飛行機中央アフリカ7ヶ国15日間①飛行機

   <アンゴラ共和国>

<アンゴラ/サントメ・プリンシペ/

ガボン/コンゴ共和国/コンゴ民主共和国/

カメルーン/赤道ギニア>7ヶ国15日間

2024年2/28~3/13の15日間

ツアー人数→8名

ツアー代金→1人169万8千円+

ビザ7ヶ国13万円+燃油9万と

1人部屋24万円=合計215万円

旅のデザインルーム 

今回は1人でツアー参加

1日目2/28(木)  飛行機成田発 

エチオピア航空アジスアべバ

乗継ぎでアンゴラ

ナイフとフォークコーヒー機内食はチキンカレーを選ぶ。

いつもキムチ付き。韓国経あるある。

ナイフとフォークカクテル牛肉か魚で魚をチョイス

オムレツかパンケーキナイフとフォークコーヒー

韓国の仁川空港でいったん機内から

降りて保安検査を受けてまた再搭乗

しなければならないこの面倒さ・・

エチオピア航空はアフリカへ行くと

よく乗りますが久しぶりに乗ったら

偶々古い機体だったのか私の席は

電気は付かないリモコンは壊れてる

ブランケットはみんなしわしわで

16時間も乗るのに大変と思っていたら

このルートだけで後の飛行機は新しい

機体で壊れ物なし。よかった。

成田→ソウル2時間40分 

ソウル→エチオピア13時間15分

↓エチオピアのアジスアベバ着 

アフリカではエチオピアが一番

飛行機の乗り入れが多いので空港

は人が多いです。

航空機を乗り継ぎ

アンゴラの首都ルアンダ

↓バスに乗って飛行機へ・・

外からタラップで機内へ乗り込む

↓4時間45分のフライト・

ここでも機内食ナイフとフォーク夜から4食目

アンゴラの飛行機で空港に到着

タラップを降りバスに乗り入国審査へ

 

飛行機アンゴラの空港

アンゴラ共和国

面積:129.7万㎢(日本の3.3倍)

人口:3780万人(2024年)

首都ルワンダ(908万人)

民族オヴィンブンド人が37%,

キンブンド人が25%,コンゴ人13%

言語:ポルトガル語、その他

宗教:カトリック(41%)他

略史:1483年ポルトガル人が到達

1975年アンゴラ人民共和国の独立宣言

独立後も2002年迄,内戦が続き20年間

続いた内戦の為,1千万個を超える

地雷が敷設されている。

2日目2/29アンゴラの首都

ルアンダの市内観光へバス

2002年アンゴラ内戦終結後は

ダイヤモンドや原油の輸出によって

アンゴラ経済は急速に回復をした。

アンゴラは2013年には世界で最も

物価が高いと言われた。しかし

2014年国際的な油価の下落の影響を

受けて経済は急激に悪化,その後

コロナ禍を経て政府は財政立て直し

油依存型経済から脱却を図るべく

産業の多角化を進めている。

アンゴラは女性が強い・象徴の像

↓ポルトガル帝国から独立宣言をした

独立広場に建つアンゴラ初代大統領

アンゴラは石油やダイヤモンドを

はじめとした天然資源に最も恵まれて

いる国の一つであるにも関わらず,

それらの富の大部分は一部の政治的

経済的権力層に支配され,一般の人々に

その恩恵が行き渡ることはなかった。

なので貧富の差が激しい

↓独立宣言をし拳を握りしめる

 初代大統領の銅像

アントニオ・アゴスティニョ・ネト

(1922年 - 1979年没)革命家

油田からの産油量が急速に増加し

アフリカ第2の産油国に。石油の

採掘後に物価は上がり一時期,世界でも

有数の物価高になる。

アフリカとは思えない近代的な

ビルが建ち並び街は綺麗でした。

貧富の差が激しいアンゴラ・物価も

高い

 

鉄の宮殿(エッフェル設計)

エッフェル塔が完成した1889年の

翌年にフランスで建造が始まり

その後,船でマダガスカル島に運搬

される.途中,アンゴラ南部のナミベ州

の沖合いで座礁し引揚げられて

そのままアンゴラに残された。1961年

のポルトガル統治時代迄,この宮殿は

ルアンダの社交場として栄え絵画の

美術館にもなる。

↓エッフェル設計

「鉄の宮殿」

錬鉄構造・金属のフィリグリーの装飾

フィリグリーとは金や銀を糸の様に

細くして繊細な手作業によって巻い

たり編んだりし溶接して模様を作る

金細工の技法の一つらしい。

こういう模様がフィリグリー

 

サン・ミゲル要塞(軍事博物館)

ルアンダ湾を囲む砂嘴の付け根に

聳える真っ白な要塞。1575年に

築かれた。ルアンダ湾を守るこの要塞

では17世紀中頃にはポルトガルと

オランダ,ブラジルとの間で攻防戦が

繰り広げられた。

ルワンダ湾を囲む丘の上に立つ

サン・ミゲル要塞

他国から天然の良港である

ルワンダ湾を守る目的で建てられた。

1576年に完工したポルトガル

植民地時代の要塞.奴隷貿易の主要な

玄関口ともなりました。

17世紀の中頃,ポルトガルやオランダ

ブラジルなどの間で攻防戦が繰り広げ

られた際には,この要塞が活躍

17世紀のアンナ・ウジンガ女王の像

ンドンゴとマタンバ(今の北アンゴラ)

