画面越し 潮満つ鳥居に 手を合わせ

   胸の奥まで 波音ひびき

 

 12月も中旬最後の日となりましたが,本日においては,陽射しは柔らかくて,まるで小春の頃に戻ったかのような一日でしたので,

 

 この天気に誘われて,昨日にラクターにて耕した畑(コスモスを植えていた場所)を,午前中に耕運機で畝作りを行ない,午後からは畝に有機肥料を置いて,来春に種を蒔いたり,ジャガイモの種芋を植え付けられるように,土作りを行っていました。

 

 今回の一首は,皆さんが投稿されているブログを巡っていましたら,宮島の鳥居の写真が神秘的に感じられたので,思わず両手を合わせたのですが,胸の奥まで波音がひびき,自然と心が和んだのです。

 

 宮島の 海に立ちたる 大鳥居

   千年の時を 黙して語る

 

 心では さよならだけが 人生と

   そっと呟き 一人確かむ

 

 人の縁は,季節のように巡り深まり,やがて形を変えてゆき,以前は親しかった相手でも,価値観や生活の歩幅が少しずつ変わることで,互いの距離がゆるやかに開いていくことは,誰にでも起こりうることなのでしょう。

 

 「さよならだけが人生」とは,別れが避けられぬものであることを,静かに受け入れようとする心の表れだと思われますが,

 

 出会いがあるからこそ,別れもまた尊く,疎遠になった縁は,憎しみや断絶ではなく,ただ静かに役目を終えていくのかも知れません。

 

 そして,その縁は完全に消えるわけではなく,心のどこかにひっそりと残って,ふとした瞬間に思い出が胸をよぎる時があり,

 

 無理に「戻す」必要もなく,無理に「忘れる」必要もなく,ただ,「そういう時期があったのだ」と,そっと受け止めておけば良いのだと思われるのです。

 

 折にふれ 忘れし事も よみがえり

   途切れた記憶 胸をかすめて

 

 人の記憶は,「思い出せる/思い出せない」という単純な仕組みではなく,結びつき(連想)によって引き出される側面があり,

 

 たとえば,昔よく聴いていた曲が流れてきて,忘れていた出来事がふっと蘇ることなど,「ど忘れ」は,記憶が消えたわけではなく,

 

 呼び出しがうまくいっていない状態なので,忘れたと思っていても,ふと思い出すことはよくあるのでしょう。

 

 また,匂い・音・景色・言葉などは,過去の記憶とつながっていることがあり,

 

 その他,悲しい・嬉しい・懐かしいといった感情が,何かのきっかけで,封じ込められていた記憶の扉を開けることもあるようなのです。

 

 今回の一首は,松の木を剪定していて閃いたのですが,50年前に家を新築した際に,今は亡き父が,この家には松の木も必要やと言って,移植していたのを,思い出して詠んでみました。

 

 朝ドラの 名前をもじり あだ名つけ

   蜆さんなら 撫子さんに

 

 意味不明な一首になったのですが,朝ドラ(ばけばけ)のヒロインのニックネームは,「しじみさん」であり,

 

 松江にやってきた,英語教師のヘブンさんが,しじみさんと呼んでいるのに,味わいが感じられ,

 

 これを真似るべく,

 

 先日のこと,畑で仕事をしていた際に,嫁に向かって「撫子さんと」言ったら,

 

 何で「私が撫子なんよ」と返したので,

 

 それは「あんたが,虫を飽きずに取っているのと,虫取り撫子を連想したけんよ」と話したら,

 

 嫁から「撫子なら,なでしこジャパンもあるでしょう。虫取りは大変なんやから,そんな事は言わないで」との一言で,一回だけの,あだ名となったのでした。

 

 この虫は,土の中や野菜の葉に生息し,種を蒔いても根を食べたり,育った若芽も食べるので,嫁が1日に2時間も,虫取りを行い,それを1ヶ月も続けていたので,自分には出来ないことだと,脱帽した時があったのでした。

 

 研きゆく 魂こそが 道となり

   迷いは消えて 一歩踏み出し

 

 人生という長い道のりにおいては,日々の営みの中で,己の魂を少しずつ研き澄ませながら歩むことこそが,心の礎となってゆくように思われ,

 

 何かのきっかけで,胸にひっかかる思いが芽生えたり,思いも寄らぬ困難の渦に巻き込まれても,その一つひとつに向き合う過程こそが,魂をさらに磨き上げる大切な砥石となって,

 

 そうして研鑽を重ねてゆくうちに,いつの間にか迷いは静かに霧のように消え,新たな一歩を踏み出す勇気が,心の奥底から静かに湧き上がってくるように感じられるのです。

 

 人生とは,魂を磨き続けることで,道が開けてゆく,深く静かな営みなのかも知れません。

 

 たまゆらの 祈りの糸を たぐり寄せ

   澄みゆく心に 朝日さしこみ

 

 相変わらず,百姓の寝言のような短歌になっており,誰ぞから「おいさん,どんな修行をしよるんぜ」と聞かれたなら,田畑で仕事をしていたら,ふと思い浮かぶんよと,答えるだけなのです。

