7月25・26日の京都幕末の旅日記です^^;
のんびりなアップなので(しかもマニア度高っ!!)
まだ1日目のお昼までしか書いてない。。。
前回池田屋ランチについて書きました。
その続き~今回と次回(分けます^^;けっこう写真多かった。。。)
四条河原町駅から河原町通を北上、
池田屋に向かう途中で、まず土佐脱藩浪士の中岡慎太郎の寓居跡。
友人が以前見つけたことがあったのですぐわかったけど、
普通に街歩いてたら、絶対気づかん^^
余談ですが龍馬伝でも中岡慎太郎がいよいよ登場してきましたね。
その石碑のそばにはこんな案内板が
次に道の向かい側に行って、
はい、ここが1867年11月15日、龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡です。
(~この後、池田屋でランチしました。池田屋石碑は前回載せたので省略します)
食後はまた河原町通を歩き、、、
京都市役所の向かいにあるホテルオークラへ。
中に用があるわけではなくて、外をうろうろ(怪しい^^;)
実はここの敷地内に長州の屋敷跡碑があるはず。。。
ってこれも非常にわかりにくいとこに。。。通りの方向いてないんだもん。陰に隠れてる感じ。。。
同じく、ホテルオークラの敷地内には。。。
この前のベンチ、ちょっと座るのに勇気が要りそう^^ 後ろに桂さんですよ^^
今度はもっと北上してさらに細い道に入り、、、
これもなかなか気づかんでしょ、、、(孝允の允の字、隠れちゃってるし)
さてさて、場所としては二条のあたりまで来ました。
河原町通と鴨川の間の道を今度は南下しながら、石碑をさらにめぐります。
高瀬川に出てきました。
↓奥に見える建物のあたりに水が見えますが、そこが一の船入です。
今では他の船入は埋め立てられています。
そのすぐそばに
大村益次郎遭難の碑(左)と佐久間象山遭難の碑(右)がありました。
私たちは幕末スポットを紹介したガイドブック片手に歩いたのですが、
この碑がある場所にはちょっと驚きでした。
ガイドブックなかったら気づいてない。。。
石碑だけの写真をとり忘れちゃいました、桂小五郎と幾松の寓居跡です。
(続く~^^)