東方不死死 第9章 「遅すぎた出会い」
妖の狩人の手がかりを得ようと、最も新しい被害現場に訪れた八雲藍。
そこは、一見すると普通の人間の村であったが、妖怪の一家が人間を排除して住み着いたところである。
人間と妖怪との勢力バランスが変わってからは、妖怪の中には盗人のように人間から土地を奪う事も珍しくなくなっていた。
八雲藍が訪れたこの村はそんな人間から力ずくで奪った村だった。
藍は妖の狩人がどんな手段で魂を消し去るのかまったく予想できなかった。月面戦争で戦死した妖怪も転生しなかったが、月という別の世界のルールが適用されたのかもしれない。つまり月側では輪廻や転生という仕組みが存在しない世界なのではないかということである。
戦場跡に魂消滅の、例えばなんらかの儀式の跡のようなヒントがあるかもしれないと思いここを最初に訪れたのであるが、この行為はあまり賢いとは言えないだろうと藍自身も思っている。過去に、復讐の為に被害現場向かい、恐らく待ち伏せを受けて、二次、三次的な被害が出ているからだ。
藍は十分周囲を警戒しながら現場検証を始めた。
「戦いの痕跡がない・・・寝こみを襲ったなら家が破損したり汚れているはずだけど・・・。」
村は妖怪が消えてから一月程経過しており、その位の時間が経過した程度の荒れようは見て取れるものの、何者かによって荒らされた形跡や乱闘など戦いがあった様子もない。村の住人全員が夜逃げして一夜にしてもぬけの殻になったような、そんな印象である。
「戦った形跡がないのは、戦場を別の場所に移したからね・・・。」
藍は妖の狩人の人となりがなんとなく見えたような気がした。村を壊さないために、なんらかの方法で外におびき寄せたのだろう。間違いなく妖の狩人は人間と中立の立場ではなく味方として動いている。ならば、この村が再び妖怪に支配されないように見張っている可能性が高い。そうした被害にあった村は数箇所あるはず。恐らく巡回しているだろうから、ここで待つのが得策か・・・。
藍は周囲に注意を払いながら思考に没頭していた。
「邪悪な存在ではなさそうね。」
「何が邪悪だって?」
藍が妖の狩人をそう評した時、突然後ろから誰かに声を掛けられ、口から心臓が飛び出すほど驚いて振り返った。思考しつつも全身で周囲を警戒して神経を配っていた藍としては、誰かの接近を察知できないはずはなく、周囲には誰もいないと確信していただけにその反動は大きい。
振り向きつつ後ずさって身構える藍の前に立っていたのは一人の人間と思しき少女だった。
その少女の髪の毛は肩程で綺麗に切りそろえており額に赤い鉢金をしていた。その鉢金がやけに赤く映えて見えたのは真っ白な美しい髪をしていたからだろう。全体的に灰色の装束で大工などの作業着のように見えた。右と左では袖の形状が異なっており、左手の甲から肘辺りまで小さな鉄の板を数枚、服の生地に縫いつけている。両手は指先だけ出してそれ以外は服と同じ色の包帯をしているように見える。膝から下は黒い足袋を履いており、指先と踵だけ肌が露出している。そして最も特徴的に見えたのが、服全体に長方形の赤い模様がびっしりと描かれていた事である。
見るからに一般人ではないとわかった。
「・・・あ、あなたは?」
みっともなく驚いた姿をさらした藍は、恥じらいを隠すように平静を装いながら少女に実に平凡な質問した。
「妖怪に名乗る名前はないわ。」
その少女は藍の質問にそう答え、ニヤリと不適な笑みを浮かべた。
それを見た藍はとっさに、目の前の少女がただもではないと認識した。こちらを妖怪と知って忍び寄って来る人間がただの人間であるはずがない。
「あなた、妖の狩人ね・・・」
「そんな名前じゃないけど、妖怪からはそう呼ばれているようね。」
「・・・。」
どんな姿をしていても驚かないと思っていたが、まさかこんな少女だとは思わなかった。しかも、解せないのは、完全に背後を取りながら不意打ちせず堂々と向こうから話しかけてくるところである。
そのふてぶてしい態度は、自信過剰からくる軽率な態度ではなく、老練な手練れの余裕の現れに見えた。
見た目は少女だが中身はかなりのベテランだ。藍はそう認識した。
「あなた、相当な上物ね。妖怪の秘密兵器?」
妖の狩人藤原妹紅は、目の前の妖怪を見て、それが只者ではないとすぐに理解できた。今まで見た事もないような非常に大きな魂の強さを感じ取れたからだ。
「・・・」
警戒し身構える藍。
「そう身構えないでよ、不意打ちとか卑怯な真似はしないから。すべての力を出し切らせてあげるわ。死ぬのはその後でいいでしょ?」
余裕の笑みを見せる妹紅。本気なのか演技なのかいまいちつかみ所がない。別の意味で不意打ちを喰らって一方的に相手のペースになっていると見る藍としては、なんとかこちらのペースに持って行きたい。
「なぜ、妖怪を狩るの?」
我ながらこんな当たり前な質問しかできない自分に少し苛立つ藍だったが、そのセリフに妹紅は真顔になった。腰帯に両手を突っ込み首を横に曲げて後ろをみやる。視線の先は、住人のいない村があるだけである。藍は妖の狩人が何を言わんとしているか理解できた。
「その質問は何度もされたわね。で、そんな時はこう答える事にしてるの。なぜ、人間を殺し、人間を食うのか?ってね。妖怪にとって人間は生活に必要な存在よね。衣食住を提供する奴隷。妖怪から見た人間の価値は結構大きいかのかもね。でも人間から見たら妖怪なんて、今となっては何の価値もないのよ。」
「それで、妖怪を狩って根絶やしに?」
「ええ。どの道、人間と妖怪が共に暮らすことは不可能よ。これだけ人間の勢力が大きくなれば、私が手を下さなくてもいずれ、あななたたちはこの世界から退場しなければならない。」
