桜桜大島小松川千本桜桜桜

 

ジブチから帰ってきました。残念ながらエリトリアには

エチオピア航空のドタキャンセルで入れなくなりましたが

コンゴ民主共和国とエチオピアにも入国してきました。

パソコンの電源が故障してしまい修理に出すので

2~3週間程度かかるそうでしばらくUPできないかも

しれません。メールも見れなくてすみません。

その後、5/7日~17日迄トンガ・サモア・フィジーバヌアツに

11日間行ってくるのでupはその後になるのかなあ・・

 

2024年4/6(土)

江東区の大島小松川公園と江戸川を結ぶ荒川の

土手の千本桜を見に行って来ました。

これは桜じゃないと思うんだけどいつも同じ時期に咲く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青空だったらもっと桜が映えたんだけどな

 

 

 

 

 

 

大島桜


数年前の3倍位の人が桜を見に来るようになったんじゃないかな

 

荒川 向こうは江戸川区

大島小松川公園に植えられているお花

 

 

 

 

 それでは4/8~17までジブチ・エリトリア・コンゴです。

 5月はトンガ・サモア・フィジー・バヌアツです。

     中央アフリカ7ヶ国15日間①

       アンゴラ共和国入国

<アンゴラ/サントメ・プリンシペ/ガボン/コンゴ共和国

コンゴ民主共和国/カメルーン/赤道ギニア>7ヶ国15日間

2024年2/28~3/13の15日間

ツアー人数→8名(男性4人、女性4人)

ツアー代金→1人169万8千円+ビザ7ヶ国13万円

+燃油9万と1人部屋24万円=合計215万円

旅のデザインルーム社

今回は1人でツアー参加

2/28(木)  飛行機成田発 エチオピア航空でアジスアべバ乗継ぎ

ナイフとフォークコーヒー機内食はチキンカレーや魚などいろいろ選べるけど、

いつもキムチが付いてくる。韓国経由あるある。

韓国の仁川空港でいったん機内から降りて保安検査を受けて

また再搭乗しなければならない、この面倒さ・・機体の中が暗い

エチオピア航空はアフリカへ行くとよく乗りますが

久しぶりに乗ったらたまたま、古い機体だったのか

私の席は電気は付かないリモコンは壊れている、ブランケットは

みんなしわしわで16時間も乗るのにもっと新型にしてよ、

と思っていたら、このルートだけで後は新しい機体でした。

成田→ソウル2時間40分 ソウル→エチオピア13時間15分

↓エチオピアのアジスアベバ着 アフリカではエチオピアが

一番飛行機の乗り入れが多いのでこの人人人・・

航空機を乗り継ぎアンゴラの首都ルアンダ

↓バスに乗って飛行機へ・外から機内へ乗り込む

↓4時間45分のフライト・ここでも機内食 ナイフとフォーク夜から4食目

↓アンゴラの空港に到着

タラップを降りてバスに乗り入国審査へ

↓アンゴラの空港

アンゴラへ入国、アンゴラの基本情報

面積:129.7万㎢(日本の約3.3倍)

人口:3558万人(2022年)

首都:ルワンダ(908万人)

言語:ポルトガル語、その他ウンブンドゥ語など

宗教:カトリック(41%),プロテスタント(41%)

公用語:ポルトガル語

略史:1483年ポルトガル人が到達

1975年アンゴラ人民共和国の独立宣言

独立後も2002年まで内戦が続き20年間続いた内戦の為

1000万個を超える地雷が敷設されている。

 

2/29 アンゴラの首都ルアンダの市内観光へバス

2002年、アンゴラ内戦終結後はダイヤモンドや原油の

輸出によってアンゴラ経済は急速に回復をした。

アンゴラは女性が強い象徴の像

↓ポルトガル帝国から独立宣言をした独立広場に建つ

アンゴ初代大統領

↓独立宣言をし、拳を握りしめる初代大統領の銅像

油田からの産油量が急速に増加し、アフリカ第2の産油国に

石油の採掘後に物価は上がり一時期、世界でも有数の物価高に

アフリカとか思えない近代的なビルが建ち並び街は綺麗

 

 

鉄の宮殿(エッフェル設計)

エッフェル塔が完成した1889年の翌年に、フランスで

建造が始まり、その後、船でマダガスカル島に

運搬される途中、アンゴラ南部のナミベ州の沖合いで座礁し、

引き揚げられて、そのままアンゴラに残されました。

1961年のポルトガル統治時代まで、この宮殿は

ルアンダの社交場として栄え、絵画の美術館にもなった。

エッフェル設計

↓エッフェル設計の鉄の宮殿

 

 

サン・ミゲル要塞(軍事博物館)

ルアンダ湾を囲む砂嘴の付け根にそびえる真っ白な要塞。

1575年に築かれた。ルアンダ湾を守るこの要塞では、

17世紀中頃にはポルトガルとオランダ、ブラジルとの間で

攻防戦が繰り広げられました。

 

 

17世紀のアンナ・ウジンガ女王の像

社会科見学のアンゴラの子供達

子供は何処に行っても手を振れば返してくれます。

 

サン・ミゲル要塞の中に入っていくと・・

↓アンゴラの国旗は,赤と黒の2段になっていて赤は

植民地時代の抑圧,独立への戦い及び国家の防衛で

アンゴラ人が流した血を象徴し,黒はアフリカ大陸を象徴する。

アンゴラ解放人民戦線の旗に、農民を象徴する農耕用ナイフと

工場労働者を表す歯車を加えた。星は社会主義を表している。

バスゴ・ダ・ガマや様々な英雄達の像

 

↓軍事博物館の館内

 

 

ポルトガルの植民地だった名残で白とブルーの美しい

アズレージョ(絵タイル)が飾られています。そのモチーフに

キリンやライオン、イボイノシシなどの野生動物が描かれて

いるのもアンゴラらしい

 

要塞の周りを歩いて見ると綺麗なルワンダ湾が見えます。

 

埋め建てて湾岸を整備されているので綺麗

アンゴラは2013年には世界で最も物価が高いと言われた。

↓貧富の差も激しいので貧し家もあります。

ルワンダ湾はビーチになっており海水浴が出来る

 

水着なんかも売られていた。

 

 

小さい時から頭に乗せて歩いているので姿勢がいい

 

↓ロケットかなと思ったら霊廊

↓初代大統領ネトの霊廊

初代大統領アゴスティーニョ・ネトの功績を記念して建てられた

巨大な塔の外観はルアンダのラウンドマークになっている。

↓ルワンダの国会議事堂

 

とても綺麗です。

このサーモンピンクの色の建物が沢山あり、何かと聞いたら

政府関係の建物はこのピンクなんだそう。

 

 

↓国立銀行

↓ルワンダの駅

 

ホテルヘ入る前にスーパーに寄る。品揃えはいいけど高い

日本と変らない値段

高層ビルも多い

ここがアフリカって感じには見えない・・

ホテルは4つ星ホテル スカイナ・ホテル・ルワンダ

広ーい、スーペリアの部屋でした。

物価が高いのでスーペリアだと1人4万円はするそう・・

部屋からの景色 ナイフとフォーク夕食もホテルでコース料理でしたが

疲れていたのでパスして部屋で1人のんびり

  

 

 

    サントメ・ブリンシペ民主共和国②

<アンゴラ・サントメ・プリンシペ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/1(金)3日目飛行機 アンゴラ航空でサントメ・プリンペ

↓ここも外のタラップから機内に乗り込みます。

飛行機の写真を頼まれていたのでちょっと多くなります。

↓アンゴラ離陸→2時間でサントメ・プリンシペ共和国へ

2017年ですがサントメ・プリンシペは「最も観光客が少ない国ランキング」

第3位にランクインしていました。第1位はツバルです。

アンゴラは朝雨が降り、サントメは天気が悪いと聞いて

と飛ぶのか心配したけど青空になってきて一安心。晴れ

飛行機サントメの空港着 島の小さな空港です。

西アフリカや中央アフリカの女性ってとてもおしゃれ

サントメへ入国検査後、ここでスーツケースをピックアップ

サントメ・プリンシペ共和国入国 

アフリカの大湾曲部、ギニア湾に浮かぶ火山島のサントメ島、

プリンシペ島、その周辺の島々からなる島嶼国です。

首都サントメ島は世界一小さな首都とも言われる。

面積:1001㎢(東京都の半分)

