カレン族の名前は旅人から カレンの村より | 読んだ後ちょっと元気が出てるといいな✨日々のチョイスで人生を変える

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タイチェンマイでカレン族の村に家を建てさせてもらって。カレンの村での暮らしや自宅出産、山奥での自給自走生活、これまでの経験をシェアしながら、勇気と元気をお届けできたらいいなぁ
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森や川や動物たちと同等の自然の一部として

「パガニョ(人間)」と自称するカレンの人たち

  

 

 

 

 

 

 

家族で北タイのカレン族の村に住んでいた。

 

 

 

その時カレンのおじさんおばさんから聞いたおはなし

 

 

 

旅人が、生まてれる赤ちゃんの魂を運んでくる

 

 

 

カレンの人たちは、子どもが生まれてくる時、旅人が魂を運んでくると考えているのだそうだ。

だから、その時訪れた旅人の名前を子どもにつける、と教えてもらったことがある。

 

 

我が家も、それにならって名前を付けた。

とはいえ、そうそうちょうどのタイミングで旅人がやってくるわけでもなく

 

4人の子たちは、その時そのタイミングでご縁のあった方や、ご縁の合ったイメージにちなんで

名前を付けた。

 

長女の名前は、「かれん」。

 

 

 

 

 

 

カレンのジャパニ(日本)さんとジャパニのカレン

 

 

 

 

カレン族の長老にジョニさんという人がいる。

今思えば、20年前は当時は長老、という年齢ではなかった、と思う。

だが、その生きざまは長老とカレン族の中ではもちろん、

タイでは知る人ぞ知る存在だった。

 

 

カレン族、というのは外の人たちからの呼び名で、

彼らは自分たちを「パガニョ(人間)」と呼ぶ。

木や川や花や動物や虫…あらゆるものと同等の、自然の一部としての

「人間」を意味する。

 

そんなパガニョの人たちが、失いかけていた誇りを取り戻し、

彼らのやり方で森や文化伝統を守っていこうという流れを作った人だ。

 

 

ジョニ・オドチャオ。

 

近頃では、日本でも知る人ぞ知る存在になっているようだ。

 

 

そのジョニさん。

本当の名前はジャパニ(日本)さんなのだという。

 

 

 

                                カレン族のジャパニ(日本)さんと日本人のかれん

 

 

 

3万人超の死者を出したともいわれる日本軍のインパール作戦。

ビルマからの撤退の最中で、多くの将兵が飢えと病で倒れたのだそうだ。

 

 

ジョニさんの生まれた村はちょうどその撤退路にあった。

兵士たちに宿と食事を提供するカレン族の村の人たち。

そんな時に生まれた。

 

 

 

そしてカレンの伝統通り、旅人たちの名前

「日本(ジャパニ)」が、彼の名前になった。

 

 

 

本当の名前はジャパニ(日本)だったんだけれど、

ただ、出生届を出しに行った時に勘違いされて、

「ジョニ」になってしまったんだ、と話してくれた。

 

 

カレン族のジャパニ(日本)さんと、日本人のカレン。

おじいちゃんと孫ほどの年の差だったが、

 

「カレンのジャパニとジャパニのカレン。俺たちは前世からの親友だな」

と言ってかわいがってくれた。

 

 

ちなみに、私たちはジョニさんのことを

カレンの村ではカレン族風に

「サポパ(サポさんのお父さん)」おじさん、と呼んでいた。

 

 

 

 

 

ここまで書いて、ふと、前回書いたブチャパおじさんの名前を思い出した。

 

カレンの名前は子どもから子どもの名前は旅人から その①

 

 

たしかに「ブッダが好きだから娘にブチャ(ブッダ)と名付けた」

と言っていた…

 

旅人じゃないじゃん💦

 

やはりブチャパおじさんは自由な人。

自由な発想のブチャパおじさんがいてくれたから

私たちはカレンの村に住むことができたんだな

 

 

改めて、

ブチャパおじさんの自由な好奇心とポジティブさ

 

そして

彼の親戚でもあるサポパおじさん(ジョニさん)とのご縁に感謝した。

 

ありがとうブチャパおじさん。

ありがとうサポパおじさん。

 

 

ブチャパおじさんについてはこちら↓