「私たち妖怪は、今、人間と共に融和を目指し、共に生きているわ。共存は決して不可能ではないはず。」
「不可能ではないでしょうね。人間と仲の良い妖怪や鬼がいるのはもちろん知ってる。でも、極一部の妖怪の自己満足のために、こういう村があと何個必要なの?」
「それは・・・。」
答えに窮する藍を見てほくそえむ妹紅。妖怪の理論は常に人が下にあり、人は妖怪の為に我慢するものだという大前提がある。数が多いのだから我慢しろ!根絶やしにされたいのか?ならば言う事を聞け。そういう身勝手な考え方が基本となっている。小ざかしく説得しようする妖怪には現実を見せ付けてやればそれで黙る。いくらきれい事を語っても、人間を支配し、搾取するという基準は絶対改めようとしない。理を説けば説く程に妖怪達の理論に矛盾が生じ正当性が無いとばれるのである。
そして、相手が冷静になれない状態に持っていき、感情をコントロールするのが妹紅の定石なのである。
だが、今回は少し違っていた。藍はしばし唇をかみ締めながら下を向いていたが、顔を上げると素直に妖の狩人に謝罪を始めたのである。
「ごめんなさい・・・。」
「はぁ?」
予想外の言葉に思わず拍子抜けする妹紅。
「全て私が悪いの・・・決断を先延ばしにして、いらない犠牲を増やし、妖怪達をかえって追い詰めてしまった。」
「・・・なんか、妖怪の親分みたいな言い方ね。」
「ええ、私は八雲藍、妖怪の長よ。」
妹紅は自ら長と名乗る八雲藍という妖怪を思わず凝視してしまった。ついに親分が登場したかと思ったが、妹紅なりの妖怪の親分像とはだいぶかけはなれている。
「お前が妖怪の長?冗談でしょ?」
「あなたが驚くのも無理はないわ。でも、それは私が妖の狩人が人間の少女だと思わず驚いた事と同じこと。」
妹紅は少女と評され思わず苦笑する。中身はババァといわれても反論できない年齢である。とは言っても、肉体が若い間は中身も老けないものである。
「私と戦えば、なぜ私が長なのかわかるでしょう。でも、戦う前にもう一度あなたに尋ねたい。共に歩む道はないの?僅かでも可能性があるなら、私はそのためにどんなことでもする。」
気負いもなく、静かにたたずむ八雲藍。突然の謝罪、突然の身分の告知、突然の提案。こちらを撹乱するためとも、冗談とも思える内容だが、藍名乗るその妖怪の表情は真剣そのものだった。妹紅も長い人生の中で、その言葉と態度にウソを見抜く目を持っていると自負する。その妹紅にも八雲藍にウソはないと思えるのだ。
妖怪は人間より正直で嘘をつかない。人間ならきれい事で済まされる言動だか、妖怪のきれい事は本心である。
「しかし・・・。」
思いがけない展開に戸惑いの心情が思わず口に出る妹紅。
「少し遅すぎたんじゃない?あなたが出てくるのが・・・。」
「・・・そうかもしれない・・・でも。」
妖怪達に相当な被害がでているだろうと妹紅も感じている。だからこそ親分格の登場なのだろうと。だが、雌雄を決して戦うならまだしも、ここにきて和解はないだろうと思う。妹紅としては妖怪が人間に降伏して考え方を改めるというのなら藍の申し出を受け入れる事に吝かではない。しかし、妖怪の生き残りからしたら納得はできないだろうと思う。
藍を見ていると悪いヤツではないが、世間知らずのお嬢様といった印象を受ける。
「私は、妖怪に両親を殺されたとか、そういうのはないし、だから妖怪に個人的な恨みを持って狩をしているわけじゃないわ。自分の理想とする世界に妖怪が不要なだけ。もし、あなたが自分の目指したい世界があるのなら、実力でそれを勝ち取りなさい。」
妹紅は八雲藍の提案に否という意思表示をした。妹紅はあくまで妖怪不要という立場を変える気はなかった。
「やはり・・・戦うしかないのね・・・。」
藍は、妖の狩人に邪悪な心がないと確信していた。だからこそもう少し早く戦う事を決意していればと後悔の念が大きくなっていた。お互いに引けないところまで被害が出る前に何らかの交渉に持ち込めていたら、妖の狩人と共に歩む今があったかもしれない。
「あなたとは、もっと早く出会いたかった・・・」
二人は同時にそう心の中で呟いていた。
妹紅はこれ以上話す事はないと、戦いの構えを見せた。
それに呼応し、藍は後ろに跳び、そのまま大きく何度も跳んで後退し、村から距離を取る様に動いた。
妹紅はその藍の真意を理解してその後を追う。
藍は樹木などの遮蔽物のない場所で立ち止まる。
本来は、相手の力が分からない時は迂闊に突進しないのが常だが、妹紅は相手の咄嗟の対処法から本質を掴めやすいと経験上知っているため、様子見などせず無謀とも思える突進を試みた。人間でもそうだが咄嗟の時に素が出るのである。もちろん、こんな無謀が出来るのは妹紅が不死身だからという前提があるからである。
妖の狩人の予想外の突進だったが、藍は妹紅がこなければこちらか近付いて陣に絡めようとしていたので素早く対応できた。
妹紅は藍に急接近し、その間合いに入った時、突然目が見えなくなり耳も聞こえなくなった。それどころか体が硬直し全く身動きがとれなくなったのである。
金縛りか何かの術か?それとも石化?自分の身に起こった異変に対して妹紅は焦る事無く驚くほど冷徹に分析した。
感覚はある。気配も感じる。頭も働いている。藍はその最初の場所から動いていない。
肉体は完全に石のように硬化しているわけではなく、無理やり動かそうとすれば動きそうだ。ただ、それをやると筋肉や腱、骨に多大な損傷を与えるだろう。しかし、不死身の妹紅にとって肉体が壊れることなど、それほど重要なことではなかった。
