小島の南端を廻って、全く人気の無い島の西海岸を北上した後
 中央部の椿の散歩道を辿り中部・北部砲台跡へと向かいます走る人
 
現在の時間は13時02分
  中部砲台と北部砲台への分岐点までやって来ました♪
 
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小島には南部、中部、北部と3か所の砲台が築造され
  合計16門の砲が据えられましたが、中でも高台にある中部砲台が中核でした
 
石組みの堅固な砲台をはじめとした明治時代の沿岸要塞の遺構が完全に近い姿で現存しているのはわが国でもここだけみたい
 
一度も実戦に使われることなく、豊予要塞の新設に伴い、1922(大正11)年の閣議で小島(来島)砲台の廃止が決定
 これを知った原真十郎波止浜町長は、公園地域として小島の砲台施設を保存、活用し、その史的価値を後世に伝えようと陸軍大臣に町への払い下げを請願します
 
その後の熱心な請願が実り、1926(大正15)年、爆破演習実施の条件付きで払い下げが実現し
 波止浜町や伊予商運会社の斉藤為助らによって砲台跡を活用した公園整備が行われたそうです
 
しかし、第二次大戦末期には、食糧不足の為に島内各所で開墾が行われ、砲台跡は年々荒廃していきます
 
1955(昭和30)年、波止浜町は今治市に合併され、小島の砲台跡は人々からも忘れ去られようとしておりましたが
 1968(昭和43)年に大阪の民間人が砲台跡の保存を呼びかけたのをきっかけに、保存の機運が再び高まりを見せます
 まず、1970(昭和45)年12月に今治市が島内の道路整備、砲台跡の補修を行った。1973(昭和48)年6月からは、今治史談会と今治市による保存活動が開始され、草刈、清掃、椿の種まき、百合苗の植え込み、眺望を阻害する樹木の伐採などが実施されている。さらに、1977(昭和52)年には、椿の遊歩道として今治市が2,500本の椿の苗木を植樹し、砲台跡を巡る遊歩道の延長は、1979(昭和54)年に1,887mに達している。
 
 

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今治市では、この島を市民の健康づくりや観光資源として開発しようと
 昭和45年、47年、53年計画で、船着場から観潮台-中央砲台跡-北部砲台跡の延長1.6キロ、幅3メートルのコンクリート遊歩道を工費約1,100万円をかけて整備、1977(昭和52)年頃に完成
 
しまなみ海道・春の花めぐり
椿ロードとよばれる椿のトンネル道は
 椿の花が落ちる季節には道一面が椿の花で覆われ絨毯の様になるという
 
まるでジブリワールドw
 トトロトンネルを通ってラピュタの砲台跡へ
 
 
ご訪問いただきましてありがとうございます(≧∇≦)/
 
 
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北部砲台跡への分岐からしばらく坂道を上っていくと
 小島で一番高地にある中部砲台跡に着きました
 
13:05  R
 
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中部砲台跡 
 小島の芸予要塞の中核をなす中部砲台には、この要塞の主砲である28cm榴弾砲6門が配備されていたほか、地下室や井戸、井戸水の浄化装置などが造られ、山頂には指令台が設けられていました。
 28cm榴弾砲は、角度をつけて発射した弾が放物線を描いて飛んでいく大砲で、海上からは見えない構造となっています。
 小島の要塞は、この場所で実戦に使われることはありませんでしたが、明治37年(1904)の日露戦争時には、中部砲台の榴弾砲の2門が旅順に運ばれ、旅順攻略に活躍したと言われています。
 現在では榴弾砲の砲座跡が残るのみでありますが、赤レンガ等で築かれた施設とともに貴重な遺構であり、当時の緊迫した様子を知ることができます。
 砲座奥の階段を山頂へ上がった司令台跡からは来島海峡のすばらしい眺望を満喫することができます。
以上、説明板より (司令は指令?)
 
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中部砲台は小島の芸予要塞の中核となる砲台で、築造当時28cm榴弾砲6門を備砲しており
 その6つの円形の砲床が完全な形で残っています
 
地下室内部は無筋コンクリートのヴォールト(アーチを元にした曲面天井)で
 その上を覆った大量の土圧に耐えて、水漏れひとつなく、1世紀を経た現在でも揺るぎなく残っている
 
これらの新技術は軍の機密保持の為、一般社会の技術進歩に被益することは無かった
 
2門づつ、3か所に連なる砲座跡の奥に地下兵舎跡が見える
 
13:08  S
砲座と地下兵舎の間には、小島で最も高い場所にある指令塔へ一直線に繋がる石段があります
 指令塔への案内板が指すこの角度
 
45度はあろうかと思いますが・・・
 決して大袈裟ではなかったぞねアセアセ
 
地下兵舎の奥から指令塔への迂回路もあり、
 そちらを歩くと途中で地下兵舎の通気口なども確認できるようです
 
地下兵舎は手前が将校用で個室なのか奥行きが短いです
 
一般兵士用の兵舎は奥行きが広く、当時は2段ベッドが造りつけられていた痕跡があり
 部屋の奥は隣の部屋と繋がっておりました
 
急こう配の石段を上って指令塔まで行ってみる事に!
 
迂回路はこの辺りで合流するみたいです
 ここからは勾配は緩くなりますが頂上はまだ先みたい
 
こんなところまで猪が暴れまくっとるぞね
 
13:13  T
指令塔(司令塔)
 案内板(標識)は指令塔、中部砲台跡の説明板では司令塔になってるけど・・・
どっちが正解?
 
