『東方不死死』
第二章 「罪の始まり」
全てが終わった時、その最初の兆しは人それぞれ違うだろうし、それを知った時が最初であり最後だった者の方が多いくらいであった。しかし他の者はともかくとして、妹紅にとってのそれは八雲紫の来訪以外考えられない。
何にせよ、彼女の言葉から「死」というキーワードを与えられた妹紅の取るべき行動は、慧音に助言を求めることで、それ以外の選択が出来る程今の妹紅には、少ない情報から答えを導きだす能力はなかった。
上白沢慧音が教鞭を揮う寺子屋は人間の里の大通りの先端、里の出入り口近くにある。
人間の里は大きな一本の通りに枝上に路地と家が並ぶ小さな村で、幻想郷に隔離されてからは、以前よりも規模が小さくなったが、結界で封印されてからは、規模は少し大きくなり、ちょうど隔離前の規模に戻っている。
隔離と封印と区別して呼ぶこの二つの意味は、前者が「地続きで、入ろうと思えばまだ自由に出入りができるが、それを制限するために外から見えないようにしていた時代」の事で、後者は「博麗大結界で完全に行き来できないようにした時代」のことである。
里の主な産業は酒で、夜は外から妖怪や人間などが酒を飲みにやってくる。
これらの妖怪は里の人間にとっての外敵のような者達であったが、彼らの自家製の酒よりも遥かに美味い酒を提供する里は、妖怪達にとって今ではなくてはならない存在となっている。
酒造りは元々この里にはなかったのだが、農作物を原料とする様々な酒の醸造方法を慧音が教え、それによって酒場などの繁華街が形成され、妖怪にも人気が出たのである。
天皇など高貴な立場にいる者達が消費する等級の高いお酒の醸造技術を使っているため、神様に献上しても恥ずかしくない立派なお酒に仕上がっている。ちなみに神様達はその里のお酒の存在を知らないので、里に神様はやってこない。
人間は妖怪にとって食料としての価値しかなかったが、酒を生み出すことで生かしておく価値がついたのである。
昼間は静かな里だが、夜の酒処はにぎやかである。
大通りには沢山の酒蔵と酒屋が軒を連ね、慧音の寺子屋とは逆側の通りの端に酒処が数件並んでいて、外からくる妖怪向けと地元の人向けとお店を分けている。酒代は里で流通する銭で支払われるが、妖怪など銭を持たない者は、鉄など金属になる鉱物や宝石、動物の肉、珍しい物などを銭に変える質屋を利用することで得る。
ただ、こうした状況もここ200年ほどの事で、それ以前の幻想郷は人間にとって非常に住みにくい場所であった。
妹紅の家は里の外れにあるが、寺子屋とは比較的近い位置にある。妹紅は現在、とある理由でその家には住んではいないが里に来たついでに寄ることはある。
慧音の寺子屋は孤児院と住居も兼ねている。授業料は取っておらず誰でも自由に学べる。
教鞭を揮う彼女の姿は、絵に描いたような「先生」でユーモアがあるわけでもなく、授業そのものが楽しいというわけでもない。その為、「慧音先生の授業は面白くない」というのが人間にも妖怪にも妖精にも共通した見解だった。稗田一族は代々慧音と深く関わっているが、彼らもその慧音の授業の仕方に注文を付けることが多い。
しかし、慧音はそうした声にはまったく耳を貸さず、自分のスタイルを貫いている。
知識とは相手を捕まえて無理矢理教え込むものではなく、必要としている者に与えることだと慧音は考えている。必要とする者が路頭に迷うことなく真っ直ぐ慧音の元を訪ねられるようにする。これが慧音が「先生」らしい「先生」をする最大の目的である。
良い噂だけではあまり遠くに届かない。悪い噂ほど千里をかける。慧音にとってよい先生である必要はまったくないのである。
10人の中に一人でもまじめに授業を受ける者がいれば、彼女の授業は成功だ。だからこそ、授業を邪魔するような輩には容赦ない頭突きが待っている。慧音の頭突きは単に痛みを与える罰ではなく、それそのもが知識の種を蒔く行為なのである。
授業はつまらなく、そして厳しい慧音ではあるが、子供達を傷つけるような陰湿さが全くなく公平で、どんな些細な事でも話を最後まで聞いてくれ、授業が終われば一緒に遊んでくれる慧音はいつも子供達に囲まれている。
慧音の、里における役割には先生、識者、相談役としてだけではなく、里の治安を維持する守護の役割ももっている。慧音は最強クラスの妖怪ではないが、里にちょっかいを出すような雑魚なら簡単に倒す程度の力はある。
幻想郷における人間の勢力は非常に弱く、里以外で暮らすのは大変危険で、その里においても必ずしも安全というわけではなかったため、慧音が里の有力者として扱われる最大の要因は人間に味方し里を守る守護神としての存在というわけである。
先生という仕事は、里で認められて初めて成立するものであった。
しかし、それも昔のことで、酒が主な産業として定着してからは、むしろ妖怪達がすすんで里を保護するようになった。
ちなみに、里に来る妖怪のほとんどはかなり強い部類の妖怪で、ここで言う強いの意味は腕力だけではなく知性も併せ持つ総合的な強さの事である。
その為か下っ端の妖怪は里には近づきづらく酒にはなかなかありつけない。そのため彼らはそれを妬み、その怒りの矛先を自分より弱い人間に向ける。里の中は安全だが、外はやはり危険なのである。
襲われても命をとられることは昔に比べてだいぶ減ったが、それは酒代めあての追いはぎ行為に、犯行の理由が変わったからである。
