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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。


本日は、自由大学「自分の本をつくる方法」の最終回でした。

もやもやした状態から始まった全5回の講義の最終回は、
参加者各自が出版企画書をプレゼンする時間でした。


自分がどのような企画書を出したかなんて、
同じ講座仲間に発表するのですら、とても恥ずかしかったので、
例え誰も見ていないであろうこのblogでも書けませんが(笑)

出版業界のからくり、編集者視点で見たときのポイント、
著者として持つとよいスタンスなど、
数ある気付きの中で、今日一番響いたメッセージは、

「一生で一冊しか本を書けないとしても、
 その本を書きたいと思うものでなければ書けない」

「例え誰も読まなかったとしても、自分の満足のために、
 ワクワクしながら書き続けられるテーマであれば行ける」

ということでした。

簡単にいってしまえば、「本当に書きたいものを書け」ということ。


一番最初の講義から言われていたことで、
自分なりに「本当に書きたいもの」を意識して企画書をつくってみたものの、
5分間のプレゼンを経て、つっこみをもらいながら話しているうちに、
企画書に書いたテーマは、「本当に書きたいもの」の氷山の一角であったことに
気づかされました。

いまの自分の立場や経験、置かれている状況、読んでもらえそうな読者層など
「受け入れられるための要素を頭で考え「ながら」、
テーマを決めたことが要因でした。

マーケットインの発想とプロダクトアウトの発想を同時並行でやっていたのです。

それに対して、とても強い(すぐにでも通りそうな)出版企画書は、
なぎなた、というニッチな武術の入門書でしたが、
「blogのアクセス数がゼロでも書けます!」
「もう妄想しただけでワクワクしちゃうんです!」
というエネルギッシュなプレゼンでした。

書きたいテーマを決めて「から」、
受け入れられるための要素を頭で考える、という流れでつくられていました。

プロダクトアウトの発想で考えてから、マーケットインの発想を考える、
ときちんと切り分けて考えられていました。


本を書くというのは、まとまった時間を要する、ちょっと孤独な作業です。


「本当に書きたいもの」でなければ、中途半端で終ってしまう。

逆に、「本当に書きたいもの」「書かないと気が済まないもの」
「書けたら自分で何度も読み返したくなるもの」であれば、本は必ずできる。


生き方についても、最終的には1人で歩む、ちょっと孤独な作業。

そう考えると、「本当にやりたいもの」を決めてから、
「受け入れられるように考える」と、順序を切り分けることが
中途半端ではなく、「本当にやりたいもの」を「やりきる」ための要諦と
言えそうです。


"つくりたい本のことを考えるのは、「自分は何者なのかを答える」こと"

という講座のキャッチコピーの通り、「自分」を突き詰めて考えた1ヶ月でした。
本日は、随分と毛色の違うコミュニティ3つへ参加してきました。


まず、1つ目は、某戦略コンサルティングファームで、
ばりばりの現役コンサルタントとして活躍されるTさんが主催される
超少人数制若手向け勉強会withランチ。

お仕事は、日本にあまたある職業の中でも片手の指に入るほど、
求められるアウトプットのクオリティー、時間などあらゆる面において
ハードワークなはずなのに、なんとも柔らかい物腰の方。

プロのコンサルタントとして、高いコンサルフィーに見合う
バリューを出すための極意を惜しげなく、
そして私のような素人にも分かりやくお話いただきました。

ここは、仕事・キャリアに対して、自分と近い価値観の、
超憧れの人がいて、自分に喝を入れる場所、と言えます。



2つ目は、保育士をされている知人の方が主催される、
こどもの教育について、ゆったり、まったり考える対話会へ。

紅一点だったランチとうって変わって、女性比率が9割を超える、
しかも20代前半の見た目ほんわか女子が多数集まる、やわらかい
雰囲気の場所でした。

保育士や児童館で、常日頃から子どもと直に接して働いている方が多く、
こちらでも普段は接することが少ない方々との出会いがありました。

そして、「教育」という共通の関心テーマについて、
自分の意見を何も気にせず、議論の場に出してみることができました。

ここは、仕事・キャリアに対する価値観が自分とは結構違う
(が、他の参加者同士は近い価値観を持っている。自分だけが違うアウェイ環境)
方から、リアルな声を聞いたり、自分の声をぶつけてみる場所と言えます。



3つ目は、ボランティアとして関わっている団体のフットサルイベントへ。

二十歳前後の若者を中心に、スタッフ、ボランティア(社会人/学生)が
老若男女20名近く集まり、汗を流しました。

お父さんに連れられてきた、小学生のサッカー少年2人が何ともかわいく、
20代にして、初孫を眺めるおばあちゃんのような顔をしていたと思います(笑)

