(前回の続き)

 判決後に開かれた報告集会での、妻の笑子さんの言葉は深い。

「必死に働いてきた夫の名誉を傷つけた会社を腹立たしく思い、提訴しました」

 至極もっともな見解、行動である。大切なのは、命と人の気持ちである。会社側(それは人間による組織)が亡くなった社員と、遺族の立場や心情をよく考慮し、誠意を尽くしていれば、遺族も裁判など起こす必要はなかったかもしれない。人の立場や心を踏みつけてまで、自己保身に走る被告の醜態ぶりは、あまりにも見苦しく、人として企業として、恥ずべきものであった。

 当節このような外道企業が多いのは、損得勘定にまみれて脳みそが腐っている輩がトップにいるせいかもしれぬ。また、こんな企業だからこそ、従業員の過労死が起きるのだとも言える。


 裁判を担当した浅野則明、村山晃、佐藤克昭、岩城穣の諸弁護士のうち、村山弁護士は次のように述べた。
「過労自殺の責任が全部会社にあると認めたところに、判決の重大な意義がある」

 従業員の過労状態が当たり前になっている現代社会ではなお、企業のあり方を明確にし、法の力をもってしかと責任を取らせなければならない。従業員を健康的に働かせるのは、企業の義務なのだ。それを無視する企業が多すぎる現実を、見逃してはならない。

 実際これまで、企業を甘やかしすぎ、労働者が一方的に理不尽な忍耐を強いられていた。この横暴を徹底的に暴き、是正させるのは国ぐるみの義務なのだ。


 それに関連して、気になることがある。遺族には、国からは労災保険金、会社からは損害賠償金が支払われるが、労災給付分などは、この賠償額で減額されたらしい。いったいなぜそんな計算が入るのだろう。

 労災保険とはそもそも、こんなときのために懸けてきたものであり、労働上の災害には、保険金が支給されて当然である。会社が賠償金を支払ったからといって、保険料を減らすのは、どういう理屈なのか。労災保険と賠償金は、なんの関係もないはずだ。掛け金を取るだけ取っておいて、払う段階になれば、屁理屈をこじつけて出し渋りする。これでは、民間の生命保険会社と変らない。国までもが企業と結託し、労働者をないがしろにしているのではないか。

 飲食店経営会社エージーフーズ(本社・京都市東山区)のそば処「鷹匠」三茶店(伏見区)店長勤務の寺西彰さん(当時49歳)が、自殺した。


 彰さんは92年に中京区の同レストラン店長となり、業績悪化による長時間労働を強いられていた。95年1月から約1年間で平均労働時間は1日約12時間、休みは月平均2・2日しかなかった。95年秋から頭痛や血尿などで通院し、96年2月、勤務後に伏見区内の団地から飛び降り死亡した。過労によるストレスが原因だったと見られる。


 01年3月、京都下労基署はこの件を「過労自殺」と認定したが、当のエージーフーズ(本社・京都市)は、

「自殺に関して、会社側に責任はない」

「店長として自らの裁量で勤務時間を決定できたはずだ」

などと主張し、謝罪や再発防止対策を拒否した。

 外道会社の常套句はかくのごとく身勝手にして薄っぺらである。

 仮に「自らの裁量」を駆使できたとしても、過度に働かねばならぬ状況に追い込まれる場合は、大いにありえる。ある程度の役職を持っているならば、なおのことだ。上記の文句を並べた連中とて、それぐらいの洞察もできないほどの馬鹿ではあるまい。知らんふりをして現状無視を決め込んでいるに違いない。


 かくして遺族(妻の笑子さん・息子二人)は同年6月、エージーフーズを提訴し約1億円の損害賠償を求めた。
 京都地裁の松本久裁判長は、彰さんの休日が1ヶ月に2日程度しかなく、連日12時間に及ぶ長時間労働をしていたことを挙げ、

「売り上げの回復を求められ、過重な労働を強いられていた」

「意に反する異動の内示を受け、強く説得されていた」

と仕事による重いストレスも認定した。さらに、

「過重な長時間労働が続くなどストレスが積み重なって鬱病になり、衝動的に自殺を図ったと認めるのが相当。会社は寺西さんの勤務実態や異常な精神状態を知り得たはずだ」

とし、被告側の「安全配慮義務」怠慢を指摘した。

 被告側は、過失相殺の主張をいっさい退けられ、約6,500万円の損害賠償支払いを命じられた。



(続く)



 この女子大生の家族は、娘の妊娠に気づいていなかったそうだが、出産したことは知っていたのだろうか。赤ん坊がいれば、泣き声がするはずだ。ましてマンション住まいでは、気づかないはずはなかろうと思うが。その点について、記事には何もない。


