キリストのたとえ話 ‥ 1 | inca rose*のブログ

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◆粉の中のパン種(マタイ13章33節)

天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。
(サトンーアラム語における計量の単位であり、約16キログラムに相当する)



このたとえ話は、わたしたちが今までに何度も説明してきたものです。もちろんイエスはパン焼き職人にアドバイスを与えているのではありません。「天の国」とは、始めから終わりまでを通して生命の全体像を意味しており、これは「神としての自己」に気づく、ということでもあります。

三サトンの粉とは三つの体を指しています。一つは肉体で、エーテル・ダブル(用語13)とともにあります。二つ目はサイキック体(用語17)、すなわち感情体で、やはりエーテル・ダブルとともに存在しています。三つ目はノエティック体(用語18)、すなわち精神体です(注2)。
これら三つの体が一つになって、人間の「現在のパーソナリティ」を構成しています。一人の人間は、肉体・感覚的で感覚的な体・思考する体の三つの体を持っているのです。

たとえ話の中の「女」はこの「現在のパーソナリティ」を表しており、粉を混ぜ合わせています。これは三サトンの粉ーすなわち肉体、サイキック(感情)体、ノエティック(精神)体の三つーを、精神と理性によるコントロールのもとに、正しく、かつ合理的に使うことを意味しています。水を使ってすべてがパン種と完全に交じり合うまで、三サトンの粉の中へパン種を混ぜ合わせていきます。水はエネルギーを意味しています(たとえ話の中では水については直接触れられてはいませんが、必要不可欠であることは容易に想像できるでしょう)。
エネルギーがなかったら理性も働けません。「女」は一つの聖なる物質を作り上げているのです。

さて、パン種とわたしたちがエーテル活力(用語20)と呼んでいるもので、そこからエーテル・ダブルが作られます。これは様々な波動で振動しているマインド(用語10)に他なりません。

水はパン種を三サトンの粉と混ぜるために「女」が使用しなければならないものですが、「真理」を表しています。肉体・サイキック体・ノエティック体が「真理」において一つにならなければ、わたしたちは天国には入っていくことはできません。言い換えれば、あなたがーたとえ話の中の「女」ですがーこれらの三つを完全に混ぜ合わせて一つにしなければ、あなたの「現在のパーソナリティ」は為すべきことをしていない、ということになるのです。正しい思考の中で想念やマインドを混ぜ合わせることをしなければ、肉体のみを感情の体であるサイキック体と混ぜ合わせたとしても、不十分なのです。

パーソナリティは一つです。たとえ話の中の「女」は「現在のパーソナリティ」であると同時に、実はその背後に存在している「永遠なるパーソナリティ」(用語15)でもあります。
「現在のパーソナリティ」とは「永遠なるパーソナリティ」の延長です。線の片方の端には「現在のパーソナリティ」が、もう一方の端には「永遠なるパーソナリティ」が存在しています。しかし実は、これら二つは一つなのです。「現在のパーソナリティ」とは、時空間の中でその時々に応じて「永遠なるパーソナリティ」が表現されたものに過ぎません。

確かに両者の間には違いはありません。しかし「永遠なるパーソナリティ」、すなわち「魂-エゴ」とは不変のパーソナリティのことであり、たくさんある「現在のパーソナリティ」のそれぞれが持っている経験のすべてを同化し、蓄積し、そして表現しているのです。

そして水についてですが、水のことを「生命の鼓動」と呼んではどうでしょう。わたしはこの「生命の鼓動」という表現が好きです。

キリストはサマリア人の女性に、「水を飲ませてください」と話しかけました〈ヨハネ4章7節)。それは当時としては大胆なことだったので、女はイエスに「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と問い返しました。当時これら二つの部族は、互いに激しく憎しみあっていたのです。

しかしイエスは「女よ、水を飲ませてください」と続け、さらに「この井戸の水を飲む者は再び咽が渇くことになるであろう。そして、もっともっと水をたくさん飲みたくなるだろう」と言いました。「しかし、わたしが与える水を飲む者は、永遠の時間の中で何世紀にも渡って再び咽が渇くことは決してないであろう」

そこで女はイエスに請いました。「主よ、どうかそのような水をわたしに下さい。そうすればわたしはこの井戸を二度と来る必要はなくなるのですから。」それに対してイエスはこう答えたのです。「わたしは生命の水である。」キリストはみずからを「世の光」と呼びましたが、「生命の水」とも呼んでいました。

「神-人」であるイエスのたとえ話と教えの中には、この波動の荒い物質的世界の中で、わたしたちが見たり理解したりしているよりも、ずっと高い波動のものとして、そしてずっと深い意味合いにおいて、四大元素である風・火・水・土について言及しているところがあります。そうした所にわたしたちは、もっと注意を払うべきなのです。


