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今回の現場では大学院生を帯同している。

ゆとり世代、ジェネレーションギャップの感覚に付きまとわれる。が、残り約4週間は彼がひとりで現場を進めるので、言いたいことを言ってきた。多くの方を巻き込み進めている事業なので、責任がある。少しは伝わっているといいのだが。






かつては自分がやっていた土のうの作成手順説明を、後輩がやっている。



締固め具の作成も、指揮していた。コミュニティがチェーンソーを持っていたので、スムーズに作業が進んだ。
工事中、どう日々の交通の経路を確認しますか。市のエンジニアから最初に挙げられた質問だった。

一緒に考えようよ、とのことで、現場でこうしたらどうか、などと打合せをした。現在、水の流れる川底をバイクや車が通る状況である。




なお人々は、吊り橋を渡っている。結構、揺れて怖い。








写真対岸に仮設道路を設置。掘削機械が作業。斜面上の家のオーナーも協力的で、道路を設置することを許可してくれた。



川砂利を敷く。このあたり我々が細かく指示しなくても、市のエンジニアの指揮のもと、うまく進んでいく。ゼネコン勤務時の現場監督を思い出す。



新しいルートが確保され、工事個所に集中できるようになった。


施工期間は一か月少し。市から協力を得ることになっている機械との連携作業が、工程通りに進めるうえで重要である。

自分達の滞在期間中に終わらせたいと、工程のことがいつも頭にある。

最初の作業は遮水壁や基礎の掘削作業であり、掘削機械によるところが大きい。市に頼るところだ。




まずは川の半分を土のうで囲い、作業ができるよう水が来ないようにする。もちろん、完全に止水することはできない。



土のう壁の周りに基礎掘削残土をおいて、さらに遮水効果が増すようにした。



あるグループは石積み用の石を集める。

毎日30名が参画する。10人ずつ三つに分けグループごとに作業を割り振った。




この日の作業が終わるころ(4時頃)、掘削機械が到着した。近くの別現場からローダーもやってきた。自分達の描いた計画では、朝から稼働してほしいところだが、市も良くやってくれていると思う。

まずまずの滑り出しだと思う。



フィリピン、ルソン島、中央部、ヌエバビスカヤ州での渡河部対策工事業。

2014年5月に学生さんと調査を実施、構造物の設計、提案、積算、予算申請、日本国際協力財団からの助成額承認、と手順を踏んできた。

先月より現地協力者、GLMi(日本のNGO)やPRRM(フィリピンNGO)らのサポートを得て準備を進めてきた。

市から、エンジニア、機械の協力を得て事業を進める段取りがついた。70個並べるカルバートの調達も目途がついた。

あとは現地入りし、施工を進めるのみ。

現場乗り込み初日、現況が前回調査時と変わりないことを確認し、着工式の段取りを進めた。土の位置にどの高さで川を道路が渡ることになるのか、明示した。




着工式では州、市、CORE(私たち、道普請人)、コミュニティらの役割を明確にした協定書を結ぶ。



読み上げることで、参加者が各々の役割(特に市のエンジニア)を確認できた。このあとの施工をスムーズに行うことにつながったと思う。



このあと住民との話合いで、参加人数、作業時間、昼食の調達、について決定された。いよいよ明日から作業開始である。
サザンハイランド州では、フォローアップに訪れた3つの路線で事業後地元国会議員や道路省の支援を得て、道路がさらに高いグレードで整備されていた。



国会議員により全長、全幅にわたり砂利敷設された様子

人々の町へアクセスする手段であるワゴンタイプの車両が、奥地にまで到達できるようになった。




道路省により、丸太橋が鉄製に架け替えられた。





住民に意見を聞くための調査の様子





小学校のある広場への入り口の門



中には、ちょうど建物建設用の資材を運搬してきた車両があった。聞くと、高校を建設するための物資らしい。

アジア開発銀行の事業 → 道路省による橋の架け替え → 教育省による高校建設、と地域が発展している。
村へ出発。久しぶりのハイランドハイウェイを約170kmの旅である。普通の道路状態なら苦痛でないが、凸凹のある箇所、急こう配、ヘアピンカープ、と難所がある。

