手術が終わり、身体も生活も落ち着いてきた頃から考えていたことで、

再建に使われたのと健康な方の胸のシリコンについて。

 

まず、胸筋の下に入れるとのことで、胸筋に力が入った時にボディビルダーのように胸が動く。

皮下乳腺全摘をした方は、皮膚が薄くシリコンの波打った表面が皮膚まで波打たせていて冷たく汗もかかない。

そういった違和感に嫌悪感を持ってきたが、医師は『仕方ない』程度のことしか言ってくれない。

 

手術前にシリコンの寿命について聞いたが、

『最近のシリコンは良くなっているので破損しない限りは入れ替えは必要ない』と言われて真に受けていた。

しかし美容整形でシリコンを入れた人が体内異物免疫反応による体調不良と抜去による改善が取り上げられていて、

入れ替えなり他の手術を受ける必要を感じるようになった。

https://wellnesskk.com/blog/uncategory/breast-augmentation/

https://www.theclinic.jp/column/no197/

 

今年の春頃、1年半~2年ぶりに定期検査に行ったが、大して話を聞くつもりもなさそうだったので何も言わずに帰ってきた。

定期健診にしてもそろそろ他院を探そうと思ってはいたが、

乳がん再建の再手術は保険適応だが、他方は抜去も20万と書いてある院があったので、

乳がんの手術をした病院で双方の抜去をしてもらい、

再手術を他院に改めていかなければならないのか⁉

 

抜去して健康な方はただの垂れた貧乳になるだけだが、

皮下乳腺全摘を行った方の胸はえぐられたような状態でかなり痛々しい状態になるはずだ。

自家組織での再建をやっているところであれば、下腹部の肉を30~40センチ傷跡を残して取り移植、

脂肪を移植する方法の場合手術代は自費で200万くらい掛かるらしい。

自己満足のためにそこまでするのか?

手術から5~6年。4~5年の間に考えなければならなそうだ。

 

癌の診断から治療している間はそのことで一生懸命だが、

『命が助かったんだから』という言葉に惑わされず、出来る事なら手術の前によく考えるべき問題だ。

喉のイガイガから1~2日して夜熱っぽくなり、

翌日休みだったので念のため発熱外来を受けようと横浜市のコールセンターに電話するも

『日曜に案内できるところはない』『住まいの区以外で案内出来ない』と言われ、

翌朝仕事前に行くべく開院を待って電話した。

しかしPCR検査は更に翌日の夕方以降になるとのことで、仕事を休むことに。

ここで職場のオーナーの言動にいろいろ問題があったのは省略するが、

多少の熱でも仕事に穴を開けるわけにはいかない!精神の美容師でも

他人様にまで危険を晒すべき時代ではないのでお客様にご連絡し休ませてもらった。

 

紹介のあったクリニックは2つ、共に結果は翌日になるが、電話の感じが良く少しでも早く診てもらえる方に行った。

途中横浜中華街の中を通ったのだが、よくも平日にこんなに人がいるものだと思った。

オリンピックのせいにしている人は多いが、

実際横浜ではコロナなんて他人事、オリンピックの開会前からウロウロしている人が目に余っていた。

私は職場と家の間を自転車で通っているが、明らかに用もなくフラフラしているカップルや家族連れが増えていた。

私は美容師という仕事上、余りに引きこもられると仕事も暇になるので外出する気になってくれて助かる面もあるが、

この単独でない行動をしている人たちは頭がどうかしていると思っていた。

 

そうこうしてクリニックで唾液を採取、翌日夜になるかもしれないが電話で知らせるとのことで帰宅。

微熱が続いていたので寝たり起きたりしつつ外出はしなかったが、

ここまでは買い物など最低限の外出にとどめるようにと言われるに過ぎなかった。

そして翌日、微熱が続いているのであまり食欲もなく、まだかまだかと結果を待った。

途中職場から催促の連絡があったが、私が急いで何かを出来る筈がないのが分からない人がいるものだ。

クリニックでも言われたが、陰性だと夕方までに結果が出るが、

陽性の場合は再鑑定するので夜になる、と。

夕方を過ぎた時点で、ホントに感染の確立が高くなったことを実感し、覚悟し始めた。

クリニック営業終了間際に電話して、念のため連絡ミスやこちらの電話が通じなかったなどなかったか伺ったが、

嫌な態度も一切なく、確認してくれたがまだ来ていないことに間違いがないと。

職場報告があるので、結果が出なかったとしても必ず連絡くださるようお願いした。

 

