1日目(2024/7/6(土)) その2
三重: 松阪
おはようございます
↓前回のお話はこちら
前回は松阪の宿にチェックインしたところまで話しました。
これから松阪を17:18に発車するJR名松線(めいしょうせん)の伊勢奥津(いせおきつ)行きに乗ります。伊勢奥津が名松線の終点で、そこまで行ってもその日のうちに戻ってくることはできますが、その後の予定もあるので途中駅まで乗って引き上げることにしました。名松線は2時間に1本くらいしかありません
ここで名松線について説明します(かなり長くなります)。
災害によって運休しそのまま廃止するかどうかで揉めている米坂線と、災害によって運休したがあとで運転再開した只見線の話を以前しましたが、今回の名松線も同じようなローカル線です。
名松線は二つの都市を結んでいる名前となっていますが、後ろの「松」は松阪とわかると思いますが、「名」とはどこでしょうか?名古屋ではありません。三重県名張(なばり)市の「名」なのです。名張は平井堅の出身地(生まれは大阪のようですが)と赤目四十八滝などで知られる内陸にある都市です。その名のとおり名張まで繋ぐ予定でしたが、途中の伊勢奥津で終点となりこんにちに至ります。

ところが…
名松線の延伸を阻んだのが上図の名張市と松阪市を結んでいる「近鉄大阪線」の存在でした。名松線が雲出川に沿って名張を目指している間の1930年に、近鉄の前身である参宮急行電鉄が松阪から名張を経て大阪方面の線路を開業させてしまいました。上の図のとおり近鉄の方が全線開業した場合の名松線に比べて松阪〜名張をほぼ最短距離で結んでいるかつ、近鉄は複線電化(全線の複線は1975年ですが)の一方、名松線は単線非電化のため、速度的にも不利でした。しかも名松線が伊勢奥津まで開業したのが近鉄ができたあとの1935年のため、沿線に大きな街があるわけでもなくここから延伸させる意味がなくなってしまいました。
名張まで行く夢を絶たれた名松線は国鉄末期に特定地方交通線になって廃止対象に上がりましたが、並行する道路が未整備のために、廃止を免れました。ところが国鉄からJR東海になってしばらく経ったあとの2009年に台風による土砂災害のために、途中の家城(いえき)〜伊勢奥津が運休となりました。JRとしては復旧工事して再開しても乗車数が少ないかつ、山間を走行するため再度災害が起こりかねず安全な運行が困難と自治体に向けて廃止を打診しました。ところが地元および沿線の松阪市と津市は大量の存続署名を集めました。また三重県と津市で治水事業等復旧費用を多く負担することを伝えJRを説得した結果、運休から6年以上経過した2016年に運転再開したのです。
名松線は学生の足としては未だに生き続きています。家城駅近くにある白山高校は甲子園に出場し名松線で通学する生徒と話題になったり、ドラマの元ネタにもなりました。
JR東海が他のJR各社と異なり、鉄道事業がドル箱であったから名松線は残りましたが、他社だったら今頃廃止されていてもおかしくなかったと思われます。米坂線や只見線は両端が他の路線に接続していますが、名松線は片方が途切れている盲腸線ですのでますます。盲腸線は岩泉線や高千穂鉄道は廃止されましたし、津軽線も廃止がほぼ確定しています。名松線も今後も廃止されずに残る保証はありませんが、長く残ってもらいたいですね。
名松線の話が大変長くなりましたが本題に入ります。
今回は近鉄と並走する区間のみ乗車しました。途中駅の一志(いちし)駅と近鉄の川合高岡駅は乗り換え駅に指定されていないものの近隣しており、松阪から一志までは名松線、そこから川合高岡まで行って近鉄で松阪に戻ってくることにしました。
松阪駅の近鉄ホーム。
東口は近鉄しか乗れん気がする
駅前とは言え、松阪でもマンションが完売御礼になるんか
東口からぐるっと回って松阪駅の西口に来ました。
松阪牛の立て看板。
松阪から一志までは240円。久々に切符を買った気がします
20年以上Suicaでしたからね
紀勢線のホームを通過します。
名松線は5番線。
名松線に比べ紀勢線は意外に本数がありますね。松阪駅を通る紀勢線も名松線同様非電化単線とやや寂しいです
これに乗ります。単行列車
切符を買いましたがバスみたいな整理券システムを採用しています。名松線の駅はほとんど無人駅ですからね。
ボックスに移動。ワイ含めて10人以上は乗っていた気がします。
定刻通り17:18に発車しました。
名松線の説明にたっぷり使い長くなったので今回はここで切ります。
続きはこちら↓