東方不死死 第五章 「狩人の実力」
藤原妹紅が里に逗留して3日目が経った。
その日の午後、妹紅は研ぎ澄まされた刃物の様な鋭い視線を感じた。表面上何事もないように普通にぶらぶらしながら、その視線を追って里の東口まで歩みを進めた。
里の出口の外に、赤く派手な服と花びらを数枚重ねたような日傘をさした、一見すると人間にしか見えない後ろ姿があった。
妹紅はそれが、妖怪で、しかも相当な強さを持つものだと理解できた。しかし、それが誰かわからない。
背中を向け日傘で顔が見えないその妖怪は、少し首をこちらに曲げ、傘と肩の隙間から左目だけで妹紅を確認すると、さらに何も言わず歩き出した。
妹紅は「ついてこい」という無言のメッセージと受け止め、距離を置いてその後を追った。
追いながらこの妖怪が誰なのか思い出していた。妹紅自身はこの妖怪を見た事はなかったが、慧音の言っていた外見的特徴と一致するのは風見幽香だろう。
風見幽香といえば、妖怪の中でも最古参でトップクラスの妖怪だ。しかも、八雲紫とは古い付き合いらしい。
八雲紫の件で頭がいっぱいだった妹紅は意外な敵の来訪に戸惑うが、何故、彼女に目をつけられたのか妹紅としてはいまいち理解できない。考えられるとすれば、紫のメッセンジャーとして妹紅に会いに来たという可能性はある。紫と幽香がそれなりに親しい間柄なら十分ありえることだ。
妹紅は考えながら20分ほど歩いただろうか。人里からだいぶ離れた場所で幽香は立ち止まった。
「メッセージは受け取ってくれたようね・・・。」
そう言うと幽香は振り向き、妹紅を正面にした。
「私に何か用?」
妹紅は今思っている最も知りたい事を率直に質問した。
「それはこっちのセリフよ。貴女こそ里に何か用があるのではないの?」
「暇だからブラブラしてただけだけど・・・。」
とぼける妹紅。
「そう・・・私はよく里に来るけど、里の人達が噂していたわ。藤原妹紅が3日も通りにいる。今まで無かった事だってね。何も起こらなければ・・・なんて心配していた人もいたけど・・・。」
「それで?」
妹紅の素っ気ない返事にイラっとする幽香。
「・・・何を企んでいるの?」
凄む幽香に表情ひとつ変えない妹紅。睨み付けても全く動じた気配を感じないなど、幽香としてもこんなことは初めての経験である。幽香が凄んで見せて怯まない者は幻想郷では数える程しかいないだろう。
「企んでるのはそっちじゃないのか?」
妹紅は幽香の問いには答えず、紫と幽香が裏で繋がっていると想定して逆に質問を返した。
妹紅を良く知っている者なら一見不貞不貞しく何もにも動じない態度の中に、ある変化があったことに気付くところだろうが、ほぼ初対面の幽香にはそれがわからなかった。
「はぁ?」
幽香は明らかに想定外の質問を返されたようで不快の表情が現れた。
幽香は、紫の様に策を弄すタイプではない。妹紅の質問は意味不明で不快である。感情を押し殺して平静を装える性格ではない幽香は、笑顔が引きつって明らかにポーカーフェイスが崩れている。
普段の笑顔もそれは素ではなく、作り笑顔だと他人は分かっているのに、当の本人はそれが相手の警戒させない友好の印だと思い込んでいる。実際は、それがかえって恐怖を与えているのだが本人にまったく自覚はない。
妹紅はそんな幽香の表情の変化を見て、感情が表に出る力重視の妖怪と理解した。そして、そういった素直な妖怪は怒らせると何かと優位に立てることも知っていた。
「私はてっきり、紫のパシリで来たと思ったのに・・・。」
