DAIのブログ -32ページ目

思考停止社会

最近何かと問題になっている、
検察のあり方や報道マスコミの姿勢。

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)/郷原 信郎

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元東京地検の郷原氏によって
様々な警告がなされている。

この本では「法令遵守」「規範遵守」が
本来の目的を見失い、
思考停止した人たちによって、
間違った運用がなされている、
と書かれている。

実際、世の中全体に
思考停止社会が広がっている。
仕事のマニュアル化によって、
起きた弊害も同じような成り立ちではないか。

本来、みんなの幸せや、
仕事の効率化などのために作られたルールが
いつの間にか、個人の責任逃れのために
使われるようになってしまっている。

車のハンドルに「あそび」という部分がある。
右にハンドルを切っても、左にハンドルを切手も
手応えが無くなる部分の事だ。
車は「あそび」がある事によって、
急ハンドルにならずに、事故が防げる。

社会で言えば、白か黒、善と悪。
今やその境目をはっきりさせる事だけに
注意が行き過ぎて、
「あそび」の部分が
無くなってしまっている。

物事の本質や大事な事が
潜んでいるのは
その「あそび」の部分ではないか。
白か黒か、右か左か、
単純化する事によって、
大切なものを忘れている。

「あそび」の部分を
もう一度注視して、
物事の本質を見つめ直して、
それらを人間の智恵で解決し、
より良い社会へハンドルを
切らなくてはいけないだろう。

子どもの“しつけ”はワクチン注射


人間と言えど、動物。
なので子どもの時の“しつけ”は重要だ。

例えるなら、
インフルエンザのワクチン注射のようなもの。
弱いウイルスを体内に入れて、
軽く感染させる。
その事によって、体が学習し、
そのウイルスに対する免疫を作る。

子どもは純粋という言い方も出来るが、
自分の欲求にどん欲。
善も悪もわからない。
物を壊したければ壊すし、
興味で動物の殺生もしてしまう。

しかし少しずつ社会の体験の中で、
善悪の判断や責任や義務などを
社会生活に必要なものを覚えていく。
そこで重要なのが“しつけ”
弱いウイルスという“しつけ”を
子どもたちに与え、
様々な事柄に耐えられる免疫を作ってもらう。

そうする事によって、
大人になって、
しっかり社会生活が送れる事になる。

ただ、この「弱い」という部分の
さじ加減が難しい。
時には「しつけ=ウイルス」が
効きすぎる事があるだろう。
そんな時は、まわりの大人が
しっかりとフォローしてあげて、
完治するまで守る事が大切だ。

気づくという事

ほんの20~30年前まで、
学校でも職場でも、気づかせる教育がされていた。

先輩の仕事を見て覚える。
これが当たり前だった。

何から何まで聞こうとすると怒られる。
「少しは自分で考えろ!」と。
その時は「仕事なのに理不尽な」と思ったりもしたが、
今では、その事があって良かったと痛感している。

教えてもらえないので、自分で考える。
「なぜ、このやり方なのか?」
なぜ、なぜ、なぜの連続だ。
そして自分なりの答えを出し、行動にうつす。
間違っていれば指摘を受ける。

この訓練で、物事の本質を考えるようになった。
それが出来ると、いくらでも応用が利く。

では、これを最初から手取り足取り教えてもらったら、
そこまで身に付いていたのだろうか。
自分の答えとしては「NO」だ。
マニュアルが無いと何も出来ないようになってただろう。

一番重要なのは「自分で気づく」という事だ。
自分で考え発見する。
これは本当の意味で、自分の血や肉になる。

自分は新社会人に、
全てを教えず「気づかせる」ように
仕事をさせたりするのだが、なかなか難しい。
逆効果で不満タラタラになる可能性が大きい。
“親の心子知らず”とは、この事かもしれない。

グラン・トリノ

クリント・イーストウッド監督の最新作。

すばらしい作品でした。
今年は、この作品を越えるものは
お目にかかれないのでは、と思ったほど。

『チェンジリング』という傑作の後すぐ、
それを越える作品を創り出すとは、ほんと脱帽です。

イーストウッド監督作品は、毎度の事ながら
脚本の完成度が高い。
今回の作品もすばらしい。
家族、民族、生と死、贖罪、宗教、銃社会、戦争、などなどが、
完璧なまでのバランスでシーケンスされている。

それ故に、なかなか紹介しづらい。
何か1つのネタに触れるだけで、
ネタバレする可能性があるからだ。

イースウッドが演じるウォルト・コワルスキーは、
世の中にうんざりしている。
朝鮮戦争に従軍し、敵を殺したことがトラウマになっている。
ふだんから「fuck」という言葉を多用して、
周囲からも敬遠されていて、
二人の息子や孫たちとも上手くいっていない。

