東方不死死 第8章 「八雲 藍」


 人間と妖怪が背中合わせで共存する場所、幻想郷。
 人間の世界からも隔離され、貧しい生活を強いられていたその村に住み着いた怪しい神職者とおぼしき集団が移住してからというもの、村は見違えるように発展し、村の者達は彼らが自らを名乗った名と同じ名をこの村に付けた。


 博麗の里。


 そして時は過ぎ、時代は室町時代。
 妖に属する者達と人間とが共存する幻想郷と呼ばれる一帯にある博麗の里。そしてその里の西側に建つ博麗神社。
 八雲紫は母屋を兼ねた社務所で一人瞑想していた。
「紫、神主が呼んでるわよ。」
 呼びかけに目を開き、その声の持ち主に笑みを返す紫。声の主は古い友人風見幽香だった。
「どうしたものかしらね。」
 幽香の言葉には応じず、姿勢を崩さぬまま、誰に言うともなしにそう呟く紫。
「賛同者だけでも先に連れて行けばいいんじゃないの?」
「そうなると、残った連中は玉砕の道を選ぶでしょうね。」
「・・・やっぱり、私が行こうか?妖の狩人だかなんだか知らないけど、そう簡単にやられる私ではないわ。」
「そう言って、何人の手練れが戻らなかった?」
 言葉を詰まらせる幽香。
「・・・やっぱり・・・藍しかいないのね・・・。」
「生きている者で藍に敵う相手はいないわ。相手が生きていれば・・・だけどね。」
「妖の狩人は死人とでもいうの?」
「魅魔という例もないことはないでしょ。普通の人間が妖怪、それも最上級の妖怪・鬼を魂ごと消し去るなんて、ちょっと考えられない・・・。」
「それはそうだけど・・・霊的な者なら陰陽師あたりが気づきそうだけど・・・。」
「博麗神社と陰陽師は深い繋がりがあるわ。彼らは妖の狩人についてまったく心当たりがないそうよ。そもそも人間には一切手を出してないから、彼ら人間側からしたら触らぬ神に祟りなしよ。」
「ヤツの正体すら未だに分からず仕舞い・・・鴉の小娘が人間の少女とか言ってたけど眉唾にも程があるわ。」
「案外当たっているかもね・・・人は見かけによらない・・・そして、その見掛けに騙される。」
「まぁ、実力でやられるなんてことはないでしょうし・・・やっぱり油断か罠か・・・その両方ってとこかしらね。」
「罠を使って貶めるタイプなら、幽香と相性は良くないわね。」
「私はそういうのは苦手なのよ。」
「ふふふ・・・。」
 会話の中身はとても重要で逼迫した内容だったが、二人の言動はまるで他人事のようだった。
 妖の狩人と呼ばれる妖怪狩りが現れてから24年。この間に200人以上の上級妖怪が魂ごとこの世から消えた。
 上級妖怪はもともとそれほど数が多いわけではなく、その代わり、固体は死んでも転生によって生まれ変わることが出来、数自体は減ることは無い。しかし、妖の狩人出現以降、上級妖怪の転生復活数がゼロという異常事態が明るみになり、これまでにもいたような妖怪狩りではなく、魂を滅する危険極まりない存在であると認知され、いつしか「妖の狩人」などと呼ぶようになったのである。


 博麗神社では近日中に幻想郷計画を発動したいという旨が八雲紫に伝えられていた。
 幻想郷と呼ばれる博麗の里近隣と、妖怪達の広い活動範囲を補う為に幾つかの土地を繋ぎ合わせ、概念の世界で再構築させるという幻想郷計画。理論としては博麗神社側が完成させていたが、里だけならともかく、広範囲に土地を切り纏める為には、紫のスキマの能力に頼らなければならない。
 幻想郷計画に先立ち、8人の大天狗のうち6人が計画に賛同し移住を申し出たため、彼らの土地を確保する必要に迫られた。そこで八ヶ岳の山麓の一部を取り込み再構築し幻想郷に組み込むことにしたのである。こうした空間を切り取り再構築出来るのは紫の力である。
 当初、大天狗に関しては藍と深く交流のあった鞍馬山僧正坊とその眷属を招く予定であったが、鞍馬が自主的に全国各地の大天狗に掛け合って説得してしまい、結局鞍馬を含め6人が賛同することになったわけである。
 幻想郷は大当初の予定よりだいぶ幻想郷の土地が拡張でき、6大天狗の一族を招いても余裕が出たため、海外の妖怪なども呼び込む事にもなった。これが、幻想郷計画と同時に行われた幻想郷移住計画である。


