Day 8 (4月19日)

今日は午前と午後の2回外を歩いた。それぞれ19分と23分。少しずつ歩く時間を伸ばそうとしているのだけど、ちょっと頑張りすぎたのか、午後のウォーキングの後は昼寝が必要だった。

 

立ち上がった時に骨盤内にズーンとくる痛みはだいぶましになった。

食事も少しずつ普通に戻ってきてる。退院から1週間くらいは回数を多めに少ない量を食べていたのだけど、今日は普通の量を晩御飯に食べてみた。食べるたびにお腹がキリキリするのももうなくなったので。

 

食べたのはかき揚げ丼よだれ

まだ天ぷらあげる体力なんてないから、Trader Joe'sというスーパーマーケットで売ってる冷凍のやつ。4つ温めてご飯にのせる。初めて食べたのだけど、かなり気に入った。オーブンで10分だから簡単。

 

8個入ってて4ドル以下。中にたれのパックも入ってるのだけど、つゆだくご飯にしたかったので、さらに天ぷら丼のたれを持ち出してくる。

 

Day 9 (4月20日)

今日は朝ベッドから起き上がるのが、今までよりかなり楽だった。違いがしっかり体で感じられてちょっと嬉しくなる。

内臓痛も減ったし、お通じもちゃんときてる。排便や排尿で痛みを感じることがないことにも感謝。腹帯にやられたお腹の痒みもかなりよくなってきてる。でも沈着した色素は当分抜けないな。

 

今日も午前と午後にそれぞれ21分ずつ歩いた。今日はペースを下げて歩いたからか、昼寝をするほど疲れなかった。でも夜にジャガイモの皮を剥いたら、1日の体力の限界に達したようで、またベッドに横になる羽目に。(3個の予定が2個で精一杯)
昔ドラクエとかよくプレイしてたんだけど、なんか自分がヒットポイントの少ない超弱っちいキャラになってしまったようで可笑しかった。ジャガイモに会心の一撃食らってしまった、みたいな。あぁ情けない(笑)

ほぼ完全個室制

アメリカは10年くらい前から個室化がどんどん進み、私の住むあたりではほぼ全ての病院が相部屋を廃止した。なので私がアサインされた部屋も、聞かれることもなく当然個室だった。

(2007年に私が就職した病院は、その当時で二人部屋が40%くらい占めてた気がする。一つだけ四人部屋もあった)

 

下の写真が私が泊まったのと同じレイアウトの部屋。

2枚ともPepper Constrructionのホームページからお借りしました。窓の横にある小さな部屋がトイレとシャワー

 

下が自分で撮ったやつ。朝2回目に歩いた後、ベッドには戻らずリクライニングチェアに移ったので、入院中このベッドに寝ていた時間はたったの10時間ほどだった。

シンク上のホワイトボードには、患者の名前の他、担当ナースの名前や食事制限のあるなしなどが書かれている。長期入院してる人は、その日のゴールなんかも足される。各部屋にはスタッフ用のコンピューター完備。

 

リモコンに感動

私の病室はSurgical floor(術後の患者さんが入院するユニット)にあったのだけど、ベッドはICU仕様だった。上半身を起こした際の角度も測れるようになっている。(人工呼吸器をつけてる人は、人工呼吸器に関連した肺炎を避けるため最低30度に起こしておくのだけど、デジタル表示で遠くからでもはっきり見える)

そんなベッドだったからか、寝たまま部屋の温度が調節できるようになっていたのには感動した。私寒がりだから、夜中に何回も温度を上げた。いちいち誰かにお願いしなくてもいいから、これは本当にありがたかった。私が働いてた病院のベッドのリモコンにはこんな機能はなかったからなぁ。

下の方のtemp up / temp down が温度調節のボタン。左上の方にある黄色いボタンで窓のブラインドの上げ下げまでできる。なんて快適なんだろう。 

 