夜8時頃、先生から電話があり、淡々と説明された。

翌日保健所から電話があるであろうこと、隔離期間は発症してから10日間、

その他聞いておきたいことはありませんかと。

そして翌日、保健所から連絡があり、自宅療養のしおりをホームページから閲覧できること、

パルスオキシメーターを手配するので受け取ること、

希望者には生活支援パックと弁当を送ります(神奈川県)ということ。

LINEで毎朝安否確認をとるので登録しておくこと。

忙しいだろうに落ち着いた感じで丁寧に指導してくれた。

その後また別の人から電話があったが、いきなり名前を間違われていたので大丈夫かいなと思った記憶しかない。

 

次の日から朝8時くらいにLINEが届き、寝ていて返信できていないと

050の自動音声から電話があり、番号で答えるのではなく声で答えなければならず、

寝起きのかすれ声で『はい』と何度答えてもなかなか受信できないようで何度も一方的に切られて困った。

これが毎日続き、どうにかLINEで返事を送ろうと明け方何度も目が覚めて、

答え損ねて電話で起こされる、4~5日目からワタミの冷凍おかずが3食分届くようになり、

これまた朝チャイムが鳴って返事をしないと置いて行ってくれないので起きる、

という生活が続いて、お陰で変な生活リズムになってしまった。

保健所の連絡の際に、濃厚接触者の定義や職場の同僚はどうなるのかを聞いたところ、

なんと『発症2日前にマスクなしで15分以上』接していなければ、濃厚接触者には当たらないとのこと。

その為、症状が特別出ていなければ、同僚もお客さんも検査する必要はない、とのことで驚いた。

私が感染判明しても、思い当たるところなども聞かれないし、こちらが言っても『大丈夫です』と言われた。

もはや、無症状は無視、多少の症状があって出勤していても周りが発症して受診したらその人だけ10日監禁という罰。

こんなんじゃ受診しなくなる人が増えるよな、と思ってしまった。

 

私個人の症状は咳と微熱だけで、クリニック受診の際に1週間分の炎症を抑えるトラネキサム酸と

痰切り・咳止めを処方されていたので咳で死にそうになることもなかった。

熱のせいと、ムカムカした感じがあり余り食欲がなく余り食べていなかったのだが、

3日目くらいに急にお腹も空き始め、熱も下がったと思っていたが

結局微熱は続いていて5~6日は下がらなかったらしい。

このまま私の平熱は37.5℃くらいになったのではないかと本気で思ったほどだ。

しかし無事平熱に戻り、時々乾いた咳が出る程度で、食材はあったがワタミをチンして食べる生活が続いた。

元々家に居るのが好きな方だが、丸々10日引きこもりに耐えられるかと思ったが快適だった。

その間心優しい友人2人がアイスとジュースを差し入れしてくれた。

ホテル療養は差し入れどころか忘れ物も接触できないらしいので、一人住まいの療養は悪くない。

 

身体の変化というと、さすがに熱があり基礎代謝も上がる上に食べていないので痩せる。3キロやせた。

普段肉体労働であちこちバキバキだったのだが、当初座っていたら座骨が痛いし、寝すぎれば腰痛が辛い、

と思っていたのに、熱が下がったくらいからどこも痛くなくなった。

しかも、自分のふくらはぎがこんなにも柔らかくなれるとは知らなかった。

本来の姿なのか、普段無理していたのがよく分かった。

いつも職場で冷房の中にいて体調の悪い夏、扇風機だけで過ごして体調が良くなった。

いつもはシャワーだけで済ませると脚がつるので湯船につかっていたが、シャワーでも全く問題がなくなった。

 

