ブログに載せる写真がないー。ノンアルコールビールとじゃがりこ。前に乗った新幹線。
パンダ吉田さんがここんところズーッと頭痛で大変だったから、今日の午前中は頭痛外来のある病院に2人で。しかし付き添いの僕は待ち時間ばかりなので、仕事の本を読んだりスマホをいじったり。
で、この記事、読み耽ってほんと何度も読み返しました。電ファミニコゲーマーというアプリで配信されている、マシリトこと鳥嶋さんのインタビュー。鳥嶋さんというのは、鳥山明さんのヒット作品の編集者として、週刊少年ジャンプの編集長として有名な人です。
単なる裏方話ではない、仕事が社会を変えるという仕組み、あるいはクリエイターの創作がいかにして経済価値ある商品として流通するかということ、そして仕事人として生きるということ、読みながら正直怖かった。
自分がやっぱりダメ出しされてる気持ちになるし、真剣に厳しい仕事をしている人に睨まれた怖さというか、「ヌルくやってるヤツやなぁ」と速攻で切られそうな緊張感がインタビューだけでも伝わってくる。どんだけ厳しいねんみたいな。
出版にせよテレビにせよメディア産業は、社会に与えるインパクトが大きいから、そこに登場できる役者を選ぶ立場の人は自ずと厳しくなる。情やらナンやらではなく「使えるヤツか」「才能があるヤツか」というところでバシバシされるワケで、お客さんに対する距離感やシビアさでいうと弁護士は甘いなぁと、自分のヌルさに不安になる。
こういう緊張感って、会社員1年目の時に、新入社員研修でバリッバリでキレッキレの営業部長から受けた講義を彷彿とさせて、新入社員の教科書としてむっちゃいいインタビューなんじゃないかと。
編集者の仕事はQCD(クオリティ、コスト、デリバリー)でいうと、デリバリーとクオリティを同時に底上げして売れる作品にするということなのかと読んで僕なりに理解しました。クリエイティブな仕事だとコストはむしろ、売上高をどれだけ積み上げるかということになろうし。
こんな僕ですが、過去に2年間ほどとあるサイトで匿名でエッセイ風フィクションのエログロ小説を連載していました。それは今も見られるのだけど読み返すとエグい内容だけど、ちゃんとスジがあって面白い。
で、僕が1人で好きに書いたらそうなるかというとたぶんそうならない。同じようなエログロの繰り返しになるだけだと思う。
その時は実はインターネットサイトでありながらも編集担当さんが付いてくれて、毎月締め切りにメールで原稿を送ると「おもしろくない」「イマイチ」「この展開の前に何か入れて」と容赦ないダメ出しが入った。時には「こんな原稿だと使えないから明日までに全部を書き直して」とも。
そのときは「こっちはプロの作家でもないのに」「ほならアンタが書いてよ」とか思うのだけど、やっぱり言われた通りに書き直したり、アイデアをひねり直すと、「あ、やっぱり良くなった」とちゃんと整う。
それはなんかほんとに不思議なことでもあり、かつ、数少ない「自分の才能?」を感じることができる作業だった。やっぱり編集者という仕事は、すごい仕事なんだと、単なる「エロい妄想空想好き」の戯言を、人に見せられる商品にしてくれる人なんだと。
弁護士になった今、たまーに、唐突に知り合いやあるいは知り合いになった人から「あれって、南くんが書いてたんでしょ」と言われて、ヒェッ!とビックリすることもあるのだけど、それはとても嬉しい。
で、今はスッカリ弁護士の仕事だけど、裁判所に出す裁判の書類にしても、パンダ吉田さんに見せてダメ出しされるほうがちゃんと整うし、そうでなくても自分で編集者になったつもりでダメ出しできたほうが整う。
ちょっとした原稿や講演のお仕事も、依頼してくださる方からあれこれ指示をもらったり、内容や時には言葉遣いの希望をいただいたほうが、自分で「書きたいこと」を書くよりも、読みやすい、聞きやすいことができる。
「自分は自分でできる」「書きたいことがあるんだ」などというのは、ほんときっと、すごい不遜なことで、イニシアチブはやっぱり受取り手を知っている編集者の人、あるいはその場を作ってくれる人にあるんだなと思う。
ということで、経済社会の中で、いかに「送り出す役割」が大切かということを思い直すことができた、素晴らしいインタビュー記事でした。久しぶりにこんなにドキドキした記事だった。
こんなこと書くなんて、すっかりオッサンになったなぁ。だって今日、二十代前半の男の子に「昔はインターネットはパソコンしかなくて、僕が大学生のときはiモードもなくてさぁ」と言うたら、「iモードってなんですか?」と言われたトホホのホ。