妹紅はそう言うと、ヤレヤレとわざとらしく落胆の仕草をしてみせた。
それを聞いた幽香の表情が明らかに変わった。セリフなのか仕草なのか、どの部分かわからないが、その一連の態度で、幽香の表情は不快から怒りに変化した。
その様子は図星を取られて怒り狂っているというより、触れてはいけない部分に触れた、そんな時に見せる純粋な怒りだと妹紅は理解できた。仮に図星を当てられたなら、引きつった誤魔化しの表情がでるはずである。
図星を当てられたのではないということはつまり、幽香は紫の件とは無関係で妹紅に会いに来たと判断できた。しかし、幽香の思考とは無関係に、幽香の性格を見越して紫の思惑通り幽香が行動しているという可能性も捨てきれない。
幽香がどんな理由で妹紅に会いにきたのかを具体的に知る必要がある。
「だ、誰のパシリですって?」
「紫のって言ってるでしょ?聞こえなかったの?」
なるほど、怒りの原因は「紫のパシリ」というキーワードだ。彼女が実際に紫のパシリをしているなら、図星を取られた顔をするだろう。そうではないということは、少なくとも幽香からみて紫は対等か或いは力量など上下関係の存在しない親友あるいはそれに近い間柄だからこその反応だろう。
「私は風見幽香よ!なんで、紫のパシリをしなければならないの!」
反応が非常に人間に近く、紫とは正反対のタイプだと伺えた。
「風見幽香?それがあなたの名前?」
名前は知っていたが妹紅としては、こうやって会って会話するのは初めてであり、初対面だというのは間違いではない。
「え、そうよ!って・・・知らなかったの?」
幻想郷で風見幽香を知らない人間がいるなど信じられない。自分が何者か知っているという前提で幽香は妹紅に話しかけたのだが、予想外の肩すかしを食らった。いや、知らぬふりをしているだけかもしれない・・・しかし、自分は知っていたとしても、妹紅とは確かにこうやって対面するのは初めてだ。そもそも、藤原妹紅は永夜事件の後にその存在が確認されたので、本当に知らない可能性が高い。
「ええ、てっきり紫の使いかと思ったわ。」
議論の矛先がずれて、やり場のない怒りをどう扱えばいいか分からない複雑な表情をする幽香。
「で、紫のパシリってどういうこと?あなた紫に用事があったの?」
声のトーンは落ちたが、明らかに妹紅に対して非友好的な態度である。
自己紹介もせず一方的にしゃべって恥をかいた幽香のテンションは一気に下がっていた。このままだと向こうから去って行きそうな雰囲気である。ここはひとつ強烈な一撃を加えて瞬間沸騰させてみようと目論んだ。
「そんなことも知らない雑魚なら、一々話しかけないでもらいたいわね。紛らわしいったらありゃしない・・・。さっさと、どっか行け!」
妹紅はそうやって犬や猫でも追い払うように、蔑んだ目でシッシッっと手で振る。
高みに居る妹紅と紫の間に下っ端がしゃしゃり出るなという上から目線のその言葉に妹紅の思惑通り幽香は激怒した。
幻想郷に於いて、仮に幻想郷番付なるものが存在するとするなら、幽香の名前は横綱の位置にあってもおかしくはない。スペルカードによる競技的要素の強い弾幕バトルが開始してからは、人間など弱い存在も上位に位置することは可能だが、純粋な実力勝負なら博麗霊夢も、ましてや霧雨魔理沙など幕下以下である。
横綱は控えめに誰かに譲っても、大関以上である自負を持つ幽香に、どこの馬の骨とも分からない存在にこのような屈辱的な言葉を吐き捨てられなければならないのか!
