不安だから汗が出る、幸せだから笑う、悲しいから泣く、これがいままでの心理学だったんですが、

原因と結果の過程については、実は逆なんじゃないか。

汗が出てるんで、不安になった。

笑うから幸せなんであって、泣くから悲しいのである。

人間が幸せになるためにはどうするかというと、幸せそうに振舞うことが幸せになることであって、

 

幸せに振舞えない人は、絶対幸せにはなれない。

成功するためにはどうしたらいいか、成功したようにあなたが振舞えば、成功するのである。

そういう心理学が息を吹き返している。

感情とは実に不思議な特徴です。

皮膚温度の変化に注目、恐怖体験の追憶は心拍数上昇、皮膚温度は低くなる。

 

逆に、幸せの追憶は逆変化になります。

その結果、表情が感情を作る。

感情が表情を作ると思うじゃないですか。

楽しいことがあるから笑う。

表情が感情を作っているのではないだろうか。

感情が言葉を作るんじゃなくて、言葉が感情を作っる。

私たちはどうも感情が表情を作るんじゃなくて、表情が感情を作っている。

そういうことがあるようだ。

感情というのは後からついてくるもの。

体に何か変化がある、それを喜びと解するか、怒りと解するかは後付けで決定するんだと。

最初に不愉快のことがあって怒るんではないんだと。

どうも感情は後から操作できるんだと。

笑顔であれば、笑顔の未来がやってくるんだと。

「笑う門には福来たる」ということわざがあるように。

うれしいも悲しいも極端まで行けば同じになる。

行動しているうちに感情ができてしまう。

愛が破局を迎え不安になったとき、次に別の恋をしてしまうのは、不安をときめきと勘違いしている可能性が大きい。

最初に電気が走っている。

最初に電気が走ったことに脳が後付けをする。

うれしいから電流が走った、違う、電流が走ったからうれしい。

体を動かさないと感情が減ってくる。

体や顔が動かなくなると、ある種の感情が感じられなくなる。

幸せや喜びなど前向きな感情を体験しにくくなる。

その一方で、怒りや不安など、どんどん好ましくない感情のほうが大きくなる。

だから人は全身を使って、ニコニコ笑うという前向きの感情はどこから出てくるかというと。

前向くから前向きの感情が出てくる。

ふり返ったままだと前向きの感情は出てこない。

スポーツは豊かな感情を作るにも必要。

怒りは怒りで消すことはできない。

怒りは必ず倍加される。

怒りを消すすべは笑顔である。

攻撃性は伝染しやすく、怒りは人を集団にまとめる力が強い。

世論をまとめるには怒りを利用する。

その攻撃性というのは自分にも向かってくるそうです。

パニック障害、治療には薬、トラウマ、対処投与などあるそうですけども、

一番効果がある治療方法はなにかというと自覚だそうです。

俺はそんな病気なんだなと腹をくくると収まるんです。

突然の心臓のどきどき、息苦しさ、失神への恐怖、これらの生理的変化を嫌な思い出、嫌な予感に結びつけず、

いや、違うのは体だけ、心は笑顔なんだ、その証拠に笑顔できると言っているうちにその症状は収まる。

向いている仕事は他人が知っている。

自分で考える自分ほど、当てにならないものはない。

自分のことを一番知っているのは自分じゃない、他人だ。

自分を大切にするため、流されたくないという人がいる。

しかし、流されないと、想像もしない世界に行きつくことはできない。

挑戦し失敗したものには、再挑戦の輝きがあるが、挑戦を避けた人には新しい人生はない。

誰もが敬遠する仕事は、基礎点が高いんです。

あなたしか頼めないことが、あなたをタフな、自由な人間に育て上げてくれる。

組織を離れて生きていけるライセンスのハンコウをもらえる。

20代の仕事の貯金が30からの正義を決定する。

30代の投資が40代の自分を保証する。

質には必ず量の支えが必要なのである。

量は経験することを必要とする。

仕事の報酬はお金ではない。

仕事なのだ。

若いうちは使われてなんぼ。

誰もが敬遠する仕事はもともと基礎点が高い。

無理が効く人というのは加点が大きい。

器用貧乏、便利屋という呼び捨て方もあるが、そういうふうに言わずに、嫌な誘いが人生に起伏をつける。

上る下るは、必ず急な誘いから、だからこそ足腰は強くなる。

強くなるためには急な誘いを断らないこと。

仕事は行列でやってこない。

必ず横に並んでやってくる。

複数の仕事が同時にやってくる。

このことで考え方が複眼的になるのだ。

そして時間の使い方が初めて分かるようになり、時間の使い方について考えるようになる。

