東方不死死 第10章 「そして幻想郷へ」
1422年は、八雲藍が妖の狩人を討伐に向かい帰らぬ身となった年であるが、幻想郷では藍が戦死したという事実を認められず、その翌年、出立から丁度一年後にようやく八雲藍の死を認めた。
その為、葬儀が行われたのが1423年になってからで、博麗神社の公式記録も八雲藍の没年は1423年と記録された。
博麗神社はその後1年間喪に服す事を決め、1424年から幻想郷計画を発動する予定を組んだ。
しかし、問題が発生していた。八雲藍の死後、八雲紫が体調を崩し能力の一切が使えなくなったのである。
人間は、大きなショックを受けると、言語失調や記憶喪失、視力・聴覚障害など身体に異常を来す事があるが、それと同じように八雲藍を失ったショックにより八雲紫は妖力障害を起こしてしまったのである。
精神的なダメージから来る妖力の低下・喪失は揺るがない精神力を持つ妖怪には見られない現象だが、八雲紫は覚醒によって妖怪と人間のそれぞれの特徴を持つようになり、能力の限界が無くなった替わりに精神面で妖怪にはない脆さを得てしまったのである。それが原因で人間にしか現れないタイプの症状がでたのだと考えられる。
精神的な脆さはある程度修業によって克服できたといっても肉親との別れという経験した事のない現実に、流石の八雲紫も絶えられなかったのだろう。
博麗神社は計画を先に延ばし紫の回復を待ったが様態は日増しに悪くなり、幻想郷計画自体が暗礁に乗り上げようとしていたのである。
妖怪達は藍の死後、ほぼ全て幻想郷推進派になった。妖の狩人が消えて目前の脅威が消えたにもかかわらず、推進派に大きく傾いたのは、八雲藍という妖怪達にとっての精神的支柱を失ったからだろう。
今でこそ寺社仏閣は武装していないが、当時は武装するのが当たり前で、特にこの時代は武士と共に僧兵の影響力が強かった。例え妖の狩人が死んだとしても、その後には人間達の武力集団があったのである。
1467年に応仁の乱が勃発するが、それ以前から戦乱の火種は各地で燻っており、妖の狩人の脅威が無くなったとしても、それは無数にある脅威の一つが消えたに過ぎず、八雲藍亡き後それらに対処し続けるのは不可能となったのである。
人間の世界における辺境にあたる幻想郷もいずれは人間達の領土拡大の波に安全ではないだろう。特に妖怪に組みする立場にいる博麗神社は人間に対する敵性勢力と見なされるだろう。同じ人間だからといって安心できるものではないのだ。そのため身の安全という点では妖怪と博麗一族の間には利害が一致しており一蓮托生の関係が築かれ、特に八雲藍亡き後はその関係は強くなった。
幻想郷に於ける最後の希望は、幻想郷を隔離して現世から切り離す事であったが、その要となる八雲紫は1423年から1427年にかけ昏睡状態となっていた。
その後意識は回復したものの、以後床から起きられなくなっていた。
1430年、夏。幻想郷は八雲紫という心配の種はあるものの、八雲藍喪失という大きな傷から癒えはじめ、落ちつきを取り戻していた。当面の脅威だった妖の狩人が消えた事による安心感からか、紫の件はもう少し長い目で考えてもいいだろうという思いが幻想郷全体を覆っていた。
それが謝りだと言うことを知ったのは極一部の者だけだった。
その日の日中は30度を超える真夏日で、さすがの妖怪たちも一雨欲しいと思うそんな一日であった。
その願いが通じたのか日没前から雲行きがあやしくなり風も涼しくなると、雨の気配を感じてかどこからともなくカエルが鳴き始める。
遠くから聞こえてくる雷のゴロゴロと言う音が次第に近付き、雷鳴が暗くなり始めた幻想郷を一瞬照らし出すと、間もなく待ちわびた遅い夕立が幻想郷に降り注ぐ。
凄まじい土砂降りの音と歓喜に満ちたカエルの大合唱で、数メートル先の会話の声すら聞こえない状態だった。
その日、博麗神社の神主から緊急に召集受けた重役達が博麗神社の社務所に詰めていた。
誰かが騒音とも言える夕立に苛立ち、会議にならぬと遮音の護符で雨の音を遮断する。
縦に長い社務所は、200人分の座布団を余裕を持って並べられる程広く、里の冠婚葬祭や宴会にも使われる。その社務所の所謂上座に座る神主は外の様子と、毎度のように何をするわけでもなく会議に参加するだけの萃香の様子と、自分の娘である巫女の霊夢の様子を順番に見やり、静かに目を閉じ、今日これから起きる現実と、昨日行われた紫を省いた八雲一家との秘密裏に行われた会議を思い出していた。
その会議の発端は萃香からのある訴えだった。
萃香の宝物である酒の湧き出る不思議な瓢箪から酒が涸れたというのである。
この事が初めて現象ならそれはまたそれで原因を追及していくだけであるが、実は酒が枯れたのは今回だけではないというのである。
過去にも同じような事があり、いずれも酒が復活しているので、今回も放っておけば元に戻るとだろうと最初神主は取り合わなかったが、枯れた時期にある共通点があることが判明し、事の重大性に気付いた神主が、八雲一家に召集をかけたのである。
その共通点は、月面戦争、妖の狩人出現とその後の妖怪大量死、そして八雲藍戦死といった、妖怪達にとって悪い印象しかない事件の時期である。
これがもし事実なら、この酒涸れは凶事の前兆現象ではないかと想像できる。