 

 淀みたる 部屋を片付け 心澄み

   物と一緒に 迷いも払い

 

 部屋の片づけは,一見すれば日常のありふれた作業に過ぎないように見えますが,

 

 その行いの裏側には,人が自分自身の内側と静かに向き合う時間が潜んでおり,心を整えてくれる所作でもあるように思われます。

 

 また,その過程において,物の位置を一つひとつ定め,不要なものを手放していくのは,心の棚に積もった思いや雑念を払い落としていくようであり,

 

 内なる静けさが,ゆっくりと立ちあがってくる,瞬間でもあるのでしょう。

 

 そんなことから,部屋のかしこに,物が自由に置かれ過ぎていたのを片付けると,心も澄みわたり,迷いさえ払われたたようで,気持ちも落ち着いてゆくのです。

 

 片付ける 只それだけの 事なれど

   胃の痛みさえ 遠くへ去りぬ

 

 幸せは ほんの僅かな 隠し味

   一匙あれば 心も和らぎ

 

 人生においては,ふと胸が温かくなるような,幸せの瞬間が訪れることがありますが,

 

 家庭という舞台で日々を過ごしていると,同じ景色の中を静かに歩いているかのような,単調さが続き,その小さな幸せの芽も,見えにくくなってしまうことがあるようです。

 

 そんな日常に,ほんの僅かな隠し味をそっと加えるだけで,不思議と空気が変わることがあるならば,

 

 たとえば,何気ない会話に優しい言葉を加えたり,相手の仕草にそっと目を向けてみるとか,

 

 あるいは小さな気遣い一つを,そっと置いてみたり,そのような僅かな工夫が,乾きかけた日々に潤いを戻し,ささやかな幸せが,静かに芽生えてゆくように思われたのです。

 

 其れはそれ 此れはこれだと 割り切って

   静かに引けば それで終りに

 

 農作業の途中に,何となく,其れはそれ,此れはこれだと,割り切ってとの,上の句が閃いたので,詠んでみたのですが,

 

 以前にも,同じような言葉を使っていたと思い出して,家に帰って,パソコン内を検索したら,

   其れはそれ 此れはこれだと 割り切って

     未練断ちても 影は寄り添う

 

 との一首を残して(投稿)おり,同じような思い(上の句)に立ち返ってしまう自分に,ふと微笑んだのでした。

 

 さて,静かに引けば,それで終わりにとは,寂しき言葉なのですが,

 

 人生には,ふと「ここで静かに引けば,すべてが終わるのではないか」と思ってしまう瞬間があるようです。

 

 それは必ずしも弱さではなく,むしろ心が限界を知らせているサインのようなものであり,

 

 静かに幕を下ろしたくなる気持ちは,長い緊張であったり,積み重なった疲れとか,人に言えない悩み,期待に応え続けた日々とかが重なったとき,内なる声は「ここで休みなさい」と語りかけるのかも知れません。

 

 しかしながら不思議なことに「引きたい」と思った地点を静かに通り過ぎてみると,心に新しい風が通い,歩みが自然と軽くなってゆくと思われるのです。

 

 人生は 小さき歩みの 積み重ね

   忘れた事も 結果は残り

 

 今回は,人生における時間の流れと,その中で知らず知らずに積み重なっていく事柄の重みについて,考えてみたのですが,

 

 たとえ記憶から消えた小さな出来事であっても,それらは静かに積み重なり,気づかぬうちに今の自分を形づくっているようであり,

 

 振り返れば,人生とは数え切れぬ足跡の積み重ねであって,これまでの歩みから逃れようもなく,

 

 人は多くを忘れるけれど,行動の形跡は消えないという,人生の歩みについて一首にしてみました。

 

 思い付いたとおりに詠んで,指先の動くままに,キーボードを叩いてみたのですが,日々の小さな行いは,忘れてしまっても,人生にはその結果が必ず残っていくものと思われたのです。

 

 今日もまた 笑えたことの 有り難さ

   些細な悩みは 風と消えゆき

 

 手を合わせ 小さな幸に 感謝して

   移ろう日々を 静かに歩まん

 

 一日が無事に暮れたことは,何よりも有り難いことだと,最近しみじみと感じるようになり,

 

 かつては,胸の奥に小さな棘のように引っかかっていた妙な悩みも,いつの間にか薄れてゆき,今では日々の暮らしの中に,静かに寄り添う,小さな幸せに気付けるようになっているのです。

 

 また,朝の光や,夕暮れの風,ふと耳にする鳥の声,そんな些細な移ろいが,心をやわらかく包み込み,穏やかな日々が続いていくことの尊さを教えてくれているようでもあって,

 

 今からも,この移ろいゆく日々を静かに,丁寧に歩んでゆきたく,

 

 何か特別なことがなくても,今日という日を過ごせたことへの感謝を胸に,そっと息を整えながら,自分の歩幅で,日々を生きていきたいと思ったのです。

 

 そんな,気持ちを込めた,二首となりました。