こんにちは🌞
今日は僕のプロになってから今までの流れを書いてみました。
少し長くなっていますが、加藤友介という選手はこれまでどういう道を歩んできたのか、これからの目標、夢を書いていますので、是非お時間ある時に読んでもらえると嬉しいです^ ^
14歳の時にアルゼンチン留学、ボカ(BOCA Juniors)の試合をボカのホームスタジアム(別名ボンボネーラ)で見る。
衝撃を受け、それがキッカケでアルゼンチンでプロになりたいと夢描く。
このあたりは以前のブログで簡単に書かせてもらっていますので、是非こちらも😆
経歴
2007 CA・HURACAN(アルゼンチン)
2008 Defensores de Belgrano(アルゼンチン)
2009 CA・HURACAN
2011 MIOびわこ草津
2012 Dempo SC(インド)
2012 BEC TERO SASANA(タイ)
2013 Nakhonratchasima FC(タイ)
2014 SamutsongkhuramFC(タイ)
2015 BBCU FC(タイ)
2016 Udonthani FC(タイ)
2016 Angthong FC(タイ)
2017 SouthChina(香港)
2017 Persegres Gresik United(インドネシア)
2018~ FC Sumida Ulaanbaatar(モンゴル)
2004年 高校を卒業後すぐにアルゼンチンに渡ってHURACAN(ウラカン)のユースに入団。
2006年 20歳の時に当時2部で昇格争いをしていたトップチームに上げられ、デビュー。
昇格のかかった大事な試合で決勝点をあげ、1部昇格を経験。
当時の監督、トゥルコ・モハメドは2006年の6月に9歳の息子を事故で亡くしていて自身も重症を負う。
息子を亡くしてウラカンに戻ってきて、昇格を果たすという歴史的ドラマ。
そのメンバーの一員であった事、監督に信頼してもらえた事は僕の誇りです。
昇格の瞬間の動画←あまり写ってないですが、います(^^;;
2007年 昇格後、正式にプロ契約。
開幕戦に途中交代で出場、アルゼンチン1部リーグでプレーした2人の日本人の1人になる。
もう1人は元日本代表高原選手。
とんとん拍子にステップアップする事ができたのですが、
アルゼンチンでプロになるという夢を叶えて、次の夢がありませんでした。
ここでの準備不足と精神的な弱さが、次のステージに行く事ができなかった理由の1つだと思います。
言い訳して、周りのせいにし、プロの世界を甘く見すぎていました。
2008年 レンタル先のチームで毎試合使われるものの、スタメンで使われる事はなく、監督のせいにし文句ばかり。
良くない事は連鎖するというが、自ら引き寄せていただけですね(^^;;
2009年 Huracanに戻るものの怪我をし、給料も未払いになり、契約はあるが練習すらさせてもらえず日本に帰らざるを得ない状況になり帰国後、
当時J2の仙台や、福岡、ヴェルディーに練習参加に行くも、怪我と意識の低さで全然ダメ。
膝の怪我を治す為に無所属なのでバイトしながらリハビリ生活。
サッカーをやめるしかないのか…という葛藤に毎日駆られて、夜眠れない日々が続きました。
親に散々心配させて、お金も使って、せっかくアルゼンチンでプロになったのにここで辞めるのか…
先が見えない長く暗いトンネル…もう味わいたくない。
サッカーがしたい、サッカーが好きだ、どこでも良いからサッカーがしたい。
そう粘り続けて
2011年 関西1部だった奈良クラブに練習参加させてもらっていた時、JFLのMIOびわこ草津が練習試合をしに来て、1人足りないとの事でMIO側でプレー
それがキッカケでMIOに入団。
だが、活躍してJリーグに!!という気持ち、ビジョンを強く持てていなかった自分は正直中途半端でした。
シーズン開幕直前にグロインペインに。。全力で走る事ができなくなる
バイトしながら、夕方練習、練習後にも違うバイトに行く日もあったり、怪我も治らず、終盤の5試合ほどしか出れていないと記憶しています。
今思うとホントに未熟でダメダメな選手でした。
でもそんな中、立ち直らせてくれたのが、会った事もない僕に、手を差し伸べてくれた方達や周りの知人、友人、家族でした。
