ブラック企業から救い出してくれて、公務員にしてくれたのだ。誰だって、公務員の母体となる国家に忠誠を誓うだろう。もし、その国家に敵対する国があれば、銃を持って喜んで戦うだろう。
ヒトラーの経済政策が優れていたというより、それまでがあまりにも酷すぎたのだ。何度も言うが、ワイマール共和国の実態は「ブラック企業」だった。その経営者が替わって、普通よりちょっと悪いぐらいの待遇にするだけで、そりゃあ、社員は涙を流すほど感謝するし、新社長を「名経営者」と持て囃す。社員のために額に汗して働く。それが当時のドイツの状況だった。
さらにヒトラーは、ヴェルサイユ条約で制限されていた軍事を復活させる。これも公共事業の一環で、軍の拡大は一時的に物資の増産と失業対策となるので景気を押し上げる。そうして軍備が整ったところで1939年、ポーランドに侵攻。電撃作戦を成功させた。
対外戦争に勝利する。同じヨーロッパで勝利を得ることは、ドイツという国家と民族がヨーロッパ文明の国家のなかで「優秀」なのだという証明となる。断種されるような劣等な個体(国家や民族)ではなく、進化する勝利を持った優秀な個体(国家や民族)であることをヒトラーは証明してみせてくれたのだ。
ヒトラーは、ドイツ人を苛んできた「自分たちは劣等個体の民族ではないか」というコンプレックスを解消して優秀な民族という誇りを与えてくれたのだ。あまつさえ「ドイツ劣等民族」の軛となっていたヴェルサイユ条約という借金の棒引きまで、ほの政治力で応じさせた。
これで熱狂しないドイツ人はドイツ人ではあるまい。当時のヒトラーの行動は、ドイツ人が望んでいた願望を実現する形で現れていた。だからこそ国民から熱狂的な支持を受けていたのだ。
ここで伝えたいのは、ヒトラーが極めて優れた政治指導者だったということではない。ヒトラーが登場するまでのドイツ人がいかに異常で歪んだ精神状態に陥っていたのか、という点なのである。
しつこいようだが、その歪みは、優生思想によってもたらされていた。
だからこそヒトラーは、その優生思想を政策の中心に据える。優生思想に苦しめられたドイツ人を癒すには、ドイツ人自身の手によって、ドイツ人が定めた「優劣」の基準で優生政策を実践することなのだ。
「やられたらやり返す」
ドイツ人が味わった「恐怖」を拭い捨てる最も手っ取り早い方法は、その恐怖を他の民族が味わうこと。やられる側の恐怖は、やる側になることで解消しようとする。心理学でいう倒錯である。
ナチスのホロスコートの異常性は、裏を返せば、当時のドイツ人たちが最も怖れた「悪夢」の実現であっただろう。こうなってほしくないと祈ってきた数々の恐怖を、ナチスは自ら生み出して実行したのだ。ナチスの異常性は、ドイツ人を病ませた「優生思想」の毒そのものだったのである。
◆「ナチスドイツはやり過ぎた」が白人エリート層の本音
もし、第1次大戦で戦勝国がドイツ人をここまで追い詰めなければ、アドルフ・ヒトラーもナチスドイツも生まれなかっただろう。ドイツ人が断種の恐怖に怯えおののくような状況を作らず、きちんと民族のプライドを守れるような状況に置いておいたならば、第2次世界大戦の状況はまったく別のものになっていたかもしれない。いや、そもそも第2次大戦は起きなかったろう。
逆説的に言えば、ワイマール共和国自体が「ナチスドイツ」を生み出すよう、見事なまでに制度設計されていたとしか思えないのは、そのためなのだ。ただ、当時の時代状況でいえば、ヨーロッパ文明国家群、いうなれば欧米列強国は「優生思想」を利用せざるをえなかった。それでヨーロッパ文明国家間で対立が生じれば、勝ったほうはまだしも、負けたほうは、やはりドイツ人的な病理を生んだことだろう。大英帝国が負けていれば、大英帝国にヒトラーとナチスは生まれたはずだ。
ヒトラーが台頭してきた「ナチスドイツ」に対して、当初、他の列強国が静観した背景には追い詰め過ぎたという反省もあっただろうが、もう一つ、ナチスドイツのあり方は、ヨーロッパ文明国家が採用してきた「優生思想」を体現した理想国家であり、否定しにくかったという側面もあった。
白人エリート層にすれば「ナチスドイツは悪くない」国家だったのである。事実、ヒトラーのNSDAP(ナチス党)には、欧米エリート層からの支援者は後を絶たなかった。
またアメリカも移民国家だ。移民をどんどん受け入れて、それを一種奴隷労働にすることで経済を回してきた。奴隷的な扱いを受けていた黒人や中国系の住民からすれば、アメリカがナチスドイツと戦わないとなれば、こちらも暴動のきっかけとなる。きれいごと抜きで説明すれば、ようするにナチスドイツの理想国家像は、優生学を心棒する一部の白人エリート層からしても「早すぎた」うえに「やりすぎていた」のである。結果、連合国はこぞってナチスドイツに宣戦を布告する、というか、もはや戦うしかない状況まで追い込まれた、というほうが正しいだろう。
ここで注意すべきなのは、国家のエリート層の考え方と、現場でナチスドイツ軍と戦っていた軍隊や兵隊、それを支援する市民の意識はまったく違うということだろう。彼らは、ナチスドイツが一方的な民族差別をしてむごたらしい虐殺をしている実態に憤り、立ち上がった。古き良き愛国的騎士道があったことを忘れてはならない。
『ナチスの亡霊 21世紀の地球を襲う【悪魔の思想】』
著.ベンジャミン・フルフォード
から抜粋。