萃香の勘違いではという幽香の反論に対して、酒が命の萃香が酒に関して勘違いは無いだろうという魅魔の主張。凶事であるなら、その対象は恐らく紫の身に関する事ではないか?と心配する九尾御乱。神主も御乱の意見に賛同する。
「これは、紫の死の前兆ではないかと考える。」
各自意見を交換した後、神主がそう結論づけた。容易に受け入れられない言葉であったが、今の紫を見ればその時が刻一刻と近付いていると分かる。それを受け入れた上で対策を講じなければ何も解決はできないだろう。
「その運命は変えられないのか?」
魅魔が神主に質問する。
「もちろん変えるという前提で私はここにいるつもりだ。」
「生かすだけなら簡単でしょうけど、問題は立ち直らせるという事だな・・・。」
「御乱の言う通りだ。ただ生きてれば良いという問題ではない。このままでは幻想郷計画が頓挫したままでは、いずれ我々は行き場を失い、人間と戦い、そして敗れるだろう・・・。」
「何も出来ない紫はかえってお荷物だしね・・・。」
神主の言葉に御乱も同意する。
「今まで何をやっても駄目だったのに・・・どうやって元に戻せというの?」
幽香としては今まで散々手を尽くしてどうにもならなかった紫を元に戻せるのか疑問である。
「あ、そうか・・・なるほど・・・。」
幽香の「元に戻せ」という言葉に魅魔が反応した。
「うむ。この際、元に戻すのは諦めるしかなさそうだな。」
御乱も理解した。しかし、幽香は理解出来なかった。
「ちょっと待って、みんな何を言っているの?」
幽香の質問に神主が答える。
「つまり、紫を誰かに支配させて、式神として扱うのだ。」
僕となれば、精神的脆さも克服できる。
「!!・・・そ、そんなこと出来るの?」
「陰陽師の技を使えば出来る。」
「でも、支配するならそれなりの力の差が無ければ・・・。」
魅魔がそう言って御乱を見つめる。紫を支配できる人材がいるとするなら御乱しかいない。
「御乱、そなたに頼めるか?」
「紫を支配出来るのは、実力も頭脳も彼女に勝る私しかいないでしょう。でも、今の何の力も持たない紫を支配したところで何の意味もない。」
当時の力関係といえば、九尾御乱の方が上である。藍や紫は特殊な力があるため高い地位にあったが、単純な妖力差でいうなら圧倒的に御乱の方が上であった。
また、知力という点では、紫と御乱がどの妖怪・人間よりも大きく抜きん出ており、幻想郷計画で八ヶ岳など当初の計画の実に30倍の土地を確保出来たのは御乱の測量技術と計算速度による所が大きいのである。
八雲紫を支配し、使役してその能力を使うというアイデアは、この危機的な状況を打破する上で非常に有効な手段だと思われる。
しかし、問題は今現在、八雲紫が妖力障害を起こして能力が使えないとい事である。この状態のまま支配したところで、その能力は使えないのだからまったく意味がない。
紫を支配するにも、されるにも、兎に角まず必要な事は、紫の能力を復活させることである。
「力を復活させる事に成功できたなら、支配する必要はないじゃない?」
「今後の事も考えると・・・な。」
紫の精神的脆さはある意味持病のようなものとして今後も問題になるだろう。
「・・・とにかく、どちらにしても紫に戻ってもらわないとね・・・これは荒療治になりそうね。」
「荒療治程度では済むまい。少なくとも人一人の命は必要だ。」
ショッキングな御乱の意見に幽香は悪い冗談はやめろと反論しようとしたが、皆が神妙な顔をしている。
「まさか、本当に誰かを生け贄にするというの?」
「神に捧げるという意味の生け贄ではないというのはわかるだろ?」
御乱は幽香に言ったが、その幽香はまさにそんなことをイメージしていた。
「え?」
その「え?」は萃香から発せられたものだった。どうやら言葉通り受け止めたのは幽香だけではなかった。
「やれやれ・・・。」
神主は苦笑する。
「神主、わざわざここに人を集めたのは、1から10まで今ここで段取りを取り決める為ではないでしょう?」
御乱には神主が既にある程度のシナリオを用意していると考えていた。
「生け贄には娘をだそう・・・。」
御乱以外の全員がそのセリフに驚愕した。
「霊夢を?」
「他の者にはできんだろう・・・というより、萃香の異変に気付く者がおるまい。」
「紫に目を覚まさせるには、自分自身ではなく、大切な別の存在に危機的な状況を与え、「救いたい」という感情を爆発させ妖力の誘爆を誘う。これが神主のシナリオね?」
「流石は御乱だな。」
「私も自分なりに考えていたの。自分の命と引き替えに紫を元に戻せないかってね・・・。」
サラッとトンでもないことを言う御乱に皆一瞬何を言っているのか理解できなかった。
「私はね・・・紫が死んだら自分も死のうと思っているの・・・。」
真顔で御乱が語り出し、皆そのショッキングなセリフに何も返す事ができなかった。
「紫という存在が無ければ、私は今もただ九尾としてどこかで生きているだけでしょう。紫を知ってしまった時から私の時間は動きだした。私には誰にも負けない知力がある。でも、私にないのはその知力を何に使うかという具体的な目的がない。紫にはそれがあり、世界を創り出すという途方もないお伽話を真剣に実現しようとしていた。私は紫と共に幻想郷計画に参加し、紫に足りない部分を補いながら、共に刺激しあって今までやってきた。」