10人乗ランドクルーザーで、後部の、進行方向に対して真横を向く席を確保した。

昨年末に現場近くで幹線道路工事を実施している施工業者、中国人技術者が地元の人に殺害されたという。用地をめぐるトラブルで、当初施工業者は軍人を連れて交渉していたがその軍人が去ったあと、襲われてしまったらしい。

こんな事件もあって大事をとり、後部座席で極力存在を隠すようにした。




町を出てしばらく行くと進行方向にト、レーラーが崖から落ちかけている様子を目撃。居眠りだろうと運転手のジョンが言う。車の台数は少ないが、道路の舗装とともに交通事故対策が緊急の課題となる。



雨季で最近土砂崩れが起きた現場、先週は寸断された状態だったらしい。業者が緊急災害復旧工事を進めていて、今回は無事通ることができた。ついている、が、神頼みの行軍である。



木の実を持って町へ行く少年



町で買出しをし、村へ戻る村人。村のキオスクで売る。





村の診療所。残念ながら1年前と変わらない様子である。次の支援があるとしたら、保健センターをつくってほしい、という村人の声が多かった。



村の広場で、お店を出す女性。具無お好焼きのよう。




発電機を買い、それを使って携帯電話充電サービスをするお店。一年前にはなかった商売である。




広場でビルム(毛糸のカバン)を編む女性。よく見られる様子である。



帰りは遅くなるので移動をあきらめ、村に泊めてもらった。雨が降り外は寒いが、家の中は火がたかれ温かい。煙いけれど、贅沢は言えない。



自分は苦手なシュガーキーン。軟弱な自分の歯は、太刀打ちできない。自分以外、皆くしゃくしゃ噛んで糖分を補給している。



イモのツルを煮込む。湯を沸かし、油を注ぎ、葉っぱを入れ、塩をふって煮込む。シンプルな料理手順である。この前には大量の米を炊いてくれていたし、メニューがわかる。マギーヌードルライスである。緑を入れるのは栄養観点からか?


夜な夜な、村の歴史を聞かせてもらう。部族の移住や闘争の歴史である。が、4年前にプロジェクトに参画するようになり闘争をやめた。お陰で生活向上にむけて労力を集中させることができ平和のありがたさを感じると話をしてくれた。

道直しとそれを通した社会経済活動活性化事業が、地域の平和に貢献する。




村人が興味深い本を持っていた。「Notable Event Book」、National Statistical Office発行である。誰がどの教会を建てた、とかどの町である国会議員が演説をした、などの年代・月日付きの記録である。

この資料をもとに、子供の生まれた年を推察するらしい。
プロジェクト事務所のあった、道路省ハーゲン事務所を訪れた。



敷地内に新しい建設機械が並んでいる。



近づいていくと、日の丸入りのポロシャツを着た職員に囲まれた。昨年日本政府より道路省ハーゲン事務所へ供与された機械で、今から出動する、とのこと。次々に感謝の言葉を述べられ悪いは気はしないけど、直接自分が汗をかいたわけではない。

日本国民や、そして機械が現地に届けられるよう実務を担当された方々の努力の結晶である。






敷地内の事務所もほぼ、そのままで残っていた。まだこの町に残っていたプロジェクトコンサルタントと久しぶりの再会。なつかしく、頼もしく、こうして時間を作ってくれることがうれしい。

事業実施過程の皆の努力、協力、を通してなんとか終えたことの充実感、互いへの信頼感を感じる。

道路省職員は、気前よく事務所のカギを渡してくれて、滞在中自由に使ってくれ、と親切である。今回の訪問は私的なものだが、そこは顔パスが効く、おおらかさで、助けられる。これも実施中にいい人間関係を築いておいたお陰かもしれない。

