東方不死死 第五章 「狩人の実力」
藤原妹紅が里に逗留して3日目が経った。
その日の午後、妹紅は研ぎ澄まされた刃物の様な鋭い視線を感じた。表面上何事もないように普通にぶらぶらしながら、その視線を追って里の東口まで歩みを進めた。
里の出口の外に、赤く派手な服と花びらを数枚重ねたような日傘をさした、一見すると人間にしか見えない後ろ姿があった。
妹紅はそれが、妖怪で、しかも相当な強さを持つものだと理解できた。しかし、それが誰かわからない。
背中を向け日傘で顔が見えないその妖怪は、少し首をこちらに曲げ、傘と肩の隙間から左目だけで妹紅を確認すると、さらに何も言わず歩き出した。
妹紅は「ついてこい」という無言のメッセージと受け止め、距離を置いてその後を追った。
追いながらこの妖怪が誰なのか思い出していた。妹紅自身はこの妖怪を見た事はなかったが、慧音の言っていた外見的特徴と一致するのは風見幽香だろう。
風見幽香といえば、妖怪の中でも最古参でトップクラスの妖怪だ。しかも、八雲紫とは古い付き合いらしい。
八雲紫の件で頭がいっぱいだった妹紅は意外な敵の来訪に戸惑うが、何故、彼女に目をつけられたのか妹紅としてはいまいち理解できない。考えられるとすれば、紫のメッセンジャーとして妹紅に会いに来たという可能性はある。紫と幽香がそれなりに親しい間柄なら十分ありえることだ。
妹紅は考えながら20分ほど歩いただろうか。人里からだいぶ離れた場所で幽香は立ち止まった。
「メッセージは受け取ってくれたようね・・・。」
そう言うと幽香は振り向き、妹紅を正面にした。
「私に何か用?」
妹紅は今思っている最も知りたい事を率直に質問した。
「それはこっちのセリフよ。貴女こそ里に何か用があるのではないの?」
「暇だからブラブラしてただけだけど・・・。」
とぼける妹紅。
「そう・・・私はよく里に来るけど、里の人達が噂していたわ。藤原妹紅が3日も通りにいる。今まで無かった事だってね。何も起こらなければ・・・なんて心配していた人もいたけど・・・。」
「それで?」
妹紅の素っ気ない返事にイラっとする幽香。
「・・・何を企んでいるの?」
凄む幽香に表情ひとつ変えない妹紅。睨み付けても全く動じた気配を感じないなど、幽香としてもこんなことは初めての経験である。幽香が凄んで見せて怯まない者は幻想郷では数える程しかいないだろう。
「企んでるのはそっちじゃないのか?」
妹紅は幽香の問いには答えず、紫と幽香が裏で繋がっていると想定して逆に質問を返した。
妹紅を良く知っている者なら一見不貞不貞しく何もにも動じない態度の中に、ある変化があったことに気付くところだろうが、ほぼ初対面の幽香にはそれがわからなかった。
「はぁ?」
幽香は明らかに想定外の質問を返されたようで不快の表情が現れた。
幽香は、紫の様に策を弄すタイプではない。妹紅の質問は意味不明で不快である。感情を押し殺して平静を装える性格ではない幽香は、笑顔が引きつって明らかにポーカーフェイスが崩れている。
普段の笑顔もそれは素ではなく、作り笑顔だと他人は分かっているのに、当の本人はそれが相手の警戒させない友好の印だと思い込んでいる。実際は、それがかえって恐怖を与えているのだが本人にまったく自覚はない。
妹紅はそんな幽香の表情の変化を見て、感情が表に出る力重視の妖怪と理解した。そして、そういった素直な妖怪は怒らせると何かと優位に立てることも知っていた。
「私はてっきり、紫のパシリで来たと思ったのに・・・。」
妹紅はそう言うと、ヤレヤレとわざとらしく落胆の仕草をしてみせた。
それを聞いた幽香の表情が明らかに変わった。セリフなのか仕草なのか、どの部分かわからないが、その一連の態度で、幽香の表情は不快から怒りに変化した。
その様子は図星を取られて怒り狂っているというより、触れてはいけない部分に触れた、そんな時に見せる純粋な怒りだと妹紅は理解できた。仮に図星を当てられたなら、引きつった誤魔化しの表情がでるはずである。
図星を当てられたのではないということはつまり、幽香は紫の件とは無関係で妹紅に会いに来たと判断できた。しかし、幽香の思考とは無関係に、幽香の性格を見越して紫の思惑通り幽香が行動しているという可能性も捨てきれない。
幽香がどんな理由で妹紅に会いにきたのかを具体的に知る必要がある。
「だ、誰のパシリですって?」
「紫のって言ってるでしょ?聞こえなかったの?」
なるほど、怒りの原因は「紫のパシリ」というキーワードだ。彼女が実際に紫のパシリをしているなら、図星を取られた顔をするだろう。そうではないということは、少なくとも幽香からみて紫は対等か或いは力量など上下関係の存在しない親友あるいはそれに近い間柄だからこその反応だろう。
「私は風見幽香よ!なんで、紫のパシリをしなければならないの!」
反応が非常に人間に近く、紫とは正反対のタイプだと伺えた。
「風見幽香?それがあなたの名前?」
名前は知っていたが妹紅としては、こうやって会って会話するのは初めてであり、初対面だというのは間違いではない。
「え、そうよ!って・・・知らなかったの?」
幻想郷で風見幽香を知らない人間がいるなど信じられない。自分が何者か知っているという前提で幽香は妹紅に話しかけたのだが、予想外の肩すかしを食らった。いや、知らぬふりをしているだけかもしれない・・・しかし、自分は知っていたとしても、妹紅とは確かにこうやって対面するのは初めてだ。そもそも、藤原妹紅は永夜事件の後にその存在が確認されたので、本当に知らない可能性が高い。
「ええ、てっきり紫の使いかと思ったわ。」
議論の矛先がずれて、やり場のない怒りをどう扱えばいいか分からない複雑な表情をする幽香。
「で、紫のパシリってどういうこと?あなた紫に用事があったの?」
声のトーンは落ちたが、明らかに妹紅に対して非友好的な態度である。
自己紹介もせず一方的にしゃべって恥をかいた幽香のテンションは一気に下がっていた。このままだと向こうから去って行きそうな雰囲気である。ここはひとつ強烈な一撃を加えて瞬間沸騰させてみようと目論んだ。
「そんなことも知らない雑魚なら、一々話しかけないでもらいたいわね。紛らわしいったらありゃしない・・・。さっさと、どっか行け!」
妹紅はそうやって犬や猫でも追い払うように、蔑んだ目でシッシッっと手で振る。
高みに居る妹紅と紫の間に下っ端がしゃしゃり出るなという上から目線のその言葉に妹紅の思惑通り幽香は激怒した。
幻想郷に於いて、仮に幻想郷番付なるものが存在するとするなら、幽香の名前は横綱の位置にあってもおかしくはない。スペルカードによる競技的要素の強い弾幕バトルが開始してからは、人間など弱い存在も上位に位置することは可能だが、純粋な実力勝負なら博麗霊夢も、ましてや霧雨魔理沙など幕下以下である。
横綱は控えめに誰かに譲っても、大関以上である自負を持つ幽香に、どこの馬の骨とも分からない存在にこのような屈辱的な言葉を吐き捨てられなければならないのか!
幽香の全身はナワナワと震えていた。
「・・・話し合い以前に、どうやら躾が必要なようね・・・。」
幽香の目は完全にキレていた。それによって妖力制御が出来なくなり、今にも渾身の力で殴りかかってきそうである。
「(・・・単純な妖怪ね・・・)」
妹紅は一旦落ちた幽香のテンションを更に上げるため、意図的に挑発的な言動をとった。そして、幽香は予想通りの反応をした。
一つのきっかけで起こる直情的な怒りの状態というのは、ちょっとしたきっかけですぐに冷める。この怒りの一段階目の状態で戦闘にはいっても、1撃ですぐに反省し冷静になるケースが多く、有利に戦闘をすすめるためには、もう1段階怒らせることが重要であることを、妖怪狩りの戦士として妹紅は先達から学んでいた。
この時の幽香は妹紅に完全に精神をコントロールされており、妹紅の最後のセリフで完全に怒りの制御回路が破壊されていた。
人間相手なら説き伏せて言いくるめて情報を得た方が良いと判断するが、妖怪相手の場合、単純に力量を示した方が話がしやすくなる。
紫に関する諸々の情報を必要とし、その糸口を探していた妹紅にとって風見幽香という存在は収穫といえる。幽香は紫とはそれなりに深い関係があることは、最初の駆け引きで分かった。
幽香を介して紫の情報を得ようと考えれば、その際、人間相手のやりかたではなく妖怪相手のやりかたでなければ、幽香から情報を得ることは難しいだろう。
妖怪相手のやりかた・・・そう、それは実力勝負。その為、一戦交えてどちらが上かを白黒つけるのが得策と考え、その戦闘を優位に進めるためわざと幽香を怒らせたのである。
人間の使う妖力と、妖怪のもつ妖力は根本的な違いがある。
人間の妖力というのは、妹紅の様に長生きをすれば自然に身につく妖力と違い、人間はそこまで長生きできないため、妖の媒体となるものを服用したり、そうした場に長く留まるなどして、タバコや酒などのような一種の中毒症状に体質を変え妖力を後天的に纏うものである。
そうした妖力は瞬発性及び最大出力が妖怪には遠く及ばず、特定の効果を閉じこめた、例えば呪符といった媒体を発動させる呼び水として妖力を用いることになる。
一方妖怪の妖力とは、内包される力で先天的に備えている力である。
この力は、自在に引き出すことが出来、それを使わなければ人間とたいして変わらないが、妖怪の場合、個体差はあるものの常に妖力が溢れているので、平時でも人間よりはるかに強い。
そして、いざそれを引き出すと、身体能力、耐久力、治癒力など、生命体としての根本的な力が飛躍的に向上し、恐ろしい力を発揮する事が出来る。
人間も重い物を持ち上げる時は気を入れて踏ん張るなどして力を引き出すが、妖力というのはそうした範囲を超えており、別次元の力が湧き出てくるのである。
そして、それは呼吸をするのと同じように無意識に出す事ができ、肉体的、精神的な負荷はかからないどころか、活性化するのでむしろ元気になる。逆に妖力を適度に使って肉体を活性化しないとストレスを感じるようになる。
妖力はそのまま肉体的向上に使う場合や、エネルギーの塊にして放出したり、また、自分の持っている特殊な力を引き出したりなど、様々な形に応用できる。これらは、その個体の性格などに強く影響され、幽香の様なタイプは直接的な打撃を第一とする傾向が強い。
極度な怒りで妖力制御が出来なくなった幽香は、彼女の持つ100%の力が常に繰り出される事になる。
この力をまともに受ければ不死身の肉体であっても霧散するだろう。
幽香は、ポケットに手を入れてリラックスしているままの不貞不貞しい妹紅に対して、日傘を差したまま薄笑みを浮かべ次の瞬間動いた。
静から動の爆発的な瞬発力で、大気は相対的な壁となって幽香に立ちふさがったが、それをもろともせず突き破る。ゼロから音速に瞬時に移行するなど理論的に不可能に近いが、妖力はそれを可能にする。
幽香の前にあった大気の壁は幽香によって破壊され白い霧状の雲の輪がその後に残り、さらにその後にバーンという衝撃音が後から付いてきた。
幽香の視界は大気との衝突に一瞬揺らいだが、右の拳は確実に妹紅の顔を破壊するはずだった。
しかし、揺らいだ視界から復帰した幽香から見る妹紅の姿は何故か後ろ姿だった。
スローモーションのように周囲の映像が天地反転するのを幽香は他人事のように眺めていた。
妹紅は幽香が飛び出してくる直前から姿勢はポケットに手をいれたまま幽香に向かってステップしていた。それと同時に背中を向け、突き出す幽香の右拳を紙一重でかわすとその腕をとってそのまま一本背追いの要領で投げた。
怒り状態で自分を制御出来ない幽香は、それを止める術がなかった。
妹紅はただ投げ飛ばすのではなく、腰を落としてその前に出る力の角度を下に変えた。
爆発的なスピードはそのまま幽香に返ってきた。頭部を地面に強打し首が前に折れた。
幽香の視線に何故か自分の胸元が迫ってくるのが不思議に思える程、それは自分に襲いくる危険だということを何故か感じとれず、全てが他人事に見えた。それほど一瞬の出来事だったのである。
幽香の首は本来曲げられる限界を超えていた。
グシャっという何かがつぶれる音がした。幽香の頭部は地面に激突した後、身体に対して前に折れたことで顔面は胸部に一瞬埋もれた。そして、その豊かな大きな胸の反発力によって顔面は押し戻された。いや、顔面は地面に激突し後頭部が接地していたので、反動で戻ったのは体のほうである。
弾力のある乳房がなければそのまま顔と胸がくっついたままあり得ない姿で幽香は地に伏せることになっていただろうが、背負い投げで回転する体の反動もあって、幽香の体は折り曲げたこんにゃくが元に戻るように自然な形で地面に大の字に倒れた。
足が地面についたと同時にわずかに体が反って口から鮮血が飛散した。
強い妖怪は、首の骨が折れても、心臓が破壊され止まっても、その時点で絶命する事はない。強力な生命力によってその状態でも長時間生きながらえるし、そのまま何事もなければ自然治癒で復帰することもできる。
幽香は自分が、自分の力をそのまま利用され地面に叩きつけられ首を折られたことに気付いていなかった。
妹紅は、ポケットに手を入れたまま、まるで何事もなかったかのように仰向けの幽香を見おろしていた。
幽香は訳がわからず、状況を把握しようと目だけが泳いでいた。首と胴体の連結が一瞬切断されたため、その修復が間に合わず、首から下は一種の植物状態である。
何故こうなったのか分からない幽香であったが、視線の先に妹紅を見つけ、彼女と戦闘するところだということを思い出す。幽香の目に闘争心が宿る。
「(驚いたな・・・まだ心が折れてないなんて・・・というか、幽香は戦闘屋ではなく、ただ強い妖怪なんだな・・・)」
戦闘屋と妹紅の言う妖怪タイプは、自分がやられた状況を把握し、又は把握してなくても自分のおかれた状況を見て相手が上手だということを悟ると、その時点で心が折れる。妖怪同士の戦闘は命の取り合いではなく心の折り合いなのだ。この状況で心が折れてないのは、やられた状況をまったく把握してないという事を表している。そうでなければただのバカだ。
幽香の反応は、日頃戦闘に命を燃やし、そこにこだわりを持つ妖怪にはない反応だ。おそらく幻術など、汚い術にでもはまっていると考えているではないだろうか?