アメリカは多民族国家で、ウォルト・コワルスキー自身も、
その名が示すようにポーランド移民の子。
一般にアメリカでは白人移民のブルーカラーの方が
有色人種を差別する傾向があるそうだ。
それゆえコワルスキーは
自分の家の周囲がアジア人だらけになっているのが不満でたまらない。

しかし、ある出来事から隣に住むロー一家のスーとタオと
交流を持つようになる。
ロー一家はベトナム戦争の時に、
アメリカに避難してきたモン族。
孫と同じ世代の2人だが、
実の孫よりもシンパシーを感じるコワルスキー。

この偏屈なコワルスキーにめげない二人。
異民族で世代が違った故に、
上手くつき合える皮肉さ。
コワルスキーはスーに亡くなった妻を、
タオには関係が上手くいかない息子を
投影していたのではないか。

キャラクター設定も完璧だ。
決してブレない。
物語の進行のために、
キャラクターが都合良く動く事も無い。
すべてギリギリの所で、辻褄がとれているのだ。

日本の多くの監督が、
イーストウッドを尊敬しているのは、
このあたりにあるのだろう。

この映画のタイトルの『グラン・トリノ』
コワルスキーの宝物が
1972年型のフォード車グラン・トリノだ。
このグラン・トリノこそが、
コワルスキーを象徴していたように感じた。

絶対に見逃して欲しくない作品です。

正解の呪縛

多くの有識者から、日本人の弱点と言われているのが
「正確のない物事を複眼的にとらえる論理思考と、
 考えた事をわかりやすく表現するための情報編集力」だ。
日本の学校教育のあり方が硬直化してしまったため、
この力を持てないまま社会に出てくる人が多くなっている。

この力の事を簡単に言えば、
臨機応変に対応出来る能力とでも言うのか。

この力は社会で生きていく力に直結しているので、
日本の若年層は生きていく力が弱まっていると言っても
過言ではないのかもしれない。

現在も日本は正解を求める情報処理能力は、
それなりに高いようだが、
それだけでは社会では通用しない。

社会には正解が無いからだ。

今の学校では、社会経験者を多く登用していかないと
これらは解決出来ないだろう。
しかし、頭の古い霞ヶ関の役人では、
なかなか改革も進まない。

それだけに、ひとりひとりが現状を自覚し
正解からの呪縛を解いていかないと、
未来は開けてこないのかもしれない。

おっぱいバレー

たまたま時間が出来たので観てきました。

原作は読んでないのだけど、
きっと原作は面白いのだろうと感じた作品。
映画作品としては、悪くはないけど
中途半端な作品に仕上がってしまってます。

1961年を描いた「ALWAYS 三丁目の夕日」
そして1979年を描いた今作。
製作は日テレとロボットという同じコンビ。

これでもか、というくらい1979年頃の音楽が流れてくる。
しかしながら、これがちょっと物語の雰囲気を壊してる。
お金儲けのためのマーケティングという事はわかってるが、
もうちょっとやり方があったのではないかと思う。
というより、もっとストーリー勝負で作ってもいい作品です。
これならば、わざわざ映画にしなくても、
テレビの2時間ドラマでいい程度。

原作の年代はちょっとわからないが、
作者が1972年生まれなので80年代後半なのか?
(原作を読んでないので、わからないのですいません)
そして中学校は現在の浜松市にあった。(三ヶ日町)
それを場所も年代を動かしたのだが、
年代を動かす必然性は、作品を観た限りでは感じられなかった。
逆に1979年にバレーボールと言えば
まだまだ国民的な人気スポーツ。
中学でこれほどのバレーボール部は無かっただろう。

この映画が、この世代のノスタルジーを狙っているとすれば、
少なくとも同じ時代を生きてきた自分は、
全く感じる事が出来なかった。

この作品で良かったのは、
主人公の寺嶋先生と恩師の原田先生のエピソード。
あの当時は、原田先生のような大人がたくさんいたもの。
ここを軸に、寺島先生の成長を丁寧に描いて欲しかった、
というのが個人的な感想。

もったいない作品でした。

イメージに潰された!?

今日の朝、テレビを見ていると
草なぎ剛逮捕の速報。

自分が思ったのは、
イメージに潰されたのかな?という事。
(もちろん、これは自分の憶測)

逮捕後の反応を見てもわかる通り、
彼のイメージは「真面目」

そして、あれほどの有名人になると、
一般の人は、常にそのイメージを
彼に要求してくる。

芸能人も一人の人間。
実際、真面目な人間であっても、
時にはハメを外したいもの。
でも、有名人には
そんな機会はあまりない。
それだけにプレッシャーに潰されたのではないか?
そんな気がした。

もう亡くなってしまったが、
国民のアイドル、フーテンの寅さんこと
渥美清さん。
寅さんの人気の影響で、
いつどこでも「寅さん!」と
声をかけられる。
決して「渥美さん」ではない。
そして、一般の人は映画の中の
フーテンの寅さんのキャラクターを
渥美清さんにも求める。