体力が落ちたとわめきながら、化粧が総崩れになるのも構わず夢中で走り、
こけたり、ボールをすかし蹴りしたり、沢山笑って笑われた一時でした。

ここは、今日行った3つのコミュニティの中で、
仕事・キャリアに関する価値観は最も多様ですが、
それについて頭で考えたり、言葉で対話することはなく、
純粋にその場を身体的感覚で楽しむ場所、と言えます。



3つの毛色の違うコミュニティへ参加した一番の気付きは、
「人と関わった数だけ、自分の立ち位置が客観的に見えてくる」
ということです。


例えば、1つ目の勉強会では、プロのコンサルタントの方の
思考法、行動様式のお話を聞きながら、普段の自分の思考法、行動様式を
照らし合わせ、振返ることで、自分になかった視点をクリアにすることができました。

憧れの地から、いまの自分がどれだけ離れているか?
という立ち位置が分かるようになります。

2つ目の対話会では、自分の考えを、
自分とは異なる価値観の方に伝え、感想をもらうことができました。

「あ、こんなところに共感してもらえるんだ」という意外性や
「こういう風に話すと、全然伝わらないんだな・・・」という気付き、
「同じ現象を見ても、違う見方もあるんだな!」という発見があり、
自分の考えが、あまたある考えの中で、どう受け止められるか、
という立ち位置が分かるようになるのです。




自分と同じ人、つまり自分と対話することは、
自らの考えに形を与え、価値を生み出すための第一歩として
必要なことだと思います。

でも、だれかに価値を「届ける」ためには、
自分の立ち位置を客観的に見つめることは欠かせないもの。

自分の立ち位置を客観的に見つめるためには、
自分と違う人と沢山関わることが大事、と改めて思った1日でした。

自分の立ち位置を自在に表現できるかどうかはまた別問題なので、、
また改めて考えてみたいと思います。


本日は、あたため中のプロジェクトのために
Webサイトを手作りすることを決めました。

自分の強み・得意分野でない部分は得意な方に依頼するのが王道ですが、
今回は、言い出しっぺとして、自分の考えを、自分の表現で
アウトプットすることにこだわりたいと思います。

吉と出るやら、凶と出るやら。。


さて、今回も前回に続いて、
「私が子ども支援のボランティア活動を始めた理由」についてです。

どうも長々と書いてしまう傾向がひどいのですが、
後日まとめることとして、書き続けます。。



社会人の実務スキルってすごい!


生物の研究者への道には進めないと思った私は、
新たな道として、「サイエンス・コミュニケーション」という分野に
興味を持ちました。

「科学の知識を分かりやすく、一般の人に伝える」という分野です。

「自分が高校の生物の授業で面白いと思った体験を、
 1人でも多くの人に機会として提供したい」という単純な動機と、

ちょうど遺伝子組み換え食品が話題となっていた時期で
ただ不安を煽るだけのような報道に疑問を覚え、
「サイエンスの正しい知識を、一部の専門家だけにとどめず、
 広く伝えていけば、皆が自分で判断できるようになって
 いたずらに報道に惑わされなくてすむはず」という
ちょっとした反抗心からでした。


まだ比較的新しい分野だったためか、
アメリカの一部の大学院に専門過程があるだけで、
日本の大学では学問として学ぶ、というよりも、
既にその分野で活躍、実践している人たちが
大学に集まって、ネットワークを広げたり、
今後に向けて議論をしている状況でした。

アメリカの大学院留学を考えながら、
平日の夜、19時頃より開催されている勉強会に潜り込むと、
学生、とくに学部生はほとんどいませんでした。

ほとんどの方が、社会人です。


雑誌の編集者、フォトグラファー、イラストレーター、研究者など、
既にサイエンス・コミュニケーションを実践している人たちが話しているのは、
とにかく非常に具体的な話です。