妹紅は藍の術中にはまるふりをして、藍が動くのを待った。
藍は妖の狩人が自分の能力に影響され、生体組織の結束が強くなって一種の金縛り状態になっている状況を見て安堵していた。
「(術が効かなかったらどうしようかと思ったけど・・・ちゃんと効いているようね。)」
動きを止める事が出来れば逃げるのは容易である。この戦いはあくまで一戦を交えるだけで撤退することに意味を置いているのだ。
ただ、このままの状態にしておくと死んでしまう。頃合を見て術を解き、妖の狩人に手も足も出せない事を認めさせ、こちらの実質的勝利を見せつけ追撃をさせない、もしくは追撃を鈍化させるようにしなくてはならない。
藍は1分程そのままにして失神させようと目論んでいた。呼吸だけなら数分止められる人もおり、妖の狩人なら1分は余裕で持つだろう。しかし、この硬直は生体組織に直接的にダメージを与え、特に肺組織に深刻なダメージを与えるため、長時間そのままにすると危険である。普通の大人の人間なら1分以内で失神するはずである。
だが、人も殺せない藍の優しさが仇となることになることを、藍はすぐに思い知らされることになる。
数分なら余裕で息を止められる妹紅。肉体の組織も不死身故、普通の人間ならジワジワと蝕む生体組織ダメージも随時回復してしまう。そしてそれにまったく気づいていない藍。
頃合と見て近づいてくる藍が、妹紅の間合いに入った時だった。
妹紅は両腕を思い切り振り上げるように持ち上げる。筋肉や腱、肩の骨が砕け散る鈍い音と共に振り上げた腕の反動を利用して上半身を仰け反らせた。硬直した肉体は反れる方向とは逆に元に戻ろうとする反力が働くが、勢いは反る方向が勝った。
そのまま反った背中は硬直している背骨を粉砕し、ちょうど腰の辺りから体が真っ二つに折れ曲がった。バランスよく支えていた両足は、後ろにかかる負荷に耐えられず後ろに倒れる。
妹紅はその倒れる勢いを利用して右足を振り上げて予め足の裏に仕込んであった発破の呪符を、目の前の信じられない現象に唖然として固まっていた藍の顔面に叩き込んで右足もろとも爆破させた。
手応えアリと妹紅は確信したが、骨や肉がバラバラになってあり得ない方向に間接が曲がって倒れた状態から肉体がまともに動ける状態まで修復するまで藍を視認することは出来なかった。
即死していれば肉体は瞬時にリザレクション(蘇生)するが、肉体損傷だけの場合は、その場で再生活動が行われる。余りにも損害が大きいと元に戻るまでそれなりに時間がかかる。即死していたほうが復帰は早かったりするのが実情である。
藍が傷を負ったのは間違いない。藍は反射的に後ろに退いて、それと同時に術が切れて妹紅の五感が回復した。どうやら、この術の効果範囲はあまり広くないようだ。
視力が回復し、藍の傷の状況を見ようと視線を向けるが、目の前の藍は顔を痛そうにおさえるだけで見た目全くの無傷でった。
おかしい。妹紅はそう感じた。あの爆破を喰らって無事であるはずがない。かすり傷程度なら肉体的に頑丈であると判断出来るが、全くの無傷は逆に不自然に見えた。
まさか自分と同じ不死身なのか?それ故に妖怪の長の地位にいるということか?
しかし、もう一つおかしいと感じるところがある。それはあからさまに痛そうな顔をしているところである。
戦闘において痛みを表に出すというのは妖怪にはほとんど無い事である。これの意味するところは、藍は生粋の戦士ではないということ。戦闘経験が浅く初めて味わう痛みだということ。相手を騙すための演技ということ。など幾つか考えられる点がある。ただ、人間と違って妖怪の戦闘は卑怯から程遠い。つまり、演技はないだろうと思うのである。
答えは次第に分かってくるが、この時点では妹紅にはまったく分からなかった。
爆破の後、妹紅の視力がすぐに回復していれば、その光景に驚くはずである。藍の繋ぐ力によって細かく崩壊した顔面の各部品が、逆再生するように元のあるべき場所に戻ったのである。
妖怪は元々肉体的に非常に頑強で、生命力・再生能力も高い。バラバラになってもすぐに元に戻れば何事もなかったかのように再生してしまう。
ただ、痛みは消すことは出来なかった。そして藍はその顔面崩壊の痛みに耐えられる程の痛みを過去に経験したこともなく、それに耐える訓練もしていなかった。その辺が妹紅を戸惑わせた原因である。まさか戦場に来る者が戦闘経験がほとんど無いとは思わないだろう。
藍側からすれば、生体硬化を強引に打ち破って身体をバラバラにしながら反撃することにまず驚き、その傷がすぐに治り何事もなかったかのように立ち上がる妹紅が、とても人間とは思えなかった。特に爆破した右足が再生するなど人間ではあり得ないことだった。
しかし、耐え難い痛みに苦しむ表情は、内心の恐怖心を隠すという意外な効果を生みだして、妹紅の判断を遅らせる結果となった。
妖の狩人は不死身なのか?だとしたら、当初の計画の通りにはいかない。藍は激しく動揺していた。
痛みでしかめっ面の藍の心の動揺は妹紅には察知されていない。妹紅としても予想外の藍の術に対してもう少し様子をみようと、ここに来て猪突を止め大きく距離をとって構えていた。
「(絶対に負けられない・・・みんなの元に帰らなければ・・・。)」
この時藍は妖の狩人を戸惑わせ精神的な駆け引きにおいては互角かむしろ有利に傾いていた。しかし、戦場の流れを読めていない駆け引きが未熟な藍は、一人で勝手に追い詰められ、自らの奥義で挑もうと決意していた。
藍の表情が変わった事に妹紅は気づいた。
「(本気になったか・・・意外と早い展開だな・・・ん?)」
