科学は、学びを科すること
これは元広告屋仲間の中谷彰宏が言っていた言葉。
先日来からの憤りの原因は、人はある職業に就くと
もうキャリアゴールに到達したかのように視野が狭くなり、
学びが減ることかも知れないと思い始めました。
ところで、科学とは、学びを人間に科する(課する)ことかも知れないと考えました。
科学の多くは、未だ仮説のものも多く、さらに人間達は研究を続けています。
どんな分野においても・・・
そんな状況の中、何かを極めたと思い上がることは、誠に愚かなことだと感じました。
死んだら、今度は何に生まれかわろうかな?
やはり、来世も人間に生まれてこようと考えていると、今朝、夢から覚めました。
前世、この世、あの世、来世にも「上がり」はありません。
心の哲学
私は本来、心理学的タイプでは理論立てた話が苦手なくせに
理屈っぽい話が好きなところがあります。
人間、ある程度の年齢になると利き手ではない方の心を使いたくなるというのが、
ここでもよく現れていると思います。
まあ、理論立てた話と、理屈っぽい話は、よく考えてみれば違うのかなとも思います。
理論立てた話が得意は人は、話の組み立て方も上手いし、知識も豊富なので
話の内容が平易であり、分かりやすいものです。
そして、私のようなタイプはまさに理屈っぽいだけなので、話が分かりにくいのではないかと思います。
こんなことが話の導入で来るくらいなので、ほんと理屈っぽいなあと自分でも呆れます。
アイスブレークにもなっていなくて、逆に凍りつきそうですね・・・。
しかし、こんなブログでも、たまに「興味深く読ませてもらっています」とメッセージを頂けるのが救いです。
ありがとうございます。多謝。
ところで、(やっと本題か)・・・
前回のスピリチュアリティに関連して、心身問題といいますか、心の哲学についての予備知識として
ウィキペディアが少し参考になりますので読んでみては如何でしょうか。
(ウィキペディア: 心の哲学 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6 を参照)
ここでさえ、唯物論、一元論と言っても広範で広義なことが分かるのに
前回のブログに登場した心療内科医は、やはり唯物論の扱い方が粗雑だなあと思いました。
こんな粗雑な理論立てで、人間の心に介入できるのかなあと疑問にも思います。
あっ、いけない!もはやエゴイストは黙殺するつもりでした。


