2025年2月8日(土)
今年の休暇は、近いところへ細切れでお出かけすることに。目標は、北関東3県制覇だ!

茨城県大洗町ひとり旅
たっぷり、どっぷりと茨城県をディープに堪能する旅。
いよいよ、最後の訪問地。(←ここもぱみちゃんが紹介してた)
最後は、「筑波海軍航空隊記念館」
何度も場所を確認したが、つくば市ではなく、笠間市にある。(←すでに大洗町ひとり旅ではない)
ここは、「永遠の0」のロケ地。
最近では、「ゴジラ-1.0」のロケ地にも使われていたらしい。
ロケセット再現↓
2013年、公開された映画『永遠の0』の物語上の舞台、撮影地として注目が集まり、現存する海軍航空隊司令部庁舎内を、関連資料の展示と共に期間限定公開。 2018年、筑波海軍航空隊関連資料などを展示する展示館を旧司令部庁舎に併設。市の指定管理を受け記念館事業を開始した。
こちらが、旧海軍航空隊司令部庁舎。
ロケ地好きなのえまろ、浮かれて訪れたわけだが・・・ここは、もっと深い真実の物語があった。
何もわからず、まずは資料がおいてある記念館に入館。
ゼロ戦の模型などを見ながら進むうち、「特攻」という言葉が説明の中に出てきた。
もちろん、「特攻」は日本人なら誰でも知っている。
映像展示で、映像を見た。
『空くんと学ぶ 戦争の歴史と海軍航空隊 特攻のはじまり』
なんて、わかりやすくするための題名だったんだけど・・・この海軍航空隊は、「特攻」の始まりの軍隊だった。
本物の展示。ソロモン諸島より引き揚げられた零戦二一型後部尾、零戦二一型模型
特別攻撃=特攻。
特別攻撃とは「生還率が低く、難しい特別な攻撃」という意味だったそう。
優秀な人がその特別任務を受け、任務を成功させ生還することだったんだって。それが、それがいつからか、「特攻」は死んで攻撃することに変わってしまった。
生き残った人の証言や、死んでいった人の思い出をかき集めた資料館には、そばにいる人の人生が展示されている。普通の人の人生が。
お気楽にロケ地巡りをしに来たはずが、ここに特攻隊がいた真実の話しに引き込まれ、時間を忘れて見入った。
筑波海軍航空隊
筑波海軍航空隊は1934(昭和9)年、霞ヶ浦航空隊友部分遣隊として開隊。1938(昭和13)年に独立、筑波海軍航空隊となる。戦闘機などの操縦訓練を行う海軍の練習航空隊であったが、アジア・太平洋戦争末期には特別攻撃隊も編制され、「特攻」の訓練も行われた。
企画展は、戦中を生き抜いた特攻兵器桜花の専門部隊である「神雷部隊司令 岡村基春遺品展」
特攻部隊を率いた、航空隊では優秀な人だったが、終戦後は残務を整理(←資料廃棄)したのち、GHQの召喚のとき、部下たちを追うかのように、自殺した。
戦争が終わって生き残った罪悪感や死なせてしまった部下を思ってのこととは言え、自ら命を断ってしまうことは罪に思える。元神雷部隊の隊員であった方は「いま死んで何になるんだ。我々がやらなきゃいけないことは生きて伝えることだろう」と言ったそうだ。
とはいえ、この頃の常識は今と違う。昭和と平成と令和の常識が変化したように、戦前、戦後は大きく違う。
そんな犠牲があり、反省があり、今の平和があるんだなぁ。やっぱり、戦争は何も生まないし、何もかもを失ってしまう。日本は戦争に加担してはいけないし、止めなくてはいけない使命がある。
そんなことを改めて思わせる場所だった。
って、これで終わるわけではなく、ロケ地とロケセットを見に旧海軍航空隊司令部庁舎に行くよ!!(←終わる終わる詐欺)
《2025年休暇満喫》茨城編@特攻の発祥「筑波海軍航空隊記念館」