相手に100%の力を出し切らせて殺す。これは妹紅の戦いの美学の様なものであり、また、妖怪に対しては敗北を意識させ、おとなしくさせる最良のやりかたでもある。
しかし、藍の表情の変化とともに、今立っている戦場に異変が起きている事も同時に察知した。
腹帯の中に仕込んでいる強力な磁石が突然反応しはじめたのである。
「(磁場が乱れた?いや、違う、鉄?)」
腹帯の磁石がある部分が少し重くなっている。さりげなく服を調える振りをして、腰に手をやり手についた何かをペロっとなめる。血の味がする。つまり鉄分か。鉄の粒、砂鉄などという大きな粒子ではない。非常に細かい粉のようなものだった。
「(まずい、慎重になりすぎて、相手に陣掛けさせてしまった!)」
あの苦痛の表情は嘘だったか?いや、実際嘘ではなかったが、その後の行動を予測させないカモフラージュの働きをした。
自然に存在する鉱物、鉄、銅、亜鉛、スズ、その他それに類する金属など堅い物質が粒子となって藍に集まっている。
陣を完成させまいと、妹紅はすぐさま突進し岩老刀で抜き斬りつけた。
藍は集中しており妹紅の攻撃を積極的に回避はしなかった。左の腕が衣服ごと宙を舞う。これは術を完成させるために左手を捨てたと妹紅は見た。しかし、次の瞬間、逆再生のようにスルスルと腕と衣服までもが元に戻る信じられない光景に、妹紅は最初の一撃もこれで修復したと理解した。
鉄分は、体内にも存在する。決して人間の体にとって異物ではない。その体内に存在する鉄分を人型として記憶し、記憶した形状通りに戻るだけ。妹紅のような不死身からくる無意識な再生活動ではなく、任意にそう命令して元に戻しているのだろう。
「(そうか、こいつの能力は繋ぐ、結ぶ、固める力だ!)」
妹紅は藍の能力をほぼ理解し、藍の今の術がどれほどのものかを確認するために、分身呪符を5枚同時に投げつけ、5体の分身に自爆攻撃を命じた。
藍はその5体を順番に確認し、ゆっくりと下がりながら右手を分身に差し出しすと、右腕が金属のような光沢を持つ触手のような物に変化して自在に動き、攻撃の瞬間真っ直ぐに硬化鋭利に伸び、まず1体目の分身を串刺しにして撃破。そして、更に後退しつつ左手も同様に使って順番に分身を串刺しにして破壊する。
妹紅はそれを見て、藍が戦闘に関してそれほど熟達していない、もしくは性格的に戦闘が苦手なタイプであると断定する。人間の尺度で言えば上手い戦い方と思えるのだが、妖怪の尺度としての判断は別である。これほどの戦闘力がありながら、前に出ず、攻撃に対処するという消極的な戦法は妖怪の間では評価されないのである。前に出れない理由は、普段から戦闘をしていないため、複数の目標に対して同時に対処出来ないことを暗に示している。
表情が変わり、いわゆる取っておきを出すという合図を自ら相手に知らせているのも普通はしないことである。
しかし、そうしたいくつかのネガティブな要素を抜きにしても、妖怪として最強の能力を持っているのは間違いない。実際この能力はかなりやばい。
彼女がもし、戦闘好きで、センスも備わっており、さらに戦略にもすぐれていたら、藍一人に人類は征服されているかもしれない。
妹紅がこの時、八雲紫という存在をしっていれば、なぜ八雲藍がこれほどの力をもっていながら心が優しく殺しも出来ない性格を持って生まれたかを知るだろう。紫と藍は、その恐るべき力も持つ故、能力と性格を分けて生み出された存在なのだ。
妹紅は、久しぶりに「やばい」という本能の危険信号が自分の中で発せられている事を意識していた。
「(この能力はやばい!生きながら鉄の塊にされてしまう・・・。)」
本当にやばいときは、そんな冷静な判断は出来ないものである。妹紅は身の危険を感じながら打つ手も同時に考えていた。
「(やつの間合いは案外狭い、しかも、向こうからは来ない。決着をつけるならこっちから突っ込まないとダメだな・・・。)」
それは、死地に飛び込む事を意味する。だが、虎穴にはいらずんば虎児を得ずだ。
妹紅は藍の状況をこう分析していた。まず、硬質な物質が藍の周辺に目に見えない粒子となって渦巻いており、それを結合・拡散を自在に操り、攻撃や防御に臨機応変に使えること。これは大きな脅威である。だが、問題もある。自分を中心にした陣及び自身は、機敏に動かせない、動けないこと。もしくは陣はまったく動かせず、そこから出ると能力が使えなくなるかもしれないということ。
能力をどこまで持続させることが出来るかは分からない。先ほどの左手を捨てたような動きは、ある程度術に集中する必要があったために、回避を優先できなかったためだろう。つまり、それは今の術以外の事を同時に行えないという事でもある。
これは重大な案件といえる。向こうからこれない待ちの陣なら、攻めるための術を長時間掛けて練れるということである。
このまま長期戦に持ち込んで精神的疲労を強いて粘り勝つこともありといえばありだが、妹紅としてはあくまで相手の100%を出しきらせた状態で完全勝利を目指すつもりである。相手の術に真っ向から向かってそれを粉砕する。そうでなければ意味がない。
問題は相手に冷静な判断をさせないこと。こちらの最後の取っておきを見せないこと、意識させないこと、その存在を考えようとする余裕を与えないこと。
その上で、もう一つ重要なのが相手の最終的な技を予測すること。鉄の塊にされると妹紅が予想したように、恐らく、間違いなく藍はこの周囲の硬質成分を使って妹紅の動きを封じ込めるはず。そしてそれが妹紅にとって一番の恐怖である。
相手に100の力を出し切らせて勝つ為には、それをさせなければならない。その上で自分が助かり、相手を殺す。そんな戦法があるのか?ある!