 幻想郷計画の構想に関係した初期の人員は、博麗神社の一族、稗田家、賀茂家、八雲一家、鞍馬山僧正坊などで、博麗神社の一族は当時総数100名以上に上り、里の住人達と混血して博麗大結界時には里の住人のほとんどが博麗の血を引いている。
 稗田家は、二代目から博麗の里で隠棲し、博麗や妖怪とは転生の為、数十年毎の時間的空白があるものの、トータル1000年以上の長い付き合いである。
 賀茂家は、安部家と並ぶ陰陽師の家系で、鎌倉から室町時代にかけて血筋が途絶えたとされているが、その生き残りである。博麗は元々平安時代以前から仏教や道教、陰陽道、天道など様々なものを吸収しており、天武天皇時代は、天皇自身も陰陽道に精通し優れた陰陽師の一人だったが、博麗神社は天武系の皇室直属の陰陽師と関係が深かった。当時の陰陽師は全て官僚の仕事で、神道にしろ仏教にしろ当時は全て国の事業に必要な役職であった。
 賀茂家自体は、博麗の保護で1300年頃に幻想郷入りしており、その当時はすでに力はなく、膨大な知識だけが残り、それは博麗によって保護・保管された。家系は里の有力な名家として今も残っているが、陰陽師などの力は既に失われている。
 八雲姉妹とそれに近い妖怪集団は八雲一家と呼ばれており、室町中期、幻想郷計画発動前の一家の筆頭的な立場にいたのは八雲藍である。八雲紫が覚醒し、その後台頭した折りは一時紫に筆頭が譲られたが、月面戦争で失脚し、それ以後はずっと八雲藍が頭首を務めている。そして、紫は月面戦争以後は特定の古い友人以外とは付き合わなくなった。
 鞍馬は、源義経に武芸を伝授したとされる大天狗で、古くから八雲藍と交流があった。当主としての自覚や資質に自身としても問題を感じていた藍の相談役を務めていた。藍は姉である紫に対する依存心が非常に強く、何事も自分一人では決められない性格なため、月面戦争以降一戦から退いた紫が、頭領としての資質を磨いてもらおうと鞍馬に頼んだのである。
 大天狗は天狗道という六道から外れた者を言い、それは優れた知識と仏教への理解により、地獄に堕ちない変わりに私利のために知識と仏教を自らの物としたため、天道に昇れず行き場を無くして天狗道へ墜ちたとされている。天道に昇るためには、その知識を誰かに伝える必要があり、唯一干渉出来る人間道においてその知識を伝えなければならないのである。鞍馬からすれば、誰かを指南することは即ち天道へ昇る為の修業の一環でもあるわけである。
 厳密に言うと、鞍馬は幻想郷計画側の者ではないが、藍の教育係りをする関係上その計画を知る事になり、早くから協力・賛同の意を表していた。


 当時幻想郷計画は着々と進められていた一方で、早急な移民が必要なほど事態は切迫しているわけではなかった。古の妖怪と呼ばれる上級妖怪は、魂レベルでは神様と呼ばれる存在とたいして変わらないので、例え肉体が滅んだとしても輪廻に墜ちる事もなく短い周期で元通りに転生することが出来る。その為、弱者ならともかく強者達は人間に討たれて、人の世界に住めなくなれば天界でのんびり隠居生活でもするかといった余裕を持っていた。
 妖怪・鬼・人間と外見や能力に大きな違いはあるが、そのいずれも魂レベルでは上位に位置するものは、等しく魂の上にあたる御霊を持っている。この御霊を持つ個体は死ぬと天界の住人となることも可能であり、大抵の場合最初は天界の住人となる。しかし、快楽だけの世界である天界の暮らしに飽きた者は、再び下界へと降りるわけだが、これを天下りという。
 天下り先で最も人気なのが妖怪で、生前は聖人などとと呼ばれた者達は妖怪となって別の人生を楽しもうとする。古い妖怪に賢者が多いのは、その本質が非常に高徳だからである。
 天下りはどこにでもできるわけではなく、仮に普通の人間に天下れば、死ぬと同時に下の輪廻に墜ちるので、御霊になるまで長い輪廻の旅をするはめになる。その為、通常天下りの先は、それ以上下に墜ちない御霊を持つ者が一般的である。
 妖怪や鬼以外でも、人間の一族の中には天下り先になりえる高い位置に存在する一族がいる。人間の中で最も有名な天下り先は天皇、皇室で、それ以外では天皇家より格下になるが陰陽師の安部家や博麗の一族も天下り先に含まれているのである。ただ、この辺りは天下り先の優先順位は低い。
 そうした関係上、博麗の一族は他の一族よりも力を持つ人材が数多く輩出される可能性が高いのである。安部家の様に歴史の表舞台に出る一族もあれば、博麗の様に歴史の蔭に隠れている一族もいるというわけである。


