リベリア共和国と4国11日間⑥
7日目11/13 <モンロビア市内>
モンロビア市内の観光
リベリアの首都モンロビアの観光
アメリカの解放奴隷を中心にリベリアは
建国された為,最もアメリカと結びつきが強い国
マゾニック寺院は1867年にアメリカ植民地教会
の支援を受けて建てられた。軍事クーデターが
起きるまで政治に使われていたが,リベリア内戦
の影響を受けて倒壊し廃墟となってしまった。
フリーメイソンのリベリア支部
ワシントンニュートンや高須クリニック院長や
鳩山由紀夫も会員だそうです。
現在は復旧が進み,建物の一部は再び使用されている。
アフリカ唯一のフリーメイソンの建物でもあり,
モロンビアの街並み
↓タクシーはオート三輪
日傘をさしたバイクタクシー
カメルーンでもこの日傘のバイクタクシーを
よく見かけた。
↓ドゥコールホテルの看板リベリア共和国の首都
モンロビアはリベリア最大の都市で政治や経済の
中心地。1989年から2003年にかけて2度の内戦を
経験してきた。現在は復興の途中にあり,
内戦の傷跡を残すホテルも点在。
1960年代のリベリアは日本に次いで二番目の
高い経済成長率を誇り,当時はアフリカ諸国の
中で最も発展していた国一つだった.その証に
高級ホテルがある↓廃墟のDucor Hotel(ドゥコール)
1960年代に建設された首都・モンロビアの丘の
頂上に立つ8階建ての5つ星ホテル,
デュコール・ホテル。1989年に内戦の為,
閉鎖される迄は西アフリカ随一の評判を誇り,
数々の要人やセレブリティが訪れたという。
当時はアフリカ全土でも数少ない5つ星ホテルの
1つだった。
1989年から2003年まで約14年間続いた内戦の為,
ホテルのありとあらゆるものは略奪・破壊され,
内戦後は多くの違法居住者がここに住み込んでいた。
2008年にリベリア政府はこのホテルのリノベーションを
リビア政府に委託する事になり,カダフィ政権の元で
プロジェクトが進められたが,2011年にカダフィ殺害を
受けて,このプロジェクトは頓挫した状況となっている。
廃墟のドゥコール・ホテル
小山を上がると美しい海が見える
↓モンロビアは大西洋に面して海
ドゥコールHの反対側にあるリベリアの
初代大統領のジョセフ・ロバート像
リベリアでは建国以来アメリカからの帰還者
(Americo-Liberian)のグループが政治・経済の
実権を握り,多数派の先住民族を抑圧するという,
黒人が黒人を支配する構造が続いていた。
これが結果的に先住民族の反感を買い,
1980年代に第一次内戦という悲惨な結末を
もたらす引き金だった。
ジョセフ・ロバーツの像1847年7/28日
独立宣言し,1848年~1856年初代大統領と
なった。先住民との融和政策をとり,各州を
取りまとめ,リベリア連邦としました。
第2代はエドワード・ロイでしたが,皆より
嫌われ暗殺された。その後,ジョセフ・ロバートが
1872年~1876年まで大統領をしました。
1822年米国から解放された奴隷達が初めて
リベリアに到着し,1824年にモンロビアと
名付けられる。1847年リベリアは独立。
ロバーツ大統領が初代大統領として就任。
↓下の台座はストーリーになっている。
↓独立の為,お金や大砲も使った。
↓中央が全体の酋長で洋服を着ている人が
アメリゴ人,裸は先住民,アメリゴ人と酋長が
握手をしています。
↓独立の旗です
↓大砲も置かれていた。
リベリアの首都モンロビアの人口は167万人
(2023年)19世紀初頭,アメリカ植民協会
(後のリベリア植民協会)が解放された
奴隷達の為のアフリカでの新しい居住地を
探していた。1821年現在のモンロビアの場所に
最初の入植地が設立され,翌年,この地は
モンロビアと名付けられ,リベリアの中心地として
急速に発展していきました。
メズラード川の河岸にあるウォーターサイド
市場は,モンロビアの人々が利用する日常のマーケット。
道路上にまでお店や人があふれ,いつも活気に満ちて
いるそう。1階だけでなく2階にも品物がずらりと
並べられていて,市場の雰囲気に圧倒される。
世界最貧国の10位とは思えない程のマーケットが並ぶ
道路にもパラソルが並び商品が満載
モンロビアは坂の多い町。そこに市場が
ひしめいているので独特の眺めが広がる。
3輪のタクシーも買い物客を乗せて走る。
モンロビアの中心部にあるウォーター
サイドマーケットは,地元の雰囲気を味わえる
活気あふれる市場。カラフルな織物,レザー製品,
地元の工芸品などリベリアならではのお土産が並ぶ市場
2階にまで商品が並ぶ
↓ジュネーヴ諸条約50年記念で1999年に
第一次内戦の終結を記念して建てられた
モニュメントの設置も虚しくリベリアは
2003年より第二次内戦に突入することになる。
↓リベリア国立博物館
リベリア大統領のプライベート文書や政府幹部の
写真などが展示。リベリアで使われている郵便切手や
日刊新聞,伝統的な家庭用文具や調理器具など。
国立博物館の裏
↓リベリア国立博物館へ入ります。
国立博物館はユネスコから一部の資金提供を受けて
この博物館は出来上がり,ここではリベリア建国以前
から現在まで歴史や文化をものがたる数々の
貴重な資料が展示されている。手工芸品や絵画の
展示においては素晴らしいネイティブアフリカンアート
から現代的な作品まで鑑賞する事ができる。
入植者と先住民の間で起こった問題にも
触れられており一筋縄ではいかないリベリアのもつ
複雑な歴史を垣間見ることができる。
リベリア建国以前から現在まで歴史や文化を
ものがたる,数々の貴重な資料が展示されてる。
伝統的なダンスのとき使用される仮面
仮面はインパクトがあって観光客から人気。
民族と歴史を展示の博物館
リベリアの歴史が書かれている
奴隷狩りの絵
リベリアの内戦の歴史の写真
2014年6月以降,シェラレオネからエボラ出血熱の
流行が拡大してリベリアも甚大な社会的・経済的
被害を受けた。
国立博物館を出て近くに建つ百年記念パビリオン
(センテニアル・パビリオン)は
リベリア共和国建国100周年を記念して
1947年に建てられました。ここは
リベリア大統領の宣誓に使用されるなど
国の大切な行事が行われる場所でモンロビア
の人々のアイデンティティーとなっている。
百年記念パビリオンの塔
百年記念パビリオン
入口に立つリベリアの人々の平穏な生活を
願う金色の像がとっても印象的
↓街には内戦で燃えたビルがそのまま
残っていた。
リベリアの歴史の島へつづく・・