 実際、10日近くも自宅で赤ん坊の世話をしていたのだろう。そうでなければ、嬰児はすぐ死んでしまう。それだけの期間、めんどうをみていたのなら、けっこう上手にやっていたのではないか。母親などが手助けをしていたとも、考えられる。

 仮にそうだとすれば、今回の置き去りについて、その人物はどういう位置にいるのだろう。唆した本人なのか、相談を受けてはいたが反対したのか、あるいはその人が知らないうちに、女子大生が勝手に乳児を捨ててきたのか。事は不明である。


 世間では、

「赤ちゃんポストに入れろよ」

との声も聞こえる。確かに、岡山県から熊本市までは遠いが、連れて行けないほどの距離でもないとは思う。捨てるぐらいなら、既に合法となった手段に頼ればよかったのではなかろうか。もし親が知っていたのならばなおのこと、そう勧めるべきであろう。

 熊本市まで行くのがめんどうだからと、「わざわざ」地元の保育園を選んだのではという線が強い。殺すのもなんだし、ここに置いとけばなんとかなるだろう、と気楽に考えたようだ。赤ちゃんポストが合法だが、保育園置き去りは逮捕されるべき犯罪なのだ。そのことに気づかなかったとみえる。


 それにしても、赤ん坊の父親たる男は、この件についてどういう態度なのかね。女を妊娠させ、捨て子の罪まで負わせ(直接やっていないとはいえ、原因を作ったのは事実)て、逃げ隠れしているのは、かなりえげつないと思うが。



女子大生が出産した女児を遺棄 ネットで波紋
 岡山県倉敷市において2日、出産した女児を保育園に遺棄した女子大生(18)が逮捕された事件がネットで波紋を呼んでいる.......... ≪続きを読む≫


 男女同権だの時勢の人権だのという「言葉」が、どれもこれもまやかしめいている背景が、垣間見える事件である。もっと正確に言うと、この事件に対する世の反応によって、日本における女性の人権侵害が見えるということだ。


 今年の6月23日頃、岡山県倉敷市の女子大生(18歳)が、自宅マンションで女児を出産した。ところが翌月2日、その女児を保育園に遺棄したという。発覚し逮捕となったが、これについて本人は、「養育ができないため」と言っているらしい。


 妊娠、出産絡みの事件が起きると、世間ではまず必ず、当事者の女性(つまり母親)が叩かれる。もっと正確に言うと、女「だけ」が叩かれる。女の腹がでかくなり、赤ん坊は女の体から出てくるという、ただそれだけのことで、女だけがぶちのめされる。大衆がここまで無知蒙昧さらに女性蔑視であることに、今さらながら驚く。


 女だけでは妊娠できない。男がその行為に及んだからこその結果である。仮に女が誘惑したにしろ、強く望んだにしろ、良識ある男なら責任取れないことをすべきではない。しかるに、快楽しかアタマにないその場限りの行動で生きている恥知らずな低脳男ほど、ゲビゲビと肉欲に溺れ、しかも中出しする。そうして、あとは知らん顔、後始末も世間の非難も、全部女に押しつけて、トンヅラこくわけだ。こういう野郎は懲罰として、サオもタマもちぎり取っちまえばいい。


 ただでさえ、妊娠だの中絶だのは、女「だけ」に負荷がかかるものだ(男は出すもん出してスッキリするだけだ)。本当にその女を大事に思っているなら、危険なめにあわせるはずがないだろう。インポと言われようが、意気地なしと罵られようが、耐えて女を護るのが本物の男ってもんだ。

「アイテル」だの「スキダカラ」だの「シゼンナコウイナンダ」なぞといかにもっともらしくほざいたところで、男の身勝手な欲望処理に他ならない。


 結婚を前提としていたところで、人生何事が起きるかわかったものではない。突然男が、病気や事故で死ぬかもしれないのだ。そんなときに女が妊娠中だったらどうなるのだ。女は未婚ながらも寡婦同然となり、腹の子はてて無し子だ。婚姻届を出していなければ、法的には単なる未婚の母だ。世間は、そんな境遇の女をこぞって侮辱し貶めるものだ。


 実際、この件についてネットに吐き出されている意見のほとんどが、女叩きだ。相手の男など、まったく問題にしていない意見が目立つ。

 こんな世の中だからこそ、法的にも精神的にも、じゅうぶんに護ってやれる立場になって(つまり婚姻届を出して)から、子作りするのが本当の愛情だろう。それもわからんで目先の快楽だけに溺れるようなやつには、夫はむろん、父親になる資格なぞない。