幽香の全身はナワナワと震えていた。
「・・・話し合い以前に、どうやら躾が必要なようね・・・。」
幽香の目は完全にキレていた。それによって妖力制御が出来なくなり、今にも渾身の力で殴りかかってきそうである。
「(・・・単純な妖怪ね・・・)」
妹紅は一旦落ちた幽香のテンションを更に上げるため、意図的に挑発的な言動をとった。そして、幽香は予想通りの反応をした。
一つのきっかけで起こる直情的な怒りの状態というのは、ちょっとしたきっかけですぐに冷める。この怒りの一段階目の状態で戦闘にはいっても、1撃ですぐに反省し冷静になるケースが多く、有利に戦闘をすすめるためには、もう1段階怒らせることが重要であることを、妖怪狩りの戦士として妹紅は先達から学んでいた。
この時の幽香は妹紅に完全に精神をコントロールされており、妹紅の最後のセリフで完全に怒りの制御回路が破壊されていた。
人間相手なら説き伏せて言いくるめて情報を得た方が良いと判断するが、妖怪相手の場合、単純に力量を示した方が話がしやすくなる。
紫に関する諸々の情報を必要とし、その糸口を探していた妹紅にとって風見幽香という存在は収穫といえる。幽香は紫とはそれなりに深い関係があることは、最初の駆け引きで分かった。
幽香を介して紫の情報を得ようと考えれば、その際、人間相手のやりかたではなく妖怪相手のやりかたでなければ、幽香から情報を得ることは難しいだろう。
妖怪相手のやりかた・・・そう、それは実力勝負。その為、一戦交えてどちらが上かを白黒つけるのが得策と考え、その戦闘を優位に進めるためわざと幽香を怒らせたのである。
人間の使う妖力と、妖怪のもつ妖力は根本的な違いがある。
人間の妖力というのは、妹紅の様に長生きをすれば自然に身につく妖力と違い、人間はそこまで長生きできないため、妖の媒体となるものを服用したり、そうした場に長く留まるなどして、タバコや酒などのような一種の中毒症状に体質を変え妖力を後天的に纏うものである。
そうした妖力は瞬発性及び最大出力が妖怪には遠く及ばず、特定の効果を閉じこめた、例えば呪符といった媒体を発動させる呼び水として妖力を用いることになる。
一方妖怪の妖力とは、内包される力で先天的に備えている力である。
この力は、自在に引き出すことが出来、それを使わなければ人間とたいして変わらないが、妖怪の場合、個体差はあるものの常に妖力が溢れているので、平時でも人間よりはるかに強い。
そして、いざそれを引き出すと、身体能力、耐久力、治癒力など、生命体としての根本的な力が飛躍的に向上し、恐ろしい力を発揮する事が出来る。
人間も重い物を持ち上げる時は気を入れて踏ん張るなどして力を引き出すが、妖力というのはそうした範囲を超えており、別次元の力が湧き出てくるのである。
そして、それは呼吸をするのと同じように無意識に出す事ができ、肉体的、精神的な負荷はかからないどころか、活性化するのでむしろ元気になる。逆に妖力を適度に使って肉体を活性化しないとストレスを感じるようになる。
妖力はそのまま肉体的向上に使う場合や、エネルギーの塊にして放出したり、また、自分の持っている特殊な力を引き出したりなど、様々な形に応用できる。これらは、その個体の性格などに強く影響され、幽香の様なタイプは直接的な打撃を第一とする傾向が強い。
極度な怒りで妖力制御が出来なくなった幽香は、彼女の持つ100%の力が常に繰り出される事になる。
この力をまともに受ければ不死身の肉体であっても霧散するだろう。
幽香は、ポケットに手を入れてリラックスしているままの不貞不貞しい妹紅に対して、日傘を差したまま薄笑みを浮かべ次の瞬間動いた。
静から動の爆発的な瞬発力で、大気は相対的な壁となって幽香に立ちふさがったが、それをもろともせず突き破る。ゼロから音速に瞬時に移行するなど理論的に不可能に近いが、妖力はそれを可能にする。
幽香の前にあった大気の壁は幽香によって破壊され白い霧状の雲の輪がその後に残り、さらにその後にバーンという衝撃音が後から付いてきた。
幽香の視界は大気との衝突に一瞬揺らいだが、右の拳は確実に妹紅の顔を破壊するはずだった。
しかし、揺らいだ視界から復帰した幽香から見る妹紅の姿は何故か後ろ姿だった。