「(相手が悪かったわね。)」
妹紅は勝利を確信する。
「・・・!」
藍が妹紅の表情に勝利を確信したような、そんな雰囲気を感じとって背筋が寒くなった。
「(来る!)」
妹紅は右手の人差し指と中指を立てて口元に2本の指を添えると、口の中でブツブツと念仏のように何かを唱えだした。
藍はそれを見て、動こうと思ったが動けなかった。妹紅の眼力にまるで蛇ににらまれた蛙のようになっていた。動きたくてもイメージの中で、妹紅を倒す姿を想像できない。
妹紅はブツブツと口の中で何かを唱える毎に頬が膨らみ、口の中に何かが存在することに気づく藍。
頬がいっぱいに膨らむと、呪符を取り出しす。その様子を凝視するしかできない藍。妹紅は完全に藍の性格と陣の性質見抜いたようで、あからさまに大きな隙を見せ、それに対応できない藍をあざ笑うように見つめている。
左の人差し指と中指の間にはさんだ1枚の呪符をわざとらしく見せつけ、口から何やら黒い糸の様なものがニュルニュルと出て、その糸の先端を右手の親指と人差し指で摘み引っ張ると、それを左手の呪符にくっ付ける。
一度呪符に触れた黒い糸の様なものは、妹紅の口から自然にスルスルとまるで意思を持っているように整然と呪符に張り付き紋様を形づくっていった。この黒い糸の様なものは、藍の位置からははっきりみえないが、呪文の一字一字が繋がった実体化命令文で、基本的な機能を予め記録している呪符に新たに命令を上書きさせ高度な術効の呪符に置き換える高度な妖術である。
例えばまっすぐ敵に突進して自爆するだけの分身呪符に具体的な行動パターンをインプットし、敵に避けずらい動きをする分身に作り変えるという具合である。
まるで見世物の様に、藍に最後までその様子を見せると、今度はその呪符を両手でパンと叩く。
叩かれた呪符は、ボンと音を立てると、合わせた両手の手の平が30センチほど引き離れ、その手の平の間に30センチ分の大量の呪符の束が現れた。
藍は思わずギョッっとなった。先程の自爆分身を見ているので、これがもし同じものなら凄まじい数の自爆分身が来る。
「さて、覚悟は出来たか?行くぞ!」
妹紅は準備が整ったと藍にわざとしらせ、藍に心の準備をさせる。このわざとらしい演出も、全て最後の一手を隠すためのカモフラージュである。
妹紅の出した大量の呪符は、妹紅の正面に横10枚×縦10枚計100枚を一面として、それが3面ほど整然と並んで宙に浮いている。
これは300体の分身がそっちにいくぞということを敢えて見せたということである。
「くっ!」
妖の狩人にやりたいようにやらせてしまった自分に後悔するが、だからと言って自分にそれをさせないだけの駆け引き手段がなかったのは事実。カウンター的な陣を相手が何かをする前に出した事自体が誤りであり未熟と言わざる得ない。もう少し真面目に戦闘訓練をしていればと後悔しきりである。
しかし、これを全てしのげば最後に妖の狩人が来る。300体の分身を余裕を持って捌けば、焦って300体前に本体が来る可能性もある。いずれにしてもこの挑戦に受けて立つ以外に生き残る術はない。藍も覚悟した。
最初の10体は1体づつ順番に、それ以後は同時に何体もの分身を数を増やしながら送り込む妹紅。
藍は一度張った陣から大きく動く事は出来ず、妹紅の読み通り間合いも狭いようだ。
受けて立つ藍は、襲い掛かる分身を次々に撃破していく。先程は両手を使っていたが、今は自分を中心に円陣を敷き、地面から鉄の槍を突き出し防いでいる。
妹紅は思わず感心する。自分の意思ではなく接近する物体に自動的に反応する仕掛けにしているようだ。全方位対応の完全な防御陣といえる。センスが無いわけではない、ただ、絶望的に戦闘経験が少ないのだ、藍には。
しかし、感心してばかりもいられない。このままだと完封される。
だが、藍は陣を維持するために必死な様子である。その必死な形相を見て長くはもたないと判断し、妹紅は心の中だけでほくそ笑む。そして表情にはわざと焦りの色を見せていた。
精神的にも体力的にもベストな状態なら、その妹紅の様子をフェイクと見抜けるだろうが、余裕のない時はそうはいかないものである。特に駆け引きが下手な藍には、妹紅の表情は演技には見えなかった。というより、焦っていて欲しいという願望によって自己暗示をかけてしまっている状態であった。
「(早く来て!)」
藍は、限界に近かった。度重なる妹紅との精神的な駆け引きに体力よりも特に精神が参ってきている。
妹紅はこのまま分身の自爆で殺すつもりはない。あくまで藍のすべての力を引き出すつもりだった。予想より早く参ってきた藍に、妹紅は藍の願望どおりに「このままでは全ての分身がやられる。自分が突っ込むしかない」という態度をとってみせた。
「(来る!)」
全て妹紅の手の内にあることなど想像だにせず、妹紅の態度から最後時が来ることを予感する藍。
妹紅は、ある「とっておき呪符」を1枚袖に忍ばせ、「くそ!」と舌打ちして岩老刀を抜いて藍に突っ込んだ。この特殊な呪符は、近い将来幻想郷の武闘派集団の間で有名となるが、それは後の話しである。
「はあああああぁぁぁっ!」
妹紅の偽りの突進を本物の突進として捉えた藍は、妹紅の動きに見事なカウンターとして右の手の平を差し出す。
「しまった!」
妹紅はわざとらしく予想外という声を出し、硬直して手から岩老刀がポロリと落ちた。いや、わざと落とした。そして内心笑いながら袖に忍ばせた呪符の角に親指を当て、少しの圧力で指に刺さり血が出るように仕込んだ。