人口:22.3万人(2021年)

首都:サントメ

言語:ポルトガル語

宗教:キリスト教

略史:15世紀まで無人島だったサントメ島

1469年 ポルトガル人が入植、

サトウキビ農園をつくる。 奴隷貿易の大きな中継基地となる

独立は遅く1975年ポルトガルから独立と同時に

ポルトガル人が本土に帰ると経済は破綻し、世界最貧国の

一つに。主な産業は農業、キャッサバやプランティションバナナ

など、独立前よりカカオが主な輸出品。近年は海底油田の開発が

進み、産油国の仲間入りをした。

↓ホテルへ

リゾートホテル

ホテルのエントランス

↓昼食は近くのペスタナホテルのビュッフェへ

 

海を見ながらの昼食

首都サントメの市内観光バス

サントメ要塞(サン・セバスチャン要塞)

植民地時代にポルトガルがサントメ島に築いた要塞

16世紀の典型的なポルトガル式要塞で、

現在は宗教的な美術品や植民地時代の遺物を

展示公開している博物館として利用されている。

 

 

 

今はサントメ国立博物館。1575年、ポルトガル人が建てた

中には美術品や植民地時代の遺物が展示公開されている。

博物館内見学

1493年にはポルトガル王から島を賜ったアルバロ·カミニャに

よってサントメ島に入植が開始され、初期の入植者の多くは

主にユダヤ人の流刑者で入植者は、島の火山性の土壌が農業、

特に砂糖、ついでカカオの生育に適していることを発見し、

過酷な労働のためコンゴ王国をはじめとするアフリカ本土から

大勢の奴隷の輸入を開始、16世紀から17世紀にかけては

奴隷貿易の中継基地へと発展していく・・

ポルトガル植民地時代の食卓

 

 

黄色は太陽、緑は農作物、赤は独立運動と平等を象徴し、

二つの星はサントメ島とプリンシペ島を表す。 独立闘争を

行ったサントメプリンシペ解放運動の党旗が原型。

 

灯台

ポルトガル人によって発見され、ポルトガル人の流刑地として

、ポルトガルの植民地として、そして奴隷貿易の拠点として

据えられた。そのような背景から、アフリカの周辺各国と

ポルトガルが入り混じった文化が形成されている。
アフリカで 初めてカカオの栽培が行われた「チョコレート島」

と言われていたそうです。

 

 

 

 

4WDで市内を観光するのですが、トヨタ、日産、三菱と

日本車が沢山走っている。中古みたいですが・・

ポルトガル植民地時代のカカオ工場跡 

今はアートギャラリー

 

 

サントメ大聖堂

ネオロマネスク様式のメインファサードを持つ

サントメ大聖堂は、15世紀に建てられた教会で

前面には、ポルトガル・タイルである

美しいアズレージョが施されています。

中心に置かれたマリア像はなんと!フランシスコ・ザビエルが

持ち込んだものといわれているそう。

教会内

 

 

大統領官邸

宮殿は2階建てで、ローズピンクのファサードとシンプルな

新古典主義の要素がある建物

 

ブラジルから持ち込まれたカカオにより栽培が広まり、

その力強い味とフルーティな香りが現在ヨーロッパで

注目されているチョコレートの工場のお店で試食と購入

ブランドチョコレートのDIOGO VOZ

ココマーケット・中央市場はあまりお店が開いてない時間

だったので市場前で野菜や魚を売ってる所を見に回った

のですが、写真がこの国の人達は嫌いみたいで、撮るのが

声をかけてからで躊躇しました。魂を抜かれると思っている。

↓電車が走ってないので、タクシーが沢山いて色はイエロー

↓ホテルに戻る。

部屋は清潔で綺麗、ここはバスタブもあったし快適

 

部屋の前がプールだったので水着も持ってきたし

入ろうかなと思ったけど1人で入るのも・・止めました。

4つ星リゾートホテル・ミラマール

3/2(土)4日目

プランテーションの労働者達のために建てられた小さな集落住宅

↓ポルトガル統治時代の1928年に建てられて病院跡地

かつて病院 現在も住民が住んでいる

ロサ・アグア・イゼの大農園付きの病院跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16世紀には奴隷となるアフリカ人を連れてきて

サトウキビ畑の生産を始める。

19世紀に入ると更に奴隷を増やし、

コーヒーとカカオの栽培を始めて世界一の

生産量を誇るまでに発展します

島の各地には、ポルトガル統治時代の

プランテーション跡地とかつての

大農場主の壮大な館が数多く残されている。

バナナのプランティション

 

 

時計11:10

火山島のため、砂浜は溶岩砂で黒く、また波打ち際より

一気に深くなる海岸が多い

 

↓海水を吹き上げるポカ・ド・インフェルノ

地獄の口と呼ばれる波しぶきが吹出す様子が見られる

カカオジュースが売られていた。

 

お土産屋さん

 

↓道路をバスで走っていると時々、川があると洗濯物が道路脇に

天日干しされている光景をよく見る。

  

    サントメ島からガボン共和国へ③

<アンゴラ・サントメ・プリンシペ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/2(土)4日目 サントメ島の観光

バス大きなヤシのプランティションを横に走っていると・・

 

↓ヤシのプランティション・・ヤシ油などが取れる。

 

道路の前に見えてきました。地上370mの岩山に感動!

目の前に現れたのはサントメ島のスポット

ポルトガル語で “Great Dog Peak” の意味。

「巨大な犬の岩」と言う意味だそう・・

標高は663メートル、麓からの高さは370メートルほど。

早稲田大学の登山チームが1991年に世界で初めて登攀に成功している。

ピコ・カオ・グランデ

ジャングルの中に聳える高さ300mの黒い岩の塔

活火山の噴出口内でマグマが固まりその周りの土や岩が

浸食によって削られ表に出てきた火山岩栓。

数千年前に出てきたと言われ地上から300m以上の高さ

海抜からは663mで東京スカイツリー(634m)よりも少し高い位

岩塔はオボ国立公園の中にあり、麓からの高さは370mで、

山々の中にそびえる親指を立てたような不思議な形をした岩塔。

カメラバスから降りてじっくり見ます。これには感動でした!

コロンビアの「悪魔のタワー220m」よりも感動しました!

↓人差し指を立てたような岩石


1975年に、ポルトガルの2人の仲間と一緒に登ったのが

最初で1991年、次は日本人3人が新ルートを開拓しました。
このときは登頂まで2週間岸壁と格闘して登ったそうです。

バスその後、バスは村の中に入っていきます。

 