療養生活が残り3日になったら保健所から連絡がある、と聞いていたのだが、

そのころ横浜市の感染者が1100人を超え、きっと保健所も忙しいんだろうと思っていたら連絡がない。

翌日もその翌日もない。本来予定通り自宅療養を終了できるかの判定なのだが、ない。

そして最終日を迎えた。それでも連絡はなかった。

その翌日(今日)LINEの安否確認は来なくなり、ワタミの宅配も来なくなった。

正式に終了して良いという事なのであろう。

私はパルスオキシメーターと一緒に入っていたレターパックに

アルコールで拭いたパルスオキシメーターを入れ郵便局に出しに行った。

感染者が増えて、次に必要な人に早く届けてあげてください。

 

メディアでは自宅療養をとても悪く言って不安を煽ってばかり行くけれど、

そもそも感染しないようウロウロするのをやめましょう。

それでも感染してしまった人、風邪で咳が止まらなくても死ぬかと思います。

咳が続くと酸素飽和度も下がります。咳止めを処方してもらいましょう。

あまり大袈裟に入院させろとか言わないで、自分の治癒力を信じましょう。

解熱剤も40℃越えなければ脳は解けません。むしろウイルスを殺すために熱が出ているので出しておきましょう。

少なくとも神奈川県は一生懸命やってくれているし、私は本当に助かったと思いました。

ただし、欠勤した分の保証は私の場合歩合で働いているので一切なし、お金に余裕がない人は罹ると生活が困窮します。

私はまた明日から体力の不安はありつつも仕事復帰します。

そうそう、余り話す機会がないので忘れていたけれど、

抗がん剤治療中、ふと同僚に『あれ?背が低くなった?』と聞かれたことがあった。

抗がん剤の副作用なのか、生理が止まることによるホルモンなどの影響なのか、

他の経験談などでも聞いたことがないが、本当になるんだと思う。

私の場合はかろうじて抗がん剤治療が終わって少ししたら

ホルモン治療もなしなので生理が戻ってきて身長はいつの間にか元に戻ったようだが。

何が影響してるんでしょうね。

コロナ渦にいつの間にか手術して3年が過ぎ、乳がんの疑いから告知を受けて4年になった。

今年も他の病院を探すのも面倒なので治療から手術をしたクリニックに定期健診に行ってきた。

 

今回は胸やリンパ節が張る感じがするのと胸筋がひりひりするような痛みもあったので

東京で新型コロナが増えつつある時期ではあるが。

そこでまた、担当医に申告するも

『そりゃねぇ雨が降れば痛くなるんだよ』と切り捨てられる。

いつもながら、やしきたかじんみたいな担当医は

悪びれるもなく、こちらが戦意を失うようなおとぼけ切り捨て医である。

 

そして去年看護師に『PET-CTを受けたかったらまたお電話してください』と言われ

受けたくないのでスルーしていたのを、今年は受けた方が良いというので受けることにした。

結果はまた聞きに行かなければならないが、

実は7年半務めてきたストレス満載の職場を遂に変わることにしたので、

新たな門出にちゃんとしておこうと思ったのである。

 

ちなみに2週間ほど前、厄除けで有名らしい寒川神社に参拝もしてきた。

気が付けば六星占術で大殺界の真っただ中なのだ。

とはいえ、乳がんが発覚した際は割とよい星回りだったはずなので、

占いをあまり気にするのはやめることにしたのだけれど、

悪いことが続いたり、新しい事を始める際には

できれば良い流れが生まれてほしいと思うものである。

 

この時もPET-CTを受ける病院の予約をしてもらえばよいと思っていた。

しかし初めて関わる看護師が『後日書類を送ります』と言われ

以前電話で予約したら着払いで送ってこられたので今日欲しいと言うと

明らかに嫌そうに時間がかかりますけどと言われ、私は待ちますと伝えた。

別に病院に行くために時間を取っているので、そこで30分待ったとしても気にしない。

 

5~10分くらいで書類が出来てから、

『他の患者さんを待たせて作成しなければなりませんので電話で事前に依頼してください』とのこと。

そんなの1年毎にしか行かないので制度が変わってもこちらが知る由もない。

受付スタッフも看護師も変わっていることや毎度の不快な応対は

このクリニックが問題を抱えて放置しているのが伺える。

そもそも結構な支払いをしてきているのに、診察券を再発行は1000円、

書類は宅配便での着払いか取りに行くだけで郵送はおろか書留も個人情報なので不可とか、

世間では普通ではない銭ゲバで変な決まりが多いのである。

 