妖怪には幻術で倒したとしても実力で負けたと思わない気質がある。
心が折れてはじめて勝敗が決するわけで、つまり今の状況は幽香からみてまだ勝負がついていないのである。
幽香が冷静であったなら、最初からパワー全開で来る事は無かっただろう。相手の力を利用した妹紅の技にも致命傷にはならない対処ができたはずだ。問題は戦闘前の駆け引き。そこで幽香は負けていた。それが全てといってよい。
妹紅が妖の狩人をしていた時代なら、妖怪をこの様な状態に追い込んだら、あとは石老刀を心臓に突き立てるだけであるが、その刀には今藍の魂が居る。そして、妹紅はもう二度と妖怪は殺さないと決めていた。
しかし、こんな状態になっても目はまだ戦う気満々の幽香を見て、妹紅はどうしたものかと戸惑った。
気絶させ、後で起こしてやれば負けた事を悟るだろうか・・・。
あまり、きれいに勝っても相手がそれに気付いてくれないのでは意味がない。ある程度負けたことを意識させる必要がある。
幽香を見おろす妹紅は、動けない幽香の首に手を添えた。
幽香の首が動くなら、幽香は猛然とその手を噛みにいっただろう。実際目をみるとそうしたがっているように見える。
体は動かないものの妖力が萎えてないので、体の蘇生活動は順調に行われている。とは言うものの、いくら妖怪でも首を折られてすぐに完治はできない。しかし、手足を動かし戦うことは辛うじてできるだろうし、恐らく幽香はそうしてくるにちがいない。それは無様な戦いになるだろう。そうさせない為にも今度は一撃で死なせずに気絶に至る重症を負わせる必要があるだろう。
妹紅は冷静に幽香の活動復帰時間を逆算し行動にでた。
妹紅は幽香の腰を跨ぐとそのままお腹の上にしゃがみ、太腿で胴体を固定した。いわゆるマウントポジションというやつである。
幽香は一方的に殴られる事を察知し、妖力を防御に集中させた。しかし、妹紅はそうした幽香の予想にはない行動にでた。
妹紅はそのまま体を幽香の体にかぶせるように密着させ、自分の右頬と幽香の右頬をぴったりと貼り合わせたのである。
その行動に幽香はゾッとした。体を摺り合わせるような戦闘行動は妖怪は普通しない。こういった行動をとる者のほとんどは、力はないものの特殊な妖術を使う者で、寝ている隙に体に何か危険な要因を送り込んだり、憑依又は産卵のための贄床にしたりなど、およそ真っ当な戦闘をする気質をもたない下等な連中ばかりである。
本来ならこのように人前で無防備をさらす事などない幽香であるが、この状況ではそうした危険で下劣な方法に対して為す術がない。
妹紅は幽香の内面的な変化、つまり恐怖を感じたことを察知した。
妹紅はそのまま右腕で幽香の頭を抱え込むように首の下に手をつっこみ、ぐるっと後頭部を経由して、妹紅と幽香の頬と頬を摺り合わせた間に指先を添えた。
妹紅はその状態になって体の動きを完全に止めた。「何かする」と思わせ振りにすることで幽香の恐怖を煽ろうとしていた。そして幽香は一刻も早くこの状況から逃れたいと必死だった。
1分程そうしていたが、幽香は自分の体が動くことを確認し、何時どのタイミングで反撃するか、その機会を窺った。
それは妹紅も理解していた。妹紅が動かなかったのは幽香の反撃できる肉体状況にするための時間稼ぎであり、幽香の反撃こそ、幽香を仕留めるための合図だと認識していた。
幽香が動ける事を察知した妹紅は固定した太腿を外し、幽香の顔の固定はそのままに、腰を上げて右の膝を大きく振りかぶる行動をとった。
この行動は誰が見ても、その膝を幽香に叩き付けるための予備動作だとわかった。
それは、あからさま過ぎて演技にも思える大きな予備動作であったが、一刻も逃れたいと冷静さを欠いた幽香にとってはチャンスにしか見えなかった。
妹紅の振り上げた足によって生じた隙間に、幽香は素早く右膝を曲げて妹紅の下腹部に足の裏を当てると、そのまま渾身の力を込めて蹴り上げた。
幽香が冷静なら首を固定されたまま最大パワーで蹴り上げるなどしなかっただろう。
幽香は蹴り上げて離れていく妹紅を見ていた。
先ほどのように、まるでスローモーションのようにゆっくりと妹紅は離れていった。
しかし、なぜか自分の視界は右を向きそのまま真横を向き、さらに首の回転は止まらなかった。幽香は心の中で「何故?」を何度も繰り返していた。
妹紅は蹴り飛ばされることを予め想定し、飛ばされる瞬間に巻きこんだ右手で幽香の顎を掴んでいた。
妹紅の右手と繋がった幽香の顎は、巻きこんだ腕を追いかけるように回転した。
幽香の首が180度回転した時点で一瞬視界が無くなり、次に見えた風景は360度回転し幽香の顎から手を離したばかりの妹紅が遠くに離れていく光景だった。
妹紅の姿は霞んで見えなくなったが、それは妹紅が遠くに行きすぎたのではく、幽香の意識が遠のいたからであった。
蹴り飛ばされ上空に飛翔していた妹紅が降りて来た時、幽香は完全に気絶して妖力は完全に消失していた。
「まだ、生きてるのね・・・。」
このまま、放置していれば死ぬかも知れない。蘇生できたとしても長時間このままにすれば誰かに見つかって相手が悪ければ殺されるかもしれない。
「殺しはもうやらないことにしてるのよね・・・」
妹紅は幽香の首を元に戻しながら言い訳するようにそう呟くと、ある程度回復させるために自分の妖力を注ぎ込む事にした。ただ、人の妖力では瞬発力とパワーが足りない。妹紅は1300年生きているので相当な妖力を宿しているが幽香には及ばない。弱い妖怪ならまだしも、相当な妖力を持つ幽香を再生される為には相当量の妖力が必要だった。
「しょーがない、アレしかないか・・・。」
妹紅は諦めるように吐き捨てると、幽香の服をまさぐりはじめた。これは金品などを探して追いはぎをする目的でしているのではなく、肌を直接触ることが出来ないかと服を調べていただけである。
幽香の服はいわゆる洋服で身体のラインにピッタリと合っている。胸元はかなりきつそうにも見える。これらは紫が向こうの世界から盗んだのか買ったのかは分からないがとくにかく取り寄せたものである。ちなみに、服装に限らず幽香の所有している家やその内装その他諸々がほぼ外の世界から取り寄せたものである。
妹紅はスカートに入れているシャツを引き抜き腹部を露出させると、そこに右手を当てる。そのまま5本の指先に力を込めると、腹部に指を埋め込み幽香のお腹を鷲掴みにする。指が幽香の肌に食い込み血が滲み、妹紅の指先は完全に幽香の体内に入り込んだ。
「よし。」
妹紅はそう気合いを入れると左手を頭のリボンに伸ばしスルリとほどいた。
このリボンは、八雲藍の死に際に彼女から貰った妖具で、何十万人もの人間の命を奪い、削ぎ落とせないほど膨れあがった業によって本来ならば悪鬼となるべき妹紅を人として繋ぎとめるためのものである。
これを取れば鬼になる。だが、取った瞬間にそうなるのではない。段階を経て鬼化する。そうなる前にリボンを戻せばまた人として繋ぎ止められる。
リボンを取った妹紅の身体からどす黒い禍々しい妖気が立ち、白目が真っ赤に充血するとともに視界が夕焼けの風景を見ているかのように朱色に見えるようになる。そして髪の毛の付け根が墨を吸いとった絵筆のように黒く滲みだし、それは時間とともにどんどん髪の毛の先の方へと侵食していった。
妹紅は髪の毛が十分黒くなるまで数分、完全に髪先まで真っ黒に染まるまで待った。
白い妹紅の髪の毛が漆黒に染まると突然爆発的に妖力が膨れあがる。リボンを取った直後も一気に妖力が上がったが、髪の毛が染まると更に一段階あがったのである。
「こんなもんでいいか・・・。」
何段階かあるこの変化の最初のうちは理性を維持できる。黒に染まった後は、妖力を使う事で白く戻す事が出来き、この闇の色が妖力量を表す目安となる。使い切ると白く戻り、暫くすると補充されるようにまた漆黒に染まる。しかし、2段階移行は黒に朱が混じり、段々と赤黒くなり最終的に紅蓮に染まる。
妹紅は5段階位まで試した事があるが、次第に理性が無くなり内に潜む闇に心が侵される恐怖を覚えるようになる。実際に鬼になったことはなく、鬼という呼び方も「人間外の不浄な生き物」の代名詞として妹紅が勝手にそう言っているに過ぎない。実際は鬼=不浄というのは正しくなく鬼に失礼である。
そこから先は不明だが、結果どうなるかという事に関して妹紅は確信を持っていた。
髪が漆黒になる程度ならまだ問題ない。業の力からなる妖気ではあっても、妖力そのものに不浄も清浄もない。何れも陰の力である事には変わらないからだ。
妹紅は充填された妖気を右手に集中し、一気に幽香に注ぎ込む。幽香の身体は大きく脈打ち、その体内に妖力が吸い込まれていった。
髪の毛が白くなるのを見て妹紅は右手を幽香の腹部から離しリボンを結び直した。
「ふぅー」
リボンを結んだ瞬間元の姿に戻り、軽く疲労感を覚え大きく溜め息をついた。
幽香の首に手をあて、順調に再生活動が行われていることを確認する。
「(しかし、紫のパシリで一気にキレたな・・・)」
妹紅としても予想外の結果だった。ここまでキレるのは、その事が幽香にとって極めて心外だったからだろう。対等であるべき2つの存在を誰とも知らない部外者が優劣を語るなど失礼にも程があり、怒って当然だと妹紅は自分を棚に上げた。
「後で謝っておかないとな・・・しかし、これどうするかな・・・。」
取りあえず服装は妹紅がやれる範囲で直し、通りすがりの誰かが魔が差して双方に不幸が起きないようにはしたつもりだが、このまま瀕死の妖怪を残して去るのはやはり危険だろう。
しばし頭を捻って名案を探っていた妹紅であったが、この時初めてこちらを伺う視線に気が付いた。
「ん?あれは、確か・・・」
里で一度見た事がある顔、メディスン・メランコリーだ。
慧音が教えてくれたが、最近生まれたばかりの妖怪のようで、実力的には妹紅から見れば大したことはないらしいが、物の分別がまだしっかりできていない3歳児みたいなもので、別の意味で危険らしい。
50メートルも離れておらず、しかも隠れる様子もなくぽつんと立っているだけで敵意も見えない。というより、その存在を明確に認識できるような生命体としての生気が感じられない。これは、基礎が人形で、その基礎なっている人形そのものが比較的新しく、基礎妖力が低いためだろう。何でもそうなのだが、長く存在することが妖力に大きな影響を与えるのである。
人形が意志を持ち愛憎のなれの果ての姿なのか、別の怨霊が憑依して妖怪化したのかは不明だが、妹紅としては彼女から危険な力を感じない。それもそのはず、メディスン・メランコリーの能力は毒だが、状態異常に陥らない蓬莱人である妹紅にその能力は無効で危険な要素がないのだ。
妹紅は12歳位の少女の標準くらいの背丈だが、その妹紅より頭半分くらい小さいメディ。
人形をベースにしているが、身体に縫い目が見えない。木か陶器などの身体で布製ではないようだ。
無機質な人形という外見ではなく、普通に生きている少女に見えるが、人間の等身とやや異なっており、少し頭が大きく見え手足が短い。それ以外は生身の身体に見える。恐らく完全に妖怪化して別の存在になったのだろう。
妹紅はメディスン・メランコリーが幽香の知り合いで、何とかしてもらえないかと思い声をかけた。
「おーい!」
妹紅は手を挙げてメディスン・メランコリーに声をかけた。しかし、まったく反応がない。
「メディスン・メランコリー!」
反応がないので名前を呼んでみると、反応してゆっくりこちらに向かって歩き出した。
「あなた、幽香の友達?」
妹紅の問いにメディはコクリとうなずいた。そして、初めて口を開いた。
「あなたも風見幽香の友達?」
「うーん、まーそんなとこかな・・・。」
「うそ、風見幽香を殺したくせに・・・。」
一部始終を見ていたのだろう、最後の妖力注入はある意味トドメをさしているようにも見えなくはない。
「殺してはいないわ。」
妹紅はそう言ってポケットに手をいれた腕を使う替わりに幽香を顎で指し、メディに確かめろと促した。
メディスン・メランコリーは、言われたとおり幽香に近付くと、その傍らに座り恐る恐る触って確かめ、息をしていることを確認した。
「幽香に何をしたの?」
「戦って倒しただけよ。ちょっとやりすぎただけ。だから死なせないように治療したの。敵だったらそんなことしないでしょ?」
「風見幽香を倒すなんて、あなた何者?」
「ああ、自己紹介が遅れたわね。私は藤原妹紅よ。」
「藤原・・・妹紅?聞いた事ないわ・・・。」
メディスン・メランコリーにとっては初めて聞く名前だった。
「最近人里に顔を出したからね。それで幽香に目をつけられて戦った・・・というわけよ。」
「・・・。」
「幽香の家ってどこにあるかわかる?」
事を早く済ませたいので、メディの反応を待たずに妹紅は質問した。
メディはコクリとうなずき宙に浮いて5メートルほどの所で止まって妹紅を見下ろした。案内するということだろう。初対面なのにこちらの言う事をほぼ聞き入れているメディに妹紅は少し戸惑った。妖怪は人間の言葉を素直に聞き入れるだろうか?罠だとしても回避は簡単だろう。しかし、メディに幽香の身柄を預けて大丈夫だろうか?という不安が込み上げてきた。
「なぁ、メディスン・メランコリー。」
「メディでいいわ。」
「じゃーメディ。私がさっき言った事信じるの?」
妹紅は幽香を担いでオンブをしながら質問した。
「ええ。」
「何故?」
「私の時と同じだから・・・。」
「同じ?」
「私が生まれた時、ところ構わず周囲を攻撃した。そこに風見幽香がきて彼女と戦った。あっさり私は破壊されてしまった。そして私は修復不可能なまでボロボロにされた。助からない。もう終わりと思った。でも、そんな私を見て幽香は慌てていた。そこまでやるつもりはなかったと、私に謝って知り合いの人形師のところに運んで直してくれたの。だから幽香は私の友達。」
「なるほど・・・。」
「あなたも幽香と同じことをした・・・だから私はあなたを信じる。」
「そう、ありがと。」
生まれたばかりで物の分別が分からず危険と聞いていたが、どうやら幽香によってしっかりと躾がされていたらしい。
「こっち、ついてきて。」
メディは南東の方角へと飛び、妹紅は幽香を背負ってその後に続いた。
妹紅と幽香の戦いが行われた場所は、里の東口から出てそのまま東にほぼ真っ直ぐ進んだ所である。北は魔法の森、南が里の田園地帯となる。里の結界の外になり、さらにここから東は妖怪が出没するので人間はほとんどこない。この道を真っ直ぐ行くと魔法の森沿いに博麗神社まで行く事は出来るが、その一帯は妖怪の巣窟となっているためこの道はまったく使われていない。この道は途中から南に分かれており、その先は太陽の畑と呼ばれる主に向日葵を中心とした花畑が広がり、風見幽香の縄張りとされている。太陽の畑一帯は広い平地になっており、里の田園地帯から地平線が華やかに見える。
幽香の家までは道沿いに進めばたどり着けるがそれはかなり遠回りになるのと、直線に歩いても結局かなりの時間を要するので行き来は空を飛んでいくのが一般的だ。一般的といっても人間は空を飛べないので無理であるが、そもそも妖怪の多い一帯に好き好んで行く人間はいない。妹紅も基本的には人間なので空は本来飛べないのだが、不死鳥を内包してからはその力で飛べるようになった。
しばらく飛んでいると花の密度が高くなり、地面はほぼ色とりどりの花で埋めつくされていく。更に進むと前方に大きな黄色い塊が見え、それが向日葵畑だと気付く。
幻想郷の東側に来るのが初めてな妹紅としては、その景色にただ圧倒されるだけであった。
「極楽浄土ってこういうところなのかしらね・・・」
そう呟く妹紅だったが、すぐに前言を撤回した。向日葵の畑の傍らに明らかに洋風の家が建っていたからだ。この家と花畑の組合せは極楽浄土にしてはすこし荘厳さを欠いていた。
家の前に降りたメディと妹紅。妹紅は幽香を背負ったまま家を眺めていた。