川があると洗濯をしている人が見受けられます。

バスは舗装されてない所で釘を拾ってしまい、途中

で修理・・・

バスのタイやが治るまで待って昼食のレストランへ

レストランに到着・昼食を食べてからあの島へボートで

行くらしい。赤道直下の島なのでガイドの案みたい・・

ナイフとフォークジュース昼食レストラン 海を見ながらの昼の食事時計15時

ナイフとフォーク食事はいつも選択出来て肉・魚・たこ 私はたこにしたけど

濃厚で美味しかったです。

ガイドが船が来てるというので行かなくてもいいと言った

人が何人かいたけどガイドが言うから船着き場へ

上のボートで救命具を着け20分、穏やかに見えるけど

外海なので少しは波がある、赤道直下の島ローラ島

レストランと小さなお土産屋さんがあり、赤道直下の記念碑が

建っているそうだけど、行かず・・・

島の中を20分歩いただけ帰りのボートに乗り込む

このボートに3人づつ座って12人乗り込む・・

そんなに距離はないのだろうが20分くらいであの島へ渡る予定

島と島の真ん中で船のエンジンがかからなくなり10分位

漂流、川ならまだしも海だから、船が通り人並み来たら

ひっくり返らないか心配で救助の船を待つこと15分

やっと来てくれて船は大きい方の船に乗り島へ島へ

1時間以上遅れて、ヘヤピンカーブの道をカーレーサーの

様な上手な運転でやっとホテルに着く。夕食はキャンセル

感動とトラブルとでこれがザ・アフリカ

トラブルを好む訳じゃ無いけど、秘境に行けば行くほど

観光化に慣れてないのでトラブル事が多い、その時は

嫌なんだけど後になったらトラブルの方が覚えているんですね。

話の宝庫になるので仕方ないかな・・

体験と知識に繋がると思えばよしとしよう・・

3/3(日)5日目

朝、昨日行けなかった村の見学があったけどホテルが

綺麗なのでパスしてホテルでのんびり・・ナイフとフォークジュース朝食

バス昼過ぎにホテルを出てサントメ島の空港へ

飛行機アフリジェットというガボン共和国の航空会社のプロペラ機

で1時間ほど乗りガボン共和国の首都リーブルビルへ

↓国際線なので1時間でも一応食事は出ます。ツナサンド

↓ガボン共和国が見えてきました。

ガボン共和国着 空港

        ガボン共和国③

<アンゴラ・サントメ・プリンシペ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国

3/3 5日目

ガボン共和国 基本情報

面積:267667㎢(日本の約3分の2)

人口:239万人(2022年)

首都:リーブルビル

言語:フランス語

宗教:キリスト教、伝統的宗教、イスラム教

略史:1960年仏から独立・独立以来内戦や

紛争は経験していない。

ガボンは、国土の8割が森林地帯で人口密度も低く、

手付かずの自然が多く残っており、石油などの天然資源

にも恵まれ1人あたりの所得がアフリカの中でも

最も高い国の一つで赤道直下の国。1839年にフランスの

植民地になり公用語はフランス語。1960年に仏から独立
森林と野生動物を保護する為、13の国立公園を設定の自然大国

有名な人物はアルベルト・シュウバイツァー博士。

彼が医療活動を行っていたのは1913年~1965年に没する

までガボンのランバレネの診療所で診療活動を続けた。

彼の建てた診療所はガボンを代表する病院になっており

建物もそのまま残され博物館になっている。

 

飛行機を降り入国審査に向かいます。

VIZAに2時間近く待たされホテルヘ

ホテルに着いたのは21時過ぎ食事は部屋で食べた方も・・

寝るだけの1泊だったので小さな部屋でしたがバスが付いてた。

3/4(月)6日目バス朝食を済ませホテルを7時半出発

今回は8名なのと大型バスが少ない為、中型バスで観光

でも車はトヨタ  トヨタはどんな国でも走ってますね。

朝は渋滞 ここでも日本車は人気

ガボンは、石油、マンガン、鉄等の鉱物資源及び良質の

森林資源に恵まれ、2010年においてはGDPの46.4%を

石油産業が占め、アフリカ諸国中、最も所得水準の高い国の

1つとなっている。しかし今、石油の枯渇が言われていて

他に資源を求めている。

首都リーブルビルの市内観光  ・マーケット

ガボン共和国は旧宗主国のフランスの制度に倣い6歳から

12歳の6年間、中学4年間、高校3年間で高校1年まで

授業料は無償

授業は月~土曜まで7時半~午後1時15分までで高校2年3年は

午後の授業が週3回あるが、他の学年は午後は無いそうです。

日本のマンガやアニメも人気なんだそうです。

↓サン・ミシェル・ド・ンケンボ教会

1949年、サッカー場の跡地に建設された教会は、

ガボン特産のオクメの木をふんだんに使い、

24時間開いていてミサなどには3千人以上が集まるという。

↓木造建築で31本の柱に聖書のストーリーを基に

彫刻した柱が特徴的な教会

 

教会の敷地に・・

↓字が読めなくても聖書の内容がわかるようにと、

柱などの彫刻を施しました。

美しいモザイクや聖書の文言が刻まれている木の柱

↓教会内

↓木造建築

乗りすぎじゃないの・・

国立芸術伝統博物館は、2019年2月にできた博物館で

ガボンの人々は精神的なものを大事にしており、伝統的な

信念として自然と来世に焦点を当てた生活をしていることが伺える。

 

ガボンの遺跡品やお面などを見学

 

 

 

ガイドさん曰くガボンは見学する所が多いのにどうして

1日なんですか・・ほんともう少し長く見たかったです。

 

 次の国 コンゴ共和国へ

        コンゴ共和国④

<アンゴラ・サントメ・ペリンシペ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/4(月)6日目 コンゴ共和国へ

↓アフリジェットでコンゴ共和国へ2時間のフライト

コンゴ共和国入国

面積:34.2万㎡(日本の0.9倍)

人口:5835万人(2021年)

首都:ブラザビル

民族:コンゴ族、チケ族、ンボチ族など

言語:仏語、リンガラ語

宗教:キリスト教、イスラム教

略史:ポルトガルによって16世紀に属領化された後、

19世紀のベルリン会議でコンゴ共和国はフランスの植民地に

約80年のフランス植民地時代を経て、1960年に仏から独立。

サトウキビ・キャッサバなどの自給自足農業国、近年海底油田が

開発され、輸出の85%を占める様になり潤っている国。

バス入国後、ホテルヘ

ホテルは三つ星ホテル

部屋はスーペリアで広いけど、でもここはコンゴ

水のトラブルもあったみたい・・停電は何回もあり・・

ホテル中庭・・スーパーがホテルから3分の場所にあり

何回もジュースや食品を買いに行きましたが日本と値段が同じ

3/5(火)7日目 バス予定はコンゴ民主共和国に入国のはずでした。

日程が変り、コンゴ共和国の首都ブラザビルの市内観光

アフリカ大陸の心臓部にあたるコンゴ盆地、そこに流れる

アフリカ最大の流域面積を誇るコンゴ川。この大河

を挟むように広がるのがコンゴ民主共和国とコンゴ共和国。

船で6分で渡れるのに、後、2名だけ入れない事を告げられる。

ブラザビルは、フランスの探検家ピエール・プラザが

この町を発見して自身の名を付けたのだそうです。

VILLEはフランス語で、日本語では「街」という意味。

独立以前はフランスの植民地でした。公用語が仏語

↓ブラザビルの街の象徴の高層ビル・ナベンバタワー

独立当初フランスの石油会社エルフが建てた国で最も高かった

高さ106mで1990年2/3日に竣工した国内最高の

タワーで30階まである。”ナベンバ”というのはこの国の

最高峰ナベンバ山の名前をとったもの。

コンゴ共和国の首都のブラザビルは映画「カサブランカ」の

 ラストシーンでは, 主人公のハンフリー・ボガードが

ブラザビ ルに身を隠すように勧められている都市。

↓タクシーはグリーン色、コンゴでもトヨタ車

↓像は自由の女神に似た「自由の像」

↓アフリカの偉人達の胸像通り

 

↓カメルーンからきたガイドさん、いつもハイテンション

何かのお祝いで同じTシャツを着て集まってました。

↓聖アン聖堂

1943年~1949年にフランス人建築家ロジャー・エレルに

よって建てられた、緑の屋根が特徴的なヨーロッパの建築技術

とアフリカの文化風土を融合させた建物

緑のタイルを使用し、槍の穂先のような形や貝をかたどった

形の外観はコンゴ伝統のもので、とても美しく前衛的な

彫刻物のよう。

 

↓教会の正面

↓教会の中のアーチが綺麗

↓祭壇・正面奥上部にキリストの磔刑

↓お祈りをするキリスト教徒の女性

↓敷地の一角に、聖マリア様祈り場

↓附属庭園のマリア像、ただの公園でなく、”祈りの場”

 

