Minahei -24ページ目

Minahei

ライター戸塚美奈のブログです。

母里先生との本ができた!

『子どもと親のためのワクチン読本 しっておきたい予防接種 最新改訂版』

2013年に刊行された同書の改訂版。と言いながら、まるで新しい本になっている。全体の構成も大幅に変えて読みやすく。マンガも新しく、えのきのこさんという活躍中のイラストレーターさんに書き下ろしてもらった。

 

5月28日配本  ←amazonで予約中です

改訂版を作りましたが、前の本も電子で読めます。

 

‟ワクチンは毒だ、自然にかえれ、と言うつもりはありません。

ワクチンは必要なものもあるのです。

けれども、いま、人々に、とくに0歳の赤ちゃんにすすめられているワクチンは、多すぎます。

必要性の高くないものも、すすめられています。

でも、小さな赤ちゃんに何度も打てば、副作用のリスクが高まります。アレルギーも引き起こします。

どうしても必要なワクチンにだけにしませんか。

ワクチンは、義務や強制ではないのです。

これ以上赤ちゃんへ負担をかけるのをやめましょう。

お母さんものんびりゆったり子育てしましょう―-”

 

母里先生の主張は変わらない。

この本を読んで、たくさんのお母さんに、なーんだ、これでいいんだ、と安心してもらいたい。

 

ここ数年、ほんとうに、あまりにワクチンが増えた。前の本を作ったときは、ヒブ、肺炎球菌というふたつの不活化ワクチンが定期接種になり、赤ちゃんのワクチンが一気に増えた印象だったが、いまではそれに、B型肝炎、水痘も加わった。こんなにたくさんのワクチンをどうしてすすめることができるのかというと、同時接種として、一日に何本もの注射を打つことが当たり前になっているから。

 

2007年に、母里先生と『インフルエンザ・ワクチンは打たないで!』を出し、 ワクチンというパンドラの箱を開けてしまって、12年近くたった。そして、頭の悪い私にもようやく見えてきたものがある。これからは、先生に頼りっぱなしにしないで、少しずつ、自分の責任で発信していかなければ。

 

ということで、しばらくこのブログはワクチン月間。ワクチンのことをガンガン書くので、ワクチンを商売にしている人は決して読まないでくださいネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがたいことに、連休前に仕事がひと段落(といってもゲラを印刷所さんに預けただけ)、少しだけ気持の余裕のある連休。と言いながら、進行中の仕事の作業が山積しているし、畑も大忙し。掃除や夫の衣類の手入れなど、こまごました用事もたくさん。10連休なんていったって、やることやって飛ぶように過ぎていってしまう。でもこれ、「母ちゃん業」をやっている限りは仕方がない。

 

昨日は家族の朝ごはんが終わると家を飛び出し、畑へ。クワをふるって作業。延々と食べ続けていた、薹立ち白菜と、これまた菜の花状になったスティックセニョールを引っこ抜いて、夏野菜植え付けの準備。その後大急ぎで家に戻り、ダンナを散歩に連れ出す。4キロほど先に、この時期になるとこいのぼりが泳ぐ自然公園があるので、こいのぼりを見に。昔は一緒に野川公園まで走りにいったランニングコース。ダンナの電動車いすのバッテリーが10キロなので、途中私が押してバッテリーをケチりながら、えっちらおっちら。その後家に戻って昼ご飯のあと、また庭に出て、しこたまある野菜の残渣や剪定枝をシュレッダーにかけて片付け。このところの運動不足と、朝方の畑での野良仕事がたたり、夕方にはグッタリ。疲れ切って夕飯を作る気力もなかったが、ビールを飲んで復活、なんとかがんばった。よく働いた一日。

 

「おしん」の再放送をやってるよ、と夫が気づいて録画してくれて、昨日も今日も朝から「おしん」を観てしまった。平成の終わりに、昭和のドラマ。これがなんだか妙に胸にささる。昭和は働き者が尊敬される時代だった。そして、働き者がいっぱいいた。「おしん」に恥ずかしくないように毎日徹底的に働いてから寝よう。