スローモーションのように周囲の映像が天地反転するのを幽香は他人事のように眺めていた。
妹紅は幽香が飛び出してくる直前から姿勢はポケットに手をいれたまま幽香に向かってステップしていた。それと同時に背中を向け、突き出す幽香の右拳を紙一重でかわすとその腕をとってそのまま一本背追いの要領で投げた。
怒り状態で自分を制御出来ない幽香は、それを止める術がなかった。
妹紅はただ投げ飛ばすのではなく、腰を落としてその前に出る力の角度を下に変えた。
爆発的なスピードはそのまま幽香に返ってきた。頭部を地面に強打し首が前に折れた。
幽香の視線に何故か自分の胸元が迫ってくるのが不思議に思える程、それは自分に襲いくる危険だということを何故か感じとれず、全てが他人事に見えた。それほど一瞬の出来事だったのである。
幽香の首は本来曲げられる限界を超えていた。
グシャっという何かがつぶれる音がした。幽香の頭部は地面に激突した後、身体に対して前に折れたことで顔面は胸部に一瞬埋もれた。そして、その豊かな大きな胸の反発力によって顔面は押し戻された。いや、顔面は地面に激突し後頭部が接地していたので、反動で戻ったのは体のほうである。
弾力のある乳房がなければそのまま顔と胸がくっついたままあり得ない姿で幽香は地に伏せることになっていただろうが、背負い投げで回転する体の反動もあって、幽香の体は折り曲げたこんにゃくが元に戻るように自然な形で地面に大の字に倒れた。
足が地面についたと同時にわずかに体が反って口から鮮血が飛散した。
強い妖怪は、首の骨が折れても、心臓が破壊され止まっても、その時点で絶命する事はない。強力な生命力によってその状態でも長時間生きながらえるし、そのまま何事もなければ自然治癒で復帰することもできる。
幽香は自分が、自分の力をそのまま利用され地面に叩きつけられ首を折られたことに気付いていなかった。
妹紅は、ポケットに手を入れたまま、まるで何事もなかったかのように仰向けの幽香を見おろしていた。
幽香は訳がわからず、状況を把握しようと目だけが泳いでいた。首と胴体の連結が一瞬切断されたため、その修復が間に合わず、首から下は一種の植物状態である。
何故こうなったのか分からない幽香であったが、視線の先に妹紅を見つけ、彼女と戦闘するところだということを思い出す。幽香の目に闘争心が宿る。
「(驚いたな・・・まだ心が折れてないなんて・・・というか、幽香は戦闘屋ではなく、ただ強い妖怪なんだな・・・)」
戦闘屋と妹紅の言う妖怪タイプは、自分がやられた状況を把握し、又は把握してなくても自分のおかれた状況を見て相手が上手だということを悟ると、その時点で心が折れる。妖怪同士の戦闘は命の取り合いではなく心の折り合いなのだ。この状況で心が折れてないのは、やられた状況をまったく把握してないという事を表している。そうでなければただのバカだ。
幽香の反応は、日頃戦闘に命を燃やし、そこにこだわりを持つ妖怪にはない反応だ。おそらく幻術など、汚い術にでもはまっていると考えているではないだろうか?
妖怪には幻術で倒したとしても実力で負けたと思わない気質がある。
心が折れてはじめて勝敗が決するわけで、つまり今の状況は幽香からみてまだ勝負がついていないのである。
幽香が冷静であったなら、最初からパワー全開で来る事は無かっただろう。相手の力を利用した妹紅の技にも致命傷にはならない対処ができたはずだ。問題は戦闘前の駆け引き。そこで幽香は負けていた。それが全てといってよい。
妹紅が妖の狩人をしていた時代なら、妖怪をこの様な状態に追い込んだら、あとは石老刀を心臓に突き立てるだけであるが、その刀には今藍の魂が居る。そして、妹紅はもう二度と妖怪は殺さないと決めていた。
しかし、こんな状態になっても目はまだ戦う気満々の幽香を見て、妹紅はどうしたものかと戸惑った。
気絶させ、後で起こしてやれば負けた事を悟るだろうか・・・。
あまり、きれいに勝っても相手がそれに気付いてくれないのでは意味がない。ある程度負けたことを意識させる必要がある。
幽香を見おろす妹紅は、動けない幽香の首に手を添えた。
幽香の首が動くなら、幽香は猛然とその手を噛みにいっただろう。実際目をみるとそうしたがっているように見える。