痛み止めが欲しい時はPainのボタン。これだと、ナースが「どうしましたか?」といちいち聞きに来ないで、薬をとってきてから病室に来てくれる。トイレやお水はそれ用のボタンがあり、看護助手がナースより先に来てくれたりしていい。いろんな病院で働いたり実習したりしたけど、今まで見た中で一番優秀なリモコンだった。

 

1泊だったのが残念なほど快適

テレビはベッドの真正面。結構大きなサイズで、その横の見やすい位置に時計もある。

テレビの下には何があるか、旦那にチェックさせてるところ。ウォーカー(歩行器)が入ってた。

 

私の部屋からの眺めはこんな感じ。image

面会に来る家族の体もいたわるような大きなソファー。家族用のテレビもついてる。

 

術後歩かされた病棟の廊下(こちらもPepperConstrruction.comのページから拝借)

 

この病院にしてよかったと思わせる、快適な部屋&快適なステイだった。正中切開後1泊で帰ってきたけど、もっといてもよかったなぁ〜と、ちょこっと思う。

でもここはアメリカ。請求書が来たら「あー、よかった!2泊しないで」ってなるんだろうけど(笑)

Post Op Day 7

手術から1週間後の4月18日は、フォローアップ検診の日だった。旦那に運転してもらって、ドクターのオフィスに行く。ジェナ先生ではなく、ナースプラクティショナーのニコールに手術創を診てもらう。

皮膚を3層別々に縫った後ダーマボンドで接着してあるので、普段のケアは石鹸で優しく洗って洗い流すだけ。ちょっと固く盛り上がってる部分もあるけど、傷跡は何も問題なしと言われる。今日は内診はなし。(手術から6週間後にやる)

 

今現在傷よりも気になる、赤くなったお腹に塗り薬をもらった。これは腹帯のせい(&私が掻いてしまったせい)

真っ赤になって腫れてたのは治まったけど、やっぱりまだ時々強烈な痒みが襲ってくる。抗生物質の入った薬を塗って、1週間後にまた診てもらうことに。

 

さよなら、素敵なジェナ先生

腸を柔らかくする薬はどれくらいの間飲めばいいのかなど、紙に書いていったたくさんの質問にしっかり答えてくれるニコール。ジェナ先生のチームの人はみんないい感じの人ばかり。

残念だけど、ジェナ先生にはきっともう会わないだろうなと思う。こんなフォローアップ検診はナースプラクティショナーやフィジシャンアシスタントで充分。婦人科腫瘍専門のジェナ先生の限られた貴重な時間は、良性筋腫だと判明した私に使うより、悪性腫瘍の人に使うべき。フォローアップが全部終わったら、私はきっと元の産婦人科の先生のところに戻ることになるんだろうなと思う。(アレクサンドラ先生も大好きだったから、それはそれで歓迎)

 

車移動がこんなに大変だとは

術後1週間経って、少しずつ回復してる気がしてたけど、車で30分かかるドクターのオフィスに行くのはちょっと大変だった。行きは良かったけど、帰りに旦那が車の少ない裏道を選んだために、道のボコボコ(普段なら全然気にもならない程度)がお腹に響いて痛い痛い。

手術前に衝動的に買った、このシートベルト用クッションがなかったら余計痛かったかも。上から少し抑えるようにして、お肉のたくさん付いたお腹がバウンドするのを最小限にとどめてた。

 

このクッション、肩から斜めにくる方のシートベルトにつければ、乳がんで胸をとっちゃった人も守ってくれる。

 

座ってるより、背もたれを倒して寝転んでた方が楽だった。今度はクッションの中に入れるアイスパックも持って行こう。

 

この日は午前中はほとんど痛みもなくいい感じだったけど、この車での移動ですっかり疲れ切ってしまった。痛みもぶり返してしまい、外は歩けなかった。ほとんどをリクライニングチェアーとベッドで過ごす。(でも1時間に一回はトイレでもキッチンでもいいから、ちょこっとは家の中を歩くようにした)

 
「うん、回復してきてるわ!」っていう調子いい日と、「あー、痛い。今日はなんかダメだわ」って日が交互にくる感じ。
少なくとも6週間はかかると言われてるリカバリーのまだ7日目だからね。焦っちゃだめだよね。

