東方不死死 第10章 「そして幻想郷へ」


 1422年は、八雲藍が妖の狩人を討伐に向かい帰らぬ身となった年であるが、幻想郷では藍が戦死したという事実を認められず、その翌年、出立から丁度一年後にようやく八雲藍の死を認めた。
 その為、葬儀が行われたのが1423年になってからで、博麗神社の公式記録も八雲藍の没年は1423年と記録された。
 博麗神社はその後1年間喪に服す事を決め、1424年から幻想郷計画を発動する予定を組んだ。
 しかし、問題が発生していた。八雲藍の死後、八雲紫が体調を崩し能力の一切が使えなくなったのである。
 人間は、大きなショックを受けると、言語失調や記憶喪失、視力・聴覚障害など身体に異常を来す事があるが、それと同じように八雲藍を失ったショックにより八雲紫は妖力障害を起こしてしまったのである。
 精神的なダメージから来る妖力の低下・喪失は揺るがない精神力を持つ妖怪には見られない現象だが、八雲紫は覚醒によって妖怪と人間のそれぞれの特徴を持つようになり、能力の限界が無くなった替わりに精神面で妖怪にはない脆さを得てしまったのである。それが原因で人間にしか現れないタイプの症状がでたのだと考えられる。
 精神的な脆さはある程度修業によって克服できたといっても肉親との別れという経験した事のない現実に、流石の八雲紫も絶えられなかったのだろう。
 博麗神社は計画を先に延ばし紫の回復を待ったが様態は日増しに悪くなり、幻想郷計画自体が暗礁に乗り上げようとしていたのである。


 妖怪達は藍の死後、ほぼ全て幻想郷推進派になった。妖の狩人が消えて目前の脅威が消えたにもかかわらず、推進派に大きく傾いたのは、八雲藍という妖怪達にとっての精神的支柱を失ったからだろう。
 今でこそ寺社仏閣は武装していないが、当時は武装するのが当たり前で、特にこの時代は武士と共に僧兵の影響力が強かった。例え妖の狩人が死んだとしても、その後には人間達の武力集団があったのである。
 1467年に応仁の乱が勃発するが、それ以前から戦乱の火種は各地で燻っており、妖の狩人の脅威が無くなったとしても、それは無数にある脅威の一つが消えたに過ぎず、八雲藍亡き後それらに対処し続けるのは不可能となったのである。
 人間の世界における辺境にあたる幻想郷もいずれは人間達の領土拡大の波に安全ではないだろう。特に妖怪に組みする立場にいる博麗神社は人間に対する敵性勢力と見なされるだろう。同じ人間だからといって安心できるものではないのだ。そのため身の安全という点では妖怪と博麗一族の間には利害が一致しており一蓮托生の関係が築かれ、特に八雲藍亡き後はその関係は強くなった。


 幻想郷に於ける最後の希望は、幻想郷を隔離して現世から切り離す事であったが、その要となる八雲紫は1423年から1427年にかけ昏睡状態となっていた。
 その後意識は回復したものの、以後床から起きられなくなっていた。
 1430年、夏。幻想郷は八雲紫という心配の種はあるものの、八雲藍喪失という大きな傷から癒えはじめ、落ちつきを取り戻していた。当面の脅威だった妖の狩人が消えた事による安心感からか、紫の件はもう少し長い目で考えてもいいだろうという思いが幻想郷全体を覆っていた。
 それが謝りだと言うことを知ったのは極一部の者だけだった。


 その日の日中は30度を超える真夏日で、さすがの妖怪たちも一雨欲しいと思うそんな一日であった。
 その願いが通じたのか日没前から雲行きがあやしくなり風も涼しくなると、雨の気配を感じてかどこからともなくカエルが鳴き始める。
 遠くから聞こえてくる雷のゴロゴロと言う音が次第に近付き、雷鳴が暗くなり始めた幻想郷を一瞬照らし出すと、間もなく待ちわびた遅い夕立が幻想郷に降り注ぐ。
 凄まじい土砂降りの音と歓喜に満ちたカエルの大合唱で、数メートル先の会話の声すら聞こえない状態だった。


 その日、博麗神社の神主から緊急に召集受けた重役達が博麗神社の社務所に詰めていた。
 誰かが騒音とも言える夕立に苛立ち、会議にならぬと遮音の護符で雨の音を遮断する。
 縦に長い社務所は、200人分の座布団を余裕を持って並べられる程広く、里の冠婚葬祭や宴会にも使われる。その社務所の所謂上座に座る神主は外の様子と、毎度のように何をするわけでもなく会議に参加するだけの萃香の様子と、自分の娘である巫女の霊夢の様子を順番に見やり、静かに目を閉じ、今日これから起きる現実と、昨日行われた紫を省いた八雲一家との秘密裏に行われた会議を思い出していた。


 その会議の発端は萃香からのある訴えだった。
 萃香の宝物である酒の湧き出る不思議な瓢箪から酒が涸れたというのである。
 この事が初めて現象ならそれはまたそれで原因を追及していくだけであるが、実は酒が枯れたのは今回だけではないというのである。
 過去にも同じような事があり、いずれも酒が復活しているので、今回も放っておけば元に戻るとだろうと最初神主は取り合わなかったが、枯れた時期にある共通点があることが判明し、事の重大性に気付いた神主が、八雲一家に召集をかけたのである。
 その共通点は、月面戦争、妖の狩人出現とその後の妖怪大量死、そして八雲藍戦死といった、妖怪達にとって悪い印象しかない事件の時期である。
 これがもし事実なら、この酒涸れは凶事の前兆現象ではないかと想像できる。
 萃香の勘違いではという幽香の反論に対して、酒が命の萃香が酒に関して勘違いは無いだろうという魅魔の主張。凶事であるなら、その対象は恐らく紫の身に関する事ではないか?と心配する九尾御乱。神主も御乱の意見に賛同する。
「これは、紫の死の前兆ではないかと考える。」
 各自意見を交換した後、神主がそう結論づけた。容易に受け入れられない言葉であったが、今の紫を見ればその時が刻一刻と近付いていると分かる。それを受け入れた上で対策を講じなければ何も解決はできないだろう。
「その運命は変えられないのか?」
 魅魔が神主に質問する。
「もちろん変えるという前提で私はここにいるつもりだ。」
「生かすだけなら簡単でしょうけど、問題は立ち直らせるという事だな・・・。」
「御乱の言う通りだ。ただ生きてれば良いという問題ではない。このままでは幻想郷計画が頓挫したままでは、いずれ我々は行き場を失い、人間と戦い、そして敗れるだろう・・・。」
「何も出来ない紫はかえってお荷物だしね・・・。」
 神主の言葉に御乱も同意する。
「今まで何をやっても駄目だったのに・・・どうやって元に戻せというの?」
 幽香としては今まで散々手を尽くしてどうにもならなかった紫を元に戻せるのか疑問である。
「あ、そうか・・・なるほど・・・。」
 幽香の「元に戻せ」という言葉に魅魔が反応した。
「うむ。この際、元に戻すのは諦めるしかなさそうだな。」
 御乱も理解した。しかし、幽香は理解出来なかった。
「ちょっと待って、みんな何を言っているの?」
 幽香の質問に神主が答える。
「つまり、紫を誰かに支配させて、式神として扱うのだ。」
 僕となれば、精神的脆さも克服できる。
「!!・・・そ、そんなこと出来るの?」
「陰陽師の技を使えば出来る。」
「でも、支配するならそれなりの力の差が無ければ・・・。」
 魅魔がそう言って御乱を見つめる。紫を支配できる人材がいるとするなら御乱しかいない。
「御乱、そなたに頼めるか?」
「紫を支配出来るのは、実力も頭脳も彼女に勝る私しかいないでしょう。でも、今の何の力も持たない紫を支配したところで何の意味もない。」
 当時の力関係といえば、九尾御乱の方が上である。藍や紫は特殊な力があるため高い地位にあったが、単純な妖力差でいうなら圧倒的に御乱の方が上であった。
 また、知力という点では、紫と御乱がどの妖怪・人間よりも大きく抜きん出ており、幻想郷計画で八ヶ岳など当初の計画の実に30倍の土地を確保出来たのは御乱の測量技術と計算速度による所が大きいのである。


 八雲紫を支配し、使役してその能力を使うというアイデアは、この危機的な状況を打破する上で非常に有効な手段だと思われる。
 しかし、問題は今現在、八雲紫が妖力障害を起こして能力が使えないとい事である。この状態のまま支配したところで、その能力は使えないのだからまったく意味がない。
 紫を支配するにも、されるにも、兎に角まず必要な事は、紫の能力を復活させることである。
「力を復活させる事に成功できたなら、支配する必要はないじゃない?」
「今後の事も考えると・・・な。」
 紫の精神的脆さはある意味持病のようなものとして今後も問題になるだろう。
「・・・とにかく、どちらにしても紫に戻ってもらわないとね・・・これは荒療治になりそうね。」
「荒療治程度では済むまい。少なくとも人一人の命は必要だ。」
 ショッキングな御乱の意見に幽香は悪い冗談はやめろと反論しようとしたが、皆が神妙な顔をしている。
「まさか、本当に誰かを生け贄にするというの?」
「神に捧げるという意味の生け贄ではないというのはわかるだろ?」
 御乱は幽香に言ったが、その幽香はまさにそんなことをイメージしていた。
「え?」
 その「え?」は萃香から発せられたものだった。どうやら言葉通り受け止めたのは幽香だけではなかった。
「やれやれ・・・。」
 神主は苦笑する。
「神主、わざわざここに人を集めたのは、1から10まで今ここで段取りを取り決める為ではないでしょう?」
 御乱には神主が既にある程度のシナリオを用意していると考えていた。
「生け贄には娘をだそう・・・。」
 御乱以外の全員がそのセリフに驚愕した。
「霊夢を?」
「他の者にはできんだろう・・・というより、萃香の異変に気付く者がおるまい。」
「紫に目を覚まさせるには、自分自身ではなく、大切な別の存在に危機的な状況を与え、「救いたい」という感情を爆発させ妖力の誘爆を誘う。これが神主のシナリオね?」
「流石は御乱だな。」
「私も自分なりに考えていたの。自分の命と引き替えに紫を元に戻せないかってね・・・。」
 サラッとトンでもないことを言う御乱に皆一瞬何を言っているのか理解できなかった。
「私はね・・・紫が死んだら自分も死のうと思っているの・・・。」
 真顔で御乱が語り出し、皆そのショッキングなセリフに何も返す事ができなかった。
「紫という存在が無ければ、私は今もただ九尾としてどこかで生きているだけでしょう。紫を知ってしまった時から私の時間は動きだした。私には誰にも負けない知力がある。でも、私にないのはその知力を何に使うかという具体的な目的がない。紫にはそれがあり、世界を創り出すという途方もないお伽話を真剣に実現しようとしていた。私は紫と共に幻想郷計画に参加し、紫に足りない部分を補いながら、共に刺激しあって今までやってきた。」
 紫と御乱がコンビで常に幻想郷計画に携わってきたのは皆知っている。
 境界を自由に扱える紫は常に境界に接し創り出せる状態を保ち続けている。その為常に力を微量に開放していることになり、その為紫は他の妖怪より消耗が激しい。その消耗を補う為に、たくさんの睡眠が必要であり紫の1日当たりの仕事量は決して多くない。多くの仕事を温かい季節にまとめて集中的に仕事を行う様になった為、冬場に冬眠するという特性も付いてしまった。
 紫の弱点は、その活動時間の少なさで、それを補っているのが御乱だったのである。
 御乱は紫が起きている間に効率よく仕事が出来るように、綿密なスケジュールを組み、完璧なタイムラインで紫の負担を軽減させた。
 無計画な紫の無駄な時間を排除したことによって、紫にとって面倒くさく単純な幻想郷の拡大作業は驚くほど作業スピードが上がる。これが想像以上に幻想郷が広くなった原因である。
 そんな紫と御乱との間には、ただ古い馴染みというだけの絆だけではなく、同じ仕事をする仲間意識という他の者とは別の絆が構築されていたのである。


「紫がいない世界で、いったい何を楽しみに生きていけばいいのか分からない。ただ生きるためだけにわずかな知恵を使うだけなら動物のままでいいじゃない。私は高みを見てしまった。見てしまった以上、もうそれより下にいることが堪えられない・・・。」
 天才故の悩みだと魅魔は思ったが、似たような悩みは自分にもかつてはあっただけにそれは口で言う程軽いものではなく、とても深刻な悩みだと察するのである。
「出来る事なら私が紫の僕として支配されたい。いや、そうなるべきなのよ。」
 幽香は頭がおかしくなりそうだった。妖怪である自分の単純な思考では図りしれない考え方である。自分が僕になって相手に支配されたいなどとは到底考えつかない。妖の狩人討伐に向かう藍と同行したかったのは、藍を勝たせたい一心であって、自分が身代わりになって死ぬなど微塵も考えていなかった。。
「紫の力を復活させるために大きなインパクトを与えるとして、その役目を霊夢にさせるの?」
 魅魔が具体的な作戦について求めた。
「私のシナリオはこうだ・・・。」
 神主の娘である博麗霊夢は、11歳の初仕事が八雲藍の妖の狩人討伐を決めた時の本殿での会議における入口の立ち番で、その時遅れて訪れた八雲紫と風見幽香を招き入れたのが霊夢である。本当はこの時霊夢が、八雲紫を直接迎えに行くように言われていたのだが、それを幽香に遮られ、幽香が直接紫の元に迎えに行ったのである。
 神主の娘だけに、本殿には巫女になる前から出入りしており、萃香を始め、八雲一家の面々から霊夢は可愛がられていた。
 その霊夢の初仕事の時、萃香は酒を飲んでいなかった。19歳に成長した霊夢のずば抜けた能力から察すれば当時その時のことを覚えているはずである。
 11歳から14歳まで会議の世話係として様々な準備に携わり、15歳からは重役に名を連ね、会議で発言が認められた。その間、会議にはずっと萃香が顔を出していたわけで、それまでの全ての会議において萃香は常に酔っぱらっていた。そしてそれは、15歳から19歳になる間も同じだった。
 博麗霊夢でなくても記憶力が良い者なら、素面で参加する萃香をおかしく思う者もいるだろうが、それが凶事に結びつくと考え付く事が出来る者はどれほどいるだろうか?
 神主は自分の娘という贔屓目を抜きに考えても霊夢しかそこに至る者はいないと考えている。
「紫の危機を察知して紫の家に様子を見に来た霊夢の前で、紫が倒れていたらどうなるか?」
「間違いなく助けようとするわね・・・。」
「そして、助けようとする霊夢が、私によって殺されそうになれば・・・。」
 御乱のその言葉に神主は沈痛な顔をする。可愛い娘が死ぬかもしれないのだから無理もない。
「霊夢を守ろうとする。」
「そこでうまくいけば紫は力を取り戻すことができるかもしれない。」
「そんなの茶番だわ!」
 幽香がこちらの都合通りに上手くいくはずがないと憤る。
「幽香、妖怪の尺度で考えてはだめよ。」
 魅魔がたしなめる。
「人間が最も強くなる時、力を求める時は何時だ?」
 御乱が問う。
「・・・誰かを守ろうとする時・・・。」
「そう、愚かだがそうなのだ。そして紫もまたその人間の愚かさを持っている。というより、今の状態は人間としての愚かさ、まさにそれが彼女を病にさせているのだ。」
「このままでは自然快復は絶望的だ。茶番であっても、それが失敗して、霊夢も御乱も犬死になったとして、紫が元に戻らなければ結局は同じことなのだ。我々は何かをしなければならないのだ。」
 神主の演説に幽香も抵抗をやめる。確かにこのままにしておけば八雲紫は命を落とす。紫が死ねば幻想郷計画は全て水の泡となる。このままこの世界に取り残されれば、いずれ人間に攻め滅ぼされるだろう。
 あるいは彼らに降伏して下僕として命だけは永らえるか?彼らと協力し彼らのいずれかの勢力に加担し尖兵となって共に戦うか?人の居ない場所はまだまだ世界のどこかにあるだろう、それを探しこの世の終わりまで引きこもるという手もある。
 しかし、幽香は首を振る。もはや十分長生きはしたし、これから先もただ長生きするために生存を選んだところで何の意味があるのだろうか?
「神主よ、霊夢が死ぬと決まったわけではない。もしかしたら死ぬのは私かも知れない。」
「うむ・・・。」
 沈痛な面持ちで御乱に応える神主。
「どんな結果になるか私もまったくわからない。とりあえず、まずは最後の説得をしてみよう。それでもだめなら・・・。」
「頼む・・・。」
 神主にはそれしか言えなかった。
「問題は霊夢がそれに気づいてくれるかどうか・・・。」
 幽香は半信半疑である。だが、一ついえることは、その相手が紫にとって大切なものでなければならないということである。見ず知らずの人間が死にそうになっていたとして、紫がそこでその者を強く救いたいと思い、今まで使えなかった力が復活するだろうか?まず、それはありえないだろう。
 一家とはある程度距離をおき、なおかつ紫が大事に目をかけているような存在でなければならない。それに当てはまる人物はやはり霊夢しかいない。
 彼女は小さい頃から八雲一家と共に過ごし、そして紫の看病はその霊夢が行っている。特に誰と決められているわけでもないのに、自分からすすんで紫の世話を引き受けている。紫に人の心があるなら、その彼女に恩を感じているはず。そしてその彼女の死に際に何もせずそれに甘んじることは出来ないはずである。
 全ては「するはず」という願望でしかない。しかし今はそれに賭けるしかないのである。


 博麗霊夢は、急遽召集のかかった今日の会議の意味を自分なりに考えてみたが、八雲紫の様態に回復の兆しがなければ何の進展もないだろうと考えている。
 日中お見舞いに行った時の紫の様子からして、昨日の今日で様態が改善するとも思えなかった。悪い方で考えるなら急に様態が悪化したための緊急召集ではないかとも取れるが、誰よりも早く社務所に来て会議の準備をしていた霊夢の傍らで、最初からそこにいた萃香の様子からして、紫に何か緊急の事があったとも思えない。
 何かあれば、自分たちより先に八雲一家に呼び出しがかかるのが普通だろう。
 神主や八雲一家との間で何らかの話し合いが行われ、その報告の為の緊急召集というのが博麗霊夢が考えうる最も可能性の高い今日の会議の意味だろう。
 そして、彼女の予想通り、神主と八雲一家の間で昨日密かに会合が行われていたのである。だが、この会議に参加した八雲一家には当主である紫の姿は無かった。
 その会議の恐るべき内容を博麗霊夢は知らなかったが、この後それをその身を持って知ることになる。


 会議の内容は緊急に召集されたわりには、さほど緊急を要するような内容ではなく、博麗霊夢は内心溜め息をついていた。
 こんな無意味な時間を過ごすなら、紫と少しでも多く会話した方が有意義だろう。
 霊夢は会議に集中できず、ふと萃香に目が行って、そこである事実に気が付いた。
「(お酒を飲んでない・・・。)」
 いつも酔っぱらっている萃香が素面で会議を眺めている。
「(こんなこと初めてだわ・・・。)」
 初めて見る光景だと思ったが、何故かこの光景を前にも見たことがあるような気がする。つまらない会議に耳を傾けつつ、頭では萃香の事ばかり考えていた。
 ふと、萃香と目が合い、萃香もそれに気づいてニコっと微笑む。11歳の頃、初めて神社の巫女として勤めを始めた頃と何も変わっていない萃香。と、その時、素面の萃香を見たのは今回が2度目だと気付いた。
「(そうだあの時だ・・・。)」
 巫女としての初めての仕事は、本殿前に立ち招待者を招き入れる、仕事とも言えない簡単な立ち番だった。そして彼女の最初の仕事が紫と幽香を本殿に招き入れるというものだった。
 その時本殿の入口から会議の参加者を遠目に見た時、萃香は酒を飲んでいなかった。なんでそんな細かいことを覚えているかというと、あの時緊張してかしこまる自分を遠くから手を振って頑張れと応援してくれたのが萃香で、その事が今も思い出となって鮮明に残っていたからである。
 最初の素面の萃香を見た後、八雲藍の死という大きな事件が起こった。
「(まさか・・・。)」
 偶然だと信じたいが、何やら嫌な予感がする。
 土砂降りの外は大きな雨音でさぞ五月蠅いだろう。しかし、誰かが貼った遮音の護符によって外の気配が完全に遮断されていた。霊感の強い霊夢は常に何かを感じ取っているし、それが普通の事だった。その霊夢は雨音を遮断し不自然に静かになった室内に言いようのない不安を感じた。
「すみません、少し席を外します。」
 霊夢はそう言って席を立つと会議の面々の了承を得ないまま、足早に社務所から出た。
 外に出ると突然胸を締め付ける大きな不安を感じた。急いで印を結び周囲に結界を貼る。走り出す霊夢の周囲の空間が湾曲し、降りしきる雨が全て霊夢を避けて落ちる。
「(何かあるとすれば、紫様だ・・・。)」
 里の外れにある紫の家の方角から非常に大きな邪悪な妖気を感じる。
 霊夢は走りながらその勢いで宙に浮くと真っ直ぐに紫の家に飛んだ。
「(霊夢・・・はやりお前は・・・。)」
 厳しい表情のまま硬く目を閉じる神主であった。


 八雲紫は自宅で床に臥せっていた。
 何をするにも気力が湧かず、出るのは溜め息ばかり。
 夏の間は毎年八雲一家の面々と避暑地で過ごすのだが、スキマの能力が使えなくなった今はどこにも行く事が出来ない。今まで呼吸するのと同じように無意識に使えていた能力だけに、使えなくなると、どうやって今まで使えていたのかまったく思い出せない。そもそもこれは思い出すような類の事なのだろうか?
 悲しいと同時に自分の存在価値が消えてしまったような思いにさせる。
 夕立で下がった気温と涼しい風は、沈んでいる心を幾分癒してくれたが、根本的な問題の解決になるものではなかった。


 外に怪しい気配を感じた。
 誰かが家に入ってくる。忍び込むのという感じではなく玄関からそれ普通には入って廊下を歩き寝所の前で足音が止まる。
「御乱?」
 その妖気は九尾の御乱のものであり、寝所の前で動きを止めたので紫は彼女の名前を呼んだ。
 戸がスッと開く。手を使った様子はない。
 そこに紫の予想通り九尾御乱が立っていた。
「どうしたの?そんな怖い顔をして・・・。」
 御乱の様子は明らかに変だった。紫に対して冷徹な視線を向けている。
「紫、そろそろ茶番はやめにしない?」
 茶番を始めようとする御乱が紫の病気を茶番と言う。
「茶番?なんのことかしら。」
「藍は死んだのよ?これ以上待っても戻ってこないわ。」
「・・・。」
「力も使えるのでしょ?でも、藍が戻ってくると信じているから幻想郷には行きたくない。」
 紫の心を動かし、様々な感情を沸き起こそうと試みる御乱。
「本当に力が使えないのよ。」
「それは使いたくないから使えないだけ。」
「そ、そんな・・・。」
 乱暴な御乱の言動に女々しく顔を背ける紫。
 その腑抜けた紫に内心舌打ちした御乱は、紫の胸ぐらを掴むとそのまま、開け放っている縁側から土砂降りの外へ紫を放り投げた。紫が力を使えるなら外に出る前にスキマで移動し家の中へ戻れるだろう。しかし、紫は無様に地面に投げ出され泥まみれになった。
「ひどい・・・。」
 妖怪とも思えない紫の女々しさに御乱もキレる。紫を追って外に出た御乱の周辺には目に見えない壁のようなもので守られており、土砂降りの影響を全く受けることもなく、涼しい表情で紫に歩み寄る。
 近付く御乱に思わず身がすくむ紫。御乱は紫の手前に来ると膝を落とし視線を合わせる。
「紫、藍を失ったあなたの気持ちはわからないでもない。でも、博麗も妖怪も今紫だけが頼りなのよ?」
「分かっている・・・でも駄目なの・・・力がでないのよ!」
 紫がずぶぬれになりながら涙を流しながらそう訴える。
 首を振ってダメかという表情をする御乱。
「(そろそろかしら・・・霊夢。)」
 御乱は立ち上がり、顔を上げて神社から来る強い力を感じとった。
「(さぁ、始めましょうか・・・一世一代の茶番劇を・・・。)」


