底辺から世界トップリーグプレーヤーになった話。
アルゼンチン日記①
小学4年生からサッカー少年団に入るも地域選抜止まり。中学校でクラブチームから声がかかる訳でもなく部活へ。
この中学生時代の数々のターニングポイントを振り返ります。
中学1年生時に、天狗だった僕は地元のビッグクラブ、ガンバ大阪のジュニアユースのテストを受ける。
結果は1次で落選、鼻をへし折られる。
落選の手紙を見た時の気持ちは今でも覚えている。
それでも負けん気が強く、諦めない性格なので部活動でも本気。
大阪でも弱い地域の中でも弱い中学校…満足のいく練習ではない、雨が降ると5人しか来ない…日々悶々としていた。
そんな時、トラブルが起こる。
中学生になり初めての健康診断で引っかかる。
不整脈だ。
房室ブロックという今ではスポーツ選手がよくなるというネット情報があるが、当時は不安しかなかった。
心房と心室を繋ぐ房室結節で伝導が遅くなったりブロックされる症状。
脈が飛ぶというイメージ。
第1〜3度まであり、3度は完全房室ブロックと呼ばれ原則的にはペースメーカー適応。
2度でも2種類あり、運動時に脈が戻るタイプでなければペースメーカーだと医者から言われていました。
何度も大阪の循環器病センターに通い検査をし、第2度房室ブロックと診断されました。
次の検査結果次第では
もしかしたらサッカーができなくなるかもしれない。
「運動は可能です。」
ホッとした。
「ですが、激しい運動やプールの潜水は危険かもしれません」
そんな時に当時の僕はこう言った。
「死んでも良い!サッカーしたい!諦めたくない!」(気持ち強すぎるやろ。笑)
両親はビックリしたと言う。
そこまでの気持ちがあるならと、どうにか息子に満足のいくサッカーをさせてあげられないかと、親戚や知人に相談してくれた両親。(本当に感謝)
すると海外で仕事をしている親戚から、サッカー留学情報の新聞切り抜きを見せてもらい、そこから留学への熱が高まり、アルゼンチンへの留学が決まった。
そして3年生になる前の春休みを挟んで2ヶ月のアルゼンチン留学に出発する事になる。
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