 

ジェナ先生から病理の結果を電話で聞いた時、摘出された子宮の写真を見たいとお願いしたら、「わかったわ。来週のフォローアップ検診までに見れるようにしておくわね」と快諾してくれた。

 
でも翌週まで待つこともなく、オンラインの患者ポータルにメッセージが。
先生のチームのPAが手配してくれたよう。
(PA:フィジシャンアシスタント。4年生大学を卒業した後、さらに2〜4年ほど学校に行ってとれる資格。ドクターのように処方箋を書いたり、手術の助手をしたりもできる)
 

添付ファイルの名前は「子宮と子宮頸部」となってる。

早速開けてみる。

 

おーっ、出たぁ! 丸々太って14cmほどあった私の子宮。手前のところが子宮頸部だよね。

アメリカ式の計算で妊娠22週くらいのサイズ、重さは670gだったそう。思ってたより軽いけど、通常の子宮は100gもないことを考えればやっぱり重たいよね。

股関節のMRIを受けて骨盤腫瘤に気づかなかったら、一体どこまで大きくなってたんだろうとか思う。(病院で働いてたくせに、病院や医者にかかるのが嫌い)

 

粘膜下筋腫は小さくても月経量が多くなったりするのに、私の一番大きいやつはレモンくらいのサイズだったというから、生理が重たかったのも納得。大小たくさんの粘膜下筋腫と漿膜下筋腫があったそう。うーん、実物見たかったなぁ。スライスした後の中の出血部の様子とかも。

 

……と、子宮の写真を載せてみたけど、ブログのカバーにこれが出るのもなんだから、去年カリフォルニアのSanta Ynezで撮った写真でも貼っておこう。
 
これラーメン屋さんの窓に貼ってあったやつ。メロンソーダがとっても懐かしくて、どうしようか本気で迷ったけど、結局買わなかった。寒かったし。それに7ドルもするのよ〜!昔250円くらいだった気がするのに!
去年の今頃は、カリフォルニアのCovid-19専用仮設病院での11週間の勤務を終えて、我が家に帰ってきたところだったな。まさか1年後にお腹を切るとは考えてもみなかった。

 

Day 4 病理の結果が出る

肉腫かもと言われてから約2ヶ月。今日はジェナ先生から電話があって、病理の結果を教えてもらった。摘出した子宮筋腫の中には出血して血がいっぱい溜まってる部分があったりしたものの、悪性の細胞はみつからず、肉腫ではなかったとのこと!卵管も異常なし。

絶対悪性だと思っていたから、良かったと思うものの、レポートを自分の目で見るまでは何かちょっと信じられない気も。でもとりあえずホッとした。

 

今日は旦那と一緒に外を歩いた。1週間仕事の休みを取ってくれたので、色々してもらえてありがたい。寒くても外の空気を吸うのは気持ちがいいな。今日は猫も一緒だった。彼女は首輪も紐もなしでどこまでもついてくるので、普段からよく一緒に散歩に行っている。

 

途中にあるベンチで一休み
 
今日はやっとお通じがあった。腸閉塞が心配だったから、ものすごくホッとした。便を柔らかくする薬を飲んでいたから、いきむこともなく痛みもなかった。でも、その前にちょっとお腹がキリキリした。センナが薬に混ぜてあるからだ。今日からはセンナはやめて、便を柔らかくする薬だけにしよう。
 

Day 5 お腹が大変

腹帯をきつくとめたせいで、お腹に赤い線が二本出来ていたのだけど、周りをちょっと掻いてしまったせいか、赤いのが一気に広がってしまった!

かゆい、かゆい、かゆい!

