福島②会津若松 | みみうさ☆ライフ

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アメンバーは現在募集していません。
過去に家族の顔をそのまま載せているので、ご了承下さい。(息子の学校関係の記事以外はオープン記事で投稿して24時間後にアメンバー限定にしています)

大内宿には2時間半ほど滞在して、13時頃に出発しましたが、その頃には駐車場は長蛇の列あせる


その日の夜のニュースではやはり1時間以上待ちと言っていたので頑張って4時起きして良かったです



お宿は磐梯山のほうなので、そのルートにあるところを巡りました。




宝石紫伊佐須美神社



岩代国一之宮・会津の総鎮守として2000年を超える歴史を誇り、会津地名発祥の由来を伝えます。強運をはじめ方除や厄除、事業育成、五穀豊穣、縁結びなどのご利益があるとされます。国や県の重要文化財などの貴重な宝物類を有するほか、日本三田植のひとつで国指定重要無形民俗文化財の「御田植祭」など、古式ゆかしい行事が数多く伝わっています。



まずは手を清めて




こちらの手水舎はお花があしらわれていて素敵💐



ちょうど七夕の飾りがあったので、家族で短冊を書いてきました七夕




本殿にお参りして、御朱印を待っている間に境内を散策。





ここの薄墨桜は有名らしく松平容保の歌碑がありました桜



満開の桜はこんな感じみたいです↓




風鈴が涼しげ🎐




立派な山門でした





最後の目的地へ車





宝石紫鶴ヶ城(若松城)





至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。



天守閣への入場料にお茶室見学券も付いてきます。




お城は復元ですが、この土台の石垣は当時のものだそう↓




お城は5階建てになっていて、それぞれの階でお城の歴史や歴代の城主、白虎隊についてなどの展示があります。



この兜のデザインが斬新🪶




天守閣からの眺めキラキラ



降りてきてパチリ🏯




宝石紫茶室麟閣



天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。それにより利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願いでたのです。この時に建てたのがこの「麟閣(りんかく)」と伝えられています。



お茶室までの間には待合や寄付、つくばいなどもありました。



茶室内には風炉やお道具の数々も。




千家ゆかりの茶室を拝見できて本当に良かったです。


茶室の前にはお城が良い角度で撮れるフォトスポットがカメラ





良い記念になりました。