ブラザビル大聖堂

ブラザビル大聖堂が建てられたのは、1887年中央アフリカで

1番古くに建てられたもの。このブラザビル大聖堂にある

マリア像は、コンゴ最大の彫像

↓教会のミサから帰る女性達

↓教会のミサに来たコンゴ共和国の女性達

 

 

↓カラフルなドレスに頭にはスカーフ

 

 

↓マリア様の周りを何周かすると願いが叶うんだそうで

この女性はひたすら回っていた。

↓1951年にフランス人が創設した画家養成所

「ペインティング・スクール」へ。木々が生い茂った公園の中の、

コンクリート造りの建物の、外廊下のような所で何人かの男性が

キャンバスを前に作品を制作中でした。

 

↓キャンパスに絵が描く男性

 

 

↓養成所の生徒さんの作品

バス画家養成所を後にバスで移動

↓ブラザ郷像と記念館

この町に自分の名前をつけたピエール・ブラザの像。

ブラザビルの名前の由来になったイタリア系フランス探検家

↓ピエール・ド・ブラザ郷の像

記念館

コンゴの国旗(中央)は独立国では唯一の斜め三分割の国旗で

 緑色は豊かな森林資源と未来への希望、黄色は鉱物資源と

国民の誠実さと誇り、赤色は若者の熱意を表している。

↓社会科見学に来ていた学生達

 

 

 

中へ

↓コンゴ共和国の歴史の絵図

植民地以前~植民地時代~独立以降のコンゴの歴史を

描いた壁画

↓フランスの植民地時代の絵図

↓「民芸品マーケット」へ

広くもない敷地に建つ1棟の中に、狭い通路が縦横に

通っていて、たくさんの店が並んでいました。

皆さん、明るい

↓アフリカらしい大胆な柄のバックや生地が売られていた。

↓1960年8月15日のフランスからの独立を記念して作られた橋

バス昼食はコンゴ川急流地区にあるレストランへ

↓アマゾン川に次ぐ世界第2位の流域面積を持つコンゴ川は

アフリカ8ヶ国を跨ぐ大きな川

↓5km先にはコンゴ民主共和国

コンゴ共和国に来たらサプールに会えたらいいのになあと

思っていたら、なんとガイドさんがサプールを呼んでいると

言われ「噓でしょ」と思ったけど本当に会えました。

サプールとは「おしゃれで優雅な紳士の協会」

「エレガントで愉快な仲間たちの会」ということになるそうです。

日本でもTVで「世界で一番服にお金をかける男たち」として紹介され、

「世界一お洒落なジェントルマン」という写真集も発行されたとか。

貧しくとも何カ月もの給料を費やしてお洒落を楽しむ紳士たち。

スーツをビシッとダンディに着こなして、平和を願う心を大切に

するのがサプール文化だそうです。待っていてくれました。

サプールと会える事はサプライズでした!

レストランに到着したら着飾ったサプール達がお出迎え

一年中気温30度を越す常夏の両コンゴにおいて1950年代から

1960年代のパリ紳士の盛装に身を包み、街中を闊歩する

スタイルのことである。高級ブランドのスーツに身を包み、

帽子と葉巻やパイプ、ステッキなどの小道具とともに歩く。

タキシードにシルクハットなどという装いのものもいる。

こちらは30℃以上で湿度も高い、おしゃれに暑さは関係ない

NHKのTVで見ていたので会えてびっくり!

サプールはコンゴでも有名で川で泳いでいた男子も見に・・

ナイフとフォーク赤ワイン昼食はこのレストランで・コンゴのビールを飲みました。

お肉だったので私はイタリアンに、そしてフルーツ

↓サプールのメンバーも私達と同じレストランで休憩

食事はされなくて飲み物だけ・・スタイル維持なのかな・・

私達もサプールを撮っていたら向こうも私達をスマホとカメラで

回し始めました。めずらしいのかな。日本人

と、思っていたら突然ステップを踏み始めました。

流石、アフリカのリズム

サプールの人達との楽しい時間を過し

お別れをして次の目的地へ移動です。

バスコンゴ川の急流を見に来て・・

コンゴ川を見てホテルヘ

明日はグレーのローランドゴリラに会いに・・・つづく

 

        コンゴ共和国3日目⑤

    ローランドゴリラに会いに行く

<アンゴラ・サントメ・プリンシペ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/8(水)8日目傘曇り太陽ローランドゴリラに会いに行く

車6時出発がガイドが遅れて6時半出発4WDで3台に分乗

早朝大雨が降っていたのですが、絶対止むと信じて車に乗込む

1時間走り休憩、

車線のない道を進んで行きます。

そして、またジャングルや草原を走り続け・・

朝食は車で走りながらパンとチーズと水

出発から3時間・・・サバンナを走り抜ける

サバンナを抜けようやく、ゴリラが保護されている保護区へ

140km車で走り、今度は少し歩く・・

歩く・・

橋を渡る・・サバンナの奥へ進んで行く

曇り雨もあがりよかったー!

ゴリラ・サンクチュアリ・ニシローランドゴリラの保護区

「レジオ・ルーナゴリラ保護区」を訪問。

希少な絶滅危惧種に指定されているローランドゴリラが

保護されている。日本では目にすることができない動物のひとつ。

2頭いました。グレーのローランドゴリラ

レシオルナ地域のローランドゴリラ

グレーのゴリラって初めて見るので面白いなと・・

でも、ほんとはオリの中に保護されているゴリラは

いまいちだなあ・・動物園みたいだものと思い・・

次は船で島にいるローランドゴリラに会いに行く。

船は雨で川の水が増水していて場所を変えた船着き場まで移動

途中、青の湖(レック・ブルー) 緑の密林に囲まれた

青い湖水をたたえた青の湖を展望台から望む。青いのかな

こちらのコテージでナイフとフォークジュースお昼と休憩を取りながら船付き場へ

川と船着き場が見えてきました。

奥地にいるアビオ地区のゴリラ保護区へ

時計13:40分に船に乗り込み、島にいるゴリラのもとへ

全員乗り込み、穏やかな川をゴリラのいる島に進みます。

 

5分くらいで島の前まで来ました。

 

ここでゴリラが出てくるのを待ちますがすぐに現れました。

ゴリラは一日2回食事をボートで運んで来るので、

ボートのエンジン音がすると対岸まで来るそうです。

来ました、木と木の間にいます。ゴリラは水が嫌いなので

船には近づきません。ちょっと安心です。

ズームにするとよくわかりました。いつもと違って

人が多いからびっくりしてるかも・・様子を見てます。

食べ物をくれるのがわかるのか立ち上がりました。

飼育員がバナナバナナを投げると拾って食べます。

バナナバナナが好きみたい

なんか私達を気にしている様子、おとなしいです。

飼育員がバナナバナナを渡そうとすると手を出します。

バナナバナナをゴリラに向かって投げました。

バナナ上手くキャッチ

なんかこっちを見てます。けっこう近くで見れます。

↓イギリス生まれの大人のゴリラ

飼育員が赤いくだものを投げたら食べてます。

 

食べるだけ食べたら帰っていきました。


こちらには地元生まれの子供のオスのゴリラが来ました。

孤児のゴリラなので自然な形で保護しているそうです。

バナナバナナを渡そうとします・・

 

バナナ上手に受け取れました。

 

胸を叩くあれをしてくれました。

木の上で寝てます。

子供のゴリラなので遊んでほしいのかも・・

 

私達もゴリラに別れを告げボートで岸に帰ります。

 