体は動かないものの妖力が萎えてないので、体の蘇生活動は順調に行われている。とは言うものの、いくら妖怪でも首を折られてすぐに完治はできない。しかし、手足を動かし戦うことは辛うじてできるだろうし、恐らく幽香はそうしてくるにちがいない。それは無様な戦いになるだろう。そうさせない為にも今度は一撃で死なせずに気絶に至る重症を負わせる必要があるだろう。
妹紅は冷静に幽香の活動復帰時間を逆算し行動にでた。
妹紅は幽香の腰を跨ぐとそのままお腹の上にしゃがみ、太腿で胴体を固定した。いわゆるマウントポジションというやつである。
幽香は一方的に殴られる事を察知し、妖力を防御に集中させた。しかし、妹紅はそうした幽香の予想にはない行動にでた。
妹紅はそのまま体を幽香の体にかぶせるように密着させ、自分の右頬と幽香の右頬をぴったりと貼り合わせたのである。
その行動に幽香はゾッとした。体を摺り合わせるような戦闘行動は妖怪は普通しない。こういった行動をとる者のほとんどは、力はないものの特殊な妖術を使う者で、寝ている隙に体に何か危険な要因を送り込んだり、憑依又は産卵のための贄床にしたりなど、およそ真っ当な戦闘をする気質をもたない下等な連中ばかりである。
本来ならこのように人前で無防備をさらす事などない幽香であるが、この状況ではそうした危険で下劣な方法に対して為す術がない。
妹紅は幽香の内面的な変化、つまり恐怖を感じたことを察知した。
妹紅はそのまま右腕で幽香の頭を抱え込むように首の下に手をつっこみ、ぐるっと後頭部を経由して、妹紅と幽香の頬と頬を摺り合わせた間に指先を添えた。
妹紅はその状態になって体の動きを完全に止めた。「何かする」と思わせ振りにすることで幽香の恐怖を煽ろうとしていた。そして幽香は一刻も早くこの状況から逃れたいと必死だった。
1分程そうしていたが、幽香は自分の体が動くことを確認し、何時どのタイミングで反撃するか、その機会を窺った。
それは妹紅も理解していた。妹紅が動かなかったのは幽香の反撃できる肉体状況にするための時間稼ぎであり、幽香の反撃こそ、幽香を仕留めるための合図だと認識していた。
幽香が動ける事を察知した妹紅は固定した太腿を外し、幽香の顔の固定はそのままに、腰を上げて右の膝を大きく振りかぶる行動をとった。
この行動は誰が見ても、その膝を幽香に叩き付けるための予備動作だとわかった。
それは、あからさま過ぎて演技にも思える大きな予備動作であったが、一刻も逃れたいと冷静さを欠いた幽香にとってはチャンスにしか見えなかった。
妹紅の振り上げた足によって生じた隙間に、幽香は素早く右膝を曲げて妹紅の下腹部に足の裏を当てると、そのまま渾身の力を込めて蹴り上げた。
幽香が冷静なら首を固定されたまま最大パワーで蹴り上げるなどしなかっただろう。
幽香は蹴り上げて離れていく妹紅を見ていた。
先ほどのように、まるでスローモーションのようにゆっくりと妹紅は離れていった。
しかし、なぜか自分の視界は右を向きそのまま真横を向き、さらに首の回転は止まらなかった。幽香は心の中で「何故?」を何度も繰り返していた。
妹紅は蹴り飛ばされることを予め想定し、飛ばされる瞬間に巻きこんだ右手で幽香の顎を掴んでいた。
妹紅の右手と繋がった幽香の顎は、巻きこんだ腕を追いかけるように回転した。
幽香の首が180度回転した時点で一瞬視界が無くなり、次に見えた風景は360度回転し幽香の顎から手を離したばかりの妹紅が遠くに離れていく光景だった。
妹紅の姿は霞んで見えなくなったが、それは妹紅が遠くに行きすぎたのではく、幽香の意識が遠のいたからであった。
蹴り飛ばされ上空に飛翔していた妹紅が降りて来た時、幽香は完全に気絶して妖力は完全に消失していた。
「まだ、生きてるのね・・・。」
このまま、放置していれば死ぬかも知れない。蘇生できたとしても長時間このままにすれば誰かに見つかって相手が悪ければ殺されるかもしれない。
「殺しはもうやらないことにしてるのよね・・・」
妹紅は幽香の首を元に戻しながら言い訳するようにそう呟くと、ある程度回復させるために自分の妖力を注ぎ込む事にした。ただ、人の妖力では瞬発力とパワーが足りない。妹紅は1300年生きているので相当な妖力を宿しているが幽香には及ばない。弱い妖怪ならまだしも、相当な妖力を持つ幽香を再生される為には相当量の妖力が必要だった。