紫と御乱がコンビで常に幻想郷計画に携わってきたのは皆知っている。
境界を自由に扱える紫は常に境界に接し創り出せる状態を保ち続けている。その為常に力を微量に開放していることになり、その為紫は他の妖怪より消耗が激しい。その消耗を補う為に、たくさんの睡眠が必要であり紫の1日当たりの仕事量は決して多くない。多くの仕事を温かい季節にまとめて集中的に仕事を行う様になった為、冬場に冬眠するという特性も付いてしまった。
紫の弱点は、その活動時間の少なさで、それを補っているのが御乱だったのである。
御乱は紫が起きている間に効率よく仕事が出来るように、綿密なスケジュールを組み、完璧なタイムラインで紫の負担を軽減させた。
無計画な紫の無駄な時間を排除したことによって、紫にとって面倒くさく単純な幻想郷の拡大作業は驚くほど作業スピードが上がる。これが想像以上に幻想郷が広くなった原因である。
そんな紫と御乱との間には、ただ古い馴染みというだけの絆だけではなく、同じ仕事をする仲間意識という他の者とは別の絆が構築されていたのである。
「紫がいない世界で、いったい何を楽しみに生きていけばいいのか分からない。ただ生きるためだけにわずかな知恵を使うだけなら動物のままでいいじゃない。私は高みを見てしまった。見てしまった以上、もうそれより下にいることが堪えられない・・・。」
天才故の悩みだと魅魔は思ったが、似たような悩みは自分にもかつてはあっただけにそれは口で言う程軽いものではなく、とても深刻な悩みだと察するのである。
「出来る事なら私が紫の僕として支配されたい。いや、そうなるべきなのよ。」
幽香は頭がおかしくなりそうだった。妖怪である自分の単純な思考では図りしれない考え方である。自分が僕になって相手に支配されたいなどとは到底考えつかない。妖の狩人討伐に向かう藍と同行したかったのは、藍を勝たせたい一心であって、自分が身代わりになって死ぬなど微塵も考えていなかった。。
「紫の力を復活させるために大きなインパクトを与えるとして、その役目を霊夢にさせるの?」
魅魔が具体的な作戦について求めた。
「私のシナリオはこうだ・・・。」
神主の娘である博麗霊夢は、11歳の初仕事が八雲藍の妖の狩人討伐を決めた時の本殿での会議における入口の立ち番で、その時遅れて訪れた八雲紫と風見幽香を招き入れたのが霊夢である。本当はこの時霊夢が、八雲紫を直接迎えに行くように言われていたのだが、それを幽香に遮られ、幽香が直接紫の元に迎えに行ったのである。
神主の娘だけに、本殿には巫女になる前から出入りしており、萃香を始め、八雲一家の面々から霊夢は可愛がられていた。
その霊夢の初仕事の時、萃香は酒を飲んでいなかった。19歳に成長した霊夢のずば抜けた能力から察すれば当時その時のことを覚えているはずである。
11歳から14歳まで会議の世話係として様々な準備に携わり、15歳からは重役に名を連ね、会議で発言が認められた。その間、会議にはずっと萃香が顔を出していたわけで、それまでの全ての会議において萃香は常に酔っぱらっていた。そしてそれは、15歳から19歳になる間も同じだった。
博麗霊夢でなくても記憶力が良い者なら、素面で参加する萃香をおかしく思う者もいるだろうが、それが凶事に結びつくと考え付く事が出来る者はどれほどいるだろうか?
神主は自分の娘という贔屓目を抜きに考えても霊夢しかそこに至る者はいないと考えている。
「紫の危機を察知して紫の家に様子を見に来た霊夢の前で、紫が倒れていたらどうなるか?」
「間違いなく助けようとするわね・・・。」
「そして、助けようとする霊夢が、私によって殺されそうになれば・・・。」
御乱のその言葉に神主は沈痛な顔をする。可愛い娘が死ぬかもしれないのだから無理もない。
「霊夢を守ろうとする。」
「そこでうまくいけば紫は力を取り戻すことができるかもしれない。」
「そんなの茶番だわ!」
幽香がこちらの都合通りに上手くいくはずがないと憤る。
「幽香、妖怪の尺度で考えてはだめよ。」
魅魔がたしなめる。
「人間が最も強くなる時、力を求める時は何時だ?」
御乱が問う。
「・・・誰かを守ろうとする時・・・。」
「そう、愚かだがそうなのだ。そして紫もまたその人間の愚かさを持っている。というより、今の状態は人間としての愚かさ、まさにそれが彼女を病にさせているのだ。」
「このままでは自然快復は絶望的だ。茶番であっても、それが失敗して、霊夢も御乱も犬死になったとして、紫が元に戻らなければ結局は同じことなのだ。我々は何かをしなければならないのだ。」
神主の演説に幽香も抵抗をやめる。確かにこのままにしておけば八雲紫は命を落とす。紫が死ねば幻想郷計画は全て水の泡となる。このままこの世界に取り残されれば、いずれ人間に攻め滅ぼされるだろう。
あるいは彼らに降伏して下僕として命だけは永らえるか?彼らと協力し彼らのいずれかの勢力に加担し尖兵となって共に戦うか?人の居ない場所はまだまだ世界のどこかにあるだろう、それを探しこの世の終わりまで引きこもるという手もある。
しかし、幽香は首を振る。もはや十分長生きはしたし、これから先もただ長生きするために生存を選んだところで何の意味があるのだろうか?