人との繋がりが重層的になる。

これを忘れてはいけない。

断らない断れないは決定的に違う。

もしあなたが断れる立場にあるのなら、意志を持って断らないことだ。

断れる立場にあるからこそ、断らないということを自分に課したらどうですか。

自分の超えたところに辿り着くには、そのすべしかないのです。

新しい自分はそこにしかいません。

大変そうだから断るのではなく、大変そうだからこそ断らない。

断らなければ逃げない力も手に入る。

敵を特定し排除したりさえすれば、原初の正常と健全が回復される。

そういう考え方をする人にとって、すれ違う人も触れる人も、すべてが潜在的に敵となる。

心の中には敵を作りやすいという心がある。

心構えがある。

それは敵さえなくなれば、私はと、そういう発想の人はいる。

そういう人は絶えず敵を作らないと気が済まない。

敵を作ることによって、内側をまとめようとする国がある。

すぐ日本の近くには。

思考そののものが因果論なんです。

だから必ず因果を口にする。
 

敵と思わない心を作ることが修行なんだ。

敵を作らないとは、自分の現状を因果で語らないということ。

因果で物事考えない。

因果で物事を語るようになると、自分の内側の出来事、心身のパフォーマンスを低下させる。

その病や痛みが外部から到来して機能を劣化させていくとそういう考えになっていく。

もう年だから、これは因果で語っている。

若い時はこんなでなかったよ。

自分の年を取ることも敵になる。

昨日より老けた私は許せない。

そんな息苦しい人生詰まんない。

それを敵と思わずに、私を構成する要素の一つだと思う。

憎いライバルがいての私。

大嫌いな敵がいての私である。

ここに修行の第一歩の心構えがある。

敵を作る心は、自分が置かれた状況を、入力、出力、として害する。

まずベストコンディションの私がいる。

そこに憎い敵がやってきて、それからおかしくなったんだ。

敵の入力を排除して、現状を回復すれば勝つことができる。

負けという継続的な変化として、出来事の全体は捉えられる。

敵が現れたばっかりに、私は負けという状態に追い込まれている。

心理的、負に追い込まれている。

継起的なプロセスで見てはならない。

入力と出力の差をゼロにすること。

脳に情報を一回入れない。

脳を経由せず体が反応する己。

そうするといかなる話題にも答えられる。

守るべき私を忘れたとき、私は最強となる。

計画といってもよいし、予測、取越し苦労といってもよい。

どういう言い方にするにせよ、未来についての予見の構造的な欠如を意味している。

未来を予測しないのも、無敵の探求への第一歩を踏み出す手掛かりとなる。

つまり、明日予測しようとしない。

明日はわからないというところに止めておく。

そのことがあなたを無敵にする第一歩の修行となる。

いいことを言おうとは思わない。

未来を今から決めないこと。

減点法のマインドセットを採用すべきではない。

減点できるということは、あなたが満点を知っているということが前提になっている。

満点を知らずに減点法で物事を考えるのはやめましょう。

仮想的であれ満点答案を知っていたということは、それまで障壁となっていた事象の突破が体験できないといことになってしまう。

生まれて初めて、最高にうまいもに出くわしたという体験がしたければ、点数をつけてはならない。

生まれて初めて、こんなうまいものを初めて食べたという体験は、点数をつけている人は絶対に遭遇できない。

その人は100点を知っているわけですから、もうかつて最高にうまいものを食べたということで食べるわけですから、生まれて初めてのおいしいものには遭遇できない。

自分の中の100点があるわけだから。

自分の中に100点を作らない。

それが自分の中に100点を目指す意欲になるんです。

減点法の語り口調で物事を見ない。

生命活動の中心にあるものは自我ではない。

生きる力である。

だから自我があるせいで生き延びるのが不利になる状況に出くわせば、生きる力は自我機能を停止せよと判断を下す。

非常には自我がリスクとなる。

非常事態に起こった場合に一番必要なのは情報です。

様々な場面の状況とか情報が必要になる。

全体の情報に自分を合わせるためには自分を一回忘れたほうがいい。

自分のことだけ心配している人は、そこは助かるかもしれないけど。

先でけつまずく可能性がある。

少ない情報より、多い情報のほうが正確になる。

多い情報を得るためには、一回自分を忘れたほうがよい。

自我を手放さない人というのは危機に際して最も危険な人である。