怪我も治り、サッカーだけで生活していく機会をもう一度いただけたのは、そういった方々に助けられたから、今の自分がいるのはこれまで自分を助けてくれた人達のお陰だと改めて思います。
2012年 インドでは4カ月過ごし、サッカー以外でもタフな経験をさせてもらいリーグ優勝も経験。
2012年8月 タイの強豪 BEC tero (財前選手や、岩政選手も過去所属) に入団。当時代理人契約を結ばせてもらっていたJEBエンターテイメントさんのお陰です。
エリクソン監督(元イングランド代表監督)がダイレクターに就任し、スペイン語での会話も可能だったので濃い指導を受ける事ができました。
その後タイでは4年間で、5チームに所属。
2013年 ナコンラチャシーマで7試合連続ゴールや、年間ベストイレブンに選ばれたり。その秘密は過去ブログでも紹介させてもらっている山之上さんに。
BBCUでは1部昇格も経験。
タイでは本当に良いご縁を頂いたり、妻と結婚するキッカケもタイのチームが決まったから、子供もタイで授かる事ができ、最高の時間を過ごさせてもらいました。
でもどこかサッカーに対して冷めてしまっている自分がいた。
タイで結果を出して上位チームに移籍して、大金をもらって、ACLに出て日本のチームと対戦する。そういう目標を立ててプレーしていたんですが、ある日プツンと気持ちが切れてしまい、
「本当に自分がやりたいのはどういうサッカーなんだ。どこで誰とどんなレベルでサッカーがしたいんだ。」
と考えるようになり、やりたい事や何ができれば自分がワクワクするのかを紙に書きだすようになりました。
サッカーで色んな国に行く、それも楽しそうだと思っていると
2017年 香港の古豪、south chinaに入団する事ができる。
4か月間で12試合4ゴールで来季の契約もあるだろうと言われていたが、6月にまさかのチームが自主降格という謎の解散劇。
それでも8月インドネシアのチームが見つかる。
契約が終わり11月半ばから、無所属。
2018年4月半ばまでの5か月間、また長く暗いトンネルでした。
孤独な海外生活でもサポートし続けてくれた妻や、支えていくべき息子がいる。
もう引退して不安定な選手は辞めて、少しでも安定した職について家庭を支えていかなければ。。。と本当の気持ちを押し殺し、苦しい状況から逃げようとしていた自分がいました。
でもそんな時でも真剣に自分の事のように話を聞いてくれ、アドバイスをしてくれサポートしてくださる方々がいてくれました。
そういった方々のお陰で、今また選手として続けている事ができています。
そして、今自分が本当に叶えたい夢、どこかで諦めてブレーキをかけていた本当に叶えたい夢があります。
「ボンボネーラで試合をする」
ボンボネーラでもう一度プレーをする。今度はサテライトではなく、トップの試合で!
あの子供の時にスタンドから見た紙吹雪。
今度はピッチから見る。
その為に今何ができるのか。毎日自分を成長させていくしかない。
この夢に向かって進むのみです!
今まで僕に関わってくださった方々には本当に感謝、ありがとうございます。しかありません。
これからも感謝の気持ちを忘れず、皆さんにプレーで恩返しできる選手になります!
面白い選手いるな、と少しでも思って頂けると嬉しいです!
そしてこういう目標を明確にさせると、話も進むもので南米のチームからオファーを頂いたのですが、監督が変わってしまい白紙に。
現在はバングラデシュでプレー中です🇧🇩
日本に帰国の際は、是非あなたの所にお邪魔させてください!
できるだけ多くの子供達、そしてその親御様方にこういうサッカー選手もいるんだ。という事を知って頂きたい、そして自信を持ってほしいのです。
もしサッカースクールやチームの練習があれば是非呼んで頂いて、子供達と一緒にプレー、そして少しお話をさせてもらう機会を与えて頂けると嬉しいです。
もし興味のある方おられましたら、是非Facebookやインスタグラムでメッセージをください🙇
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
読んで頂きありがとうございます😊
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