慧音の存在は守護神以外にも子供の躾にも大きな効果を生んだ。
「いい子にしてないと、満月の夜に慧音先生が来るよ」
こういえば大抵の子供は肝を冷やして言うことを聞くようになる。
妹紅が慧音の寺子屋に来た時は、まだ授業の最中であった。
妹紅以外、誰でもそうだが授業中でも教室には自由に入れ見学出来る。授業が聞きたいならいつでも大歓迎ということだ。ただ、騒いだり邪魔をすれば頭突きが待っている。
慧音は教室に入ってきた妹紅に目だけで挨拶をしそのまま授業を続け、妹紅も右手を上げるだけの簡単な挨拶をして一番後ろの空いている席に座った。後ろの席は背の高い者用で、今は小さい子供ばかりでみな前の席に座っている。周りの子供達はたまに来る妹紅を珍しがって、妹紅が座った数分間は好奇心旺盛の子供達の視線弾幕を浴びることになる。
そうなると一時的に授業が止まるので、度が過ぎる時は慧音に注意される。その時の注意の仕方は「もこもこしない!」というもので、「妹紅に気をとられるな」という意味である。最初は妹紅専用の注意の仕方であったが、今ではよそ見を注意する全ての状況で使うようになっていた。
ちなみに、子供達から呼ばれる妹紅の愛称は「もこ」である。「う」は省略されてしまった。どうも子供達は「もこう」と言いずらそうである。
里には人以外に妖怪もいて、もちろん彼らは力が弱く人間と友好的な存在である。新たに里に入る際は慧音に取りなしてもらうのが常である。そうした者に子供がいるなら、慧音は人の里で人間と仲良くする秘訣として子供達を寺子屋によこして子供達と仲良くさせるように助言している。そのため、寺子屋には人間と妖怪が半々で、冷やかしに来る妖精や冷やしにくる妖精などが少々、基本的に子供が多いが、大人もそれなりにやってくる。ただここに来る大人は子供達と勉強するよりも、隣接する資料室で調べ物をすることが多い。
妹紅は授業を受けるつもりはさらさらないが、楽しそうに授業をする慧音を見るのは好きだった。
子供達相手に媚びず毅然した態度で授業する姿は、素直に格好良いと思うのだ。
そうした態度は、彼女に一片の嘘もない真実だけを語っているという自信(事実)からくるるものだろう。
だが、中性的で女言葉を使わない慧音の口調は、高圧的、傲慢などと陰口されることもしばしばで、稗田一族も代々、その慧音の態度をたしなめていた。
妹紅は、慧音が意図的にそうした態度をとっていることを知っている。
二人だけの時は女言葉ではないが結構ざっくばらんに会話している。毅然としている普段と、二人でいるときのギャップを指摘した時、慧音はその真意を妹紅に語った。
「どんな場合に於いても社会には規範が必要なのだ。本来それは神社の巫女がするべき仕事なのだがが、博麗神社は遠く道中危険なためそうした仕事が中々出来ない。それに今の巫女はそれをやる努力すら放棄しているありさまだから私が巫女のかわりに規範となっているんだ。」
規範となる存在は代々博麗神社の博麗一族や稗田一族などがいたが、幻想郷を外界から守る行為や後の大結界など妖怪の計画に荷担した博麗神社は、里の人間からは遠い存在になっていった。
妹紅が幻想郷に来た時は大結界の前、今から300年程前でその時の博麗神社は里の中にあった。この時期の幻想郷は外界とはまだ地続きだったが、人間が外から入れないようさまざな仕掛けをしていた。その一方で、人間以外の存在を、国籍関係なく積極的に受け入れていたのである。
妖怪だらけの幻想郷にあって博麗神社は里にとっての守護神的存在だった。
しかし、博麗大結界によって完全に隔離するために、その内と外の境界の基点を守護する目的で神社は今の位置に移されたのである。
元々あった土地を切り取る形で生まれた幻想郷なので、元々そこにいた人間達は巻き沿いをくった形である。
大結界そのものが幻想郷住人の総意で行われたというより、一部の連中の独断的な行動で行われたことであり、本来人の味方である神社がそれに荷担していたことや、里の守護を放棄した博麗神社の存在を現在の里の人達はあまり良く思っていない。
慧音としては、博麗神社への信仰が失われないように、博麗神社の存在意義や一族の活躍、最近では霊夢など活躍を逐一里に知らせている。昔は、神社の依頼で代理活動をしていたが、霊夢の代になってからは博麗と慧音との交流は途絶えている。霊夢の存在は里にとっては、博麗神社に住んでいる少女ではあっても、巫女という認識はなくなっていた。
博麗神社への信仰が失われた時、それは博麗大結界の崩壊を意味するのであるが、そうならないように、慧音は日々神社の存在をアピールしている。
慧音が寺子屋を始めたのがだいたい400年前。意識して巫女の代わりを始めたのは、博麗神社の影響がほとんどなくなった100年前位、外界でいえば明治時代になってからである。
「今日はなんだ?」
授業が終わり、子供達がキャッキャしている中、両手に子供達をぶら下げながら妹紅のそばに寄ってくる慧音。その妹紅も何人かの子供にまとわりつかれている。
「さっき、八雲紫に会った」
その辺を飛んでいる博麗の巫女や普通の魔法使いに会うことはそれほど珍しいことでもないが、滅多に人前に出ない八雲紫に会うということは偶然ではまずありえないことである。
「ほぅー、それで?」
紫の名前を聞いた瞬間に表情を少し変える慧音。
賑やかな教室で、妹紅は恐らく重要と思われる話を始めた。