 世の中には、婚前交渉で子どもを儲け、その後も幸せな結婚生活を営んでいるという人も多いだろう。しかし、それはたまたま運が良かっただけかもしれない。無思慮、無責任な行為ゆえ、不幸な結果(中絶された子や捨てられた子も含め)に終わった者も、数知れないのだ。


 このような無責任な性行為や妊娠が後を絶たないのは、社会が男だけに寛大であるせいが大きい。女だけを悪者にし、ぶちのめし、それで「解決」とする。中出し男は、痛くもかゆくもない。何も傷つかない。したがって、反省なぞするわけもなく、同じことを繰り返す。他の男どもも、真似したがるわけだ。

 なにしろ、日本は男の身勝手に甘いのだ。世間は、男を一切といっていいほど責めず、騙される女がバカなのだとまで言って、男をかばってくれる。男にとって、こんな都合のいい社会はめったにないだろう。少なくとも、教養度の高い先進国ではありえない。発展途上国になら、ごっそりと存在するだろうが。

 



女子大生が出産した女児を遺棄 ネットで波紋
 岡山県倉敷市において2日、出産した女児を保育園に遺棄した女子大生(18)が逮捕された事件がネットで波紋を呼んでいる.......... ≪続きを読む≫


(前回の続き)

 2007325日、吉田さんら組合員14名は、中央大学構内にて生協職員の権利を訴える活動を行ったが、同大学によって警察に通報された。吉田さんら14名は、20日間の勾留処分を受けた。


 中央大学総務部の藤本義明部長によれば、

「大学側は、早く解決して欲しいという思いで当初は争議を見守っていた。だが、昨年の最高裁判決で争議は解決したはず。これ以降の情宣活動には退去勧告書を出してきた。それでも学内での情宣活動が収束しなかったため労組員らに対し立ち入り禁止の仮処分を下した」

 どういう言い方をしようと、「学内での事件にいっさい関わろうとしなかった無責任」の結果であることに変わりない。

「昨年の最高裁判決で争議は解決したはず」

と言うが、「パート職員に対する待遇是正」というテーマが途中でごまかされ、何も解決していない。解決したというのは、あまりにも根本無視の身勝手な言い分である。


 事の起こりは、「労働基準法で認められているパート職員に対する有給休暇行使の権利」を、中大生協が認めなかったということなのだ。

「吉田さんの労働者としての権利は大切だと思っている」

という藤本義明部長のセリフは、自身を悪者にしないための口上にしか見えない。本当にそう思っているなら、なぜ今なお粗末に扱うのだ。組合員は、ただ正当な権利を要求しているだけだ。なぜそれを認めないのか、あまつさえ認めない自分らを正当化するのか。初めから、職員の権利を尊重していれば、こんなことにはならなかったはずである。

「大学の委託業者は生協だけに留まらない。生協の労働実態がどのようなものかはわからなかった」(藤本義明部長)

というセリフは、責任者たる立場の者がよく使う、言い訳にもならぬ愚言である。


 委託業者が複数あるから労働実態がわからぬというなら、つまるところどの委託業者についても掌握していない(ふりをする)のだろう。少なくとも、何か事が起きた際は、今回のように「わからない」と言って逃げるに違いない。大学側から生協に対し、何なりと労働条件の是正指導をすべきなのに、それをしなかったのは怠慢に他ならない。

 ともあれ、これまでは「わからなかった」が、現在は事の次第がすべて明るみに出た。この現時点では、どういう見解を持っているのか。むろん、そんなことを答える勇気なぞあるはずなかろう。

 2002年から2005年まで、中央大学の学長を務めた角田邦重教授(労働法を専門とし、派遣労働者の人権にも詳しい)は、この事件についてのコメントを求められると、以下のように答えた。

「以前からトラブルがあったことは知っているが、大学内の問題で、以前学長を務めていたこともあり微妙な立場なのでコメントは差し控えたい」

 その道の大家、権威者とも仰がれる専門家が、このような姿勢だと、同じ道を志す若者の士気を大いに削ぐに違いない。いや、そうした方面の若者に限らない。名ばかりの権威が横行する社会は、人々の意識を低下させる。

 「微妙な立場」とは、便利な言葉である。角田邦重教授は、せっかくの知識をなぜ有効に使わないのだ。この人にとって、労働法だの派遣労働者の人権だのは、自身を飾るための道具にすぎないのか。

 上層部にいる人間を、ますます信用できなくなった事件である。

《了》




中央大学で「パートには有給休暇は出せない」逮捕
 「オラオラ!」「おとなしくしろ!」「静かにしてろ!」。「みなさん見てください!」「警察が労働組合活動を弾圧しています!」.......... ≪続きを読む≫