 博麗の里のはずれにある八雲紫邸。
 八雲藍が存命の時は、神社近くにそれなりに立派な家を与えられ住んでいた紫だったが、藍が帰らぬ存在となり、そのショックから昏睡状態になった際、人気のない静かなこの家に移させたのである。
 博麗霊夢は15歳になり一応の修行を終え博麗神社の重役に名を連ねてからは、自由に使える時間が増えたため八雲紫の面倒を一手に引き受け昏睡している間もずっと看病をしていた。
 紫の意識が戻ったのは霊夢の献身的な看病が始まってからすぐのことで、里では霊夢のその献身さが紫を回復させたと噂していた。
 その紫の身に何か重大な危機が迫っていると直感した霊夢は居ても立っても居られず、初めて会議を途中で抜け出し紫邸に文字通り飛んで来たのである。
 霊夢の感じていた悪い予感は的中したといっていいだろう。なぜなら、霊夢の視界に2つの影が見え、その片方が雨にぬれた地面に力なく臥せっており、それが八雲紫だと確認できたからである。
 もう片方は誰かは確認できなかった。というより周囲が暗いため八雲紫のシルエットだけを追うだけで精一杯だった。もし霊夢にもう少し余裕があれば、そのもう片方の独特のシルエットを見てそれが誰なのか一目瞭然だっただろう。
「紫様!」
 紫の前に下りた霊夢は、もう片方の影との間に立塞がるように立ち、その相手を確認する。
「博麗霊夢・・・ここに何しに来たの?」
「九尾様!」
 そこに立っていたのは九尾御乱であった。霊夢は藍と区別するために御乱を九尾様と呼んでいた。
 しかし、一家、つまり家族であるはずの御乱がなぜ紫にこんなことをしているのか霊夢には理解不可能だった。
「九尾様、何故このようなことを?」
 土砂降りの地面に投げ出され、泥まみれになる紫をみて、それが御乱の仕業だろうということは紫と御乱の間に漂う空気でわかる。
「あなたには関係ないわ。」
「関係なくはありません!紫様は病気なのですよ!」
「病気?これは仮病よ。紫はね。幻想郷に行きたくなくて駄々をこねているの。」
「仮病?」
 霊夢は思わず、紫を振り返る。しかし、どうみても仮病には見えないし、御乱が嘘をついていると直感できた。
「何を企んでいるんですか?」
「このまま放っておいて紫が直ると思う?」
「それは・・・。」
 紫は意識を取り戻しはしたが、それ以降回復の兆しがないことは霊夢の方がよくわかっていた。
「霊夢、あなたが過保護にし過ぎるのも悪かったわね。紫はすっかり今の生活に馴染んでしまって、もはや幻想郷なんてどうでもよくなったのよ。」
 紫を追い込むために、わざと霊夢のせいにしようと仕向ける御乱。
「そ、そんな・・・。」
「もしかして霊夢。紫を腑抜けにして幻想郷へ行くのを阻止しようと企んでいるの?」
 御乱はさらに霊夢を追い込む。相手を精神的に追い詰めるのは御乱の得意とするところである。知力の高い御乱は暴力よりも相手とのやりとりのなかで自滅させるというやりかたを好む。
「違います!私は、私は紫様のために・・・!」
「それは違うわね霊夢。あなたは病人の紫を一生懸命看護するふりをして自分を良く見せようとしているのよ。善人ぶって人気を集め、そして巫女にとどまらず父親の地位を奪い自ら神主にのし上がるつもりね。そして紫を手懐けてしまえば・・・。」
「黙れ!いくら九尾様でも口が過ぎますよ!」
 根も葉もない御乱の出任せに、すべてを否定される思いになった霊夢はキレた。御乱としては作戦通りである。
「誰にモノをいっているの?」
 御乱は語気を強め霊夢をにらむ。にらみ返す霊夢もまったく負けていない。
「御乱もうやめて!霊夢は関係ないでしょ?」
「紫、だったら力を取り戻しなさい。この不毛を生んでいるのは紫の弱さなのよ?」
 御乱のセリフにうな垂れる紫。今こうしている間もなんとか力を取り戻そうとしているのだが、力の使い方がまったく思い出せない。というよりも、無意識に使っていたので使うという感覚が理解できないのだ。
「(・・・やはり、口で言ってもだめなようね・・・。)」
 紫の様子を見て御乱は説得はあきらめ、次の作戦プランに移る。
 散々煽ったおかげで霊夢はいつでも戦う準備は出来ているようだ。これなら霊夢の油断で不覚を取ることも無くある程度本気で戦えるというものである。
「そうだ、いい事を思いついた。」
 そう言って御乱は視線を紫から霊夢に移し、邪悪な笑みを浮かべた。
「霊夢、すぐに逃げて、御乱は本気よ!」
 御乱の真意を察知した紫は霊夢に警告するが、霊夢は紫に言われるまでも無く、御乱の矛先が自分に向けられた事を理解していた。そして、紫を守るため御乱と戦う事を決意していた。
「紫にとって大切な霊夢が死んだらどうなるでしょうね?」
 御乱は紫に視線を向けニヤリと笑う。
「御乱やめて!お願い!」
「あなたが力を取り戻すのが先か、霊夢が死ぬが先か・・・。」
 御乱はそういうと霊夢に攻撃を始める。
 お互いに結界を張り体当たりで妖力と霊力がぶつかる。これでお互いの力関係がわかるが、この段階では双方互角といえた。
「(しかし人間と言うのは本当に面白いわね。誰かを守ろうとするとその力が何倍にもなる。)」
 この誰かの為にという思いが力になるというのは妖怪にはないものである。
 人間としての性質を持ってしまった紫が、人間として傷つき力を失ったというのなら、人間として誰か守る為に力を取り戻すこともできるはずである。
「人間にしておくには勿体ない力ね。」
 霊夢の霊力は凄まじく、単純な力比べの結界のぶつかり合いで、妖怪の御乱が押され始める。しかし、これが御乱の全てではないことは紫は分かっている。九尾の一尾すらまだ使ってないのだから。
「でも・・・遊びは終わりよ!」
 九尾の名の由来でもある九本の尻尾。背中に背負うように普段まとまっているその尻尾の束のうちの一本が突然伸びる。それと同時に御乱の妖力が数倍に膨れ上がる。
「!」
 霊夢は驚愕した。
 その一本の尻尾が大きくしなり、次の瞬間唸りを上げて霊夢に襲い掛かる。
 バシッ!という土砂降りの騒音を切り裂く大きな音と共に霊夢が吹き飛ばされる。地面に叩きつけられた霊夢は何度も地面を弾み、紫の目の前で止まる。
 雨を弾いていた結界が破られた霊夢は紫同様ずぶ濡れの泥まみれになるが、尻尾のダメージ自体は結界が威力を防いでいたので、派手な倒れ方をしたわりにダメージはほとんどなかった。
「霊夢!逃げなさい。御乱は本気よ!早く逃げて!」
 すぐに起き上がった霊夢は、紫のその言葉を背に受けたまま、御乱に立塞がるようにもう一度戦う構えを見せる。
「紫様・・・力って何なのでしょうか?」
「霊夢?」
「私は日増しに大きくなる自分の力が恐ろしくなりました。でも、力の強い皆さんと一緒にいると自分がとても無力で小さな存在に思えて、それがとても私を楽にしてくれました。」
 紫に背中を向けたまま御乱から目を離さない霊夢。
「霊夢・・・。」
「人を傷つける力なんていらない。でも誰かを守るためなら・・・。」
「御乱お願い!私がんばるから!絶対力を取り戻すから!だから・・・霊夢を助けてあげて!殺さないで!」
 霊夢に死の決意を感じとった紫は御乱に助命を懇願するが、その思いはむなしく御乱の尻尾が1本、2本、3本と新たに伸び、計4本の尻尾が霊夢を捕らえようとしていた。
「(バカ紫!はやく思い出しなさい!そうしないと霊夢を・・・。)」
 殺気を全開に向ける御乱の心の内はまさに悲痛な選択を迫られもがき苦しんでいた。
「御乱・・・どうして・・・どうしてなの?」
「紫、次の一撃で決めるわよ。霊夢を助けたければ私を倒しなさい!」
 霊夢の方に伸びていた御乱の4本の尻尾が一旦戻る。まるで次の攻撃のための力を溜めている動作である。
「霊夢覚悟!」
 御乱はそう叫ぶと4本の尻尾を同時に霊夢に向ける。
「多層縦列結界!」
 御乱の攻撃に霊夢は複数の結界陣を4本の尻尾それぞれにぶつけるように押し出す。立方体の結界は尻尾を打ち砕く事はできなかったが、自分に向かってくる尻尾の軌道を逸らす事に成功した。
 通常の結界は平面結界なのだが、霊夢はその平面結界を無数に重ね高密度の結界層を作り出せる。その結界層はただ単に防御に使うのではなく攻撃の為に相手にぶつけることもできるのだ。
 四方から霊夢めがけて一点に収束した尻尾の束は、結界に跳ね返され分散する。そして折り重なった結界層がバラバラになると尻尾を拘束するように再構築する。4本の尻尾は完全に固定して動かなくなった。
「見事ね霊夢!でも、私の尻尾は9本あるのよ!」
 御乱は不覚にも戦いの中で血の滾りを感じ高揚していた。久しぶりの真剣勝負。霊夢の抵抗は御乱の妖怪としての血を呼び覚ましてもいたのである。
 4本の尻尾の攻撃を防いだ霊夢は無防備だった。防ぎはしたが、次の手がない。
 御乱は新たに出した4本の尻尾で無防備の霊夢の肢体を拘束した。
 8本の尻尾を出した御乱の妖力は凄まじいものだった。里一体から雨が消えた。雨天であることにはかわりはないが、御乱を中心に半径数キロにわたって雨が避けて降っているのである。
 そして最後の1本がうねり身動きの取れない霊夢に鞭の様に叩きつけられようとしていた。
「紫様・・・すみません・・・お守りできなかった・・・。」
 霊夢はずっと紫に背を向けていたが、この時、首だけをこちらに傾け左の肩越しに紫を見る。
 その目は無念さに満ち、そして霊夢から戦う闘志が消えた。
「ダメえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!」
 霊夢の心が折れた瞬間、その死を直感した八雲紫は絶叫した。
 御乱は一瞬自分の中に何かが破裂した音を聞いたような気がした。
 霊夢は死を覚悟し目を閉じていたが、一向にその時がこないことを不思議に思い恐る恐る目を開いた。
 時間が遅くなっているのかと思った。何故なら御乱の尻尾が自分の頭に向かってゆっくりとやわらかく降りてくるからだ。しかし、その尻尾が頭に触れたとき、時間は普通に流れていると確認できた。
 御乱の尻尾はやさしく霊夢を撫でるようにすべると、急に力を失いボトッと地面に落ちた。
 そして、霊夢を拘束する4本の尻尾も力なく下がる。地面に落ちると思った瞬間、他の残りの尻尾が霊夢を受け止めるクッションになるように動く。霊夢はその尻尾の束に包まれるように柔らかく着地した。
 何が起こったのか一瞬分からなかった。後ろを向くと紫が御乱に向けて右手をかざした姿のまま硬直し、その御乱に顔を向けるとまるで何かの術にかかったように硬直していた。
「ああ、ああ、ああ・・・。」
 紫は言葉にならない言葉を発しながら、御乱の方にゆっくりと歩きだす。
「ごめんなさい御乱・・・。」
 御乱の元にたどり着いた紫は御乱を抱きしめる。止まった時間が動き出すかのように、御乱がガクッと紫に身をあずけると同時に大量の血を口から吐き出す。人間であるならこれだけの量の血を吐いたらそれだけでショック死するだろう。まるで大量に血の詰まった袋をひっくり返して一気に捨てたような、そんな勢いの信じがたい吐血量である。


「紫・・・やればできるじゃない・・・。」
 紫の左肩に顎を乗せ身を預ける御乱は、その耳元で力なく囁く。
「こんな茶番に気づかないなんて・・・。」
 茶番に気づいたということは、つまり八雲紫は元に戻ったということだろう。
 紫はスキマの能力使い、御乱の体の内部組織をズタズタに引き裂いていた。紫の力といえども身体の外側から攻撃しても御乱の防御結界をやぶることは不可能だった。御乱の動きを止めるには、この方法しかなかったのである。
「もう大丈夫ね・・・紫・・・良かった・・・。」
 紫は御乱を寝かせ膝枕をして頭を撫でる。
「死なないで御乱・・・せっかく力を取り戻したのに・・・御乱が死んだら・・・また私・・・。」
「ごめんね紫・・・。」
「何で謝るの?謝るのは私のほうじゃない!」
「何でもっとはやく気づかなかったのか・・・あなたは、人間としての弱さを克服するのではなく、人間としての優しさを力にするべきだった。ごめんなさい。強くなれ、強くなれと・・・あなたをかえって弱めてしまった・・・。」
 そのことを教えてくれたのが博麗霊夢であった。誰かを守りたいという力は信じられない程の彼女を強くした。
 紫は弱いままでいい。自分達が支えてやればいいだけじゃいか・・・。
「何かを悟るときは、いつも手遅れね・・・。」
 自嘲気味に御乱は笑う。
「紫、例え私がここで死んでも、私はそれで終わりじゃないわ。妖の狩人はもういない。魂さえ無事なら近いうちにまた会えるわ。」
「私の大好きな御乱は現世のあなたしかいないわ!」
「わがままいわないで紫・・・。」
 御乱が大きくため息をつく。その時、神主、幽香、魅魔がやってきた。
「助けて!御乱を助けて!」
 紫はすがるように神主に訴えた。
 神主は状況がわからなかったが、視線の合った娘の霊夢がそれを察したかのように静かに頷いたので、神主は紫に力が戻ったと確信した。
 幽香はその状況に口が開いたり閉じたりしていた。文字通り絶句である。
 魅魔はただ御乱らの様子を見守っていた。彼女もまた幽香同様自分に出来ることは何も無いと理解していた。
 神主は御乱の様態を診ようとしたが、その大量の血を見て絶望的な状況だとすぐに理解できた。
 御乱の視線が紫から近づいてきた神主に移ると、何か合図するようにゆっくりと瞬きした。
「紫、御乱を救う方法が一つだけある。」
 口に出して何もいわなかったが、紫の目に希望の光が点る。
「御乱を支配し、お前の式神にするのだ。」
「・・・!?」
 紫には最初何を言っているのか分からなかったが、陰陽師にそんなことが出来る技がある事を思い出す。
「式神なんかにしたら御乱は御乱ではなくなるわ・・・それに支配なんて・・・私は今のまま・・・。」
「今のままなら御乱は死ぬだけだ。転生すればまた会えるかもしれんが、今の御乱ではないかもしれん。」
「そんなのいや・・・。」
 いやいやと首を振る紫。
「御乱は紫に支配されることを望んでいたわ。」
 幽香が御乱の気持ちを代弁する。
「あなたの居ない世界で生きている意味がない・・・紫を助けるならなんでもすると・・・。」
 魅魔の言葉に御乱を抱きしめる手に力が入る紫。
「お願い紫・・・私を支配して・・・。」
「誰かを支配するなんて・・・そんなことをしたら、私は私でなくなってしまう・・・。」
「何を今更・・・あなたはこれからもずっと変わり続けなければいけない。人間とはそういう生き物。私を支配したらしたなりに上手くやっていけるわ。」
「例え主従関係になったとしても、お前達の培った歴史は無くなることはない。そして、新しい関係で未来を築けるのだ。」
 神主の言葉に紫はしばし沈黙した。しかし消えようとする御乱をその手に抱いて八雲紫は決心した。
「やり方を教えて・・・。」
 紫の言葉から弱さが消えた。
「御乱の本当の名前を奪い、僕として新たに名前をつけるのだ。」
 紫が頷くと、御乱は口を小さくパクパクと動かしはじめる。紫は御乱の口元に耳を近づけ、彼女の口にした真の名前をその身に取り込む。
 すると、紫を中心に魔法陣のような光が地面から浮き上がる。
「八雲紫の名に於いて命ずる。汝の名は我のも。汝我に永遠の忠誠を誓わん。」
「我が主に問う。我の名は?」
「汝の名は・・・八雲藍。」
 それを聞いたその場の全員が思わず顔を見合わせた。
「我の名は八雲藍。今後ともよろしくお願い致します。」
 御乱の体が一瞬眩く光り、魔法陣と共にその光が消えた時、死相の出ていたその顔に赤みが戻る。八雲紫の妖力が直接御乱に流れ込み、体内の傷が急速に回復しはじめたのである。
「八雲・・・藍。いいのか紫?」
「あなたが言ったのでしょ?新しい未来を築けと・・・過去の藍には興味はないわ。」
 紫の言葉は先ほどとは打って変わって力と威厳に満ち、そしてどことなく寂しさを滲ませていた。
「御乱・・・いえ、藍はだいじょうぶなの?」
 紫の腕の中で安らかな顔のままでいる藍を見ると幽香からは死んでいるようにもみえる。
「式は水に弱い。ずぶ濡れでは体力が戻ってもきつかろう・・・。」
 紫の攻撃でズタズタにされた藍はその時点で自分を守る結界が消えており、その後ずっと土砂降りの雨をかぶっていた。
「そういうものなのね・・・。」
 いつの間にか雨が止み星が見え始めた空を見上げた幽香。


 会議も終り人影が消え、静寂に包まれる博麗神社社務所。
 雨の上がった満天の空を見上げながら瓢箪の酒を美味しそうに飲む萃香がいた。




 博麗神社の社務所で行われる会議は、基本的に神社関係者だけの会議であるが、本殿で行われる本会議は幻想郷全体の問題について話しあう全体会議である。
 博麗神社重役と八雲一家、及び幻想郷周辺にいる妖怪氏族の長などが集まる。


 博麗神社の本殿には八雲紫、藍、霊夢以外の参加資格者は既に集まっていた。
 紫らが本殿の前に着くと、まだ幼さの残る可愛らしい巫女が出迎え本殿へと案内する。緊張するその巫女に笑顔で礼を言う紫。それを受けて嬉しそうに微笑みを返す若い巫女。
 この何気ない出会いですら人は大きく変化する。霊夢は自分がそうであったように、この若い巫女もこの出会いを修業の糧として成長していくのだろうと思うと、自分の事のように嬉しくなる。
 本殿に入ってくる紫等を一堂は軽く頭を下げて迎える。
 一堂に軽いどよめきが起こったのは、紫の姿にではなく藍の姿であった。紫の服と同じデザインで、紫色を基調とした紫の服に対して、九尾の服は藍色を基調にしたものだった。そう、かつて八雲藍と呼ばれていた八雲紫の妹の着ていた服である。

 上座にいる神主の横に席が空いており、神主の「ここへ」という仕草に従って八雲紫は席に着く。紫の斜め後ろに藍が座り、神主側には霊夢が着いた。
 会議の始めは、博麗霊夢の昇格人事の報告だった。九尾と互角に渡り合った彼女の能力や紫の復帰に関する多大な功績が認められ、神主代行兼補佐役と限定されていた降神術の制限解除が満場一致で決まった。
 次に今後の幻想郷計画についての話し合いが行われ、その冒頭、八雲紫が一堂の前で今まで迷惑をかけた事について謝罪する。深々と頭を下げるその態度に一堂かしこまる。
 そして、神主代行として就任したばかりの霊夢が議長となって会議を進めた。


 幻想郷隔離計画及び移住計画は、それぞれを分けて隔離と移住を時間をおいて行ったらどうかという意見が出るが、世界中に分散する移住者の為の集合場所を予め設けておき、時期を決めて一斉に幻想郷と集合場所を繋ぐという方向で計画しているため、隔離と移住を分けて行うことは可能であっても再構築の為に大変な時間と労力を必要とするためその意見は却下となった。
 それに伴い、隔離・移住計画発動直後は、日本全国と世界各地の妖怪が一気に押し寄せることとなるため、大変な混乱を生むと予想され、博麗一族は自衛の準備を予めしておくこと、食料や建材、その他諸々の備蓄をしておくことなどを取り決める。
 また、伊吹萃香は、戦闘に巻き込まれることを嫌い、こちら側に残る事になり、その他こちらに残りたい妖怪を率い、どこかに隠棲する事が決まった。萃香の力は凄まじく、特に酔った状態で本気で戦うと、幻想郷そのものが崩壊する可能性があり、その為、萃香の離脱は惜しまれつつも致し方なしとされた。
 風見幽香と魅魔は、幻想郷の「戦闘は是、殺し合いは非」というルールを外来妖怪にその身を持って知らしめるという任務を与えられ、2人はそれを了承した。
 博麗の里に関しては人間とそれに協力する妖怪のみで運営し、八雲一家は基本的に彼らに加担しないという取り決めも行われた。
 八雲紫と藍は幻想郷の管理で忙しく、幽香と魅魔は外来妖怪に勝手なルールを作らせない為に、初期段階に積極的に交戦するため、里に構っていられなくなると予想されるからである。
 元々荒事を生業にする博麗神社の武装集団は、この件に関して是非もなし、望むところと息巻いた。
 ちなみに、博麗霊夢は幻想郷隔離初期における人間勢力の要として大いに活躍し、歴代の博麗の巫女の中で最も優れた巫女として記録されるが、それは数年後の話である。
 肝心の計画発動は収穫と収穫祭が終わり、各種備蓄が整った本年11月吉日と決まった。