「神主よ、霊夢が死ぬと決まったわけではない。もしかしたら死ぬのは私かも知れない。」
「うむ・・・。」
沈痛な面持ちで御乱に応える神主。
「どんな結果になるか私もまったくわからない。とりあえず、まずは最後の説得をしてみよう。それでもだめなら・・・。」
「頼む・・・。」
神主にはそれしか言えなかった。
「問題は霊夢がそれに気づいてくれるかどうか・・・。」
幽香は半信半疑である。だが、一ついえることは、その相手が紫にとって大切なものでなければならないということである。見ず知らずの人間が死にそうになっていたとして、紫がそこでその者を強く救いたいと思い、今まで使えなかった力が復活するだろうか?まず、それはありえないだろう。
一家とはある程度距離をおき、なおかつ紫が大事に目をかけているような存在でなければならない。それに当てはまる人物はやはり霊夢しかいない。
彼女は小さい頃から八雲一家と共に過ごし、そして紫の看病はその霊夢が行っている。特に誰と決められているわけでもないのに、自分からすすんで紫の世話を引き受けている。紫に人の心があるなら、その彼女に恩を感じているはず。そしてその彼女の死に際に何もせずそれに甘んじることは出来ないはずである。
全ては「するはず」という願望でしかない。しかし今はそれに賭けるしかないのである。
博麗霊夢は、急遽召集のかかった今日の会議の意味を自分なりに考えてみたが、八雲紫の様態に回復の兆しがなければ何の進展もないだろうと考えている。
日中お見舞いに行った時の紫の様子からして、昨日の今日で様態が改善するとも思えなかった。悪い方で考えるなら急に様態が悪化したための緊急召集ではないかとも取れるが、誰よりも早く社務所に来て会議の準備をしていた霊夢の傍らで、最初からそこにいた萃香の様子からして、紫に何か緊急の事があったとも思えない。
何かあれば、自分たちより先に八雲一家に呼び出しがかかるのが普通だろう。
神主や八雲一家との間で何らかの話し合いが行われ、その報告の為の緊急召集というのが博麗霊夢が考えうる最も可能性の高い今日の会議の意味だろう。
そして、彼女の予想通り、神主と八雲一家の間で昨日密かに会合が行われていたのである。だが、この会議に参加した八雲一家には当主である紫の姿は無かった。
その会議の恐るべき内容を博麗霊夢は知らなかったが、この後それをその身を持って知ることになる。
会議の内容は緊急に召集されたわりには、さほど緊急を要するような内容ではなく、博麗霊夢は内心溜め息をついていた。
こんな無意味な時間を過ごすなら、紫と少しでも多く会話した方が有意義だろう。
霊夢は会議に集中できず、ふと萃香に目が行って、そこである事実に気が付いた。
「(お酒を飲んでない・・・。)」
いつも酔っぱらっている萃香が素面で会議を眺めている。
「(こんなこと初めてだわ・・・。)」
初めて見る光景だと思ったが、何故かこの光景を前にも見たことがあるような気がする。つまらない会議に耳を傾けつつ、頭では萃香の事ばかり考えていた。
ふと、萃香と目が合い、萃香もそれに気づいてニコっと微笑む。11歳の頃、初めて神社の巫女として勤めを始めた頃と何も変わっていない萃香。と、その時、素面の萃香を見たのは今回が2度目だと気付いた。
「(そうだあの時だ・・・。)」
巫女としての初めての仕事は、本殿前に立ち招待者を招き入れる、仕事とも言えない簡単な立ち番だった。そして彼女の最初の仕事が紫と幽香を本殿に招き入れるというものだった。
その時本殿の入口から会議の参加者を遠目に見た時、萃香は酒を飲んでいなかった。なんでそんな細かいことを覚えているかというと、あの時緊張してかしこまる自分を遠くから手を振って頑張れと応援してくれたのが萃香で、その事が今も思い出となって鮮明に残っていたからである。
最初の素面の萃香を見た後、八雲藍の死という大きな事件が起こった。
「(まさか・・・。)」
偶然だと信じたいが、何やら嫌な予感がする。
土砂降りの外は大きな雨音でさぞ五月蠅いだろう。しかし、誰かが貼った遮音の護符によって外の気配が完全に遮断されていた。霊感の強い霊夢は常に何かを感じ取っているし、それが普通の事だった。その霊夢は雨音を遮断し不自然に静かになった室内に言いようのない不安を感じた。
「すみません、少し席を外します。」
霊夢はそう言って席を立つと会議の面々の了承を得ないまま、足早に社務所から出た。
外に出ると突然胸を締め付ける大きな不安を感じた。急いで印を結び周囲に結界を貼る。走り出す霊夢の周囲の空間が湾曲し、降りしきる雨が全て霊夢を避けて落ちる。
「(何かあるとすれば、紫様だ・・・。)」
里の外れにある紫の家の方角から非常に大きな邪悪な妖気を感じる。
霊夢は走りながらその勢いで宙に浮くと真っ直ぐに紫の家に飛んだ。
「(霊夢・・・はやりお前は・・・。)」
厳しい表情のまま硬く目を閉じる神主であった。
八雲紫は自宅で床に臥せっていた。
何をするにも気力が湧かず、出るのは溜め息ばかり。
夏の間は毎年八雲一家の面々と避暑地で過ごすのだが、スキマの能力が使えなくなった今はどこにも行く事が出来ない。今まで呼吸するのと同じように無意識に使えていた能力だけに、使えなくなると、どうやって今まで使えていたのかまったく思い出せない。そもそもこれは思い出すような類の事なのだろうか?