「これが、幽香の家?」
頷くメディ。
「派手な家ね・・・。」
「幽香は派手好きなの。」
どちらかというと地味な服装のメディがそう教える。
家の周囲も花壇で色とりどりの花で埋めつくされている。窓はカーテンで中が見えないが、その花柄カーテンの派手さから見て中もある程度は想像がつきそうである。
何処までが家の敷地内の庭で、何処までが畑なのか区切りがないので分からないが、家のそばにベンチがあったので、妹紅はとりあえず幽香をそこにねかせた。メディも何も言わずその様子をみていたので、間違った事はしていないと思う。
「里の方しか知らないからだけど・・・同じ幻想郷とは思えない光景ね。」
妹紅は腰に手を当てて全面花花花の周囲を見回しながら半ば呆れた様に独り言を言った。
「・・・さて、それじゃー私は帰るわね。」
しばらく花に見とれていた妹紅だが、本来の目的「八雲紫に会う」為、里へ戻る事にした。
メディは頷くだけで何もしゃべらなかったが、ある方角を指さした。恐らく里の方角を教えてくれたのだろう。確かにここだと方角がわからなくなりそうだ。
妹紅はメディの指した方角へと舞い上がり、軽く手を振ってそのまま飛び去った。
「藤原・・・妹紅・・・。」
妹紅が飛び去った後に、そう呟きベンチで寝ている幽香を見ると、彼女は目を開けていた。そしてメディを横目で見ていた。
「幽香!」
メディは急いでそばに駆け寄った。
妹紅は帰路の途中、幽香について考えていた。
里で噂されるメディと、今出会ったメディの印象はだいぶ違っていた。生まれてから日が経っておらず、凶暴で危険と聞いたが、幽香に倒されたことによって幻想郷のルールを肌で実感したのだろう。
お互いに敵として戦う一方でお互いを認識しその存在を認め合う。
妹紅は幻想郷に来てから300年経っているが、そのほとんどを竹林の中で過ごしてきた。幽香から見れば里周辺の新参にしか見えないだろう。
恐らく幽香は、幻想郷の実力者の一人として、新参者を教育するという使命を与えられたか自ら負ったのかしたのだろう。妹紅との接触はその立場に於いての責務であって紫とは関係ないことなのだろう。或いはその責任ある立場を紫から委任されているか・・・。
とにかく、今回の件は、少なくとも幽香は直接紫の指示によって行動したのではないのだろう。
このある意味最悪の出会いによって幽香は今後の妹紅に少なからず影響を及ぼす存在となる。
東方不死死 第四章 「双子の妖怪」
八雲紫に「死」というキーワードを投げかけられた藤原妹紅は、知識の霊獣であり親友でもある上白沢慧音と共にその意味を模索し、一つの結論を出した。
それは、妹紅自身の死ということではなく、妹紅に内包されている不死鳥の死ではないか?ということである。
不死鳥という存在は、読んで字のごとく死なない鳥であるが、一つの個体が永久に存在するというわけではなく、生と死を繰り返す転生を行うことで不滅の存在という意味である。
多くの生命を奪う災害という名の破壊と、その後に多くの生命を繁栄させる再生の象徴が不死鳥というわけである。
その破壊と再生の象徴である不死鳥が、文字通り不死のまま存在し続けるとどうなるのか?という疑問が残る。そして、今現在妹紅に内包されたまま不死鳥が静かに時を刻み続けているわけである。
自然現象に当てはめて考えれば、現状が恒久的に維持されるということはまずあり得ないといっていいだろう。あり得るとするなら繁栄した自然ではなく衰退し生き物の存在しない自然だろう。
衰退はやがて滅亡に繋がる。となれば不死鳥もまた、衰弱しやがては死ぬのではないか?と想像できなくもない。ただ、そういった事例がまったくないのだから断言できないが、賢いものならそれを心配もするだろう。
藤原妹紅という不滅の存在の中で生き続ける不死鳥は、何もしなければやがて死に絶えるのではないか?それはつまるところ、世界の破滅に繋がるのではないか?
上白沢慧音は、八雲紫が投げかけた妹紅の死という意味を不死鳥の死と断定した。
つまり、「妹紅に死んでほしい」という意味は「不死鳥を転生させてほしい」ということである。
不死鳥という存在は、世界各地に似たようなモチーフが存在し、鳳凰、朱雀、ガルーダ、火の鳥など、それぞれ違う特性を持っているが、鳥という姿形から混同され、時代が進むにつれ世界中の情報交流が活発化した副産物としてほぼ同一の存在として描かれるようになった。
上白沢慧音は、それぞれを足してその数で割ったような特性の平均化による相対的な低下が世界に影響を与えているのではないかと考察する。そして、その警告の意味としての八雲紫の来訪だろうと・・・。
慧音のそうした結論とは別に、妹紅としては死というキーワードにもう一つの心当たりがある。
その言葉どおりの意味、妹紅本人の死である。
妹紅に死んで欲しい、つまり、妹紅を殺したいという願望だ。そして、そうしたい理由が紫にはある。
かつて妖の狩人として妖怪達の貴重な魂を狩った妹紅への復讐である。
もっともな理由だと思うが、それについては慧音は否定的だった。
もし、復讐するならわざわざ本人にそれを警告にくるだろうか?
その意見に対しては、精神的にも追いつめてただでは殺さないという怨念めいた感情からくるものだと妹紅は反論でき、そこまで恨みをもつほどの事を妹紅はしでかしたと確信している。
それなら今ではなく、もっと速い段階で行動してくるはずだと、慧音はさらに反論できた。
過去の妹紅の行いに対しては、妖怪達の仇となってもしょうがないが、紫個人でみれば、妖怪達の肝を寒からしめたことで、長期的な計画だった幻想郷計画が前倒しで実現できたのは、ある意味妹紅のお陰でもあるという見方もある。恨み半分、感謝半分だろう・・・と。
藤原妹紅にとっては、慧音が言う程問題は軽くないと見ている。
妹紅の絶頂期ともいえる妖怪狩りという仕事を辞めるきっかけとなった一人の妖怪との出会い。そしてその後の不死鳥内包と妖怪狩りから一転して、未だにその罪悪感から逃れられずにいる人間に対する大量虐殺行為は一つの線で繋がっていることであった。
その運命の妖怪こそが、八雲紫の双子の妹、当時妖怪最強といわれ、生きとし生けるものは全て彼女の前には無力だった、八雲藍である。
慧音は話の最中に急に何もしゃべらなくなった妹紅に気づき、議論を止めた。
この問題は不死鳥の死という問題の解決も重要だが、業から逃れられない妹紅の心を救うことも重要だと慧音は思う。
八雲紫は果たして妹紅を苦しめるために接触したのか、或いは救うためなのか・・・。
仮に妹紅の心を救うことが出来るのは、藍に最も近い紫しかいないだろう。
しかし、そこまで紫を買いかぶることは慧音には出来ない。紫はこの世に存在する妖怪の中で最も優れた存在であることは否定しないが、彼女は神ではないのだ。
不死鳥をこのままにしておくことは危険だと慧音も思う。
単純に物事を解決しようとするなら、妹紅に内包されている不死鳥をなんらかの方法で転生させればよい。
問題は、その「なんらかの方法」が何か?という点だ。
聞けば、そんなことは簡単だと妹紅は言う。現状、不死鳥の全ての能力は妹紅が制御出来るらしい。
紫はそのことを恐らく知らない。知らないからといって、それを教えて下さいと頭を下げてくるようなタマでもない。
妹紅に謎掛けをすることで、常に妹紅より上位にいる状況のまま、さぐりを入れていると考えるのが妥当だろう。
次の問題は、八雲紫が不死鳥についてどのへんまで考えているか?ということである。
不死鳥を転生させるだけなのか、さらにその先の不死鳥に関する種々の問題、つまり複数の似たモチーフの混同によって変質し、それぞれの力が弱体化しているという問題の解決まで見越しているのかということである。
この件については、早急の対策が必要なほどせっぱ詰まっているわけではないが、長期的にみた場合、この問題は避けて通る事はできないだろう。
身じろぎもせず、じっと何か考え事をしている妹紅に、慧音は声をかけた。
「なぁ、妹紅・・・。」
「ん?」
はっとなって無限にループする思考を中断し頭を上げる妹紅に慧音は続けた。
「この謎かけは、紫としても妹紅を図りかねている故の行動だと思う。いずれ、こちらからか、あちらからか、もしくは別の何かを通じて接触し、そこでまたなんらかの進展が図られると思う。」
「ええ。」
「問題としては、不死鳥の転生までか、その後の事も深く考えているかということだ。」
「その後?」
「似たような姿形の存在が混同され、本質がブレ、弱体化している不死鳥諸々の問題のことだ。」
「不死鳥が私を支配していたのが、何時の間にか私が支配していた。それはつまり弱体したから?」
「恐らく。妹紅が歳をとり、さらに強くなったということもあるだろうが、不死鳥は確実に弱くなっているだろう。あるいは、もっと別の要因か・・・。」
慧音は一度言葉を切って更に続ける。
「別の要因、それは、妹紅自身の変質だ。」
「変質?」
「妹紅はとにかく人を妖怪を殺しすぎた。それは歴史的に見て非常に意義のあることだとは思う。その行為は本来、神様が行うような所行だ。しかし、その所行は人が背負うには大きすぎる業となる。妹紅はその業の力で本来は悪鬼悪霊へと変質するはずだった。」
「・・・」
「妹紅、そのリボンを外したらどうなる?」
「化け物になる。」
慧音の問いに恐ろしいセリフをサラッと口にする妹紅。
「そう、短時間ならいいが、それを長時間外し続けていたら、お前は鬼になる。死ねないお前はあの世で業を雪ぐ事ができない。ましてこの世で業を償うことも。」
「このリボンは、死に際の八雲藍から貰ったんだ・・・藍の能力は繋ぐ能力。物もそして心も。私を人間として繋ぎ止めてくれている・・・なのに・・・私は、奪ってはいけない命を奪ってしまった・・・。」
拳を握りしめ、何度も畳を打つ妹紅。思い出す度に鬱になり、後悔と自分自身への怒りが込み上げる。
慧音とたまに昔話をし、不意にこの話題に行き着くと結果はいつも同じだった。
「藍の力は、隙間の紫の能力とは対極に位置するものだ。一つの個が持つには大きすぎる力故、2つに分割されたものなのだろう。しかし、八雲紫は自力でその対極の力を得てしまった。結果として妹紅が殺すことになってしまったが、妹紅が手を下すまでもなく、あの二人の共栄は無かったと思う。」
紫の変化を慧音は覚醒と呼んでいるが、これは具体的にどうなったという記録はなく、稗田一族の記憶にそうあったから知る事ができるわけであり、確かにある時期に紫は爆発的に変化したらしいのだ。そしてその後に月面戦争が発生している。この2つが無関係ではないと想像に易いが真実は謎のままである。
「それでも、私は生かすなら紫より藍を・・・。」
妹紅の藍に対する異常なこだわりは、藍の能力である繋ぐ力によるものが大きいのではないかと慧音は考察するが、その能力も含めそれが藍の本質というなら、それはやはり藍の魅力だし、惹かれる事を責める事は出来ない。
慧音は、そうした藍に惹かれ盲目的になっている妹紅を客観的に見た時、藍の対極である八雲紫という存在の本質が見えたような気がした。
誰からも好かれる存在の対極は、誰からも好かれない忌むべき存在。乏しい想像力でも当時の紫の周囲の状況がよく見えてくる。哀れだと慧音は思った。
今現在の八雲紫は、近寄りがたく向こうからも気安く近付かない、つかみ所のない存在だが、藍の対極にあるような存在には見えない。友人も多く、博麗一族とは永年の付き合いがあり、何より幻想郷とそこに住む者を愛している。
「なぁ、妹紅・・・いや、なんでもない・・・。」
今の妹紅には何をいっても聞く耳はないだろう。自力で紫の覚醒以前の状況に思い辿り着かねばならない。
「まぁ、八雲紫が我々が想像しているところまで考えているというのなら全面的に協力してやればよい。だが、そこまで至っていなければこちらで何か手を打つ必要があるな・・・。」
慧音は話を元に戻し、妹紅も頭を切り換えた。
「私たちに出来る事なんてあるのかしら?とにかく、やっぱり、まずは紫がどのへんまで考えているかね・・・。」
「まずは、妹紅が自爆し不死鳥を殺す事ができるかどうかだが・・・。」
そこの問題が解らない限り、八雲紫もその後の計画も立てられない。
「出来る事は出来るわ。ラストワード「ホワイト・エンド」を使えば。でも、知りたいなら知りたいで素直に言えばいいのにね。」
「紫クラスともなれば人間に頭を下げて頼むことなどはすまい。常に自分優位・自分上位で物事を進めようとする。そして、妹紅がどれだけの人材かということもついでに知りたがっているのかもしれない。」
「紫は、私が妖の狩人だということを知っているのかしら・・・。」
「どうだろう・・・八雲藍の死後、妖怪に被害が出なかったと聞いたが・・・恐らく妖怪の間では、相打ち、つまり妖の狩人は死んだと思われているのではないか?」
「そうなのか・・・な・・・。」
しばらく身動きしなかった妹紅だが、顔正面に右手で何かを握る仕草をとると、そこに指を立てた左手を添え、右と左の親指の付け根を合わせる動作をした。そしてゆっくり左右の手を横に開いてゆくと、右手の中に剣の柄が現れ、左手を鞘にして剣の刀身がゆっくりと現れた。
「石老刀か・・・。」
慧音がボソっとつぶやく。その慧音はこの石老刀を見るのは今回が初めてだが、妹紅の歴史を取り込んだ経緯からその刀の存在と用途は知識として得ていた。そして、その刀身の紋様は蒼く、何者かの魂がそこにまだ縛られていることを理解できた。
「ま、まさか、それは八雲藍の魂か?」
「ええ、そうよ。」
「やはり消す事は出来なかったか・・・。」
この剣に取り込まれた魂は、上書きと同時に消滅する。ここに魂が宿ったままということは、それ以後上書きをしていないということであり、その間この剣を殺しには使っていないということである。
「ええ、でも、これはやっぱり紫に還さなければならないかしらね・・・。」
「確かに返すべきだとは思うが・・・何かの交渉材料にするのはどうだ?そうしたくはないという妹紅の気持ちはわからぬでもないが八雲紫は狡猾だ。こちらの質問にまともに応えるとも思えないし・・・。」
「・・・考えておくわ。」
会話が途切れ重苦しい時間が訪れる。
慧音は妹紅の顔をじっと見つめていた。視線は焦点が定まらず何かをぼーっと見つめながら一心不乱に考えている妹紅。妹紅が何について考えているかは、おおよそ予想はつく。
妹紅は自分の幸福など考えた事もないだろう。妹紅に幻想郷の今、そして未来、郷の事、神社の事、山の事など様々な事を問いかけても、その答えには自分自身が存在していない。
自分の存在している幻想郷ではなく、常に自分を置き去りした幻想郷が語られるだけであった。
500年前に自分を置き忘れてきた妹紅。慧音はそんな妹紅が哀れでならなかった。
妹紅が周囲の静けさにはっとなって我に返った時、そこにいたはずの慧音はいなかった。
目の前に書き置きがあり、先に帰るという挨拶と、しばらくこの家に逗留し紫からの接触を待てという助言が書き記されていた。
妹紅は慧音が帰ったのを気付かずに考え事に没頭していたことを心の中で詫び、書き置きに両手を合わせて謝罪した。
藍のこととなると、いつも我を忘れてしまう。
妹紅はゴロっと仰向けに寝ころび、しばらく天井を見つめていた。天井はこの家に住み着く妖によってゆらゆらと微妙に蠢いている。これだけの妖が存在するなら、この家にいろいろと仕掛けが出来そうだと妖術使いとしての血が騒ぐ。
しかし、「フッ」と自嘲気味に溜め息をつくと、今度は体を丸めて横になった。
目の前に、慧音の書き置きがあり、その少し折れ曲がった書き置きに裏があることに気づいた。
それを手に取り、裏返すと「死んだ者より、生きている者の事を考えよ」と書いてあった。
死んだ者が藍を指しているのはわかった。では、生きている者とは・・・紫のことか?