 1430年11月吉日。幻想郷は文字通り幻想となって現実世界から消えた。

東方不死死 第9章 「遅すぎた出会い」


 妖の狩人の手がかりを得ようと、最も新しい被害現場に訪れた八雲藍。
 そこは、一見すると普通の人間の村であったが、妖怪の一家が人間を排除して住み着いたところである。
 人間と妖怪との勢力バランスが変わってからは、妖怪の中には盗人のように人間から土地を奪う事も珍しくなくなっていた。
 八雲藍が訪れたこの村はそんな人間から力ずくで奪った村だった。
 藍は妖の狩人がどんな手段で魂を消し去るのかまったく予想できなかった。月面戦争で戦死した妖怪も転生しなかったが、月という別の世界のルールが適用されたのかもしれない。つまり月側では輪廻や転生という仕組みが存在しない世界なのではないかということである。
 戦場跡に魂消滅の、例えばなんらかの儀式の跡のようなヒントがあるかもしれないと思いここを最初に訪れたのであるが、この行為はあまり賢いとは言えないだろうと藍自身も思っている。過去に、復讐の為に被害現場向かい、恐らく待ち伏せを受けて、二次、三次的な被害が出ているからだ。
 藍は十分周囲を警戒しながら現場検証を始めた。
「戦いの痕跡がない・・・寝こみを襲ったなら家が破損したり汚れているはずだけど・・・。」
 村は妖怪が消えてから一月程経過しており、その位の時間が経過した程度の荒れようは見て取れるものの、何者かによって荒らされた形跡や乱闘など戦いがあった様子もない。村の住人全員が夜逃げして一夜にしてもぬけの殻になったような、そんな印象である。
「戦った形跡がないのは、戦場を別の場所に移したからね・・・。」
 藍は妖の狩人の人となりがなんとなく見えたような気がした。村を壊さないために、なんらかの方法で外におびき寄せたのだろう。間違いなく妖の狩人は人間と中立の立場ではなく味方として動いている。ならば、この村が再び妖怪に支配されないように見張っている可能性が高い。そうした被害にあった村は数箇所あるはず。恐らく巡回しているだろうから、ここで待つのが得策か・・・。
 藍は周囲に注意を払いながら思考に没頭していた。
「邪悪な存在ではなさそうね。」
「何が邪悪だって?」
 藍が妖の狩人をそう評した時、突然後ろから誰かに声を掛けられ、口から心臓が飛び出すほど驚いて振り返った。思考しつつも全身で周囲を警戒して神経を配っていた藍としては、誰かの接近を察知できないはずはなく、周囲には誰もいないと確信していただけにその反動は大きい。
 振り向きつつ後ずさって身構える藍の前に立っていたのは一人の人間と思しき少女だった。
 その少女の髪の毛は肩程で綺麗に切りそろえており額に赤い鉢金をしていた。その鉢金がやけに赤く映えて見えたのは真っ白な美しい髪をしていたからだろう。全体的に灰色の装束で大工などの作業着のように見えた。右と左では袖の形状が異なっており、左手の甲から肘辺りまで小さな鉄の板を数枚、服の生地に縫いつけている。両手は指先だけ出してそれ以外は服と同じ色の包帯をしているように見える。膝から下は黒い足袋を履いており、指先と踵だけ肌が露出している。そして最も特徴的に見えたのが、服全体に長方形の赤い模様がびっしりと描かれていた事である。
 見るからに一般人ではないとわかった。
「・・・あ、あなたは?」
 みっともなく驚いた姿をさらした藍は、恥じらいを隠すように平静を装いながら少女に実に平凡な質問した。
「妖怪に名乗る名前はないわ。」
 その少女は藍の質問にそう答え、ニヤリと不適な笑みを浮かべた。
 それを見た藍はとっさに、目の前の少女がただもではないと認識した。こちらを妖怪と知って忍び寄って来る人間がただの人間であるはずがない。
「あなた、妖の狩人ね・・・」
「そんな名前じゃないけど、妖怪からはそう呼ばれているようね。」
「・・・。」
 どんな姿をしていても驚かないと思っていたが、まさかこんな少女だとは思わなかった。しかも、解せないのは、完全に背後を取りながら不意打ちせず堂々と向こうから話しかけてくるところである。
 そのふてぶてしい態度は、自信過剰からくる軽率な態度ではなく、老練な手練れの余裕の現れに見えた。
 見た目は少女だが中身はかなりのベテランだ。藍はそう認識した。
「あなた、相当な上物ね。妖怪の秘密兵器?」
 妖の狩人藤原妹紅は、目の前の妖怪を見て、それが只者ではないとすぐに理解できた。今まで見た事もないような非常に大きな魂の強さを感じ取れたからだ。
「・・・」
 警戒し身構える藍。
「そう身構えないでよ、不意打ちとか卑怯な真似はしないから。すべての力を出し切らせてあげるわ。死ぬのはその後でいいでしょ?」
 余裕の笑みを見せる妹紅。本気なのか演技なのかいまいちつかみ所がない。別の意味で不意打ちを喰らって一方的に相手のペースになっていると見る藍としては、なんとかこちらのペースに持って行きたい。
「なぜ、妖怪を狩るの?」
 我ながらこんな当たり前な質問しかできない自分に少し苛立つ藍だったが、そのセリフに妹紅は真顔になった。腰帯に両手を突っ込み首を横に曲げて後ろをみやる。視線の先は、住人のいない村があるだけである。藍は妖の狩人が何を言わんとしているか理解できた。
「その質問は何度もされたわね。で、そんな時はこう答える事にしてるの。なぜ、人間を殺し、人間を食うのか?ってね。妖怪にとって人間は生活に必要な存在よね。衣食住を提供する奴隷。妖怪から見た人間の価値は結構大きいかのかもね。でも人間から見たら妖怪なんて、今となっては何の価値もないのよ。」
「それで、妖怪を狩って根絶やしに?」
「ええ。どの道、人間と妖怪が共に暮らすことは不可能よ。これだけ人間の勢力が大きくなれば、私が手を下さなくてもいずれ、あななたたちはこの世界から退場しなければならない。」
「私たち妖怪は、今、人間と共に融和を目指し、共に生きているわ。共存は決して不可能ではないはず。」
「不可能ではないでしょうね。人間と仲の良い妖怪や鬼がいるのはもちろん知ってる。でも、極一部の妖怪の自己満足のために、こういう村があと何個必要なの?」
「それは・・・。」
 答えに窮する藍を見てほくそえむ妹紅。妖怪の理論は常に人が下にあり、人は妖怪の為に我慢するものだという大前提がある。数が多いのだから我慢しろ!根絶やしにされたいのか?ならば言う事を聞け。そういう身勝手な考え方が基本となっている。小ざかしく説得しようする妖怪には現実を見せ付けてやればそれで黙る。いくらきれい事を語っても、人間を支配し、搾取するという基準は絶対改めようとしない。理を説けば説く程に妖怪達の理論に矛盾が生じ正当性が無いとばれるのである。
 そして、相手が冷静になれない状態に持っていき、感情をコントロールするのが妹紅の定石なのである。
 だが、今回は少し違っていた。藍はしばし唇をかみ締めながら下を向いていたが、顔を上げると素直に妖の狩人に謝罪を始めたのである。
「ごめんなさい・・・。」
「はぁ?」
 予想外の言葉に思わず拍子抜けする妹紅。
「全て私が悪いの・・・決断を先延ばしにして、いらない犠牲を増やし、妖怪達をかえって追い詰めてしまった。」
「・・・なんか、妖怪の親分みたいな言い方ね。」
「ええ、私は八雲藍、妖怪の長よ。」
 妹紅は自ら長と名乗る八雲藍という妖怪を思わず凝視してしまった。ついに親分が登場したかと思ったが、妹紅なりの妖怪の親分像とはだいぶかけはなれている。
「お前が妖怪の長?冗談でしょ?」
「あなたが驚くのも無理はないわ。でも、それは私が妖の狩人が人間の少女だと思わず驚いた事と同じこと。」
 妹紅は少女と評され思わず苦笑する。中身はババァといわれても反論できない年齢である。とは言っても、肉体が若い間は中身も老けないものである。
「私と戦えば、なぜ私が長なのかわかるでしょう。でも、戦う前にもう一度あなたに尋ねたい。共に歩む道はないの?僅かでも可能性があるなら、私はそのためにどんなことでもする。」
 気負いもなく、静かにたたずむ八雲藍。突然の謝罪、突然の身分の告知、突然の提案。こちらを撹乱するためとも、冗談とも思える内容だが、藍名乗るその妖怪の表情は真剣そのものだった。妹紅も長い人生の中で、その言葉と態度にウソを見抜く目を持っていると自負する。その妹紅にも八雲藍にウソはないと思えるのだ。
 妖怪は人間より正直で嘘をつかない。人間ならきれい事で済まされる言動だか、妖怪のきれい事は本心である。
「しかし・・・。」
 思いがけない展開に戸惑いの心情が思わず口に出る妹紅。
「少し遅すぎたんじゃない?あなたが出てくるのが・・・。」
「・・・そうかもしれない・・・でも。」
 妖怪達に相当な被害がでているだろうと妹紅も感じている。だからこそ親分格の登場なのだろうと。だが、雌雄を決して戦うならまだしも、ここにきて和解はないだろうと思う。妹紅としては妖怪が人間に降伏して考え方を改めるというのなら藍の申し出を受け入れる事に吝かではない。しかし、妖怪の生き残りからしたら納得はできないだろうと思う。
 藍を見ていると悪いヤツではないが、世間知らずのお嬢様といった印象を受ける。
「私は、妖怪に両親を殺されたとか、そういうのはないし、だから妖怪に個人的な恨みを持って狩をしているわけじゃないわ。自分の理想とする世界に妖怪が不要なだけ。もし、あなたが自分の目指したい世界があるのなら、実力でそれを勝ち取りなさい。」
 妹紅は八雲藍の提案に否という意思表示をした。妹紅はあくまで妖怪不要という立場を変える気はなかった。
「やはり・・・戦うしかないのね・・・。」
 藍は、妖の狩人に邪悪な心がないと確信していた。だからこそもう少し早く戦う事を決意していればと後悔の念が大きくなっていた。お互いに引けないところまで被害が出る前に何らかの交渉に持ち込めていたら、妖の狩人と共に歩む今があったかもしれない。
「あなたとは、もっと早く出会いたかった・・・」
 二人は同時にそう心の中で呟いていた。


 妹紅はこれ以上話す事はないと、戦いの構えを見せた。
 それに呼応し、藍は後ろに跳び、そのまま大きく何度も跳んで後退し、村から距離を取る様に動いた。
 妹紅はその藍の真意を理解してその後を追う。
 藍は樹木などの遮蔽物のない場所で立ち止まる。
 本来は、相手の力が分からない時は迂闊に突進しないのが常だが、妹紅は相手の咄嗟の対処法から本質を掴めやすいと経験上知っているため、様子見などせず無謀とも思える突進を試みた。人間でもそうだが咄嗟の時に素が出るのである。もちろん、こんな無謀が出来るのは妹紅が不死身だからという前提があるからである。
 妖の狩人の予想外の突進だったが、藍は妹紅がこなければこちらか近付いて陣に絡めようとしていたので素早く対応できた。
 妹紅は藍に急接近し、その間合いに入った時、突然目が見えなくなり耳も聞こえなくなった。それどころか体が硬直し全く身動きがとれなくなったのである。
 金縛りか何かの術か?それとも石化?自分の身に起こった異変に対して妹紅は焦る事無く驚くほど冷徹に分析した。
 感覚はある。気配も感じる。頭も働いている。藍はその最初の場所から動いていない。
 肉体は完全に石のように硬化しているわけではなく、無理やり動かそうとすれば動きそうだ。ただ、それをやると筋肉や腱、骨に多大な損傷を与えるだろう。しかし、不死身の妹紅にとって肉体が壊れることなど、それほど重要なことではなかった。
 妹紅は藍の術中にはまるふりをして、藍が動くのを待った。


 藍は妖の狩人が自分の能力に影響され、生体組織の結束が強くなって一種の金縛り状態になっている状況を見て安堵していた。
「(術が効かなかったらどうしようかと思ったけど・・・ちゃんと効いているようね。)」
 動きを止める事が出来れば逃げるのは容易である。この戦いはあくまで一戦を交えるだけで撤退することに意味を置いているのだ。
 ただ、このままの状態にしておくと死んでしまう。頃合を見て術を解き、妖の狩人に手も足も出せない事を認めさせ、こちらの実質的勝利を見せつけ追撃をさせない、もしくは追撃を鈍化させるようにしなくてはならない。
 藍は1分程そのままにして失神させようと目論んでいた。呼吸だけなら数分止められる人もおり、妖の狩人なら1分は余裕で持つだろう。しかし、この硬直は生体組織に直接的にダメージを与え、特に肺組織に深刻なダメージを与えるため、長時間そのままにすると危険である。普通の大人の人間なら1分以内で失神するはずである。
 だが、人も殺せない藍の優しさが仇となることになることを、藍はすぐに思い知らされることになる。


 数分なら余裕で息を止められる妹紅。肉体の組織も不死身故、普通の人間ならジワジワと蝕む生体組織ダメージも随時回復してしまう。そしてそれにまったく気づいていない藍。
 頃合と見て近づいてくる藍が、妹紅の間合いに入った時だった。
 妹紅は両腕を思い切り振り上げるように持ち上げる。筋肉や腱、肩の骨が砕け散る鈍い音と共に振り上げた腕の反動を利用して上半身を仰け反らせた。硬直した肉体は反れる方向とは逆に元に戻ろうとする反力が働くが、勢いは反る方向が勝った。
 そのまま反った背中は硬直している背骨を粉砕し、ちょうど腰の辺りから体が真っ二つに折れ曲がった。バランスよく支えていた両足は、後ろにかかる負荷に耐えられず後ろに倒れる。
 妹紅はその倒れる勢いを利用して右足を振り上げて予め足の裏に仕込んであった発破の呪符を、目の前の信じられない現象に唖然として固まっていた藍の顔面に叩き込んで右足もろとも爆破させた。


 手応えアリと妹紅は確信したが、骨や肉がバラバラになってあり得ない方向に間接が曲がって倒れた状態から肉体がまともに動ける状態まで修復するまで藍を視認することは出来なかった。
 即死していれば肉体は瞬時にリザレクション(蘇生)するが、肉体損傷だけの場合は、その場で再生活動が行われる。余りにも損害が大きいと元に戻るまでそれなりに時間がかかる。即死していたほうが復帰は早かったりするのが実情である。
 藍が傷を負ったのは間違いない。藍は反射的に後ろに退いて、それと同時に術が切れて妹紅の五感が回復した。どうやら、この術の効果範囲はあまり広くないようだ。
 視力が回復し、藍の傷の状況を見ようと視線を向けるが、目の前の藍は顔を痛そうにおさえるだけで見た目全くの無傷でった。
 おかしい。妹紅はそう感じた。あの爆破を喰らって無事であるはずがない。かすり傷程度なら肉体的に頑丈であると判断出来るが、全くの無傷は逆に不自然に見えた。
 まさか自分と同じ不死身なのか?それ故に妖怪の長の地位にいるということか?
 しかし、もう一つおかしいと感じるところがある。それはあからさまに痛そうな顔をしているところである。
 戦闘において痛みを表に出すというのは妖怪にはほとんど無い事である。これの意味するところは、藍は生粋の戦士ではないということ。戦闘経験が浅く初めて味わう痛みだということ。相手を騙すための演技ということ。など幾つか考えられる点がある。ただ、人間と違って妖怪の戦闘は卑怯から程遠い。つまり、演技はないだろうと思うのである。
 答えは次第に分かってくるが、この時点では妹紅にはまったく分からなかった。


 爆破の後、妹紅の視力がすぐに回復していれば、その光景に驚くはずである。藍の繋ぐ力によって細かく崩壊した顔面の各部品が、逆再生するように元のあるべき場所に戻ったのである。
 妖怪は元々肉体的に非常に頑強で、生命力・再生能力も高い。バラバラになってもすぐに元に戻れば何事もなかったかのように再生してしまう。
 ただ、痛みは消すことは出来なかった。そして藍はその顔面崩壊の痛みに耐えられる程の痛みを過去に経験したこともなく、それに耐える訓練もしていなかった。その辺が妹紅を戸惑わせた原因である。まさか戦場に来る者が戦闘経験がほとんど無いとは思わないだろう。
 藍側からすれば、生体硬化を強引に打ち破って身体をバラバラにしながら反撃することにまず驚き、その傷がすぐに治り何事もなかったかのように立ち上がる妹紅が、とても人間とは思えなかった。特に爆破した右足が再生するなど人間ではあり得ないことだった。
 しかし、耐え難い痛みに苦しむ表情は、内心の恐怖心を隠すという意外な効果を生みだして、妹紅の判断を遅らせる結果となった。


 妖の狩人は不死身なのか?だとしたら、当初の計画の通りにはいかない。藍は激しく動揺していた。
 痛みでしかめっ面の藍の心の動揺は妹紅には察知されていない。妹紅としても予想外の藍の術に対してもう少し様子をみようと、ここに来て猪突を止め大きく距離をとって構えていた。
「(絶対に負けられない・・・みんなの元に帰らなければ・・・。)」
 この時藍は妖の狩人を戸惑わせ精神的な駆け引きにおいては互角かむしろ有利に傾いていた。しかし、戦場の流れを読めていない駆け引きが未熟な藍は、一人で勝手に追い詰められ、自らの奥義で挑もうと決意していた。


 藍の表情が変わった事に妹紅は気づいた。
「(本気になったか・・・意外と早い展開だな・・・ん?)」
 相手に100%の力を出し切らせて殺す。これは妹紅の戦いの美学の様なものであり、また、妖怪に対しては敗北を意識させ、おとなしくさせる最良のやりかたでもある。
 しかし、藍の表情の変化とともに、今立っている戦場に異変が起きている事も同時に察知した。
 腹帯の中に仕込んでいる強力な磁石が突然反応しはじめたのである。
「(磁場が乱れた?いや、違う、鉄?)」
 腹帯の磁石がある部分が少し重くなっている。さりげなく服を調える振りをして、腰に手をやり手についた何かをペロっとなめる。血の味がする。つまり鉄分か。鉄の粒、砂鉄などという大きな粒子ではない。非常に細かい粉のようなものだった。
「(まずい、慎重になりすぎて、相手に陣掛けさせてしまった!)」
 あの苦痛の表情は嘘だったか?いや、実際嘘ではなかったが、その後の行動を予測させないカモフラージュの働きをした。


 自然に存在する鉱物、鉄、銅、亜鉛、スズ、その他それに類する金属など堅い物質が粒子となって藍に集まっている。
 陣を完成させまいと、妹紅はすぐさま突進し岩老刀で抜き斬りつけた。
 藍は集中しており妹紅の攻撃を積極的に回避はしなかった。左の腕が衣服ごと宙を舞う。これは術を完成させるために左手を捨てたと妹紅は見た。しかし、次の瞬間、逆再生のようにスルスルと腕と衣服までもが元に戻る信じられない光景に、妹紅は最初の一撃もこれで修復したと理解した。
 鉄分は、体内にも存在する。決して人間の体にとって異物ではない。その体内に存在する鉄分を人型として記憶し、記憶した形状通りに戻るだけ。妹紅のような不死身からくる無意識な再生活動ではなく、任意にそう命令して元に戻しているのだろう。
「(そうか、こいつの能力は繋ぐ、結ぶ、固める力だ!)」
 妹紅は藍の能力をほぼ理解し、藍の今の術がどれほどのものかを確認するために、分身呪符を5枚同時に投げつけ、5体の分身に自爆攻撃を命じた。
 藍はその5体を順番に確認し、ゆっくりと下がりながら右手を分身に差し出しすと、右腕が金属のような光沢を持つ触手のような物に変化して自在に動き、攻撃の瞬間真っ直ぐに硬化鋭利に伸び、まず1体目の分身を串刺しにして撃破。そして、更に後退しつつ左手も同様に使って順番に分身を串刺しにして破壊する。
 妹紅はそれを見て、藍が戦闘に関してそれほど熟達していない、もしくは性格的に戦闘が苦手なタイプであると断定する。人間の尺度で言えば上手い戦い方と思えるのだが、妖怪の尺度としての判断は別である。これほどの戦闘力がありながら、前に出ず、攻撃に対処するという消極的な戦法は妖怪の間では評価されないのである。前に出れない理由は、普段から戦闘をしていないため、複数の目標に対して同時に対処出来ないことを暗に示している。
 表情が変わり、いわゆる取っておきを出すという合図を自ら相手に知らせているのも普通はしないことである。
 しかし、そうしたいくつかのネガティブな要素を抜きにしても、妖怪として最強の能力を持っているのは間違いない。実際この能力はかなりやばい。
 彼女がもし、戦闘好きで、センスも備わっており、さらに戦略にもすぐれていたら、藍一人に人類は征服されているかもしれない。
 妹紅がこの時、八雲紫という存在をしっていれば、なぜ八雲藍がこれほどの力をもっていながら心が優しく殺しも出来ない性格を持って生まれたかを知るだろう。紫と藍は、その恐るべき力も持つ故、能力と性格を分けて生み出された存在なのだ。


 妹紅は、久しぶりに「やばい」という本能の危険信号が自分の中で発せられている事を意識していた。
「(この能力はやばい!生きながら鉄の塊にされてしまう・・・。)」
 本当にやばいときは、そんな冷静な判断は出来ないものである。妹紅は身の危険を感じながら打つ手も同時に考えていた。
「(やつの間合いは案外狭い、しかも、向こうからは来ない。決着をつけるならこっちから突っ込まないとダメだな・・・。)」
 それは、死地に飛び込む事を意味する。だが、虎穴にはいらずんば虎児を得ずだ。
 妹紅は藍の状況をこう分析していた。まず、硬質な物質が藍の周辺に目に見えない粒子となって渦巻いており、それを結合・拡散を自在に操り、攻撃や防御に臨機応変に使えること。これは大きな脅威である。だが、問題もある。自分を中心にした陣及び自身は、機敏に動かせない、動けないこと。もしくは陣はまったく動かせず、そこから出ると能力が使えなくなるかもしれないということ。
 能力をどこまで持続させることが出来るかは分からない。先ほどの左手を捨てたような動きは、ある程度術に集中する必要があったために、回避を優先できなかったためだろう。つまり、それは今の術以外の事を同時に行えないという事でもある。
 これは重大な案件といえる。向こうからこれない待ちの陣なら、攻めるための術を長時間掛けて練れるということである。
 このまま長期戦に持ち込んで精神的疲労を強いて粘り勝つこともありといえばありだが、妹紅としてはあくまで相手の100%を出しきらせた状態で完全勝利を目指すつもりである。相手の術に真っ向から向かってそれを粉砕する。そうでなければ意味がない。