悲しいと同時に自分の存在価値が消えてしまったような思いにさせる。
夕立で下がった気温と涼しい風は、沈んでいる心を幾分癒してくれたが、根本的な問題の解決になるものではなかった。
外に怪しい気配を感じた。
誰かが家に入ってくる。忍び込むのという感じではなく玄関からそれ普通には入って廊下を歩き寝所の前で足音が止まる。
「御乱?」
その妖気は九尾の御乱のものであり、寝所の前で動きを止めたので紫は彼女の名前を呼んだ。
戸がスッと開く。手を使った様子はない。
そこに紫の予想通り九尾御乱が立っていた。
「どうしたの?そんな怖い顔をして・・・。」
御乱の様子は明らかに変だった。紫に対して冷徹な視線を向けている。
「紫、そろそろ茶番はやめにしない?」
茶番を始めようとする御乱が紫の病気を茶番と言う。
「茶番?なんのことかしら。」
「藍は死んだのよ?これ以上待っても戻ってこないわ。」
「・・・。」
「力も使えるのでしょ?でも、藍が戻ってくると信じているから幻想郷には行きたくない。」
紫の心を動かし、様々な感情を沸き起こそうと試みる御乱。
「本当に力が使えないのよ。」
「それは使いたくないから使えないだけ。」
「そ、そんな・・・。」
乱暴な御乱の言動に女々しく顔を背ける紫。
その腑抜けた紫に内心舌打ちした御乱は、紫の胸ぐらを掴むとそのまま、開け放っている縁側から土砂降りの外へ紫を放り投げた。紫が力を使えるなら外に出る前にスキマで移動し家の中へ戻れるだろう。しかし、紫は無様に地面に投げ出され泥まみれになった。
「ひどい・・・。」
妖怪とも思えない紫の女々しさに御乱もキレる。紫を追って外に出た御乱の周辺には目に見えない壁のようなもので守られており、土砂降りの影響を全く受けることもなく、涼しい表情で紫に歩み寄る。
近付く御乱に思わず身がすくむ紫。御乱は紫の手前に来ると膝を落とし視線を合わせる。
「紫、藍を失ったあなたの気持ちはわからないでもない。でも、博麗も妖怪も今紫だけが頼りなのよ?」
「分かっている・・・でも駄目なの・・・力がでないのよ!」
紫がずぶぬれになりながら涙を流しながらそう訴える。
首を振ってダメかという表情をする御乱。
「(そろそろかしら・・・霊夢。)」
御乱は立ち上がり、顔を上げて神社から来る強い力を感じとった。
「(さぁ、始めましょうか・・・一世一代の茶番劇を・・・。)」
博麗の里のはずれにある八雲紫邸。
八雲藍が存命の時は、神社近くにそれなりに立派な家を与えられ住んでいた紫だったが、藍が帰らぬ存在となり、そのショックから昏睡状態になった際、人気のない静かなこの家に移させたのである。
博麗霊夢は15歳になり一応の修行を終え博麗神社の重役に名を連ねてからは、自由に使える時間が増えたため八雲紫の面倒を一手に引き受け昏睡している間もずっと看病をしていた。
紫の意識が戻ったのは霊夢の献身的な看病が始まってからすぐのことで、里では霊夢のその献身さが紫を回復させたと噂していた。
その紫の身に何か重大な危機が迫っていると直感した霊夢は居ても立っても居られず、初めて会議を途中で抜け出し紫邸に文字通り飛んで来たのである。
霊夢の感じていた悪い予感は的中したといっていいだろう。なぜなら、霊夢の視界に2つの影が見え、その片方が雨にぬれた地面に力なく臥せっており、それが八雲紫だと確認できたからである。
もう片方は誰かは確認できなかった。というより周囲が暗いため八雲紫のシルエットだけを追うだけで精一杯だった。もし霊夢にもう少し余裕があれば、そのもう片方の独特のシルエットを見てそれが誰なのか一目瞭然だっただろう。
「紫様!」
紫の前に下りた霊夢は、もう片方の影との間に立塞がるように立ち、その相手を確認する。
「博麗霊夢・・・ここに何しに来たの?」
「九尾様!」
そこに立っていたのは九尾御乱であった。霊夢は藍と区別するために御乱を九尾様と呼んでいた。
しかし、一家、つまり家族であるはずの御乱がなぜ紫にこんなことをしているのか霊夢には理解不可能だった。
「九尾様、何故このようなことを?」
土砂降りの地面に投げ出され、泥まみれになる紫をみて、それが御乱の仕業だろうということは紫と御乱の間に漂う空気でわかる。
「あなたには関係ないわ。」
「関係なくはありません!紫様は病気なのですよ!」
「病気?これは仮病よ。紫はね。幻想郷に行きたくなくて駄々をこねているの。」
「仮病?」
霊夢は思わず、紫を振り返る。しかし、どうみても仮病には見えないし、御乱が嘘をついていると直感できた。
「何を企んでいるんですか?」
「このまま放っておいて紫が直ると思う?」
「それは・・・。」
紫は意識を取り戻しはしたが、それ以降回復の兆しがないことは霊夢の方がよくわかっていた。
「霊夢、あなたが過保護にし過ぎるのも悪かったわね。紫はすっかり今の生活に馴染んでしまって、もはや幻想郷なんてどうでもよくなったのよ。」
紫を追い込むために、わざと霊夢のせいにしようと仕向ける御乱。
「そ、そんな・・・。」
「もしかして霊夢。紫を腑抜けにして幻想郷へ行くのを阻止しようと企んでいるの?」
御乱はさらに霊夢を追い込む。相手を精神的に追い詰めるのは御乱の得意とするところである。知力の高い御乱は暴力よりも相手とのやりとりのなかで自滅させるというやりかたを好む。
「違います!私は、私は紫様のために・・・!」
「それは違うわね霊夢。あなたは病人の紫を一生懸命看護するふりをして自分を良く見せようとしているのよ。善人ぶって人気を集め、そして巫女にとどまらず父親の地位を奪い自ら神主にのし上がるつもりね。そして紫を手懐けてしまえば・・・。」
