学校創立14年を振り返って①
2008年から立ち上げた日本語学校「ジャパニージー」、14年経ちました!!!祝⭐️創立14周年と言う事で、簡単にここまでの軌跡を書いてみようと思います。立ち上げ当時、2008年。立ち上げ当初は右も左も分からず、いろいろな人にお世話になりました。いつも周りに支えてもらっているジャパニージーですが、あの頃は特に周りを固めてくれていた素晴らしい人たちのお陰でキックオフ出来ました。場所探しも学校づくり全般も、本当にいろんな人が手を差し伸べてくれて、ウェブ作りだったりチラシデザインだったり不動産関係だったり大工だったり、みんなが持つ各々のスキルを提供してくれました。みんなの、みんなによる、みんなのための日本語学校が立ち上がったのです。立ち上げ前の失敗話。知る人ぞ知る私の過去ですが、実はジャパニージーを立ち上げる前に一度学校づくりを失敗しています。ジャパニージーを立ち上げる1年前、学校作るぞー💪と鼻息荒く奮闘していた私は、その当時働いていた日本語学校の同僚に「私も一緒にやってもいい?」と声をかけられました。そこで軽くいいよ、と言ってしまったのがその後にとって最大の選択ミスとなります。その子とは学校に対するパッションやこだわりに、あまりにも差がありました。仕事に対する姿勢も軽く、比較的他力本願な彼女にとって、熱意溢れる私は熱すぎたのかもしれません。結局方向性が合わずゴタゴタしてしまって、最終的には全身全霊を注いだその学校を彼女に譲るという苦渋の決断に至りました。1年弱自分の全力を傾けた学校を手放すのは本当に悲しく、毎朝泣いていました。こんな辛い街にはもういられないと思いメルボルンを去る決意をしたこの日、この夜が私にとって一生忘れられない転機となりました。私が日本語を教えていた学生たちが、こぞって私にメッセージを送り始めたのです。お願いだからメルボルンに残ってほしい、三奈子がいなくなったら俺たちの日本語はどうなるんだ、と言ったような内容に、目頭が熱くなったのを覚えています。それでも、相当な奈落の底を彷徨っていた私にはやる気が再度漲る事はなく、メッセージを読むだけで精一杯でした。するとメッセージの内容がいつのまにか、新しい学校の名前を決めようという流れに変わって行き、みんなが勝手に名前を考え始めたのです。げんき日本語学校、さくら日本語学校、Minakoジャパニーズ…などなど。そこで、確かに私は学校のネームバリューも校舎も無くしてしまったけど、”人”という大きな宝物が残っていると気づいたんです。もうここまで来たら、前を向くしかないですよね(笑)。こうして出来たのが「JAPANEASY」という学校です。学生達が教室作りから宣伝から、何から何まで一緒に作ってくれて、みんなの力で学校を創立しました。そして2008年4月、ジャパニージーは学生数50人、先生5人と共に、オーストラリア・メルボルンにてスタートしたのです。(続く)歯医者だったスペースを日本語学校にするよ!アートが得意なデービッドさん達は壁に絵を描いてくれました。看板作ってくれたロンさん。これが教室になっていきます。丸いのは窓。完成間近。障子ドアをデザインした大工のクリスとスーパーヘルパーのけんじ。What is JAPANEASY?✅Japanese lessons (on site, online)✅Language exchange✅Culture event - workshops and performances✅VR classes✅日本語教師養成講座Web: https://japaneasy.com.au/Contact: reception@japaneasy.com.auInstagram: @japaneasymelFacebook: https://www.facebook.com/EasyPeasyJapaneasyYoutube:https://www.youtube.com/c/JAPANEASYJapaneseLanguageCultureSchool