正直妹紅は紫が気に入らない。まるで全知全能を装った態度、人を下に見る仕草と目つき。考えただけでもむかついてくる。
「あんなやつ、生きている価値がない!」
思わずそう口にして、妹紅はハッとなって飛び起きた。
藍に生きる価値があって、紫には価値がない・・・。
「生きる価値がないのは、私のほうじゃないか・・・。」
妹紅は、急に恥を覚えた。それと同時に、紫が皆からどう思われていたかを考えるに至った。
人気者の妹・・・嫌われ者の姉・・・今でこそ、紫は友人も多いだろうが慧音がいう覚醒以前はいったいどんな妖怪だったのだろうか。
藍に対して1度きりの出会いでありながらこうも執着するその魅力の正反対とはいったいなんだろうか?
妹紅は考えだけでゾッとした。そしてそれと同時に、覚醒前の紫はとても哀れな存在に思え、親近感が湧いてきた。自分も愚かで哀れな存在だった。他人のことをとやかく言えた義理ではない。そして、だからこそ、眩しい存在に惹き付けられる。紫もまた、藍に羨望を向け、それが覚醒にいたる動機になったのだろう。
妹紅はようやく、藍に対する想いと紫に対する想いが平等になった。
「すべて、紫に還そう・・・。」
今、妹紅は紫をもっと知りたい、そしてもっと話をしたいと思い始めていた。
次の日、結局一睡もしていない妹紅だが、気分は良かった。
里の寺子屋に行き、まず慧音に見送りを出来なかった無礼を詫びた。慧音はそのような気遣いは不要だと、まったく気にしてない様子だったが、それは妹紅もわかっていたものの、そこは親しき仲にも礼儀ありである。
慧音としては、書き置きが功を奏したようで、妹紅の晴れやかな顔を見て救われた気持ちになった。
お互いに気持ちの良い朝となった。
それから2日経った。
果報は寝て待てという慧音の助言通り、妹紅は里ではお化け屋敷と呼ばれている藤原邸で、文字通り寝て過ごしていた。
霧雨道具店で売られていた残り少ない博麗のお札を慧音が持ってきてくれたおかげで、藤原邸は快適であった。
お札を太い梁に貼りつけておけば、妖の類はそれより下には下りてこない。ボロボロになった紙片が梁にこびり付いていたので、恐らく以前の家主はそこにお札を貼っておいたのだろう。妹紅は紙片を綺麗に取り払い、その場所に新しいお札を貼り付けた。
効果は覿面で、潮が引くように妖が梁より上、天井方面に退散していった。
慧音が言うには、家を長く開ける時はお札を外しておくと良いとのこと。家というのは、神様も悪霊も妖も何も存在しないと、あっという間に荒れ果てるらしい。住み着いている妖が常に家を動き回るので、誰かが住んでいるのとあまりかわりがないというのだ。こういう家は不思議と荒れず家力が上がり、格式、風合いが出るのだ。
妹紅が初めてこの家に入った時は空き家であったが、何故こんな立派な家が空き家なのか見当がつかなかったのを思い出した。
妹紅はここ三日住んでみてこの家が気に入ってしまった。里がすぐ目の前にあり、慧音の寺子屋も近い。それでいて人がほとんど寄りつかない。人がよりつかないことは、普通ならそれは駄目なことだろうが、妹紅としては静かに暮らせるので歓迎である。
また、ここは里の南側の出口にあり、道が南に伸び、その後南西の迷いの竹林へと続いているため、急患が永遠亭に行く際に、必ずこの家の前を通る。急患の護衛をするにもこの家の場所は立地的に都合がよい。
ちなみに、この家の玄関と勝手口は完全に封鎖され強力な結界が張られている。恐らく、昔の博麗の神主あたりが施したものだろうが、これはこの家に妖を閉じこめ、外に出さないためのものだろう。
その為、この家の出入り口は縁側だけになる。
家は南北に伸びる道の西側にあり、玄関は東向きに道に面している。屋敷はやや東西に長い長方形で、8帖ほどの正方形の座敷が並んでおり、間を仕切る襖があったようだが、今はなくどこかにしまってあるのだろうが見当たらない。その為、横に長い約16帖分の大きな1つの部屋に見える。座敷の南側に縁側、その縁側の前に庭がある。台所、風呂、トイレは北側に並んでいる。
玄関正面東から西に廊下が1本伸びて、その北側が台所など水廻りがあり、南側が座敷になっている。
里の一般的な家屋に比べてかなり立派な家といってよいだろう。そのため、幻想郷の外から入ってくる入郷者が、なぜこんな立派な家が空き家なのか不思議に思いながら、宿がわり泊まることが多いが、大抵の場合一晩で逃げだすのである。
丸々二日、寝て過ごした妹紅だが、その間も慧音に会うために里へ顔を出していた。
普段ほとんど行かない大通りまで足を運び、行き交う通行人をぼーっと眺めては暇を潰す毎日だった。
里は東西に長く中央に大通り、その通りに沿って酒屋、酒蔵をはじめ様々な店が軒を連ねている。通りの西側に南北に伸びる道と重なる十字路があり、北側が酒処が軒を連ねており、ここは毎晩人間や妖怪で賑わっている。北側の出口には主に外の妖怪が入ってくる門がある。ここから北側は魔法の森、西側には広大な妖怪の山山麓の原生林があるため人間はこの北門をあまり利用しない。森は東西に長く、幻想郷の東の外れにある博麗神社のある小高い山の麓まで続いている。この魔法の森が邪魔をして、里から博麗神社までは危険で遠い道のりとなり、今では里の方から神社に参拝するものはほとんどいなくなった。妖怪の傭兵を雇える一部の裕福層が貧しい庶民を従え、一種のキャラバンを形成して集団で初詣などをしていたが、今の巫女、博麗霊夢になってからは、その集団行もなくなった。これは、霊夢が里にまったく関心を持たなくなったためで、お賽銭が得られないのは自業自得である。
集団行が通っていた道は、自然に道草が踏み固められ獣道のような通路になって、今でもその道沿いに進めば博麗神社にはたどり着けるが、森の中は危険で無事にたどり着ける保証はない。ちなみに、この通路の里側の入口付近に香林堂があり、この道の中程に霧雨魔理沙の家兼店がある。博麗神社に行くためには、里の北の門ではなく東の大通りから里を出て、そこからすぐ北に続く道を見つけ、香林堂を目印に森へ入る事になる。
この道は人が安全に歩ける場所を選んでそれを辿っているため大きく蛇行しており、神社まで直線距離の約二倍の行程になる。森自体は南北にそれほど長くないので、直線距離的にそれほど遠くはなく、空を飛べる者なら、比較的短時間で里から神社まで行き来出来る。
里から博麗神社は東北東、北を12時とするなら2時方向に位置し、森が邪魔で神社を直接見る事は出来ないが、火の見櫓など高い所に登れば、大きな鳥居を遠くに見る事が出来る。
博麗神社は、100年程昔の博麗大結界の際に今の位置に移動したもので、それ以前は里の中、大通りの西の端にあった。今ここは空き地で、子ども達の遊び場やお祭りなどの催し物の会場に使われている。
南北に伸びる道路の北側が酒場で、南側は民家が多く建ち並び、東西に伸びる大通りの南側一帯まで広がっている。この辺りは農家が多く、里の南東に広がる田園地帯で主に農業を営む。大通りだけ見ると非常に繁盛して里は潤っているように思うが、一旦裏通りに入るとその様相は一転する。貧しいといっても乞食をせねばならぬほどひどいわけではない。どちらかというと、あまり贅沢を好まない人が多いからといえる。富を得てもいずれ妖怪に奪われるだけ、ならば最初から富など要らないという考え方だ。さらに裕福な層は社会的責任(里の保全など)も課せられるため、必要以上に富を得て、そうした社会的責任を負いたくないと考えるのである。
お祭り事などは、裕福層が主催し、基本的に彼らの「おごり」で行われるため、裕福層と貧困層は特に仲が悪いというわけではない。裕福層は富を還元し社会的責任を負う。上白沢慧音という里の実質の長が、酒という産業を里に伝え人間に存在価値を与えてから構築した社会体制である。
里が増長すれば、必ず妖怪など外部からの圧力が来る。酒で得た富をなるべくため込まず、妖怪にも還元することで里は相対的な安全を約束してもらっているという考え方を、慧音は常に里の有力者に対し助言しているのだ。
南北に伸びる道路の北側が酒場、南側に民家が建ち並び、慧音の寺子屋はその南側でも南端に近いところにある。
里の出入り口は、北と南と東にあり西側にはないがその出入り口のうち北側だけ柵があり、ちょっとした砦のような門がある。昔は敵対的な妖怪の侵入が頻繁にあったため、特に妖怪の多い北側および西側に防御施設が備わっていた。西端には神社があったため防御に問題なかったが、北側に防御施設を作る必要があり、その名残が今も残っている。
現在では、妖怪と人間の間に比較的良好な関係が築かれているためこの門の扉は常に開いている。良好といっても、それらは比較的強い妖怪で、弱い妖怪は人間を最も美味な食料として常に狙っている。妖怪は強くなればなるほど、好戦的ではなくなり話し合いを好む傾向がでる。話し合いといっても対人間においては一方的な要求であるが・・・。妖怪側の考えでは、美味い酒を捨ててまで人間を抑圧するのは得策ではないということである。逆に言えば、それだけ幻想郷の人間の作る酒は美味いということである。
寺子屋を更に南に下ると出入り口、里の中と外を分ける結界がある。この結界は他2つの出入り口にも存在し、その結界は主に病気やその元になる因子を退ける効果がある。幻想郷は妖の力に満ち、弱い人間は病気にかかりやすい。神社が里から移動したあとは病気が流行し、当時の神主や巫女が里に通ってそれらの治療にあたっていた。医者のいない里では、魔よけ、予防、治療も含め、そうしたことは全て神社の仕事だったのである。
妹紅の家、藤原邸は、元々里付近に存在する無数の妖を閉じこめておく施設として利用していたのだ。妖と一括りにしているが、様々な得体の知れない目に見えないが確実に存在するモノを指し、それらは常に一定量が必ず存在している。これは退治してもいずれどこからかまたやってきて絶対に消す事は出来ない存在である。死んでも直ぐに復活してしまう妖精と同じようなものだ。
どうせなくならないなら拡大して被害を出さないために、一箇所に留めておこうという発想の転換の副産物が藤原邸というわけである。今風に言えば「特大あやかしホイホイ」である。
永遠亭の存在が明るみに出てからは、彼らの提供する薬のおかげで里の健康状態は飛躍的に向上し、これまで里の健康を管理してきた神社の存在は薄くなり、里の神社離れは加速中である。慧音はそれはまずいと思い、巫女の活躍を逐一里に報告するのだが、それらは鴉天狗が作る文々丸新聞にも掲載され里に配布されるため、かえって信憑性がなくなり、それらの事件解決はすべて眉唾とされている。
里の逗留3日目となった妹紅。こんなに連続して里にいたことはないため妹紅の事は知っているものでも、彼女の長期滞在を不思議に思う人もいた。
永遠亭発見後その護衛役、慧音と友人といった関係で、藤原妹紅の存在は里の大多数の人が知っているのだが、基本的に人とは積極的に交わらないという認識があり、里に何日もいることはかなり珍しい事で、しかもそのほとんどが寺子屋周辺のことだったため、通りで姿を何日も見かけるのはある意味事件のようなものであり、異変の前触れとも取る者もいるほどである。
そんな3日目の午後、妹紅は研ぎ澄まされた刃物の様な鋭い視線を感じる。
来た!妹紅はそう直感した。
東方不死死 第三章 「妖の狩人」
藤原妹紅が人として生きることを止めてから数百年。
とある歌人を救った事がきっかけで、流されるままだった妹紅に生きる目的が生まれ、止まった時が再び動き出した。
藤原妹紅は、自分が人ならざる存在であることを理解してから、人と距離を置きながら一人暮らすようになっていた。
既に100年を生きてなお見た目が少女と変わらない妹紅。人里に紛れ込んで人として暮らすことは可能だったが、数年もすれば成長しない姿を怪しまれる。
そのため、無用な詮索・揉め事を避けるために、数年単位で住処を転々と変える生活を送っていた。
100年を越え、さらに年月が進むと、妹紅の体に変化が出始める。
長く生きた人間、動物、物などには不思議な力が宿る。それはいわゆる妖力と呼ばれる妖の力である。
その為、小さな身体でもいつしか重い荷物も持てるようになり、高い木にも難なく昇れるようになり、人里に頼る生活をする必要がなくなっていった。
一人で暮らせる自身がついた妹紅は、やがて人と完全に隔絶するために山奥に住処を移していった。
しかし、この行為はかえって目立つことになってしまった。
人里を離れ修業する山伏などにすぐに見つかり怪しまれたのである。
山奥で一人で暮らす少女を目撃した山伏から朝廷直属の妖術使いの一族「岩老郷の一族」にそのことが伝わるのにそう時間はかからなかった。そして直ぐに妹紅は彼らに拘束されてしまったのである。
一人で生きる力を得たといっても、戦いが出来るわけではない当時の妹紅は、おとなしく捕まり、事情聴取にも全て正直に答えたが、それによって百年以上も前の不死山(富士山)派遣部隊失踪に関係する容疑者であることが判明した。
この派遣部隊の長であった岩笠は、この岩老郷から派遣された者で、妹紅は彼を殺害した張本人ということである。
妹紅の処遇については、表沙汰に出来ない事件の性質。関係する当事者が既に他界している事。不死身の為、刑罰にあまり意味がない事。本人が未だにそのことを後悔し、十分反省している様子などから、朝廷へは報告せず妖術使いの一族の里「岩老郷」でその身柄を預かる事となったのである。
この一族は、人里離れた山奥に村を形成し、様々な妖術を身につけ一族に伝承させながら、表沙汰に出来ない朝廷の裏の仕事を請け負っていた。
この時代、藤原の一族の台頭によって朝廷が弱体していく途上で、西暦702年に生まれた妹紅が約200歳頃、つまり西暦900年始めに「岩老郷」入りし、その100年後の西暦1000年頃が藤原全盛期になる。
その当時の妹紅は一族らと積極的に溶け込む意志はなく、一族もよそ者であり岩笠の仇でもある妹紅には当然重要な役割は与えられず、逆に罰として不死であることを生かした捨て駒的な自爆任務や生還することを前提としない威力的斥候などをやらされることとなった。