「黙れ!いくら九尾様でも口が過ぎますよ!」
根も葉もない御乱の出任せに、すべてを否定される思いになった霊夢はキレた。御乱としては作戦通りである。
「誰にモノをいっているの?」
御乱は語気を強め霊夢をにらむ。にらみ返す霊夢もまったく負けていない。
「御乱もうやめて!霊夢は関係ないでしょ?」
「紫、だったら力を取り戻しなさい。この不毛を生んでいるのは紫の弱さなのよ?」
御乱のセリフにうな垂れる紫。今こうしている間もなんとか力を取り戻そうとしているのだが、力の使い方がまったく思い出せない。というよりも、無意識に使っていたので使うという感覚が理解できないのだ。
「(・・・やはり、口で言ってもだめなようね・・・。)」
紫の様子を見て御乱は説得はあきらめ、次の作戦プランに移る。
散々煽ったおかげで霊夢はいつでも戦う準備は出来ているようだ。これなら霊夢の油断で不覚を取ることも無くある程度本気で戦えるというものである。
「そうだ、いい事を思いついた。」
そう言って御乱は視線を紫から霊夢に移し、邪悪な笑みを浮かべた。
「霊夢、すぐに逃げて、御乱は本気よ!」
御乱の真意を察知した紫は霊夢に警告するが、霊夢は紫に言われるまでも無く、御乱の矛先が自分に向けられた事を理解していた。そして、紫を守るため御乱と戦う事を決意していた。
「紫にとって大切な霊夢が死んだらどうなるでしょうね?」
御乱は紫に視線を向けニヤリと笑う。
「御乱やめて!お願い!」
「あなたが力を取り戻すのが先か、霊夢が死ぬが先か・・・。」
御乱はそういうと霊夢に攻撃を始める。
お互いに結界を張り体当たりで妖力と霊力がぶつかる。これでお互いの力関係がわかるが、この段階では双方互角といえた。
「(しかし人間と言うのは本当に面白いわね。誰かを守ろうとするとその力が何倍にもなる。)」
この誰かの為にという思いが力になるというのは妖怪にはないものである。
人間としての性質を持ってしまった紫が、人間として傷つき力を失ったというのなら、人間として誰か守る為に力を取り戻すこともできるはずである。
「人間にしておくには勿体ない力ね。」
霊夢の霊力は凄まじく、単純な力比べの結界のぶつかり合いで、妖怪の御乱が押され始める。しかし、これが御乱の全てではないことは紫は分かっている。九尾の一尾すらまだ使ってないのだから。
「でも・・・遊びは終わりよ!」
九尾の名の由来でもある九本の尻尾。背中に背負うように普段まとまっているその尻尾の束のうちの一本が突然伸びる。それと同時に御乱の妖力が数倍に膨れ上がる。
「!」
霊夢は驚愕した。
その一本の尻尾が大きくしなり、次の瞬間唸りを上げて霊夢に襲い掛かる。
バシッ!という土砂降りの騒音を切り裂く大きな音と共に霊夢が吹き飛ばされる。地面に叩きつけられた霊夢は何度も地面を弾み、紫の目の前で止まる。
雨を弾いていた結界が破られた霊夢は紫同様ずぶ濡れの泥まみれになるが、尻尾のダメージ自体は結界が威力を防いでいたので、派手な倒れ方をしたわりにダメージはほとんどなかった。
「霊夢!逃げなさい。御乱は本気よ!早く逃げて!」
すぐに起き上がった霊夢は、紫のその言葉を背に受けたまま、御乱に立塞がるようにもう一度戦う構えを見せる。
「紫様・・・力って何なのでしょうか?」
「霊夢?」
「私は日増しに大きくなる自分の力が恐ろしくなりました。でも、力の強い皆さんと一緒にいると自分がとても無力で小さな存在に思えて、それがとても私を楽にしてくれました。」
紫に背中を向けたまま御乱から目を離さない霊夢。
「霊夢・・・。」
「人を傷つける力なんていらない。でも誰かを守るためなら・・・。」
「御乱お願い!私がんばるから!絶対力を取り戻すから!だから・・・霊夢を助けてあげて!殺さないで!」
霊夢に死の決意を感じとった紫は御乱に助命を懇願するが、その思いはむなしく御乱の尻尾が1本、2本、3本と新たに伸び、計4本の尻尾が霊夢を捕らえようとしていた。
「(バカ紫!はやく思い出しなさい!そうしないと霊夢を・・・。)」
殺気を全開に向ける御乱の心の内はまさに悲痛な選択を迫られもがき苦しんでいた。
「御乱・・・どうして・・・どうしてなの?」
「紫、次の一撃で決めるわよ。霊夢を助けたければ私を倒しなさい!」
霊夢の方に伸びていた御乱の4本の尻尾が一旦戻る。まるで次の攻撃のための力を溜めている動作である。
「霊夢覚悟!」
御乱はそう叫ぶと4本の尻尾を同時に霊夢に向ける。
「多層縦列結界!」
御乱の攻撃に霊夢は複数の結界陣を4本の尻尾それぞれにぶつけるように押し出す。立方体の結界は尻尾を打ち砕く事はできなかったが、自分に向かってくる尻尾の軌道を逸らす事に成功した。
通常の結界は平面結界なのだが、霊夢はその平面結界を無数に重ね高密度の結界層を作り出せる。その結界層はただ単に防御に使うのではなく攻撃の為に相手にぶつけることもできるのだ。
四方から霊夢めがけて一点に収束した尻尾の束は、結界に跳ね返され分散する。そして折り重なった結界層がバラバラになると尻尾を拘束するように再構築する。4本の尻尾は完全に固定して動かなくなった。
「見事ね霊夢!でも、私の尻尾は9本あるのよ!」
御乱は不覚にも戦いの中で血の滾りを感じ高揚していた。久しぶりの真剣勝負。霊夢の抵抗は御乱の妖怪としての血を呼び覚ましてもいたのである。
4本の尻尾の攻撃を防いだ霊夢は無防備だった。防ぎはしたが、次の手がない。
御乱は新たに出した4本の尻尾で無防備の霊夢の肢体を拘束した。