 

私の肌は医療用の接着剤にアレルギーがあり、すぐ赤く腫れあがる。一度どこかが腫れると、周りも腫れたり、違う場所まで敏感になって赤くなったりする。

今回の短い入院でつけた心電図のエレクトロードや点滴をとめたテープにもやられた。

 

点滴のテープ跡。この後腫れ上がって、赤みもます

 

今日もお通じがあった。センナはやめたけど、まだ少しキリキリする感じ。私の腸、まだ100%は目覚めてないのかな。

 

今日は初めて一人で外を歩いてみた。転ばないように真剣に歩くから、おかなが痒いのを忘れられていい。ゆっくりゆっくり、20分ほど。最初はいい感じだったけど、終わりの方はお腹が痛み出したので、さらにノロノロペースでお家に帰る。

ベッドから出るのも、横になるのもまだまだ辛い。リクライニングチェアーから立ち上がるのも一苦労。でも咳をするのは前ほど痛まない気がする。思いっきりするのはまだこわいけど。

地味〜にだけど、少しずつ回復してるかなって気がしてきた。

 

Post Op Day 3 (4月14日)

昨夜はあまり寝れなかった。早く便通があるようにと、昨日たくさん水分をとったせいで、夜中に何回もトイレに起きたからだ。ベッドから出るのもベッドに戻るのも、本当に大変。お腹を押さえるようにしてノロノロ歩く。

 

お腹がかゆいよ〜

もう少しベッドで横になろうと戻ったら、なんかお腹がかゆい。でも傷口のあたりじゃなくて、少し横の方。アブドミナルバインダー(腹帯)を開けて恐る恐る見てみると、左のお腹に赤い線が一本!

病院でくれた大きなアブドミナルバインダーがお腹をサポートしてくれる感じが好きで、結構きつめにしていたせいか、マジックテープで止めていた当たりが赤く腫れている。こりゃ大変、とアブドミナルバインダーをひっくり返し、マジックテープが右側に来るようにして、少し緩めに装着し直す。

 

今考えればこれが良くなかった。1時間後くらいに気づいたら、右側まで赤くなってる(涙)しかも超かゆい。

とりあえずヒドロコルチゾンクリームを塗って様子見。この写真の状態はまだ全然いい方でこの後もっと悪くなる。

手術の傷の方は問題なし。縫合後ダーマボンドでとめてあるので、6週間はテープやガーゼなどで覆わずに過ごす。何もしなくていいので楽チン。

 

I was miserable

術後の痛みと戦うだけで精一杯のところに、このどうしようもないほどの痒みが現れ、「今日も頑張って外を歩こう!」って気持ちは一気に何処かへ行ってしまった。リクライニングチェアに横になって、「なんでこんな目に」と自分を憐れむ。ネットフリックスを見ながらひたすらクリームを塗り続けた術後3日目だった。

 

便通もまだ。でも時々、突然腸が大煽動して突き刺さるような痛みがきたりキリキリしたりするので、少しずつ目覚めているのかも。

 

お気に入りレストランのビーフカルパッチョ。気分が滅入った時は、元気になったらこれ食べに行くぞーっていう料理を見て頑張る。

Post Op Day 2

自分のベッドで目覚める朝はやっぱりいい!気分もいいし、痛みも和らぐ気がする!......と書きたいところだけど、現実はそんなに甘くはなかった。

 
寝返り打つのも大変だし、ベッドから出るのも大変。ものすごい時間がかかる。立ち上がった後は下腹部にズドーンと重たい痛み。両手をテーブルについて体を支えて、それが少し良くなるのを待つ。息ができないわけではないけど、寝ていた姿勢や座っていた姿勢から起立すると、言葉を発するのが辛い。肺の中の空気がバキュームでシューっと吸い出されてしまった感じ。一語ずつ絞り出すようにしないと喋れない。これが1〜2分続いて、普通に戻る。

 

オキシコドンは極力避ける

痛みのコントロールのために飲んでいる薬は、アセトアミノフェン500mgとイブブロフェン200mgで6時間ごと。痛みがひどい時用にオキシコドンももらっているけど、そこまでひどい痛みでもないので飲んでない。オキシコドンは便秘の副作用もあるから、便通のないうちに飲むのもやだなぁと。
 