それらを100年ほど続けた妹紅であったが、そのころには妹紅に対する恨みは郷から消え、その後は、これまでの危険な任務もやりつつ、さほど重要ではない要人・要所の護衛といった仕事もするようになった。
こうした下っ端仕事を約200年(年齢にして400歳以上まで)続けることになる。
妹紅の身に変化が生じるきっかけとなった墨染の桜の監視任務も下っ端の仕事の一つであった。
妹紅はその監視任務だけでも100年以上続けた。100年といってもずっとというわけではなく、1年のうち、数ヶ月その任務を他の者と交代で、である。
100年と簡単に言うが、それは、子供が産まれ、おしめを取り替え、お守りをして世話した子供が、成人し大人になって「手練れ」となり、一族の要となって活躍し、やがて彼らにも子供が産まれ、そして老いて死ぬ。そんな1つの時代を2つ数えるほどの人間にとっては途方も無い年月である。
一族の者にとっては、自分が生まれた頃から存在し、死ぬまで存在する妹紅は、いつしか特別な存在として見られるようになり、一族と完全に融和をしていた。
妹紅に生きる目標が生まれ、自ら進んで妖術を学びたいと願った時、一族の里の者達はそれを歓迎した。
200年、既に三世代以上に渡って一族の危険な仕事を請け負ってきた妹紅である。感謝することはあっても恨まれるような事は何もしていない。
妹紅は天性の才を持つような資質はなかったが、一度見聞きすればすぐに要領を得る器用さはあった。それまでの200年近い時間は見聞きした記憶のお陰で覚えが早く、また妹紅の「何者にかなりたい」という動機も後押しし急激な成長を遂げた。
基本的なものは全て習得した妹紅は、さらに長老クラスが人生をかけて習得した奥義の数々を学ぶ事ができた。これは素質よりも長く生きる事ができる時間的な余裕があった事による。厳しい修行で数十年かかって習得する難しい術を、100年以上世代をまたいでゆっくり学べるのである。
妹紅自身は独自の妖術を編み出す事は無かったが、人間に許される寿命という限られた時間の関係で到底習得できない多種多様な技を多数習得出来たため、それを同時に織り交ぜる応用が可能となり、それが妹紅の強さの基となった。
特に命を削って力と為す強力な禁呪を無限に使える妹紅は、いつの間にか一族の最強戦士に育っていたのである。
妹紅が里で暮らすようになって300年。年齢は500歳を越え、時代は平安時代から鎌倉時代に移った西暦1200年頃。
最長老以外では郷の最高齢となっていた妹紅だが、歳をとらず、ずっと少女のままで常に最前線で戦える力を維持していた。しかも、歳を追うごとにその力は増していった。
妖術とは、妖の力。この力は妖怪にとって無意識に存在するもので、さらに年齢を重ねる毎にその力を増すという性質がある。これは人間、動物、さらには命を持たない物にいたるまで、この長命増妖の法則に当てはまる。
500歳を超えた妹紅は、この時点で既に高い妖力を宿す存在となっていた。
妖怪の妖術は、その妖怪が妖怪として存在の意義となる力を一つないし二つもっているが、妹紅は基本的に生まれ持っての力がない代わりに、人間の編み出した妖術のほぼすべてを身につけていた。
人間の妖術には幾つかの系統があり、その一つの系統を一つの一族が継承していた。岩老郷は、そうした異なった系統をもつ複数の一族の集合体というわけである。
妹紅はそれらのどの一族にも属さず、里を取り仕切る「郷長」直属の下部として存在していた。「郷長」となる者は各一族から持ち回りで、将来有望な若者を出す決まりとなっており、30歳から自らが引退を宣言(40歳くらい)するまでの任期が与えられる。この時の妹紅は郷の最長老であり、特別な存在となっており、実力だけでいうなら「郷長」となってもおかしくないのが、郷の血を引いていないあくまでも部外者であるため、そうした重要な地位にはつけない。妹紅自身はそのことは十分承知しており、一度も重役に就くことはなかった。その野心のない無欲な資質が幸いして、むしろ各一族長から信任を得て一族の奥義の保存役を任され、さらに郷長の後見人を任されるようになる。
一族間は仲が良いわけではなく、妖術の系統上、犬猿の一族もいるほどで、小さなものから大きなものまで、争い毎は日常茶飯事だった。
一族は、その世代毎で輩出される人材の力関係、つまり天才と呼べるような個性が生まれたかどうかで、一族の勢力が大きく変わるため、中立的でどの一族にも顔が利く妹紅の様な存在は、バランスを取る意味で大きな存在であり、実際彼女が里の実力者として認知されてから、郷では大きな内紛がなくなり、郷の歴史の中で最も栄えた時代となった。
そうした里の発展とは別に、人間の世界も拡張されていくことになる。
荘園制度という、いわゆる脱税方が盛んに行われたことにより、地方の有力な一族に人が集まり、天皇領内の田畑が荒れ始めると、天皇の力が一気に落ち始める。
天皇家の弱体とは裏腹に荘園制度という開拓時代が新しい秩序の産み出す。拓かれた新しい土地は、朝廷の権威なくはびこる賊や妖怪から身を守るために自衛手段のために農民達が武装した。平安後期には、国の軍隊も警察機能も既に麻痺していたので、自分の身は自分でまもらなければならなかった。
時代は天皇の威光の治世から武士の実力の治世と移り変わっていた。
元々天皇の側についていた郷は、仕事の報酬で郷を運営していた。米などの生産物が何一つない郷は、その報酬が唯一の収入源であったが、天皇家の弱体によって十分に報酬が払えなくなり、必然的に別の雇い主が必要となってくる。
源氏や平家の隆盛する時代は、役職や官位といった「名」を欲する傾向がまだ強く残っており、特に平家は貴族趣味が強く朝廷にはまだ権威があった。
壇ノ浦にて平家が滅亡する要因は、そうした平家の権威主義的中央集権を望んだ事で地方豪族の支持が得られなかったことによるが、そこから源氏の時代、つまり鎌倉時代までは、そうした天皇崇拝的なところがまだ残っており、郷の運営は辛うじて維持できていた。
妹紅の台頭時期は、武士の隆盛時期と天皇衰退の時期でもあり、郷としては激動の時代であったが、妹紅という強力な実質的リーダーの存在が郷の分裂を防いでいたのである。
しかし、それも時代の流れに逆らえず、鎌倉時代から室町時代とかわり、完全に天皇の権威が失われた時点で、郷は分裂を余儀なくされた。この時妹紅、約630歳である。
岩老郷は解体され、一族はそれぞれの思惑で単独行動となったが、この時期は各地に大きな勢力が割拠する時代でもあったため、仕事を請け負う手段はいくらでも存在した。
彼らは主に、関東方面に移動した一族と近畿地方に残った一族と大きくわけるとこの二つだが、この一族の中に後に忍者と呼ばれる集団を形成し生きながらえる者達もいた。
一族の全てが去った「石老郷」には、「石老」と呼ばれる里を拓いた始祖だけが残った。
彼は、郷そのもに魂を縛り付け、郷と一体化して郷そのものとして長く生きることによって郷に妖力を持たせ、それを元に妖術使いの礎を作った生き神のような存在だ。
里の解体とともに自らもこの世を去る決意をした「石老」は、ただ一人里に残った妹紅に、魂を縛るため石老の心臓を貫いている一本の妖刀を抜くように頼む。
その妖刀は刀というより鉱物から削り出したような原始的な剣で、幅広の片刃で刀身が反っており、刀身に美しく濡れたように青白く輝く怪しい紋様が見えた。
この怪しい青白い紋様が、石老の魂そのものだと言う。心臓を貫いている時点で石老は死んでいるに等しいが、この刀が魂を吸い取り、そこに留めているため心臓から刀を抜かなければ永久にこのままの状態を維持できるというのである。
剣に写し込まれた魂は、成仏も輪廻もすることが出来ず永久にそのままなのだが、上書き、つまりその剣で別の心臓を貫けば、先にあった魂はその時点で消滅する。
妖怪や鬼など、人間の魂より格上の「御霊」をもつ存在は、例え肉体が滅んだとしても、転生という形で御霊は生き続ける。輪廻とは違い、肉体を変えるだけでその「個」は永遠に続くのだ。
例えば「八雲紫」が死んだとしても、性別、外見、性格などが違う、中身は同じだが別の「八雲紫」が生まれ変わる。そして、事故死することも予め考慮して転生する寄代を事前に用意している者もいる。
厄介な妖怪、鬼といった類は退治してもすぐに復活してしまう。
石老の魂を縛りつけていた「石老刀」は、所有者の命と引換にした鬼退治用の武器だったが、より多くの人間が妖怪・鬼に対抗する力を得るために、石老が長命増妖の法則を逆手にとり、自ら魂を縛り妖の力の源になったのである。
そのため岩老の影響下にあった者達は、郷を離れたことでいずれは妖力を失うことになるだろう。
石老は、このままここに残っていてもいずれこの刀は誰かに抜かれるだろうからと、妹紅に委ねることにした。つまり、それは石老が死を決意したということである。
石老の願いを汲んだ妹紅は、里の終焉に立合うと共に一本の妖刀の新たな所有者となった。
不死身の身体を持つ妹紅なら、吸いとった魂と相打ちしても命を失うこともなく、一方的に魂を消滅に追いやることができる。
人間の使える妖術は、そのほとんどの場合、力の代償といえる触媒を用いる。
弱いものでは薬草、鉱石など自然の産物からはじまり、強いものとなると、自らの寿命や肉体の一部を犠牲にするなど様々である。その中で最も強く、妖怪の妖術すら凌ぐ大きな力を産み出す媒体が、「命」である。
命と引きかけにするような大きな力を持つ妖術は、究極の奥義として、各一族に伝わっており、妹紅はそれらをほぼ全て習得している。
そこに新たに魂滅殺の究極の力が加わった事になる。それは、人が持ってはいけない力であった。
妹紅の人生を大きく狂わせ、償えぬ罪を残した大きな要因となった石老刀を手に入れた時、妹紅の年齢650歳。そして南北朝分立が朝廷との決別の決め手となった。
里の解体とともに一人となった妹紅は、朝廷の為という大きな目標を失いはしたが、「人の為に役に立つ」という最初の目的を完全に見失ったわけではなかった。
一概に人とは言っても、支配する者、される者、強い者、弱い者、様々である。
妹紅にとっての「人」とは、郷にいる間は朝廷(天皇)という存在がそれであった。
その朝廷を失墜させたのが、藤原の一族だったというのは、同じ藤原である妹紅にとってなんと皮肉なことだろうか。
天皇とはつまり、この世界の支配者であり神様である。天皇の役に立つことはその治世で暮らす人々にとっても良い事である。妹紅は単純にそう考えていた。
しかし里から離れ一人放浪する妹紅は、世界がそう単純ではないとうことを知った。
弱い者は徹底的に虐げられ、妖怪達の餌となる。人里を離れればそこはすでに妖怪、悪鬼悪霊の世界である。
強い力を持つ豪族の治める大きな街に行けば安全はある程度は保証されるが、一般庶民の生活は困窮していた。
次の街へ移動するため街道にでれば、そこはまさに無法地帯である。
妹紅の身なりは人間の若い娘そのものである。子供が一人無防備に街道を歩いているだけで賊や下等妖怪の餌食となる。
妹紅の実力をしらない運の悪い者達は、妹紅に懲らしめられて逃げていくものだったが、見逃した賊が別所で悪事の限りを尽くしているのを何度も目撃しているうちに、追い払うだけで済ませていた妹紅の慈悲の心も次第に薄れてなくなっていった。
結果として一人残らず皆殺しにすることが最も良い方法だった。
だが、そうした事は新しい火種を生む。子分がやれば親分が出てくる。雑魚だと思ったらどこぞの御曹司で、仕返しにきた一族郎党皆殺しにしなければならない時もあった。
「人を助けたい」と純粋に思っていた妹紅の心も次第に荒んでいった。
きっかけは一人の鬼を退治した事だった。
妹紅は人に関わるとろくなことがないと、次第に人里から離れるようになった。
しかし、人の里から離れるとそこはすぐに妖怪、物の怪の世界だった。
ある時、鬼の縄張りに迷い込んだ妹紅は、鬼から警告を受けた。
争いのない静かな生活をしたかった妹紅としては、鬼と問題を起こすつもりは全くなく、その場をすぐに引き下がった。しかし、これが引き金となった。
鬼から見る人間という存在は、虫けらにも等しいものだった。人からみれば鬼ははるかに上の存在、鬼から注意を受ければ人は深く謝罪しなければならない。それがこの当時の常識であった。
しかし、この時の妹紅は、鬼という存在が取るに足らないものにしか見えなかったのである。それだけ妹紅の力は強まっていたのである。
不死身であり、ありとあらゆる妖術の奥義を身につけた妹紅の実力は鬼などはるかに超越しており、ここでは明らかに妹紅が目上であった。
しかし、どう見ても人にしか見えない、人なら格下だろうと決めつけていた鬼は、その妹紅の無礼な態度に激怒した。
鬼と人とのルールを知らない妹紅は何故それほどまでに鬼が怒っているかわからない。戦う気も起きず、鬼の説教をつまらなそうに聞き流していたが、その態度すらも気に入らない鬼は、ついに武器を取りだし妹紅に襲いかかったのである。
鬼と一概にいっても、それは人と同じで強さに大きなバラツキがある。もちろん弱い鬼でも普通の人間よりかははるかに強いが・・・。
勝負にならない勝負を挑んだ鬼は、妖術など使われることもなく妹紅の体術だけで打ちのめされすぐに降参した。鬼は妹紅の実力を知り、ただの人間ではない妖怪か何かと思いすぐに態度を変えて謝罪した。
鬼にしろ妖怪にしろ実力の世界で生きる彼らは基本的に強い者に従う。これが問題を大きくしない知恵でもある。彼らは一旦勝負がつけば基本的に追い打ちを掛けたり敗者にむごい仕打ちをしない。
だが、この鬼の態度の豹変は妹紅を苛立たせた。
命乞いをして二度と悪さはしないと誓った連中が、次の日にはまた悪事を繰り返す。慈悲でもって対処しようとした妹紅の心をひどく傷つけたそんな人の浅ましさが、この鬼の態度に重なって見えたのである。
鬼は嘘をつかない。鬼をよく知っていればこの態度に怒ることはなかったであろうが、鬼をよくしらないこの時の妹紅は激怒してあの妖刀「石老妖剣」と名付けた刀を抜いた。
ひれ伏す大きな鬼の背中に刃を突き立てた妹紅は、赤い刀身の紋様が青白く変化するのを見て引き抜き、そのまま自らの左胸に突き立てた。