8本の尻尾を出した御乱の妖力は凄まじいものだった。里一体から雨が消えた。雨天であることにはかわりはないが、御乱を中心に半径数キロにわたって雨が避けて降っているのである。
そして最後の1本がうねり身動きの取れない霊夢に鞭の様に叩きつけられようとしていた。
「紫様・・・すみません・・・お守りできなかった・・・。」
霊夢はずっと紫に背を向けていたが、この時、首だけをこちらに傾け左の肩越しに紫を見る。
その目は無念さに満ち、そして霊夢から戦う闘志が消えた。
「ダメえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!」
霊夢の心が折れた瞬間、その死を直感した八雲紫は絶叫した。
御乱は一瞬自分の中に何かが破裂した音を聞いたような気がした。
霊夢は死を覚悟し目を閉じていたが、一向にその時がこないことを不思議に思い恐る恐る目を開いた。
時間が遅くなっているのかと思った。何故なら御乱の尻尾が自分の頭に向かってゆっくりとやわらかく降りてくるからだ。しかし、その尻尾が頭に触れたとき、時間は普通に流れていると確認できた。
御乱の尻尾はやさしく霊夢を撫でるようにすべると、急に力を失いボトッと地面に落ちた。
そして、霊夢を拘束する4本の尻尾も力なく下がる。地面に落ちると思った瞬間、他の残りの尻尾が霊夢を受け止めるクッションになるように動く。霊夢はその尻尾の束に包まれるように柔らかく着地した。
何が起こったのか一瞬分からなかった。後ろを向くと紫が御乱に向けて右手をかざした姿のまま硬直し、その御乱に顔を向けるとまるで何かの術にかかったように硬直していた。
「ああ、ああ、ああ・・・。」
紫は言葉にならない言葉を発しながら、御乱の方にゆっくりと歩きだす。
「ごめんなさい御乱・・・。」
御乱の元にたどり着いた紫は御乱を抱きしめる。止まった時間が動き出すかのように、御乱がガクッと紫に身をあずけると同時に大量の血を口から吐き出す。人間であるならこれだけの量の血を吐いたらそれだけでショック死するだろう。まるで大量に血の詰まった袋をひっくり返して一気に捨てたような、そんな勢いの信じがたい吐血量である。
「紫・・・やればできるじゃない・・・。」
紫の左肩に顎を乗せ身を預ける御乱は、その耳元で力なく囁く。
「こんな茶番に気づかないなんて・・・。」
茶番に気づいたということは、つまり八雲紫は元に戻ったということだろう。
紫はスキマの能力使い、御乱の体の内部組織をズタズタに引き裂いていた。紫の力といえども身体の外側から攻撃しても御乱の防御結界をやぶることは不可能だった。御乱の動きを止めるには、この方法しかなかったのである。
「もう大丈夫ね・・・紫・・・良かった・・・。」
紫は御乱を寝かせ膝枕をして頭を撫でる。
「死なないで御乱・・・せっかく力を取り戻したのに・・・御乱が死んだら・・・また私・・・。」
「ごめんね紫・・・。」
「何で謝るの?謝るのは私のほうじゃない!」
「何でもっとはやく気づかなかったのか・・・あなたは、人間としての弱さを克服するのではなく、人間としての優しさを力にするべきだった。ごめんなさい。強くなれ、強くなれと・・・あなたをかえって弱めてしまった・・・。」
そのことを教えてくれたのが博麗霊夢であった。誰かを守りたいという力は信じられない程の彼女を強くした。
紫は弱いままでいい。自分達が支えてやればいいだけじゃいか・・・。
「何かを悟るときは、いつも手遅れね・・・。」
自嘲気味に御乱は笑う。
「紫、例え私がここで死んでも、私はそれで終わりじゃないわ。妖の狩人はもういない。魂さえ無事なら近いうちにまた会えるわ。」
「私の大好きな御乱は現世のあなたしかいないわ!」
「わがままいわないで紫・・・。」
御乱が大きくため息をつく。その時、神主、幽香、魅魔がやってきた。
「助けて!御乱を助けて!」
紫はすがるように神主に訴えた。
神主は状況がわからなかったが、視線の合った娘の霊夢がそれを察したかのように静かに頷いたので、神主は紫に力が戻ったと確信した。
幽香はその状況に口が開いたり閉じたりしていた。文字通り絶句である。
魅魔はただ御乱らの様子を見守っていた。彼女もまた幽香同様自分に出来ることは何も無いと理解していた。
神主は御乱の様態を診ようとしたが、その大量の血を見て絶望的な状況だとすぐに理解できた。
御乱の視線が紫から近づいてきた神主に移ると、何か合図するようにゆっくりと瞬きした。
「紫、御乱を救う方法が一つだけある。」
口に出して何もいわなかったが、紫の目に希望の光が点る。
「御乱を支配し、お前の式神にするのだ。」
「・・・!?」
紫には最初何を言っているのか分からなかったが、陰陽師にそんなことが出来る技がある事を思い出す。
「式神なんかにしたら御乱は御乱ではなくなるわ・・・それに支配なんて・・・私は今のまま・・・。」
「今のままなら御乱は死ぬだけだ。転生すればまた会えるかもしれんが、今の御乱ではないかもしれん。」
「そんなのいや・・・。」
いやいやと首を振る紫。
「御乱は紫に支配されることを望んでいたわ。」
幽香が御乱の気持ちを代弁する。
「あなたの居ない世界で生きている意味がない・・・紫を助けるならなんでもすると・・・。」
魅魔の言葉に御乱を抱きしめる手に力が入る紫。
「お願い紫・・・私を支配して・・・。」
「誰かを支配するなんて・・・そんなことをしたら、私は私でなくなってしまう・・・。」
「何を今更・・・あなたはこれからもずっと変わり続けなければいけない。人間とはそういう生き物。私を支配したらしたなりに上手くやっていけるわ。」