病院にいるうちからstool softener(便を柔らかくする薬)はもらってたけど、まだ便通なしなので、Peri-colace (便を柔らかくする薬プラス腸を刺激する薬)を飲み始める。
 
食事は少なめを4−5回に分けてとった。炊飯器で旦那がおかゆを作ってくれたので、それに鮭のフレークを混ぜてみたり。フルーツとか、茹でた野菜とかをよく噛んで食べる。(もともとクローン病ももってるので、腸閉塞への恐怖が大きい私)

 

外を散歩

お天気が良かったので、旦那と一緒に外を歩いてみる。通りの端っこまで行って帰ってくるだけだけど、外の空気を吸うのは気持ちがいい。でも歩くのは大変だった。病院内や家の中はフラットだけど、外は違う。家のドアに続く6段の階段はゆっくり上り下りすれば苦じゃなかったけど、今まで気にも留めなかった段差が「転んだらどうしよう」と怖いし、ほんの少しの傾斜ですら身体中で感じられた。

痛みは術後の夜中に比べたら少し軽くなった感じ。安静にしてればほとんど痛まないけど、ちょっと無理するとドーンとくる。早く良くなりますように。
 
いつものようにたくさん遊んであげれないから、とってもつまんなさそう。ごめんね。

Post Op Day1(4月12日)

前の日の夜8時に回復室から病室に移動して以来、痛みであんまり眠れない。早く動いた方が早く回復するのを知っているので、夜中の1時頃ナースに「歩いてみたい」と言ってみるが、「明け方5時半くらいに歩きましょう」と言われる。

しょうがないので、痛みをこらえつつ、横向きに寝れるか試してみる。なんでかわからないけど、左を向くより右を向く方が痛い。

 

ちょっと寝てはまた目が覚めてを繰り返すけど、時間が全然たたない。ベッドの正面の壁にある大きな時計を見ながら、「痛いけど、酷かった時の生理痛はこれより痛かったよな。」とか考える。子宮を取られてしまった体が、最後の逆襲として私の大嫌いな生理痛をくれようとしている感じ。でもこれで最後だと思えば我慢できるってもの。

夜じゅう見続けていた壁の時計。リクライニングチェアから撮影。時計の下に見えるのは、医療用手袋4サイズ。

採血

4時半に採血の人がくる。こちらでは静脈から採血の時は、それを専門の仕事にしてる人がくる。Phelebotomistといい、医師でもナースでもない。毎日毎日採血ばっかりしてる人たちだから、ほとんど痛みもなく採血終了。

ちなみに、患者にポートや動脈ラインがあるときはナースがやる仕組み。動脈ラインなら私(米国呼吸療法士)もやる。そして動脈に針を刺しての血ガスの採取は呼吸療法士の仕事。(やる頻度が多いからね、その辺のドクターよりよっぽど上手だよ、私)

マグネシウムが低かったので、点滴で足される。

 

First walk

やっと5時半になりナースと一緒に廊下を歩く。(その30分前に痛み止めを点滴のラインから入れてくれた)大回りと小回りが選べるけど、初めてだから小回りを2周した。おばあさんのように前かがみでスタートしたけど、なるべく状態を起こして歩くよう頑張る。ものすごくスローペースだったけど、達成感はあった。

 

退院するかしないか

7時過ぎにシフト交代で朝番のナースがくる。続いてラーナン先生が来て傷跡のチェック。もう退院の話をしだす。(この時点では、私はまだ「えー、2泊したいわ」と思っていた)

とりあえず、尿カテーテルを取ってくれと頼む。

 

先生が出て行った後、朝ごはんをオーダーする。術後すぐ、何を食べてもいいと言われていたけど、昨夜は何も食べる気がしなかった。(でも頼もうと思ったらピザでも頼めたのよ!術後すぐそんなもの頼む人いるかわからないけど)

 