頭の中に大きな悲鳴のような雑音が溢れ、思わず耳を手で塞ぎ、うずくまる妹紅。
目、鼻、耳、口から鮮血がほとばしった。
普通の人ならここで絶命するところであったが、妹紅はすぐに何事もなかったかのように起きあがる。
動かぬ鬼の背中を見おろす妹紅。
決して人相がよいわけではない妹紅であったが、その時の妹紅は明らかに邪悪な表情になっていた。
「・・・始からこうすればよかったんだ・・・。」
妹紅はそうつぶやくと、失いかけた目標を見つけたことに満足した。
全ては妖怪のせいだ。妖怪さえいなければ人はもっと安心で安全な暮らしができるはず。そう考えた妹紅は、妖怪を根絶やしにするというとてつもない計画を思いつく。
感情を表に出さず、常に冷静であった藤原妹紅の目が、熱くギラギラと燃えていた。
後に妖怪達が恐れ、鬼がふるえた「妖の狩人」藤原妹紅の誕生であった。
『東方不死死』
第二章 「罪の始まり」
全てが終わった時、その最初の兆しは人それぞれ違うだろうし、それを知った時が最初であり最後だった者の方が多いくらいであった。しかし他の者はともかくとして、妹紅にとってのそれは八雲紫の来訪以外考えられない。
何にせよ、彼女の言葉から「死」というキーワードを与えられた妹紅の取るべき行動は、慧音に助言を求めることで、それ以外の選択が出来る程今の妹紅には、少ない情報から答えを導きだす能力はなかった。
上白沢慧音が教鞭を揮う寺子屋は人間の里の大通りの先端、里の出入り口近くにある。
人間の里は大きな一本の通りに枝上に路地と家が並ぶ小さな村で、幻想郷に隔離されてからは、以前よりも規模が小さくなったが、結界で封印されてからは、規模は少し大きくなり、ちょうど隔離前の規模に戻っている。
隔離と封印と区別して呼ぶこの二つの意味は、前者が「地続きで、入ろうと思えばまだ自由に出入りができるが、それを制限するために外から見えないようにしていた時代」の事で、後者は「博麗大結界で完全に行き来できないようにした時代」のことである。
里の主な産業は酒で、夜は外から妖怪や人間などが酒を飲みにやってくる。
これらの妖怪は里の人間にとっての外敵のような者達であったが、彼らの自家製の酒よりも遥かに美味い酒を提供する里は、妖怪達にとって今ではなくてはならない存在となっている。
酒造りは元々この里にはなかったのだが、農作物を原料とする様々な酒の醸造方法を慧音が教え、それによって酒場などの繁華街が形成され、妖怪にも人気が出たのである。
天皇など高貴な立場にいる者達が消費する等級の高いお酒の醸造技術を使っているため、神様に献上しても恥ずかしくない立派なお酒に仕上がっている。ちなみに神様達はその里のお酒の存在を知らないので、里に神様はやってこない。
人間は妖怪にとって食料としての価値しかなかったが、酒を生み出すことで生かしておく価値がついたのである。
昼間は静かな里だが、夜の酒処はにぎやかである。
大通りには沢山の酒蔵と酒屋が軒を連ね、慧音の寺子屋とは逆側の通りの端に酒処が数件並んでいて、外からくる妖怪向けと地元の人向けとお店を分けている。酒代は里で流通する銭で支払われるが、妖怪など銭を持たない者は、鉄など金属になる鉱物や宝石、動物の肉、珍しい物などを銭に変える質屋を利用することで得る。
ただ、こうした状況もここ200年ほどの事で、それ以前の幻想郷は人間にとって非常に住みにくい場所であった。
妹紅の家は里の外れにあるが、寺子屋とは比較的近い位置にある。妹紅は現在、とある理由でその家には住んではいないが里に来たついでに寄ることはある。
慧音の寺子屋は孤児院と住居も兼ねている。授業料は取っておらず誰でも自由に学べる。
教鞭を揮う彼女の姿は、絵に描いたような「先生」でユーモアがあるわけでもなく、授業そのものが楽しいというわけでもない。その為、「慧音先生の授業は面白くない」というのが人間にも妖怪にも妖精にも共通した見解だった。稗田一族は代々慧音と深く関わっているが、彼らもその慧音の授業の仕方に注文を付けることが多い。
しかし、慧音はそうした声にはまったく耳を貸さず、自分のスタイルを貫いている。
知識とは相手を捕まえて無理矢理教え込むものではなく、必要としている者に与えることだと慧音は考えている。必要とする者が路頭に迷うことなく真っ直ぐ慧音の元を訪ねられるようにする。これが慧音が「先生」らしい「先生」をする最大の目的である。
良い噂だけではあまり遠くに届かない。悪い噂ほど千里をかける。慧音にとってよい先生である必要はまったくないのである。
10人の中に一人でもまじめに授業を受ける者がいれば、彼女の授業は成功だ。だからこそ、授業を邪魔するような輩には容赦ない頭突きが待っている。慧音の頭突きは単に痛みを与える罰ではなく、それそのもが知識の種を蒔く行為なのである。
授業はつまらなく、そして厳しい慧音ではあるが、子供達を傷つけるような陰湿さが全くなく公平で、どんな些細な事でも話を最後まで聞いてくれ、授業が終われば一緒に遊んでくれる慧音はいつも子供達に囲まれている。
慧音の、里における役割には先生、識者、相談役としてだけではなく、里の治安を維持する守護の役割ももっている。慧音は最強クラスの妖怪ではないが、里にちょっかいを出すような雑魚なら簡単に倒す程度の力はある。
幻想郷における人間の勢力は非常に弱く、里以外で暮らすのは大変危険で、その里においても必ずしも安全というわけではなかったため、慧音が里の有力者として扱われる最大の要因は人間に味方し里を守る守護神としての存在というわけである。
先生という仕事は、里で認められて初めて成立するものであった。
しかし、それも昔のことで、酒が主な産業として定着してからは、むしろ妖怪達がすすんで里を保護するようになった。
ちなみに、里に来る妖怪のほとんどはかなり強い部類の妖怪で、ここで言う強いの意味は腕力だけではなく知性も併せ持つ総合的な強さの事である。
その為か下っ端の妖怪は里には近づきづらく酒にはなかなかありつけない。そのため彼らはそれを妬み、その怒りの矛先を自分より弱い人間に向ける。里の中は安全だが、外はやはり危険なのである。
襲われても命をとられることは昔に比べてだいぶ減ったが、それは酒代めあての追いはぎ行為に、犯行の理由が変わったからである。
慧音の存在は守護神以外にも子供の躾にも大きな効果を生んだ。
「いい子にしてないと、満月の夜に慧音先生が来るよ」
こういえば大抵の子供は肝を冷やして言うことを聞くようになる。
妹紅が慧音の寺子屋に来た時は、まだ授業の最中であった。
妹紅以外、誰でもそうだが授業中でも教室には自由に入れ見学出来る。授業が聞きたいならいつでも大歓迎ということだ。ただ、騒いだり邪魔をすれば頭突きが待っている。
慧音は教室に入ってきた妹紅に目だけで挨拶をしそのまま授業を続け、妹紅も右手を上げるだけの簡単な挨拶をして一番後ろの空いている席に座った。後ろの席は背の高い者用で、今は小さい子供ばかりでみな前の席に座っている。周りの子供達はたまに来る妹紅を珍しがって、妹紅が座った数分間は好奇心旺盛の子供達の視線弾幕を浴びることになる。
そうなると一時的に授業が止まるので、度が過ぎる時は慧音に注意される。その時の注意の仕方は「もこもこしない!」というもので、「妹紅に気をとられるな」という意味である。最初は妹紅専用の注意の仕方であったが、今ではよそ見を注意する全ての状況で使うようになっていた。
ちなみに、子供達から呼ばれる妹紅の愛称は「もこ」である。「う」は省略されてしまった。どうも子供達は「もこう」と言いずらそうである。
里には人以外に妖怪もいて、もちろん彼らは力が弱く人間と友好的な存在である。新たに里に入る際は慧音に取りなしてもらうのが常である。そうした者に子供がいるなら、慧音は人の里で人間と仲良くする秘訣として子供達を寺子屋によこして子供達と仲良くさせるように助言している。そのため、寺子屋には人間と妖怪が半々で、冷やかしに来る妖精や冷やしにくる妖精などが少々、基本的に子供が多いが、大人もそれなりにやってくる。ただここに来る大人は子供達と勉強するよりも、隣接する資料室で調べ物をすることが多い。
妹紅は授業を受けるつもりはさらさらないが、楽しそうに授業をする慧音を見るのは好きだった。
子供達相手に媚びず毅然した態度で授業する姿は、素直に格好良いと思うのだ。
そうした態度は、彼女に一片の嘘もない真実だけを語っているという自信(事実)からくるるものだろう。
だが、中性的で女言葉を使わない慧音の口調は、高圧的、傲慢などと陰口されることもしばしばで、稗田一族も代々、その慧音の態度をたしなめていた。
妹紅は、慧音が意図的にそうした態度をとっていることを知っている。
二人だけの時は女言葉ではないが結構ざっくばらんに会話している。毅然としている普段と、二人でいるときのギャップを指摘した時、慧音はその真意を妹紅に語った。
「どんな場合に於いても社会には規範が必要なのだ。本来それは神社の巫女がするべき仕事なのだがが、博麗神社は遠く道中危険なためそうした仕事が中々出来ない。それに今の巫女はそれをやる努力すら放棄しているありさまだから私が巫女のかわりに規範となっているんだ。」
規範となる存在は代々博麗神社の博麗一族や稗田一族などがいたが、幻想郷を外界から守る行為や後の大結界など妖怪の計画に荷担した博麗神社は、里の人間からは遠い存在になっていった。
妹紅が幻想郷に来た時は大結界の前、今から300年程前でその時の博麗神社は里の中にあった。この時期の幻想郷は外界とはまだ地続きだったが、人間が外から入れないようさまざな仕掛けをしていた。その一方で、人間以外の存在を、国籍関係なく積極的に受け入れていたのである。
妖怪だらけの幻想郷にあって博麗神社は里にとっての守護神的存在だった。
しかし、博麗大結界によって完全に隔離するために、その内と外の境界の基点を守護する目的で神社は今の位置に移されたのである。
元々あった土地を切り取る形で生まれた幻想郷なので、元々そこにいた人間達は巻き沿いをくった形である。
大結界そのものが幻想郷住人の総意で行われたというより、一部の連中の独断的な行動で行われたことであり、本来人の味方である神社がそれに荷担していたことや、里の守護を放棄した博麗神社の存在を現在の里の人達はあまり良く思っていない。
慧音としては、博麗神社への信仰が失われないように、博麗神社の存在意義や一族の活躍、最近では霊夢など活躍を逐一里に知らせている。昔は、神社の依頼で代理活動をしていたが、霊夢の代になってからは博麗と慧音との交流は途絶えている。霊夢の存在は里にとっては、博麗神社に住んでいる少女ではあっても、巫女という認識はなくなっていた。
博麗神社への信仰が失われた時、それは博麗大結界の崩壊を意味するのであるが、そうならないように、慧音は日々神社の存在をアピールしている。
慧音が寺子屋を始めたのがだいたい400年前。意識して巫女の代わりを始めたのは、博麗神社の影響がほとんどなくなった100年前位、外界でいえば明治時代になってからである。
「今日はなんだ?」
授業が終わり、子供達がキャッキャしている中、両手に子供達をぶら下げながら妹紅のそばに寄ってくる慧音。その妹紅も何人かの子供にまとわりつかれている。
「さっき、八雲紫に会った」
その辺を飛んでいる博麗の巫女や普通の魔法使いに会うことはそれほど珍しいことでもないが、滅多に人前に出ない八雲紫に会うということは偶然ではまずありえないことである。
「ほぅー、それで?」
紫の名前を聞いた瞬間に表情を少し変える慧音。
賑やかな教室で、妹紅は恐らく重要と思われる話を始めた。
重要な話など普通はこういった場所でしないものだが、これは、昔妹紅が妖怪退治などをしていた一族と共に行動していた時に、重要な話をする際は一目の付かない場所よりも喧騒な場所で人に紛れながらのほうが他者に聞かれにくいという事を教わっていたためで、実際、この状況なら聞き耳を立てられてもよほど近くにいない限り聞き取る事はできない。スキマなど、なんらかの妖術を用いても、好奇心旺盛な子供達がいるこういった場所では察知しやすいのである。
子供達は無邪気で、会話の内容など理解できるはずもなく、二人は適当に子供達をあしらいながら会話を始める。
「死ねと・・・言われたわ。」
話の前後はあえて省略し、要点と思われる部分だけを語った。
「それは穏やかじゃないな。でも、それはそのままの意味ではなかろう。」
「私もそう思うんだけど・・・謎かけだとしたら私にはなんのことかさっぱりだわ。」
「う~む。私も謎々は得意ではないが・・・。」
慧音は首を少し傾けて目を瞑ってうーんと考え始めた。
数秒そのままの姿勢で、次にその姿勢のまま右目だけ開けて妹紅を見ると、もう一度目を閉じ、今度は姿勢を元に戻した。
「話が長くなりそうだな。晩飯の後に妹紅の家で話そう。」
「まーそうなるんじゃないかと思って筍掘ってきたけど・・・。」
即答してもらえるとは思っていなかった妹紅は、あらかじめ慧音のその返答を予想して長期戦の準備をしていた。
「おおっ、それはありがたい。子供達も喜ぶな。」
孤児院も兼ねている慧音の寺子屋は、現在3人の子供を養っている。食べ物に関しては里の人からのお裾分けが十分過ぎるほどあり食べることに不自由はないのだが、里の外が危険なため、そうした食材は中々手に入らない。
筍自体は珍しい食材ではないが、筍には旬があり今は里では見かけない食材なのだ。
迷いの竹林にはそこだけ空間が違うのか一年中季節は同じで、時間を操る輝夜の能力の影響だと言われている。
その為、迷いの竹林では筍は一年中採れ、妹紅の収入源にもなっている。
妹紅自身、金に興味はないのだが、少しくらい蓄えがあったほうが良いと慧音に助言され、慧音に用事ある時のついでに抱えて持てるだけの筍を持ってきて売るのである。
ちなみに、迷いの竹林は里と目と鼻の先で、行くだけならすぐに行ける。ただ、戻ってこれるかは話は別となる。
最近永遠亭の存在が知られるようになり、そこに優秀な医者がいることが判明し、急患が出るとそこに行くのが里の常識となった。その際、妹紅に護衛を頼むのである。
この地理関係は妹紅にとって色んな意味で都合が良かった。