「例え主従関係になったとしても、お前達の培った歴史は無くなることはない。そして、新しい関係で未来を築けるのだ。」
神主の言葉に紫はしばし沈黙した。しかし消えようとする御乱をその手に抱いて八雲紫は決心した。
「やり方を教えて・・・。」
紫の言葉から弱さが消えた。
「御乱の本当の名前を奪い、僕として新たに名前をつけるのだ。」
紫が頷くと、御乱は口を小さくパクパクと動かしはじめる。紫は御乱の口元に耳を近づけ、彼女の口にした真の名前をその身に取り込む。
すると、紫を中心に魔法陣のような光が地面から浮き上がる。
「八雲紫の名に於いて命ずる。汝の名は我のも。汝我に永遠の忠誠を誓わん。」
「我が主に問う。我の名は?」
「汝の名は・・・八雲藍。」
それを聞いたその場の全員が思わず顔を見合わせた。
「我の名は八雲藍。今後ともよろしくお願い致します。」
御乱の体が一瞬眩く光り、魔法陣と共にその光が消えた時、死相の出ていたその顔に赤みが戻る。八雲紫の妖力が直接御乱に流れ込み、体内の傷が急速に回復しはじめたのである。
「八雲・・・藍。いいのか紫?」
「あなたが言ったのでしょ?新しい未来を築けと・・・過去の藍には興味はないわ。」
紫の言葉は先ほどとは打って変わって力と威厳に満ち、そしてどことなく寂しさを滲ませていた。
「御乱・・・いえ、藍はだいじょうぶなの?」
紫の腕の中で安らかな顔のままでいる藍を見ると幽香からは死んでいるようにもみえる。
「式は水に弱い。ずぶ濡れでは体力が戻ってもきつかろう・・・。」
紫の攻撃でズタズタにされた藍はその時点で自分を守る結界が消えており、その後ずっと土砂降りの雨をかぶっていた。
「そういうものなのね・・・。」
いつの間にか雨が止み星が見え始めた空を見上げた幽香。
会議も終り人影が消え、静寂に包まれる博麗神社社務所。
雨の上がった満天の空を見上げながら瓢箪の酒を美味しそうに飲む萃香がいた。
博麗神社の社務所で行われる会議は、基本的に神社関係者だけの会議であるが、本殿で行われる本会議は幻想郷全体の問題について話しあう全体会議である。
博麗神社重役と八雲一家、及び幻想郷周辺にいる妖怪氏族の長などが集まる。
博麗神社の本殿には八雲紫、藍、霊夢以外の参加資格者は既に集まっていた。
紫らが本殿の前に着くと、まだ幼さの残る可愛らしい巫女が出迎え本殿へと案内する。緊張するその巫女に笑顔で礼を言う紫。それを受けて嬉しそうに微笑みを返す若い巫女。
この何気ない出会いですら人は大きく変化する。霊夢は自分がそうであったように、この若い巫女もこの出会いを修業の糧として成長していくのだろうと思うと、自分の事のように嬉しくなる。
本殿に入ってくる紫等を一堂は軽く頭を下げて迎える。
一堂に軽いどよめきが起こったのは、紫の姿にではなく藍の姿であった。紫の服と同じデザインで、紫色を基調とした紫の服に対して、九尾の服は藍色を基調にしたものだった。そう、かつて八雲藍と呼ばれていた八雲紫の妹の着ていた服である。
上座にいる神主の横に席が空いており、神主の「ここへ」という仕草に従って八雲紫は席に着く。紫の斜め後ろに藍が座り、神主側には霊夢が着いた。
会議の始めは、博麗霊夢の昇格人事の報告だった。九尾と互角に渡り合った彼女の能力や紫の復帰に関する多大な功績が認められ、神主代行兼補佐役と限定されていた降神術の制限解除が満場一致で決まった。
次に今後の幻想郷計画についての話し合いが行われ、その冒頭、八雲紫が一堂の前で今まで迷惑をかけた事について謝罪する。深々と頭を下げるその態度に一堂かしこまる。
そして、神主代行として就任したばかりの霊夢が議長となって会議を進めた。
幻想郷隔離計画及び移住計画は、それぞれを分けて隔離と移住を時間をおいて行ったらどうかという意見が出るが、世界中に分散する移住者の為の集合場所を予め設けておき、時期を決めて一斉に幻想郷と集合場所を繋ぐという方向で計画しているため、隔離と移住を分けて行うことは可能であっても再構築の為に大変な時間と労力を必要とするためその意見は却下となった。
それに伴い、隔離・移住計画発動直後は、日本全国と世界各地の妖怪が一気に押し寄せることとなるため、大変な混乱を生むと予想され、博麗一族は自衛の準備を予めしておくこと、食料や建材、その他諸々の備蓄をしておくことなどを取り決める。
また、伊吹萃香は、戦闘に巻き込まれることを嫌い、こちら側に残る事になり、その他こちらに残りたい妖怪を率い、どこかに隠棲する事が決まった。萃香の力は凄まじく、特に酔った状態で本気で戦うと、幻想郷そのものが崩壊する可能性があり、その為、萃香の離脱は惜しまれつつも致し方なしとされた。
風見幽香と魅魔は、幻想郷の「戦闘は是、殺し合いは非」というルールを外来妖怪にその身を持って知らしめるという任務を与えられ、2人はそれを了承した。
博麗の里に関しては人間とそれに協力する妖怪のみで運営し、八雲一家は基本的に彼らに加担しないという取り決めも行われた。
八雲紫と藍は幻想郷の管理で忙しく、幽香と魅魔は外来妖怪に勝手なルールを作らせない為に、初期段階に積極的に交戦するため、里に構っていられなくなると予想されるからである。
元々荒事を生業にする博麗神社の武装集団は、この件に関して是非もなし、望むところと息巻いた。
ちなみに、博麗霊夢は幻想郷隔離初期における人間勢力の要として大いに活躍し、歴代の博麗の巫女の中で最も優れた巫女として記録されるが、それは数年後の話である。
肝心の計画発動は収穫と収穫祭が終わり、各種備蓄が整った本年11月吉日と決まった。
1430年11月吉日。幻想郷は文字通り幻想となって現実世界から消えた。