美容室であれば、こういう不快な思いをしたら『二度と行きません』などと悪い口コミを書かれて他に行くであろう。

しかし乳腺科とか、病院は選択肢が少なく、通える範囲なども考えると、

他を探すのも大変なので、ある程度我慢して行くかということになる。

その上他の考えを知る方法も難しいので、治療方針と手術の方法はもうお任せするしかないので、

正しかったのかどうかも後の祭りとなるので難しい選択だと思う。

すっかり久しぶりの更新になりました。

乳がんが分かって、人生と死ということを真面目に考えて

むしろ人には若いと言われても将来何も待っていない私にとっては

早めに人生を終われるという方がむしろマシに思い至ったし、

『会えなくなるのは悲しい』と言われたり、

『親より先に逝くのは親不孝だ』と言われたり考えたりしたとき、

そして抗がん剤治療を始めなくてはならないという現実に直面したとき、

一生分泣いたと思った。

 

あれから4年。

私が死んだら、私の飼っているインコの面倒をみて、母に引き渡して、

と気遣っていた私の相棒のセキセイインコが丸8歳になり、

タフで不調になった事も一度もなく、まだまだ元気だし長生きしそうだと思っていたのに、

急に調子が悪くなり、一旦は回復してきたようだったのに、

一気に悪化してしまい、あっけなく死んでしまった。

 

ここ数日、夜明けにバタバタとして息を引き取ったらどうしよう、

朝起きたら冷たくなっていたらどうしよう、

仕事から帰ったら死んでいたらどうしようと思いつつ生活していた。

しかしもう体力もなくなっていたのが明らかで、

次の休みに病院に連れて行くまでもってくれるかと思っていた矢先、

仕事から帰宅したら床にうつぶせで寝ているように冷たくなっていた。

 

ある程度の覚悟はしていた。

けれど、4年ぶりに本気で泣いた。

横浜に来てから一人暮らしをはじめても、

怖さも寂しさも感じずに済んだのは一人と一羽の共同生活のお陰だった。

幼少期から動物は常にいる環境だったが、

最初から最後まで一人で面倒をみたのは初めてだった。

相棒を失って、今晩からどうすればいいのか分からない。

http://www.kotori99.org/

https://hc.nikkan-gendai.com/articles/267070?page=2

 

手術から半年以上経った寒い時期に、

なんだか腕が変だった。むくんできた。

仕事中にふと鏡に映る自分の手を見て、

いつもは骨ばっている私の手の甲に骨が全く出ていなかった。

仕事が終わるころ、腕から指までがパンパンに腫れてきていた。

 

ネットで検索していると、リンパ浮腫というワードが出てきた。

多分これだと思い、対処法は見つからず、

腕や手首から甲のサポーターを買って着けたりマッサージしたり。

病院の相談窓口に電話したが、ただの電話番なのか

『手術から大分たってますよね。聞いたことないですね』とそっけない返事だけ。

 

術後の通院はもう1年後の定期健診で良いと言われていたので、

少し早めの春に予約をしてマンモと超音波で異常なし、

担当医に相談したら、リハビリか何かの外部の先生が春から来始めたのでと

そちらに回してくれたが、電話での応対を言ったら、

そりゃまだそんなに経ってないんだからと全く違うことを言われた。

 

リハビリの先生は医師と違い低姿勢で親切丁寧に説明してくれて、

腕自体ではなく付け根が滞っているから浮腫みがおき、

脇の下方、胸の脇から背中の筋肉を緩める必要があると

マッサージというよりは揺らすことで緩めると血流やリンパの流れが良くなると

理論から方法まで実践して教えてくださった。

毎週通えるか聞かれたが、通院で毎週通っている時が一番大変だったので、

横浜から都内まで休みの度に通うのはちょっと難しい(毎日通っている方も多いですが私には無理です)

というと、そうですね、調子が悪かったらまた相談してくださいと

ここの先生や従事者とは違い優しく寄り添う対応をしてくれた。

 