重要な話など普通はこういった場所でしないものだが、これは、昔妹紅が妖怪退治などをしていた一族と共に行動していた時に、重要な話をする際は一目の付かない場所よりも喧騒な場所で人に紛れながらのほうが他者に聞かれにくいという事を教わっていたためで、実際、この状況なら聞き耳を立てられてもよほど近くにいない限り聞き取る事はできない。スキマなど、なんらかの妖術を用いても、好奇心旺盛な子供達がいるこういった場所では察知しやすいのである。
子供達は無邪気で、会話の内容など理解できるはずもなく、二人は適当に子供達をあしらいながら会話を始める。
「死ねと・・・言われたわ。」
話の前後はあえて省略し、要点と思われる部分だけを語った。
「それは穏やかじゃないな。でも、それはそのままの意味ではなかろう。」
「私もそう思うんだけど・・・謎かけだとしたら私にはなんのことかさっぱりだわ。」
「う~む。私も謎々は得意ではないが・・・。」
慧音は首を少し傾けて目を瞑ってうーんと考え始めた。
数秒そのままの姿勢で、次にその姿勢のまま右目だけ開けて妹紅を見ると、もう一度目を閉じ、今度は姿勢を元に戻した。
「話が長くなりそうだな。晩飯の後に妹紅の家で話そう。」
「まーそうなるんじゃないかと思って筍掘ってきたけど・・・。」
即答してもらえるとは思っていなかった妹紅は、あらかじめ慧音のその返答を予想して長期戦の準備をしていた。
「おおっ、それはありがたい。子供達も喜ぶな。」
孤児院も兼ねている慧音の寺子屋は、現在3人の子供を養っている。食べ物に関しては里の人からのお裾分けが十分過ぎるほどあり食べることに不自由はないのだが、里の外が危険なため、そうした食材は中々手に入らない。
筍自体は珍しい食材ではないが、筍には旬があり今は里では見かけない食材なのだ。
迷いの竹林にはそこだけ空間が違うのか一年中季節は同じで、時間を操る輝夜の能力の影響だと言われている。
その為、迷いの竹林では筍は一年中採れ、妹紅の収入源にもなっている。
妹紅自身、金に興味はないのだが、少しくらい蓄えがあったほうが良いと慧音に助言され、慧音に用事ある時のついでに抱えて持てるだけの筍を持ってきて売るのである。
ちなみに、迷いの竹林は里と目と鼻の先で、行くだけならすぐに行ける。ただ、戻ってこれるかは話は別となる。
最近永遠亭の存在が知られるようになり、そこに優秀な医者がいることが判明し、急患が出るとそこに行くのが里の常識となった。その際、妹紅に護衛を頼むのである。
この地理関係は妹紅にとって色んな意味で都合が良かった。
「外に置いてあるわ。先に必要な分だけ確保しておいて。残りは売るから。」
寺子屋の前に筍が並んでいるのを見た近所の住人達は、笊を持って寺子屋の前に集まっていた。
妹紅と慧音は外に出て住人と軽く挨拶を交わし、妹紅は慧音に5本の筍を渡し、残りの分を欲しがる人達の数で割って分配し、引き換えに僅かなお金を受け取った。
妹紅の良心的な金額設定は差額分を寺子屋のお裾分けの量に上乗せされることになるだろう。
ちなみに、外に無造作に置いた筍が盗まれないのは、常に厳格な慧音の存在が規範となって里の人のモラルに影響を与えているからである。それに、里自体貧しいというわけではない。
里の外の人間や妖怪なら勝手に持っていってしまうだろう。特に里の外に住む人間の手癖の悪さは妖怪の間でも語り草になるほどである。
慧音の家、つまり寺子屋は、教室と資料室と母屋で構成される。食事や就寝は母屋でする。
妹紅は慧音と暮らす孤児達と共に夕食をとり、直ぐに妹紅の家へ移動した。
「子供達はいいのか?放っておいて。」
まだ寝るには早いし、この時間だと子供達だけで少し心配である。
「厳しく躾ているから大丈夫だ。それにあのくらいの歳だといちいち親が見る必要もない。一番の上の子が年長者ズラして仕切るから問題ない。それも勉強のうちだ。」
孤児院歴数百年の自信に満ちた返答だった。まあ、数百年といっても孤児達は子供いない夫婦などに引き取られることが多く、孤児達が寺子屋に長く居る事はない。
今は、引き取り手のない妖怪の子供1人と、人間が1人。家庭の事情で食い扶持を減らす目的で奉公に出されたものの首になって路頭に迷っているところを預かっている子供1人の計3人、いずれも女の子が慧音と共に暮らしている。
10歳を過ぎると、男の子なら労働力、女の子なら家事などで必要とされるので、その頃には誰かに引き取られそれ以上の年齢の子供は預かったことはない。当然、思春期の微妙な年齢の子供を慧音はあずかった経験はない。慧音は人であった時でも色恋沙汰とは無縁だったので、それら思春期の子供達に対しても良い先生になれるかは微妙なところである。それに関しては妹紅の方が慧音より良い先生になれそうであるが・・・。
妹紅の家の鍵は慧音が預かっているので実質的にこの家の管理者は慧音だ。
この家に他の住人が住まないのは、この家が里の結界の外にあるためである。
ここで言う結界とは、博麗大結界の様な大それたものではなく、蟲や低級霊といった所謂外道の侵入を妨げる「おまじない」的な結界のことである。里と外の境界に祠などを祀ることで結界の効果は発揮される。
この結界は博麗神社が里にあったころに施したものだが、神社が移ってからもその効果は続いている。