直前に電話室があり、伝声管で指令塔と繋がっていたようです
 
標高100mのピークにある指令塔跡には来島海峡の案内板があり、海峡の眺望も文句なし
 
指令塔周辺には芝生が張られてベンチもあります
 小島を訪れたなら必ず立ち寄りたい場所ですね
 
先ほどの電話室と繋がる伝声管

第一世代のiPhoneSEで360度展望動画を撮ってみました
 
探訪当日は知らなかった大角鼻のメートル立標
 
ひょっとして、動画の中に写っとらせんじゃろか?
 
確認してみるとバッチリ写っとるがね~
 
以下は動画のキャプチャー画像です
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大角鼻の先端に北海道余市にある積丹半島のローソク岩のようなものが・・・
 
はっきりと写っとるぞなもし
 
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大角鼻まで行けばこんな説明板もあるようで
 
実物は未だ見たことが無いのですが
 メートル立標に間違いないと思います
 
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大角鼻も一度探訪してみたいなぁ~

小島で一番高い中部砲台指令塔跡
 曇り空とは雖も此処からの360度の眺めは最高
 
鷲羽山の山頂からの展望と甲乙付けがたい大パノラマでお奨めです

 

鉄道ブログなのにご無沙汰してますがm(_ _)m

 2年前の夏、岡山県の下津井電鉄線の廃線跡を自転車で辿った際に鷲羽山駅から鷲羽山自然探究路を歩きました↓↓

 

来島海峡の眺望を十分に楽しむことが出来ました
 春に椿の花が散る頃にもう一度再訪したいものです
 
時刻は13時17分、指令塔を下り、北部砲台跡へ向かいます
 
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13:18  U
石段を下りる途中で一番手前の砲座を上から見下ろしてみました
 1世紀以上前に28糎榴弾砲が2門づつ、3箇所に砲座が連なっていました
 
地下兵舎を後にして、来た道を分岐まで引き返します
 
砲床の周りの石積みには伝声管と弾薬置場の窪み?
 
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分岐からさらに下ると海岸に近い場所に北部砲台跡が現れました
 中部砲台跡に比べて草も伸びており荒れてる感じでした
 
13:31  V
 
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ここには南部砲台にある発電所より1年跡に作られたという発電所跡と地下兵舎跡、井戸、浄化装置跡と軽砲の砲座跡が2門づつ2箇所にありました
 この軽砲とは9糎加農砲だったようです
 
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爆撃演習が行われた場所はここではなく、24糎加農砲4門が据えられたこの先の奥の北部砲台のようです
 
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9糎加農砲が据えられていた砲座跡
 
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井戸、発電所跡、地下兵舎跡、浄化装置跡
 この辺は草茫々でかなり荒れていました
 
発電所跡
 北部砲台の探照灯へ電気を送っていたようです
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発電所の裏には煉瓦の煙突も残ってました
 
 
13:36  W
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さらに北へと進むと
 再び砲座の石組と探照灯への案内板も
 
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北部砲台跡は中部砲台の様に山中の窪みでは無く
 海岸沿いの直接海峡に対峙する位置に砲座が築造されているようです
 
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払い下げられた後の写真でしょうかね?
 北部砲台の24糎加農砲

太平洋戦争の際に金属供出に出されて無くなってしまいました
 
13:43 X
24センチカノン砲が2門づつ備えられていた砲座跡
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1925(大正15)年8月の爆撃演習で一部破壊された北部砲台跡
 現在は草生しており判り辛いです
 
 
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砲座の横を進んでいくと地下兵舎に突き当たります
 ここから北部砲台の指令塔跡へと続く石段が続いてます
 
こちらの指令塔跡にも上ってみます
 
13:47  Z
竹藪が大きく茂っており、展望は僅かしかありません
 
馬島の向こう側の島は中渡島
 長い間信号所として腕木式の信号機が在りましたが、2012年に廃止されて現在は中渡島灯台に復活しております
 
赤色円形板が上になると北流(引き潮)で黒色長方板が上になると南流(満ち潮)を意味する
 
1909(明治42)年8月に中渡島に設置され、1990(平成2)年3月に新しいものに交換されるまで81年間使用されました
 
現在サンライズ糸山に保存展示されています
 
2012(平成24)年の来島航路の標識の整備で信号所が廃止されて現在は灯台が復活しております
 

2012/05/09 

来島海峡 姿消す腕木式信号機・愛媛新聞

 
石段には手摺り跡と思しき楔が打ちこまれていますが
 上の方にも岡っ引きの十手の様なモノが残ってる
 
何でしょうかね?
 ランプでもぶら下げてたのでしょうか
 
13:52  Y
北部砲台24糎加農砲の砲座跡
 草に覆われて良く判りません
 
指令塔跡を下り、北部砲台の入口まで戻ります
 
13:55  X
北部砲台で二つ目の案内板に描かれていた謎の広場
 周りを御影石で囲んでいますが建物が建っていた風でもありません
 
此処から先に広場は無いので牛馬でも繋いでいたのでしょうかね
 
13:55  X
先程の広場の横から探照灯に至る道がある筈なのですが・・・
 辺り一面は藪になっており、全く見当が付かない状態
 
13:58  X
探照灯台跡の標識だけが空を向く
 誰か到達した方は居ないかと知らべて見ましたが
 
藪が酷くて途中から引き返した方ばかり
 現在は入口すら判る状態では無くなってる
 
14:00  ①
北部砲台の入口近くから海岸道路に出る小径があります
 時刻はなんともう14時ちょうどになってる
 
14時10分の第6便で馬島に向かう予定でしたが、もう間に合わない
 
1時間40分後の第7便に予定を変更して、
 かつてコノ瀬灯標が立っていた小島東灯標が立つ場所まで寄り道したいと思います
 
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今回の移動区間Q-① 
GPSトラックログ(ジオグラフィカ)

 
今回も長くなりましたが
 
お立寄り頂きましてありがとうございました
 
次回に続きます
 
では、またバイバイ