こんばんは、
昨夜は少し寅ぶってしまいました
投稿済みの、元日は屋島へ4の記事が消えてしまい慌てました。事の経緯はというと、4の記事が長くなり過ぎたので二つに分けて、それぞれを下書きに保存するために、スマホのアプリに一時保存して複製を作り、4を編集下書き保存して投稿公開、ここまでは朝の仕事前の出来事でした。
続いて、夜になって仕事を終えてから、アプリに一時保存していた記事を編集して5を作成し、下書きに保存しました。やれやれと思ったのもつかの間で、朝投稿した4の記事が無くなってる事に気付きました
よく調べてみると、新しく保存した5の下書きに4の履歴(コメント、イイね)がくっ付いている。(この時点でピンとくればよかったのですが・・・)
幸いにも、パソコンに元の4の記事が開いたままのタブが残っていたので、PCで新たに「ブログを書く」で、新しく開いた下書きに記事をコピペして4を公開。
これで問題は解決したかに思われましたが、4の履歴がなく、5の下書きに移ってます。
これではまずいので、履歴のある5の下書きに4の記事を再びコピペして下書き保存し、5の部分を再びスマホアプリに一時保存する。4の下書きを公開して、取敢えず一旦、4は正式に復旧してひと安心
そして、アプリに一時保存した5の記事を下書き保存すると、さきほど復旧した4が再び消えた(同じ過ちを繰り返してしまった)
エッ‼️ややこしいって
上手く説明できませんでしたが、ここまでの過程を検証してみて、やっと気が付きました。
元が同じ記事を、下書きに保存した物と、アプリに一時保存した物は、それぞれ編集を加えて、題名を変えようとも同じ記事です。だからアメブロにリンクされているURLみたいなものも同じであり、先に保存した記事も、もうひとつの記事を一時保存から保存(下書きor公開)した時点で、その記事に上書きされてしまったのねぇ~。
悲しくも、名前を変えて保存した時点で、PCのファイルの様に新しく作成されると勘違いしていました。2度も消してしまってパニクり、どうにか4は復旧できたものの、5は混乱の中で失くしてしまいました。
一度書いた記事を、また最初から書くという行為は、結構厳しいものがありますねぇ~
さて、
気を取り直して、
前回の元日は屋島へ4 長崎鼻へからの続きです\(//∇//)\
長崎の鼻で備讃瀬戸の素晴らしさをあらためて実感し、再び屋島北嶺山上の遊鶴亭まで戻ってきました
時刻はもう午後2時になっております
先に遊鶴亭を出発したのが12時24分だったので、長崎鼻までの折り返しが1時間の予定でしたので、36分オーバーしてしまいました
これから、屋島山上北端の遊鶴亭から南端の冠ヶ嶽まで縦走して、可能なら屋島ケーブル軌道跡を通って八栗寺に向かう予定です
南嶺の駐車場まで2、350m、そこから冠ヶ嶽まで歩いて、屋島ケーブルの屋島山上駅まで引き返して1時間はかかるかと思われ、日没を17時と考えると今回は八栗寺は厳しそう
14:06 E
細尾根を進み、北嶺山上が広がって来ました
往路は左(東側)から来たので、帰りは右(西側)を通ろうと思います
この先を右へ進みます
14:13 Q
天平勝宝6年(754)に鑑真が大和に向かう途中で、暴風雨に遭って北嶺に上陸して千間堂を建てたと言い伝えられているそうです
14:14 Q
西側の魚見台
14:15 Q
魚見台から南嶺と高松市街が見通せます
14:30 A
北嶺と南嶺の間の細尾根まで戻ってきました
14:38 ⑱
南嶺の談古嶺から、今歩いてきた北峰を振り返ります
14:46 R
もうひとつ南よりにある談古嶺の展望所
14:47 R
相変わらずこの辺は人がいませんねぇ~
14:48 R
屋島ドライブウェイは駐車場待ちの車がこんなところまで繋がってる
14:51 S
この眺めの良い場所の後ろを振り返ると
14:52 S
廃墟マニアの間では有名な廃ホテルの甚五郎が・・・
14:54 S
政府登録国際観光ホテルだった立派な建物です
14:54 T
甚五郎のすぐ傍に八栗寺に向かう遍路道があります
この先で屋島ケーブルの軌道跡を歩く事が不可能な場合は、ここまで引き返してこの道を下る事になります
遍路道分岐点にあるお地蔵さま
屋島を訪ねて 1949・2・7
エドマンド・ブランデンの詩碑
この石碑を見てると上高地の誰だったかなぁ~・・・を連想します
そ~そーウェストン碑
この辺りまで南下して来ると、五剣山の5つの峰が良く見えるようになります
地元の人に聴いた話では、第5峰は高級石材の庵治石として削り取ったという事です
瀬戸内海沿岸には花崗岩はいっぱいあるのにどうして庵治石だけが人気があるのでしょうか
峰が細く一列に並んでいるので見る角度によってかなり違った形に見えるようです
山頂は木が生えていないので、展望が開けて素晴らしいとの事ですが、四国で1番危険な山であるとも聴きました
南嶺の山上が狭まって道が合流して1本道になりました
最近発掘整備され、公開された屋嶋城(やしまのき)城門
ここから見下ろす高松市街は、かつては入海でした
平成14年に城門を発見して屋嶋城の存在が証明されました
発掘された石積みの一つ一つの石に番号を振り、復元していくという途方もない作業によって古代の城門が再現されました
高松市の本気度はほんものみたいです
城門を通って遍路道に至るルートが作られました
この道を下れば、今朝通った不喰梨の近くの遍路道に出ますがきつめの坂道との事です
時間があれば遍路道まで折り返してみるのですが、次回の楽しみにおいておきます
ここにも、誰もいなかった
あんなに車が来てるのに、みんな初詣だけで帰ってしまうのでしょうか
天気もいいし、もったいないです
15:08 X
さあ、遊鶴亭を出発して、1時間以上過ぎています
予定ではもう、冠ヶ嶽から屋島山上駅まで戻って来てる時間だよ
あのお洒落なコンクリート製の建物はひょっとして
屋島ケーブル屋島山上駅
冠ヶ嶽へはこのトイレの間の小道を進みます
右の建物は山上駅の旧トイレ(立ち入り禁止)、左は新しく整備されたトイレです
平坦で、しっかりした道が屋島南端へと続きます
屋島経塚
冠ヶ嶽到着です
断崖の上からの絶景
ここからは五剣山の峰がよりはっきりと確認できます
八栗ケーブルもしっかりと確認できました
今日はもう、八栗寺までは行けそうもないので、屋島南端からの確認までとします
折り返して、屋島ケーブル山上駅へ戻ってきました
昭和初期の洋風建築でしょうか
経済産業省より近代化産業遺産に認定されているそうです
駅の建物は立ち入り禁止だけど、ホームは通れると聴いていたけど、どうなんでしょうか?
10年以上前には屋島ケーブル屋島山上駅観察会も催されたようです
次回は、いよいよ今回いちばん期待している軌道跡を歩けるのかどうかもし、歩けない場合は廃ホテルの甚五郎前の遍路道まで、引き返して檀の浦へ下りることになります
では、また
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