 仏教や陰陽師が最も活躍した平安から鎌倉時代には、多くの妖怪・鬼・魑魅魍魎が彼らによって狩り獲られてきた。それらは基本的に怨念が元で化け物化した存在であり、古くから存在する妖怪・鬼とは違う存在である。また、仮に古くからいるそうした存在であっても、必要以上に争いを好んだり平和を乱す存在は仲間からも嫌われ排除されることになる。
 博麗に組みする妖怪以外にも沢山の氏族が各地に分散しているが、お互いに交流はあり基本的に仲が良く、情報は常に共有している。彼らが危機と感じている点は、人間の勢力拡大によって住処が無くなるという点である。武闘派は当然人間を排除して住む場所を確保すれば良いと単純に考えるが、少し賢い者はそれをやれば必ず仕返しが来ると警告する。ならばどうする?となった時に明確な答えは返ってこない。こうした問答は何百年も続いており、妖怪達の一つの風物詩になっている。宴会などあればどこかで必ずこの問答が始まり、ちょっとしたケンカになるのだ。
 それを解決する方法の一つが幻想郷計画と幻想郷移住計画である。幻想郷計画は現在の幻想郷と呼ばれる地域を概念に置き換えて現実と切り離し、特殊な結界を設けて互いの行き来を妨げ隔離する計画のことで、移住計画はその幻想郷計画を広く世界に発信し移住者を募り迎え入れる計画の事である。一応この二つは別物で、特に後者は紫の作った世界が予想以上に広かったため、初期賛同者だけでは管理しきれなくなったために、急遽追加計画したものである。
 海外の妖怪ほど早くからこれに参加の意を表していたが、国内の妖怪は参加を渋っていた。
 一つの原因は八雲紫の存在である。月に無謀な戦を仕掛け多くの同胞を失った事件の責任者がこの計画の中心的存在というだけで、眉をひそめるものも多い。もう一つの原因は八雲藍の存在である。彼女の能力は繋ぐ能力であるが、使い方を変えれば生命活動に必要な器官機能のスキマを無くし停止させる事にも使える為、生きている者は彼女に逆らう事が出来ないというわけである。この究極の力を使えば人間の勢力をひっくり返す事も可能というわけで、何もどこぞへ逃げる必要もなく人間の有力者を殺して人間を支配すれば良いと考えるのは効率的且つ安全というわけである。
 しかし、八雲藍の性格は繋ぐ能力に相応しく温和で、争い事を好まず、寧ろ調停役として各氏族間の抗争の仲裁をしていたくらいである。そうした活動によって数多くの妖怪に慕われ、妖怪の中でもカリスマ的存在になっていたのである。
 現状維持が基本的な彼女の考え方で、具体的な妖怪の方針を決められず、鞍馬の助けを借りて一応の妖怪の頭を務めている状態であった。
 こうして、武闘派の妖怪達は決起を促し続け、穏健派はそれを阻止するという事を、百年以上続けているのである。


 事態が急変したのは1398年からだと博麗神社の記録に残っている。
 有力な妖怪が次々と殺され、しかも魂ごと消し去られる事件が多発し、最初の被害が出てから10年間で100名近い妖怪が消えたのである。
 誰にも目撃されず、恐らくそれを見た者はすべて殺されたのだろう。復讐心に燃えた武闘派妖怪が次々と討伐に向かいことごとく討ち死にし、いつしかそれは「妖の狩人」と呼ばれ、妖怪達を恐怖のどん底に陥れた。
 この事によって、幻想郷反対派と推進派のバランスが大きく推進派に傾いたのである。