 

話題の直木賞作品。もっと話題になってもいいのにと思う。タイミングが絶妙すぎて、マスコミが扱いにくいのだろう。

導入は面白く、思わず引き込まれるが、前半途中が長い。それで昼寝枕にしてしまう人も多いのかも。

米軍基地から物をブン取る、沖縄の義賊「戦火アギヤー」のかしら、オンちゃん。オンちゃんの恋人のヤマコ。オンちゃんの舎弟のレイ、オンちゃんを慕うグスク。嘉手納基地襲撃のあと、忽然と姿を消したオンちゃんの影を追いつづける、ヤマコ、レイ、グスクが、「アメリカ―」に凌辱され続ける戦後の沖縄を舞台に懸命に生きる物語。

小学校に米軍機が落ち、子どもたちが火だるまになって亡くなった宮森小学校米軍機墜落事故など、物語の中に描かれる事件が、現実に起きたことだという事実に愕然とする。アメリカ世への抵抗運動をした実在の人物である瀬長亀次郎も登場する。私たちが知らない、あるいは忘れてしまった沖縄の苦しみを、真藤さんはこれでもかと物語の中に焼き付けた。あったことをない、と平気でいうような風潮の中で、物語として描き、決して風化させないようにしてくれた。若い書き手で、沖縄出身でないということに驚いたが、そうでなければできなかった仕事なのかもしれない。

ところどころで「語り」が入る。いくつか目にした書評では、この語りが軽すぎていかんとあった。そうなのかな? 私は、この「語り」がまんま沖縄に感じられた。NHK朝ドラ「ちゅらさん」のゆがふの店長役で、沖縄ことば指導をした藤木勇人さん。漂流したオジイの物語など、彼のひとり芝居に何度も笑わせられた私にすれば、この「宝島」のウチナーグチは、まるで藤木さんの語りそのもので。

 

不思議なもので、これまで沖縄の物語を読むと、喜納昌吉の歌や沖縄民謡、さとうきびの歌が脳内をめぐったものだが、なぜか、今回はそれが一切なし。ずっと、BIGINの「海の声」が聞こえていた。これだけの重い内容でありながら、主人公たちの青春群像とも読める小説で、ヤマコをめぐる三角関係も色どりをそえ、全編にさわやかさがあったからかも。勝手ながら、背の高いねーねー、ヤマコは長澤まさみサン、レイは森山未來サン、グスクは山田孝之サン、そして語りは藤木勇人さんと配役させてもらって、おかげで、長い舞台を観るように、この長い小説を楽しむことができた。

 

「えーと、あのBIGINがつくった、浦島太郎が歌ってる歌、なんていう歌だっけ?」と息子に聞いた私。

「『海の声』」

そうか、「海の声」か。

 

さっき、3日分ためた生ゴミを、コンポストに入れてかきまわしてきた。4日前に入れた生ごみは量が多かったのでどうかなと思っていた。かりん酒をつけようと思って近所で拾ってきたかりんが、傷んでいて半分ほど使い物にならず、、残4つ割りくらいにしたままコンポストに突っ込んでいたのだ。大きなまま入れるとなかなか土に還らないというのに。ところが、コンポストのフタを開けて土につっこんである温度計を見ると、30度近い! シャベルを入れて掻き回すと、土に還る途中のかりんなどのカタマリがほろほろと崩れ、うんこくさい有機物のニオイとともに、湯気が! 

