スピリチュアル・エゴ
私は基本的には一元論、唯物論を支持する立場のようである。
具体的には「心は脳の特殊な機能である」(一元論)という
ある認知神経科学(いわゆる脳科学)者の言説に与す立場です。
そして、私もこの科学者もスピリチュアリティを否定しないし、
私も彼も認知神経科学とスピリチュアリティとの融和性を見出したいと考えています。
しかし、残念なことにあるスピリチュアル・ケア、スピリチュアル・メディスンを実践する
心療内科医の気になる発言を目にしてしまいました。
(この奥山医院 ホームぺージの「はじめにお読みください」を参照ください)
唯物論の者や保険行政に関わる者の閲覧は一切お断りとのことです。
だいたい唯物論の定義を狭義に捉えすぎていると思うし、
たとえ狭義に捉えたとしても閲覧お断りとは何かとても違和感を覚えます。
おそらく、この医師は、一部の硬派な唯物論者や保険行政からこっ酷くやり込められたと推察します。
こういう議論の余地を与えないスピリチュアリティ提唱者がいるから
スピリチュアリティへの誤解も生まれ訳です。
だいたい、この医師は、唯物論者から挑まれるであろう議論を因縁と
ホームページ上で言ってのけているのです。
(私が少量のアルコールを摂取していようものなら、「貴様、口のきき方に気をつけろ!」と
それこそ因縁をつけたくすらなるでしょう。売り言葉に買い言葉です。江戸気質であります。)
これは、私から言わせて頂ければ、スピリチュアル・エゴにほかなりません。
心の進化を謳う者たちのエゴはとても胡散臭くなります。
先日来の憤りがまだ覚めやらぬ例のエセカウンセラー同様に・・・。
心の進化はやはり自我を超えたものと、私は捉えるからこそ。
・・・まあ、私も近年、賢者になりつつあるので、
このエゴイスト達の言動どころか存在すらを黙殺しようと思います。
アーメン
死で償うことと、自殺率との相関
日本の死刑制度に不満相次ぐ
死をもって償う。
生ある者の死を潔い行為とする意識が、どこかにあるような感も否めない。
例えば、死刑制度には応報刑としての側面もあり、
また、被害者感情として死をもって償えという思いは殺意にも通ずる。
心情は察するが、感情的にであれ、他者の意図的な死へ介入する訳である。
他者の生命の扱いにおいて「生」「死」以外に「殺」が存在する訳である。
これが健全といえるのであろうか?
恐らく、こんな時の感情としての殺意は、健全に限りなく近いと捉えられるのかも知れない。
私がこれ以上、日本の死刑制度を言及するに足る見解は持ち得ないけれど、
日本の自殺率を考えると、日本人の死生観は何かバランスを欠いているようにも思える。
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ましてや、他者の死へ他者が介入することの難しさには議論の余地はあるだろう。
今一度、日本人の良識を疑う必要はあるだろう。
少なくとも、私は、この記事に対する他の日記でのコメントの多くを読めば、
何か違和感を覚える。
せめて、死刑やむ無しというならば、もう少し粛々とした輿論を背景にして
執行されるのが健全であろう。
死刑制度を即刻廃止せよとは言わないが、
日本人の死生観を再考するべき時かも知れない。
役立ち 喜ばれ 評価されたい
こんにゃくゼリー騒動勃発中
10月7日、マンナンライフが「蒟蒻畑」シリーズの製造・販売を一時停止することを発表した。 これは兵..........≪続きを読む≫
今、マンナンライフは不幸にして「蒟蒻畑」へのネガティブな評価により、苦境に立たされています。
輿論では、賛否両論がありながらも支持する声が多いようです。
以下、マンナンライフの企業理念を想えば
彼ら経営陣がその理念に沿った行動を今回取ったと評価したいと思います。
と同時にこの企業が復活することを私は確信します。
今回の場合は、消費者や行政より、企業がより賢明な行動を取ったと言えると思います。
なぜなら、たとえ言い掛かりのような評価でも、喜ばれないなら創らない。
喜ばれる物を創るのが、マンナンライフの姿勢だと感じます。
※以下マンナンライフ企業理念より
役立ち
喜ばれ
評価されたい
企業経営するためには、
経営の基本的な思想(哲学・考え方)技術(人間生活に役立ち喜ばれる技・芸)が必要であり、
わが社ではこの原理・原則からわが社の企業理念がうまれました。
理念は、
企業のあるべき姿(理想像)に向けて進むべき道を照らす"光"であり、
道に迷った時に正しい方向を指し示してくれる"羅針盤"だからであります。
わが社は、全てを企業理念に照らし合わせ、
開発・製造・販売・人事等々ベクトルを合わせて、
義務と使命を果たす事がわが社と社員・家族1人1人の幸せに対しても大切な事と信じ、
日夜努力しております。