◆迷い出た羊(マタイ18章12~14節)

あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶことだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。



これはもっとも素晴らしいたとえ話の一つです。イエスは「道に迷った最悪の罪人に対してさえも、天の父は彼のことを気にかけて連れ戻そうとするのだ」と言っているのです。
「そのあいだわたしは、既にそこにいて安全な状態にある他の羊たちのことよりも、迷い出た一匹の羊のことをより心配するのです」と。

「その一匹のことを喜ぶだろう」というのは、羊飼いが他の九十九匹の羊たちのことをまったく気にかけずに迷い出た一匹を探していた、ということを意味しているのではありません。残った九十九匹の羊たちは、今いるその場所において十分に安全なのです。天の父がこちらの一匹を愛して、あちらの一匹を愛さないということはありません。安全なところにいる者たちは、少しばかりのあいだなら待つことができるでしょう。けれども迷い出た一匹の場合には、直ちに注意を向けてもらい、そして面倒を見てもらう必要があるのです。そのため危険に陥っていた一匹を救った時に、キリストはとても喜ぶのです。

イエスの説明は明確です。天の父はたった一つでも「魂ー自己意識」(用語8)を見放すことはない、ということです。
「現在のパーソナリティ」として眠りについたまま、分離の世界で惨めな生活を送っていたとしても、キリストはその魂の面倒を見ています。そしていつもわたしたちに「戻ってきなさい」と呼びかけています。わたしたちがどこにいようとも、どんな泥沼の中にはまり込んでいようとも、キリストはわたしたちを探し出します。そして父の元に再び戻ることができるようにしてくれるのです。これこそが神の愛です。

地獄などの悲惨な状況を語って人々を脅かし続けてきた聖職者たちは、心してこのたとえ話を読むべきです。わたしはそのような教会の高僧たちと話をしたことがあります。

「四十年か、まあせいぜい五十年から六十年、どうがんばっても百年くらいしか生きられないような、そんな人間を創造しておいて、ちょっと生き方がまずかったからと言って、それをあなたがたは邪悪と呼ぶのだろうけれども、人間を地獄の劫火の中に永遠に投げ入れてしまうとは、あなたがたはいったいどれほど慈悲深い神を信じているというんだね。そりゃ慈悲深い神とは言えないな。そんな神は最悪のサディストか、最低の悪魔に違いない。少なくとも慈悲深い神ではないことは確かだ」と、わたしは彼らに言いました。

永遠の地獄というものを持ち出して人々に説教したり、脅したりしている聖職者たちには、このたとえ話を是非読んでもらいたいものです。実際このような愚かさと無知により、キリスト教はこれまで多大なる被害を被ってきたのですから。




(用語8)「自己意識」ーダスカロスの教えの中では、「自己意識」とは、真実の自己に目覚めた意識のことを指す。わたしたちが通常、自己と考えているものは、ダスカロスの言葉では「現在のパーソナリティ」に当たるもので、「自己意識」ではない。

(用語10)「マインド」ーこの宇宙に存在する、ありとあらゆるものを構築するための大元となっている「聖なる素材」のこと。「絶対なる存在」から放射される。波動の高いものから低いものまで様々である。振動がもっとも遅い(波動が低い)マインドは、「マインド固体)と呼ばれ、これは物質のこと。波動が高くなると順に「マインド物質」」「マインド超物質)となり、それぞれ感情や理性として使われることになる。我々はこの「マインド」を使って、日々創造活動を行っている。

(用語13)「エーテル・ダブル」ー五感で見たり感じたりすることはできないが、人間の肉体の鋳型となっている体のこと。従ってエーテル・ダブルの中には、肉体のいかなる要素にも対応する要素が必ずある。「マインド」(用語10)の一種である「エーテル」でできている。

(用語15)「永遠なるパーソナリティ」ー人間の「魂」が時間と空間の世界にみずからを投影することにより作られたもの。この「永遠なるパーソナリティ」が、特定の時空間座標の中へみずからを投影すると、「現在のパーソナリティ」が作られるが、これは人の一つ一つの転生に対応する。「現在のパーソナリティ」が得た経験や知識は、「永遠のパーソナリティ」に持ち帰られる。

(用語17)「サイキック体」ー感情体とも言う。感覚や感情、欲望をつかさどっている体のこと。サイキック界(四次元世界)に存在している。

(用語18)「ノエティック体ー精神体とも言う。思考をつかさどっている。ノエティック界(五次元の世界)に存在している。ノエティック界は分離の世界ではあるが、その中でももっとも波動が高い。














『キリストのたとえ話』
著 . ダスカロス

から抜粋。