2月なのにホカホカに発酵してる! ここ数日暖かかったことと、あと、イワシの頭を大量に入れたからに違いない。ただ、うんこくさいのは問題なので、米ぬかを足し、そばがらも入れて、よーく撹拌。最後に上に乾いた土をかけ、その上に、ミントやローズマリーをちぎったものをパラパラとふりかけてニオイ消し。これでよしと。

コンポストかきまわし作業も、すっかり慣れたもの。

今日は自分の誕生日。誕生日にコンポストからホカホカ湯気が出るなんてうれしくてたまらない。こんなことでうれしくてたまらない自分が、またうれしい。

 

いきなりコンポストの話で、「なんのこっちゃ?」だと思うけれど、長い事ブログをなかなか書けなかった理由がコンポストだと言ったら、笑われてしまうかも。

『ゼロ・ウェイスト・ホーム』(ゴミゼロの家)を読んだとき、この本に提案されていること、5つのR→リフューズ(断る)、リデュース(減らす)、リユース(繰り返し使う)、リサイクル(資源化)、ロット(たい肥化)に感銘して、プラスチック製品を買わないようにするなど、すぐできることはやった。けど、このうち、さすがに、たい肥化は難しいよね、と思っていたのだ。というのも、この本、じつに具体的にリサイクル方法を書いているのだが、たい肥化に関してはイマイチだ。紙切れも、布も、木や竹の製品もコンポストへ。でも、それ、どこで、どうやって土になるの??


驚いたことに、カリフォルニアでは、「燃やせるゴミ」収集というものがない。紙や生ごみは、腐らせるゴミとして、庭木といっしょの扱い。初めて知ったのだが、日本のようにゴミをざんざんのお金と燃料を使い、二酸化炭素を排出してがんがん燃やしている国はないのだった。どうもカリフォルニアの意識高い系(?)のセレブたちは、モノスゴイ機械式のコンポストを使って、そこから液肥を取り出しているらしい。

調べてみると、ピカピカの機械が見つかった。いったいいくら? それってどうなんだ? わざわざ金とエネルギーを使って土に還すのも、ちょっと違うような気がする。ベアさんちのコンポストがどんなのかはわからない。本には書かれていない。

 

日本でのコンポストというと思い浮かぶのは、あれ、緑色の巨大ポリバケツをひっくり返したようなヤツ。まるで美しくない代物だ。市の広報には、段ボールコンポストというものが紹介されていた。落ち葉と生ごみを混ぜて発酵させるというもの。段ボールだから手軽にできますよということだが、以前に一度やってみたものの、いつまでたってもゴミはゴミのまま。気持ち悪くなり、腐りきったそれを、結局燃やせるゴミ袋に突っ込んでしまった苦い思い出がある。

 

ベアさんの本や、本に影響されてゴミゼロにしようとしている人達のブログなどを読んでみると、皆、コンポストを始めている。翻訳者も、コンポストの記述が少ないことに気づいてか、本の中で、日本のコンポスト事情を表にまとめてくれている。でも、それを何度も読んでも、どのコンポストがべストなのか、コンポストがどういうものなのか私にはサッパリわからなかった。

同時にどんどんいろいろな疑問がわいてきて、コンポストやたい肥化に関する書籍やネット情報をあさり始めたものの、「コレ!」というものがない。広い庭や畑を持っているならできるけど、ウチの猫の額ほどの庭で作ったら、庭中コンポストになってしまうというものばかり。土嚢袋を使う方法もあったけれど、それでも結局は土に埋めなければならない。情報がなさすぎて、これは自分で試行錯誤するしかないのかも、というとりあえずの結論になった。

 

本の中で翻訳者が紹介している「キエーロ」というコンポストがあった。おしゃれな木製で、これまでよく目にしていたひっくり返した緑色のポリバケツとはぜんぜん違う。なんとなく、これなら、段ボールよりもよさそうな気がした。

思い切って、「キエーロ」を販売しているという人に連絡をとり、購入することにした。

http://www.kiero.jp/

 

到着して即、ホームセンターに黒土を入れ、コンポスト生活の開始!

さてどうなるか。

すぐにでもレポートを書きたいような気がしたが、何事も飽きっぽい自分のこと、やって数ヶ月後にやっぱりダメでした、になるかもしれない。これはある程度結果が出てからにしなくては。そう思って半年以上が過ぎ。 

 

驚くなかれ、2018年6月3日にコンポストを始めて以来、一度も、生ごみを燃えるゴミに出していない!!

