橋本治さんの文体 | Minahei

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ライター戸塚美奈のブログです。

橋本治さんが亡くなった。梅原猛さんと同じく、橋本治さんは大学生のときの憧れの存在だった。今はもうすっかり著書を読んでいないとはいえ、青春時代の神様が二人続けて亡くなってしまって、寂しくてたまらない。大学受験を終えた春休み、東京へ行く直前に、文庫本になった『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を読んで、ぶったまげた。まず、少女漫画を論じる、ということに驚いた。今となってはどこに感銘を受けていたのかまったく思い出せないのだが、繰り返し繰り返し読んでは、興奮した。その文体に魅了された。

橋本治さんというと、一般的には『桃尻娘』が有名で、桃尻語訳枕草子などの古典物も広く読まれていると思うが、私にとっての橋本治さんの魅力は、なんといっても、こうしたエッセイ、コラムの類だ。『合言葉は勇気』『デビット100コラム』『ロバート本』などなど、刊行される本をなけなしのバイト代をつぎ込んですべて買い、繰り返し読んだ。

文章を書きすぎてページ数が足りなくなり、突然2段組になったりするのも面白かった。雑誌のインタビューに登場した橋本治さんは、原稿の書きすぎで手指には絆創膏だらけ、記者に「満身創痍」と書かれ、書きまくっている様子で、そんな職人肌ふうなところにも憧れていた。

でも何よりも、その文体に魅かれていたのだ。丁寧に礼儀正しく、畳みかけるように説いていく。やさしい文章だけれど論理的で、そして最終的に「あなたはそれでいいんです」と言ってくれる。「やっぱりおれは正しかったんだ!」と泣くときもある。そして、また明日はあるからがんばろうよね、わからないヒトはいいけどね、というような(イメージです)。

自分は間違っていない、これでいいんだ、ということを、膨大な文章を積み重ねて、緻密に書き上げているように思えた。その一文一文に、バブル社会軽ーい風潮の中でモンモンとしていたイビツな私は励まされた。

 

そう、橋本治さんの文を書く仕事は、緻密なセーターを編むみたいな感じだった。

ほとんどの本は処分してしまったのだが、1冊だけ、橋本治さんのセーターの本を残してある。もちろん、いつかセーターを編もうと思っていたからではなく、こんな変わった本、絶対に一度手放したら手に入らないとわかっていたから。山口百恵さんの顔を編み込んだセーターで有名になった、橋本治さんの編み込み技術が、1冊の本にまとまったもの。普通の編み物の本とは違い、この本にはもちろん、橋本治さんの緻密な文章がしっかり編み込まれている。

 

「それは決して、商品として店頭に置くことはできません。できないけど、でもそれはあなたが作ったものです。あなたが作ったんだから、あなたはそれを『ワーイ、着ちゃお』と言って着ることができるのです。(中略)あなたは、セーターという服をオモチャにするのです。着ることを‶遊び”として消化できるのです。あなたが今までお洒落と無縁であったのは――(中略)それはあなたが、服で遊ぶことができなかったからです。 」「あなたのセーターは前衛だ」『橋本治の手トリ足トリ』(河出書房新社)

 

昭和の時代はオヤジの時代だ。戦争に高度成長時代にバブル。オヤジ全盛時代。そんな時代に、オヤジ的価値観から距離をおき、少女漫画や、有吉佐和子、山崎豊子などの作品を高く評価していた。橋本治さんはあの時代に、男としての生きにくさ、違和感を感じて、あのくどいほどの文体を駆使して、魂を救済するかのように著述活動をしていたように思う。