その事で渥美さんは、
ものすごく悩んだそうだ。
あくまで「寅さん」は映画の中の人物であって、
実際の「渥美清」は「寅さん」とは違う。
性格も考え方も。

「寅さん」を辞めようと、
何度も考えたらしいが、
最終的に渥美さんは「寅さん」として
生きる事を選んだ。
それ故「寅さん」以外の仕事はしなくなった。
もちろん寅さんファンの人たちの
夢を壊したくないためだ。
外出もなるべく控えた。
これも、普段の渥美清を見て、
寅さんファンの夢を壊さないためだ。

それだけ善人のイメージを作られた
有名人ほど、苦しいものはない。
もちろん有名税ではあるけれども。

自殺大国日本

自殺大国日本。
日本は昨年まで10年連続で自殺者が
年間3万人を超している。
自殺率でみても、OECD加盟国中ハンガリーについで
2位という高い自殺率だ。

昨日、清水由貴子さんが自殺したが、
芸能人の自殺も多い。
ちなみに自分も、親戚で2人友人で2人、
自殺で亡くしている。

ここまで日本の自殺者が多いのは、なぜだろう。
いろんな要因が学者の中での論議されている。
もちろん宗教的な理由もあるだろう。

現代社会の中では、様々な要因で
ストレスを感じる機会が多くなってきている。
そこで精神的に孤立していくと、
自分を追い込んでいってしまう。

もちろん差はあるだろうが、
以前の社会にもストレスはあったろう。
でも、ここまで自殺者はいなかった。

やはり社会の中にセーフティーネットが
存在しないのだろう。
制度的なセーフティーネットも重要だが、
中でも人間同士の結びつきが一番重要に思う。

相談にのる相手や、
その人の変化に気づく、まわりの人。
そういった環境が自殺予防につながっていく。

昔は、おせっかいなまでに他人を気遣った人も沢山いた。
きっと何百年何千年と成熟させてきた社会の中で、
重要な役割を果たしていたのかもしれない。

人は、人の中でしか幸せになれない。

ひとりひとりに、もう少し他人を思いやる気持ちが増えて、
コミュニティーが充実すれば、
今の状況は変わっていくのかもしれない。

えんぴつ削り

テレビを観ていたら、
ナイフで鉛筆を削る様子が映っていた。

おそらく30年くらいまでは、
普通に見かけていた風景。

鉛筆をナイフで削る事によって、
ナイフの使い方を覚えたり、
ナイフの怖さを知ったり、
なにより削る事によって、
集中力が養われていたように思う。

鉛筆削りが電動になり、
鉛筆がシャーペンに代わり、
どんどん便利になっていった。

しかし、その過程で
「物事を知る」機会や
「集中力を養う」機会を失った。

その代償は、
大きかったのか、
小さかったのか。

テレビを観ていたら、
ナイフで鉛筆を削りたくなった。

スラムドッグ$ミリオネア

今年のアカデミー賞受賞作品
構成が面白く、なかなか楽しめました。

スラム出身のジャマールは、
インドの大人気番組「クイズ$ミリオネア」で、
次々と問題を解いていくが、
不正があったと疑われ、逮捕されてしまう。

そこで、なぜその問題の答を知っていたか、
取り調べとともに、彼の過去が明らかになっていく。

イスラム教徒だったために、
殺されてしまう母、
住む家すら無くしてしまうジャマールたち。

インド建国の父、マハトマ・ガンジーは
ヒンドゥー教徒、イスラム教徒ともに
仲良く暮らせるインドを目指していたが、
両宗派の争いは治まらず、
結局、インドとパキスタンに
分裂して独立する事となった。
そのことが、今も影響しているのだ。

途中、ジャマールが「ガンジーを知ってるか?」と聞かれ、
「名前だけは聞いた事がある」と答える。
それほどインド国内のスラム街での生活が
厳しい事が想像出来る。
(ガンジーは貧困層に絶大な支持を得ていた)

絶望的に貧しいスラム生活の中でも、
頑固なまでに誠実に生きようとするジャマール、
手段は選ばず、今の生活から抜け出そうとする、
ジャマールの兄のサリーム。
自分には兄=アメリカ、ジャマール=インドを
重ね合わせて描いているのでは、と感じた。

これまで苦労してきたインドの時代が来ると。

そして人生は、最終的には帳尻があって、
「0」になるという事を語っていた。

もちろん、一人の少女を探し続けた主人公の純愛物語
という側面もある。

ここまで思われる女性は幸せなのか?
自分が女性でないのでわからないが、男は万国共通で
このようなロマンティックさを持ち合わせているのだろう。
「男」と「女」という記号が結びつくのではなく、
代わりのきかない「誰か」を見つけられる事は、
幸せなことだという事をつくづく感じる。

気持ちのいい作品でした。