卒業式工学部卒業生を対象にアンケートをとって、就職内定状況を調査している。アンケートは卒業式前日のリハーサル時に行った。9割近い卒業有資格者から、アンケートに応えてもらうことができた。大学で受けた教育には満足しているようだ。3年制だが、大学卒業にかかった年数の平均は約5年。その理由は家計を支えたり学費を稼ぐために、働いていた、というものが一番多かった。卒業時点で就職内定率は約30%。高等教育を修めてもそれを活かせる就職口が少ないことが、社会問題だ。大学としてできることはなんだろう、と考えさせられた。卒業式はこの国唯一の国際会議場で実施された。
期末試験と卒論東ティモールで国立大学工学部能力強化プロジェクトに参画している。プロジェクトは終了年度、大学としては初めて四年生のカリキュラムでいよいよ卒論に取り組む、という緊張感のある?局面である。プロジェクト主導で期末試験時には授業評価を行う。最近、大学としての自己評価、を重視するようで教官の理解と協力が得られるようになった。記入状況が気になって、期末試験の様子をのぞいてみた。ノートパソコンを持ち込んでの試験のようだ。ほとんどの学生が所有している。農村部で住民の方とスコップを片手に道直しをしていた環境とは大きな違いだ。でも学生も農村部の出身者も多いと聞く。この国の全体的な発展という視野をもって、しっかり勉強に励んでほしい。縁あって自分も関与しているので、彼らの夢の実現に貢献したいと思う。直接指導対象となる教官らも、同じ気概を持っていると信じたい。こちらはレポート試験で提出時の様子。レポートはきちんと製本されている。学生が自前の予算でやってくる。教官、学生が評価シートを記入している。ちょうど、卒論テーマが指導教官より提示され、掲示板に張り出されていた。学生がメモを熱心にメモをとっている。卒業のための大きなチャレンジに向けて、また一人前になる第一準備段階のような気がして、わくわくしていた自分の研究室配属のころが思い出される。
マンゴーの季節がやってきた雨季の始め、今頃がここではマンゴーの季節のようだ。ある農家さんの家を訪ねたときに、自転車にのるお姉さんがやってきた。マンゴーの木の下で止まった。棒で実を落とし拾っている。日本人にとっては、簡単にマンゴーが手に入ることがうらやましい。現地では、野菜や果物が限られるなかで、自然の恵みだそうだ。町のホテルに戻る途中、雨が降り出した様子。茶色の泥だらけである。親子かな。彼らの目的地が、遠くないことを願う。
アフリカの大地、青、緑、茶、白ウガンダ北部の自然も雄大だ。今日は郊外へ出かける。土の道は昨晩の雨でぬかるむ。車もバイクも、道路中心部のできるだけ泥の少ないところを通行したい。バイクに避けてもらうが、泥にタイヤをとられ大変そうだ。少し先の工事現場。乾いてくるとホコリがたつ。泥、ホコリと雨でも乾燥していても、人にとっては不便がある。国道から脇道にはいり、民家の側を通り奥へ進んだ。滝!川が滝へとなる地点。50m近く落下し、また広大な大地を流れる大河となる。滝の側を下りていく。マイナスイオン!
南スーダンとの国境近くへ首都カンパラから、北へ360km、次の調査地であるグルへ、向かう。グルから約80km北へ行くと南スーダンとの国境である。首都カンパラの様子、丘陵地で緑も多く残る。北へ向かうにつれ、国道の状態も悪くなる。道路真ん中の舗装に穴があったり、路肩から舗装がはがれてきており走行幅が狭くなっている。改修工事が進む。中国の業者が目立つ。雨季に入っているが、乾燥しているとホコリがたつ。バイク、歩行者が直接ホコリにさらされる。ナイル川を横断!ホコリまみれな気分が一新され、まるで視覚の清涼剤のよう。
豊かな果物久しぶりにアフリカの大地に立ったような気がした。去年の8月にケニアで活動していたが、その後、東ティモールやフィリピンでの活動が続いてた。2008年以来で、ウガンダを訪れ2週間滞在し活動する。当時に両替し残りを持っていたお札が、古いデザインですでに使えなかったり、時間の流れを感じる。首都カンパラから北へ少し移動した。国道沿いの色鮮やかな果物市場せっかくの屋根付き売り場は利用されず、それより道に近い沿道に出て販売されている。大きい立派なアボガドジャックフルーツこんな大きな実がなる。果物を作る農家さんの畑、働き者でその工夫に関心させられた。