「そういえば、紫、神主が呼んでるってちゃんと覚えてる?」
 つい話し込んでしまったが、紫を連れてくるという当初の目的を思い出す幽香。
「ええ、もちろん・・・。」
 紫が動きたくない理由は幽香にもわかる。藍が遂に「妖の狩人」討伐を決意したことを知らせるものだと紫は察知していたのだろう。紫としても普段神社に近寄らない幽香が神主の使いで紫の元に来る事自体が普通のことではないと予感させた。
 驚く程危機感のない一連の会話の裏には、双方に既に諦めの境地の様なそんな気持ちがあったからだろう。
 繋ぐ力で妖怪達の融和を促進させ、強い団結を生んだ藍にとって自らの力を殺す力として行使することは、ある種の禁忌であった。何より藍の心は妖怪としては優しすぎた。そんな恐ろしい力を持ちながらそれを一切行使しなかったのは彼女の性格がそうさせていただけで、使ったからといって彼女には何の罪もないし、咎められる理由もない。しかし、その力を行使しなかった事が彼女の今の地位を作っていたのは間違いない。
 何も考えない連中は、目の前の脅威である妖の狩人しか見ていない。狩人を討伐するなら何をしても構わないとさえいう。しかし、藍がその力を行使し、妖の狩人を討伐し終えた時、次の恐怖は八雲藍となるだろう。
 生きとし生けるもの全てが抗えない力、そんな力を行使して優しい藍が優しいままでいられるだろうか?
 力に目覚め、力で妖怪や人間を支配した時、世界は暗黒の時代になってしまう。
 だが、紫は思う。そうなったらそうなったで自分は藍と共に暗黒の時代を生きていく。藍だけに業を背負わせるわけにはいかない、と・・・。


 八雲紫は風見幽香に先導させるように緩慢な足取りで本殿の方へと歩いていた。
「幽香も本殿へ?」
「ええ。」
「珍しい事もあるものね。」
「今日だけよ。」
 実は、藍と鞍馬、博麗神社幹部連中の会合に無理やり参加していた幽香。幽香はこの当時藍を自分の妹の様に可愛がっており、なにやら重要な話し合いがあるというので、普段近寄らない神社に足を運んでいたのである。
 普段の幽香は神社にはほとんど近寄らず、もっぱら里の周囲のどこかにいる。幽香に限った事ではないが基本的に妖怪は神社が嫌いである。例外的に萃香だけが好んで神社に住み着いている。
 2人の足取りは重かったが、社務所と本堂は目と鼻の先である。出迎えのために外に出ていた巫女の一人に案内され本殿へ入る。
「あら、身内ばかりね・・・。」
 本殿にいたのは、藍と鞍馬と萃香、神主と巫女など博麗神社数名である。なんらかの重要な取り決めがあるなら、藍側の側近気取りの取り巻き妖怪が数名きていてもおかしくはないところであるが、それらの顔ぶれはなかったので紫は不思議に思ったのである。
「この話は他の連中にはできんからな。」
 紫の疑問に答えたのは鞍馬である。天狗といっても別に鼻が高いわけではない。長生きしているからといって老人の姿をしているわけでもない。天狗道に墜ちた時点で歳は止まっており、仏教の理解度に年齢は関係ない。特に鞍馬は比較的若い年齢で解脱を果たし天狗道に墜ちており、見た目は人間で言えば30歳前に見える。妖怪の尺度ではどうかわからないが、人間の尺度でいうなら非常に美男子で世が世なら女性は放っておかないだろう。
 妖怪も見た目の年齢と実年齢に比例性はない。妖怪が老けるのは、能力の限界を知った時で、100年も生きていない妖怪でも自身の限界が見えると見た目の年齢はどんどん老け込んでくる。幽香や紫などは、まったく老ける様子がないのは、自身の能力の限界をまだ見ていないからだろう。