「外に置いてあるわ。先に必要な分だけ確保しておいて。残りは売るから。」
寺子屋の前に筍が並んでいるのを見た近所の住人達は、笊を持って寺子屋の前に集まっていた。
妹紅と慧音は外に出て住人と軽く挨拶を交わし、妹紅は慧音に5本の筍を渡し、残りの分を欲しがる人達の数で割って分配し、引き換えに僅かなお金を受け取った。
妹紅の良心的な金額設定は差額分を寺子屋のお裾分けの量に上乗せされることになるだろう。
ちなみに、外に無造作に置いた筍が盗まれないのは、常に厳格な慧音の存在が規範となって里の人のモラルに影響を与えているからである。それに、里自体貧しいというわけではない。
里の外の人間や妖怪なら勝手に持っていってしまうだろう。特に里の外に住む人間の手癖の悪さは妖怪の間でも語り草になるほどである。
慧音の家、つまり寺子屋は、教室と資料室と母屋で構成される。食事や就寝は母屋でする。
妹紅は慧音と暮らす孤児達と共に夕食をとり、直ぐに妹紅の家へ移動した。
「子供達はいいのか?放っておいて。」
まだ寝るには早いし、この時間だと子供達だけで少し心配である。
「厳しく躾ているから大丈夫だ。それにあのくらいの歳だといちいち親が見る必要もない。一番の上の子が年長者ズラして仕切るから問題ない。それも勉強のうちだ。」
孤児院歴数百年の自信に満ちた返答だった。まあ、数百年といっても孤児達は子供いない夫婦などに引き取られることが多く、孤児達が寺子屋に長く居る事はない。
今は、引き取り手のない妖怪の子供1人と、人間が1人。家庭の事情で食い扶持を減らす目的で奉公に出されたものの首になって路頭に迷っているところを預かっている子供1人の計3人、いずれも女の子が慧音と共に暮らしている。
10歳を過ぎると、男の子なら労働力、女の子なら家事などで必要とされるので、その頃には誰かに引き取られそれ以上の年齢の子供は預かったことはない。当然、思春期の微妙な年齢の子供を慧音はあずかった経験はない。慧音は人であった時でも色恋沙汰とは無縁だったので、それら思春期の子供達に対しても良い先生になれるかは微妙なところである。それに関しては妹紅の方が慧音より良い先生になれそうであるが・・・。
妹紅の家の鍵は慧音が預かっているので実質的にこの家の管理者は慧音だ。
この家に他の住人が住まないのは、この家が里の結界の外にあるためである。
ここで言う結界とは、博麗大結界の様な大それたものではなく、蟲や低級霊といった所謂外道の侵入を妨げる「おまじない」的な結界のことである。里と外の境界に祠などを祀ることで結界の効果は発揮される。
この結界は博麗神社が里にあったころに施したものだが、神社が移ってからもその効果は続いている。
結界の外にある妹紅の家とされている家は、家に憑くたくさんの小さな妖精や精霊、幽霊、妖怪、蟲達の巣窟となっており、普通の人間は夜のざわめきにとても寝付くことができない。その為、人が入ってもすぐ引っ越してしまう。一応誰かの持ち家としておけば、無用な手間が省けるだろうと、慧音は「藤原邸」と登記して誰も入れないようにしていたのである。
「相変わらず騒々しい家だな。」
しーんと静まりかえる静かな家の中で慧音はそう呟いて溜め息をついた。普通の人には何も感じないが、ある程度霊感が高かったり、妖力をもっていたりすると感じる何かがこの家には無数に存在する。妹紅の家が里の結界の外にあるため、そうした蟲などと呼ばれる類の存在が住処としてしまうのである。
「この家で寝たくないのよね。」
妹紅も慧音の意見に同意した。慧音や妹紅には、死角に無数の蠢くモノたちが隠れてこちらの様子を窺っているのがわかる。
「朝まで起きていれば問題ない。」
「慧音は話はじめたらとまらないからね。」
「それにここならスキマ妖怪が聞き耳を立てればすぐにわかる。」
この家に、至る所に存在する「何か」はどんな変化にも機敏に反応するので、外に何かがいたり、外から何かが侵入したり、空間に歪みが生じるなどの変化に瞬時に反応してくれる。
音を消す程度の力を持つ妖精ルナ・チャイルドが騒音の中で音を消せば、逆にそこだけ不自然になり、居場所を教えているようなことになる。家に住む蟲達が騒音で、スキマがルナ・チャイルドと置き換えれば分かりやすいだろう。
そんなわけで大切な話をするにはこの家は絶好な場所なのだ。
「で、昼間の話の続きだけど、不死身の私を殺すというのは、どういう意味が隠されていると思う?」
先ず最初の結論は、その言葉をストレートには捉えないということで二人の意見は一致している。
「妹紅は、藤原妹紅であると同時に不死鳥の力を身に宿している。つまりはそういうことだろう。」
「不死鳥を殺す・・・と。」
「それしかないだろうな。」
「なぜ?」
「なぜだと思う?」
「慧音には分かるのか?」
「ふむ、妹紅は不死鳥について少し学ばなければならないようだな。」
自らの半身的な存在について無知な妹紅に、慧音は語りはじめた。
不死鳥は朱雀、鳳凰など、元々は別々の存在とされていた神霊であったが、時代が進むにつれ混同、同一視され、実際同化した存在である。実態の不明な神的存在は人の信仰によって都合よく変質する。
本来それらは、それぞれに役割があったが、世界中にあまりにも多く似たようなモチーフが存在するために、同一化され同化した時に力が均一化してしまう。そして本来の役割が十分に発揮できなくなってしまう。そうした現象はどの神にもあるのだが、その極端な例が「不死鳥」といえる。
時には人の魂を喰い輪廻に誘う火の鳥。南方を守る守護神。世界の破壊と再生を行うフェニックス。
ここではこれらの存在を「不死鳥」と言葉にして出すが、これらの存在の現状における最大の役割は世界を支え維持する四霊、四大霊獣としての存在である。
「根本的にこの世界は神が創造するわけだが、その世界の土台を形成しているのが四霊だ。方角を定め、属性によって原理を作る。これによって物質が安定し形という概念がつくられる。」
と、言われても妹紅にはちんぷんかんぷんだ。
「まず、この役目が重要だ。次に重要なのが世界を維持するために破壊する役目だ。」
「破壊することが維持につながるの?」
「妹紅は既に人の理を失っているから当てはまらんが、人間でも妖怪でも自然も世界も古い物を捨て新しい物と取り替える。」
「つまり・・・代謝ってこと?」
「人間にとって新陳代謝は起こっていることすら気づかぬ些細なものだが、世界の代謝とは台風、地震などの自然現象、疫病、人心の乱れによる戦などそういったものだ。」
「破壊と再生ってことか。」
「稀に起こる天変地異は不死鳥が死ぬ時の現象といえる。」
「不死鳥って死ぬのか・・・。」
「厳密には死ではなく、転生だな。その時その身を苛烈に焼き完全に燃やし尽くし、その灰から生まれ変わるのだ。まるで妹紅そのままだな。」
「うーん。」
「ただ、不死鳥はなにもしなければそのまま少しずつ燻って消滅する。意識的に命を絶たなければ生まれ変われない。」
「そうなのか・・・でもなぜ不死鳥だけ死ぬんだ?」
「炎の属性とはそういうものだ。自然であって実は不自然な存在なのだ。無ければ安定した世界になるが、進歩もしなければ壊れもしない。ただ、そこにずっと存在だけが続くだけの世界・・・。炎とは命のきっかけなのだ。命とはいつか消える。炎とはつまり世界に動きを与える存在ともいえるな。」
「自然死?っていうのかな寿命で死ぬと世界はどうなるの?」
「簡単に言えば世界が無くなる。さっきも言ったが何も起こらない世界になる。それはまさに無と同じこと。」
「それってかなりまずいことでしょ?でも自殺?できるなら問題ないか・・・。」
「いや、それが実はそうでもない。」
「なぜ?」
「先ほども言ったが、不死鳥という存在がブレてきているからだ。」
「ブレ?」
「妹紅は不死鳥に言われた事を実行したが、果たしてそれは正しかったか?」
「・・・いや。」
「神霊は間違いなど犯さない。つまり不死鳥はすでに神霊としての格にはなってない。」
「でもそれって・・・。」
「世界は漫然とだが、確実に破滅に向かっているな。まー、どんな世界もいずれは終わりがくる。早いか遅いかだけの違いだ。」
慧音は涼しい顔で言う。
「でも・・・。」
「妹紅が言わんとしていることはわかる。終わるべくして終わる時と、間違いによる終わりではだいぶ違うからな。」
「つまり、八雲紫はそれを察知して不死鳥を殺し世界の崩壊を防ぐってことを言いたいの?」
「恐らく。」
しばらく沈黙が続く。
「冥界も天界も顕界もどこも許容範囲を超えている。外界は戦が絶えぬとはいえ、全体でみれば人は溢れているのが実情だ。具体的に世界が炎で包まれるというような破壊は起こらないが、人口が急激に減る現象は不規則だが周期的に起こらなければならない。」
「それが不死鳥の死ということ?」
「人の文明の滅びは、自滅というよりも急激な環境変化によることが多い。だが、高度に発展した文明はそれら自然現象をある程度予測制御できるようになった。こうしたことも世界の動きを止める理由の一つだろうが、本来ならそうなる前に、世界が変わっていなければならない。あきらかに不死鳥の力の衰えが来ている。」
「いつからそうなったんだろう・・・。」
「人間というより魂をもっと減らすべきだったと思う。その制御が出来なくなったのは、それほど昔ではないな。人の歴史は1万年に及ぶが、人が爆発的に増えたのはここ数百年だろう。信仰の衰えも世界の乱れの一因だし、もはや我々がどうこうできるレベルの話じゃない。」
「本当に世界は滅ぶのかな・・・。」
このままずっと世界は続くと思っていた妹紅は、そもそも人間や魂についてはあまり深く考えていなかった。考えるようになったのは不死鳥の力を持つようになってからである。その経緯は妹紅の人生に於いて最悪の時代であった。
「そもそも魂ってなんなんだろ・・・。」
「妹紅は学んだのではなかったのか?」
「私は不死鳥に言われたまま・・・考える事もその余裕もなかった。」
妹紅のつらい過去を考えると慧音は居た堪れない想いになるが、不死鳥の犯した間違いの証こそが妹紅そのものなのだ。
慧音は妹紅の歴史から魂の本質を知ることが出来た。人の短い命ではそれを理解するのは難しい。そしてその無知な人間が世界を支配している。問題は大きい。
「魂というのは、一個の生き物だ。人間も生き物。」
「肉体と精神、その精神が魂というわけではないの?」
「肉体と精神が合わさって生物となる。その一つが人間や妖怪だ。魂はその生物を器として寄生するようにその器の体験を蓄積し成長する。」
「いまいちピンとこないな。」
「例えば人間の肉体は人形だ。精神は性格などの個性だ。しかし、それらは、それらが住む国、文化に基本的に準じた発展をし、生み育て維持するという一連の生命の理にそって活動する。それ以上の事は生まない。」
「しかし、そうした小さな世界の中で時々異端が発生する。それらは変革を及ぼし、時には発展し、時には滅亡する。」
「これは輪廻転生する魂が作用している。魂は基本的に土地に縛られず、あらゆる生き物に転生する。それによって少しずつ変化がでるのだ。」
「植物の実を食べた鳥がその種を遠くに運んで、種が反映する?みたいな・・・。」
「まーイメージ的にはそんな感じだな。それから魂は人間に格付けをする役割もある。アリにもハチにも女王がいるだろう。どんな社会にもリーダーがいる。何によって決められるかといえば、よき魂が宿った人型がどうかということだ。それを間違うと全体が滅ぶ。昔はそういった文明が多かったが、今は、滅ぶことを防ぐためにリーダーを作らないという方法もできた。」
「普通は生まれたばかりの魂は、外道、つまり蟲以下の存在を器に、それらが死ぬ毎に別の生き物へと移り、次第に高等な生き物へと進んでゆく。」
「動物などを経て、人間・・・ちなみにここでいう人間というのは一定レベルの高度な生き物で、低級の妖怪や獣人なども含めている・・・を器にした魂はそこで一つの節目がくる。」
「節目?」
「ここで魂はようやく冥界・天界・地獄・輪廻といった選択肢を与えられるレベルになる。」
「初めて人間になった魂は普通、地獄に落ちる。」
「いきなり?」
「理性を知らない生き物、その獣性を残したまま人に転生にするので、そういった人間は粗野で秩序、道徳といった概念が理解できず自分勝手に生きる。その為、その社会で罪を犯しやすい。逆に何度か人を経験した魂が人間になると、社会を重視し道徳を重んじるようになる。長い間人をみていればわかるだろう?小さいことですぐ起こる者や、子供なのにやたらと落ち着いて大人びている者など。」
「確かに・・・。」
「ここで重要なのが、社会で起こした罪は閻魔に裁かれ、魂の罪は不死鳥に裁かれるということだ。」
「・・・。」
「妹紅は、閻魔には裁かれることはないが、不死鳥に裁かれた。」
「・・・。」
「幾度か人間を経て、獣性が消え、より高い資質を得た魂は、以後獣に落ちることなく、冥界でしばしの休息を楽しんだあと、再び人へと転生することができる。そこでさらに霊格を上げると、ようやく器と魂が融合し御霊となる。」
「御霊となった魂は、以後その肉体が滅んでもすぐに相応しい肉体が生まれ転生することが可能になる。このレベルになると、高等妖怪以上の、つまり天人のような存在になるのだ。こうした者はこれからどう生きるかなどを自分で自由に選択できる。人の世に現れて説教たれる聖人や、すっと冥界で隠居する者、妖怪のまま気ままに過ごす者、再び人間にもどる奇特な者。」
「例えば、八雲紫が仮に死んだとしても、すぐに紫の生まれ変わりがこの世のどこかに生まれそこに同じ御霊が宿るのだ。生前とは違った姿となっていても能力や記憶を継承する。このクラスの生き物となると、従者などがその生まれ変わりを見つけ出し、そうした主従関係はいつまでも続くのだ。一度そこまで登った魂は落ちることはほとんど無くなる。そしていずれは天界へと進み、次の新しい神様となったりするのだ。」
「私はそんな貴重な御霊をたくさん殺した・・・。」
「そう、魂の大罪だな。ただ・・・まーそれは後で話そう。」
「今不死鳥は、世界を支えたり輪廻を管理したりといろいろと役割が重なってしまった。そしてそれぞれの精度が落ちたのだ。」