「しょーがない、アレしかないか・・・。」
妹紅は諦めるように吐き捨てると、幽香の服をまさぐりはじめた。これは金品などを探して追いはぎをする目的でしているのではなく、肌を直接触ることが出来ないかと服を調べていただけである。
幽香の服はいわゆる洋服で身体のラインにピッタリと合っている。胸元はかなりきつそうにも見える。これらは紫が向こうの世界から盗んだのか買ったのかは分からないがとくにかく取り寄せたものである。ちなみに、服装に限らず幽香の所有している家やその内装その他諸々がほぼ外の世界から取り寄せたものである。
妹紅はスカートに入れているシャツを引き抜き腹部を露出させると、そこに右手を当てる。そのまま5本の指先に力を込めると、腹部に指を埋め込み幽香のお腹を鷲掴みにする。指が幽香の肌に食い込み血が滲み、妹紅の指先は完全に幽香の体内に入り込んだ。
「よし。」
妹紅はそう気合いを入れると左手を頭のリボンに伸ばしスルリとほどいた。
このリボンは、八雲藍の死に際に彼女から貰った妖具で、何十万人もの人間の命を奪い、削ぎ落とせないほど膨れあがった業によって本来ならば悪鬼となるべき妹紅を人として繋ぎとめるためのものである。
これを取れば鬼になる。だが、取った瞬間にそうなるのではない。段階を経て鬼化する。そうなる前にリボンを戻せばまた人として繋ぎ止められる。
リボンを取った妹紅の身体からどす黒い禍々しい妖気が立ち、白目が真っ赤に充血するとともに視界が夕焼けの風景を見ているかのように朱色に見えるようになる。そして髪の毛の付け根が墨を吸いとった絵筆のように黒く滲みだし、それは時間とともにどんどん髪の毛の先の方へと侵食していった。
妹紅は髪の毛が十分黒くなるまで数分、完全に髪先まで真っ黒に染まるまで待った。
白い妹紅の髪の毛が漆黒に染まると突然爆発的に妖力が膨れあがる。リボンを取った直後も一気に妖力が上がったが、髪の毛が染まると更に一段階あがったのである。
「こんなもんでいいか・・・。」
何段階かあるこの変化の最初のうちは理性を維持できる。黒に染まった後は、妖力を使う事で白く戻す事が出来き、この闇の色が妖力量を表す目安となる。使い切ると白く戻り、暫くすると補充されるようにまた漆黒に染まる。しかし、2段階移行は黒に朱が混じり、段々と赤黒くなり最終的に紅蓮に染まる。
妹紅は5段階位まで試した事があるが、次第に理性が無くなり内に潜む闇に心が侵される恐怖を覚えるようになる。実際に鬼になったことはなく、鬼という呼び方も「人間外の不浄な生き物」の代名詞として妹紅が勝手にそう言っているに過ぎない。実際は鬼=不浄というのは正しくなく鬼に失礼である。
そこから先は不明だが、結果どうなるかという事に関して妹紅は確信を持っていた。
髪が漆黒になる程度ならまだ問題ない。業の力からなる妖気ではあっても、妖力そのものに不浄も清浄もない。何れも陰の力である事には変わらないからだ。
妹紅は充填された妖気を右手に集中し、一気に幽香に注ぎ込む。幽香の身体は大きく脈打ち、その体内に妖力が吸い込まれていった。
髪の毛が白くなるのを見て妹紅は右手を幽香の腹部から離しリボンを結び直した。
「ふぅー」
リボンを結んだ瞬間元の姿に戻り、軽く疲労感を覚え大きく溜め息をついた。
幽香の首に手をあて、順調に再生活動が行われていることを確認する。
「(しかし、紫のパシリで一気にキレたな・・・)」
妹紅としても予想外の結果だった。ここまでキレるのは、その事が幽香にとって極めて心外だったからだろう。対等であるべき2つの存在を誰とも知らない部外者が優劣を語るなど失礼にも程があり、怒って当然だと妹紅は自分を棚に上げた。
「後で謝っておかないとな・・・しかし、これどうするかな・・・。」
取りあえず服装は妹紅がやれる範囲で直し、通りすがりの誰かが魔が差して双方に不幸が起きないようにはしたつもりだが、このまま瀕死の妖怪を残して去るのはやはり危険だろう。
しばし頭を捻って名案を探っていた妹紅であったが、この時初めてこちらを伺う視線に気が付いた。
「ん?あれは、確か・・・」
里で一度見た事がある顔、メディスン・メランコリーだ。