 問題は相手に冷静な判断をさせないこと。こちらの最後の取っておきを見せないこと、意識させないこと、その存在を考えようとする余裕を与えないこと。
 その上で、もう一つ重要なのが相手の最終的な技を予測すること。鉄の塊にされると妹紅が予想したように、恐らく、間違いなく藍はこの周囲の硬質成分を使って妹紅の動きを封じ込めるはず。そしてそれが妹紅にとって一番の恐怖である。
 相手に100の力を出し切らせて勝つ為には、それをさせなければならない。その上で自分が助かり、相手を殺す。そんな戦法があるのか?ある!
「(相手が悪かったわね。)」
 妹紅は勝利を確信する。
「・・・!」
 藍が妹紅の表情に勝利を確信したような、そんな雰囲気を感じとって背筋が寒くなった。
「(来る!)」
 妹紅は右手の人差し指と中指を立てて口元に2本の指を添えると、口の中でブツブツと念仏のように何かを唱えだした。
 藍はそれを見て、動こうと思ったが動けなかった。妹紅の眼力にまるで蛇ににらまれた蛙のようになっていた。動きたくてもイメージの中で、妹紅を倒す姿を想像できない。
 妹紅はブツブツと口の中で何かを唱える毎に頬が膨らみ、口の中に何かが存在することに気づく藍。
 頬がいっぱいに膨らむと、呪符を取り出しす。その様子を凝視するしかできない藍。妹紅は完全に藍の性格と陣の性質見抜いたようで、あからさまに大きな隙を見せ、それに対応できない藍をあざ笑うように見つめている。
 左の人差し指と中指の間にはさんだ1枚の呪符をわざとらしく見せつけ、口から何やら黒い糸の様なものがニュルニュルと出て、その糸の先端を右手の親指と人差し指で摘み引っ張ると、それを左手の呪符にくっ付ける。
 一度呪符に触れた黒い糸の様なものは、妹紅の口から自然にスルスルとまるで意思を持っているように整然と呪符に張り付き紋様を形づくっていった。この黒い糸の様なものは、藍の位置からははっきりみえないが、呪文の一字一字が繋がった実体化命令文で、基本的な機能を予め記録している呪符に新たに命令を上書きさせ高度な術効の呪符に置き換える高度な妖術である。
 例えばまっすぐ敵に突進して自爆するだけの分身呪符に具体的な行動パターンをインプットし、敵に避けずらい動きをする分身に作り変えるという具合である。
 まるで見世物の様に、藍に最後までその様子を見せると、今度はその呪符を両手でパンと叩く。
 叩かれた呪符は、ボンと音を立てると、合わせた両手の手の平が30センチほど引き離れ、その手の平の間に30センチ分の大量の呪符の束が現れた。
 藍は思わずギョッっとなった。先程の自爆分身を見ているので、これがもし同じものなら凄まじい数の自爆分身が来る。


「さて、覚悟は出来たか?行くぞ!」
 妹紅は準備が整ったと藍にわざとしらせ、藍に心の準備をさせる。このわざとらしい演出も、全て最後の一手を隠すためのカモフラージュである。
 妹紅の出した大量の呪符は、妹紅の正面に横10枚×縦10枚計100枚を一面として、それが3面ほど整然と並んで宙に浮いている。
 これは300体の分身がそっちにいくぞということを敢えて見せたということである。
「くっ!」
 妖の狩人にやりたいようにやらせてしまった自分に後悔するが、だからと言って自分にそれをさせないだけの駆け引き手段がなかったのは事実。カウンター的な陣を相手が何かをする前に出した事自体が誤りであり未熟と言わざる得ない。もう少し真面目に戦闘訓練をしていればと後悔しきりである。
 しかし、これを全てしのげば最後に妖の狩人が来る。300体の分身を余裕を持って捌けば、焦って300体前に本体が来る可能性もある。いずれにしてもこの挑戦に受けて立つ以外に生き残る術はない。藍も覚悟した。


 最初の10体は1体づつ順番に、それ以後は同時に何体もの分身を数を増やしながら送り込む妹紅。
 藍は一度張った陣から大きく動く事は出来ず、妹紅の読み通り間合いも狭いようだ。
 受けて立つ藍は、襲い掛かる分身を次々に撃破していく。先程は両手を使っていたが、今は自分を中心に円陣を敷き、地面から鉄の槍を突き出し防いでいる。
 妹紅は思わず感心する。自分の意思ではなく接近する物体に自動的に反応する仕掛けにしているようだ。全方位対応の完全な防御陣といえる。センスが無いわけではない、ただ、絶望的に戦闘経験が少ないのだ、藍には。
 しかし、感心してばかりもいられない。このままだと完封される。
 だが、藍は陣を維持するために必死な様子である。その必死な形相を見て長くはもたないと判断し、妹紅は心の中だけでほくそ笑む。そして表情にはわざと焦りの色を見せていた。
 精神的にも体力的にもベストな状態なら、その妹紅の様子をフェイクと見抜けるだろうが、余裕のない時はそうはいかないものである。特に駆け引きが下手な藍には、妹紅の表情は演技には見えなかった。というより、焦っていて欲しいという願望によって自己暗示をかけてしまっている状態であった。
「(早く来て!)」
 藍は、限界に近かった。度重なる妹紅との精神的な駆け引きに体力よりも特に精神が参ってきている。
 妹紅はこのまま分身の自爆で殺すつもりはない。あくまで藍のすべての力を引き出すつもりだった。予想より早く参ってきた藍に、妹紅は藍の願望どおりに「このままでは全ての分身がやられる。自分が突っ込むしかない」という態度をとってみせた。
「(来る!)」
 全て妹紅の手の内にあることなど想像だにせず、妹紅の態度から最後時が来ることを予感する藍。
 妹紅は、ある「とっておき呪符」を1枚袖に忍ばせ、「くそ!」と舌打ちして岩老刀を抜いて藍に突っ込んだ。この特殊な呪符は、近い将来幻想郷の武闘派集団の間で有名となるが、それは後の話しである。
「はあああああぁぁぁっ!」
 妹紅の偽りの突進を本物の突進として捉えた藍は、妹紅の動きに見事なカウンターとして右の手の平を差し出す。
「しまった!」
 妹紅はわざとらしく予想外という声を出し、硬直して手から岩老刀がポロリと落ちた。いや、わざと落とした。そして内心笑いながら袖に忍ばせた呪符の角に親指を当て、少しの圧力で指に刺さり血が出るように仕込んだ。
 冷静な第三者がこれを見たら妹紅の茶番とはっきり見えただろうが、藍の追い込まれた精神状態では、自分の完全な読み勝ちであると疑わなかった。
 妹紅は、妹紅の姿そのままに鉄のメッキを張った様に鉄色に変わる。そして藍はさらに気合を込めると、メッキの表面に更にメッキを上塗りするようにどんどん盛り上がると、それはだんだんと人の姿には見えなくなり、ついには大きな岩のような大きな塊にかわっていた。
 妹紅がいくら不死身でも、これだけ厚い塊の中に閉じ込められたら身動き一つできない。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・勝った?」
 前身で息をつきながら藍は勝利を確信した。先程前身をバラバラにしてもすぐに直る不死身ともいえる妖の狩人なら、このまま放置していても死なないだろう・・・。
 凄まじい疲労感と同時に勝利の喜びが藍を包む。高揚する初めての感覚に戸惑いつつ、妖怪たちが戦いを好む理由が理解できたような気がする。
 妖の狩人だった塊に一瞥して、八雲藍は背を向けた。早く帰ってみんなにこのことを知らせたい。そして褒めてもらいたい。
 藍は数日前に里を出発した際に見送りにきてくれた面々の顔を思い出し、思わず笑みがこぼれた。


 その時だった。
 背中に強い衝撃が走り、それが胸まで貫いた。
 体が硬直し、視線を下に落とすと、自分の左の胸から鋭利なものが飛び出していた。岩老刀である。
 自分に何が起こっているのか分からなかった。恐る恐る振り向いたわけではなかった。素早く振り向いたつもりだった。しかし、体がまるで自分の物ではないように上手く動かせない。
 何度も足を小刻みに動かし倒れないようにバランスを取りながら身体を回転させ後ろを見た時、そこには居てはならない者がいた。
「!」
 口に出して妖の狩人と言おうとしたが、変わりに口から熱い液体が吹き出てきた。
 そこには妖の狩人藤原妹紅が立っていた。
「な、なぜ・・・?」
 ようやく言葉が口から出せた。
 藍の能力を打ち破ったわけではない、妹紅が閉じ込められた塊はたしかにある。
「八雲藍。あなたの負けよ。」
 妖の狩人の見た目の年齢は10歳から12歳くらいと藍からは見える。背丈も人間のその年齢の平均か小さいくらいだろうか。冷静に見ると非常に華奢でとても妖怪と渡り合える体格ではないと思えるのだが、戦闘中は小さいという印象を受けなかった。
 肩越しに妖の狩人を封じ込めた鉄の塊が見える。しかし、胸から突き抜けた岩老刀の刀身が蒼く輝くと同時にその鉄の塊はかき消す様に一瞬で消えて無くなり、突進する前傾姿勢の妖の狩人が現れたが、重心が前過ぎたので、すぐにその場に前のめりで倒れ込む。力無く倒れ込むその姿はまるで魂のない抜け殻のようであった。
「どっちが・・・本物な・・・の?」
「私が分身よ。」
 藍の目の前にいる妖の狩人が分身と名乗る。分身が分身と名乗るのは不自然であるが、本体と思われる倒れた妖の狩人の手から滑り出た、見るからに手の込んだ複雑な呪文が練り込まれた呪符を見た時、自分には計り知れない究極の技が使われたのだと理解した。
 この呪符は、意身分身の呪符といい、術者の中身を分身に写し、分身を自由に意のままに動かす分身の術の最終奥義である。
「私は・・・死ぬ・・・のね。」
 藍は空を仰ぎ見ながら誰に言う訳でもなく呟いた。妹紅は何も答えずそのまま後ろを向くと、本体に歩み寄り膝をついて手を伸ばし、その身体に触れた。
 分身と名乗る分身は、本体に触れた途端に光の粒子に霧散し溶けるように消える。そして、倒れていた本体が起きあがった。
 呪符を拾いそれを衣服の下履き太腿あたりに貼り付けると、それは布と同化して衣服の模様になる。妖の狩人の装束の長方形の模様は全て呪符なのだと藍は今更気付いた。だとすれば、あとどれだけの技が隠されているのだろうか。底知れぬ妖の狩人の実力に、敵う相手ではなかったと後悔すると同時に自らの死を素直に受け入れる気分になれた。


 妹紅は別の呪符を取り出すと、藍に近付き胸元にそれを貼る。
「さっきも言ったけど、あなたに恨みがあるわけじゃないの。言いたい事があれば言いなさい。聞いてあげる。その言葉を呪符に記憶し消える魂の代わりに供養してあげましょう。」
 妖怪に対して100%の力を出しきらせることには幾つかの重要な意味がある。一つは妹紅の戦いの美学のようなもので、それはいわゆる自己満足に過ぎない。しかし、もう一つ重要な意味は、遺恨を残さないという点である。
 妖怪、特に高位の古妖怪というのは戦う事に対して誠実で卑怯とは無縁な存在だった。全てを出しきって負けたとあれば、潔く死を選び相手を恨まない。
 恨みは怨霊となって祟りとなる。元々の妹紅らの仕事はその怨霊や祟りで化け物化した魑魅魍魎を退治することで、彼らに打ち勝つ最前の方法は恨みを残さない正しい鎮魂法を知ることにあった。
 魂を消し去ったとしても残留思念が周囲の弱い霊魂を吸収し悪霊に変化することもある。そうした悪霊は一切の供養法が通じず破滅するまで破壊の衝動を止める事はない。
 妹紅が敢えて相手の力を出しきらせるようにし向ける最大の理由は怨霊を生まない為であった。


 諦めるように項垂れる藍が、顔を上げ妹紅に視線を向けた時、妹紅はその藍の顔を見て激しく動揺した。
 その藍の表情は悲しそうに今にも泣き崩れそうだったからである。
 今までの経験では、最後の妖怪の顔は満足した表情が多く、或いは悔しそうではあるが相手ではなく自らの無力を呪っている場合が多い。
 まるで人間の様に女々しく死を悲しむ顔を見るのは初めてだった。
 妹紅は思わず「おい」と声かけてしまう。
 それに呼応するように藍は正しく妹紅と視線を合わせると、次の瞬間笑みを浮かべ涙をこぼしはじめる。
 その表情は悲しくも、しかし、恨み辛みを感じさせないものであり、そして妹紅はこのような微笑みを受けるのは生まれて初めてであった。


「あなたに、らなくてはならないことが・・・あるの。」
「な、何をだ?」
 八雲藍の突然の申し出に、動揺を隠す事も出来ず即答する妹紅。
「私はさっき、共に歩もうと提案した・・・融和できないか・・・と。でも、それは簡単に出来るものではないの・・・。自分に出来ない事をどうして他人に求めることができるの?つくづく自分は妖怪なのだと思う。」
「お、お前は人間と暮らしてるって言ってなかったか?」
「ええ、暮らしている。でも、融和というはただ一緒にいればいいわけではない。」
 藍は話す時は一気に語った。そして合間に息を整える。凄まじい体力を持っている妖怪でも心臓を剣で貫かれて平然としていることは出来ない。
「私には姉がいるの。」
「姉?」
「ええ、大好きな姉さん・・・。彼女が本当の意味で人間と融和した妖怪なの。」
「融和というのは、どういうものか私はつい先日までわからなかった。人間は、ただ私に良くしてくれていただけで、私は人間には何もしていないの。でも、衣食住も何不自由なく与えられて、それが当たり前になって、何も考えていなかった。あなたにそれを指摘された時、何も反論できなかった。」
 一気にしゃべり、息を整える藍。
「姉は、ここに来る前私に指切りをせがんだの・・・。」
 指切りをという言葉を口にした時、思い出し笑いをするように表情が緩む藍。
「指切り?妖怪なのに?」
「どうやら、あなたは妖怪の指切りの意味を知っているようね。そう、簡単に言えば契約破棄。お別れのサインなの。」
「どうして、そんなことを・・・。」
「さっきも言ったように、姉は完全に人間と融和をしていたの。だから、約束をするという時に咄嗟に人間のやりかたが出てしまったのね。姉は、長い間妖怪たちから遠ざけられ孤独だった。受け入れたのは人間だった。それでも姉は人間と常に敵対し血を流しあった。でも、いつのまにか姉と人間は互いに信頼しあい、各々の能力を高めあった。そして私達妖怪は、姉が作りあげた信頼の上にあぐらを掻いてそれが当然というような顔をしていたの。」
 藍の息がだいぶ乱れてきた。そして立っていられなくなり膝が落ちた。
 妹紅は思わず倒れないように支えようと一歩足を踏み出して思いとどまった。
「(何をしているんだ私は・・・。)」
 妹紅は完全に動揺していた。自分で倒しておきながら何故か心のどこかに後悔の念が沸き上がっている。
 藍は正座を崩すように腰を落として体のバランスを取った。藍を見上げていた妹紅は、今度は見下ろす立場になった。
「私は姉から差し出された小指を見た時、一瞬戸惑った。今思うと何であの時、快く応じる事ができなかったのか・・・あぁ、姉さん・・・ごめんなさい・・・。」
 藍の肩が震え涙の量が一気に増える。妹紅はいたたまれない気持ちになっていた。自分でこんな目にしておいて、今はそれを激しく後悔している。
 藍はそんな妹紅の心の変化を知ってか知らずか、視線を妹紅に合わせる様に見上げた。妹紅は自然に腰を落として膝をつき藍と視線の高さを合わせていた。
「・・・妖の狩人。」
「妹紅、私の名前は藤原妹紅だ。」
 妹紅は藍が自分に何かを言おうとしたので自ら名乗った。今まで一度も妖怪に名乗った事はない。しかし、名乗らずにはいられなかった。名乗るのは妖怪の魂を奪い完全に絶命させた死体に向かってである。
 全ては初めての体験だった。全てが今までと異なっていた。膝がガクガクと震える。怖い、ここから先時間が進むのが怖い。時間が止まって欲しいと本気で祈る妹紅。
 藍の魂はすでに刀に吸い込まれている。刺さっていることによって切り離された魂は擬似的に藍と結びついているにすぎず、抜いた時点で藍は絶命する。そしてこのまま心臓に刀が刺さったままであれば、体力はいずれ限界にきて絶命する。どちらにしてもすでに八雲藍の死は確定事項なのだ。


「妹紅?とても良い名前ね。」
 藍は自ら名前を打ち明けてくれた妹紅に感謝の笑みを返す。
「妹紅、あなたにお願いがあるの。もちろん只とは言わない・・・。」
「言ってみろ。」
 藍にはもはや時間がない。無駄な交渉をして貴重な時間を浪費したくなかった妹紅は藍に言いたい事を先に言わせた。
「私が死ねば妖怪達は抵抗をやめる。そして姉と人間達によって創り出した幻想郷という異世界に退くでしょう。妹紅が手を下さなくてももうじきこの世界に妖怪はいなくなる・・・。」
「幻想郷?お前はそうさせるためにわざと死ににきたのか?」
 ここに来て初めて妖怪側の真実を知る妹紅。それを先に知っていれば、そもそも妖怪狩りをすることもなかったかもしれない。
「まさか・・・大好きな姉さん達と別れるなんて・・・。」
 藍は込み上げる感情に身を震わせた。そして微妙なバランスで支えていた体がグラグラと揺れ始めた。
 妹紅は、もう藍は自力で体を支えられないと知り、両手を突きだし正面で藍の両肩を支えると、そのまま横に回って自分の右腕で抱くように藍の首を支えてやった。
 息も絶え絶えに礼を述べる藍を支えながら妹紅は心の中で必死に「死ぬな!死ぬな!」と叫んでいた。
「このリボンを・・・。」
 藍は自分の髪を束ねていたリボンをほどくと、それを妹紅に渡す。
「これは?」
「お守りよ・・・人間でありながら不死身の身体を持ったまま生きていくのは大変でしょう・・・。人は生まれながらにして業を背負い、死んでやっと開放される。でもあなたは永遠に業を背負っていかなければならない。」
「そうんなことはどうでもいい!業なんていくらでも背負ってやる!」
「業を負い過ぎればいずれあなたは悪鬼悪霊となって人に仇なすことになるでしょう。これは、あなたを永遠に人として繋ぎ止めるお守り。・・・誰も殺したくなかったから、永遠にいつまでも同じ自分のままでいられるようにとこのリボンを作ったのよ。優しい妹紅、あなたはいつまでも人間のままでいたいはず、きっと役に立つわ・・・。」
「な、なんでだよ!お前を殺そうとした私に、なんでお前は・・・。」
「ふふ、何故かしらね。姉が人に信頼をおくまでに何度も血の雨を降らせていた。きっと、そうしないと分かり合えないのだわ。あなたと戦って、初めて命を賭けて戦って、そうしたら・・・。」
「もういい、もうしゃべるな・・・。」
 妹紅は藍の言わんとしている事が分かったのでそれ以上喋って体力を減らさないように気を遣った。しかし藍は続けた。
「妖怪というのは本当にバカよね・・・命懸けの末にしか信頼関係を構築できないのだから・・・私は今まで自分の能力で相手の信頼を得ていたのだわ・・・。」
「今こうして私が藍と分かり合えたのは能力のせいじゃない。」
「あぁ、ありがとう妹紅・・・私は生まれて初めて自分の力で誰かと分かり合えた・・・融和できたのね?」
「ああそうだ。私と藍はもう敵同士じゃない。親友だ。」
 だから死ぬなと心の中で叫ぶ妹紅。言葉に出すかわりに藍の左手に自分の左手を重ね、それをぎゅっと握りし想いを伝える。
 藍に贈られた血まみれのリボンを握りしめながら妹紅は泣いていた。藍の名前の意味をもつ藍色を基調とした衣服は、血の赤に染まっており、妹紅の装束も藍の血を大量に吸って赤黒く変色してた。
「お願い、少しの間だけでいいの。姉さん達を、妖怪達を幻想郷に退くまでみんなを見逃してあげて・・・。」
「ああ、約束する。もう妖怪は狩らない。だから死ぬな。死なないでくれ!」
 取り返しの付かない事をした。殺してはいけない命を奪ってしまった。


「ありがとう・・・妹紅。」
 自らの願いを承知してくれた妹紅に感謝する藍。そして安堵の溜め息と共に藍の瞳から光が消えた。
「ああ、姉さん、迎えに来てくれたのね・・・。」
 もはや何も見えない、聞こえてもいないのだろう。脳裏に焼きついた姉の幻を見ているのだとすぐにわかった。
 幻の姉に向かって、ゆっくりと右手を上げる藍。その右手は軽く握られていたが目の高さに上がった時、すっと小指を立てた。
 幻の姉とその時出来なかった指切りをしようとしているのだと妹紅は理解し胸が締め付けられる。こういう時にどうすればいいのだろうか?岩老郷で沢山の人の生き死にを体験してきた妹紅。しかし、そうした身内の死とは別の今まで無かった別れに直面して狼狽えることしかできない。
 敵と心を通わせ、殺そうとした相手の命を救いたいというこの矛盾した感情を、正しく導く手段など誰からも教えられた事はない。妹紅はすがるような思いで神や仏に頼ろうとした。しかし、それに応える神も仏もいなかった。もしかしたら魔王に頼めば自らの魂と引き替えに藍を生き返らせる事ができるかもしれない。
 絶望の淵に神に背き、悪に身を委ねる人の気持ちが、今なら分かりそうな気がする。本当に叶えたい願いに善も悪もないのだ。


「姉さん、約束を守れなくてごめんなさい。かわりに私の友達を紹介するわ。藤原妹紅、私にとって初めての人間の友達よ。」
 藍は妹紅の腕の中でその身を預けている一方で、重力に逆らおうとしているのか、支えている腕にかかる藍の重みは思った程以上に軽かった。
 しかし、今まで軽かった藍が急に重くなった。完全に妹紅に身を委ねたのだ。もう消える・・・消えてしまう!妹紅はしたくない覚悟し、いたたまれなくなり、藍の差し出す右手の小指をぎゅっと掴んだ。心の中で、すまん、許せ!と何度も何度も唱えていた。
 その時、消えそうだった藍の命の灯火が一瞬輝いた気がした。
 視線を虚ろにどこか遠くにみていた藍の瞳が何かを探すように動いた。夢から覚めたそんな感じである。そして見えてないはずの瞳が妹紅の顔で止まる。そしてニッコリと微笑みながら口を開き最後の言葉を妹紅に贈った。
「幻想郷が、みんなが、優しく妹紅を迎えて入れてくれますように・・・。」
 藍はそう言うと大きく息を吐いた。そして、もう二度と息を吸うことは無かった。
 最後は姉を見ながら逝くべきだったと妹紅は余計な事をして藍を現実に引き戻した事を後悔した。しかし、その微笑んだままの安らかな死に顔と、最後の言葉が自分に贈られたものだということに深く深く感謝した。
 そして堪えきれない感情が爆発し妹紅は号泣した。
 妖の狩人藤原妹紅は何度も何度も大声で藍の名前を叫んでいた。


 妖怪の長にして最強の妖怪と詠われた八雲藍は、宿敵である妖の狩人と最後には心を通わせ、その親友藤原妹紅の腕の中で息を引き取った。

東方不死死 第8章 「八雲 藍」


 人間と妖怪が背中合わせで共存する場所、幻想郷。
 人間の世界からも隔離され、貧しい生活を強いられていたその村に住み着いた怪しい神職者とおぼしき集団が移住してからというもの、村は見違えるように発展し、村の者達は彼らが自らを名乗った名と同じ名をこの村に付けた。


