この記事は2020年ブログ

の振り返りを含みます

 

 

 

最初からっ指差し

 

 

 

 

乳がん告知〜4年経って...

花咲乳がんになった時

 

 

前記事でお話ししたように

 

 

 

花咲乳がんが

癌の進行悪化

だと分かり

 

 

 

私自身も恐怖

隣合わせで

でも何とかするしかなくて

必死だったように...

 

 

 

母は母なりに

必死でっていたんだと

思います

 

 

 

ただ当時の私には

その時の母は少し頼りなく

 

 

 

なおさら自分が

しっかりしなきゃ!と

必死になって

しまっていました魂が抜ける

 

 

 

 

 

 


 
 

過去記事(2020/3/13)抜粋

 


この時の

から見て、お医者さんの言葉
すがってるように見えてしまい



 
自分のえは持てずに
ただお医者さんの言葉を鵜呑みにする
そんな風に見えました



 
(今思うと、私は自分で船の梶をにぎってるから大丈夫だけど
母はそうじゃなかったから、ぐらぐら揺れる船に
乗ってるいるのは、どれだけ恐怖だったか……
お医者さんの言葉にすがりたくなるのも
娘の命がかかってるからこそ恐かったんだろうと…
そんな風に感じた事を申し訳なくも思います。
※船の例えについてはコチラの記事に書いてますニコ)


 
 
そんな、お医者さんに全てを
ねるような、を見ると
は、余計恐怖が増し……


 
 
だから、そんなに頼る事は出来ず


 
 
検査結果も1人で聞く!
と言って診察室に1人で入ったのを
えています。


 
 
だから、その時の
自分でしっかりえて、今後どうするかも
自分でめないと!!
と、より思っていたと思います
ショックショックショック


 
 
そして、もそんな私に
真正面からぶつかってくる事はなく
……



 
それでもわら理解は示し
サポートし続けてくれました