結界の外にある妹紅の家とされている家は、家に憑くたくさんの小さな妖精や精霊、幽霊、妖怪、蟲達の巣窟となっており、普通の人間は夜のざわめきにとても寝付くことができない。その為、人が入ってもすぐ引っ越してしまう。一応誰かの持ち家としておけば、無用な手間が省けるだろうと、慧音は「藤原邸」と登記して誰も入れないようにしていたのである。
「相変わらず騒々しい家だな。」
しーんと静まりかえる静かな家の中で慧音はそう呟いて溜め息をついた。普通の人には何も感じないが、ある程度霊感が高かったり、妖力をもっていたりすると感じる何かがこの家には無数に存在する。妹紅の家が里の結界の外にあるため、そうした蟲などと呼ばれる類の存在が住処としてしまうのである。
「この家で寝たくないのよね。」
妹紅も慧音の意見に同意した。慧音や妹紅には、死角に無数の蠢くモノたちが隠れてこちらの様子を窺っているのがわかる。
「朝まで起きていれば問題ない。」
「慧音は話はじめたらとまらないからね。」
「それにここならスキマ妖怪が聞き耳を立てればすぐにわかる。」
この家に、至る所に存在する「何か」はどんな変化にも機敏に反応するので、外に何かがいたり、外から何かが侵入したり、空間に歪みが生じるなどの変化に瞬時に反応してくれる。
音を消す程度の力を持つ妖精ルナ・チャイルドが騒音の中で音を消せば、逆にそこだけ不自然になり、居場所を教えているようなことになる。家に住む蟲達が騒音で、スキマがルナ・チャイルドと置き換えれば分かりやすいだろう。
そんなわけで大切な話をするにはこの家は絶好な場所なのだ。
「で、昼間の話の続きだけど、不死身の私を殺すというのは、どういう意味が隠されていると思う?」
先ず最初の結論は、その言葉をストレートには捉えないということで二人の意見は一致している。
「妹紅は、藤原妹紅であると同時に不死鳥の力を身に宿している。つまりはそういうことだろう。」
「不死鳥を殺す・・・と。」
「それしかないだろうな。」
「なぜ?」
「なぜだと思う?」
「慧音には分かるのか?」
「ふむ、妹紅は不死鳥について少し学ばなければならないようだな。」
自らの半身的な存在について無知な妹紅に、慧音は語りはじめた。
不死鳥は朱雀、鳳凰など、元々は別々の存在とされていた神霊であったが、時代が進むにつれ混同、同一視され、実際同化した存在である。実態の不明な神的存在は人の信仰によって都合よく変質する。
本来それらは、それぞれに役割があったが、世界中にあまりにも多く似たようなモチーフが存在するために、同一化され同化した時に力が均一化してしまう。そして本来の役割が十分に発揮できなくなってしまう。そうした現象はどの神にもあるのだが、その極端な例が「不死鳥」といえる。
時には人の魂を喰い輪廻に誘う火の鳥。南方を守る守護神。世界の破壊と再生を行うフェニックス。
ここではこれらの存在を「不死鳥」と言葉にして出すが、これらの存在の現状における最大の役割は世界を支え維持する四霊、四大霊獣としての存在である。
「根本的にこの世界は神が創造するわけだが、その世界の土台を形成しているのが四霊だ。方角を定め、属性によって原理を作る。これによって物質が安定し形という概念がつくられる。」
と、言われても妹紅にはちんぷんかんぷんだ。
「まず、この役目が重要だ。次に重要なのが世界を維持するために破壊する役目だ。」
「破壊することが維持につながるの?」
「妹紅は既に人の理を失っているから当てはまらんが、人間でも妖怪でも自然も世界も古い物を捨て新しい物と取り替える。」
「つまり・・・代謝ってこと?」
「人間にとって新陳代謝は起こっていることすら気づかぬ些細なものだが、世界の代謝とは台風、地震などの自然現象、疫病、人心の乱れによる戦などそういったものだ。」
「破壊と再生ってことか。」
「稀に起こる天変地異は不死鳥が死ぬ時の現象といえる。」
「不死鳥って死ぬのか・・・。」
「厳密には死ではなく、転生だな。その時その身を苛烈に焼き完全に燃やし尽くし、その灰から生まれ変わるのだ。まるで妹紅そのままだな。」
「うーん。」
「ただ、不死鳥はなにもしなければそのまま少しずつ燻って消滅する。意識的に命を絶たなければ生まれ変われない。」
「そうなのか・・・でもなぜ不死鳥だけ死ぬんだ?」
「炎の属性とはそういうものだ。自然であって実は不自然な存在なのだ。無ければ安定した世界になるが、進歩もしなければ壊れもしない。ただ、そこにずっと存在だけが続くだけの世界・・・。炎とは命のきっかけなのだ。命とはいつか消える。炎とはつまり世界に動きを与える存在ともいえるな。」
「自然死?っていうのかな寿命で死ぬと世界はどうなるの?」
「簡単に言えば世界が無くなる。さっきも言ったが何も起こらない世界になる。それはまさに無と同じこと。」
「それってかなりまずいことでしょ?でも自殺?できるなら問題ないか・・・。」
「いや、それが実はそうでもない。」
「なぜ?」
「先ほども言ったが、不死鳥という存在がブレてきているからだ。」
「ブレ?」
「妹紅は不死鳥に言われた事を実行したが、果たしてそれは正しかったか?」
「・・・いや。」
「神霊は間違いなど犯さない。つまり不死鳥はすでに神霊としての格にはなってない。」
「でもそれって・・・。」
「世界は漫然とだが、確実に破滅に向かっているな。まー、どんな世界もいずれは終わりがくる。早いか遅いかだけの違いだ。」