 博麗の里。


 そして時は過ぎ、時代は室町時代。
 妖に属する者達と人間とが共存する幻想郷と呼ばれる一帯にある博麗の里。そしてその里の西側に建つ博麗神社。
 八雲紫は母屋を兼ねた社務所で一人瞑想していた。
「紫、神主が呼んでるわよ。」
 呼びかけに目を開き、その声の持ち主に笑みを返す紫。声の主は古い友人風見幽香だった。
「どうしたものかしらね。」
 幽香の言葉には応じず、姿勢を崩さぬまま、誰に言うともなしにそう呟く紫。
「賛同者だけでも先に連れて行けばいいんじゃないの?」
「そうなると、残った連中は玉砕の道を選ぶでしょうね。」
「・・・やっぱり、私が行こうか?妖の狩人だかなんだか知らないけど、そう簡単にやられる私ではないわ。」
「そう言って、何人の手練れが戻らなかった?」
 言葉を詰まらせる幽香。
「・・・やっぱり・・・藍しかいないのね・・・。」
「生きている者で藍に敵う相手はいないわ。相手が生きていれば・・・だけどね。」
「妖の狩人は死人とでもいうの?」
「魅魔という例もないことはないでしょ。普通の人間が妖怪、それも最上級の妖怪・鬼を魂ごと消し去るなんて、ちょっと考えられない・・・。」
「それはそうだけど・・・霊的な者なら陰陽師あたりが気づきそうだけど・・・。」
「博麗神社と陰陽師は深い繋がりがあるわ。彼らは妖の狩人についてまったく心当たりがないそうよ。そもそも人間には一切手を出してないから、彼ら人間側からしたら触らぬ神に祟りなしよ。」
「ヤツの正体すら未だに分からず仕舞い・・・鴉の小娘が人間の少女とか言ってたけど眉唾にも程があるわ。」
「案外当たっているかもね・・・人は見かけによらない・・・そして、その見掛けに騙される。」
「まぁ、実力でやられるなんてことはないでしょうし・・・やっぱり油断か罠か・・・その両方ってとこかしらね。」
「罠を使って貶めるタイプなら、幽香と相性は良くないわね。」
「私はそういうのは苦手なのよ。」
「ふふふ・・・。」
 会話の中身はとても重要で逼迫した内容だったが、二人の言動はまるで他人事のようだった。
 妖の狩人と呼ばれる妖怪狩りが現れてから24年。この間に200人以上の上級妖怪が魂ごとこの世から消えた。
 上級妖怪はもともとそれほど数が多いわけではなく、その代わり、固体は死んでも転生によって生まれ変わることが出来、数自体は減ることは無い。しかし、妖の狩人出現以降、上級妖怪の転生復活数がゼロという異常事態が明るみになり、これまでにもいたような妖怪狩りではなく、魂を滅する危険極まりない存在であると認知され、いつしか「妖の狩人」などと呼ぶようになったのである。


 博麗神社では近日中に幻想郷計画を発動したいという旨が八雲紫に伝えられていた。
 幻想郷と呼ばれる博麗の里近隣と、妖怪達の広い活動範囲を補う為に幾つかの土地を繋ぎ合わせ、概念の世界で再構築させるという幻想郷計画。理論としては博麗神社側が完成させていたが、里だけならともかく、広範囲に土地を切り纏める為には、紫のスキマの能力に頼らなければならない。
 幻想郷計画に先立ち、8人の大天狗のうち6人が計画に賛同し移住を申し出たため、彼らの土地を確保する必要に迫られた。そこで八ヶ岳の山麓の一部を取り込み再構築し幻想郷に組み込むことにしたのである。こうした空間を切り取り再構築出来るのは紫の力である。
 当初、大天狗に関しては藍と深く交流のあった鞍馬山僧正坊とその眷属を招く予定であったが、鞍馬が自主的に全国各地の大天狗に掛け合って説得してしまい、結局鞍馬を含め6人が賛同することになったわけである。
 幻想郷は大当初の予定よりだいぶ幻想郷の土地が拡張でき、6大天狗の一族を招いても余裕が出たため、海外の妖怪なども呼び込む事にもなった。これが、幻想郷計画と同時に行われた幻想郷移住計画である。


 幻想郷計画の構想に関係した初期の人員は、博麗神社の一族、稗田家、賀茂家、八雲一家、鞍馬山僧正坊などで、博麗神社の一族は当時総数100名以上に上り、里の住人達と混血して博麗大結界時には里の住人のほとんどが博麗の血を引いている。
 稗田家は、二代目から博麗の里で隠棲し、博麗や妖怪とは転生の為、数十年毎の時間的空白があるものの、トータル1000年以上の長い付き合いである。
 賀茂家は、安部家と並ぶ陰陽師の家系で、鎌倉から室町時代にかけて血筋が途絶えたとされているが、その生き残りである。博麗は元々平安時代以前から仏教や道教、陰陽道、天道など様々なものを吸収しており、天武天皇時代は、天皇自身も陰陽道に精通し優れた陰陽師の一人だったが、博麗神社は天武系の皇室直属の陰陽師と関係が深かった。当時の陰陽師は全て官僚の仕事で、神道にしろ仏教にしろ当時は全て国の事業に必要な役職であった。
 賀茂家自体は、博麗の保護で1300年頃に幻想郷入りしており、その当時はすでに力はなく、膨大な知識だけが残り、それは博麗によって保護・保管された。家系は里の有力な名家として今も残っているが、陰陽師などの力は既に失われている。
 八雲姉妹とそれに近い妖怪集団は八雲一家と呼ばれており、室町中期、幻想郷計画発動前の一家の筆頭的な立場にいたのは八雲藍である。八雲紫が覚醒し、その後台頭した折りは一時紫に筆頭が譲られたが、月面戦争で失脚し、それ以後はずっと八雲藍が頭首を務めている。そして、紫は月面戦争以後は特定の古い友人以外とは付き合わなくなった。
 鞍馬は、源義経に武芸を伝授したとされる大天狗で、古くから八雲藍と交流があった。当主としての自覚や資質に自身としても問題を感じていた藍の相談役を務めていた。藍は姉である紫に対する依存心が非常に強く、何事も自分一人では決められない性格なため、月面戦争以降一戦から退いた紫が、頭領としての資質を磨いてもらおうと鞍馬に頼んだのである。
 大天狗は天狗道という六道から外れた者を言い、それは優れた知識と仏教への理解により、地獄に堕ちない変わりに私利のために知識と仏教を自らの物としたため、天道に昇れず行き場を無くして天狗道へ墜ちたとされている。天道に昇るためには、その知識を誰かに伝える必要があり、唯一干渉出来る人間道においてその知識を伝えなければならないのである。鞍馬からすれば、誰かを指南することは即ち天道へ昇る為の修業の一環でもあるわけである。
 厳密に言うと、鞍馬は幻想郷計画側の者ではないが、藍の教育係りをする関係上その計画を知る事になり、早くから協力・賛同の意を表していた。


 当時幻想郷計画は着々と進められていた一方で、早急な移民が必要なほど事態は切迫しているわけではなかった。古の妖怪と呼ばれる上級妖怪は、魂レベルでは神様と呼ばれる存在とたいして変わらないので、例え肉体が滅んだとしても輪廻に墜ちる事もなく短い周期で元通りに転生することが出来る。その為、弱者ならともかく強者達は人間に討たれて、人の世界に住めなくなれば天界でのんびり隠居生活でもするかといった余裕を持っていた。
 妖怪・鬼・人間と外見や能力に大きな違いはあるが、そのいずれも魂レベルでは上位に位置するものは、等しく魂の上にあたる御霊を持っている。この御霊を持つ個体は死ぬと天界の住人となることも可能であり、大抵の場合最初は天界の住人となる。しかし、快楽だけの世界である天界の暮らしに飽きた者は、再び下界へと降りるわけだが、これを天下りという。
 天下り先で最も人気なのが妖怪で、生前は聖人などとと呼ばれた者達は妖怪となって別の人生を楽しもうとする。古い妖怪に賢者が多いのは、その本質が非常に高徳だからである。
 天下りはどこにでもできるわけではなく、仮に普通の人間に天下れば、死ぬと同時に下の輪廻に墜ちるので、御霊になるまで長い輪廻の旅をするはめになる。その為、通常天下りの先は、それ以上下に墜ちない御霊を持つ者が一般的である。
 妖怪や鬼以外でも、人間の一族の中には天下り先になりえる高い位置に存在する一族がいる。人間の中で最も有名な天下り先は天皇、皇室で、それ以外では天皇家より格下になるが陰陽師の安部家や博麗の一族も天下り先に含まれているのである。ただ、この辺りは天下り先の優先順位は低い。
 そうした関係上、博麗の一族は他の一族よりも力を持つ人材が数多く輩出される可能性が高いのである。安部家の様に歴史の表舞台に出る一族もあれば、博麗の様に歴史の蔭に隠れている一族もいるというわけである。


 仏教や陰陽師が最も活躍した平安から鎌倉時代には、多くの妖怪・鬼・魑魅魍魎が彼らによって狩り獲られてきた。それらは基本的に怨念が元で化け物化した存在であり、古くから存在する妖怪・鬼とは違う存在である。また、仮に古くからいるそうした存在であっても、必要以上に争いを好んだり平和を乱す存在は仲間からも嫌われ排除されることになる。
 博麗に組みする妖怪以外にも沢山の氏族が各地に分散しているが、お互いに交流はあり基本的に仲が良く、情報は常に共有している。彼らが危機と感じている点は、人間の勢力拡大によって住処が無くなるという点である。武闘派は当然人間を排除して住む場所を確保すれば良いと単純に考えるが、少し賢い者はそれをやれば必ず仕返しが来ると警告する。ならばどうする?となった時に明確な答えは返ってこない。こうした問答は何百年も続いており、妖怪達の一つの風物詩になっている。宴会などあればどこかで必ずこの問答が始まり、ちょっとしたケンカになるのだ。
 それを解決する方法の一つが幻想郷計画と幻想郷移住計画である。幻想郷計画は現在の幻想郷と呼ばれる地域を概念に置き換えて現実と切り離し、特殊な結界を設けて互いの行き来を妨げ隔離する計画のことで、移住計画はその幻想郷計画を広く世界に発信し移住者を募り迎え入れる計画の事である。一応この二つは別物で、特に後者は紫の作った世界が予想以上に広かったため、初期賛同者だけでは管理しきれなくなったために、急遽追加計画したものである。
 海外の妖怪ほど早くからこれに参加の意を表していたが、国内の妖怪は参加を渋っていた。
 一つの原因は八雲紫の存在である。月に無謀な戦を仕掛け多くの同胞を失った事件の責任者がこの計画の中心的存在というだけで、眉をひそめるものも多い。もう一つの原因は八雲藍の存在である。彼女の能力は繋ぐ能力であるが、使い方を変えれば生命活動に必要な器官機能のスキマを無くし停止させる事にも使える為、生きている者は彼女に逆らう事が出来ないというわけである。この究極の力を使えば人間の勢力をひっくり返す事も可能というわけで、何もどこぞへ逃げる必要もなく人間の有力者を殺して人間を支配すれば良いと考えるのは効率的且つ安全というわけである。
 しかし、八雲藍の性格は繋ぐ能力に相応しく温和で、争い事を好まず、寧ろ調停役として各氏族間の抗争の仲裁をしていたくらいである。そうした活動によって数多くの妖怪に慕われ、妖怪の中でもカリスマ的存在になっていたのである。
 現状維持が基本的な彼女の考え方で、具体的な妖怪の方針を決められず、鞍馬の助けを借りて一応の妖怪の頭を務めている状態であった。
 こうして、武闘派の妖怪達は決起を促し続け、穏健派はそれを阻止するという事を、百年以上続けているのである。


 事態が急変したのは1398年からだと博麗神社の記録に残っている。
 有力な妖怪が次々と殺され、しかも魂ごと消し去られる事件が多発し、最初の被害が出てから10年間で100名近い妖怪が消えたのである。
 誰にも目撃されず、恐らくそれを見た者はすべて殺されたのだろう。復讐心に燃えた武闘派妖怪が次々と討伐に向かいことごとく討ち死にし、いつしかそれは「妖の狩人」と呼ばれ、妖怪達を恐怖のどん底に陥れた。
 この事によって、幻想郷反対派と推進派のバランスが大きく推進派に傾いたのである。


「そういえば、紫、神主が呼んでるってちゃんと覚えてる?」
 つい話し込んでしまったが、紫を連れてくるという当初の目的を思い出す幽香。
「ええ、もちろん・・・。」
 紫が動きたくない理由は幽香にもわかる。藍が遂に「妖の狩人」討伐を決意したことを知らせるものだと紫は察知していたのだろう。紫としても普段神社に近寄らない幽香が神主の使いで紫の元に来る事自体が普通のことではないと予感させた。
 驚く程危機感のない一連の会話の裏には、双方に既に諦めの境地の様なそんな気持ちがあったからだろう。
 繋ぐ力で妖怪達の融和を促進させ、強い団結を生んだ藍にとって自らの力を殺す力として行使することは、ある種の禁忌であった。何より藍の心は妖怪としては優しすぎた。そんな恐ろしい力を持ちながらそれを一切行使しなかったのは彼女の性格がそうさせていただけで、使ったからといって彼女には何の罪もないし、咎められる理由もない。しかし、その力を行使しなかった事が彼女の今の地位を作っていたのは間違いない。
 何も考えない連中は、目の前の脅威である妖の狩人しか見ていない。狩人を討伐するなら何をしても構わないとさえいう。しかし、藍がその力を行使し、妖の狩人を討伐し終えた時、次の恐怖は八雲藍となるだろう。
 生きとし生けるもの全てが抗えない力、そんな力を行使して優しい藍が優しいままでいられるだろうか?
 力に目覚め、力で妖怪や人間を支配した時、世界は暗黒の時代になってしまう。
 だが、紫は思う。そうなったらそうなったで自分は藍と共に暗黒の時代を生きていく。藍だけに業を背負わせるわけにはいかない、と・・・。


 八雲紫は風見幽香に先導させるように緩慢な足取りで本殿の方へと歩いていた。
「幽香も本殿へ?」
「ええ。」
「珍しい事もあるものね。」
「今日だけよ。」
 実は、藍と鞍馬、博麗神社幹部連中の会合に無理やり参加していた幽香。幽香はこの当時藍を自分の妹の様に可愛がっており、なにやら重要な話し合いがあるというので、普段近寄らない神社に足を運んでいたのである。
 普段の幽香は神社にはほとんど近寄らず、もっぱら里の周囲のどこかにいる。幽香に限った事ではないが基本的に妖怪は神社が嫌いである。例外的に萃香だけが好んで神社に住み着いている。
 2人の足取りは重かったが、社務所と本堂は目と鼻の先である。出迎えのために外に出ていた巫女の一人に案内され本殿へ入る。
「あら、身内ばかりね・・・。」
 本殿にいたのは、藍と鞍馬と萃香、神主と巫女など博麗神社数名である。なんらかの重要な取り決めがあるなら、藍側の側近気取りの取り巻き妖怪が数名きていてもおかしくはないところであるが、それらの顔ぶれはなかったので紫は不思議に思ったのである。
「この話は他の連中にはできんからな。」
 紫の疑問に答えたのは鞍馬である。天狗といっても別に鼻が高いわけではない。長生きしているからといって老人の姿をしているわけでもない。天狗道に墜ちた時点で歳は止まっており、仏教の理解度に年齢は関係ない。特に鞍馬は比較的若い年齢で解脱を果たし天狗道に墜ちており、見た目は人間で言えば30歳前に見える。妖怪の尺度ではどうかわからないが、人間の尺度でいうなら非常に美男子で世が世なら女性は放っておかないだろう。
 妖怪も見た目の年齢と実年齢に比例性はない。妖怪が老けるのは、能力の限界を知った時で、100年も生きていない妖怪でも自身の限界が見えると見た目の年齢はどんどん老け込んでくる。幽香や紫などは、まったく老ける様子がないのは、自身の能力の限界をまだ見ていないからだろう。


 まだ10歳くらいの幼い巫女に席を案内された紫と幽香。自分の役目を終えたその若い巫女は一礼してそのまま本殿から出ていった。
 それを合図にするように藍が口を開いた。
「姉さん、妖の狩人と一戦交えようと思うの。」
 そのセリフはすでに予想していたが、いざ、口に出して言われると返答に困る。
「一戦交え、撤退する。これが私の提案だ。」
 藍の後に鞍馬が付け足した。
「撤退、つまり負けるってことね?でも・・・。」
「うむ、こちらの術が効いて、倒せる目処が立っても撤退する。」
 紫の疑問に鞍馬が答え、その真意を理解した紫。
「なるほど、連中をここに呼ばなかった理由はソレね。」
 連中とは藍の取り巻きのことで、特に徹底抗戦派がここにれば、鞍馬の提案に異論を唱えただろう。それでは埒があかない。
「幻想郷計画において、今いる妖怪を全て連れて行くには、妖の狩人が勝利し、我らが敗北撤退するという形が良いだろう。戦わずして去れば、その遺恨はいつまでも幻想郷に残り妖怪同士の争いの火種にもなりかねん。後は紫や幽香にこの敗北を受け入れて貰えるかどうかだが・・・。」
「私に異存はないわ。」
「・・・私も。」
 紫は即答し、鞍馬の案に全面的に応じる様子だった。紫としても鞍馬以上の策は見いだせないし、誰も傷つかない上策だと思っている。
 しかし、幽香は藍の事が心配でならない様子で、その気持ちが返答の声色に現れていた。
「幽香、言いたい事があればはっきり言え。」
 鞍馬の言葉に反応するかのように前言を撤回し食い下がる幽香。
「やはり、私も行くわ。藍に相手の力量を見せる上でも私が先に・・・。」
「捨て駒になるつもりか?」
「捨て駒になるつもりなんてサラサラないわ。藍と2人、しっかり連携を取れれば!」
「幽香、お前の戦い方は王道過ぎる。策を軽んじ力に傾注する。妖怪同士の力比べならそれでかまわんだろう。しかし、妖の狩人が腕力に頼る者だとは到底思えない。恐らく、いや間違いなく策士だ。策に対抗する力がお前にあるとは思えん。藍との共闘では足手まといになる可能性もある。それに・・・そもそも妖怪が共闘などできるわけなかろう。」
 鞍馬はきっぱりと幽香に言い放つ。妖怪は単身の戦闘を好み、むしろ共闘を下策とさえ思っている。弱い人間は共闘を好み、長い年月を掛けて連携することを修行して身に着けているが、妖怪の一夜漬けの共闘など互いに足を引っ張るだけである。
 ぐうの音も出ない幽香は、恐ろしい目つきで鞍馬を睨み面目を保とうとするが鞍馬にそうした脅しは通用しない。幽香と鞍馬の力関係は、全てに於いて鞍馬が圧倒的強い。逆に睨み返され舌打ちして目をそらす幽香である。
「すぐに激情するその性格では策士には対抗できんぞ。」
 何も言い返せない幽香は、拳を床板に押し当てて怒りを沈めようと必死に平静を取り戻そうとしていた。幽香自身もこれは直さなければならないと思うのだが、これが中々直らない。
 そんな幽香に藍が声をかけた。
「幽香、私なら大丈夫。あなたも知ってるでしょ?あの力を使えば誰も身動きが取れなくなる。最初に油断さえしなければ、いくらでも逃げるチャンスはあるわ。戦う事は嫌いだけど、戦えない訳じゃない。こう見えてもやるときはちゃんとやるのよ。」
 藍は幽香に笑顔で応えた。しかし、それはかえって幽香を惨めにした。
「花なんて・・・こんな力より、もっともっと役に立つ力が欲しかった!」
 自らの司る力は、戦闘においてほとんど役に立たない。それが悔しく、もどかしく、そして惨めに思えた。
 幽香は抑えきれない感情を全面に出し、両手の拳を振り上げ上半身もろとも投げ打つようにして床板を叩いた。普通の床板なら完全に壊れていただろうが、博麗神社そのものが強度補強・強化保護、退魔処理、防音処理などがされているため大きな音はしたがびくともせず、音も外には漏れなかった。
 幽香は床に伏せて泣き崩れていた。それを見た藍は幽香のそばに歩み寄り、そっと頭を撫でた。
「私はね、幽香の力が世界で一番だと思っているの。だって、花を咲かせるのよ?平和な時代にはその価値は隠れてしまいそうだけど、世が乱れ、人々の顔から笑顔が消え、大地が焼け野原になって、世界が絶望に包まれても、あなたがいればそれを全部取り戻せるのよ?焼けた大地は芽吹き再び緑を取り戻し、美しい花は絶望で傷ついた心を癒し再び前に進む力を与える。あなたの力は傷ついた世界と心を癒す力なの。神様ですら及ばない力を持つ最強の妖怪、それが風見幽香。」
 幽香は自分の力をこの様に評価されたことは一度もなかった。はっとなって顔を上げると目の前に藍の笑顔があった。今まで心を蝕んでいた黒い劣等感が漂白されていき、温かい気持ちで満たされていくのを感じる。
 幽香は抵抗を止めた。藍の無事をただ祈るしかない。神も仏も何も信じていないが、今回ばかりは誰かに祈りたかった。
「藍、絶対に戻ってくるのよ?約束よ!」
 幽香の顔面は涙と爆発した感情でぐちゃぐちゃになっていた。
「約束する。必ずみんなの所に戻ってくるわ。」
 笑顔で応える藍だった。


 八雲藍が妖の狩人の討伐に向かう事が決まり里に公表された。
 武闘派は諸手を挙げて喜び、幻想郷推進派もやむを得ずと了承した。
 だが、一戦してすぐに撤退し、妖の狩人の勝利、幻想郷撤退という鞍馬のシナリオが裏で画策されている事は一部の者達しかしらない。
 戦勝を祝う為、神社と妖怪達の武闘派と推進派と、それぞれ主催の違う酒宴を開き、出立は討伐が決まった日から数日後となった。


「それじゃー姉さん、行ってきます。」
 出立の具体的な日時は決めておらず、このまま出なければずっと持ち回りで酒宴が行われそうであったが、神主が助言してくれた吉日の早朝に藍は姉の紫にだけ挨拶をしに彼女の寝所に来ていた。
 挨拶を終えた藍が、紫の家の玄関を開けると、そこには見知った顔が並んでいた。
「こっそり出るなんて水くさいわね。」
 風見優香、魅魔、伊吹萃香カ、九尾御乱、いわゆる八雲一家紫組である。
「みんな・・・。」
 玄関前、藍の正面に4人が並び、藍の後ろには紫が立っていた。
 藍は玄関先に出て、その後を紫が追うように出てくる。紫が閉めた玄関先で藍は5人に囲まれ、それぞれ一言二言言葉を交わした。それはもちろん、別れの言葉ではなく再会の約束である。
 最後に紫が藍を呼び止め、小指を差し出し、必ず戻ってくるようにと指切りをせがんだ。
 この時、紫以外の全員がその場に凍りついた。そして、紫はその様子を見て自分のしでかした事の重大性に気づいた。
 指切りは人間同士の約束を守るための契約の儀式である。そして、同じ動作でありながら妖怪同士の指切りは円満な契約破棄を意味する。
 紫は妖怪同士の共同体から爪弾きにされていた時間が長く、人間と共に生活する事の方が多かったため、自然に人間の文化、習慣などが深く身体に刻まれていたのである。
「ご、ごめんなさい。私ったらつい・・・。」
 この場合、紫の行動は大変無礼なものであったが、そうした紫の事情は皆知っていたので笑って済ませたが、藍は少し複雑だった。
 もちろん、その紫の行動が許せないとかそういうものではない。ただ、自然にそれが出る紫に対して、羨ましいという、むしろ嫉妬に近い感情があった。
 藍は繋げる力。人間とも仲良く融和していたつもりだった。しかし、紫の指きりを見たとき、他の紫以外の者と同じように嫌悪感が先に出てしまった。結局自分は「妖怪」なのだということを改めて気づかされたと同時に、八雲紫が妖怪でも人間でもない、「八雲紫」という個別の存在になっていることを今更ながら知ったのである。人間との本当の意味での信頼と結束と融和を成しえたのは自分ではなく姉の紫なのだ。それを知った時、藍は心底姉が羨ましかった。
「もう!本当にあんたは人間かぶれなんだから!」
 舌を出してテヘヘと小指を引っ込めて頭を掻く紫を攻める幽香。それを見て皆笑っていた。
 こんな素晴らしい仲間達とずっといっしょにいたい。藍は必ず戻ると改めて強く決意した。


