モーリタニア、ガンビア、セネガル11日間①

    <モーリタ二ア・イスラム共和国>

2024年1/29~2/8  11日間

ツアー人数12名

代金一人69.8万+ビザと燃油+

   14万で合計84万円

旅のデザインルーム社

トルコ航空でイスタンブールまで

13時間50分トルコ航空は指定された

座席を変更しようとすると4500円

ナイフとフォーク赤ワイン機内食は2回 

和食を選んだけど好みでなく

食べなかったのでお腹が空いてきて

後ろのギャレーに行ったら

おにぎりが置かれていたので2個食べる。

インタンブールで降りてから乗り継ぎ、

モーリア二アのヌアクショットまで、

また飛行機で7時間25分、時差は9時間

ナイフとフォーク7時間で2回の機内食、日本から

4回目の食事、焼きうどんもパンも

美味しかったです。ジュースパン

モーリタニアの首都ヌアクショットに

到着、入国でビザを取るのに2時間近く

かかり市内観光に出たのは14:30分

モーリタニア基本情報

人口:465万人(2020年)

首都:ヌアクショット

宗教:イスラム教

言語:アラビア語・フランス語

面積:日本の3倍、90%以上砂漠

略史:19世紀末には南のセネガルを

植民地化したフランスの進出が始まり、

1904年には全域が植民地化された。

1960年にアフリカ諸国が独立した年に

フランスから独立。

民族:アラブとアフリカの文明が

交わるところで北部にアラブ系、

南部にネグロイド系が住んでいる。

民族衣装;男性の民族衣装は「ブーブ」

と 呼ばれる体が隠れるほど の青地か

白地の大 判の布を巻いている。

2日目1/30  日本を出て2日目に入る

モーリタニアの首都ヌアクショット

の市内観光バス

この国は砂漠が90%で観光する所も

少ない為か観光バスが2台しかない。

私達はセネガルから来たドライバーと

TOTOTAの4WDで5台に分譲し市内観光

ドライバーもフランス語しか通じない

時計15:30分 外は暑い30°位 

国立博物館

↓国立博物館内

60万年の歴史を持つモーリタニア。

国立博物館には石器や土器の時代から、

現在に至る遊牧民の暮らしなどの

展示がされている。楽器や民族衣装、

装身具、生活道具など

遊牧民の生活品コーナーと、矢じりや

石器など古代の遺跡コーナーと2つに

別れる。日本政府からの支援で

内部が充実したものの、国立博物館

と呼ぶには少し小さいかも知れない。

モーリタニアの歴史の調度品が展示

 

 

国立博物館を出て市場

 

市場で売られているもの

 

サウジ・モスクの外からの見学

ヌアクショットの中心部に高く

そびえる2本の尖塔がとても

シンボリックな大モスク、

サウジアラビアの出資によって

建設されたサウジ・モスク

ムスリム(イスラム信者)以外中には

入れない。

ビルの上から見学

 

漁港(友好の港)

首都からたった5kmなのに砂丘の

向こうに海が広がってくる。
ペシェの港は広い砂浜の一角にある。
港といっても、砂浜。水揚げされた魚を

取引したり冷凍したりする建物が

あるだけで、他に建造物は何もない。

モーリタニアは海産物の主要輸出国で

特にマダコは、日本で消費される量の

3分の1がモーリタニア産とされている。

漁の帰りを待つ人々が遠くに・・・

1960年フランスから独立後、

何の主要産業もないこの国を救ったのは

日本でした。日本政府と水産庁が

JICAと協力して中村正明さんを派遣し、

海があるのに水産業をしてない

事に目を付け漁業を推進することに・・

しかし蓄産業しかやってこなかった

国民はまったく気が進まなかったが

ある日、真たこが壺にかかっていた事

に目を付け遠い漁まで行かなくて近くで

壺を設置しておくだけの漁を進め日本

が船やその他のかかる道具を用意したら

1年100億円の水揚げになった。

80%が日本輸出用で今まで月7千円の

賃金だった国民は数倍の所得に繋がった。

中村さんはモーリタ二アで知らない人は

いないほど有名になり、国から勲章も

もらった。東日本大震災時には

モーリタニアの国民から4570万円

もの寄付が届いた。

 

真たこの漁をしているが、

国民は食べない。魚も余り食べなくて

羊や肉が主流の食べ物

漁を待つ人々

 

漁港の市場 ここで魚や真たこが

取引される。

日本とモーリタニアの漁業の協力の碑

同港における検査場の新規建設、魚市場の改修、検査機材の

調達を支援しました。同市場の衛生環境の改善を図り、

水産物輸出の安定的な発展に寄与しました。10億円の日本の支援

↓CASA BLUホテルモーリタニアの

4つ星ホテルに到着

フロントでチェックインを

してるのを待って

不思議なドア・この鍵はノブの下に鍵穴

↓部屋

夜の食事はナイフとフォーク赤ワイン20時、

食べ終わったのは21時半

うお座鯛の魚とポテトとサラダ

 

3日目1/31 

時計7:30 次の日の朝食ナイフとフォークパン

テーブルで待っていると運ん

出来てくれました。オムレツに

カフェオレにヨーグルトジュースジュース

パンが山盛り5つ、

時計8:30にホテルを出発車 4WDを

↓ドライバーさん達 フランス語

この国は荷物を運ぶのはロバが主流

沢山のロバの配達を見ました。

車片道158km数時間ひたすら

この道を走ります。砂漠ドライブ

車砂の微粒子が飛んでいる

途中砂漠で休憩

モーリタニアの90%が砂漠

私達の車だけ・・時々、村が存在します。

ドライバーさんがフランス語しか

車内ではずっとメンバーと旅の話に

盛り上がる。でも、ダライラマNo.1

と言ったら喜んでくれていた。意味不明

車町の中に入り 

渋滞なのか所々で車が停止

 

モーリタニアの女性 

イスラム教なのでこういうスタイル

19世紀よりイスラム教の中心地。

フランス領時代に建設された城塞、

初代大統領クタル=ウルドの生地

プチリミット高台に城塞跡

↓高台からみるプーティリミットの

街並み。ベルベル族の定住策で

作られた約3千人が暮らす街

遠くは砂漠です。

砂の粒子で霞んでいる。

 

 

ナイフとフォーク昼食のテントの前にロバが

おとなしくいました。

ナイフとフォーク昼食はテントでの食事です。

食事は羊とごはんとパン 

その後、市場の見学 

素朴なマーケット

↓地元の子供達

 

 

モスク

車車で再出発 車窓には少しだけ

砂丘が見える。