慧音は涼しい顔で言う。
「でも・・・。」
「妹紅が言わんとしていることはわかる。終わるべくして終わる時と、間違いによる終わりではだいぶ違うからな。」
「つまり、八雲紫はそれを察知して不死鳥を殺し世界の崩壊を防ぐってことを言いたいの?」
「恐らく。」
しばらく沈黙が続く。
「冥界も天界も顕界もどこも許容範囲を超えている。外界は戦が絶えぬとはいえ、全体でみれば人は溢れているのが実情だ。具体的に世界が炎で包まれるというような破壊は起こらないが、人口が急激に減る現象は不規則だが周期的に起こらなければならない。」
「それが不死鳥の死ということ?」
「人の文明の滅びは、自滅というよりも急激な環境変化によることが多い。だが、高度に発展した文明はそれら自然現象をある程度予測制御できるようになった。こうしたことも世界の動きを止める理由の一つだろうが、本来ならそうなる前に、世界が変わっていなければならない。あきらかに不死鳥の力の衰えが来ている。」
「いつからそうなったんだろう・・・。」
「人間というより魂をもっと減らすべきだったと思う。その制御が出来なくなったのは、それほど昔ではないな。人の歴史は1万年に及ぶが、人が爆発的に増えたのはここ数百年だろう。信仰の衰えも世界の乱れの一因だし、もはや我々がどうこうできるレベルの話じゃない。」
「本当に世界は滅ぶのかな・・・。」
このままずっと世界は続くと思っていた妹紅は、そもそも人間や魂についてはあまり深く考えていなかった。考えるようになったのは不死鳥の力を持つようになってからである。その経緯は妹紅の人生に於いて最悪の時代であった。
「そもそも魂ってなんなんだろ・・・。」
「妹紅は学んだのではなかったのか?」
「私は不死鳥に言われたまま・・・考える事もその余裕もなかった。」
妹紅のつらい過去を考えると慧音は居た堪れない想いになるが、不死鳥の犯した間違いの証こそが妹紅そのものなのだ。
慧音は妹紅の歴史から魂の本質を知ることが出来た。人の短い命ではそれを理解するのは難しい。そしてその無知な人間が世界を支配している。問題は大きい。
「魂というのは、一個の生き物だ。人間も生き物。」
「肉体と精神、その精神が魂というわけではないの?」
「肉体と精神が合わさって生物となる。その一つが人間や妖怪だ。魂はその生物を器として寄生するようにその器の体験を蓄積し成長する。」
「いまいちピンとこないな。」
「例えば人間の肉体は人形だ。精神は性格などの個性だ。しかし、それらは、それらが住む国、文化に基本的に準じた発展をし、生み育て維持するという一連の生命の理にそって活動する。それ以上の事は生まない。」
「しかし、そうした小さな世界の中で時々異端が発生する。それらは変革を及ぼし、時には発展し、時には滅亡する。」
「これは輪廻転生する魂が作用している。魂は基本的に土地に縛られず、あらゆる生き物に転生する。それによって少しずつ変化がでるのだ。」
「植物の実を食べた鳥がその種を遠くに運んで、種が反映する?みたいな・・・。」
「まーイメージ的にはそんな感じだな。それから魂は人間に格付けをする役割もある。アリにもハチにも女王がいるだろう。どんな社会にもリーダーがいる。何によって決められるかといえば、よき魂が宿った人型がどうかということだ。それを間違うと全体が滅ぶ。昔はそういった文明が多かったが、今は、滅ぶことを防ぐためにリーダーを作らないという方法もできた。」
「普通は生まれたばかりの魂は、外道、つまり蟲以下の存在を器に、それらが死ぬ毎に別の生き物へと移り、次第に高等な生き物へと進んでゆく。」
「動物などを経て、人間・・・ちなみにここでいう人間というのは一定レベルの高度な生き物で、低級の妖怪や獣人なども含めている・・・を器にした魂はそこで一つの節目がくる。」
「節目?」
「ここで魂はようやく冥界・天界・地獄・輪廻といった選択肢を与えられるレベルになる。」
「初めて人間になった魂は普通、地獄に落ちる。」
「いきなり?」
「理性を知らない生き物、その獣性を残したまま人に転生にするので、そういった人間は粗野で秩序、道徳といった概念が理解できず自分勝手に生きる。その為、その社会で罪を犯しやすい。逆に何度か人を経験した魂が人間になると、社会を重視し道徳を重んじるようになる。長い間人をみていればわかるだろう?小さいことですぐ起こる者や、子供なのにやたらと落ち着いて大人びている者など。」
「確かに・・・。」
「ここで重要なのが、社会で起こした罪は閻魔に裁かれ、魂の罪は不死鳥に裁かれるということだ。」
「・・・。」
「妹紅は、閻魔には裁かれることはないが、不死鳥に裁かれた。」
「・・・。」
「幾度か人間を経て、獣性が消え、より高い資質を得た魂は、以後獣に落ちることなく、冥界でしばしの休息を楽しんだあと、再び人へと転生することができる。そこでさらに霊格を上げると、ようやく器と魂が融合し御霊となる。」
「御霊となった魂は、以後その肉体が滅んでもすぐに相応しい肉体が生まれ転生することが可能になる。このレベルになると、高等妖怪以上の、つまり天人のような存在になるのだ。こうした者はこれからどう生きるかなどを自分で自由に選択できる。人の世に現れて説教たれる聖人や、すっと冥界で隠居する者、妖怪のまま気ままに過ごす者、再び人間にもどる奇特な者。」