慧音が教えてくれたが、最近生まれたばかりの妖怪のようで、実力的には妹紅から見れば大したことはないらしいが、物の分別がまだしっかりできていない3歳児みたいなもので、別の意味で危険らしい。
50メートルも離れておらず、しかも隠れる様子もなくぽつんと立っているだけで敵意も見えない。というより、その存在を明確に認識できるような生命体としての生気が感じられない。これは、基礎が人形で、その基礎なっている人形そのものが比較的新しく、基礎妖力が低いためだろう。何でもそうなのだが、長く存在することが妖力に大きな影響を与えるのである。
人形が意志を持ち愛憎のなれの果ての姿なのか、別の怨霊が憑依して妖怪化したのかは不明だが、妹紅としては彼女から危険な力を感じない。それもそのはず、メディスン・メランコリーの能力は毒だが、状態異常に陥らない蓬莱人である妹紅にその能力は無効で危険な要素がないのだ。
妹紅は12歳位の少女の標準くらいの背丈だが、その妹紅より頭半分くらい小さいメディ。
人形をベースにしているが、身体に縫い目が見えない。木か陶器などの身体で布製ではないようだ。
無機質な人形という外見ではなく、普通に生きている少女に見えるが、人間の等身とやや異なっており、少し頭が大きく見え手足が短い。それ以外は生身の身体に見える。恐らく完全に妖怪化して別の存在になったのだろう。
妹紅はメディスン・メランコリーが幽香の知り合いで、何とかしてもらえないかと思い声をかけた。
「おーい!」
妹紅は手を挙げてメディスン・メランコリーに声をかけた。しかし、まったく反応がない。
「メディスン・メランコリー!」
反応がないので名前を呼んでみると、反応してゆっくりこちらに向かって歩き出した。
「あなた、幽香の友達?」
妹紅の問いにメディはコクリとうなずいた。そして、初めて口を開いた。
「あなたも風見幽香の友達?」
「うーん、まーそんなとこかな・・・。」
「うそ、風見幽香を殺したくせに・・・。」
一部始終を見ていたのだろう、最後の妖力注入はある意味トドメをさしているようにも見えなくはない。
「殺してはいないわ。」
妹紅はそう言ってポケットに手をいれた腕を使う替わりに幽香を顎で指し、メディに確かめろと促した。
メディスン・メランコリーは、言われたとおり幽香に近付くと、その傍らに座り恐る恐る触って確かめ、息をしていることを確認した。
「幽香に何をしたの?」
「戦って倒しただけよ。ちょっとやりすぎただけ。だから死なせないように治療したの。敵だったらそんなことしないでしょ?」
「風見幽香を倒すなんて、あなた何者?」
「ああ、自己紹介が遅れたわね。私は藤原妹紅よ。」
「藤原・・・妹紅?聞いた事ないわ・・・。」
メディスン・メランコリーにとっては初めて聞く名前だった。
「最近人里に顔を出したからね。それで幽香に目をつけられて戦った・・・というわけよ。」
「・・・。」
「幽香の家ってどこにあるかわかる?」
事を早く済ませたいので、メディの反応を待たずに妹紅は質問した。
メディはコクリとうなずき宙に浮いて5メートルほどの所で止まって妹紅を見下ろした。案内するということだろう。初対面なのにこちらの言う事をほぼ聞き入れているメディに妹紅は少し戸惑った。妖怪は人間の言葉を素直に聞き入れるだろうか?罠だとしても回避は簡単だろう。しかし、メディに幽香の身柄を預けて大丈夫だろうか?という不安が込み上げてきた。
「なぁ、メディスン・メランコリー。」
「メディでいいわ。」
「じゃーメディ。私がさっき言った事信じるの?」
妹紅は幽香を担いでオンブをしながら質問した。
「ええ。」
「何故?」
「私の時と同じだから・・・。」
「同じ?」
「私が生まれた時、ところ構わず周囲を攻撃した。そこに風見幽香がきて彼女と戦った。あっさり私は破壊されてしまった。そして私は修復不可能なまでボロボロにされた。助からない。もう終わりと思った。でも、そんな私を見て幽香は慌てていた。そこまでやるつもりはなかったと、私に謝って知り合いの人形師のところに運んで直してくれたの。だから幽香は私の友達。」
「なるほど・・・。」
「あなたも幽香と同じことをした・・・だから私はあなたを信じる。」
「そう、ありがと。」
生まれたばかりで物の分別が分からず危険と聞いていたが、どうやら幽香によってしっかりと躾がされていたらしい。
