タイの教室から
家族でカレン族の村に住んでいた。
その前は青年海外協力隊員としてタイのチェンマイで日本語を教えていた。
その時の思い出。
大学に赴任してまだ間もない頃。
日本に留学経験もある同僚とは、年も近く、
とても話の合う友人になれそうだった。
のちに大の親友となったのだが
最初のころ、
彼女がわたしの消しゴムや鉛筆などを
自分のもののように黙って取って使うのが気になって
思い切って言ってみた。
「ねえ、一言、ちょっと貸してね、
と言ってから使ってくれたらいいのに」
すると彼女は、
「えっ、
じゃあ貸さないの?
消しゴム」
いや、まさか。
もちろん貸すよ。
「じゃあ、いいじゃん、聞かなくても。
わざわざ聞く必要ある?」
う~~ん💦
言われてみると
それもそうかも…
無理しない
その後も
ご飯の時、最後のほんの一口を残す彼女に
「あと一口くらい食べられるでしょ。
食べ物はなるべく残さず食べなさい、って
子どものころに教わらないの?」
と聞くと
「子どものころ、
お腹を壊したら大変だから、無理しないでいい、
って教わった」
と彼女。
みんなでやれば楽で早いよ
一人でもできそうな作業を、いつもほかの人にも
手伝わせるので
「自分でできることは自分でしなさい、
って教わらないの?」
甘えん坊だなあと
あきれるわたしに
「みんなでやれば、早く終わるし
楽だよ、って教わる」
と切り返す。
なるほど…
言われてみればその通りかも…
いかにも昭和の家庭に育ったわたしが
異文化に触れ、
多文化の扉を開いてくれたのが
彼女だったのだと思う。
カレン族の村での暮らしも書いてます↓