車2時間位かけてホテルに戻ります。

動物はあまり興味無いんですが、このゴリラツアーは

心に残るいいツアーでした。

信号がないのですが、この渋滞でも上手く動いてるみたい

ホテルヘ 夕食は中華料理でしたが私は夕食抜いてたので

部屋でゆっくりしました。今回はマラリアに注意しないと

いけないので肌を出さない洋服ばかりでしたが、意外に

心配するほど蚊はいませんでした。

 明日はコンゴ民主共和国です。入国が3日間ずれてた理由

がわかりました。コンゴ民主共和国の大使館の怠慢

ビザが取れてるみたいな事を日本の旅行社に伝わっていたので

安心してたのですが、コンゴに入り数人ずつビザがおりてきて

2名のビザが明日のコンゴ民主共和国観光に間に合わないと

言われ、不運にも私ともう一人の男性が入国出来ず。

こんな事が起るなんてびっくりでアフリカの仕事に仕方に

問題ありです。後で聞いたら半日遅れてビザが取れたそうです。

 しかし、日本のこのツアーの旅行社、旅デザさんの

ご厚意でもう一人の男性と希望を伝えたら、次の4月にたまたま、

2人共またアフリカ旅行だったので、その帰りに日本から旅デザさんの

添乗員がアフリカまで来てくれて3人でコンゴ民主共和国の観光を

してくれると言うのです。いやー、JTBやユー社や西社だったら絶対

あり得ない事、何%のお金返して終わりか、ビザがおりませんでした。

で終わりです。やはり旅デザで何度もツアーに参加していたのが

報われたのかも知れません。

   カメルーン共和国に続く・・・

旅行だったので

 

 

        カメルーン共和国⑥

<アンゴラ・サントメブブリンジ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/8(金)10日目カメルーン共和国へ

時計7:30ホテル出発・コンゴ4日間を経てカメルーンへ

アフリジェット航空でガボンのリーブル空港乗り継ぎへ

コンゴ共和国 空港

コンゴの川を最後に見て離陸、2時間のフライト

もう一度ガボンの空港でカメルーンへ乗り継ぎの為、待機

コロナ化の時、待合室から自由に移動出来なかったのが

今も出来ず、この待合室で5時間待機。食事も自由に

行けない為、添乗員がデリバーリーを取ってくれて

ケンタッキーのハンバーガーハンバーガーとジュースコーラで済ませる。

時計17:15分ようやくカメルーンの商業都市ドゥアラへ

1時間のフライトでカメルーン入国、ここでビザがパスポートの

真ん中に押される!去年パスポートを変えたばかりなのに

真ん中に押すかって!もう・・ちょっと不満 ホテルヘ

部屋はバスタブ付きで部屋にウエルカムフルーツが置いてあった。

カメルーン共和国

面積:475440万㎡(日本の1.3倍)

人口:2827万人(2023年)

首都:ヤウンデ

民族:バミレケ族,ファン族,ドゥアラ族,部族の数は250以上

言語:仏語、英語

宗教:カトリック,プロテスタント,イスラム、その他

略史:1854年独保護領、

1922年ベルサイユ条約による英仏の委任統治国

1960年仏領カメルーン独立

1984年に現在のカメルーン共和国になる。

※19世紀後半からヨーロッパの植民地、1960年仏領カメルーン

として独立、その後南北に国が分裂した時代を経て、1984年に

現在のカメルーン共和国に・・英国領と仏領に分かれていた

歴史から公用語は英語と仏語

3/9(土)11日目

時計7:30朝食を済ませホテル出発

カメルーンの商業の中心地ドゥアラへ市内観光ですバス

ドゥアラの街はパトリック・エムボマ、サミュエル・エトー、

ジェンバ・ジェンバなど多くのサッカー選手の出身地

電車がないのでバイクタクシーの街です。

↓3人乗りで傘があるのが主流

これで走れるなんて・・・すごい

ドゥアラの道端には無数の露店

何かのグループが揃って歩いていました。

郊外のリンベの観光

ワイルドライフセンター・ここはカメルーン国内で傷ついたり、

親とはぐれてしまった動物の保護をしているほか、

近隣の子供たちに野生動物の大切さ、乱獲しないように

教育をしているそうです。動物はオーランドゴリラ、

チンパンジー・マンドリルなど。

広い土地に園内はあり、保護された動物達がいます。

園内には動物に感染防止の為、全員マスクをして入ります。

動物の病院が園内にありました。

 

 

保護の大切さや動物の大切さを教えるセンターですが、

コンゴで野生のゴリラを見てきたばかりだったので

なんかオリに入ってる動物は私には動物園かなあ・・

 

 

 

 

 

 

園内を出たらお土産屋さんが店を出してました。

↓ヤシの木のプランティションが続きますがカメルーン山の

活火山が1999年の噴火で海岸手前約200mまで到達し、

プランテーションがかなり破壊されてしまったそうです。

ヤシの木のプランテーション

小高い山に登りカメルーン山(標高4095m)を見ようと登って

いたら学生に遭遇、外国人がめずらしいのか日本人が

めずらしいのか写真の撮し合いになりました。

みんな笑顔!

ほんと楽しそうで明るい

カメルーン山と溶岩跡を見に噴火の跡を少し登ります。

自然のパイナップルが・・・

4000mのカメルーン山は少し雲がかかっていました。

リンベ植物園・この植物園は植民地政策の一環として、

1890年ドイツによって開設され,123年の歴史をもち、

52haの面積。植物園開設の主たる目的は、有用植物や

薬用植物の持ちこみと育成。

現在では、植物のコレクションや調査などが行われている。

敷地には、コーラの木やアフリカパームヤシのコレクション、

ラタンの樹木園や薬草園などがあるそう。

ドイツの園芸家により建築された植物園でドイツがカメルーン

から撤退した時に放棄、その後しばらく管理されない時期が

あったけど現在は8㏊の広大な敷地に多くの植物が見られる。

 

 

ここでも学校の課外授業かな、学生さんたちと遭遇

学校6年間の義務教育は無償のため、小学校の就学率が84%

であるにもかかわらず、終了率は59%と低く留まっている。

何処で会ってもみんな明るい笑顔を返してくれます。

日本人ならこんな笑顔贈れるかな

カメルーンの人口の割合は20代30代が多く、平均寿命が57歳

若い人口比率なので将来性はあると思う。

 

 

↓植物園に併設された海が見えるレストランで食事

ナイフとフォークジュースレストランへ移動してビュッフェ・・

カメルーンのサッカーの愛称「不屈のライオン」がビールの絵

バスバスでドゥアラへ戻ります。

道路はバイクタクシーで埋め尽くされてる感じ

パラソルを開きお店もいっぱいで活気があります。

↓聖ペテロ・聖パウル大聖堂は、高い2つの塔が印象的な

大聖堂で、1936年に建築。白い外壁とアクセント的な

黒の屋根は、シックな佇まい。

キリスト教が人口の約40%、イスラム教が約30%、

アフリカの伝統宗教が約30%となっている。いろいろな種類の

宗教信者が混じり合っているドゥアラにも、

モスクや教会などさまざまな宗教施設が点在している。

↓正面の入口

↓教会内

 

ベル王宮・19世紀末にベル一族の王宮として建造された

ベル王宮は、目立つ左右非対称なデザインが特徴。

このユニークな外観は、建設当時にインドやアジア風の建物が

流行していたからともいわれている。

現在はフランス人オーナーのレストラン

 

広場で誕生日を祝っていたカメルーンの子供達

 

↓民芸品店を見て回る。

 

↓廃材で作った金属パーツの「新しい自由」というモニュメント

台座に「1914~1918」と刻まれた、第1次世界大戦の記念碑

カメルーンも連合国側としてドイツと戦ったそうですが、

その無名戦士を追悼するもの

 

ホテルに戻り、夕食はメンバーのリクエストで中華料理。

人数が少ないと食事のリクエストにも応えてくれるのは

嬉しいですね。イタリア料理や変化のある夕食だったそう。

  最後の訪問国 赤道ギニアにつづく・・

 

 

 