 まだ10歳くらいの幼い巫女に席を案内された紫と幽香。自分の役目を終えたその若い巫女は一礼してそのまま本殿から出ていった。
 それを合図にするように藍が口を開いた。
「姉さん、妖の狩人と一戦交えようと思うの。」
 そのセリフはすでに予想していたが、いざ、口に出して言われると返答に困る。
「一戦交え、撤退する。これが私の提案だ。」
 藍の後に鞍馬が付け足した。
「撤退、つまり負けるってことね?でも・・・。」
「うむ、こちらの術が効いて、倒せる目処が立っても撤退する。」
 紫の疑問に鞍馬が答え、その真意を理解した紫。
「なるほど、連中をここに呼ばなかった理由はソレね。」
 連中とは藍の取り巻きのことで、特に徹底抗戦派がここにれば、鞍馬の提案に異論を唱えただろう。それでは埒があかない。
「幻想郷計画において、今いる妖怪を全て連れて行くには、妖の狩人が勝利し、我らが敗北撤退するという形が良いだろう。戦わずして去れば、その遺恨はいつまでも幻想郷に残り妖怪同士の争いの火種にもなりかねん。後は紫や幽香にこの敗北を受け入れて貰えるかどうかだが・・・。」
「私に異存はないわ。」
「・・・私も。」
 紫は即答し、鞍馬の案に全面的に応じる様子だった。紫としても鞍馬以上の策は見いだせないし、誰も傷つかない上策だと思っている。
 しかし、幽香は藍の事が心配でならない様子で、その気持ちが返答の声色に現れていた。
「幽香、言いたい事があればはっきり言え。」
 鞍馬の言葉に反応するかのように前言を撤回し食い下がる幽香。
「やはり、私も行くわ。藍に相手の力量を見せる上でも私が先に・・・。」
「捨て駒になるつもりか?」
「捨て駒になるつもりなんてサラサラないわ。藍と2人、しっかり連携を取れれば!」
「幽香、お前の戦い方は王道過ぎる。策を軽んじ力に傾注する。妖怪同士の力比べならそれでかまわんだろう。しかし、妖の狩人が腕力に頼る者だとは到底思えない。恐らく、いや間違いなく策士だ。策に対抗する力がお前にあるとは思えん。藍との共闘では足手まといになる可能性もある。それに・・・そもそも妖怪が共闘などできるわけなかろう。」
 鞍馬はきっぱりと幽香に言い放つ。妖怪は単身の戦闘を好み、むしろ共闘を下策とさえ思っている。弱い人間は共闘を好み、長い年月を掛けて連携することを修行して身に着けているが、妖怪の一夜漬けの共闘など互いに足を引っ張るだけである。
 ぐうの音も出ない幽香は、恐ろしい目つきで鞍馬を睨み面目を保とうとするが鞍馬にそうした脅しは通用しない。幽香と鞍馬の力関係は、全てに於いて鞍馬が圧倒的強い。逆に睨み返され舌打ちして目をそらす幽香である。
「すぐに激情するその性格では策士には対抗できんぞ。」
 何も言い返せない幽香は、拳を床板に押し当てて怒りを沈めようと必死に平静を取り戻そうとしていた。幽香自身もこれは直さなければならないと思うのだが、これが中々直らない。
 そんな幽香に藍が声をかけた。
「幽香、私なら大丈夫。あなたも知ってるでしょ?あの力を使えば誰も身動きが取れなくなる。最初に油断さえしなければ、いくらでも逃げるチャンスはあるわ。戦う事は嫌いだけど、戦えない訳じゃない。こう見えてもやるときはちゃんとやるのよ。」
 藍は幽香に笑顔で応えた。しかし、それはかえって幽香を惨めにした。
「花なんて・・・こんな力より、もっともっと役に立つ力が欲しかった!」
 自らの司る力は、戦闘においてほとんど役に立たない。それが悔しく、もどかしく、そして惨めに思えた。
 幽香は抑えきれない感情を全面に出し、両手の拳を振り上げ上半身もろとも投げ打つようにして床板を叩いた。普通の床板なら完全に壊れていただろうが、博麗神社そのものが強度補強・強化保護、退魔処理、防音処理などがされているため大きな音はしたがびくともせず、音も外には漏れなかった。
 幽香は床に伏せて泣き崩れていた。それを見た藍は幽香のそばに歩み寄り、そっと頭を撫でた。
「私はね、幽香の力が世界で一番だと思っているの。だって、花を咲かせるのよ?平和な時代にはその価値は隠れてしまいそうだけど、世が乱れ、人々の顔から笑顔が消え、大地が焼け野原になって、世界が絶望に包まれても、あなたがいればそれを全部取り戻せるのよ?焼けた大地は芽吹き再び緑を取り戻し、美しい花は絶望で傷ついた心を癒し再び前に進む力を与える。あなたの力は傷ついた世界と心を癒す力なの。神様ですら及ばない力を持つ最強の妖怪、それが風見幽香。」
 幽香は自分の力をこの様に評価されたことは一度もなかった。はっとなって顔を上げると目の前に藍の笑顔があった。今まで心を蝕んでいた黒い劣等感が漂白されていき、温かい気持ちで満たされていくのを感じる。
 幽香は抵抗を止めた。藍の無事をただ祈るしかない。神も仏も何も信じていないが、今回ばかりは誰かに祈りたかった。
「藍、絶対に戻ってくるのよ?約束よ!」
 幽香の顔面は涙と爆発した感情でぐちゃぐちゃになっていた。
「約束する。必ずみんなの所に戻ってくるわ。」
 笑顔で応える藍だった。