 朝霧に消える八雲藍の後ろ姿が、最後の藍の姿になるなど、この時誰も思いもしなかった。
 1422年は、妖怪にとって忘れる事の出来ない最悪の年である。

東方不死死 第七章 「古の妖怪」


 風見幽香との一戦とその後の顛末を上白沢慧音に伝えた藤原妹紅は、早々に今日の授業を切り上げた慧音と夕刻まで話し込み、孤児院を兼ねた寺子屋で面倒を見ている子供たちが仕度した夕飯を共に済ませた後、帰宅の途についた。
 雨もすっかり止んで、来るときはぬかるんでいた道もだいぶ水がはけ歩きやすくなっていた。
 幽香と分かれたのは正午を過ぎた頃だったろうか?そうなると、あれから五時間以上経過している。向こうで何かあるには十分な時間だろう。紫の来訪があったにしろ、なかったにしろ、今夜は幽香と話さなければならないだろう。長い夜になりそうである。
 季節は初夏。陽は落ちたが、まだまだ空は明るい。


 藤原邸の敷地に入る小さな門をくぐり、正面の封鎖された玄関を左折して南側の縁側に直接向かう。
 幽香は妹紅と別れた時と同じ場所に同じ姿勢で瞑想するように目を閉じ静かに座っていた。
「ただいま。」
「おかえり。」
 まるでずっとここで一緒に過ごしていたような家族間で行われるような、ありふれた普通の挨拶だった。
 妹紅から見て縁側の左端にいた幽香から一番遠い右側から上がる妹紅を幽香は目だけでそれを追う。そして、その時妹紅のとった行動に驚いて思わず首を押さえた。
 妹紅は家に上がると、まっすぐ博麗の護符の貼られた2つの8帖部屋を仕切る中央の梁の方へ向かい、それに手を伸ばした。
「ちょっと、待って!何もしてないでしょ!」
 数時間前にひどいめにあったあの護符を忘れていない幽香は、またしてもそれをやろうとする妹紅に抗議する。そんな幽香を澄ました顔で一瞥だけ入れた妹紅は、その抗議を無視して無造作に護符を取った。
「くっ・・・。」
 衝撃に備え首を押さえた幽香であったが何も起こらない。
 恐る恐るゆっくりと目を開け妹紅を見ると、あの時取って見せた護符とは明らかに大きさが違う紙切れのようなものを持ってあざ笑うように、その紙切れをヒラヒラと振って見せた。
「どうやら、ほんとに家捜しはしてなかったようね・・・。」
「当たり前でしょ・・・それより、それは?」
 それ、とは妹紅の持っている紙切れの事である。
「さぁ、なんでしょう?」
 幽香の質問をはぐらかすようにおどけて見せ、そのまま幽香から一番遠い座敷の端に座り込むと、手に持っている紙切れの端っこを少しちぎり取った。
 幽香は何をしているのかさっぱりわからず、固唾を飲んで妹紅の行動を見守った。
 ちぎり取った紙片は、右手の親指と人差し指で縒るように擦り合わせ小さな固まりに変えた。
 妹紅はそれを親指と人差し指でつまんだまま、右耳へ転がすとそのまま人差し指で蓋をするように添える。
 妹紅は左の膝を曲げ、そこにあごを乗せ、目を閉じて耳に集中していた。
 幽香は、最初何をしているのかさっぱりわからなかったが、だんだんとその意味が理解できた。
「まさか・・・私と紫の会話を・・・?」
 妹紅はその幽香の問いに右目だけを開けて応えると、先程ちぎりとった紙片の元になっている紙切れを左手の人差し指と中指に挟んで、手首の回転だけで幽香に向かって投げた。どう見ても紙にしかみえないその紙は、空気の抵抗を受けた様子もなく、真っ直ぐ幽香の目の前に飛んで来る。
 幽香は反射的にそれを手で受け止めようとしたが、妹紅が投げた左手の二本の指が折れるのと同時に、その紙は空気抵抗を受けヒラヒラと舞って幽香の正座している膝元に落ちた。呪符などを正しく正確に投げる技は、妖術使いの基本である。
 幽香はその紙が何を意味するのかすぐに理解できた。
 理解はできるものの半信半疑で幽香は妹紅がしたように、紙をちぎり小さな紙片にすると、それを縒って小さな固まりにし耳に入れる。何か聞こえると思ったが何も聞こえない。幽香は妹紅を見た。それに応じるように妹紅が口を開いた。
「ちゃんと、塞がないとだめよ。」
 幽香は紙を耳にいれたものの、耳の穴付近に指を添えていただけで、ちゃんと塞いではいなかった。幽香は言われたとおり右の人差し指で耳を完全に塞いだ。
「聞こえずらかったら、反対の耳も塞ぐといいわ。」
 妹紅にそういわれた幽香であったが、右耳を塞いだだけで十分な音量を得られた。
 信じられない事だが、数時間前に交わした幽香と紫の会話が鮮明に聞こえてきた。妹紅の実力を認め、何をされても驚かないと思っていた幽香であったが、これにはさすがに驚いた。
 盗聴札の存在は知っている。しかし、これらは博麗神社の神主クラスしか出来ない術である。
 盗聴に関しては特にめずらしくないことなのだが、問題はそれを気づかれずに仕込むことが出来るかどうかである。
 実は幽香にも花を使った盗聴は出来るのだが、草原など屋外はともかく、屋内でそのための花を仕込むのは容易ではない。妹紅の優れている点は、その術を使えるという事よりも、その仕込みの段階で、それを気づかせないところだろう。
 あの時、わざと博麗のお札を外して幽香を虐めたのは、この呪符を仕込む為のカモフラージュだったのだ。危険なものとして過剰に意識を集中させることで、本命の僅かな呪符の気配を隠していたのだ。
 またしてもしてやられた幽香。


「あなた、何者なの?」
「あんたらの予想通りさ。」
「・・・妖の狩人・・・。」
 幽香がその言葉を口にした時、藤原邸の空気がピンと張り詰めたものに変わった。これは幽香によって発せられたというより、妹紅から発せられたものだった。
 妹紅の目は、先の戦いの時のように挑発的な狩人の目になっていた。しかし幽香はそれに惑わされる事なく、自分でも驚く程頭の中は冷静で肉体的にも平静を保っていた。戦っても勝ち目がないのはわかっているし、そもそも戦える状態でもない。しかし、それは弱い立場による諦めの境地からくる冷静さでもなかった。
 幽香はただ知りたかった。妖の狩人が生きているということは、藍が死んだ後、妖怪狩りを何らかの理由で辞めたことになる。何故追撃を辞め妖怪狩りをしなくなったのか、その理由と経緯。そしてそこには、妹紅と藍の二人の間に何かがあったはずである。幽香はそれをただ知りたかっただけである。


 妹紅は何故幽香が怒らないのかわからなかった。
 罵られ、罵倒され、軽蔑してもらってもかまわない。いや、むしろそうしてもらったほうがいい。自らの犯した罪に見合う罰など、死をもって以外あるだろうか?しかし、死ねない。死にたくても死ねない。死ねないなら、せめてその罪を責めて欲しい。


 2人はそれぞれの思いを心の中で叫びながら、口では一言も語らずただ睨み合っていた。
 陽も落ち、夕暮れから闇夜へと移り、明かりのない藤原邸は闇に包まれていたが、見えない火花が2人に闇を感じさせることはなかった。
 そんな張り詰めた空気の中、最初に口を開いたのは風見幽香だった。
「私たちの仲間の多くが、妖の狩人によって倒されたわ。それ以前からも仏教の勢力が拡大し武装した僧兵らによって、多くの妖怪が狩られていたけど、私達に近い上位の妖怪はそれまでほぼ無傷だった。」
「・・・」
 幽香は急に語りだしたので、何事かと思った妹紅だったが、すぐにその意図は理解できた。知りたいことがあったら、まず、こちらから先に話すということだろう。妹紅が何を知りたいかは教えていないが、何から教えればいいかを自分なりに考えてのことだろう。
「あなたの登場ですべてのバランスは崩れたわ。でもそれは必ずしも悪い事ばかりではなかった。人間と対決姿勢を崩さない妖怪の武闘派勢力は、八雲藍を擁立して人間に対抗しようとしていた。最初にあなたが狩ったのはそうした武闘派勢力で、私はどちらかというと八雲紫を要する博麗派だった。博麗派というのは、人間・妖怪融和派ってことね。幻想郷計画派と言ったほうがよかったかしら・・・幻想郷計画を遂行する側からみたらあなたの存在はまさに救世主のようなものよね。」
「・・・」
 風見幽香が妹紅の知らない当時の妖怪側の情勢の詳細を説明しだしたが、この内容は上白沢慧音が推察していたものとほぼ同じような内容だった。
「元々幻想郷計画は博麗神社の発案で、紫はそれまでの博麗一族との交流と、自分自身の実力を試すといった理由でそれに荷担し、いつでも実行できる段階にきていたの。でも、それは生きとし生けるものにとって抗う事の出来ない最強の妖怪、紫の妹、八雲藍の存在がその計画のネックになっていた・・・。なぜなら彼女一人いれば、人間を滅ぼすことも可能だったからよ。」
「・・・」
「藍自身は、姉の紫を慕い紫の計画には賛成して、その事業に参加していた。でも、それを良しとしない武闘派連中にも担がれて身動きができない状態だったの。彼女が居なければ、博麗派と武闘派は戦闘になっていたかもしれないわね。いいえ、きっとそうなっていたでしょう。」
「・・・」
「そこへ来てあなたの登場。バランスが大きく崩れた。それでも多くの妖怪達は最後の希望を藍に託した。藍としてもこれ以上妖怪に被害を出さないためにも妖の狩人と一戦交え、何らかの結果を出さなければならなかった。でも、あなたが不死身だなんて当時は誰もしらなかったし、不死身な存在がいるなんてそもそも誰も考えてもいなかった。だからこそ、藍なら出来る、藍しか妖の狩人に対抗できないと皆思っていたの。」
「・・・」
 幽香はそこでいったん口を休めた。妹紅は依然として同じ表情のまま幽香を睨んでいた。幽香は妹紅のリアクションを待つために話を止めたのではない。妹紅が自ら語り出すまで話を続けるつもりだった。
「八雲紫に組みする妖怪は、妖怪の中でもかなり強い部類の連中で少数派。九尾、鬼といった最上級の連中ばかりだった。彼らに共通するのは紫が覚醒する以前から付き合いがあるということ。覚醒後にその力に群がった勢力は出来たけどそれは月面戦争でほぼ壊滅・解散している・・・。」
「・・・覚醒?」
 幽香はここで、いくつかの重要なキーワードを出したつもりだったが、この中で、覚醒という言葉に妹紅は反応した。これも慧音が言っていた事だが、慧音というより稗田一族の伝承として慧音が伝え聞いた話として妹紅が知ったことで、慧音にとっても確かな情報ではなかった。しかし、当時を知る幽香の発言によって事実であることが判明したことになる。
「あなたが知っている紫は、本来の紫ではないのよ。」
 幽香は妹紅の目をしっかり見据えながらそう言った。
「藍を知れば、おのずと分かるわ。」
 幽香は今の紫が本来の姿ではないというポイントを妹紅の心に対する強烈な口撃の手段と思っていたが、それはあっさりかわされてしまった。しかし、そのことで、妹紅は藍という存在がどんなものかをかなり正確に把握しているという事の裏返しであると判断できた。自分がそうであったように、妹紅もまた藍に魅せられたのは確実である。


「昔の本来の紫について話すには、私のことも少し話さなければならないわね・・・。」
 妹紅はそれを要求していなかったが、どうやら幽香は全て話してくれるようだ。
「私が生まれた時代は正確には分からない。でも、私が子供のように小さかった時の記憶がある。1000年とか2000年とかそんなものではない。少なくとも3000年以上前ね。人間という存在を特に意識することもないし、自分自身のことすらどうでもよく、ただ花を追いかけて世界中を漂っていた。」
 そう語りだした幽香は目を外に向け、縁側から見える闇夜の幻想郷に目を細めた。
 縁側から見えるはずの竹林は闇夜で見ることはできなかったが、妖精か幽霊かは分からないが、色とりどりの光の粒が糸をひくように不規則に漂っているのが見えた。夜空に星はなくても幻想郷の夜に光が絶えることはない。
 里から南東にある太陽の畑から竹林あたりは、妖怪達、たまに人間もだが、スペルカード戦による弾幕のメッカとして知られ、それを遠目に見ることが出来る。
「そうした放浪の中で出会う他者、妖怪なのか人間なのか幽霊なのかはわからないけど、そうした者と会話するすべを当時は持っていなかった。言葉が通じないというのではなく、言葉という意志疎通の手段が無かった。というより誰かと交流する必要がそもそもなかった。」
 幽香は右手を上げて、その指先から何かを落とすと、そこから何かが生えてくるのが妹紅から見えた。暗くてよくわからなかったが、それはすぐに夜光草だと分かった。その植物のようなものは急成長し花を咲かせ、それが淡く光りだしたからだ。夜光草の光によって幽香が淡い緑の光に照らされた。
「ほとんど無意識だったから、当時の記憶も本来なら覚えて無くても仕方がないのだけれど、どうしても忘れられないものがあったの。」
「八雲紫・・・」
「そう、もちろん当時からそんな名前だったわけじゃないけど、その存在の印象がものすごくて今でもそれだけは覚えている。というより、その存在にまつわるものとして記憶が後から付いてくる感じね。子供の頃といえば気味の悪い紫とソレに関わるエピソードとしてじゃないと思い出せない。もしかしたら親がいて育ててくれていたのかもしれないけど、そんなことまったく覚えていないのよ。」
 妹紅も同じだと感じた。人間であったころの10歳くらいまでの思い出は全て蓬莱山輝夜にまつわる、いわゆる竹取物語の場面しか記憶にない。
「紫は見るからに陰気で、見ただけで不快になる、どす黒く禍々しい存在だった・・・ちょっと言い過ぎかしらね。でも、最初に出会った時は、怖くて一目散に逃げだしたものよ。」
 クスっと笑う幽香。
「藍が繋ぐ力なら、紫は裂く力ね。今はそれがスキマとよばれる境界を操る力の源になっているけど、その力を自由に扱えない時代は、紫という存在そのものが周囲に悪影響を及ぼし、繋がっているものを引き離してしまう存在だったの。」
「・・・」
「今でこそ私達は自由に力を使えるけど、昔は漠然としていて、力を使うということにまったく無頓着だったの。それを何故意図的に目的を持って使うようになったかというと、人間との接触からなのよ。」
「時代が進むと、人間も文化的に高い水準になっていくけど、そうして驚く程進歩を遂げる人間との接触によって、相対的に自分が何者であるかを知ることになるの。花を咲かせる能力は、他の妖怪の類に行使してもほとんど意味はなかった。花を与えても、それは食べ物だと思って食べて、まずいと言ってはき出す。おいしいというヤツもいたけどね。まーそんなアホみたいなやりとりしか妖怪の間では起きない。でも、人間は違った。花が綺麗で、それを贈り物にしたり、お墓に供えるといった行動を垣間見た時、自分がどんな存在なのかということが理解できたの。」
 幽香は視線を妹紅に戻した。
「八雲紫とか博麗に近い妖怪は基本的に人間が好きなのよ。自分の能力が人間の中でこそ、その善し悪しを評価されるから。褒められて嬉しいと思う私のような妖怪もいれば、神隠しをして困らせて面白がる妖怪もいる。妖怪をどこかに連れ去っても、妖怪ってタフだからそこで普通に生活し出すから神隠しの意味がない。いなくなった存在を心配し家族が探すから、そこが面白いということになる。人間に近い妖怪は人間から好かれているか嫌われているかの評価は別にして、人間の起こす行動に妖怪自身の存在意義を見い出していたの。」
「・・・」
 妹紅が幽香の話しに真剣に耳を傾けているのがわかる。話を途切ると目がムッとする。
「紫とは旅先で時々会うようになったの。こちらを追いかけているというより、向こうは向こうで勝手に彷徨っている感じで、偶然出会う感じかしらね。もちろん頻繁に会うわけではないわ。100年に1度とかそんな周期かしら。そうしているうちに私も慣れてくる。こっちはともかく、紫の方はなんとかお近づきになりたいらしく、人間を捕まえてきて私にプレゼントしてくれるようになったの。当時は、食欲旺盛で人間だろうが獣だろうがなんでも食べたわね。」
「・・・」
「紫の陰鬱さは、存在の本質的なものではなく、体質的なもので自分の意思とは関係なくそうなってしまうらしく、敵意があるわけではないということが分かってからは、お互いの距離は近付いたわ。彼女は花が綺麗だと言ってくれた。そういえばいつごろから会話しはじめたのか分からないけど、人間の生活圏に近付いてから、言葉を発するようになったり、衣服を着用するようになったわ。」
「・・・」
「そして恐らく1000年以上前かしら。月面戦争よりだいぶ前、突然、紫が今の紫になって私の前に現れたの。どういった経緯でそうなったかは、それ以前に博麗となにやら一悶着あったようで、そこから彼らと一緒に行動するようになって・・・。詳しくは本人に直接聞くしかないでしょうけど・・・。」
「・・・」
「その後、私は紫に呼ばれて、日本に定住するようになったわ。その当時から魅魔もいたし、萃香もいたわ。魅魔は、前に言った一悶着の原因らしいけど、魅魔の話では、魅魔は外国の悪霊で、紫が博麗の神主とケンカをしたとき、何をやっても敵わない神主を倒すために、無理矢理呼び寄せたようなの。でも、逆に神主らにその怨念を沈めてもらい、お祀りまでされて、ようするに怨霊から御霊になったというわけね。そして魅魔は幻想郷に定住する事になったというわけね。魅魔の服従、それがきっかけで紫は博麗の神主に全面降伏して以後真面目に修業をするようになったらしいの。そしてそれが覚醒に繋がったというわけね。」
「どんな修業をすれば覚醒なんて出来るのかしらね・・・。」
 妹紅は誰に言うわけでもなくつぶやいた。
「その辺は私よりあなたのほうが推理しやすいのではないの?私は具体的なことはまったく知らないわ。」
「一つ聞いていい?博麗の里は日本のどこにあったの?」
 幽香の了承を得る前に妹紅のプロファイリングが始まる。
「近畿地方のどこかね。」
 素直に答える幽香。
「妖怪の山は八ヶ岳をベースにしているらしいけど、だとしたら方角がおかしくない?」
「幻想郷は、ある特定の土地をすっぽり隔離したのではないわ。色々な霊的要素の強い場所を継ぎ接ぎして出来た世界よ。魔法の森は外国のものだしね。」
「なるほど・・・里に妖怪やらなにやらが住み着いて、住民やその周辺住民はどう思っていたのかしら?」
「里はある意味人間の社会からも隔離されていたわね。罪人の流刑地ではなかったみたいだけど、周辺住民との交流はほとんど無くて、神主が周辺で何か荒事が起こって必要な時に出張って行って解決していたわね。」
「幽香とか妖怪の主食は?」
「肉。大昔は人間も食べていたけど、里周辺で暮らすようになってからは、人間達が獣の肉を提供してくれたわ。」
「人間も肉食べてた?」
「ええ、もちろん・・・それがなんなの?」
「やっぱり・・・。」
 妹紅は幽香の返答で個人的に思っていた疑問が一つ解決した。
「何?」
「いや、なんでもない。」
 妹紅は、里から竹林へ向かう道の途中で西に側に川があり、その向こうに関が見えるそんな地形にいくつか見覚えがあったが、これは、穢多(エタ)の村の特徴であった。
 穢れが多いと書いて穢多。西日本では、肉や皮を作る仕事をする人たちをそう呼んで差別していたのだが、当時西日本では、ほとんど獣などの肉食の習慣がなく、あったとして解体業務はそれらを職業とする人達に完全に委託していたのである。東日本では特にそういった習慣はなく、大和民族が入植するまでは、狩猟採取が主である。
 血生臭い事を極端に嫌う当時の人々は、そうした血や死を穢れとして忌み嫌い、それらを行う人々を差別し川向こうに隔離したのである。穢れは禊といって清らかな流水によって洗い清められるといわれていたため、川を挟む事で穢れが拡大しないとされていた。
 その為、食肉皮革業者の集団を川向こうに住まわせ、こちら側に来ないように監視していたのである。こういった村は西日本に幾つか分布していたが、いずれも非常に貧しく、米など一生口にできないのが一般的である。
 しかし、博麗の里はそうした穢多の里とは少し違う。恐らく博麗の一族によって、どの村よりも当時としても近代的な生活を送っていた感じである。
 食肉が生活に馴染む一方で、米も作っていたということは、稲作などの技術を誰かがここに持ち込んだに違いない。それは恐らく博麗という強力な指導者的集団が村に入植したからだろうと容易に想像できる。しかし、こんな穢多の村に住み着くというには何か理由があるはずである。
 中央との確執、例えば神社に関する組合のようなものから脱退したとか、何か禁忌を犯し追放になったなど。
 妹紅の予想では、博麗の一族は大陸に派遣された、もしくは個別に大陸にわたり仏教や道教を持ち帰った人達の一部、そうでなければ渡来人の帰化人ではないだろうかと推測する。霊夢を見ても分かるが、古来の日本神道というより、そのスタイルは陰陽道などの混合スタイルである。陰陽道とは道教を元に日本で独自に発展したものである。
 里の慧音から幻想郷の資料を幾つか見せてもらったことがあるが、里にはお寺はないものの、死体は全て火葬し、親戚縁者、神主が念仏を唱えて葬っていたのだ。里の住人の識字率はほぼ100%で、大人ならお経も唱えられる。里の貧富の差は大きいものの、字を読める、お経を唱えられる。この2つは博麗の里の住人の最低限備わっているものである。慧音が寺子屋をする以前は、そうした勉学は神社の管轄であったそうであるが、その寺子屋を始めた当初から基本的な「いろは」は教えなくてもどの子も知っていたそうである。