        赤道ギニア共和国⑦

         首都・マラボ

<アンゴラ・サントメブブリンジ・ガボン・コンゴ共和国

コンゴ民主共和国・カメルーン・赤道ギニア>7ヶ国15日間

3/10(日)12日目 赤道ギニア入国へ

カメホテルをホテルを時計10時出発、ホテルのお弁当を

持って空港へ・・しかしご飯なのに弁当にフォークが付いてない。

↓エチオピア航空で45分フライトで赤道ギニア着

VIP待遇?で係員に誘導され別室へ・・日本大使館もなく

最近、ビザが7万円だったとか聞いていたので75ドルと

聞いてほっとする。

赤道ギニア入国

面積:28051㎢

人口:167万人(2022年)

首都:マラボ(ビオコ島の北部)

言語:スペイン語,仏語,ポルトガル語

宗教:キリスト教,伝統宗教

略史:1968年スペインから独立

アフリカ大陸の中で唯一スペイン語が公用語で

首都が独立した島にり「ギニア共和国」と区別するため、

実際に赤道は通っていないのに近いからという理由で

「赤道ギニア」と国名をしたりするユミークな国、

1992年にビオコ島沖で油田が発掘されて以来、

マラボはギニア湾の石油拠点として急速に発展を遂げ

現在に至るまでマラボは石油ブームに沸いている。

なのでアフリカでお金持ちで最も裕福な国

1人当たりGDPはアフリカ1位、世界でも14位

 小国だけど、石油、天然ガスが経済基盤。

 

ビオコ島なので周りは海

 

 

バス赤道ギニアのビオコ島の観光

スペイン植民地時代の建物・ 大統領官邸はこの都市の

ヨーロッパの影響を証明する印象的な植民地時代の遺跡。 

これらの建物は、広いベランダ、高い天井、パステルカラーの

ファサードを備えていることが多く熱帯の暑さに対抗する為に

設計されたスタイル。

↓サンタ・イサベル大聖堂・赤道ギニアがスペインの植民地で

あった頃に建てられ、ヨーロッパの建築様式を随所に取り入れられた、

ゴシック様式の大聖堂。100年以上の歴史がある大聖堂は、

おとぎ話に出てくるお城のようなロマンティックなデザイン。

それでいて荘厳な雰囲気も醸し出している。

 

 

 

 

現在のマラボは石油の発見により富が流入し、

近代的な高層ビルや高級ホテルの建設、インフラの整備が

行われ、都市のスカイラインは大きく変わったそう。

アフリカアウシュ・ヴィッツ

ファン族出身のアシアス・ウゲマ大統領は、恐怖政治

とも言うべき強権的独裁体制を敷き、ビオコ島の多数派でもある

ブビ族の迫害・虐殺を行う。」1979年に甥のクーデターにより

崩壊するのだけど末期には政権の残虐性が露呈していた。

バスビオコ島にある首都マラボへマラボの街並み

街の中に入ると路上でお店を開いている人もいる。貧富の差

マラボの市内観光 中央市場

 

↓サン・フェルナンド大聖堂

 

 

 


↓ホテル着、予定のホテルは会議の為に使われると言うので

変更になった。

ホテルは綺麗

↓部屋は狭いけど海側でした。

ホテルの前は海

↓ホテルの前は教会

国旗の青は海を、緑は農業と天然資源を、白は平和を、

赤は独立闘争で流された尊い血を表わす。紋章に

描かれているのは神木パンヤの木。上部の星はそれぞれ

5つの島と大陸部のリオムニを表わし、

下部の文字は「団結・平和・正義」。

赤道ギニアはアフリカ大陸で唯一の旧スペイン領で

公用語はスペイン語で教育制度もスペインと同じ、

小6、中4、高2制。授業はスペイン語で行われ、外国語の

授業でフランス語か英語を学び、。兄弟は3人は当たり前で、

5〜6人も珍しくないという子だくさんのお国柄だそうです。

 

夕食は抜いていたのですが、今日は日本食でお寿司だから

行ったらと言われ、行ったら日本食レストランが臨時休業

予約もしてなくて「ええええ」。その後、夕食を何処に

行くか結局、ホテルで食べました。ナイフとフォークカルボナーラ注文

3/11(月)13日目時計朝食を済ませ9:30ホテル出発の予定が

ガイドが30分遅刻、アフリカは遅刻が多い!

出発時間とガイドの集合時間は同じでは駄目なようです。

今回のツアーは観光化されてない国が多かったので

大型バスもなく小型のバスで観光、すべてトヨタ車でした。

 

 

↓ここから赤道ギニア唯一の滝、イラチ滝ツアーです。

舗装された道を上るのかと思いきや・・・

まさかジャングルの中を入って行くとは思ってなかったので

みんなびっくり。ガイドは平坦な道だと言っていたので・・

道なき道みたいな所をガイドさんの後ろを歩いていきます。

でも、石段だったり滑りそうだったり大変・・

急な坂は現地ガイドが手を添えてくれ、みんな真剣

「あと何分くらい?」と聞くと「10分」アフリカの10分は

30分の模様です。山を下り更に下りる。足場が悪い所も・・

なかなか着かず、そのうち小雨も降ってきて・・

小雨は5分で上がったのですが川の石の上を歩くのに

現地ガイドが男女全員をお姫様だっこしてくれて渡る。

二度とないお姫様だっこでした。

現地ガイドさん、いったい何者?男性もだっこ出来るなんて

帰りも女性をおんぶして来た道登り戻ってくれました。

結局、霧でイラチ滝は見えず、時間が押しているのでさっさと

戻る。でも大きな滝でなくてよかった。

昼食のホテル、滝ツアーに行かなかった人が男性2名いたので

随分、待たせて昼食1時間半で帰るつもりが倍の3時間

ナイフとフォークジュースレストランで、魚、バナナの揚げたもの、サラダ

↓遅い昼食後、バテテの木造教会の見学

教会も修復中でした。夜はホテルに20時着、赤ワイン最後の晩餐

3/12(火)14日目時計朝食を済ませ11:30ホテル出発

↓マラボ国際空港が見えてきました。

デザインがおしゃれな空港

スーツケースを預ける前に全員がスーツケースを

開けさせられ、でもサッとみるだけ・・

赤道ギニアのマラボ発→エチオピア航空でアジスアベバへ

4時間35分 アジスアベバからソウル経由で11時間10分

ソウルでいったん下りて乗継ぎ2時間30分18時間かけて日本へ

成田着時計19:30分 15日間お疲れ様でした。

アフリカのまだまだ観光化されてない国ばかりだったので

小さなトラブルもありましたが、トラブルはトラベルに変るので

楽しい旅行になりました。

 

  次は4/8日~8日間 アフリカのジブチ・エリトリアです。(1人参加)

   私は今回入国出来なかったコンゴ民主共和国が+2日間

 

 

 

 


 

  モーリタニア、ガンビア、セネガル11日間①

    <モーリタ二ア・イスラム共和国>

2024.1/29~2/8  11日間

ツアー人数12名(女性8名、男性4名)

代金一人69.8万+ビザと燃油+14万で合計84万円

ツアー・・旅のデザインルーム社

トルコ航空でイスタンブールまで13時間50分

トルコ航空は指定された座席を変更しようとすると4500円かかる

ナイフとフォーク赤ワイン機内食は2回 和食を選んだけど好みでなく

食べなかったのでお腹が空いてきて後ろのギャレーに行ったら

おにぎりが置かれていたのでおにぎりおにぎり個食べる。

インタンブールで降りてから乗り継ぎ、モーリア二アの

ヌアクショットまでまた飛行機で7時間25分、時差は9時間

ナイフとフォーク7時間で2回の機内食、日本から4回目の食事、

焼きうどんは美味しかった。ジュースパンパンも美味しかった。

モーリタニアの首都ヌアクショットに到着、入国でビザを

取るのに2時間近くかかり市内観光に出たのは14:30分

モーリタニア基本情報

人口:465万人(2020年)