それから尿カテーテルを外し(痛みは全くなし。あっという間)、廊下を大回りで2回歩いた。一回目はPCT(patient Care Technician 看護助手)と一緒に。2回目はなんとmobility teamの人(患者と歩くのを専門にしてる人)が来た。「そんな職種まで設けてるんだ、この病院」と感心&納得。私の勤務してた病院ではしてなかったけど、この病院は人工呼吸器の患者さんも歩かせることで知られてるのだ。専門職がいても不思議じゃない。(早く歩いた方が早く回復するし、気管内チューブの抜管も早まる。でも大変。歩かせるのに4〜6人は必要)

 

やっぱりお腹は痛いけど、歩けるもんだわ〜と自分の回復状況にも感心。少しずつ、家に帰ってもいいかもって気がしてくる。その後ベッドには戻らず、ずっとリクライニングチェアーで過ごした。安全対策で、ちょっとでも椅子から立つと大きなアラームがなり、誰かが駆け込んでくることを知ってるので、一人でトイレにも行けない。(身体的には行けるけど、ナースに迷惑がかかるのでそういうことはしない)

 

素敵な個室だったのでもう一晩くらい居たかったけど、だんだんとこの「一箇所に縛り付けられていて自由がない」感覚に嫌気がさし、家に帰ることを決心。

11時頃に面会に来た旦那が、もう椅子に座ってる私を見てびっくり。家に帰ることにしたと告げるとさらにびっくり。

 

お家用にオキシコドン30錠出される

午後に来たナースプラクティショナー(執刀医のグループで働く、修士号を持つナース)に「帰ることにした」というと、「じゃぁ、その前にオキシコドン一回飲んでみて、副作用無いか確かめてからにしましょう。帰宅後痛みがひどい時はこれを飲むのよ。でもひどい吐き気とかする人もいるからね。家に帰って初めて飲んでそうなったら大変でしょう。」と言われる。そこでお昼ご飯を頼んで、オキシコドンを飲んで少し様子見。吐き気も何もしなかったと報告すると、「じゃ、退院の指示はナースに出しとくから、好きな時に帰っていいわよ。1時間後でも4時間後でも。」とのこと。なんてイージーゴーイングな。

 

我が家が一番

家に帰ると猫が出迎えてくれた。しゃがむのは辛いので、旦那に猫を私の目の高さまで抱っこしてもらい、ただいまのキスをする。入院前に作って冷凍しておいた、炊き込みご飯をチンして食べた後、痛み止めを飲む。ベッドから起き上がるのと横になるのが一番大変だけど、やっぱりお家はいいわとしみじみ感じた夜だった。

 

これを書いた朝。起きたらうっすら雪が積もってた。もう4月18日だというのに。

私の子宮全摘のための入院はこんな感じでした。

 4月11日(月)午後3時 正中切開で手術

 4月12日(火)夕方 退院(!)

 

私がお世話になった病院のグループは、いろいろなものを患者ポータルに載せてくれるので、自分でオペの大まかな記録を、当日の夜にみることができます。

(とはいえ私が実際に見たのはもう少しあと。携帯がベッドの中でどこかにいってしまい、朝まで見つからなかったため。旦那が間違って持って帰ったと勝手に思い込んで、明け方まで痛みに耐えながら怒ってた私。笑)

 

どんな手術が行われたのかから始まり、開始時間や麻酔の種類、手術室にいた人全員の国家資格と役割、そしてどんな流れで手術が行われたのかが明記されている。(気管内チューブのサイズや心拍とか細かいことまではこれには載っていない。)

 

手術の手順を見てみると、ジェナ先生はまず左の卵管、次に右の卵管という順序で取ったあと、子宮と子宮頚部を摘出したよう。たいして時間がかからず3つとも取ったことが分かる。私にとっては初めての手術で、癒着とかもなかったからパパッと終わったよう。むしろ準備の方に時間がかかったんじゃないか。

 

 

これによると出血量も250ccと少なめ。

 

この下に、手術がどんな流れで行われたか(どんな器具でどこを切って、何を使って縫い合わせたか等、物語を語るように)記述されているので、婦人科のことはあんまりわからない私でも、読んだらそれなりにイメージが浮かぶ。

 