 八雲藍が妖の狩人の討伐に向かう事が決まり里に公表された。
 武闘派は諸手を挙げて喜び、幻想郷推進派もやむを得ずと了承した。
 だが、一戦してすぐに撤退し、妖の狩人の勝利、幻想郷撤退という鞍馬のシナリオが裏で画策されている事は一部の者達しかしらない。
 戦勝を祝う為、神社と妖怪達の武闘派と推進派と、それぞれ主催の違う酒宴を開き、出立は討伐が決まった日から数日後となった。


「それじゃー姉さん、行ってきます。」
 出立の具体的な日時は決めておらず、このまま出なければずっと持ち回りで酒宴が行われそうであったが、神主が助言してくれた吉日の早朝に藍は姉の紫にだけ挨拶をしに彼女の寝所に来ていた。
 挨拶を終えた藍が、紫の家の玄関を開けると、そこには見知った顔が並んでいた。
「こっそり出るなんて水くさいわね。」
 風見優香、魅魔、伊吹萃香カ、九尾御乱、いわゆる八雲一家紫組である。
「みんな・・・。」
 玄関前、藍の正面に4人が並び、藍の後ろには紫が立っていた。
 藍は玄関先に出て、その後を紫が追うように出てくる。紫が閉めた玄関先で藍は5人に囲まれ、それぞれ一言二言言葉を交わした。それはもちろん、別れの言葉ではなく再会の約束である。
 最後に紫が藍を呼び止め、小指を差し出し、必ず戻ってくるようにと指切りをせがんだ。
 この時、紫以外の全員がその場に凍りついた。そして、紫はその様子を見て自分のしでかした事の重大性に気づいた。
 指切りは人間同士の約束を守るための契約の儀式である。そして、同じ動作でありながら妖怪同士の指切りは円満な契約破棄を意味する。
 紫は妖怪同士の共同体から爪弾きにされていた時間が長く、人間と共に生活する事の方が多かったため、自然に人間の文化、習慣などが深く身体に刻まれていたのである。
「ご、ごめんなさい。私ったらつい・・・。」
 この場合、紫の行動は大変無礼なものであったが、そうした紫の事情は皆知っていたので笑って済ませたが、藍は少し複雑だった。
 もちろん、その紫の行動が許せないとかそういうものではない。ただ、自然にそれが出る紫に対して、羨ましいという、むしろ嫉妬に近い感情があった。
 藍は繋げる力。人間とも仲良く融和していたつもりだった。しかし、紫の指きりを見たとき、他の紫以外の者と同じように嫌悪感が先に出てしまった。結局自分は「妖怪」なのだということを改めて気づかされたと同時に、八雲紫が妖怪でも人間でもない、「八雲紫」という個別の存在になっていることを今更ながら知ったのである。人間との本当の意味での信頼と結束と融和を成しえたのは自分ではなく姉の紫なのだ。それを知った時、藍は心底姉が羨ましかった。
「もう!本当にあんたは人間かぶれなんだから!」
 舌を出してテヘヘと小指を引っ込めて頭を掻く紫を攻める幽香。それを見て皆笑っていた。
 こんな素晴らしい仲間達とずっといっしょにいたい。藍は必ず戻ると改めて強く決意した。


 朝霧に消える八雲藍の後ろ姿が、最後の藍の姿になるなど、この時誰も思いもしなかった。
 1422年は、妖怪にとって忘れる事の出来ない最悪の年である。