「例えば、八雲紫が仮に死んだとしても、すぐに紫の生まれ変わりがこの世のどこかに生まれそこに同じ御霊が宿るのだ。生前とは違った姿となっていても能力や記憶を継承する。このクラスの生き物となると、従者などがその生まれ変わりを見つけ出し、そうした主従関係はいつまでも続くのだ。一度そこまで登った魂は落ちることはほとんど無くなる。そしていずれは天界へと進み、次の新しい神様となったりするのだ。」
「私はそんな貴重な御霊をたくさん殺した・・・。」
「そう、魂の大罪だな。ただ・・・まーそれは後で話そう。」
「今不死鳥は、世界を支えたり輪廻を管理したりといろいろと役割が重なってしまった。そしてそれぞれの精度が落ちたのだ。」
「精度か・・・。」
「魂を単純に一つの存在ととらえてしまったのだ。魂は格が上がる毎に、従属する魂を持つようになり、そられを含めて大きなコミュニティーを形成する魂団となる。これらは同時期に同じ世界に転生するため、現世において一国を形成する人の集団の基になったりする。今はそういった事はほとんどなくなってしまったが、歴史のなかでまるで必然のような主従関係や交友関係ができるだろう?これはその魂団がそうさせるのだ。」
「考え方を逆にすれば、そうした基締め的な魂を人間を殺すと、大勢の魂を道連れに出来る。不死鳥も昔はそうやって人単位ではなく基締め的大きな魂を把握し、管理することで全体のバランスを取っていたのだ。」
「そうした見分けが出来なくなった?」
「冥界も天界も変革が迫られるだろうな。新しい世界や秩序をつくらなければならないのは確かなのだが・・・当面は不死鳥の自然死を回避しなければならない。」
「自殺というか自爆は今できないのかな・・・私が催促して。」
「それを行う理由がなければ不死鳥はやらんだろう。そして何が問題といえば、その理由をどこに見出すかを不死鳥自身が忘れているのではないかということだ。」
「そういえば不死鳥の声を聞かなくなってもうだいぶ経つわ・・・。」
「もしかしたら、不死鳥はもう世界を消滅させたいのかもしれない。不死鳥もどうしてよいのか分からないのだろう。」
「そんな身勝手な・・・。」
「身勝手な信仰がそうさせたのだから行って来いのチャラだな。」
「慧音はどっちの味方なんだよ!」
「私はどっちの味方でもない。ありのままの事実を受け入れるだけ。人間としての私の素直な想いは、妹紅とずっと一緒にいたい。しかし、ハクタクとしての私は、どんな未来も受け入れなければならないのだ。」
「・・・ご、ごめん・・・。」
「いや、いいんだ妹紅。」
「理由か・・・どうすれば、真っ当な理由を作れるか・・・。」
「私は歴史に関わるような企みは生み出すことはできないが、幻想郷には何か企むのが好きな奴はたくさんいるだろう。」
「八雲・・・紫か・・・。」
「昨日の妹紅と今の妹紅は、中身の質でいうなら天と地の違いだ。自信を持って紫と対峙するがいい。」
「・・・。」
「妹紅は本来正常な世界では確かに大罪を犯している。しかしな、皮肉なことにその大罪は実は世界にとって良い行いであったのだ。」
「そういわれても・・・私は同時に人としての大罪を犯している。」
「妹紅はすでに人を超えた存在であるのに、いつまで経っても人なのだな・・・。」
今はもう割り切っている。長すぎる時間は、それと同じ責め苦を受ける恐怖を生むが、同時にその長さこそが忘却という慰めをつくってくれた。
慧音が言うように妹紅の力はすでに人間を遥かに超えている。普通そうなったら人の社会や人の道徳といった概念から解き放たれるはずである。しかし、妹紅は人間を止めることはできなかった。
妹紅は嫌でも昔の事を思い出す。罪の始まりを・・・。
慧音は沈黙し、妹紅に過去を振り返る時間を与えた。
妹紅にとってそれはつらい過去を呼び起こすことになるのだが、しかし、バラバラになった妹紅の過去を紡ぎ出し、一本の因縁の糸を手繰り寄せなければならない。
八雲紫と妹紅の今回の出会いは決して偶然ではない。紫との因縁を妹紅は知らなければならなかった。
藤原妹紅が蓬莱の薬を口にして不死身の身体を手に入れてから数百年、人里を離れ秘境に逃れて一人静かに暮らしていた。人の気配がする度に奥地へと奥地へとそれはまるで逃亡生活のようだった。
そんなある日、妹紅は怪しげな集団に拘束された。
彼らは朝廷の密命を受けて行動する対妖怪専門の妖術使いの一族であった。
人の住まない山奥で少女が一人暮らすなどどう見ても不自然である。
彼らは妹紅を妖怪の一種として、彼らの役目通り妹紅を殺そうとした。
当時の妹紅は多少体力はあるが、戦いの技など知らない普通の少女と同じで、抵抗する暇もなくその凶刃の前に為す術がなかった。
しかし、不死の力をもつ妹紅は、絶命の瞬間蘇生し彼らを驚かせた。
妹紅の経歴を知った彼らは、既に数百年経っているその罪を裁ける術がなく、そもそも当事者がこの世を去って久しい。朝廷に報告してもまともに取り合ってもらえるかどうか・・・。
議論の末、一族の長の一存で妹紅を妖怪狩りの戦士として鍛えることにした。
朝廷に対し犯した罪を朝廷の為に働くことで償えと言われれば、妹紅としてはそれを受け入れる意外なかった。
妹紅にとって彼らとの生活はそれほど悪いものではなかった。
元々怪しい妖術を使い一族の年長者など200年を生きており、薬や妖術で延命したり、別の身体に乗り移ったりと彼らもまた妹紅と同じ、人間と共に生活できない身だったのである。