手術の直後は腕を上げたり回したりすることがもうできないのではないかと思うほど、

腕の筋がギューッと引っ張られて肉も変な歪みを出していたし、

背中はカチカチに固まったようになっていたが、少しづつ伸びていく感じで馴染んでいき、

今では全く以前と変わらない動きが出来る。

しかし、寒い日や気圧の低い日は中の方で傷みのような違和感と浮腫んでいるような感じになる。

私は傷みに鈍感な方なのだが、敏感な方は後遺症で辛いかもしれない。

多くの外科医は病気自体が治ったらもう問題はないと思うのだろう。

 

私の場合はリンパ節の3分の1くらいを生検に回すために切除されただけだが、

それでも身体にはかなりの負担になっているし、

乳腺切除以上にこちらの影響の方が強いのではないかと思っている。

その上、リンパ節に癌細胞は0だったので、切除しなければ良かったのにと思う。

(治療前にPET-CTもやっていないし、化学療法後の手術だったので以前にリンパ節転移があったかは分からないが)

 

ちなみに参考までに、この時習った方法をお教えすると

膝が直角になるくらいの高さの椅子に座り、足に肘を付く感じに起き、

切除の反対の手を切除した脇の下から背中に回してフルフルフルっと揺らし続ける。

かなり緩~い動きで、揺らす手以外他のどこにも力を入れない、貧乏ゆすりのような動き。

これで筋肉を緩めると張っていたところが柔らかくなるというもの。

この時は実際には先生がゆすってくれたお陰でうまくできたが、

病院のベッドに腰かけた状態ではちょっと高さが爪先立ちになっていてやりづらかったので、

ご自分でやってみる際は椅子の高さを高すぎないものに注意した方が良いです。


分かりやすく絵を描いてみました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200102-00010001-jindepth-soci

 

2020年が始まりました。

私はもう7年くらい元旦のみ休みで2日から仕事という生活で、春くらいまで時候がよく分からなくなってしまいます。

ここ数日、なぜかYahoo!ニュースで乳がん関連の記事が続けて出ています。

 

標準治療での化学療法から新薬までの9か月に渡る抗がん剤治療を終え手術を受けてから、

いつの間にやら春頃には丸3年を迎えます。

 

皮下乳腺全摘手術と同時再建しか選択肢が与えられず、

術後回復してから色々な葛藤があるのですが、その話はまたゆっくり書きたいとずっと思っております。

考え出すと嫌な気持ちになるのでなかなか書けないまま過ぎてしまいますが、いずれ…。

 

それと同時に、マンモについても、今は年に1回と言われている検査でも残る片乳だけのために

マンモを強制的に受けさせられるのがウンザリしていたので、

今回のYahoo!ニュースの記事を読んで、日本の乳がん検診ではなぜ強制的に受けさせられるのか本当に疑問に感じた次第です。

 

私が自分でしこりに気づいて2~3か月後にやっと受けられた初めての検査で、

まずクリニックでマンモ、超音波、針生検

紹介状で大病院で再度マンモ、超音波、針生検、そしてMRI、CT、血液検査やレントゲン、心電図もしたかな、

その病院での違和感から別の専門病院でまたまたマンモ、超音波、MRI。

この間、5月末、6月下旬、7月中旬、と月にして毎月、1ヶ月経たない間にこんなにも受けさせられて、

紹介状とはいったい何のためなのか、セカンドオピニオンで持って行った資料は何の役にも立たないのか、

ただでさえ検査に数万円もかかっている上に色々な事を考えながら過ごしている間なのにと

不安や悩みや悲しみや憤りというよりも、本当にうんざりした覚えしかない。

 