冷静な第三者がこれを見たら妹紅の茶番とはっきり見えただろうが、藍の追い込まれた精神状態では、自分の完全な読み勝ちであると疑わなかった。
妹紅は、妹紅の姿そのままに鉄のメッキを張った様に鉄色に変わる。そして藍はさらに気合を込めると、メッキの表面に更にメッキを上塗りするようにどんどん盛り上がると、それはだんだんと人の姿には見えなくなり、ついには大きな岩のような大きな塊にかわっていた。
妹紅がいくら不死身でも、これだけ厚い塊の中に閉じ込められたら身動き一つできない。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・勝った?」
前身で息をつきながら藍は勝利を確信した。先程前身をバラバラにしてもすぐに直る不死身ともいえる妖の狩人なら、このまま放置していても死なないだろう・・・。
凄まじい疲労感と同時に勝利の喜びが藍を包む。高揚する初めての感覚に戸惑いつつ、妖怪たちが戦いを好む理由が理解できたような気がする。
妖の狩人だった塊に一瞥して、八雲藍は背を向けた。早く帰ってみんなにこのことを知らせたい。そして褒めてもらいたい。
藍は数日前に里を出発した際に見送りにきてくれた面々の顔を思い出し、思わず笑みがこぼれた。
その時だった。
背中に強い衝撃が走り、それが胸まで貫いた。
体が硬直し、視線を下に落とすと、自分の左の胸から鋭利なものが飛び出していた。岩老刀である。
自分に何が起こっているのか分からなかった。恐る恐る振り向いたわけではなかった。素早く振り向いたつもりだった。しかし、体がまるで自分の物ではないように上手く動かせない。
何度も足を小刻みに動かし倒れないようにバランスを取りながら身体を回転させ後ろを見た時、そこには居てはならない者がいた。
「!」
口に出して妖の狩人と言おうとしたが、変わりに口から熱い液体が吹き出てきた。
そこには妖の狩人藤原妹紅が立っていた。
「な、なぜ・・・?」
ようやく言葉が口から出せた。
藍の能力を打ち破ったわけではない、妹紅が閉じ込められた塊はたしかにある。
「八雲藍。あなたの負けよ。」
妖の狩人の見た目の年齢は10歳から12歳くらいと藍からは見える。背丈も人間のその年齢の平均か小さいくらいだろうか。冷静に見ると非常に華奢でとても妖怪と渡り合える体格ではないと思えるのだが、戦闘中は小さいという印象を受けなかった。
肩越しに妖の狩人を封じ込めた鉄の塊が見える。しかし、胸から突き抜けた岩老刀の刀身が蒼く輝くと同時にその鉄の塊はかき消す様に一瞬で消えて無くなり、突進する前傾姿勢の妖の狩人が現れたが、重心が前過ぎたので、すぐにその場に前のめりで倒れ込む。力無く倒れ込むその姿はまるで魂のない抜け殻のようであった。
「どっちが・・・本物な・・・の?」
「私が分身よ。」
藍の目の前にいる妖の狩人が分身と名乗る。分身が分身と名乗るのは不自然であるが、本体と思われる倒れた妖の狩人の手から滑り出た、見るからに手の込んだ複雑な呪文が練り込まれた呪符を見た時、自分には計り知れない究極の技が使われたのだと理解した。
この呪符は、意身分身の呪符といい、術者の中身を分身に写し、分身を自由に意のままに動かす分身の術の最終奥義である。
「私は・・・死ぬ・・・のね。」
藍は空を仰ぎ見ながら誰に言う訳でもなく呟いた。妹紅は何も答えずそのまま後ろを向くと、本体に歩み寄り膝をついて手を伸ばし、その身体に触れた。
分身と名乗る分身は、本体に触れた途端に光の粒子に霧散し溶けるように消える。そして、倒れていた本体が起きあがった。
呪符を拾いそれを衣服の下履き太腿あたりに貼り付けると、それは布と同化して衣服の模様になる。妖の狩人の装束の長方形の模様は全て呪符なのだと藍は今更気付いた。だとすれば、あとどれだけの技が隠されているのだろうか。底知れぬ妖の狩人の実力に、敵う相手ではなかったと後悔すると同時に自らの死を素直に受け入れる気分になれた。
妹紅は別の呪符を取り出すと、藍に近付き胸元にそれを貼る。
「さっきも言ったけど、あなたに恨みがあるわけじゃないの。言いたい事があれば言いなさい。聞いてあげる。その言葉を呪符に記憶し消える魂の代わりに供養してあげましょう。」
妖怪に対して100%の力を出しきらせることには幾つかの重要な意味がある。一つは妹紅の戦いの美学のようなもので、それはいわゆる自己満足に過ぎない。しかし、もう一つ重要な意味は、遺恨を残さないという点である。
妖怪、特に高位の古妖怪というのは戦う事に対して誠実で卑怯とは無縁な存在だった。全てを出しきって負けたとあれば、潔く死を選び相手を恨まない。
恨みは怨霊となって祟りとなる。元々の妹紅らの仕事はその怨霊や祟りで化け物化した魑魅魍魎を退治することで、彼らに打ち勝つ最前の方法は恨みを残さない正しい鎮魂法を知ることにあった。
魂を消し去ったとしても残留思念が周囲の弱い霊魂を吸収し悪霊に変化することもある。そうした悪霊は一切の供養法が通じず破滅するまで破壊の衝動を止める事はない。
妹紅が敢えて相手の力を出しきらせるようにし向ける最大の理由は怨霊を生まない為であった。
諦めるように項垂れる藍が、顔を上げ妹紅に視線を向けた時、妹紅はその藍の顔を見て激しく動揺した。