「精度か・・・。」
「魂を単純に一つの存在ととらえてしまったのだ。魂は格が上がる毎に、従属する魂を持つようになり、そられを含めて大きなコミュニティーを形成する魂団となる。これらは同時期に同じ世界に転生するため、現世において一国を形成する人の集団の基になったりする。今はそういった事はほとんどなくなってしまったが、歴史のなかでまるで必然のような主従関係や交友関係ができるだろう?これはその魂団がそうさせるのだ。」
「考え方を逆にすれば、そうした基締め的な魂を人間を殺すと、大勢の魂を道連れに出来る。不死鳥も昔はそうやって人単位ではなく基締め的大きな魂を把握し、管理することで全体のバランスを取っていたのだ。」
「そうした見分けが出来なくなった?」
「冥界も天界も変革が迫られるだろうな。新しい世界や秩序をつくらなければならないのは確かなのだが・・・当面は不死鳥の自然死を回避しなければならない。」
「自殺というか自爆は今できないのかな・・・私が催促して。」
「それを行う理由がなければ不死鳥はやらんだろう。そして何が問題といえば、その理由をどこに見出すかを不死鳥自身が忘れているのではないかということだ。」
「そういえば不死鳥の声を聞かなくなってもうだいぶ経つわ・・・。」
「もしかしたら、不死鳥はもう世界を消滅させたいのかもしれない。不死鳥もどうしてよいのか分からないのだろう。」
「そんな身勝手な・・・。」
「身勝手な信仰がそうさせたのだから行って来いのチャラだな。」
「慧音はどっちの味方なんだよ!」
「私はどっちの味方でもない。ありのままの事実を受け入れるだけ。人間としての私の素直な想いは、妹紅とずっと一緒にいたい。しかし、ハクタクとしての私は、どんな未来も受け入れなければならないのだ。」
「・・・ご、ごめん・・・。」
「いや、いいんだ妹紅。」
「理由か・・・どうすれば、真っ当な理由を作れるか・・・。」
「私は歴史に関わるような企みは生み出すことはできないが、幻想郷には何か企むのが好きな奴はたくさんいるだろう。」
「八雲・・・紫か・・・。」
「昨日の妹紅と今の妹紅は、中身の質でいうなら天と地の違いだ。自信を持って紫と対峙するがいい。」
「・・・。」
「妹紅は本来正常な世界では確かに大罪を犯している。しかしな、皮肉なことにその大罪は実は世界にとって良い行いであったのだ。」
「そういわれても・・・私は同時に人としての大罪を犯している。」
「妹紅はすでに人を超えた存在であるのに、いつまで経っても人なのだな・・・。」
今はもう割り切っている。長すぎる時間は、それと同じ責め苦を受ける恐怖を生むが、同時にその長さこそが忘却という慰めをつくってくれた。
慧音が言うように妹紅の力はすでに人間を遥かに超えている。普通そうなったら人の社会や人の道徳といった概念から解き放たれるはずである。しかし、妹紅は人間を止めることはできなかった。
妹紅は嫌でも昔の事を思い出す。罪の始まりを・・・。
慧音は沈黙し、妹紅に過去を振り返る時間を与えた。
妹紅にとってそれはつらい過去を呼び起こすことになるのだが、しかし、バラバラになった妹紅の過去を紡ぎ出し、一本の因縁の糸を手繰り寄せなければならない。
八雲紫と妹紅の今回の出会いは決して偶然ではない。紫との因縁を妹紅は知らなければならなかった。
藤原妹紅が蓬莱の薬を口にして不死身の身体を手に入れてから数百年、人里を離れ秘境に逃れて一人静かに暮らしていた。人の気配がする度に奥地へと奥地へとそれはまるで逃亡生活のようだった。
そんなある日、妹紅は怪しげな集団に拘束された。
彼らは朝廷の密命を受けて行動する対妖怪専門の妖術使いの一族であった。
人の住まない山奥で少女が一人暮らすなどどう見ても不自然である。
彼らは妹紅を妖怪の一種として、彼らの役目通り妹紅を殺そうとした。
当時の妹紅は多少体力はあるが、戦いの技など知らない普通の少女と同じで、抵抗する暇もなくその凶刃の前に為す術がなかった。
しかし、不死の力をもつ妹紅は、絶命の瞬間蘇生し彼らを驚かせた。
妹紅の経歴を知った彼らは、既に数百年経っているその罪を裁ける術がなく、そもそも当事者がこの世を去って久しい。朝廷に報告してもまともに取り合ってもらえるかどうか・・・。
議論の末、一族の長の一存で妹紅を妖怪狩りの戦士として鍛えることにした。
朝廷に対し犯した罪を朝廷の為に働くことで償えと言われれば、妹紅としてはそれを受け入れる意外なかった。
妹紅にとって彼らとの生活はそれほど悪いものではなかった。
元々怪しい妖術を使い一族の年長者など200年を生きており、薬や妖術で延命したり、別の身体に乗り移ったりと彼らもまた妹紅と同じ、人間と共に生活できない身だったのである。
この時はただ不死身という以外たいして力を持たない妹紅であったが、ある出会いがきっかけで積極的に妖術を身につけるようになっていく。
妹紅が一族と暮らし始めて100年ほど経った時のことである。
かつて「西行妖」と呼ばれ多くの命を吸い取った妖怪桜があった。どういった経緯で封印されたかは分からないが妹紅がその桜を見る頃には既に封印がなされており、今はその後に残った「墨染の桜」が朝廷の管理下で静かに時を刻んでいた。
妖怪桜が、妖怪ではなくなった後にもそこに訪れる歌人は後を絶たず、人を惹きつける妖力の残滓は消えず燻っていた。
桜の妖力によって自害するものはいなくなったが、その伝説的なエピソードから歌人の聖地のような場所となり、毎年桜の季節には多くの歌人やその歌を目当てにした者たちが訪れる名所となっていた。墨染の桜は安全とされながらも、それでも万が一の為に放置も出来ないため、朝廷は妹紅が拾われた一族に監視をさせていたのである。
当時の妹紅はその一族でも下っ端の下っ端で、こうした退屈な監視任務には打ってつけの人材であった。
数ヶ月毎にこの退屈な任務をする番が巡ってくるのだが、不思議と妹紅はこの任務が嫌いではなかった。
それもそのはず、妹紅の順番は運良くいつも春だったので、咲き乱れる見事な桜を満喫できるからである。
ただし、桜が桜としての真骨頂を見せる春は、それを見に訪れる人の数も多く、監視としての仕事は激務といえる。
激務といっても、ただ見ているだけで体力的にはつらくないのだが、いつ誰が自殺するかわからないので、常時監視の目を光らせていなければならないのが精神的につらいところであった。
桜の季節にはまだ早い肌寒い日が続く早春の頃、この年はあと数日で監視の任が解かれるため桜の季節にはここにはいないはずである。
墨染の桜の下で妹紅が立ち番をしてとき、一人の初老(に見えた)の人物の訪問を受けた。
勉強の為の妖術書を一生懸命読んでいた事もあったが、すぐそばまでその初老の老人が近づいていたことに気づかなかった妹紅は、迂闊と思いながらもその表情は変えず老人の会釈を返した。
「数奇な運命をお持ちのようですな。」
「・・・」
ここにいる妹紅ら一族はどれもまともなものなどいない。彼らに対する社交辞令の挨拶かと思う妹紅。
初老が何歳からなのかは分からなかったが、老人と呼ぶにはまだ早い気がする。ただ、なんとなく雰囲気が疲れているようなので妹紅は、この男を老人と思ってしまっていた。
妹紅が老人と決め付けた男は、蕾も固い桜の木を見上げてから、妹紅の前にきて話をはじめた。
「この桜は数奇な運命にさらされ、今は白玉楼にあると聞きます。」
「?」
初めて聞く言葉であった。
「文人、書家、その他もろもろ文芸等に関わった人が死後目指す幻想郷の事です。」
妹紅が幻想郷という言葉を始めて聞いた時であったが、現在住む幻想郷の事ではなく、老人が言った幻想郷とは理想郷、桃源郷といった架空の世界を指していた。
「・・・」
「願わくば、歌聖西行寺のように桜の下で死に、白玉楼へと旅立ちたいものです。」
妹紅の姿はどう見ても10歳を超えたくらいの少女にしか見えないのだが、その老人は丁寧な言葉で、まるで位の高い人物と話すかのような態度を取るので、妹紅は恐縮して背筋を伸ばしたと同時にここまでへりくだる老人の態度はあまり好きにはなれなかった。
「この桜の番をしているのですかな?」
老人の問いかけに頷いて答える妹紅。
「少しお話を聞いてもらえませんか?」
妹紅は一瞬自分の素性について何か知っているのかと警戒したが、その老人の人の良さそうな雰囲気と退屈で死にそうだったという事情により、コクリと頷いて老人の申し出を承諾した。
老人は、藤原の一族の者で、若くして様々な才能に恵まれ、女性にも人気があり、将来を嘱望された好青年だったと聞かされる。年寄りの昔話に付き合うはめになったことを少し後悔したが、藤原の一族というのがなんとなく気になった。
自分が貴族の出であることはほとんど分かっていない妹紅であるが、妹紅の姓も藤原である。この時代の藤原とは、藤原以外は人にはあらず的な存在で、その一族であるのとないのとでは、その後の人生が天と地も違うのである。
親戚関係かなにかで、自分が孫とかそのあたりの誰かに似ているのだろうか?もしかしたら自分の素性が分かるかもしれないと、妹紅はその老人に興味をしめしはじめた。
「20歳の頃か・・・この桜の下で、禁止されていたにも関わらず、居眠りをしてしまったのです。」
ただの昔話だけで終わらず、老人は自分に起きた不思議な夢を語りはじめた。
「その時、一人の少女にまつわる悲劇の物語を夢の中で見てしまったのです。」
その老人はその夢を見てから人生観が変わり、供養の為に歌を詠みたいと思うようになり、現在も将来も全てを投げ打ち歌人となるために出家したのである。
仏門に入る目的ではなく、目指す究極の歌を探すため、自分を縛る全てのものから開放される目的での出家であった。
歌聖の娘を慰めるためにはそれに釣り合うために自らを高めることが必要だと考え、俗世から離れ、ひたすらに自然の中で自分に向き合い自らを高める日々を過ごした。
悩み、苦悩の日々の中で悶々と各地で修行し、戦乱も経験し、世の無常も味わった。
疲れ果て、救われないその身で、何を誰を救えるものか?
自問するため原点となったこの場所にやってきたのだという。
「はぁ」と、うな垂れ、桜の前で腰を下ろすその初老の肩は寂しそうに落ち込んでいた。
「後悔しているのですか?この道を進んだことを・・・。」
妹紅は初めて口を開いた。
「・・・いいえ、後悔はしていません。ただ・・・残念でなりません。」
「夢の少女の事ですか?」
「・・・はい。」
妹紅は無意識に老人の横で正座をしていた。
「何かおっしゃりたいのですか?遠慮せずに言ってください。」
妹紅には老人の気持ちは分かるのだが、いまいち釈然としない違和感を感じる。
死ぬことが悲しく、哀れなのだろうか?
死ねない不死の身体を持つ妹紅にとって死とはまさに幸福と同じ意味であった。
「あなたの心には神も仏もいないのですか?」
妹紅の身体は、神や仏の及ばない存在となっていた。欲しくても得られないモノをなぜ、この老人は捨てるのか?
妹紅は様々な思いを込めてそういった。この言葉に老人もさすがに驚きを隠せなかった。
「・・・仏?」
「私が仏ならば、その少女に最大限の哀れみと賛辞と永遠を贈ります。人ごときの哀れみなど無用というもの。」
妹紅はばっさりと老人を斬って捨てた。
「たぶん、彼女は今幸せでしょう。あなたも残りは自分の望むように・・・。」
途中まで言いかけて妹紅は老人が大きな声を上げて泣き出すのを見た。
余りにも大きな声であーあーと泣き崩れるので、妹紅はものすごい罪悪感を感じどうしたものかとうろたえた。
老人の背中をさすろうと手を伸ばしたとき事が起きた。
伸ばした手にドス黒い靄が絡みついたのである。「それ」は老人の背中から這い出てくる。
引っ込めようとした手に靄がくっ付いたまま老人の背中からズルリと抜け出すのを見て、妹紅は一瞬驚愕したが、自ら役目と任務を思い出した。
妖怪か!悪霊か!
妹紅は老人から少しはなれ左手にまとわりつく黒い靄の塊を冷静に見た。
妖怪の類でも悪霊の類でもないようだ。邪気は感じないが、非常に強い情念を感じる。
これは老人を苦しめた苦悩と煩悩の鬱積した塊だろう。
これが溜まり過ぎると異形化して人を怪物にしてしまう。
信仰を持たない人が救いの道にすがらず放置した結果生まれるものらしいと妹紅は教わった記憶があった。
仲間の先輩が取り出して見せてくれたことがあったが、自分が取り出したのは初めてだった。
この老人は仏門に入らずすべて自分の中で悩みを解決しようとしていた。
それがコレを生み出したのだろう。
南無阿弥陀仏と唱えると自然に消滅する簡単な類の妖である。
仏無きものに仏の言葉を与えるだけでよい。
南無阿弥陀仏と何度も唱えていると、左手にまとわりついて質量があるかのようにだらりと地面に垂れるその黒い靄はしだいに重力から開放されるように天へと浮き上がり、やがて砕けて消え空に還った。
妹紅は消え行く黒い靄を静かに見つめていたが、不意に頭の中に入ってくる言葉を聴き、それを口に出した。
『世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりけり』
表面では悟りを求めても内面では都暮らしの昔を懐かしむ。
消えぬ煩悩に苦しむ歌だった。
老人を見ると、気を失っているように地面に臥せっていたので仰向けに身体を返し様態をみた。
呼吸は正常を保っていたが、明らかに変化が見て取れた。
表情が若返っていたのである。歳はとっているが、その表情に老いがまったく見えなかった。
しばらくして気がついたさっきまでの老人は、妹紅に感謝の意を表し、去り際に今の率直な心境を歌にして妹紅と墨染の桜に贈った。
ほとけには 桜の花を たてまつれ
我が後の世を 人とぶらはば
何かに解き放たれ清清しい表情になった「老人」を見て、妹紅は初めて人を助けたという実感を噛み締めていた。
罪に苛まれ罰を求めることだけが救いの妹紅の心の内に初めて宿った救いたいという心境。
この経験が、流されるまま一族とともに妖怪退治をやらされていた妹紅が、自ら望んで妖怪退治を生業とすることを決心したきっかけとなった。
これが妹紅の人生にとって最悪の罪の始まりであった。