見えてきた!ところで一足お先に帰国自分は完工前に、一足先に帰国する。あとは後輩君が引継ぎ、市のエンジニアと協力して事業を進めることになる。色々注意事項を伝えた。一人で進めることで、彼自身が手応えを感じてほしいと願う。3月末に自分は再度現地入りし、何か残務があれば処理することとした。全10列中、5列のカルバートが設置された。カルバート基礎、壁の設置、埋め戻しと作業が進む。参加者、道行く人々もようやく完成形がイメージできるようになった。表情も明るい。ストレスの少ない、現場であった。時折市のエンジニアがこの施工体系、構造を他地域でも活かせるようなモデルにしたい、という。きっと大きな実績につながると思う。
工事現場日本の工事現場さながらに、プロジェクトが進んでいる。今日は昨日までに打設したコンクリート土台にカルバート(コンクリート製のパイプ)、35個(1列7個が5列)を設置する。市のエンジニアが、気を利かせ吊作業が可能なローダー、バックホーの2台を投入した。吊具も、カルバートへの損傷を最小限にするようにと、工夫をこらした治具を用意してきた。その分の費用を要求されるわけでもなく、ありがたい。市長お墨付きの共同事業である、ということが大きいのかもしれない。吊作業、機械と人の近接作業で、一番危険が伴う作業だ。市のエンジニアとともに声を出して注意喚起した。設置作業の途中に、追加注文分のカルバートがクレーン付きトラックで到着。重機で吊って設置するよりも、クレーンでの作業が数段効率がよい。仮置き場におろすのではなく、直接コンクリート基礎のうちに下してもらった。これは絶妙のタイミングだ。資機材調達は後輩君の担当業務。意図していないにしろ、この時ばかりはよくやった、また、ひょっとしたこの事業成功に向けてついているかもしれない、と思えた。
セメント40 kg×240袋(180袋/日+60袋/日)作業5日目、遮水壁と基礎のコンクリートを打設する。約30m3のボリュームである。市のエンジニアの助言を得て、州政府からトランジットミキサー(コンクリートミキサー車)を借りて利用することになる。昨日、前日に市のエンジニアが州行政に掛け合い、手続きを済ましておいてくれた。これまで他の地域では連携といってもこちらの想定するような協力が得られず、結果的に自分達で処理せざるを得ないことが多かった。今回の事業は本当に州、市の協力が想定通りに得られて、ストレスが少ない。ミキサー車はコンクリートを運ぶもの、と認識してたが、フィリピンでは大量のコンクリートを現場で混ぜることができるもの、として利用されている。水中ポンプで水を投入、骨材、セメントをバックホーで投入し、タンクを回転させ混ぜる。こんな方法もあるのかと途上国でのコンクリート打設の現状を知り勉強になった。遮水壁は水を完全に遮断できないところへ打設することになるので、セメント量を多くした方がよい、と市のエンジニアの助言。理に適っているので助言どおりに作業を進めた。その上の基礎部はセメント量を減らした。1日目、セメント袋を180袋、ミキサー車5台分を打設、二日目はセメント袋を60袋、ミキサー車2.5台分を打設した。これまでにセメント袋は6トンダンプで詰めるだけ、150袋を購入していた。砂利は市がトラック2台を稼働させ現場へ運んでくれていた。砂利、ダンプトラックも市の無償提供である。ミキサー車が到着遮水壁部へコンクリート打設石を投入、締固める。今日の作業はここまで。いつも4時には作業を終えていたが、今日はきりがいいところまで、と皆の思いがあって5時まで作業した。翌日、直径1mものパイプを設置する土台部分のコンクリートを打設した。奥から打設開始。昨日打ったコンクリート表面は水中での養生になっていたが、ほぼ固まっていた。一部薄い泥の層のようになっていたが、支障はないと判断した。村人もよく心得ていて、ミキサー車からコンクリートが伝うような台を設置するなど、こちらが何も言わなくても作業が進んだ。表面を均して、無事終了。
川底での作業川底での止水壁、基礎の掘削、石集めの短調な作業が続く。フィリピンの2月は年間を通して一番涼しい時期である。乾季であるが曇りでたまに小雨が降る。川の水位には影響がないので問題ない。昼間も長袖を来ていて苦にならない。外での重労働には良い時期だ。足を川につけての作業で、冷たさは気持ちいい。日本からやってきた我々はヒルやブヨに噛まれる、というつらい目にもあうのだが、天候も味方につけて作業が進んでいると言える。エンジニアによると、村の人々も田植えを終えるころで農作業の閑散期であってよかったとのこと。床付けに向けて掘削。濁り水で底が見えず、手探り状態での作業となっている。市のエンジニアが、所有する水中ポンプを提供してくれた。浸水してくる水はあるが、ポンプで排水することで、作業性が増した。四日目、ようやく所定の深さまで掘ることができた。短調な作業で人々も退屈してきたころだろうと思う。明日はいよいよ、遮水壁と基礎のコンクリート打設だ。