その藍の表情は悲しそうに今にも泣き崩れそうだったからである。
今までの経験では、最後の妖怪の顔は満足した表情が多く、或いは悔しそうではあるが相手ではなく自らの無力を呪っている場合が多い。
まるで人間の様に女々しく死を悲しむ顔を見るのは初めてだった。
妹紅は思わず「おい」と声かけてしまう。
それに呼応するように藍は正しく妹紅と視線を合わせると、次の瞬間笑みを浮かべ涙をこぼしはじめる。
その表情は悲しくも、しかし、恨み辛みを感じさせないものであり、そして妹紅はこのような微笑みを受けるのは生まれて初めてであった。
「あなたに、らなくてはならないことが・・・あるの。」
「な、何をだ?」
八雲藍の突然の申し出に、動揺を隠す事も出来ず即答する妹紅。
「私はさっき、共に歩もうと提案した・・・融和できないか・・・と。でも、それは簡単に出来るものではないの・・・。自分に出来ない事をどうして他人に求めることができるの?つくづく自分は妖怪なのだと思う。」
「お、お前は人間と暮らしてるって言ってなかったか?」
「ええ、暮らしている。でも、融和というはただ一緒にいればいいわけではない。」
藍は話す時は一気に語った。そして合間に息を整える。凄まじい体力を持っている妖怪でも心臓を剣で貫かれて平然としていることは出来ない。
「私には姉がいるの。」
「姉?」
「ええ、大好きな姉さん・・・。彼女が本当の意味で人間と融和した妖怪なの。」
「融和というのは、どういうものか私はつい先日までわからなかった。人間は、ただ私に良くしてくれていただけで、私は人間には何もしていないの。でも、衣食住も何不自由なく与えられて、それが当たり前になって、何も考えていなかった。あなたにそれを指摘された時、何も反論できなかった。」
一気にしゃべり、息を整える藍。
「姉は、ここに来る前私に指切りをせがんだの・・・。」
指切りをという言葉を口にした時、思い出し笑いをするように表情が緩む藍。
「指切り?妖怪なのに?」
「どうやら、あなたは妖怪の指切りの意味を知っているようね。そう、簡単に言えば契約破棄。お別れのサインなの。」
「どうして、そんなことを・・・。」
「さっきも言ったように、姉は完全に人間と融和をしていたの。だから、約束をするという時に咄嗟に人間のやりかたが出てしまったのね。姉は、長い間妖怪たちから遠ざけられ孤独だった。受け入れたのは人間だった。それでも姉は人間と常に敵対し血を流しあった。でも、いつのまにか姉と人間は互いに信頼しあい、各々の能力を高めあった。そして私達妖怪は、姉が作りあげた信頼の上にあぐらを掻いてそれが当然というような顔をしていたの。」
藍の息がだいぶ乱れてきた。そして立っていられなくなり膝が落ちた。
妹紅は思わず倒れないように支えようと一歩足を踏み出して思いとどまった。
「(何をしているんだ私は・・・。)」
妹紅は完全に動揺していた。自分で倒しておきながら何故か心のどこかに後悔の念が沸き上がっている。
藍は正座を崩すように腰を落として体のバランスを取った。藍を見上げていた妹紅は、今度は見下ろす立場になった。
「私は姉から差し出された小指を見た時、一瞬戸惑った。今思うと何であの時、快く応じる事ができなかったのか・・・あぁ、姉さん・・・ごめんなさい・・・。」
藍の肩が震え涙の量が一気に増える。妹紅はいたたまれない気持ちになっていた。自分でこんな目にしておいて、今はそれを激しく後悔している。
藍はそんな妹紅の心の変化を知ってか知らずか、視線を妹紅に合わせる様に見上げた。妹紅は自然に腰を落として膝をつき藍と視線の高さを合わせていた。
「・・・妖の狩人。」
「妹紅、私の名前は藤原妹紅だ。」
妹紅は藍が自分に何かを言おうとしたので自ら名乗った。今まで一度も妖怪に名乗った事はない。しかし、名乗らずにはいられなかった。名乗るのは妖怪の魂を奪い完全に絶命させた死体に向かってである。
全ては初めての体験だった。全てが今までと異なっていた。膝がガクガクと震える。怖い、ここから先時間が進むのが怖い。時間が止まって欲しいと本気で祈る妹紅。
藍の魂はすでに刀に吸い込まれている。刺さっていることによって切り離された魂は擬似的に藍と結びついているにすぎず、抜いた時点で藍は絶命する。そしてこのまま心臓に刀が刺さったままであれば、体力はいずれ限界にきて絶命する。どちらにしてもすでに八雲藍の死は確定事項なのだ。
「妹紅?とても良い名前ね。」
藍は自ら名前を打ち明けてくれた妹紅に感謝の笑みを返す。
「妹紅、あなたにお願いがあるの。もちろん只とは言わない・・・。」
「言ってみろ。」
藍にはもはや時間がない。無駄な交渉をして貴重な時間を浪費したくなかった妹紅は藍に言いたい事を先に言わせた。
「私が死ねば妖怪達は抵抗をやめる。そして姉と人間達によって創り出した幻想郷という異世界に退くでしょう。妹紅が手を下さなくてももうじきこの世界に妖怪はいなくなる・・・。」
「幻想郷?お前はそうさせるためにわざと死ににきたのか?」
ここに来て初めて妖怪側の真実を知る妹紅。それを先に知っていれば、そもそも妖怪狩りをすることもなかったかもしれない。
「まさか・・・大好きな姉さん達と別れるなんて・・・。」
藍は込み上げる感情に身を震わせた。そして微妙なバランスで支えていた体がグラグラと揺れ始めた。