首都:ヌアクショット

宗教:イスラム教

言語:アラビア語・フランス語

面積:日本の3倍、90%以上砂漠

略史:19世紀末には南のセネガルを植民地化したフランスの

進出が始まり、1904年には全域が植民地化された。

1960年にアフリカ諸国が独立した年にフランスから独立。

民族:アラブとアフリカの文明が交わるところで

北部にアラブ系、南部にネグロイド系が住んでいる。

民族衣装;男性の民族衣装は「ブーブ」と 呼ばれる

体が隠れるほど の青地か白地の大 判の布を巻いている。

1/30  日本を出て2日目に入る

モーリタニアの首都ヌアクショットの市内観光バス

この国は砂漠が90%で観光する所も少ない為か

観光バスが2台しかないらしい。私達はセネガルから

来たドライバーとTOTOTAの4WDで5台に分譲し

市内観光へ・・ドライバーもフランス語しか通じない

時計15:30分 しかし、外は暑い30°位 ↓国立博物館へ

↓国立博物館内

60万年の歴史を持つモーリタニア。国立博物館には

石器や土器の時代から、現在に至る遊牧民の暮らしなどの

展示がされている。楽器や民族衣装、装身具、生活道具など

遊牧民の生活品コーナーと、矢じりや石器など古代の

遺跡コーナーと2つに別れる。日本政府からの支援で

内部が充実したものの、国立博物館と呼ぶにはちょっと

小さいかも知れない。

モーリタニアの歴史の調度品が展示

 

 

国立博物館を出て市場

 

市場で売られているもの

 

 

サウジ・モスクの外からの見学

ヌアクショットの中心部に高くそびえる2本の尖塔が

とてもシンボリックな大モスク、サウジアラビアの

出資によって建設されたサウジ・モスク

ムスリム(イスラム信者)以外中には入れない。

ビルの上から見学

 

漁港(友好の港)

首都からたった5kmなのに砂丘の向こうに海が広がってくる。
ペシェの港は広い砂浜の一角にある。
港といっても、砂浜。水揚げされた魚を取引したり

冷凍したりする建物があるだけで、他に建造物は何もない。

モーリタニアは海産物の主要輸出国で特にマダコは、

日本で消費される量の3分の1がモーリタニア産とされている。

漁の帰りを待つ人々が遠くに・・・

1960年フランスから独立後、何の主要産業もないこの国

を救ったのは日本でした。日本政府と水産庁がJICAと協力して

中村正明さんを派遣し、海があるのに水産業をしてない

事に目を付け漁業を推進することに・・しかし蓄産業しか

やってこなかった国民はまったく気が進まなかったが

ある日、真たこが壺にかかっていたことに目を付け

遠い漁まで行かなくて近くで壺を設置しておくだけの

漁を進め日本が船やその他のかかる道具を用意したら

1年100億円の水揚げになった。80%が日本輸出用で

今まで月7千円の賃金だった国民は数倍の所得に繋がった。

中村さんはモーリタ二アで知らない人はいないほど有名に

なり、国から勲章ももらった。東日本大震災時には

モーリタニアの国民から4570万円もの寄付が届いた。

 

真たこの漁をしているが、国民は食べない。

魚もあまり食べなくて羊や肉が主流の食べ物

漁を待つ人々

 

漁港の市場 ここで魚や真たこが取引される。

日本とモーリタニアの漁業の協力の碑

同港における検査場の新規建設、魚市場の改修、検査機材の

調達を支援しました。同市場の衛生環境の改善を図り、

水産物輸出の安定的な発展に寄与しました。10億円の日本の支援

↓「CASA BLUホテル」モーリタニアの4つ星ホテルに到着

ここからがアフリカの中のアフリカタイム

18時頃にホテルに着いたのにフロントに誰もいない。

しばらく誰も来なくて部屋の準備も出来ていない・・

そしてようやく誰か来たらスーパーで買い物をしてきた

料理人、↓フロントで待つこと1時間かかりチェツクイン

部屋はくじ引きで決められ3階に階段で上がって行くと

「えっ!この鍵何処に入れるの?」わからないので聞きに

行くと長方形の右下の5mの幅に鍵の差し込み口が隠れている

これは誰もわからないでしょう・・不思議なドア

部屋は比較的綺麗だけど、ハンガーがない。タオルも1セット

そして夜、蚊の鳴く声がしたので買ってきたベープを付けるけど

V数が合わず蚊は死なない。添乗員さんに言ったら蚊のスプレーを

部屋中に吹いてくれたけど2日間蚊は死ななくて寝不足

次の日、バスで笑いが聞えると思ったらこのホテルの話題

ネズミが走ってたとか、カーテンを開けたらドサッと落ちたとか・・

部屋に電話はあるけど線が切れてる。モーニングコールは

添乗員さんが回って声かけ・・・大変だあ・・ザ・アフリカ

でも笑ってられるからまだ余裕

夜の食事はナイフとフォーク赤ワイン20:00時、待っても出てこない

出てきたのは21:00 鯛の魚とポテトとサラダ

あまり食べたくないので部屋へ帰ろうとしたらデザートの

バナナやオレンジをどっさり持った女性と遭遇してもらって

部屋へ・・・この国は時間を守る概念がない国だと言っていた。

1/31 時計7:30 次の日の朝食ナイフとフォークジュースパン

テーブルで待っていると運んで来てくれました。

オムレツにカフェオレにヨーグルト、オレンジジュース

パンが山盛り5つ いくらクロワッサンが美味しいからって

5つも食べれる?笑ってしまった。でも美味しかったです。

時計8:30にホテルを出発 4WDを5台に分かれて3人づつ乗車

30分しないうちに停止するのでどうしたのかなと思ったら

4号車にタクシーが軽く接触したらしい。相手が悪いので再出発

渋滞していたのでスピードも出てなく怪我もなく幸い

↓ドライバーさん達 フランス語しかわからないので話が出来ない

この国は荷物を運ぶのはロバが主流

沢山のロバの配達を見ました。

片道158km数時間ひたすらこの道を走ります。砂漠ドライブ

砂の微粒子が飛んでいるのでこの様な感じ・・窓も開けられない

途中砂漠で休憩

モーリタニアの90%が砂漠

私達の車だけ・・時々、村が存在します。

ドライバーさんがフランス語しかわからないので会話が

成り立たず、車内ではずっとメンバーと旅の話に盛り上がる。

でも、ダライラマNo.1と言ったら喜んでくれていた。

町の中に入り 道に迷ったのか渋滞なのか所々で車が停止

 

モーリタニアの女性 イスラム教なのでこういうスタイル

19世紀よりイスラム教の中心地。フランス領時代に建設された

城塞、初代大統領クタル=ウルドの生地プチリミット

高台に城塞跡

高台からみるプーティリミットの街並み

ベルベル族の定住策で作られた約3千人が暮らす街

遠くは砂漠です。砂の粒子で霞んでいる。

 

 

昼食のテントの前にロバがおとなしくいました。

ナイフとフォーク昼食はテントでの食事です。

食事は羊とごはんとパン こちらの食事あまり食べずにパンだけ

その後市場の見学 と言っても素朴なマーケット

↓地元の子供達

 

 

モスク

車車で再出発 車窓には少しだけ砂丘が見える

こういう砂丘に行くのかと思いきやUターンしてホテルヘ

 

その後、ホテルヘ   続く・・・

 

 

 モーリタニア・セネガル・ガンビア11日間②

  <セネガルに入国サン=ルイ島へ>

2/1  4日目 時計8:00ホテル出発 セネガルへ

4WDで237kmを国境のセネガル川に造られたディアマ・ダム

を越えセネガルに入国するために走ります。

 

馬やロバが道路を走っている。

舗装された道路はここまででこれから酷い道へ

車窓は砂漠に民家

いろんな動物と遭遇します。

 

途中から酷いガタガタ道になり、飛びはねながら100km

ドライバーさんとはセネガルの国境まで・・お礼に扇子と

4色ボールペンとお菓子を渡したら、ペンにハートのバルーンキスをして喜んで

くれた。こんな物でもこんなに喜んでくれるんだ・・・

国境に差しかかると係員が賄賂を要求、途上国あるある

時計13:00セネガル国境到着 国境では写真はNG

時計14:00セネガル入国 橋をスーツケースを引っ張って

渡らなければいけなかったがここでも賄賂でバスで入れた。

途上国は全てお金次第

セネガル:基本情報

首都:ダカール

人口:1732万人(2022年)