「こっち、ついてきて。」
メディは南東の方角へと飛び、妹紅は幽香を背負ってその後に続いた。
妹紅と幽香の戦いが行われた場所は、里の東口から出てそのまま東にほぼ真っ直ぐ進んだ所である。北は魔法の森、南が里の田園地帯となる。里の結界の外になり、さらにここから東は妖怪が出没するので人間はほとんどこない。この道を真っ直ぐ行くと魔法の森沿いに博麗神社まで行く事は出来るが、その一帯は妖怪の巣窟となっているためこの道はまったく使われていない。この道は途中から南に分かれており、その先は太陽の畑と呼ばれる主に向日葵を中心とした花畑が広がり、風見幽香の縄張りとされている。太陽の畑一帯は広い平地になっており、里の田園地帯から地平線が華やかに見える。
幽香の家までは道沿いに進めばたどり着けるがそれはかなり遠回りになるのと、直線に歩いても結局かなりの時間を要するので行き来は空を飛んでいくのが一般的だ。一般的といっても人間は空を飛べないので無理であるが、そもそも妖怪の多い一帯に好き好んで行く人間はいない。妹紅も基本的には人間なので空は本来飛べないのだが、不死鳥を内包してからはその力で飛べるようになった。
しばらく飛んでいると花の密度が高くなり、地面はほぼ色とりどりの花で埋めつくされていく。更に進むと前方に大きな黄色い塊が見え、それが向日葵畑だと気付く。
幻想郷の東側に来るのが初めてな妹紅としては、その景色にただ圧倒されるだけであった。
「極楽浄土ってこういうところなのかしらね・・・」
そう呟く妹紅だったが、すぐに前言を撤回した。向日葵の畑の傍らに明らかに洋風の家が建っていたからだ。この家と花畑の組合せは極楽浄土にしてはすこし荘厳さを欠いていた。
家の前に降りたメディと妹紅。妹紅は幽香を背負ったまま家を眺めていた。
「これが、幽香の家?」
頷くメディ。
「派手な家ね・・・。」
「幽香は派手好きなの。」
どちらかというと地味な服装のメディがそう教える。
家の周囲も花壇で色とりどりの花で埋めつくされている。窓はカーテンで中が見えないが、その花柄カーテンの派手さから見て中もある程度は想像がつきそうである。
何処までが家の敷地内の庭で、何処までが畑なのか区切りがないので分からないが、家のそばにベンチがあったので、妹紅はとりあえず幽香をそこにねかせた。メディも何も言わずその様子をみていたので、間違った事はしていないと思う。
「里の方しか知らないからだけど・・・同じ幻想郷とは思えない光景ね。」
妹紅は腰に手を当てて全面花花花の周囲を見回しながら半ば呆れた様に独り言を言った。
「・・・さて、それじゃー私は帰るわね。」
しばらく花に見とれていた妹紅だが、本来の目的「八雲紫に会う」為、里へ戻る事にした。
メディは頷くだけで何もしゃべらなかったが、ある方角を指さした。恐らく里の方角を教えてくれたのだろう。確かにここだと方角がわからなくなりそうだ。
妹紅はメディの指した方角へと舞い上がり、軽く手を振ってそのまま飛び去った。
「藤原・・・妹紅・・・。」
妹紅が飛び去った後に、そう呟きベンチで寝ている幽香を見ると、彼女は目を開けていた。そしてメディを横目で見ていた。
「幽香!」
メディは急いでそばに駆け寄った。
妹紅は帰路の途中、幽香について考えていた。
里で噂されるメディと、今出会ったメディの印象はだいぶ違っていた。生まれてから日が経っておらず、凶暴で危険と聞いたが、幽香に倒されたことによって幻想郷のルールを肌で実感したのだろう。
お互いに敵として戦う一方でお互いを認識しその存在を認め合う。
妹紅は幻想郷に来てから300年経っているが、そのほとんどを竹林の中で過ごしてきた。幽香から見れば里周辺の新参にしか見えないだろう。
恐らく幽香は、幻想郷の実力者の一人として、新参者を教育するという使命を与えられたか自ら負ったのかしたのだろう。妹紅との接触はその立場に於いての責務であって紫とは関係ないことなのだろう。或いはその責任ある立場を紫から委任されているか・・・。
とにかく、今回の件は、少なくとも幽香は直接紫の指示によって行動したのではないのだろう。
このある意味最悪の出会いによって幽香は今後の妹紅に少なからず影響を及ぼす存在となる。