取った筋腫が良くない感じだったら卵巣も取ると言われていたけど、綺麗な筋腫だったので卵巣は残してくれたよう。摘出臓器は病理へ回され、肉腫かどうかの検査。結果は先生が後から電話してくる予定。(もしくは患者ポータルに先に乗るかも)

 

手術後はこれを使って深呼吸。インセンティブスパイロメトリー。病院勤務の頃はよく患者さんに正しい使い方を教えてた。手術の翌朝、2000ccならまぁいいだろう。

 

手術後の夜はやっぱりお腹が痛く、11時くらいに痛み止めをお願いしてみた。はっきり言って、一番ひどい生理痛と同じくらいか、少しマシなくらいの痛みだったから、耐えようと思えば耐えれただろうけど、ここで極限まで我慢する必要もないよなーと。痛み止めはそれなりに痛みをとってくれるけど、完全には無くならない。まぁ、モルヒネとかオキシコドンとか使えばもっと楽かもしれないけど、そこまでしなくてもいいかなーという感じ。もっともっとひどい痛みを想像していたせいか、「ああ、これなら大丈夫」って妙に強気になったりもして。

(でも、痛いのは痛いので、眠りに関しては30−40分の睡眠を何回か取れただけ)

一人で体の向きを変えたりもできたあたり、私の手術は本当にスムーズにいったんだな、と思った。ジェナ先生の腕は確かだな。彼女を選んで良かった。

 

 

 

4月11日、午後2時の手術のため12時半に病院到着。

受付したのは以下のこと。

 

1、付添い人が誰かの確認

2、状況を知らせるテキストメッセージが来るよう、電話番号を登録

3、待合室のボードの説明

4、手術までの流れの説明

 

まずは待合室で待ち患者だけ呼ばれて、Pre-Surgery(手術に向かう人が準備をしたり、日帰り手術の人が帰るまでを過ごす部屋のあるユニット)へ移動。着替えをし、足にSCD(フットポンプ)を付け、点滴の準備を済ます。その後付添い人も部屋に入れてくれる。

ここにいる間に、麻酔科医や執刀医、オペ室勤務のナースなどが話をしにくる。全身麻酔は点滴で、硬膜外麻酔はなしとのこと。よかった。

執刀医とオペ室ナース責任者に、摘出した子宮の写真を撮ってくれるよう頼む。

 

麻酔科医がリラックスするためにVersed(ミダゾラム)か何かを点滴で入れてくれるので、私はこの部屋からオペ室まで移動していった記憶がない。「じゃぁ、行こうか」と言われたのが最後。旦那が「Good luck. I love you」と言ってたのを微かに覚えてるくらい。日本の方のブログをみると、オペ室まで歩いていくという記述がたくさんあってびっくりする。こっちじゃそれは絶対ない。準備室のベッドに寝かされたままで行く。

 

私が行ってしまうと、旦那は待合室へ。そこにはこんなボードがある。

左から、患者番号、執刀医、現在どの段階か、手術開始時刻、手術終了時刻が表記されている。その横には手術準備中、オペ中、回復室、病室へ移動の欄があり、そのプロセスに達するとマークが現れる仕組み。色の違いでもどの過程にいるのかが一目で分かる。

これだと、家族もいちいちスタッフに聞かなくていいから、スタッフの仕事量も減って一石二鳥っぽい。患者番号より執刀医の名前を探した方が早く自分の家族を見つけられる。

到着時、私のジェナ先生は11:38からの手術中だった。この時点で自分の手術が遅れることが予想できた。

 

これとは別に、登録しておけばこんな感じでテキストメッセージがオペ室内のナースから家族にくる。


近くに住む家族は家に一度帰ることが多いそう。どこにいるかさえ伝えれば、待合室にいなくてもOKなので、「帰んなよ」と旦那に言っておいたけど、結局ずっと病院内にいたらしい。待つだけの家族の方が大変なんじゃないか思う。

術前に下剤とかで腸の準備もしなくてよかったし、初めての手術だったけど、いろんなことがスムーズでよかった。