 初期の仏教は、どちらかというと学問・哲学的意味合いが強く、東大寺の大仏などお金をかけたわりにご利益がなく、逆に天武天皇系の血筋が途絶え、奈良の平城京から山城の平安京への遷都とつながったわけだが、つまり、護国という目的を達成できなかったわけである。
 天智天皇の系統が復活したことで、奈良仏教などとも呼ばれた旧仏教は平城京と大仏などと共に捨てられ、京都へ遷都と同時に、当時の一線から退いた。
 その後、長岡へ一旦都を移したものの、ここでも災害やまず、神道、風水、仏教と良いとされるものはすべて取り入れた平安京が1000年の都として栄えることになり、仏教は、当時、大陸に派遣された最澄や空海らの持ち帰った新仏教・密教が主流となっていく。
 博麗神社の現在のスタイルは奈良時代より、平安時代初期に確立されたと思われる。
 それらの変遷は西暦700~800年あたり、当然ながらその下地となる博麗神社はそれより以前から続いており、八雲紫は旧仏教時代に覚醒したものと思われる。旧仏教は、天皇にしろ一般市民にしろ、実生活においてほとんど役に立たない哲学的な意味合いが強いが、実践でしか感覚を見出せない妖怪、つまり紫に境界という概念を教えるのにはむしろ好都合だろう。
 妹紅の誕生年が702年。ちなみにこの年は西行寺有子(幽々子)の死亡した年でもある。西行寺人麻呂と柿本猿(?)の時代、650年前後が八雲紫の覚醒時期になるだろうか。覚醒後、安定期に入ってから生前の幽々子、有子に出会い死別を経験。それだと、妹紅の知る西行寺家の顛末に一致する。
 博麗神社が新しい大陸の概念を取り入れ、それが紫に反映される事になるわけだが、新仏教、特に密教は既にあるものをなぞる教えではなく、実践、実感、つまり体験が重要という教えだ。一旦覚醒した紫にとって、旧仏教は無用の長物であり、成長を促す役目を担うのは新仏教、特に密教といえた。


 当時の国教ともいえる神道の最大の問題、死=穢れという概念があったために、天皇の死は最大の穢れを生むとされ、天皇が逝去するごとに都を変える遷都を行っていたが、天皇の在任期間の短い当時は、非常に無駄が多く、都という都市国家が大きく成長しなかった。そんな中、歴代天皇の中に仏教式の火葬で弔われる者も出はじめ、次第にそれが当たり前となった。今でもそうだが、結婚式は神社、葬式はお寺であるが、一見して系統の違う2つの宗教が用いられている様に見えるが、この国の仏教はあくまで神道の一部なのである。


 しかし、今でこそそれが当たり前になっているが、時代の流れにより変革が迫られ、実際そこにいたる間に血生臭い荒事に迫られることが多い。
 当時、そうした時代の節目、天下の分け目でいえば、壬申の乱がそれにあたるかもしれない。結果としては権力中枢が天智系から天武系へと移るが、それ以降奈良時代に入ってから、すさまじい権力闘争劇が繰り広げられることになる。
 妹紅の所属していた岩老郷妖術一族は、妹紅自身が入郷するのが914年。妹紅が212歳の時で、この時期は平安中期である。当時のゴタゴタに関しては、妹紅はまだ無関だったので体験としての記憶はないのだが、元々岩老郷は、天智天皇系列の皇族に仕えており、天下が天武天皇に移行してからは、その裏で権力回復の為に様々な裏毎に携わっていた。天武天皇側に組するそうした裏事専門の一族も確認されており、彼らとの抗争もあったという記述を妹紅も知っているが、もしかしたらそこに博麗の一族があったかもしれない。
 穢多の村に移住せざる終えない理由があるとすれば、天武系の滅亡により、その後ろ盾を失い、追っ手から逃れるというのは、ありえない話ではない。もちろんこれはあくまで妹紅の予測である。
 天智系に再び権力が戻り、岩老郷も裏の世界のトップに返り咲くことになる。
 妹紅は914年(212歳)に入郷後、1162年(460歳)までは、時間を無駄に過ごしてきたが、1162年、西行との出会いから一転妖術使いとしての修行が始まるわけである。
 妹紅は入郷してから250年程、下っ端仕事や家事手伝いをしながらも、岩老郷の歴史についても学ばされていたので、彼らの活躍が始まった飛鳥、奈良、平安初期の裏事情はほぼ完璧に精通している。西行寺に関しての事もそこで学んでいた。


 妹紅は1300年という長い年月のほとんどを人間と接して過ごしてきたが、その時代毎に常識は異なり、今でこそあの世この世は常識になっているが、その概念が生まれる前は、つまり仏教や道教などが輸入される以前は、人は死んだらそれで終わりだった。
 八雲紫の覚醒は、概念の改新であり、今まで物理的な境界しか操れなかった紫が、仏教や道教など大陸から伝播された世界概念を博麗神社から教わった事によって、目に見える手で触れる現実の世界と、目に見えない触れることの出来ない概念、感覚的な世界の境界を取り払うことに成功した。これが覚醒の正体であると考える。
 現実世界はそのまま目に映る光景を利用できる。しかし概念は現実とは対等ではない。個人の想像力の差で大きく変わる。墨一色モノクロな世界と、現実に即した極彩色世界、そして、現実を超えた人智の及ばない世界、いずれも個々の脳内だけの世界である。しかし、ただ考えただけの世界ではダメである。例えそれが想像上の世界であっても、そこに自然の法則が備わっていなければ創られても維持できない。自然の法則は膨大な知識の量とその知識を下支える圧倒的な体験が不可欠である。さらに現実の世界にある仕組みから飛び出し、まったく新しい秩序仕組みを構築することも可能である。
 イメージの中の静止映像が動き出した時、絶妙なバランスで自然と生命の生き死にが再現されなければならない。それが出来る段階ではじめて現実の世界と概念の世界の境界を取り払えるのである。


「紫の覚醒というのは具体的にいうと、完全な妖怪と未完成の人間との境界を取り払ったことね。私達のような古い妖怪というのは強いけど、その強さはある程度決まっていて、訓練で爆発的に力が上昇するなんてことはない完成された生き物なの。逆に人間は、個体差が大きく修業で驚く程大きな力を持てたりする。特に内面的強化によって、格段に強くなる性質があって、あなたも不死身ではあるけど、恐らく強くなるきっかけが何かあったのでしょう?」
 妖怪は年齢によって妖力が上昇するものの、基本的な能力は生まれた時から決まっていて、一定の成長ラインを持っているが、人間は平均的に能力が低いものの、内面的成長によって別次元の強さを持つ個体が稀に現れる。妹紅自身は、博麗の神主や巫女といった血統的な先天性の素質と、修行による後天的能力を併せ持つ連中とは違い、基礎能力は著しく弱く、不死身であるだけで特にこれといった先天的な素質はない。長時間生きられるという特性によって、勉強し習得した技能を不死身の特性と巧く組み合わせる事で尋常ではない力を発揮出来るだけである。何はともあれ、不死身というのは反則ではあると妹紅も自覚している。
「つまり、紫は妖怪としての高いポテンシャルを持ちながら、人間の無限ののびしろを得たと?」
「そういうことね。でも・・・。」
「ああ、人間の心は脆い・・・。」
「そう、紫は精神面が人間に近くなりすぎて、私達のように一貫した揺るがない精神力がなくなり、その時の気分で行動が流されたり、ちょっとしたことで落ち込んだり怒り出したりと、かなり情緒が不安定になったわ。でも、そうした不安定な精神も博麗との修業でだいぶ良くなって、その良くなった状態というのが今の八雲紫ね。当時はきちがいじみて相当やばかったのよ。」
「何故、博麗神社は紫を育てたんだろ?妖怪を育てて何か得する事でもあるの?」
「その辺は私にも良く解らないわね。私は紫達とは仲良かったけど、博麗とは距離をおいてたわ。萃香は博麗神社に住み着いてたけど・・・。ただ、博麗神社には、幻想郷つまり当時の彼らの住む地域を世間から隔離するという大きな目標があったみたい。で、それを紫にやらせようとしていたのね。」
「なるほど、紫をある意味利用しようとしてたのか。」
 中央における活動の場をなくした博麗神社が幻想郷という別世界に何を求めたかはわからない。そもそも、これも妹紅の考えだけのことで、実際はどうかはわからない。そして、その辺は幽香に聞いても分からないだろう。
「そういう事になるけど、紫にしてみても別に損な事ではなかったでしょうし、そもそも、昔の自分がとても嫌いで、変身願望があったわけだし、それを叶えてくれた博麗神社に恩を感じ、例え利用されるにせよ協力することに吝かではなかったでしょうね。」
 しばしの沈黙。
「でも・・・紫の本質が変わった事で、藍との対極性が無くなった。」
 藍と紫の対局する力によって保たれていたバランスが崩壊するということは、双方を無にしてしまいかねない。
「紫がすさまじく強くなったことで紫派と呼ばれる紫個人に従う集団が出始めて、妖怪はある意味この時が全盛期かしらね。紫も持ち上げられて、今までにそんなことが無かったから調子に乗った。で、その流れで月面戦争に突入したの。」
「月面戦争か・・・話には聞いていたけど本当にあったのね。」
「月面戦争は私にとってデビュー戦みたいなものかしら。私は1000年前まで、大した妖怪にみられていなかったのよ。」
「へー・・・にわかに信じられないけど・・・。」
 幻想郷界隈では、「長い」という単位は1000年で、長寿な妖怪は2000歳でも3000歳でもそれ以上でもほとんど1000年以上という言い方をする。1000年前というと妖怪の世界では月面戦争という大きな事件があったわけだが、この時に多くの妖怪が命を落としている。その当時の幽香がどの程度の位置にいたかは妹紅も予想できないし、妹紅からすると妖怪は強ければ強いほど倒しやすいので、妖怪の強さの尺度があまりよくわからない。
「風見幽香=花だったから、大した力も持たない妖怪で、紫の幼馴染みってだけの存在としてしかみられなかった。」
「それが月面戦争で覚醒した?」
「覚醒?そんな大したものじゃないわ。負け戦故に、英雄が必要だっただけよ。私は月への進軍の際に文字通り花道を添えるだけの役割として紫に随伴したの。月の力をしらなかった私達は、意気揚々と進軍。敵が現れず皆恐れをなした腰抜けと月面軍を笑い飛ばしていたの。敵地に深く侵入した時点でお約束の待ち伏せ。遮蔽物のなにもない場所で、こちらから視認できない遠方から強力なエネルギー砲を正確に喰らって、たった数分で前衛が壊滅。この部隊は主力だったからもはや紫軍に打撃力なし。みな後退をしたけど、追撃でどんどん死者が増える。私は花道の為に進軍ルートに蒔いておいた種を発芽させ成長させて遮蔽物を作って後退を助けたの。遠距離攻撃ができなくなった月面軍が近接戦に持ち込もうと急接近して逃げる縦長の紫軍の後背に迫った時、向こうも縦長になった陣形に私は切り込んでありったけのパワーで逆撃したの。向こうは完全に油断していて、しかも縦長の陣形だったから、月面軍にとんでもない被害がでたわ。」
「へーすごいのね。」
「そのたった一撃で、私は次の日から英雄扱い。最強の妖怪なんて祭り上げられる始末。でも自分でもそんな力があったなんて思ってもみなかったわ。あの時は無我夢中で・・・。その後、紫は復讐しようと一時期その計画を練っていたようだけど、頭が冷えて冷静になったところでそれも断念。その後はしばらく落ち込んでいたわ。」
「幽香が紫から特別扱い受けている理由がわかったわ。」
 九尾、鬼を差し置いて最強の称号を得ている風見幽香の実力は決して最強ではないが、多くの同胞を助けた殿戦の活躍を聞けば、幽香にこそその称号が相応しいと妹紅も思う。


 しばらくの沈黙があって、先に幽香が口を開いた。
「さて、そろそろ私と紫の話は終わりね・・・というわけで妹紅。次はあなたの番よ。」
「勝手に話し始めたのはそっちでしょ?私に何を話せというの?」
「藍の事よ・・・あなたと藍の戦闘後、あなたはそれまで続けていた妖怪狩りをやめたでしょ?その理由を聞かせて。」
「・・・私から語る事なんてないわよ・・・。」
「妹紅!」
 幽香は妹紅の名前を叫んだ。確かに一方的にこちらがしゃべっただけで、お互いに情報交換しあう約束をしたわけではない。しかし、こちらの誠意を無下に扱う事は許されるものではない。妖怪の尺度でいえば、妹紅は幽香の要求に応える義務がある。
 もちろん、人間である妹紅にはそんな義務はない。しかし、義理はあるかもしれない。だが、妹紅は同じセリフを繰り返した。
「私からはしゃべる事なんてない・・・。」
「妹紅、私はあなたを見損なったわ・・・。」
 落胆を意を体全体で表す幽香。
「・・・私の口からしゃべる事はない・・・。」
 妹紅は沈痛な面持ちで、絞り出すように答えた。3度同じようなセリフを聞いた時、幽香の落胆は消えた。妹紅の真意を理解したのだ。
「あかった。口を開きたくないなら、それでいいわ。」
 妹紅は自ら語りたくはないが、説明できる手段があると言っていると幽香は理解した。そして、その発想にいたるものを先程幽香は見せられた、いや聞かされた。
 その言葉を聞いた妹紅は頷くと、一枚の呪符を取り出す。先ほどの様にそれを投げると思っていた幽香だったが、妹紅はそれを無造作に上の方へ放り投げた。
 その呪符はしっかりと加工され、先ほどの盗聴札のように薄っぺらなものではなかった。
 呪符は不規則に回転しながら放物線を描くように幽香の方へ飛んだが、梁の高さまでくると天井付近に押し上げられた妖に触れ、そこで反応して突然無数の札に分裂して、幽香と妹紅の中間あたりにバラバラとまき散らされた。分裂して細かくなったのではなく、同じような札が増殖したと表現したほうがいいだろう。実際には数百枚の呪符を1枚にまとめる術を施していて、その施術の解除を自分ではなく、天上付近の妖にまかせたということである。
「これは?」
「・・・」
 妹紅は幽香の問には何も答えなかった。
 ばらまかれた無数の札は、程度に差はあったが、先ほどの盗聴札と同じようにちぎられた痕があった。
 幽香は暗くてどれが藍のものか分からなかったので明かりを付けることにした。右の手の平を上に向けて、その手の平から小さな虫が空中を漂い始めた。蟲たちは規則正しく光を明滅させながら部屋中を飛び回った。
 かなりの光量になり、部屋は字が読める程度にほんのりと明るくなった。
「蟲を操れるのね。」
「蟲を操れる知り合いから丁重に借りているだけよ。」
 その蟲をあやつれるヤツとやらに同情する妹紅。


 この無数の呪符はおそらく1枚に1人の妖怪のなんらかの記録が封じ込まれているのだろう。それを見つけ、先程の盗聴札のようにすればいのだろう。
 幽香がそのお目当ての札を見つけるのにそれほど時間を必要としなかった。
 明らかに他とは違う札がある。いや、それはもはや札の形をしていないなかった。
 ここにまかれている札の長さは五寸程で、妹紅らの所属していた一族共通の標準的な札である。五寸の札は、五札(ごふだ)、四寸なら四札(しふだ)などと呼び、用途によって使い分けていた。剣札や爆札など、投げて使う札は小さめの三札(みふだ)が多く、高度な術を練り込んだものは五札を使う事が多い。
 なお、妖術使い陰陽師などにも各流派がありそれぞれ使う媒体は違い、札の長さ、形、厚さ、重さでどこの札かだいたいわかる。博麗神社は他の神社関係とは別系統の独自の札を使い、特に珍しいのが正方形の札である。


 端がちぎり取られた数百枚の札の中に、約半分以上ちぎりとられた札がある。他はせいぜい多くても二割程度しか減っていないのにだ。
 幽香はそれが藍の札だと確信した。
 恐らく妹紅は藍との戦闘の中で藍に魅せられたと幽香は推測している。それ故、藍の願いを聞き届け、妖怪の追撃を止めた・・・。
 これまで数百体の妖怪を葬り去ってきた妹紅が、たった一人の妖怪との出会いによってその正義を替えた。その自らの存在意義すら替えてしまった藍という存在の記録を妹紅はこれまで何度も何度も繰り返し聞き、後悔の念を募らせていたのだろうと予測する。


 そんな幽香を尻目に妹紅は膝を抱えながら外に視線を向けていた。
 八雲藍を思い出しながら・・・。

東方不死死 第六章 「最強の妖怪」


 藤原妹紅が八雲紫との面会を望んで里に現れるようになってから四日目が過ぎた。
 前日の風見幽香との闘いは、八雲紫との直接的な関係はないと判断したが、幽香との個別の交渉次第で
は紫に繋がる糸口は見いだせるかもしれない。


 昨日とは打って変わって雨模様の天気。里に行く気も出ないし、幽香の回復を待って彼女と何らかの交渉をしたほうが早いだろうと考える妹紅。幽香なら紫と会う算段を講じてもらえそうな気がする。風見幽香は少し単純で直情的な性格に見えるが、それは策を弄したり卑怯な手で相手を貶めるようなことはしない性格の表れでそれはかえって信用のおける妖怪だとわかる理由になる。
 真正面からぶつかった戦闘で負けたとあれば、勝者にそれなりの態度をとるだろう。ただ気掛かりなの
は、彼女が正当に負けたこということに気付いているかどうかである。卑怯な手口で負けたと思い込んでいたら、むしろより一層敵意を膨らませていることだろう。


 藤原邸の縁側に寝転がる妹紅は、紫の事ではなく幽香のことばかり考えていた。
 風見幽香は、かなりの頻度で里に現れる妖怪で、他の妖怪からも人間からも恐れられているが、普段は
笑顔で敵対的な様子はまったくない。普通に買い物をして普通に会話もする。
 怒らせればそういうわけにはいかないだろうが、誰一人として彼女を怒らせようなどとは思わない。里
の者は完全に幽香に服従している状態だ。彼女が只で物をよこせというなら、里の者は喜んで差し出すだろう。ただ彼女はそうしない。普通の人のように、お金を出して、おつりをもらい、ありがとうと言って去る。
 里の人達にとって、子供の頃に見た風見幽香と年老いてから見る風見幽香はまったく同じで、そうやっ
て里の人間達はずっと風見幽香を見て育っている。上白沢慧音もそうであるが、そういった里に来る、里に居る妖怪は里の者達にとっては子供の頃からずっと存在する特別な者として敬意と畏怖の念を持っていた。
 上白沢慧音と風見幽香は面識はあるが、世間話をするような間柄ではなく、用事がなければほとんど会
話はしない。すれ違う際は、慧音の方から会釈し目上として扱っている。
 その為か、里でも幽香の方が上位存在であることを認識しており、道端で幽香と目が合えば必ず会釈す
るようになっている。


 幻想郷強者番付なるものが存在するなら、横綱である幽香に妹紅が勝ったわけで、これは人に知られれば一大事件として、鴉天狗の新聞の一面記事になったことだろう。
 しかし、この戦闘は当事者二人とメディスン・メランコリー以外は見ていない。そして、その三人はそ
れらを公言しなかった。ただ、その後に起こる異変によって藤原妹紅の実力は公になり、その異変以前に風見幽香が藤原邸に居着くようになった当時不思議に思えた光景に合点がいったのである。


 縁側で右手で頭を支え庭の方を向いて横に寝ている妹紅は、退屈で何度もあくびをしていたが、意外な来客に驚いて動きを止めた。
 庭に顔を出したのは昨日会ったメディスン・メランコリーである。メディは妹紅の顔を見た後、妹紅の
視界からは見えない建物の向こうに顔を傾け頷いて何かの合図を送った。
 明らかに向こうに誰かがいる様子だ。
 妹紅は警戒するように、ゆっくりと起き上がり、その場であぐらをかくように座り、いつでも動けるよ
うに前屈みになった。
 そして、その誰かが視界に入った時、思わず絶句した。
「か、風見幽香!?」
「こんにちは。」
 他人からは不自然に見えるが、本人にとって自然ないつもの笑顔で風見幽香が現れた。
 妹紅はよほど驚いたのか、前屈みの体勢がいつの間にか仰け反って、わざとらしく見えるほどとても驚
いた表情をしていた。普通の驚きというより恐怖を感じているような様子である。


 妹紅は幽香の予想外の来訪に心底驚いていた。少なくとも2、3日はまともに動けないと思っていたし、動けたとしても重症であることにはかわりはない。それが、こうやって平然と、しかも倒した相手を尋ねてくるなど全く予想していなかった。
「ここでいいわ。ありがと。」
 そんな妹紅を尻目に幽香は、メディスン・メランコリーに言葉をかけると、メディはそのまま建物に向
こう側に消えた。
 飛び去った姿は妹紅からは見えなかったがメディを追う幽香の視線が上を向いたので、そう妹紅は認識
した。
「な、何しに来たの?」
 あくまで友好的な態度を装う目的でそうしている気持ち悪い笑顔でゆっくりと歩み寄る幽香に、妹紅は
警告した。
「それ以上近付かないで!まず、要件を言って!」
 幽香は不思議に思った。昨日の妹紅とは明らかに様子が違う。雨が降ると気が弱くなるのかしら?と勘
ぐりながら、言葉遣いが昨日と違って女性的に丸くなっている事に気が付いた。
「何を怯えているの?この私をいとも簡単に倒したあなたが、怯える必要はないとおもうけど・・・それ
とも幽霊か何かだと思っているの?」
 おどけて見せる幽香に怪訝そうに尋ねる妹紅。
「どんな風に倒されたのか、あなたは覚えているの?」
「いいえ、全然。生まれて初めてだわ。あんな風に負けたの・・・いや、本当に私は負けたのかしら?あ
あ、もしかしたら私、本当は死んでいるのに気付いてないのかしら・・・。」
 あらやだと言った感じに自分の身体が実体であることを確かめる幽香。妹紅からはふざけているように
しか見えないが、実際幽香は半分ふざけている。
「それを確かめにきたの?」
「まさか。ちゃんと生きているし、でも、こう見えても首が回らなくて歩く以外何もできないのよ。だか
らメディにここまで連れてきてもらったのよ。」
「じゃー何の為に連れてきたてもらったのよ!」
 花のような形の傘をさし、ゆったりと立っている幽香は、とても重症を負っているようには見えないが
、その様子からは敵意は見えない。ただ、何を考えているか妹紅にもさっぱりわからない。それが一番恐ろしいところでもある。
「要件は2つ。そのうちあなたにどちらかを選んで欲しいの。」
「・・・何を言っているの?」
 幽香の言葉は咄嗟に理解することはできなかった。幽香は構わず言葉を続けた。
「一つは、私にトドメをさし、しっかりと殺すこと。もう一つは、怪我の具合が良くなるまで私をあなた
の家で匿って欲しいということ。」
「はぁ?」
 予想もしない幽香の要求に妹紅は思わず大きな口を開けた。
「どちらか選んでちょーだい。」
 幽香はそういうとゆっくりと妹紅に近付いてきた。
「ちょ、それ以上来ないで!ほんとに殺すわよ!」
 妹紅の様子は明らかに狼狽えて虚勢をはっているように見える。何故?どう見ても妹紅の方が強く、狼
狽える必要があるだろうか?
 幽香は、それで殺されるならそれでもかまわないと思い、妹紅の反応を楽しむように警告を無視して近
付いた。
「!」
 突然妹紅の雰囲気が変わった。昨日の戦闘前の様子と同じ表情である。冷静かつ不貞不貞しいあの表情
だ。
 幽香は咄嗟に危険を感じ足を止めた。
「どういう事かちゃんと説明しなさい。」
 狼狽は消え、縁側に立ってポケットに手を突っ込み、見下すように幽香を見下ろす妹紅。
「あなたにお願いをしに来たのよ。」
「その条件がさっきのってどう考えても変だろ!」
 妹紅の口調も男のように乱暴になっている。何かのスイッチが入って人格が変わったようにも思えるが
、いわゆる戦闘モードに入ったと考えればいいだろう。こんな風に変化する人間に幽香は見覚えがある。