去年の検査も本当に行きたくないというウンザリ感が募っていた(これはまた別の不信感からも)けれども、

他の病院を探す気力もなかったので1日だけ我慢と思い受診したけれど、

超音波だけでいいのになと、言うに言えないこのシステム…。

あっという間にまた区切りの1年検診の時期が来てしまう。

こんなことを考えていると、もう検診行くのやめようかなと思ってしまうようになるのです。

この国の病院のシステム、どうにかしてほしいですよね。

再建用シリコン及びエキスパンダーの使用中止となり、患者は混乱しています。既に手術した人も不安ですし、手術を控えていた人も。
 

私のコメントを転記します。

深層まで知らずに意見している方が多く残念です。私も該当シリコンで再建していて心配になり取り出したいとも思い調べましたが、近いうち再開されるものは『旧式』であり、当該品の問題も、適正な定期検診を受けていないで溜まったまま放置されたリンパ液からの『リンパ腫』とのこと、『再発』ではない。人工物を入れるのだし到底元通りにはならないし、メンテナンスは一生付いてくる。自分の腹や背中の肉を切って移植する方法もあるが、数週間の入院と健康な部位への傷と後遺症も残る場合があり、科学が進んで自分の細胞を培養出来るようになれば数百万でもかけてやり直すか、と思っている。子育てに忙しくエキスパンダーで7年過ごしたという人もいたので本再建を少し先にしてもよいと思うし、そもそも新型エキスパンダーも対象になっているので手術しっぱなしになるなど、今すぐ癌を切除しなければならない方々の事が思い憚られる。
 

私の術後の葛藤をずっと書きたいと思いつつ、なかなかその気になれないままですが、また忘れた頃に…。

早いもので手術から丸2年が過ぎました。

 

2017年5月6日退院

そもそも入院と認めていないクリニックなので退院も何もないのだが、前日の夕方から2時間ほどで『皮下乳腺全摘出手術・センチネルリンパ節生検及び同時再建術』と病気でない左胸の底上げ『豊胸手術』が終わり、数時間おきに様子を見ながらはずせる管が徐々に減り、ギュウギュウに巻き付けられていたバンデージが緩められていき朝を迎えた。朝食を摂った後はもう帰って良いとの事でクリニックを出た。(前回までのくだり)

 

横になっている間は到底苦しくてタクシー確定だと思っていたのだが、起き上がってからは『起きて歩くことでどこも痛くも苦しくもない。それなら、下手にお喋りなドライバーに当たって1時間も話に付き合う方が酷。GWだけど混む前の早いうちに電車で座って帰りたい』と思い、さっさと帰ることにした。

 

想像通り、GW中の朝8時位の電車は空いていて、地下鉄も、渋谷で乗り継ぎの私鉄も座って帰ることができた。途中発車直前で思わず手術した方の肩に荷物を掛けて駆け込み乗車をして『あ、手術後だった。腕を使わないようにしないと』と自分で嗜めるほど全くなんともなかった。

 

それから無事、母の待つ自室マンションに帰り、電車で帰ったことを素直に言って怒られるというか呆れられるが、過ぎたことを言っても仕方がないだろう。それに金銭にシビアに育てたのは紛れもなく母だ。それからずっと座椅子にもたれ掛かる程度にパソコンをしたりお茶を飲んだりしていて、また母が心配を繰り返す。

 

家の近くに住む美容師の友達に『いつでもいいから空いている時間にシャンプーしてくれないない?』と連絡を取ったところ、予測は夕方前か夜営業後かと思っていたのに『じゃあ今から。シャンプーしてランチ行こうよ♪』と返事が。『いや、一応安静にって言われてるんだけど…』と返すも『じゃあ安静にランチしよう』と断れそうもないので受け入れることになった。

 

結果として、頭もスッキリして近くでハンバーガーを食べ、その友達が”退院祝い”と奢ってくれて、歩くことと食べること程度は何ともなく、夕方前に友達は仕事に戻り、私は自室に帰った。

 

それから満腹感と午後の気だるさもあったので少し昼寝をすることにした。どのくらいだったのか、その間母はずっといたのかも覚えていないが、目が覚めて初めて不都合が生じた。起き上がろうと思うと痛いというか力が入らない。母が『手を引っ張ってあげようか』というが、いや、手術した方の腕を引っ張っちゃダメでしょ、ということで、ゴロゴロしながら何とかうつ伏せになり、それから左手を付いて起き上がる、という具合。

 

夜は問題ない下半身だけシャワーを浴びて、顔を洗って寝た。

 

 

↓経過のブログがまたいつになるか分からないので、この間に手術をされる方はルミンAが回復を早めてくれると実感したのでお勧め。