「今度、○○という雑誌でこんな企画を組む予定だ」

「それだったら、■■さんのところで、××というのをやっていたから
 一度コンタクトしてみるとよいのではないか」

「いま、●●という活動をしているが、△△という点が問題だ。
 どうしたらいいと思うか?」

といった具合にです。

そこにいる方は必ずしも、大学で科学を学んでいたりした訳ではありません。
むしろ、文系出身の方が多かったです。

新聞や雑誌のライター、編集者としてのキャリアを積み、
そこで得られた「
難しいことを相手に分かりやすく伝える力」を活かして
活動していらしたのです。

研究はほんの少しかじっただけで、科学の専門知識があるとはとても言えない。
かといって、難しいことを相手に分かりやすく伝える力もない。
お金も人脈もない。

ないないづくしの私は何もできることがなく、ただただ話を聞くだけでした。


「いくらやりたい、役に立ちたいと思っても、
 具体的に役立つスキルがなければ、何もできない。

と痛感した瞬間、

それはアメリカの大学院へ留学して学ぶのではなく、
企業に就職して、社会の中でスキルを磨くことを決意した瞬間でした。


前回に引き続いて、

「私が子ども支援のボランティア活動を始めた理由」

の続きを書いてみたいと思います。



あんなに勉強して、学費をかけてもらって入った大学なのに・・・

高校の生物の先生に触発されて、「バイオロジーの研究者になる!」

という夢を持った高校時代。

大学選びの際は、
1. 生物の研究をしっかりできること
2. 理系なので授業料を考えて国立大学であること
3. 自宅から通える範囲にあること
を考えて、東京大学理科Ⅱ類を第一志望にしました。

いま思うと、視野が狭かったな、、と思いますが、
とにかく、当時、高校の部活動が終った高2の冬からは
目標に向かって生活のほとんどすべての時間を受験勉強に費やしました。

制服がそこそこかわいかった女子高で、
周りの友達が次々と彼氏をつくって青春を楽しんでいる中、
ひたすら塾の自習室に通う、だいぶ地味な高校生だったと思います(笑)

大学受験の結果は、念願かなって第一志望の東大理Ⅱに無事合格。

ほっとしたのもつかの間、
受験勉強漬けだった反動からか?
否、遊びたい欲求に負け、、
入学後は本当にお恥ずかしながら、
アルバイトと旅行、テニスサークル漬けの毎日。
絵に描いたようなダメ大学生時代を過ごしてしまいました。。

さすがに2年生後期は、当初の目標「研究者になる!」ことを思い出して、
教科書や参考書などを読みあさり始めましたが、、
3年目に研究室へ配属になり数ヶ月たった頃、

「私はこの粘菌(微生物)のタンパク質の機能解明に3年もかけられない・・・!!」

という、研究者の道を全否定するような感覚に襲われてしまいました。。


「新しく知る・学ぶ」ことの楽しさは大好きだったけれども、
「新しく解明する」ことは人生をかけるほどの楽しさを感じられなかった。。

挫折と呼ぶには幼稚すぎるのですが、
何に向かって進んだらよいのか、進みたいのか
よく分からない、モラトリアムが幕を開けた瞬間でした。。

なんだかとりとめがなくなってきましたが、、次回に続けます。。

以前、尊敬する経営者の方が

「なぜこのサービスを始めたのか」をblogに書いていらっしゃいました。



今日からはその方にならって、

「私が子ども支援のボランティア活動を始めた理由」

を少しずつ、少しずつ、書いてみたいと思います。



(※写真は本文と直接の関係はありません)



高校の生物の先生に教わった「学ぶ楽しさ」

「みんなの身体の細胞、一つひとつの中には
 このDNAの二重らせん構造があるのよ!!」

と、目をキラキラ輝かせながら、赤と青の美しい二重らせんの模型を
私に見せてくれたのは、高校の生物の先生でした。

小さいころから、NHKの「生き物地球紀行」などのテレビで
大自然の中の動物たちを見るのが大好きだった私は、
「本当に素晴らしいでしょ!!」といいながら紹介する先生と
その模型に釘付けになりました。

シロクマや、チーター、ライオン、うさぎ、極楽鳥といった
動物たちの皮膚の内側には、血、筋肉、骨といった生々しいものだけではなく、
PCのように、正確に遺伝情報をコピー(複写)するDNAという精密な構造物が
あることに衝撃を受けました。

がぜん、興味を持って前のめりで授業を聞き、本を読んでみると、
「遺伝情報の複写では、実はエラーが頻繁に起きている。
 しかし、エラーが起きることを前提に、エラーを直すプログラムが
 組み込まれているので、結果、ほぼ正確な複写がされている」
と分かるのです。

機械のように正確に、精密に動くのかと思いきや、
エラーという”ゆらぎ”があり、そのエラーを直す仕組みをあらかじめ持っている、
という、生物のしなやかさ、奥深さにすっかり虜になってしまいました。
興味の赴くままに芋ずる式に調べていると、新しい発見が次々と出てくるのです。

夢中になった私は、将来は、生物の研究者になることを決めました。

それまで、「3歳年上の姉が楽しそうだから」「親に薦められたから」など
安直な理由でしか進路を選んでこなかったのですが、このときは
はっきりと自分の意思で決めたことを覚えています。

目をキラキラとさせながら、DNAの二重らせん構造の模型をいじる
あの先生に教えられた「学ぶ楽しさ」。

これこそが私の原点、今に続く原動力です。


・・・・次回に続きます。