この時はただ不死身という以外たいして力を持たない妹紅であったが、ある出会いがきっかけで積極的に妖術を身につけるようになっていく。
妹紅が一族と暮らし始めて100年ほど経った時のことである。
かつて「西行妖」と呼ばれ多くの命を吸い取った妖怪桜があった。どういった経緯で封印されたかは分からないが妹紅がその桜を見る頃には既に封印がなされており、今はその後に残った「墨染の桜」が朝廷の管理下で静かに時を刻んでいた。
妖怪桜が、妖怪ではなくなった後にもそこに訪れる歌人は後を絶たず、人を惹きつける妖力の残滓は消えず燻っていた。
桜の妖力によって自害するものはいなくなったが、その伝説的なエピソードから歌人の聖地のような場所となり、毎年桜の季節には多くの歌人やその歌を目当てにした者たちが訪れる名所となっていた。墨染の桜は安全とされながらも、それでも万が一の為に放置も出来ないため、朝廷は妹紅が拾われた一族に監視をさせていたのである。
当時の妹紅はその一族でも下っ端の下っ端で、こうした退屈な監視任務には打ってつけの人材であった。
数ヶ月毎にこの退屈な任務をする番が巡ってくるのだが、不思議と妹紅はこの任務が嫌いではなかった。
それもそのはず、妹紅の順番は運良くいつも春だったので、咲き乱れる見事な桜を満喫できるからである。
ただし、桜が桜としての真骨頂を見せる春は、それを見に訪れる人の数も多く、監視としての仕事は激務といえる。
激務といっても、ただ見ているだけで体力的にはつらくないのだが、いつ誰が自殺するかわからないので、常時監視の目を光らせていなければならないのが精神的につらいところであった。
桜の季節にはまだ早い肌寒い日が続く早春の頃、この年はあと数日で監視の任が解かれるため桜の季節にはここにはいないはずである。
墨染の桜の下で妹紅が立ち番をしてとき、一人の初老(に見えた)の人物の訪問を受けた。
勉強の為の妖術書を一生懸命読んでいた事もあったが、すぐそばまでその初老の老人が近づいていたことに気づかなかった妹紅は、迂闊と思いながらもその表情は変えず老人の会釈を返した。
「数奇な運命をお持ちのようですな。」
「・・・」
ここにいる妹紅ら一族はどれもまともなものなどいない。彼らに対する社交辞令の挨拶かと思う妹紅。
初老が何歳からなのかは分からなかったが、老人と呼ぶにはまだ早い気がする。ただ、なんとなく雰囲気が疲れているようなので妹紅は、この男を老人と思ってしまっていた。
妹紅が老人と決め付けた男は、蕾も固い桜の木を見上げてから、妹紅の前にきて話をはじめた。
「この桜は数奇な運命にさらされ、今は白玉楼にあると聞きます。」
「?」
初めて聞く言葉であった。
「文人、書家、その他もろもろ文芸等に関わった人が死後目指す幻想郷の事です。」
妹紅が幻想郷という言葉を始めて聞いた時であったが、現在住む幻想郷の事ではなく、老人が言った幻想郷とは理想郷、桃源郷といった架空の世界を指していた。
「・・・」
「願わくば、歌聖西行寺のように桜の下で死に、白玉楼へと旅立ちたいものです。」
妹紅の姿はどう見ても10歳を超えたくらいの少女にしか見えないのだが、その老人は丁寧な言葉で、まるで位の高い人物と話すかのような態度を取るので、妹紅は恐縮して背筋を伸ばしたと同時にここまでへりくだる老人の態度はあまり好きにはなれなかった。
「この桜の番をしているのですかな?」
老人の問いかけに頷いて答える妹紅。
「少しお話を聞いてもらえませんか?」
妹紅は一瞬自分の素性について何か知っているのかと警戒したが、その老人の人の良さそうな雰囲気と退屈で死にそうだったという事情により、コクリと頷いて老人の申し出を承諾した。
老人は、藤原の一族の者で、若くして様々な才能に恵まれ、女性にも人気があり、将来を嘱望された好青年だったと聞かされる。年寄りの昔話に付き合うはめになったことを少し後悔したが、藤原の一族というのがなんとなく気になった。
自分が貴族の出であることはほとんど分かっていない妹紅であるが、妹紅の姓も藤原である。この時代の藤原とは、藤原以外は人にはあらず的な存在で、その一族であるのとないのとでは、その後の人生が天と地も違うのである。
親戚関係かなにかで、自分が孫とかそのあたりの誰かに似ているのだろうか?もしかしたら自分の素性が分かるかもしれないと、妹紅はその老人に興味をしめしはじめた。
「20歳の頃か・・・この桜の下で、禁止されていたにも関わらず、居眠りをしてしまったのです。」
ただの昔話だけで終わらず、老人は自分に起きた不思議な夢を語りはじめた。
「その時、一人の少女にまつわる悲劇の物語を夢の中で見てしまったのです。」
その老人はその夢を見てから人生観が変わり、供養の為に歌を詠みたいと思うようになり、現在も将来も全てを投げ打ち歌人となるために出家したのである。
仏門に入る目的ではなく、目指す究極の歌を探すため、自分を縛る全てのものから開放される目的での出家であった。
歌聖の娘を慰めるためにはそれに釣り合うために自らを高めることが必要だと考え、俗世から離れ、ひたすらに自然の中で自分に向き合い自らを高める日々を過ごした。
悩み、苦悩の日々の中で悶々と各地で修行し、戦乱も経験し、世の無常も味わった。
疲れ果て、救われないその身で、何を誰を救えるものか?