妹紅は、もう藍は自力で体を支えられないと知り、両手を突きだし正面で藍の両肩を支えると、そのまま横に回って自分の右腕で抱くように藍の首を支えてやった。
息も絶え絶えに礼を述べる藍を支えながら妹紅は心の中で必死に「死ぬな!死ぬな!」と叫んでいた。
「このリボンを・・・。」
藍は自分の髪を束ねていたリボンをほどくと、それを妹紅に渡す。
「これは?」
「お守りよ・・・人間でありながら不死身の身体を持ったまま生きていくのは大変でしょう・・・。人は生まれながらにして業を背負い、死んでやっと開放される。でもあなたは永遠に業を背負っていかなければならない。」
「そうんなことはどうでもいい!業なんていくらでも背負ってやる!」
「業を負い過ぎればいずれあなたは悪鬼悪霊となって人に仇なすことになるでしょう。これは、あなたを永遠に人として繋ぎ止めるお守り。・・・誰も殺したくなかったから、永遠にいつまでも同じ自分のままでいられるようにとこのリボンを作ったのよ。優しい妹紅、あなたはいつまでも人間のままでいたいはず、きっと役に立つわ・・・。」
「な、なんでだよ!お前を殺そうとした私に、なんでお前は・・・。」
「ふふ、何故かしらね。姉が人に信頼をおくまでに何度も血の雨を降らせていた。きっと、そうしないと分かり合えないのだわ。あなたと戦って、初めて命を賭けて戦って、そうしたら・・・。」
「もういい、もうしゃべるな・・・。」
妹紅は藍の言わんとしている事が分かったのでそれ以上喋って体力を減らさないように気を遣った。しかし藍は続けた。
「妖怪というのは本当にバカよね・・・命懸けの末にしか信頼関係を構築できないのだから・・・私は今まで自分の能力で相手の信頼を得ていたのだわ・・・。」
「今こうして私が藍と分かり合えたのは能力のせいじゃない。」
「あぁ、ありがとう妹紅・・・私は生まれて初めて自分の力で誰かと分かり合えた・・・融和できたのね?」
「ああそうだ。私と藍はもう敵同士じゃない。親友だ。」
だから死ぬなと心の中で叫ぶ妹紅。言葉に出すかわりに藍の左手に自分の左手を重ね、それをぎゅっと握りし想いを伝える。
藍に贈られた血まみれのリボンを握りしめながら妹紅は泣いていた。藍の名前の意味をもつ藍色を基調とした衣服は、血の赤に染まっており、妹紅の装束も藍の血を大量に吸って赤黒く変色してた。
「お願い、少しの間だけでいいの。姉さん達を、妖怪達を幻想郷に退くまでみんなを見逃してあげて・・・。」
「ああ、約束する。もう妖怪は狩らない。だから死ぬな。死なないでくれ!」
取り返しの付かない事をした。殺してはいけない命を奪ってしまった。
「ありがとう・・・妹紅。」
自らの願いを承知してくれた妹紅に感謝する藍。そして安堵の溜め息と共に藍の瞳から光が消えた。
「ああ、姉さん、迎えに来てくれたのね・・・。」
もはや何も見えない、聞こえてもいないのだろう。脳裏に焼きついた姉の幻を見ているのだとすぐにわかった。
幻の姉に向かって、ゆっくりと右手を上げる藍。その右手は軽く握られていたが目の高さに上がった時、すっと小指を立てた。
幻の姉とその時出来なかった指切りをしようとしているのだと妹紅は理解し胸が締め付けられる。こういう時にどうすればいいのだろうか?岩老郷で沢山の人の生き死にを体験してきた妹紅。しかし、そうした身内の死とは別の今まで無かった別れに直面して狼狽えることしかできない。
敵と心を通わせ、殺そうとした相手の命を救いたいというこの矛盾した感情を、正しく導く手段など誰からも教えられた事はない。妹紅はすがるような思いで神や仏に頼ろうとした。しかし、それに応える神も仏もいなかった。もしかしたら魔王に頼めば自らの魂と引き替えに藍を生き返らせる事ができるかもしれない。
絶望の淵に神に背き、悪に身を委ねる人の気持ちが、今なら分かりそうな気がする。本当に叶えたい願いに善も悪もないのだ。
「姉さん、約束を守れなくてごめんなさい。かわりに私の友達を紹介するわ。藤原妹紅、私にとって初めての人間の友達よ。」
藍は妹紅の腕の中でその身を預けている一方で、重力に逆らおうとしているのか、支えている腕にかかる藍の重みは思った程以上に軽かった。
しかし、今まで軽かった藍が急に重くなった。完全に妹紅に身を委ねたのだ。もう消える・・・消えてしまう!妹紅はしたくない覚悟し、いたたまれなくなり、藍の差し出す右手の小指をぎゅっと掴んだ。心の中で、すまん、許せ!と何度も何度も唱えていた。
その時、消えそうだった藍の命の灯火が一瞬輝いた気がした。
視線を虚ろにどこか遠くにみていた藍の瞳が何かを探すように動いた。夢から覚めたそんな感じである。そして見えてないはずの瞳が妹紅の顔で止まる。そしてニッコリと微笑みながら口を開き最後の言葉を妹紅に贈った。
「幻想郷が、みんなが、優しく妹紅を迎えて入れてくれますように・・・。」
藍はそう言うと大きく息を吐いた。そして、もう二度と息を吸うことは無かった。
最後は姉を見ながら逝くべきだったと妹紅は余計な事をして藍を現実に引き戻した事を後悔した。しかし、その微笑んだままの安らかな死に顔と、最後の言葉が自分に贈られたものだということに深く深く感謝した。
そして堪えきれない感情が爆発し妹紅は号泣した。
妖の狩人藤原妹紅は何度も何度も大声で藍の名前を叫んでいた。
妖怪の長にして最強の妖怪と詠われた八雲藍は、宿敵である妖の狩人と最後には心を通わせ、その親友藤原妹紅の腕の中で息を引き取った。