歴代の博麗の神主や巫女、最近では博麗霊夢がそれだ。
「(やはりこの娘は特殊ね。訓練を受けている・・・。)」
 昨日の対戦時は、最初から妹紅のペースにはまっていたせいか、妹紅を冷静に分析できなかった。とい
うより、最初から妹紅を見下していたので妹紅の実力を見誤っていた。今は彼女が強いという動かせない事実を受け止めて、さらには死ぬことも覚悟していたので、すんなりと妹紅という人物を吸収することが出来た。
「幻想郷がどんな世界かを知っていれば私の言った意味を理解できると思うけど・・・。」
「また、謎かけか?妖怪の間で流行ってるの?」
 冷笑するように妹紅は吐き捨てたが、その挑発には幽香は乗らなかった。その手は二度と食わない。
「今の私は半分死んでいるようなもの。致命傷で身体の自由が利かない妖怪を、他の妖怪が放っておくと
思う?」
「・・・。」
「スペルカードというくだらないルールのおかげで、弱者が強者に気軽に挑戦できるようになった。その
せいで私のような強い妖怪は格下妖怪のいい練習相手にされたわ。私としては戦うのは別に嫌いじゃないから、そんな連中はこてんぱんにしてストレス解消すればいいだけだけど・・・。」
「そういう連中は命まで取らないんじゃないのか?」
「ええ、もちろんそうよ。」
「なら、家でおとなしく寝ていればいいだろ。」
「家にいたら毎日のように挑戦者が来て五月蠅いでしょ?それにこのルールは挑戦は極力応じるというの
が決まりなの。くだらないとは分かっているけど、ルールはルール。」
「・・・。」
「でも、それも怪我をしていることを理由に断る事は出来るわ。でもね、幻想郷にはそんな聞き分けの良
い連中ばかりでは・・・。」
 幽香は少し疲労感を覚え一旦言葉を切った。雨の日というのは傷が痛む。こうしている間も激痛で頭が
おかしくなりそうである。
「・・・中に入っていいわよ。」
 その様子を察して、妹紅は幽香を家に上げることにした。
「ありがとう・・・優しいのね。」
「ふん!」
 幽香は遠慮無く縁側から家に上がると、妹紅のいたところに座った。その妹紅は幽香と一定の距離を保
つように座敷の奥に引き下がって座り込んだ。
「続けて。」
 お互い座って腰が落ち着くと、妹紅は幽香に続きを促した。
「幻想郷には年間どのくらいの人が外から入ってくるか知ってる?」
 話が変わって急に質問してきたが、妹紅はそれに応じた。
「慧音が言うには、年間少なくとも100人くらい。」
「そう、多い時は200人くらい。結構な数になるわよね?でも、その人数全てが里にくるわけでもない
。」
「せいぜい5人来ればいい方とか・・・。」
「ええ。つまり90人以上がどこかで消えているということ。」
「のたれ死ぬか、妖怪の餌か・・・。」
「幻想郷の東側というのは、外から何かが来る入口、向こうから見れば出口になっていて、人も妖怪も物
も向こうから来るものはだいたい東側に現れるの。」
「それを目当てに人食い妖怪も東側に集中している?」
「そう。私の家は、幻想郷の南東にあるでしょ。」
「引っ越せばいいでしょ。」
「ふ、あなたは何も知らないのね。私は私の家周辺のエリアに住む事を頼まれ、そして自らの意志でそこ
にいるのよ。」
「頼まれた?・・・紫にか?」
「紫だけじゃないわ。元々幻想郷計画は博麗の一族の発案で、紫がそれに乗っているだけ。彼女には彼女
なりのそうしたいという想いでそうしているだけだけど、博麗の一族や稗田、紫、鞍馬とか、幻想郷の有力者が幻想郷の秩序を守るために、力のある者を各地に配置しているの。」
「あなたもその一人なの?」
「そうよ。」
「つまり・・・今現在、東南の要が弱くなった。」
「私、風見幽香が死ねば、この一帯の力のバランスが替わるは、名もない下等な人食い妖怪の群れにやら
れたとあっては、そうした連中を増長させ、その勢いは間違いなく里に向けられる。でも、風見幽香を倒した者があなたなら、実力者として私のかわりに抑止力として認められる。」
「・・・。」
「あなたなら十分私の替わりは務まるでしょ。少なくともあなたは人間の味方だし。」
 妹紅は話が大きすぎて正直戸惑っていた。幻想郷に住む有力者は各々役割があるということも初めて知
った。慧音にも里の守護者という役目があるが、彼女は好きでそうしているだけのようにもみえるが、稗田一族とは昔から深いつながりがあるし、やはりなんらかの形でそうした大きな枠組みの中に身を置いているのだろう。
 幽香の話は納得できるところだが、妹紅としてはそうした大枠に組みするつもりはさらさらない。でも
、自分のしたことが大きな影響を及ぼそうとしており、それに対する落とし前を付ける事には吝かではない。
 だが、妹紅はもう少し幽香から情報を引き出そうと思い、話をそらした。
「南東は幽香、北東は?博麗霊夢?」
「そこは本来魅魔のエリアね。魔法の森一帯とその北側、湖から北、無縁塚あたりまで。紅魔館も本来は
魅魔の管轄だけど、私たちは特に治安を守るとかそんな事はしない。ただ抑止力として存在し続けること。多少の殺生なんかに一々首は突っ込まないわ。」
「魅魔って?」
「あなた本当に何も知らないのね・・・。」
 幽香は呆れた顔をして首をすくめた。首に重症を負っている事をわすれていたのか、その後で痛みに耐
えて顔を歪めていた。
「魅魔も、昔からの付き合いね。外国から紫が召喚した悪霊よ。」
「悪霊?」
「ええ、でも博麗霊夢に倒されて、その後行方不明。死んだというか成仏したって皆言ってるけど私は信
じない。」
 魅魔の話になってから幽香の雰囲気が少し変わったような気がした。妹紅は幽香と話をしながら無知な
自分に苛立ちを覚える一方で、そこには様々なドラマが隠されていると興味が湧いてくる。
「まー北東部は実質博麗霊夢、あとは紅魔館の吸血鬼ってところかしらね。」
 いつの間にか雨は止んでいたが、晴れ間は出てこない。空はまだ暗いので、たまたま雨雲の切れ目にき
ただけだろう。
「さて、どうする?私を殺す?それとも・・・」
 少し話をし過ぎたと反省した幽香は、妹紅に答えを求めた。
「殺しはしないわ。でも、生かすにしても何故私の家なの?」
「他に適当な場所がないからよ。安全で誰も来なそうな所で町にも近い。ここしかないでしょう?」
 幽香本人が藤原妹紅という存在に興味を持ったから、という本心は言わなかった。
「永遠亭にでも入院したら?すぐ直るわよ。」
 妹紅は家に居着かれるのもいやなので、別の提案をしてみた。
「永遠亭って宇宙人の?」
「そう。」
「あなたが私の立場だったら行く?」
「ふっ。」
 肩をすくめ同意の態度をとる妹紅は、しばらく幽香を胡散臭そうにじーっと眺めた後、やれやれと諦め
た様に首を振って幽香の逗留を許可した。
「ふふふ、ありがと。」
 幽香は微笑んで見せたが、それを見た妹紅の表情が変わった。
「但し、一つ条件がある。」
「条件?」
「その笑顔はやめろ。気持ち悪い!」
「そうかしら?笑顔は友好の証よ?」
「あんたはそうかもしれないけど、見ている方は怖いのよ。」
「・・・そう。」
 幽香は残念そうに妹紅の条件を呑んだ。幽香にしてみれば相手を怖がらせないように気を使った笑顔だ
ったのに、それが相手を怖がらせていたなど考えてもいなかった。かなりショックな幽香である。
 妹紅としては、すんなり逗留を許可したのは哀れな幽香に同情しただけのことではなく、幽香から情報
を聞き出す、もしくは策を弄して引き出すためでもある。元々こちらからお見舞いを兼ねて幽香を尋ねようとしていたので、その手間が省けて幸運である。
 それともう一つ、もしからした幽香との接触によって、紫をおびき出せるかもしれない。そこで妹紅は
一計を考えた。
「一つ注意があるけど・・・私が留守の時、家捜しするのは構わないけど・・・」
「そんなことはしないわ。」
「構わないけど、この梁の札には手を出さないでね。」
 妹紅が梁を指さすが、座敷の反対側にいる幽香にはその妹紅の指した札は見えない。
「札?」
「ええ、そっちからは見えないけど、恐らく家捜し中に・・・」
「だから、家捜しなんかしないってば!」
「家捜し中に、気になって恐らく剥がすと思うから、剥がすとどうなるか今実演してあげる。」
 妹紅はそう言って立ち上がると、梁に近づき手を伸ばす。
「いい?剥がすわよ?」
「・・・どうぞ?」
「ホントに剥がすわよ?準備しないの?」
「何の準備?」
「・・・ま、いっか。」
 訳の分からない幽香に百聞は一見に如かずを実演してみせる妹紅。
 梁から札が離れた瞬間、幽香の首にすさまじい負荷がかかった。
「☆○×!?」
 声にならない声のようなものを発し、幽香は思わずその場に潰されるように伏せる。
「だから言ったのに・・・。」
 この家の大量の妖は、博麗の護符によって梁より上に引き上げられていたのだが、それを剥がしたこと
で一気に落ちてきたのである。
 身体が正常なら不快な圧力を受けるだけだが、重症を負っている幽香にとっては物理的ではない怪しい
この負荷は堪える。
 幽香は悶えながら手で畳をパンパンと何度か叩き降参の合図をした。
 それを見た妹紅はニヤリとし、幽香に見られないように履いているもんぺから1枚呪符をはがし、梁に
戻した護符の間に重ねて貼り付けた。
 ある仕込みをしていた呪符は敏感なものなら察知してその存在がばれてしまうが、一度ひどい目に遭わ
せて危険と認識させた場所に仕込ませておけば、そう簡単には見つからない。そこに注意を注ぐ事が返ってその裏に隠れている存在を隠してくれる。仕込みの基本である。
 可哀想だが幽香に一度ひどい目を見せてその護符を警戒してもらう必要があった。
「あははは、ごめん、ごめん。」
 妹紅はわざとらしく謝って、妖の負荷が取れて起きあがって睨み付ける幽香に頭を掻いて見せた。
 先ほどまではどちらかというと幽香が有利に立っていたが、いつの間にか妹紅のペースになっていた。
「さて、雨も上がったし、ちょっと里に行って来るわ。家捜し頑張ってね。」
「・・・」
 かなり不機嫌な顔で幽香は睨み付けながら妹紅を見送った。


 里に向かって歩き出す妹紅は、一度振り向いて幽香のいる藤原邸を見る。
「果報は寝て待て・・・か。仕込みは上々、大物が釣れればめっけ物だけど・・・。」
 大物とは八雲紫の事である。釣りの餌は幽香。チャンスは向こうから来てくれた。仕込みも済んた。人
事を尽くして天命を待つとは正に今の状態である。
 幽香が紫の件とは無関係だとしても紫は幽香の役割とそれに伴う行動を予め予想できるので幽香は無自
覚に紫の駒となっていることも考えられる。
 妹紅は、自分が紫に監視されているという自覚がある。一番最初の接触は竹林の隠れ家で寝込みを襲わ
れた形だったし、恐らく今もどこかで監視されているだろう。四六時中かはどうかわからないが、竹林、藤原邸、里、寺子屋あたりの行動範囲は確実にマークされているはずだ。だとすれば、藤原邸に幽香がいることは当然紫は確認出来るだろう。そして、それが打ち合わせ通りではなく、紫にとっても予想外の出来事ならどうだろう?必ず確かめに幽香を訪ねるはず。逆に誰も訪ねてこなければ幽香は紫の駒である確率は高い。もちろん、監視されていないためなんのリアクションがないという可能性もあるが、その可能性は低いと感がている。
 リアクションがなければ幽香と直接交渉に持ち込み、紫との会合の機会を作ってもらうように頼めばよ
い。


 どちらにせよ、妹紅は進展があったことに満足していた。
 雨でぬかるんだ道だったが、足取りは軽かった。
 先程まで靄で見えなかった妖怪の山が見え始めた。西の空が明るくなり、雲の切れ目から陽が差し込ん
でいる様子が遠目に見えた。どうやら天気が回復しそうである。天気は自然のままにそうあるだけなのだが、何故か妹紅には天が味方しているようなそんな予感を感じていた。
 里に顔を出すと住民にいらぬ心配をかけていることに幽香の襲来によって気づかされた妹紅は、すぐ近
くの慧音の寺子屋で時間をつぶそうと思い歩みを進めた。


 藤原邸の縁側から見える幻想郷の南側の景色のほとんどが、迷いの竹林の緑である。
 それほど広くはない縁側に面した庭の周囲は低い生け垣で囲われており、その生け垣の向こうにその竹
林は見える。横に広いが空にそびえるほど背丈のない竹は、視界を遮るほど鬱陶しくは見えない。
 幻想郷の境界内の南側は大きな山がなく、竹林の西側に小さな山が一つ。反対の東側には無名の丘があ
る。
 竹林は里から近く、博麗神社への直線距離の約半分でたどり着け、そこに至るまでの道もしっかりして
いる。藤原邸を南下すると南と西に道が分かれており、南へ進めば竹林である。目の前に広く竹林が見えるので中は迷っても、たどり着くまで迷いようがない。分かれ道を西に行くと、マヨヒガと呼ばれる小さな集落跡があるが、そこまでたどり着くには、川をこえなければならないが橋がない。道が切れる川向こうには関所のような柵が見えるが、博麗の里の住人でそれが何を意味しているかを覚えている人は千年前に亡くなっており、記憶を継承している者も居ない。本来なら千年前のものでも語り継いで知識が継承されている事が多いが、これに関してては意図的に記憶から遠ざけているといってよいだろう。
 その為、川向こうに集落跡、さらにその遙か先に廃村があることなど里の者は知る由もない。
 妹紅はそうした地理的特徴が何を示しているかを知っていたが、言う必要性がないので何も語らなかっ
た。


 幻想郷に晴れ間が差し込むとは裏腹に風見幽香の心は中々晴れなかった。折られた首の痛みがまだひかないからだ。しかも先程妹紅に悪戯されたおかげで、ここに来た時よりも痛みが増している。
 騒がしい太陽の畑にいれば、その痛みプラス雑音に悩まされ、ストレスは計り知れないだろう。その点
、この藤原邸は天井さえ気にしなければ静かで良い。


 幽香は藤原邸の縁側で背筋を伸ばし正座をしたまま雨上がりの竹林を遠くに見ながら考え事をしていた。これまでの事、これからの事などを・・・。
 その時、幽香は異様な気配を感じ、ハッとなって視線を正面に向けた。その気配はいつも唐突に幽香の
前に現れる見慣れたものだった。
 幽香のほぼ正面の空間にリボンのような帯が現れると、それはすーっと上下に分かれていき、その軌跡
に一筋の裂け目が現れ、滑らかな絹布にシワを寄せたように空間ごと歪んでスキマが現れる。
 それはすぐに八雲紫の来訪だと幽香には理解できた。彼女の登場は唐突で前触れとおぼしき前兆がない
のはいつも通りである。


 幽香の前方に現れた小さなスキマは広がりながら上から下へ移動すると、まるでスキマの中から生えてくるように紫の上半身が現れる。
 腰のあたりまでスキマが下がると、紫はそのスキマに腰を下ろし、スキマの両端を左右の手で支えなが
ら、腰を基点にして足を引き抜くように持ち上げてスキマの中からこちら側へ下ろす。常識では考えられないその光景も幽香には見慣れたものだった。
 まるでソファーにゆったりと身をあずけているように見える八雲紫は、そのスキマに座ったままの幽香
の横に音も無く近づく。
 縁側を正面に背筋を伸ばして正座している幽香の真横に来た紫。その様子を目だけで追う幽香。
「久しぶりね、幽香。」
「・・・。」
 旧友の愛想の良い挨拶に無言で首をぴくりとも動かず目だけで紫を見つめる幽香。
 しばらくそんな重苦しい空気がこの空間を支配したが、一度目を瞑り正面に視線を向けた幽香はようや
く口を開いた。
「紫、あなた何を企んでいるの?」
 考えて見ると、自分の首がこうなったことは、紫と妹紅との間に何事かあった、そのとばっちりのよう
なものである。一歩間違えれば死に至るそんな重大な事件を、紫は知っていて会いに着たのかどうか、その答え如何では長い交友を断たなければならないかもしれない。
「あら、私が何かを企むことが、そんなに珍しいことかしら?」
「私を殺したいなら、自分の手でやったらどうなの?」
 幽香が何故不機嫌なのかを探るために、わざと癪に障るような台詞を言ってちゃかした紫は、予想外の
幽香の返答に戸惑った。その様子は幽香にも伝わり、自分の首が折れて重症を負っていることに紫が気づいていないことを知る。つまり、自分の怪我と紫は無関係ということである。
「ごめんなさい。どうやら私が怪我していることは知らないみたいね。」
「何があったの?」
 先程までの余裕のある笑みは既に消えている紫。
「その前に、あなたは藤原妹紅に何をしたの?」
「・・・なるほど、あなた、妹紅とやりあったのね?」
「ええ、それで景気良く首を折られたわ。」
「首を?」
「ええ・・・。」
 その後少し言葉が途切れた。
 2人の幻想郷最古参の妖怪は同じ景色を眺めていたが、先に紫が口を開いた。
「先日、向こうにいる神主から問い合わせがあったの。そちらに不死鳥が行ってないか?ってね。」
 神主の話を要約すると、ここ500年ほど世界は乱れ、それなりに人は死んでいるものの、世界は順調
に拡大している。しかし、石油など化石燃料など火を用いた古い動力を未だ使用しており、世界は順調に温暖化し、進歩し次の段階に至る前に世界が終焉になってしまいそうだということである。
 不死鳥の死は、単に世界を壊し、新しく作り変えるだけではなく、古い考えや思想諸共世界を変える起
爆剤となっているとのこと。
 不死鳥を転生させ、世界を揺り動かす必要がある。さらに、もし不死鳥が自然死してしまうと、世界は
どうなるか想像できないとのこと。


「なるほど・・・藤原妹紅に不死鳥が備わっているというの?」
「ええ。」
「俄かに信じられないけど・・・あなたが言うのなら間違いないのでしょうね・・・でも、そんな大事な
事なら変な駆け引きなんかしないで、用件を伝えて協力してもらえばいいんじゃないの?」
「そういう心境になるのは、戦いに敗れて藤原妹紅という存在を認めることが出来たからでしょ?」
「それはそうかもしれないわね。否定しないわ。でも・・・。」
「もし、もしよ、藤原妹紅が・・・私たちにとっての仇であったとしたら?」
「え、急に何を言い出すの?」
「ごめんなさい。例えが悪かったわね。ただ、私は確かめたかったの。藤原妹紅を友として認められる存
在かどうかってことを・・・ね。」
「私は妹紅をただ不死身なだけの無知な乱暴者だと思っていたわ。でも、結果はご覧の通り、戦う前から
私は挑発されて我を忘れた。そして気がついたら自分の家の前で、メディに介抱されてる始末。明らかに高度な訓練を受けたプロの犯行・・・。」
 幽香はそこまで言って、ハッとなって紫を見た。紫は何も言わず、その視線を受け止めていた。
「紫、あなたさっき、妹紅が私たちの仇といったわね?」
 紫は返事はせず、ただ幽香を見つめていた。
「妖の・・・狩人・・・まさか・・・。」
「私は、妹紅が妖の狩人ではないかと思っているの。でも、その確証はまったくないわ。ただ、当時妖怪
全体を震撼させた妖の狩人は、妹を殺してその後消息を断った。」
「ええ、でもそれは藍と相打ちって・・・。」
「そんなの誰も見てないでしょ?」
「でも、仮に妖の狩人が生きていたとして・・・なぜその後追撃がなかったの?」
「これは私の仮説だけど、妹紅は藍と接触して、何か変化が起こった・・・。」
「それは都合よく考えすぎ・・・いえ、それは・・・それは、否定できない・・・だって、私や他の妖怪
、人間も藍と交わっていろいろと変わったわ。確かに変わった。」
「そう、あの妹(こ)の力は繋ぐ力。分かり合えない相反するものも融和させてしまう、私とは全く正反
対の力。」
 どうしても否定したい幽香は様々な反論を探してみるが、考えれば考えるほど藤原妹紅と妖の狩人が同
一人物に思えてならない。そして、それが事実であったとき、自分は妹紅と先程までのような対話が可能だろうか?妹紅になら命を預けてもかまわないとまで思わせたその気持ちが変わらずにいられるだろうか?いや、出来ない。それだけ、幽香にとっても藍は大切だった。
 様々な感情が入り乱れ、冷静さを失う幽香を紫はたしなめる。
「幽香、それは確定事項ではないわ。私が今やっていることは、妹紅とどう向き合うか、その為に必要な
ことなの。」
「・・・そうね。わたしったら余計な事をしてしまったようね・・・。」
 落ち込む幽香。
「まさか、確かめる前にあなたと妹紅が接触するなんて思ってもみなかった。でも、これも何かの縁なの
かもしれないわね。良いか悪いかは別にして・・・。」
 重苦しい空気が藤原邸を支配する。
「私が余計な力を手にいれてしまったばかりに、対極のバランスが失われたわ。いずれはこうなる運命だ
ったのよ・・・藍を殺したのは私。」
「鞍馬が言ってたわね。私個人にとって最悪の結果、でも、世界にとっては最良の結果だったと・・・。

「鞍馬・・・藍の死で一番つらいのは彼なのに・・・。」
 2人の瞳には涙は無かった。戻らぬ彼女のために流した涙は計り知れない。もはや彼女のために流す涙
はとっくに枯れていた。
「・・・これも縁か・・・。ねえ、紫、藤原妹紅の件、私にまかせてもらえないかしら?」
 幽香の瞳に決意の力が見えた紫は一抹の不安を感じた。
「絶対死なないと約束するなら・・・。」
「約束するわ。なんなら指きりでもする?」
 そういって悪戯な笑みを浮かべる。指きりとは人間の儀式であり、妖怪に人間の習慣を強要するのは無
礼にあたる。しかし、人間の側に組し人間と修行した紫にとって指きりは至極普通のことであり、それは幽香も知っていた。そして、藍との最後の会話の中で、紫は藍に必ず戻るよう指切りを迫ってしまい、そのことを今でも後悔していた。
「ふふ・・・」
 紫は苦笑して頭を下げる。お辞儀ではなく顔を見られたくない表れに見えた。そしてそのままの姿勢で
、それじゃーお願いねと言ってスキマの奥へ戻って行った。


 幽香は紫が去った後、瞑想するようにずっと目を閉じ考えていた。もちろん、妹紅のことである。
 そして数時間が経ち、すっかり陽も落ちていた。
 次に幽香が目を開けたのは、帰宅した妹紅の「ただいま」という言葉に対し「おかえり」と返した時だ

った。