自問するため原点となったこの場所にやってきたのだという。
「はぁ」と、うな垂れ、桜の前で腰を下ろすその初老の肩は寂しそうに落ち込んでいた。
「後悔しているのですか?この道を進んだことを・・・。」
妹紅は初めて口を開いた。
「・・・いいえ、後悔はしていません。ただ・・・残念でなりません。」
「夢の少女の事ですか?」
「・・・はい。」
妹紅は無意識に老人の横で正座をしていた。
「何かおっしゃりたいのですか?遠慮せずに言ってください。」
妹紅には老人の気持ちは分かるのだが、いまいち釈然としない違和感を感じる。
死ぬことが悲しく、哀れなのだろうか?
死ねない不死の身体を持つ妹紅にとって死とはまさに幸福と同じ意味であった。
「あなたの心には神も仏もいないのですか?」
妹紅の身体は、神や仏の及ばない存在となっていた。欲しくても得られないモノをなぜ、この老人は捨てるのか?
妹紅は様々な思いを込めてそういった。この言葉に老人もさすがに驚きを隠せなかった。
「・・・仏?」
「私が仏ならば、その少女に最大限の哀れみと賛辞と永遠を贈ります。人ごときの哀れみなど無用というもの。」
妹紅はばっさりと老人を斬って捨てた。
「たぶん、彼女は今幸せでしょう。あなたも残りは自分の望むように・・・。」
途中まで言いかけて妹紅は老人が大きな声を上げて泣き出すのを見た。
余りにも大きな声であーあーと泣き崩れるので、妹紅はものすごい罪悪感を感じどうしたものかとうろたえた。
老人の背中をさすろうと手を伸ばしたとき事が起きた。
伸ばした手にドス黒い靄が絡みついたのである。「それ」は老人の背中から這い出てくる。
引っ込めようとした手に靄がくっ付いたまま老人の背中からズルリと抜け出すのを見て、妹紅は一瞬驚愕したが、自ら役目と任務を思い出した。
妖怪か!悪霊か!
妹紅は老人から少しはなれ左手にまとわりつく黒い靄の塊を冷静に見た。
妖怪の類でも悪霊の類でもないようだ。邪気は感じないが、非常に強い情念を感じる。
これは老人を苦しめた苦悩と煩悩の鬱積した塊だろう。
これが溜まり過ぎると異形化して人を怪物にしてしまう。
信仰を持たない人が救いの道にすがらず放置した結果生まれるものらしいと妹紅は教わった記憶があった。
仲間の先輩が取り出して見せてくれたことがあったが、自分が取り出したのは初めてだった。
この老人は仏門に入らずすべて自分の中で悩みを解決しようとしていた。
それがコレを生み出したのだろう。
南無阿弥陀仏と唱えると自然に消滅する簡単な類の妖である。
仏無きものに仏の言葉を与えるだけでよい。
南無阿弥陀仏と何度も唱えていると、左手にまとわりついて質量があるかのようにだらりと地面に垂れるその黒い靄はしだいに重力から開放されるように天へと浮き上がり、やがて砕けて消え空に還った。
妹紅は消え行く黒い靄を静かに見つめていたが、不意に頭の中に入ってくる言葉を聴き、それを口に出した。
『世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりけり』
表面では悟りを求めても内面では都暮らしの昔を懐かしむ。
消えぬ煩悩に苦しむ歌だった。
老人を見ると、気を失っているように地面に臥せっていたので仰向けに身体を返し様態をみた。
呼吸は正常を保っていたが、明らかに変化が見て取れた。
表情が若返っていたのである。歳はとっているが、その表情に老いがまったく見えなかった。
しばらくして気がついたさっきまでの老人は、妹紅に感謝の意を表し、去り際に今の率直な心境を歌にして妹紅と墨染の桜に贈った。
ほとけには 桜の花を たてまつれ
我が後の世を 人とぶらはば
何かに解き放たれ清清しい表情になった「老人」を見て、妹紅は初めて人を助けたという実感を噛み締めていた。
罪に苛まれ罰を求めることだけが救いの妹紅の心の内に初めて宿った救いたいという心境。
この経験が、流されるまま一族とともに妖怪退治をやらされていた妹紅が、自ら望んで妖怪退治を生業とすることを決心したきっかけとなった。
これが妹紅の人生にとって最悪の罪の始まりであった。