敵を特定し排除したりさえすれば、原初の正常と健全が回復される。
そういう考え方をする人にとって、すれ違う人も触れる人も、すべてが潜在的に敵となる。
心の中には敵を作りやすいという心がある。
心構えがある。
それは敵さえなくなれば、私はと、そういう発想の人はいる。
そういう人は絶えず敵を作らないと気が済まない。
敵を作ることによって、内側をまとめようとする国がある。
すぐ日本の近くには。
思考そののものが因果論なんです。
だから必ず因果を口にする。
敵と思わない心を作ることが修行なんだ。
敵を作らないとは、自分の現状を因果で語らないということ。
因果で物事考えない。
因果で物事を語るようになると、自分の内側の出来事、心身のパフォーマンスを低下させる。
その病や痛みが外部から到来して機能を劣化させていくとそういう考えになっていく。
もう年だから、これは因果で語っている。
若い時はこんなでなかったよ。
自分の年を取ることも敵になる。
昨日より老けた私は許せない。
そんな息苦しい人生詰まんない。
それを敵と思わずに、私を構成する要素の一つだと思う。
憎いライバルがいての私。
大嫌いな敵がいての私である。
ここに修行の第一歩の心構えがある。
敵を作る心は、自分が置かれた状況を、入力、出力、として害する。
まずベストコンディションの私がいる。
そこに憎い敵がやってきて、それからおかしくなったんだ。
敵の入力を排除して、現状を回復すれば勝つことができる。
負けという継続的な変化として、出来事の全体は捉えられる。
敵が現れたばっかりに、私は負けという状態に追い込まれている。
心理的、負に追い込まれている。
継起的なプロセスで見てはならない。
入力と出力の差をゼロにすること。
脳に情報を一回入れない。
脳を経由せず体が反応する己。
そうするといかなる話題にも答えられる。
守るべき私を忘れたとき、私は最強となる。
計画といってもよいし、予測、取越し苦労といってもよい。
どういう言い方にするにせよ、未来についての予見の構造的な欠如を意味している。
未来を予測しないのも、無敵の探求への第一歩を踏み出す手掛かりとなる。
つまり、明日予測しようとしない。
明日はわからないというところに止めておく。
そのことがあなたを無敵にする第一歩の修行となる。
いいことを言おうとは思わない。
未来を今から決めないこと。
減点法のマインドセットを採用すべきではない。
減点できるということは、あなたが満点を知っているということが前提になっている。
満点を知らずに減点法で物事を考えるのはやめましょう。
仮想的であれ満点答案を知っていたということは、それまで障壁となっていた事象の突破が体験できないといことになってしまう。
生まれて初めて、最高にうまいもに出くわしたという体験がしたければ、点数をつけてはならない。
生まれて初めて、こんなうまいものを初めて食べたという体験は、点数をつけている人は絶対に遭遇できない。
その人は100点を知っているわけですから、もうかつて最高にうまいものを食べたということで食べるわけですから、生まれて初めてのおいしいものには遭遇できない。
自分の中の100点があるわけだから。
自分の中に100点を作らない。
それが自分の中に100点を目指す意欲になるんです。
減点法の語り口調で物事を見ない。
生命活動の中心にあるものは自我ではない。
生きる力である。
だから自我があるせいで生き延びるのが不利になる状況に出くわせば、生きる力は自我機能を停止せよと判断を下す。
非常には自我がリスクとなる。
非常事態に起こった場合に一番必要なのは情報です。
様々な場面の状況とか情報が必要になる。
全体の情報に自分を合わせるためには自分を一回忘れたほうがいい。
自分のことだけ心配している人は、そこは助かるかもしれないけど。
先でけつまずく可能性がある。
少ない情報より、多い情報のほうが正確になる。
多い情報を得るためには、一回自分を忘れたほうがよい。
自我を手放さない人というのは危機に際して最も危険な人である。