のキンブンド王国の女王であった人物

アンゴラでは,抵抗と独立の象徴的な

英雄として扱われている。

社会科見学のアンゴラの子供達

 

子供は何処に行っても

手を振れば返してくれます。

明るい子供達

サン・ミゲル要塞の中に

中へ入ります。

ここからサン・ミゲル要塞

要塞は16世紀に建設され,オランダ

ポルトガルなどの統治下で徐々に

現在の形に近づいていったそう。

20世紀に入ってからは一時博物館に

なったが,1961年には博物館の

コレクションは全て撤去されて再び

軍事拠点としてポルトガル軍司令部が

置かれた。そして独立後の1978年

軍事博物館となっている。

 

↓アンゴラの国旗は赤と黒の2段に

なっていて赤は植民地時代の抑圧,

独立への戦い及び国家の防衛で

アンゴラ人が流した血を象徴し黒は

アフリカ大陸を象徴する。

アンゴラ解放人民戦線の旗に,農民を

象徴する農耕用ナイフと工場労働者

を表す歯車を加えた。星は社会主義を

表している。

 

↓バスゴ・ダ・ガマや様々な

英雄達の像(ポルトガルの偉人像)

独立戦争が勃発してまもなく当時の

ポルトガル政府が破壊行為などを恐れて

急遽,要塞へ運び込ませたのだそうです

が,緊急配備できる機材が限られていた

こともあり,4~5等分に切断した上で

運び込まれたものもあります。

 

テント状の屋根の下には独立戦争で

実際に使用された車両や大砲などが

展示されています。

軍事博物館(独立戦争博物館)

当時使用された武器や拷問器具の他、
戦争の生々しい写真などが展示され

飛行機ヘリの残骸なども展示

 

 

 

 

ポルトガルの植民地だった名残で白

とブルーの美しい絵タイルが飾られ

ている。そのモチーフにキリンや

ライオン,イボイノシシなどの野生動物

が描かれているのもアンゴラぽい

長い年月をかけて復元されたもの

↓アズレージョン(絵タイル)

アンゴラの国獣でもある
ジャイアントセーブルアンテロープ

 

博物館から外に出ると・・

丘の上にある広い敷地の要塞

テントの戦車はポルトガルからの

独立戦争で戦ったもの。

要塞の上に大砲がルワンダ湾に

向けられてました。

要塞の上を歩きます。

要塞の周りを歩いて見ると

綺麗なルワンダ湾が見えます。

内戦によって農業や製造業などの産業

が壊滅的になった事から,食料や資材

などのあらゆる物を海外輸入に頼る

事となりその為,世界的に物価が高い

 

埋め建てて湾岸が整備されて

いるので綺麗

高台にある要塞からはルワンダ湾

とルワンダの街並みを一望する事が

でき,絶景スポットとして観光客に人気

1975 年のポルトガルからの独立後

政府と反政府勢力間で内戦が起き

2002年迄の27年間にわたり内戦

続いた

バス、要塞を見学後

湾岸エリアを走ります。

独立後,埋め立てられたビーチ

ルワンダ湾はビーチになっており

海水浴が出来る浮き輪

バスバス停

 

水着なんかも売られていた。

アンゴラは16世紀からの長い年月

ずっとポルトガルの植民地下にあった

国だった為首都のルアンダは1575年

にポルトガルによって建設された港町

 

小さい時から頭に乗せて歩いている

ので姿勢がいい

↓27年の内戦で経済は疲弊したが

沿岸部の石油と内陸部のダイヤモンド

など豊富な鉱物資源に恵まれており

経済的潜在力は高い.特に石油は

サハラ最大の産油国

 

何だろう,ロケットかな

↓ロケットかなと思ったら霊廊

初代大統領ネトの霊廊

初代大統領アゴスティーニョ・ネトの

功績を記念して建造。巨大な塔の外観は

ルアンダのラウンドマークになっている。

ルワンダの国会議事堂

↓綺麗なサーモンピンク色の

 国会議事堂

とても綺麗です。

サーモンピンクの色の建物が沢山あり

何故ピンクなのかと聞いたら

政府関係の建物はこのピンク色

なんだそう。色の意味はわからない

↓政府系の建物

↓街の中のオブジェ

 

↓国立銀行

↓ルワンダの駅

バス

ホテルヘ入る前にスーパーに寄る。

品揃えはいいけど物価は高い

 

日本と変らない値段

 

高層ビルも多い

 

ここがアフリカって感じには・・

ホテルは4つ星ホテル 

スカイナ・ホテル・ルワンダ

広い、スーペリアの部屋。

物価が高いのでスーペリアだと

1人朝食付き4万円はするそう・・

角部屋

部屋からの景色 

ナイフとフォーク夕食もホテルでコース料理でしたが

疲れてたのでパスして部屋で1人のんびり

ホテル部屋から