言語:フランス語,ウォルフ語

宗教:イスラム教,キリスト教

略史:1443年にポルトガルの艦隊がセネガル河口に

辿り着いたのを機に始まり、ポルトガル人が海路貿易

の主要地となるゴレ島に定住したとされその後、

オランダ人,イギリス人やフランス人が現れ、

金、象牙や奴隷の交易を目的とした海岸地帯の

要衝地の奪い合いが続いた.が1815年から

独立の1960年までフランスの植民地となる。

首都のダカールはかつてのパリ・ダカール・ラリーの

終着点として知られている。

バスバスで昼食に向かったがバスのドライバーが昼食場所を間違え

1時間のロスタイム 着いた時間16;00で川のほとりでランチ

昼食は16:00 サラダとメーンは肉だったかなあ、あとケーキ

バスが間違えたのでバオバブのジュースとビールの無料提供

今日もアクシデント 数100km離れた所からバスの

ドライバーさんは来てるので道も間違えるよね。めったに

観光客のバスツアーなんてないし、レストランの看板さえない。

今回のメンバーは170国、160国、150国、140国行ってる

つわ者どもだから、ちょっとやそこらで怒らない、余裕の顔

ランチを食べて18:00~19:00ジュッジ国立鳥類保護区で

バードウォッチング 船に乗り込み出航

世界遺産:ジュッジ国立保護区

渡り鳥の楽園です。毎年冬を越すため、ヨーロッパや

東アフリカから300万羽もの鳥が集まって来るそう。

水面を漂う大群はもちろんのこと、空に向かって

一斉に飛び立つ姿は圧巻の一言だそう。広い公園内には

モモイロペリカンやオオフラミンゴなど鳥類のほか、

イボイノシシやガゼル、ワニなど様々な動物が生息しており、

車や小舟に乗ってサファリを楽しむことが出来る。

1981年にユネスコの世界自然遺産に登録されました。

渡り鳥の楽園で300万羽の渡り鳥が飛来する

セネガル河デルタに広がる15000ヘクタールの沼や湿地

もう少し鳥類が見れたらよかったけど

モモイロペリカン

 

 

シラサギ

 

蓮が一面

 

夕陽が落ちる時間になってしまいました。

鳥が・・300万の渡り鳥は見えなかったけど・・

この後、バスでホテルヘ いつもはベンツ社など高級バスが

多いけど、ここはアフリカ このバス中国製で座席が高い為、

フロントの景色が背伸びしないと見えない、中国製あるある

バスで64km走り植民地時代の首都サン・ルイへ

時計21:30にサン・ルイのホテル着、ホテルはサン=テグジュペリの

小説のモデルとなったジャン・メルモーズやパイロットの

定宿だったよう。鍵も飛行機型だった。

時計21時半と遅いので添乗員さんが夕食はBOX弁当に変更。

エビやイカのシーフードと魚、ライス、フルーツの弁当

部屋はくじ引きで、私達は4階、階段で迷路の様な廊下を歩く

部屋の前の廊下はブーゲンビリアの花が咲き乱れて綺麗

部屋の窓からも綺麗に見れる

部屋へやっとたどり着く。全てシャワーのみ お湯が出るかな

2/2 5日目ナイフとフォークパンコーヒー朝食 レストラン

1930年にサン=ルイからブラジルのナタールまで南大西洋横断飛行

に成功したのがフランスの飛行家ジャン・メルモーズで彼の

サハラ砂漠での不時着と生還はサンテグジュペリの小説の題材になった。

郵便飛行パイロットの宿舎だったので飛行機関係の写真が沢山

フランス領だったので朝はパンとカフェオレのみの朝食が多い

バオバブジュースが置いてあったので飲む。パンは美味しい

ホテルの前は本土と島を結ぶサン・ルイ島のフェデルプ橋

7つのアーチが連なった大きな橋は全長507mで幅は10.5m

元々はハンガリーのドナウ川に架けられる予定だった。

橋の麓にはブラックマリア像を彫刻した木が立っている。

セネガル本土から橋を渡って世界遺産のサン・ルイ島

セネガルの植民地時代の首都サンルイ

サンルイ島(世界遺産)

ヨーロッパが建設した西アフリカ最古の植民都市。

17世紀にフランスの植民都市として誕生し奴隷貿易の

拠点として栄えたこの街は、フランス領西アフリカの首都

という輝かしい歴史を経た異国情緒漂う観光都市。

フランス統治時代の雰囲気を残しつつもイスラムの建築物が

並ぶ街並みは、首都ダカールとは異なりカラフルなのが特徴。

世界遺産「サン=ルイ島」は、のんびりした雰囲気が漂う

南国リゾートのような島。かつて大西洋三角貿易で繁栄した

この街には、木のバルコニーが付いたコロニアルな建物が並ぶ
今でも街中には彼が執筆のために滞在していたホテルが

残されており、小説にも登場するバオバブの樹をあちらこちらで

見ることができる。

流石にセネガルは活気がある。朝の通勤・通学に遭遇

2004年にセネガルの義務教育は6歳から16歳までの10年間で

無償、学校で日本史や空手、俳句を学ぶ機会があるそうです。

学生さん、ピンクと赤のジャージは制服なのかな

時計ホテル出発は9:25分 徒歩でサン・ルイ島の観光

 

 

カラフルな色のバス 

 

 

1828年に建設され、西アフリカで最も古い教会と言われる。

フェデルブ橋

パリのエッフェル塔を作ったギュスターヴ・エッフェルの作品

↓現存する世界最古の蒸気クレーンで1880年に、フランス政府が

セネガル川沿いの街(マリ)とニジェール川沿いのバマコを

繋ぐ鉄道建設を許可し、サン=ルイに14トン近い貨物を

持ち上げられる装置が必要となり、1883年この蒸気クレーンが

設置された。1954年までの約70年間使われた。

 

 

一度ホテルに戻りバスバスに乗って見学

 

 

 

 

 

 

選択のオンパレード

漁業が盛んに行われる漁師の街なのですが、

その船がとてもアフリカンアートな感じ

船がアートに描かれている

 

↓フランス統治時代に建てられた 木のバルコニーが着いた建物

↓フランス統治時代に建てられた西洋建築

 

 

昼食後バス210km走り 湖面がピンクに染まるレトバ湖へ

↓水の貯蔵施設

↓モスク

車窓はマダガスカルよりバオバブの木が生えており写真stop

街中に入ると渋滞しており、車やバイクや入り乱れて入ってくる

信号がないので渋滞すると少しでも車間距離が開いていると

入ってくるので前に進まない。30分位動かないのでどうしたのかと

思いきやバイクと車の事故に遭遇、でも倒れていても知らん顔で

すり抜けていく。らちがあかないので添乗員がバスから降り

交通整理、丁度オレンジのチョッキを着ているので現地の

人は手さばきに車が動き渋滞は緩和されバスが動き出す。

添乗員さんはその交通整理の上手さに現地の人に握手を求められる。

やっと救急車とパトカーがきた。遅い・・

予定のレトバ湖は時間がなくなり明日に回しホテルヘ直行

時計19:10分ノボテルホテルに着いたら予約なしと言われたらしい

こんな事は流石に初めて、でも部屋が取れてよかった。

20:00に部屋へ  4つ星ホテルなので綺麗でしたけど

冷蔵庫が壊れていて変えてもらう。なにかとアフリカだ。

夕食は20:45ナイフとフォークジュース段々とメンバー全員が揃わなくなってきた。

お腹の調子や体調を考え夕食や食事を控え出す。

夕食はビュッフェ

2/1  4日目 今日もトラブルが続く、アフリカの中でもまだ

観光化が進んでいない為や時間にルーズなのがアフリカ人