
環境が完全にランダムならば記憶は意味がない。
必然と偶然を打って訪れるからこそ脳は記憶を作り、知覚を使って幻覚まで作ている。
記憶する、しないかで選別する。
ジャッジしない、保留しておくというのが次に起こったときに対処するときのアクションの起し方に関係してくる。
大脳の他に頑張る脳がある、これが小脳。
小脳が担当すると直接考えずに手足を動かすことになる。
ニューロンを使う時間をショートカットしてアクションが決定する。
心の自動操縦桿に移る。
こういうことが人間の脳にある。
それがピアニストの手と指、オリンピック選手の競技中の動き。
安定と不安定の中間に自分を中刷りにすることによって、脳の中の在り方、心が最もフレキシブルになる。
大脳を関与させない。
そうすることによって別の能力があなたを動かし解決策を見つけることがある。
体の感覚を高い状態にすることが可能である。