 

我が調布市の燃えるゴミ収集は、週2回。有料のゴミ袋に入れて出すのだが、袋は、LL、L、M、Sと、4種類の大きさがある。かつては週2回、L袋に入れていたものが、今は、S袋、多いなぁという日もM袋に収まるのだから、ビックリだ。しかもそのゴミは、ポンポンと片手で遊べるくらい軽い。

 

かつては、生ごみは、食事が終わるごとに生ごみ入れから、水気をしぼってレジ袋に入れ、それをゴミの日にまとめて出す、というサイクルを繰り返していた。その生ごみがなくなった。すべてコンポストに入れて掻き回すようになったのだ。

始めたのが初夏だったので、気温も高く、コンポストに入れた生ごみは、4、5日でホロホロになってしまう。コンポストを掻き回しながら、こんなにおもしろいことがあるか、という気持ちだった。

この「キエーロ」というコンポストは、土の量が圧倒的に多いので、臭いが外に出にくいということ。魚のアラや、古い油などもためらうことなく入れられる。むしろ、繊維の多い野菜くずなどよりも処理が得意だ。

コンポストを始めて数日たったとき、あれ? 台所とリビングの空気が変わったような気がする、と思った。同じ日に夫が、「なんか臭いが変わったような気がする」と言ったから、本当に台所から生ごみの臭いが消えたのだと思う。

 

いろいろやるうちにコツをつかみ、といってもいまだに試行錯誤中。生ごみは、毎日毎日入れるよりも、3日に一度入れるのがよい。生ごみは臭いの出ないものに入れて、米ぬかもかけておく。米ぬかを入れておくと、乳酸菌のおかげで発酵し、魚のアラなどを入れても臭くならない。こうして1次発酵させたものをコンポストの土に入れて混ぜると、土に還りやすい。

 

生ごみを燃やせるゴミの日に出さなくなって、生ごみをビニール袋やレジ袋に入れる必要がなくなった。ゴミを入れるのに使うしな、となんとなく集めていたレジ袋を使わなくなり、どこでもレジ袋を断るようになった。レジ袋を入れるスペースが不要になった(けっこうかさばっていた)。ばかでかい燃えるゴミ用のゴミ箱が不要になり、小さいゴミ箱に変えた。コンポストを掻き回すのにけっこう体力が必要で、いい運動になっている。コンポストを掻き回すために庭に出ることで、庭先に出る習慣ができた(庭に出ないと出るのがおっくうになって放置してしまうものだ)。とまあ、実にいいことづくめ。

そしてついに。できた土を使って野菜を育ててみたくてたまらなくなった。

 

私の購入した「キエーロ」はそもそも、土をつくる用のコンポストじゃない。ベランダで使う人のためのもので、土に入れて掻き回していれば、生ごみは消えてしまって、土は増えない。連日混ぜ込んでいるのだから、じっくり熟成はできず、いつも未熟で、畑には使えないのだ。でも、コンポストの中で、かぼちゃのタネからどんどん芽が出てバカみたいに育っちゃっているのだ。この土で植物を育ててみたいと思うのは人情というものである。

 

コンポストの土を少しずつとりわけててきとうに熟成させ(といっても1カ月くらい。いいかげんだ。)、ふるいでふるって、ゴーヤのプランターにまいてみた。そのせいかどうか、台風で強制終了となるまで、次々にゴーヤがとれた。夏には近所に畑を借り、秋には庭のタイルをはがして土を入れた。

 

コンポストに飽きるどころか、コンポストをきっかけに生活がどんどん変わってきた。で、あまりにめまぐるしく変わりすぎて、どう説明したものかめんどうになり、ブログを書く機会を逸したままになっていた、というわけで。なんだかコンポスト前とコンポスト後で、ワタシという人間が変わったような気もする。

今となっては、ビニール袋に生ごみを入れて捨てていた自分が信じられない。 コンポストを混ぜるたびに「これでよし!」と気持ちが落ち着く。 ゴミをビニール袋に入れてゴミ収集で出すのではなく、地球環境に悪い二酸化炭素を出すのではなく、自分の手で、きちんと処理できる。なんてすごいことなんだ。今年の正月はすごかった。ゴミの収集がないことが、まったく苦にならなかったのだから(酒瓶とビール缶は山のようだったけど)。こんなおもしろいこと、どうして今までやらなかったんだろう? 