今回は彼らといくつかの事業地を回り、事業後1年以上経過後の、補修した道路沿線の人々のくらしの様子を確認する。
2009年から2013年までプロジェクトを行ったパプアニューギニア、事務所を置いて過ごしたハーゲンに戻ってきた。一年以上月日がたって、町がどんな様子か、ドキドキしながら現地入りした。



高層のビルが建設中。州政府建物らしい。完成すると、町でもっとも高い建物になる。

今年7月のオープンを目指し、急ピッチで工事が進んでいるらしい。高層でコンクリートを打つためのポンプ車も配置されている。インド系の建設会社が請け負っている。


だけど、見上げてばかりいられない。足元注意である。





一年前よりも道路の状態は悪化している。ほっておくと舗装道路もこうなってしまう。穴にはまるショックを避けようと車は蛇行する、道路全幅に広がる穴のあるところでは、徐行せざるを得ない。

三番目の人口規模の町なのに、こんな状態である。建物建設に予算が取られてしまっているのだろうか。

あんな高いビルは必要なんだろうか。どうも、バランスが悪いような気がする。





4か月前の火災現場。町の目貫通りに面していて、痛々しい。いつまでこのままなんだろうか。



空港にはジョンが迎えにきてくれていた。約束どおり、車を維持管理していて滞在期間中利用することができた。かなり長距離を走っている様子、傷みが生じそれを繕いながら利用している様子があるが、まあ、想定内、納得の範囲である。

パプアニューギニア、ハーゲンにこうした信頼関係のおける仲間を持つことができたことが、うれしい。
マトゥンガオ市へ移動した。第一の現場、コタバトから陸路で約5、6時間の距離という。だが、治安上の理由から、日本人はいったんマニラへ飛行機で移動、一泊し翌日カガヤンデオロへまた国内線で移動した。こうした時間と費用をかけた安全対策のおかげで、日本人が現地で現場に集中し、活動できる。

移動し、さっそく、バンサモロ開発局の担当者の説明を受けた。




こちらの進捗はよいようだ。



翌日、現場移動。心配された台風はそれていった。



赤い帽子の女性が市長。写真右端の男性がその夫であり元市長、現在副市長である。



警備が物々しく、現場視察が進んだ。



人々は日常生活で、ココナッツを取っていた。



猫はスキだらけで、昼寝していた。



10時の休憩、ここでお腹いっぱいになってしまった。




施工が進む鉄筋コンクリートのボックスカルバート




市長宅で昼食をいただき、反省会をすることになった。




意見交換の様子




市長一族とプロジェクト関係者で記念撮影
フィリピン国、ミンダナオ紛争影響地域、コミュニティ開発のための能力向上支援プロジェクトに「補強」として参画している。バンモサロ開発庁(BDA)の能力開発のため、人力施工での農道整備を行っている。

土のう工法の紹介、研修、と道路整備に関する助言をすることが主な業務だ。

今回、3回目、最後の現地入りをした。終盤に差し掛かった農道整備事業の出来映えや施工管理に関する助言をした。

紛争影響地域での、事業を進めるコンサルタントの方のノウハウにはいつも、驚かされる。専門家が安全に活動できるよう、車両、セキュリティの手配が抜かりなくされている。その手配はフィリピン人スタッフが担当している。彼らは日本人コンサルタントの方によく鍛えられていると思う。




まずは、バンモサロ開発庁(BDA)の担当者が進捗を事務所で説明してくれた。



その翌日、現場へ。




セキュリティもついてくれるから、現場視察は大勢での大名行列のようになる。



現場事務所の掲示の様子



コンクリート製ボックスカルバート





現場でコミュニティ、婦人グループらが昼食を用意してくれた。



至れり尽くせりで、大満足である。



現場視察を終えて、その場で気づいたことを共有した。