7月に入って梅雨前線が停滞し
連日雨が続き、日照時間も少なくなってます
お風呂も太陽熱温水器で賄えたのはほんの数日ですね(笑)
また、コロナ自粛完全解禁というタイミングで
首都圏では連日3桁の新たな感染者が発生してます
感染の全国への拡散と拡大が心配ですが
この局面でのGo Toキャンペーンはどうなるのでしょうね?
いつ収束するとも、先行きが見通せないので政策としての判断は大変難しいですが…
主導していると思しき全国旅行業協会の会長は二階俊博自民党幹事長
大局的な見地からの判断を願うばかりです( ̄ー ̄;
小池東京都知事は、アクセルとブレーキを同時に踏むようなものって揶揄してたけど・・・
ヒール・アンド・トウ v( ̄∇ ̄)やね(笑)
あのせやろがいおじさんもGo To前の4月にも
遊泳禁止の看板に浮き輪レンタル半額の張り紙を張られてるようなものって叫んでたしぃ~w
キャンペーンの行方が気になる今日この頃
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さて
先日の日曜日、7月12日に元日以来の外出になりますが・・・
シコチュウ市と同じみかん県は東予地方の来島海峡まで出かけて来ました
前回のブログで書いたように
現在唐子浜で保存されている旧コノ瀬灯標を中心にしたプチ探訪です
志島ヶ原と唐子浜周辺のGPSルートログ
来島海峡周辺のGPSルートログ
朝起きると雨が結構降っていましたが
天気予報では日中は曇りのようです
とりあえず、雨具と傘の両方をパジェロに積み込みますが、
半年ぶりなので、昨夜から探しているゲイターが未だ見つからない
波止浜港を10:10に出港する第3便に乗船予定ですが、
その前に唐子浜の赤灯台を確認しておきたいと思ってます
6時半出発の予定でしたが・・・
ゲイター発見出来ぬまま、少し遅れて7時33分出発です
留守番はおいらに任せてワン
雨が降ってるけど、しまなみ海道の方角の空は明るい
8:29
元東予有料道路の県道13号線の次の橋が架かる中山川をほんの少し遡れば
かつて石鎚講の船が着いた新兵衛の船着場と石鎚山常夜灯がある
ここも一度訪れる予定にしてるけど、なかなか実行出来てない
国道196号線を今治方面へ北上
雨は殆どあがりましたヽ(´▽`)/
唐子浜の手前にある志島ヶ原にも寄り道
燧灘に面する幾千もの松が生い茂る景勝地で
日本の白砂青松100選にも名を連ねる国名勝
菅原道真公が大宰府に向かう途中、
燧灘で嵐に遭い、この地に上陸した伝説があるそうな
綱敷天満神社は菅原道真公を祀り、
約25,000本の老松が生い茂る中に鎮座されてます
菅原道真公が漂着した際
濡れた衣服を干して乾かしたという
衣干岩と呼ばれる奇岩が有りました
桜井海浜クラブ廃墟
続いて唐子浜へ向かいます
賑わっていた昔日の唐子浜パークの面影は何処へやら・・・
進入道路が判らなかったので頓田川の手前で河口に向かい海岸線へ
海岸から唐子浜方面を見ると・・・
唐子浜の赤灯台
ちょっと遠いけど、あったよ~
A地点とB地点から赤灯台を眺めます
1982年 4月MIE 5月高田みづえ 8月石川ひとみ・三原順子 10月シブがき隊
1983年 5月松本伊代 8月三原順子・早見優 11月伊藤麻衣子
1984年 5月武田久美子・榊原郁恵 8月岩井小百合・大沢逸美 11月岩崎良美
1985年 4月工藤夕貴 5月少女隊 8月松本伊代・桑田靖子
1986年 4月中山美穂・芳本美代子 7月工藤夕貴 8月荻野目洋子 11月石野陽子・柏原芳恵
1987年 5月福永恵規 8月新田恵利・松本典子
1988年 春 石井明美・立花理佐 夏・伊藤智恵理・松本典子
1991年 夏 忍者
今も残る唐子浜パークの看板
前に乗った大三島行フェリーはどこに接岸してたのかな
そんなに大きな接岸場は見当たらないけどね
第3便のくるしま丸の乗客は10名足らずだけど駐車場は満杯
遊漁船や他の便の乗客が利用してるのかも
ここはせとうちバスの停留所にもなってます
その名も渡し場
いいですねぇ~
間もなく出航です
小島で草刈り作業する方も同じ便に乗船されてました
いよいよ出港です
正面に見える小さな島が来島
来島村上氏が居城とした来島城跡の残る島です
村上海賊が生きた時代の海と島の景観が今も残るそうな
波止浜港からは一直線で、僅か5分で到着します
建造中の多くの船が浮かぶ波止浜湾を進みます
次回は、いよいよ来島上陸です♪
では、また
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