 

 

土を入れる前。新品のもの↑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋本治さんが亡くなった。梅原猛さんと同じく、橋本治さんは大学生のときの憧れの存在だった。今はもうすっかり著書を読んでいないとはいえ、青春時代の神様が二人続けて亡くなってしまって、寂しくてたまらない。大学受験を終えた春休み、東京へ行く直前に、文庫本になった『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を読んで、ぶったまげた。まず、少女漫画を論じる、ということに驚いた。今となってはどこに感銘を受けていたのかまったく思い出せないのだが、繰り返し繰り返し読んでは、興奮した。その文体に魅了された。

橋本治さんというと、一般的には『桃尻娘』が有名で、桃尻語訳枕草子などの古典物も広く読まれていると思うが、私にとっての橋本治さんの魅力は、なんといっても、こうしたエッセイ、コラムの類だ。『合言葉は勇気』『デビット100コラム』『ロバート本』などなど、刊行される本をなけなしのバイト代をつぎ込んですべて買い、繰り返し読んだ。

文章を書きすぎてページ数が足りなくなり、突然2段組になったりするのも面白かった。雑誌のインタビューに登場した橋本治さんは、原稿の書きすぎで手指には絆創膏だらけ、記者に「満身創痍」と書かれ、書きまくっている様子で、そんな職人肌ふうなところにも憧れていた。

でも何よりも、その文体に魅かれていたのだ。丁寧に礼儀正しく、畳みかけるように説いていく。やさしい文章だけれど論理的で、そして最終的に「あなたはそれでいいんです」と言ってくれる。「やっぱりおれは正しかったんだ!」と泣くときもある。そして、また明日はあるからがんばろうよね、わからないヒトはいいけどね、というような(イメージです)。

自分は間違っていない、これでいいんだ、ということを、膨大な文章を積み重ねて、緻密に書き上げているように思えた。その一文一文に、バブル社会軽ーい風潮の中でモンモンとしていたイビツな私は励まされた。

 

そう、橋本治さんの文を書く仕事は、緻密なセーターを編むみたいな感じだった。

ほとんどの本は処分してしまったのだが、1冊だけ、橋本治さんのセーターの本を残してある。もちろん、いつかセーターを編もうと思っていたからではなく、こんな変わった本、絶対に一度手放したら手に入らないとわかっていたから。山口百恵さんの顔を編み込んだセーターで有名になった、橋本治さんの編み込み技術が、1冊の本にまとまったもの。普通の編み物の本とは違い、この本にはもちろん、橋本治さんの緻密な文章がしっかり編み込まれている。

 

「それは決して、商品として店頭に置くことはできません。できないけど、でもそれはあなたが作ったものです。あなたが作ったんだから、あなたはそれを『ワーイ、着ちゃお』と言って着ることができるのです。(中略)あなたは、セーターという服をオモチャにするのです。着ることを‶遊び”として消化できるのです。あなたが今までお洒落と無縁であったのは――(中略)それはあなたが、服で遊ぶことができなかったからです。 」「あなたのセーターは前衛だ」『橋本治の手トリ足トリ』(河出書房新社)

 

昭和の時代はオヤジの時代だ。戦争に高度成長時代にバブル。オヤジ全盛時代。そんな時代に、オヤジ的価値観から距離をおき、少女漫画や、有吉佐和子、山崎豊子などの作品を高く評価していた。橋本治さんはあの時代に、男としての生きにくさ、違和感を感じて、あのくどいほどの文体を駆使して、魂を救済するかのように著述活動をしていたように思う。